Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2015年3月1日(日)

ブラジルでは、先週の23日から全国各地でトラック運転手がストを始め、26日も7州100カ所で道路封鎖などが起きていると27日付けのニッケイ新聞の記事にあった。世界では原油価格が下がってガソリンやディーゼル油などの値段も下がっているのに、ブラジルでは政府が価格をコントロールしているため、逆に値上がりしている。そのため燃料費にお金がかかりすぎて、利益が出ず生活して行けないと、トラック運転手たちがストを始めたのだそうだ。これもジウマ大統領の悪政のなせるわざ。これが続くと、一般社会に広く深く影響してくるので心配ながら、ジウマの弾劾に勢いが増すかもしれないなと、ちょっと期待したりもしている。

以下は、2015年2月27日付けニッケイ新聞の記事『トラック運転手のスト続く=影響を懸念する生産農家』からの転載。

『23日に始まったトラック運転手のストは26日も9州で続き、生産農家が不安を募らせていると26日付フォーリャ紙などが報じている。

国内最大の大豆生産地であるマット・グロッソ州では、ディーゼル油がなくなって農耕機器が動かせず、収穫作業が完全に止まった。収穫を終えた大豆もサントス港などに運び出す事が出来ずにいる上、今後は収穫には不向きな天候が続くとの予報も出ており、収量の低下も懸念される。

また、今回のストを受けて輸送料金が大幅に引き上げられる事も懸念材料だ。伯国の農産物が他国産より高くつく原因はの一つは輸送コストで、港までの時間や距離、港での荷降ろしや積み込みの時間と倉庫の保管費などの削減が課題だが、陸運時のトラック輸送費が上がれば、国内外での価格が上がり、国際的な競争力も下がりかねない。

家畜の餌が底を突き、牛乳なども加工場に持ち込めず捨てたり、屠殺作業も止まるなどの窮状も聞こえており、予期しなかったストを前に生産農家の悩みは尽きない。』

2015年3月2日(月)

毎週土曜日に草刈りなどの手伝いに来てくれるヒバマーは、車を持っていないので、エドソンが車で送り迎えしていたのだけれど、去年の11月か12月頃からうちの自転車を貸してあげて以来、その自転車で通ってきてくれるようになった。以前は、朝6時に起きて迎えに行き、午後5時に送って行っていたのだけれど、自転車で来てくれるようになってから、土曜日の朝早起きをしなくて済むようになり助かっている。7時前には来て作業を開始してくれるので、朝一番のはるのオシッコに出る祭、ダイニングルームの南側の窓を開けて下を見ると、そこに自転車があって、ヒバマーが来ていることが確認できる。ヒバマーはうちの手伝いに来てくれるようになって3年くらいになるし、まじめに働いてくれるからと、エドソンは今年から日当を10レアル値上げして、60レアル(約3000円)払っている。

次の写真は、土曜日にエドソンが収穫してきたミニとうもろこし。これまでうちで育てたとうもろこしは大きな普通のサイズになると何だか硬く、味もあまり甘くないので、今年はミニとうもろこしの段階で収穫して食べようということになった。ミニとうもろこしにしてはちょっと大きくなり過ぎてしまったようにも思うけれど、一番大きな右側のとうもろこしの先っぽをエドソンがガブリと試食してみて、十分柔らかくて甘いから大丈夫と言うので、これを茹でて土曜日の夕飯にいただいた。おいしかった。こういう食べ方も悪くないかも?

2015年3月3日(火)

以下は、ニッケイ新聞2015年2月28日付け「コラム 樹海」からの転載。

リオのカーニバルで露呈した道徳なき集金思想

『リオのカーニバルで優勝したベイジャ・フロールが、人権侵害や汚職で国際的に問題視にされているアフリカの独裁国家「赤道ギニア」から1千万レアル(約4億1千万円)の資金提供を受けたとの報道により、国際的に批判が高まっている▼国連の人間開発指数で同国は187カ国中144位。ツツ・アリカンチ氏(同国の人権運動団体代表=本拠は米国)は「人口の大半が一日2ドル以下で生活している貧困国から、そんな大金が。まるで平手打ちを食らったよう」とウルチモ・セグンド電子版26日付けでコメントしている▼興味深いのは最初に報じたのがオ・グローボ紙で、最後まで極力報じなかったのがグローボTV局だった点だ。双方とも同じグループに属すが、報道姿勢は対極にあった▼同紙は1925年創立、首都リオを本拠として保守的な論陣を張り、64年の軍事クーデターを擁護した。そんな新聞を軸にしてグループは多角化を図り、TVグローボは翌65年から放送を始めて軍政に寄り添うように勢力を広げ、当地最大のTV網を築いた▼同TV局は普段は命がけの調査報道を得意とするのに、ことカーニバルに関しては独占放映権を買っている関係からか〃臭いものにフタ〃という姿勢になりがちだ▼同TV局を敵対視するR7局報道によれば、79年から独裁体制を続けるヌゲマ大統領の息子テオドリン副大統領は、聖市の高級住宅街ジャルジンス区に5千万レの自宅、リオ市イパネマ海岸にも8千万レの家を持つ。「豪華なパレードのためには金の出元を問わない」でいいのか。あまりに商業主義的なあり方に疑問が噴出している。(深)』

そして、同日のブラジル国内ニュースにはさらに信じられないような記事があった。ブラジルの大富豪だったバチスタ氏の資産凍結と没収が裁判所の命令で行われたのはだいぶ前の話だけれど、この裁判所の担当判事が没収したバチスタ氏の車を私用で乗り回していたという内容で、開いた口が塞がらなかった。こんなことが現実として起こるところがブラジルらしいのなかな?さらにこの判事は担当判事を外されただけで、何の処罰も刑罰も受けないで済み、定年後は満額の年金がもらえるというのだから、悪いことはやったもの勝ちなのかと思った。『バチスタ氏裁判=地裁判事担当から外される=没収したポルシェ乗り回し』というこの記事のサイトは、こちらへ

2015年3月4日(水)

メル友の鎌谷さんが送ってきてくださったエンドウの種は、やはりスナップエンドウの種だった。豆つながりで話が広がり、ムクナという豆を知っているか?と聞かれたのだけれど、エドソンも聞いたことがないという。何でもドーパミンを生成するので、パーキンソン病の人に効果があるのだそうだ。南米原産らしく、ブラジルでムクナを育てて日本に輸出している人もいるらしいと言っておられた。鎌谷さんはボランティアでパーキンソン病の患者さんの家族に、症状を軽減するためのマッサージを教えておられるので、この病気に効果のある豆ということで関心があるようだった。それでエドソンがインターネットでムクナを調べてみると、去年エリゼウからもらって育て、少し収穫できたフェイジャオン・デ・コーダ(feijão de corda)とか、フェイジャオン・デ・ポーコ(feijão de porco)と呼ばれている豆もムクナの一種だということがわかった。豆ってすごいなあと思った。ブラジルに来て以来、日本にいた時以上にいろいろな豆料理を食べるようにはしているけれど、これからはもっとがんばって豆料理を食べなくてはと思った。そして、同じくエリゼウからもらったモリンガという木の種を、蒔こう蒔こうと思いながらまだ蒔いていなかったと言って、エドソンが土曜日に作業を始めたので、私も外に出て手伝った。次の写真は、土とカロリナソイルを混ぜて16コのプラスチックの苗床を用意して、種蒔きを完了したところ。このモリンガもとても栄養価が高く、健康にいい様々な効用があるのだから、たくさん育ててその恩恵に預からなくては!

2015年3月5日(木)

先月21日にブライアンが満1歳になり、友人たちを招いてお誕生会をしたと言って、その時の写真をエリカが送ってきてくれた。どうしてブライアンの衣装がターザンなのかは不明だけれど、まあ、リオは暑いからこれでちょうどいいのだろうと思う。1枚目はブライアンとエリカ。2枚目はお誕生会の会場でのブライアンと誰だろう?デニウソンのお姉さんかな?ブライアンはまだ歩き始めてはいないようだけれど、元気に育っている様子が伺えて、うれしい限り。

そして、3月1日はまりえちゃんが満1歳になり、こちらもお誕生会をしたと、ペトロポリスの安見さんが写真を送ってきてくださった。1枚目はえりかさんとまりえちゃん。2枚目はそのお誕生会の様子。まりえちゃんは満1歳になる前に歩き出したのだけれど、歩き回って家中の引き出しを開けて中のものを引っ張り出すのでえりかさんが困っているらしい。でも彼女も赤ちゃんのときに朝起きると早速台所に行って、鍋やフライパンを床に散らかしていたそうだから、母と娘で同じなんだと思った。まりえちゃんもきっとえりかさんのように元気な良い娘に育つことだろう。

2015年3月6日(金)

火曜日の午後、「おもしろい写真を見かけたからメールで送ったよ」とエドソンがいうので見ると、weasel(イタチ)がwoodpecker(キツツキ)の背に乗って飛んでいる写真だった。そして、翌朝のインターネット上に同じ写真がナショナルジオグラフィック日本版からのニュースとして掲載されていた。これは合成写真ではなく、本物だそうで、とても不思議な写真なので、ここにも掲載してみることにした。ニュース記事には、「アマチュア写真家マーチン・ルメイ氏がこれを撮影したのは、英国イースト・ロンドンの公園。イタチの仲間イイズナが、キツツキの仲間ヨーロッパアオゲラの背中につかみかかって襲おうとしているようだ」とあった。さらに記事には、「ヨーロッパアオゲラは、アリを餌にしていて、地上で多くの時間を過ごす。このタイプの鳥は、イイズナなど捕食者にねらわれやすい。一方、肉食動物であるイイズナは、小動物はもちろん、ウサギや鳥など自分自身よりも大きな動物を襲うこともある」という解説もあり、この写真はそれほど驚くものではないとあった。でもやはりこんなシャッターチャンスを逃さず、自然界の不思議を撮影できたのはすごいことだと思った。さらに水曜日の夜、NHKの木曜日の朝のニュースでもこのことを取り上げていたので、少々驚いた。

2015年3月7日(土)

先日の夕方、家の外に出ていたエドソンが何かの小枝を持って帰ってきた。つぼみと花をつけたユーカリの小枝だった。我が家の北側の庭にあるユーカリの木はいい匂いがして、特に、雨が降った後、家の外に出るとユーカリのいい香りが辺りに漂っていることがよくある。でも、このユーカリの小枝は家の西側の道沿いに植えた異なる種類のユーカリの木で、花も葉もユーカリ独特の匂いはなかった。バラの花を1本差したダイニングテーブルの上の小瓶に、エドソンがこの小枝を差してくれたので、写真に撮ってみた。2枚目は開いている花の部分をアップで。この写真を撮った後、翌日の朝までにもうふたつ花が開いた。

2015年3月8日(日)

昨日は、夕食にハファエウと彼の家族を招待した。ハファエウとマイーラのふたりとは年に2~3回一緒に食事をするのが恒例になっているけれど、今回は、クリスマスに彼のお宅に呼んでもらったお返しに、ふたりだけでなく、家族をみんな、と言っても、大人だけでお姉さんのところの子供たちは含まず、招待した。夕方雨の中、ハファエウの車でみんなが到着。でもお母さんは夜の外出は苦手なようで、来ていなかった。次の写真は、食卓を囲んでいるみんな。一番手前から時計回りに、エドソン、ハファエウのお姉さん、そのご主人、ハファエウのお兄さん、マイーラ、そして、ハファエウ。

ハファエウのお姉さんはこの1月にインド旅行に行ってきたばかりなので、とても楽しそうに旅行の話をしていた。団体旅行だったので、どこまで深くインドを体験できたのかはわからないけれど、インド料理もおいしかったと言っていた。私たちがこれまで知り合ってきたブラジルの田舎の普通の人たちは、自分たちの狭い世界にどっぷり浸かって、外のことにはまったくと言っていいほど関心を示さない人が少なくないけれど、彼女はこの辺で出会う普通の人たちとは少し異なり、いろいろなことに興味を示し、異なる文化や歴史などにも関心が高く、会話が弾んだ。昨日の献立は、ポロネギのキッシュ、ローストポーク、バジルとトマトとリコッタチーズのサラダ、ゆでジャガイモとトマトとレタスとルッコラときゅうりとゆで玉子のサラダ。ポロネギのキッシュはお肉を食べないマイーラのために作ったのだけれど、一切れの3分の1くらい残していたので、ちょっとがっかり。あまり口に合わなかったのかな?食べられないものが多いマイーラのために献立を考えるのは本当に難しい。でも他の人たちには好評だったのは良かった。そして、デザートはハファエウたちがフルーツタルトを持ってきてくれたので、それをいただいた。ブラジルに来て初めて食べるフルーツタルトだった。私は知らなかったけれど、ボトゥカトゥにはケーキショップもあるんだ。切り分けて食べる前に写真を撮るのを忘れたので、食べ終わってから一切れだけ残ったタルトをパチリ。写真で見るとあまりおいしそうではないけれど、リンゴ、イチゴ、ブドウ、キウィが乗って、とてもおいしかった。

2015年3月9日(月)

以下は、ニッケイ新聞2015年3月6日付け「コラム 樹海」からの転載。この記事の中で出てくるフスカというのは、フォルクスワーゲンのビートルのこと。日本ではもう見かけることのない骨董品のような車だけれど、ブラジルの田舎町では今でも現役で走っているビートルを時々見かけることがある。

さよならペペ

『お隣りウルグアイのホセ・ムヒカ大統領(79)が3月1日に任期満了し、65%もの支持率を保ったまま退任した。大統領公邸に住まず、首都モンテビデオ郊外の質素な自宅から1987年製の青いフスカで仕事に通った▼貧乏な家庭に生まれ、60年代に都市ゲリラ組織に入り治安当局と対決。数々の襲撃や誘拐工作に関わり、6発の銃弾をくらい、4度逮捕され2度脱獄した。72年の逮捕後は13年近く収監された革命闘士という経歴を持つ。伯国大統領も元闘士だが、金に関する考え方は大分異なる▼ムヒカ氏は給与の大半を財団に寄付し、月に1千ドル余りで生活し「世界で一番貧乏な大統領」と呼ばれた。ごく普通の家の庭に鶏が放し飼いにされ、可愛い子犬がジャージ姿の〃ペペ〃(大統領の愛称)を追う写真が有名だ▼口が悪いことでも知られ、昨年のサッカーW杯で同国代表のスアレス選手が噛みつき事件を起こし、厳しすぎる罰を下された時《FIFAは売春婦を親に持つ悪党ジジイの集まりだ》と悪態をついた▼彼は〃貧乏大統領〃と云われる度に《私は貧乏なのではなく、質実なだけ。荷物が軽いのだ。自分が自由であるために充分なものをもって生きている》と答え、「政治家は国民の大多数と同じように生活すべきであり、少数派(=富裕層)のようであってはいけない」との信条を度々口にしている▼昨年11月にはアラブの富豪から100万ドル(約1憶1600万円)で愛車(時価2800ドル)を売らないかと打診され、拒否して話題を呼んだ。近々公表予定のペトロロン汚職に関わった伯国政治家に、その爪の垢を煎じて飲ませたいものだ。(深)』

2015年3月10日(火)

先週の水曜日の午前中は晴れていいお天気だったのに、午後は一転、雷が鳴ってザアッーと雨になった。洗濯物を外に干したまま、私は午後から町の美容院に行っていたので、「ああ~家に戻ったら洗濯のやり直しだあ・・・」と覚悟して帰宅したのだけれど、エドソンがちゃんと取り込んでくれていて、まったく湿ってもいなかった。普段、仕事に集中していて、私がゴゾゴゾ家事をしていても、何をしているかほとんど気にもかけていないのに、洗濯物が外にあることによくぞ気づいてくれました。感謝。感激。この午後からの雨は夕方には止んだものの、以来、毎日雨模様のぐずつくお天気が続いている。天気予報によると、今週の金曜日までこの状態が続くらしいので、1週間以上雨、雨、雨の日々ということになる。お陰で太陽がほとんど顔を出さないので、太陽光温水器のお湯の温度が徐々に下がってきている。これ以上下がると電気温水器のスイッチを入れて電気でシャワーのお湯を温めないといけないかもと思い始めていたら、昨晩、エドソンがすでにスイッチを入れていてくれて、熱いお湯でシャワーを浴びることができた。次の写真は、夜の間降っていた雨が一旦止んだ先週金曜日の朝撮ったもの。ダイニングルームの窓から南西の方向を撮ったのだけれど、森の向こうは雲が低くたなびいて、雲海のように見える。森の手前の我が家のセドリーニョやグレヴィーリャの木々が、向こう側の森の木々を被い隠すくらいに大きく育ってきている。

2015年3月11日(水)

先日、ハファエウたちが持ってきてくれたフルーツタルトを食べた際、「おいしい!」と私が感嘆したら、ハファエウが「ありがとう。僕が作ったんだ」と冗談を言うので、「作り方を教えて」と言うと、このフルーツタルトを買ったお店の名前と道順を言って、みんなを笑わせた。するとお姉さんが、「これを作るのは簡単よ」と言うので、はたと考え、そうね、パイ生地とカスタードクリームと何か果物があれば、「なんちゃってフルーツタルト」風なものは作れるかな?と思った。それで食べ頃になっていたキウィフルーツがあったので作ってみることにした。カスタードクリームは適当に作ったので、焼き上がったパイ生地の中に入れてみるとどうも量が少ない感じ。それで、1パックの半分だけ使って残っていた生クリームがあったので、それでホイップクリームを作り、カスタードクリームの上にホイップクリームを乗せて、その上にキウィフルーツを乗せてみた。まあ、見た目は何とかフルーツタルトに見えるかな?食べた後のエドソンの評価は合格!良かった。

2015年3月12日(木)

一昨日の午後4時を過ぎて、私が台所で夕飯の準備をしていると、「はるに何か食べさせた?」とエドソンが聞くので、「何も食べさせてないけど」と言うと、はるが虫か何かを食べたみたいで様子がおかしいと言う。はるを明るいところに連れてきて顔を見ると、顔や頭にじんましんのようなブツブツが出ていて、「ゲハッ、ゲハッ、ゲハッ」という咳を繰り返している。何かのアレルギー反応を起こしているようだった。このままだと呼吸困難になって息ができなくなるかもしれないからすぐにヴィラ・シーコに連れて行こうとエドソンが言うので、あわてて戸締りをして、出発した。でもここから舗装道路に出る途中で頭上に真っ黒い雲が広がり始めていることに気づいて引き返し、落雷に備えて、エドソンにテレビやコンピュータなどのコンセントを抜きに行ってもらった。その頃には、はるの状態は少し落ち着いてきていたけれど、たまに「ゲハッ、ゲハッ」とやるし、耳の下のリンパ腺の辺りが腫れて、まるで食料を頬張っているリスみたいになっていたので、やはり、ヴィラ・シーコに行くことにした。5時過ぎにヴィラ・シーコに着くと、運良くドトーラ・ジャナイーナがちょうど手術を終えたところだったので、すぐに診てもらうことができた。はるを抱いて待っている時、はるの体が熱いので、熱があるみたいだと思っていたら、ドトーラがはるの体温を測ると、やはり40度近くの熱が出ていた。何か虫を食べたのか、毒のある虫にちょっかいを出して刺されたのか、その場を誰も見ていなかったし、虫の残骸もなかったので、何が起こったのかわからないんですと、エドソンが状況を説明した。症状的に見て、何かのアレルギー反応を起こしていることは間違いないという診断で、注射を2本打ってくれ、「これで明日の朝までにはいつも通り元気になっていますよ。でも、何かあったらいつでも電話してください」と、ドトーラは言ってくれた。ああ、やれやれ・・・帰宅した頃にはじんましんのようなブツブツもほぼ消え、リンパ腺の腫れや熱も引き、夕食も普通に食べ、まるで何もなかったかのように元気なので、ほっとしたけれど、こちらはエドソンとふたり、緊張感から開放されて、どっと疲労感を覚えた。そして、家の中にいて、ほんの数分誰も気づかない間にこんな事態になるなんて、恐ろしいことだと思った。さらに、いつも居るとは限らないドトーラ・ジャナイーナがいてくれたことは、本当に幸運なことだった。

次の2枚の写真は、翌日、つまり昨日の朝のはる。6時半頃目を覚ましたはるは、ベッドの中で指しゃぶりならぬ、足しゃぶりをしていた。このペロペロペロという音で私も目が覚めた。そして、しばらくすると、ベッドから出て、エドソンの側まで行って、エドソンに「おはよう」の挨拶をしてから、ベッドに戻らず、寝室のドアの前に座りこんでしまった。いつもは、ベッドの中で「ヒーン」と小さな声を出して、オシッコに行きたいと言い、私が着替えて「さあ、行こうか」と声をかけるまで、ベッドの中で私の着替えを見ながら待っているのだけれど、昨日は私が起きるのを待たずに、ドアの所まで行って座って待っているので、その姿を写真に撮った。いつもと違う行動をしたので変だなと思ったけれど、どうやらオシッコだけでなく、ウンチもしたかったようで、両方済ませたら、いつも通りの元気なはるに戻っていた。

2015年3月13日(金)

先日8日の「女性の日」に、テレビやラジオでジウマ大統領の演説が流されたそうだ。その際、多くの都市で、人々が鍋を叩いて彼女に抗議する「パネラッソ」という抗議行動が行われたというニュースがあった。2015年3月11日付けのニッケイ新聞にそのパネラッソの説明があったので、以下にその記事を転載してみる。ちなみに鍋のことをポルトガル語ではパネラ(「ネ」にアクセント)と言うので、パネラッソ(ラにアクセント)というのはその鍋からきている。この記事の中のマニフェスタソンというのは抗議行動とかデモのこと。それからもうひとつ、先日ジウマ大統領がサンパウロに来て、ルーラ元大統領との話し合いの後、ショッピングセンターに買い物に行った際、買い物客から激しいブーイングが起こったため、買い物をせずにすぐにその場を逃げ去ったというニュースがあったとエドソンが言っていた。現在彼女の支持率は10数%になってしまっている。

「パネラッソ」って何?=鍋を叩いての抗議活動

『8日夜、ジウマ大統領がテレビとラジオを通じて行った政見放送の間、全国12州の通りでは、最近のジウマ政権が抱える問題に対する不満を表明する国民が鍋を叩いて抗議したことは、10日付本紙でも報じた。

だが、この報道に「なぜデモで鍋を?」と思われた方も多いのではないか。そこでこの場を借りて、「鍋たたきデモ」こと〃パネラッソ〃について説明しよう。

「パネラッソ」はそもそも南米のスペイン語圏で行われていたもので、スペイン語では「カセロラーゾ(Cacelorazo)」と呼ばれている。ウィキペディアに乗っている用語も、「パネラッソ」ではなく「カセロラーゾ」で登録されている。

ウィキペディアの英語版によると、パネラッソは1971年にチリで行われたのが最初だということだ。この当時のチリは、サルバドール・アジェンデ大統領による社会主義政策が失敗して、深刻な品不足も起きていた。このとき、国民が物資不足に不満を表明しはじめた方法がパネラッソだったという。このパネラッソは、アジェンデ政権を倒して長期の軍事独裁政権を築いたアウグスト・ピノチェト大統領の治世が終わる80年代いっぱいまで、チリでは一般的な抗議手段だったという。

だが、それを南米に思い出させたのが、2000年代以降のアルゼンチンだった。同国は2001~02年に金融危機に陥っており、そのときに国民がとった政府への抗議行動がパネラッソだった。

それ以降、パネラッソの波は南米のみならず全世界的に広がり、アイスランド、メキシコ、スペインなどでも行われた。パネラッソが普及した理由としては、この方法が非暴力的で平和的であることが好まれていることがあげられる。

ここ最近のパネラッソとして、は2012年11月にアルゼンチンのクリスチーナ大統領の任期延長を認める法改正に反対し、ブエノスアイレスで70万人を動員したものや、ベネズエラの大統領選挙でのエンリケ・カプリレス候補の落選に不満の国民が13年4月にカラカスで起こしたものが有名だ。

ブラジル国内でのパネラッソは、8日のマニフェスタソンで本格的に知られるようになった。15日にはジウマ大統領罷免などを訴える全国的なマニフェスタソンが予告されているが、そこでも鍋の存在が大いにクローズアップされることになるだろう。』

2015年3月14日(土)

連日ニッケイ新聞からの転載になるけれど、以下は、3月11日付けの「コラム 樹海」から。私も同人誌の「楽書倶楽部」に文章を寄せるようになって、日系の方たちとのつながりが広がったけれど、みなさんが高齢化する中、この方たちが亡くなられたら「楽書倶楽部」はもちろん、現在活動している様々な句会も短歌会も文章会などもみな消滅してしまうのだという危機感を覚える。つまり、これは日系コロニアの消滅を意味している。まだお元気な一世や日本語の話せる二世の方たちがおられる間に、コロニアの未来を見据えた試みが何かできないものかと、最近いろいろ感じていることが、このコラムを読んでふと心によぎった。

【樹海拡大版】『被災地には日本全体の問題が凝縮されている』

『5日のTV東京番組『カンブリア宮殿』で、岩手県陸前高田市の創業200年、伝統の味噌蔵「八木澤商会」の震災後の新しい取り組みが紹介された。4年前の今日起きた東日本大震災で、秘伝の醤油や味噌の樽も流され、工場全壊の被害を受けた老舗だ▼当時専務だった河野通洋社長の判断で裏山に駆け上がり、社員の大半が助かった。目の前で渦を巻く津波―「まるで映画の中のような非現実的な光景…。でもその時、頭の中は意外と冷静で、現預金で役員報酬をゼロにしたら社員の給与を7~8カ月払えるという計算をし、じゃあやろう、と考えた」と会社再建の判断をした瞬間を振り返る▼震災の3週間後、河野さんは全社員を集め「雇用を全員維持する」と約束し、その場で給与を支払い、父親から社長を引き継ぐと宣言した▼河野社長が子供の頃から慕っていた営業部長はボランティアで消防団に所属し、率先して堤防を閉めに行き、津波に巻き込まれた。「みんな家が流され、家族を探していて、不安を抱えている中で、身近にいる人を安心させるために何かができるか。『お給料を普通に払いますよ』と云おうと思った。『津波なんかに負けるもんか!』ですよ」と河野社長はうっすらと涙をうかべた▼老舗ののれんは重い。「下りのエスカレーターにいることは頭の中で分かっていても、本当に変えるための行動に移せるかというと、ものすごく勇気がいる。震災が起きて捨て身になったことは、大きなきっかけになった。やらないと生き残れなかった」と述懐した▼思えばコチア産組や南伯農協がなくなってもう21年が過ぎ、とうに求心力を失った日系社会も〃下りのエレベーター〃の真っただ中ではないか。河野社長のような存在はコロニアにいるのだろうか▼1年半後にようやく醤油生産を開始したが、従来の取引先の多くはすでに廃業していた。新規開拓を図らないと潰れる―そんな危機感から地元の被災中小企業が頭を寄せ合って新商品の共同開発を始めた。三陸食材を使ったスープブランド「まで~に」、甘じょっぱい「しょうゆソフトクリーム」、ポルトガル菓子風「味噌スイーツ」。本人が「震災以前なら絶対やっていなかった」と振りかえる商品展開だ。TV画面を見ながらブラジルでも販売できないのか―と思った▼河野社長は震災を振り返り、「日本人ってすごいと思った。『衣食足りて礼節をしる』という言葉があるが、震災直後はその衣食が足りなかった。足りなくても、人のために何とかしようと〃義〃のためにみんなが動いた。あの時、自分が食えなくても『人のために役になっている』という自覚があるから、みんなが生きれた。その気持ちが強くなったのは震災のおかげ」と危機をチャンスとしてとらえている▼村上龍は番組の編集後記で「被災地は今の日本の象徴。あれから、四年がすぎた。『被災地には日本全体の問題が凝縮されている』という認識を、わたしたちは今こそ共有すべきだと思う」と書いた。移民107年の〃ノレン〃を持つコロニアも、この再建の意気込みに学ぶべき―ではないか。(深)』

2015年3月15日(日)

昨日、ジミーを夕食に招いた。本来ならジミーだけを招くようなことはしないのだけれど、ジミーとフェルナンダはずいぶん前からガタガタしていたようで、去年の12月にとうとうジミーが家を出てしまい、その後正式に離婚し、今ひとりなのでこういうことになった。フェルナンダとの結婚生活は20年近くにおよび、3人の子供たちがいるのに、離婚したと聞いたときは正直驚いた。パーディーニョの町には離婚家庭が少なくなく、離婚しないまでも、妻の浮気や夫の浮気、さらにDVやモラハラなどの問題を抱えている家庭が結構ある。どうしてそんなに壊れた家庭が多いのだろう?と思う一方、穏やかに、普通に幸せな家庭を築くことは難しいんだなと感じる。そんな中でジミーの家庭はとても安定しているように見えていたのに・・・その証拠に子供たちが素直で精神的に安定していて、親子関係もとてもいい。それなのにこんなことになるなんて・・・。人生いろいろあるんだなあ・・・。でも、離婚したとは言っても、ジミーは今でもしっかり子供たちを支えていて、娘のダニエラの英語のレッスンの送り迎えを始め、父親であることを止めたわけではないので、子供たちは何とか落ち着いて受け止めているらしい。そして、フェルナンダは最近幼児教育の資格試験に受かって、町の幼稚園で先生をすることになったそうだから、お互いにそれぞれ前を向いて進んでいるというのが、せめてもの救いかな?昨日ジミーは末娘のレティシアを一緒に連れてやって来た。

2015年3月16日(月)

昨日15日の日曜日に、ブラジル(全国27州の内)の25州の都市で、反ジウマと反PT(労働者党)のデモが行われた。サンパウロ市ではアヴェニダ・パウリスタという日本総領事館の入っている建物もあるサンパウロ一番のメインストリートに100万人もの人々が集まり通りを埋めた。リオデジャネイロでは1万5000人、ブラジリアでは4万5000人、北東部のフォルタレーザで2万人、ベレンで3万人と、サンパウロに比べたら桁が違うけれど、全国でデモに参加した人の数を総計したら、かなりの数の人々がデモをしたことになるのではないかと思う。サンパウロでは爆発物を持った15人のグループが警察に逮捕されたそうだけれど、一般のデモ参加者がこのグループの不審な動きに気づいて、取り囲み、警察を呼んで捕まえさせたそうで、100万人もの人が出たデモだったにも関わらず、ブラジルにしては珍しく大きなトラブルなく穏やかに行われた。エドソンは普段昼間からテレビを見たりしないのだけれど、日曜日は午後デモが始まってからテレビをつけて、デモに関する報道をチェックしていた。これだけ大きな動きになったので、ジウマも政府も完全無視はできないのではないかと期待している。でも、今のところこれらは一部の跳ねっ返りとか、過激な人たちの行動だと言っているらしい。サンパウロ市に関して言えば、100万人(市の人口の約1割近く)もの人たちのことを一部の過激行動と言うのは無理があるのでは?

2015年3月17日(火)

ダイニングルームの窓辺に置いたセントポーリアは、3年くらに前にもらった時は花がたくさんついていたけれど、その後年に1回1つ2つ花を咲かせたり、咲かせなかったりの状態で細々と生きながらえてきている。それで毎日少し水をやるようにしている。そうしたら、先日ひとつ花の芽が出てきて、とうとう花を咲かせたので写真に撮ってみた。たったひとつだけだけれど、よくもまあまた咲いてくれたものだと感心しながら毎日眺めている。

2015年3月12日付け、ニッケイ新聞の「大耳小耳」に以下のような記事がった。ブエノスアイレスでは、地下鉄丸ノ内線の昔のあの赤い車両もそのまま走っているそうだから、これで東京と名古屋の地下鉄が一緒に走ることになるんだ。日本で役目を終えた乗り物が南米でお役に立っているというのも、おもしろいものだなあ・・・。

『10日付け「らぷらた報知」によれば先日、亜国のサラテ港に、名古屋の地下鉄で30年前まで使われていた日本製車両12台が到着し、4月からブエノスアイレス地下鉄C線で実際に使われる予定だとか。古い車両だが、冷房、自動開閉機能、速度測定器などもついている。1月に到着した6台とあわせれば計18台にも。昔の日本の地下鉄が好きな人は、ペソ安の今、郷愁を癒しにアルゼンチン旅行する好機かも?』

2015年3月18日(水)

以下は、インターネット上で見かけた産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘の記事。出所は、NEWSポストセブン2015年3月14日16時00分(2015年3月15日18時33分更新)。

「謝るほどに悪くなる日韓関係」ついに終止符を打つ時が来た

戦後70年(韓国では解放・光復70年)、日韓国交正常化50年を迎えた今年、韓国のメディアでは予想通り年初から“反日報道”が荒れ狂っている。2015年日韓歴史戦争の幕開けである。

直近でいえば、ISIL(イスラム国)による日本人殺害事件に関連し、韓国政府は朴槿恵大統領が安倍晋三首相に哀悼の書簡を送るなど対日姿勢を軟化(?)させているが、メディアは一斉に「安倍、自衛隊の海外武力行使拡大へ」(2月2日、東亜日報)など逆に“安倍叩き”に熱を上げている。

あるいは定番の慰安婦問題では、日本政府が米国の学校教科書の誤った記述に是正を求めている話にかみつき、米国の学者・研究者19人(!)が日本非難の声明を出したといって、何日かにわたって大々的に持ち上げている。

きわめつきは安倍談話問題。安倍首相がNHK「日曜討論」(1月25日)やその後、国会答弁などで「歴代首相の談話と同じ表現を必ず使うとはいわなかった」として、早くも「反省無き終戦70年談話」「中身の抜けた談話はコメディ」などと非難キャンペーンを展開している。

そんな中で発刊された前大統領・李明博の回顧録『大統領の時間 2008―2013』には2010年、菅直人首相によって出された「日韓併合100年」の「談話」の経緯が記されている。

回顧録は、菅首相から談話内容については事前に電話で知らされたとし、過去の謝罪と反省が今回は韓国に特定されたことに加え、李王朝文書返還など「自分が求めてきた(謝罪と反省の)具体的行動」が込められていたとし「村山談話を越えて韓日関係を進展させる歴史的措置だった」とべたぼめしている。

しかし戦後50年の村山談話や慰安婦問題の河野談話(1993年)もそうだが、韓国が守れ、守れと日本にしきりに要求して騒ぎ立てる、韓国にとってそんなに好ましい素晴らしい内容だったのなら、そこで「納得」となって過去は終わりとなっていたはずではなかったのか。

それが終わらず蒸し返されてきた。1998年、「日韓共同宣言」と銘打って文書で完璧に「謝罪と反省」を明記し、これを取り付けた金大中大統領など「これで過去は清算された」と言ったのに、韓国側はその後も過去を蒸し返し続けている。

安倍政権に対してはスタート以来、右傾化とか軍国主義復活、歴史歪曲……などと非難の大合唱を続けてきた韓国では、どんな内容になろうが「安倍談話」は認めず叩きまくろうと手ぐすね引いている。ということは、韓国相手にはもはや「謝罪と反省」は何の意味も効果も持たないということだ。「謝るほど悪くなる日韓関係」に終止符を打つ時である。

その意味で「戦後70年安倍談話」は韓国にこだわる必要はない。そして70年前いや1945年以前にこだわることもない。むしろ1945年以降、これまでの70年間の歴史をしっかり振り返った方がいい。日本は過去の反省、教訓の上でいかに国際社会に貢献したかを語ることだ。

そして韓国、中国を含むアジアに対しては、過去の反省に立った日本の支援がアジア諸国の発展に寄与できたことをうれしく思うと、堂々と述べればいい。戦後70年とは別に「日韓50年談話」も必要なら出していい。その際も併合や日本統治時代の話などではなく、新しい日韓協力の50年間が韓国の現在のめざましい発展につながったことに感謝(!)し、共に喜びたいと語ればいいのだ。

“歴史戦争”は相手にこちらの主張をいくら認めろといっても耳は貸さない。狙いはむしろ外野というか国際社会だ。韓国、中国を含む戦後アジアの発展への日本の寄与これこそが“過去イメージ”を乗り越え、国際的共感を得るものであり、歴史戦争に勝てるキーワードなのだ。
文・黒田勝弘(産経新聞ソウル駐在客員論説委員)
※SAPIO2015年4月号

2015年3月19日(木)

家の西側の車寄せの近くに植えたイングリッシュ・ラベンダーの苗は、なかなか大きくならず、場所が良くないのか枯れてしまった株もある。でも、この時期になると毎年2~3株からひょろひょろと数本だけ茎が伸びてきて少し花を咲かせる。今年も同じように花を咲かせたので写真に撮ってみた。イングリッシュ・ラベンダーよりもずっと前に植えたフレンチ・ラベンダーの方は、手入れや刈り取りなどせず放ったらかしなのだけれど、1年中花を咲かせていて、強さの違いを見せつけている。

先月中旬、バラの花壇のピンクのバラが1つ咲いたので写真に撮ったのだけれど、この日曜日にまた新しくつけた2つのつぼみのうちのひとつが開いたので、写真に撮ってみた。開いている花の左側に、まだ開いていない固いつぼみがあるのがわかるだろうか?そして、さらに左側に、先月咲いた後枯れた状態のものが見える。

2015年3月20日(金)

以下は、15日(日曜日)に行われた反ジウマ、反政府デモ関連の、2015年3月17日付けニッケイ新聞にあった記事2つ。ジウマやPT(労働者党)はこのデモのことをクーデターだと言ってみたり、ジウマに投票しなかった反体制の人たちの行動だと言っていたけれど、この大規模だけれど、平和的に行われたデモで「私たちはあなたに投票したけれど、あなたは嘘をついた」と訴えていた人たちのことはどう説明するのだろう?このデモの前、13日(金)にサンパウロで行われたPT支持のデモ参加者は1万5000人。でも、このデモはルーラ元大統領がしかけたもので、しかもこのデモに参加した労働者と称される人たちはPTから日当をもらってデモに参加していたということがバレてしまっている。この違いは歴然としている。

『反ジウマ抗議行動=パウリスタ大通りに100万人=コーロル罷免デモの3倍=PT政権やLJへの不満爆発=軍介入支持は少数で非暴力的』この記事のサイトは、こちらへ

『反政府デモ=大統領の票田北東部でも=全国で175万人が街頭で抗議=反大統領派政治家にも批難』この記事のサイトは、こちらへ

2015年3月21日(土)

うちの畑のマラクジャ・ドスィ(甘い種類のパッションフルーツ)が、うっそうと茂り、畑の半分近くを被うような勢いだ。現在、花や実をたくさんつけている。そして、去年はいなかった大きな蜂がブンブン飛び交っているので、今年はちゃんとした実が収穫できるかもしれないと、エドソンは言っている。マラクジャの受粉はこの大きな蜂でなくてはうまく行かないのだそうで、蜂の存在が期待を持たせてくれているということらしい。次の写真は、マラクジャ・ドスィの花。

次の写真は、下向きに咲いた花や実をつけている畑のマラクジャ・ドスィ。

次の写真は、畑ではなく、ランドマークの木の足元で、おそらく以前捨てた普通のマラクジャの種から芽を出して、成長してきたもの。実をひとつつけているので写真に撮ってみた。この写真には写っていないけれど、花のつぼみもいくつかある。これらも実を結ぶかどうかは疑問だけれど、こんなところでこんな風に育っていることに驚いている。

2015年3月22日(日)

東京に住んでいた頃、自宅で2~3度フランスパンを作ってみたことがあるけれど、何度やっても固くなってしまい、軽い食感のフランスパンにはならなかった。ここで朝食のパンを作るようになってから、気分を変えるために1度だけフランスパンを作ったことがある。でも、これもやはりふっくら軽く作ることができなかったので、以来作ることを諦めていた。ここではおいしいフランスパンが手に入らないので、たまにフランスパンが恋しくなる。それで先週の日曜日にふとまた作ってみる気になり、作業をした。焼いている途中で、ガス欠になり、プロパンガスを取り替えて焼き直したからか、やはりうまく行かず、固いパンが出来上がってしまった。次の写真は、先週の日曜日に作った失敗作のフランスパン。

この失敗作に少々がっかりしたのだけれど、「焼いている途中でガスが止まったからちょっと固くなったのかもしれないけど、これはこれでおいしいよ」と、エドソンが言ってくれたので、気を取り直して再度挑戦してみることにした。今回はイーストを日本で買った顆粒のものではなく、ここでパンを作る際にいつも使っているチーズの塊のような状態の生イーストを使い、生地を寝かせる時間を長めにしたり、オーブンの温度を上げてみたりと、作り方を少し変えて作ってみた。次の写真は、今回作ったフランスパン。見た目は前回のものと変わらないけれど、柔らかさは少し改善。日本のお店で簡単に買うことのできるとてもおいしいフランスパンとは比べ物にならないけれど、切って、トーストして食べると、カリカリとした歯ごたえで、これはこれでおいしいと思った。

2015年3月23日(月)

外ベランダ横のバラの花壇の白バラがつぼみをつけた。この白いバラの木は、ピンクのバラの木と同じ時期に植えたのだけれど、やはりなかなか大きくならない。でも、時々花を咲かせて私たちの目を楽しませてくれている。同じような高さにお隣の赤いバラもふたつつぼみをつけている。この赤いバラの木は白バラの木よりもずっと大きいのだけれど、下の方から新しい芽が出てきて、つぼみをつけたので、白バラと同じような位置にある。背後にはピンクのベイジョが咲いている。2枚目の写真は、3日後くらいに白バラが開いたところをパチリ。この時点で、お隣の赤いバラのつぼみは相変わらず固く、まだ開いてない。

2015年3月20日付けのニッケイ新聞のブラジル国内ニュースにおもしろい記事があったので、以下に転載してみる。時代と場所が変われば、考え方もいろいろ変わってくるものなんだなあ・・・。

聖市議会=公共の場での授乳認める=追い出した場合は罰金刑に

『聖市議会が10日に公共の場での授乳を認め、追い出したり授乳を禁じたりした場合は500レ(再犯は1千レ)の罰金を科すという条例を承認し、ハダジ市長の裁可を待っていると19日付エスタード紙が報じた。

同条例は、13年にSescベレンジーニョで1歳4カ月だった娘に授乳していた女性と友人達が職員に取り囲まれ、押し問答になった事を受けて提出された。同施設は授乳を禁じていないが、職員に周知されてなかったという。同様の出来事はその他の施設でも起きており、女性や子供の権利の侵害ととった女性達が公共施設に集まり、一斉に授乳するという抗議行動なども起きた。

同条例は、民主社会党の野村アウレリオ、パトリシア・ベゼラの両市議と社会民主党のエディル・サレス市議の3人が提出した。』

2015年3月24日(火)

先日、外ベランダの柱の上に、比較的大きな鳥が静かに停まっていたので居間の中から写真に収めた。ここでは本当に様々な鳥を見かけるけれど、この鳥を含め、日本では見たこともない、名前を知らない鳥ばかり。

鳴き声を聞いたり姿を見て、何という鳥かわかるのは、トゥカーノ(オオオニハシ)とチコチコ(すずめの一種)とマリタカないしパパガイオ(インコ)くらいなもの。中には鳴き声が人間の言葉、ただし、日本語ではなくポルトガル語のように聞こえる鳥もいる。と言っても、私が勝手にそんな風に聞こえると感じているだけで、ブラジルの人たちにもそんな風に聞こえているわけではないのだけれど・・・。まず、「モヘウ、モヘウ、モヘウ」と鳴いているように聞こえるのは、バクラウ(bacurau)という鳥だと、エドソンが教えてくれた。次の写真は、インターネット上でみつけたそのバクラウという鳥の写真。「モヘウ」というのは「morreu」のことで、日本語にすると「死んだ、死んだ、死んだ」と言っているように聞こえるのだからおかしい。

また、「ケッケフォーイ?」つまり、「Que que foi?」と鳴いているように聞こえる鳥もいる。文法的に正しくは「O que foi?」なのだけれど、口語表現の「Que que foi?」と聞こえる所が何とも不思議。これは英語で言うと「What happened?」という意味なので、「どうしたの?」と聞かれているような感じ。この「モヘウ」と「ケッケフォーイ」は今の時期は耳にしない。今の時期頻繁に聞こえてくるのは、「トゥドボン?トゥドボン?トゥドボン?(Tudo bom?)」という鳴き声。おそらく野バトの鳴き声なのではないかと思うのだけれど、定かではない。朝夕、「元気?元気?元気?」と聞かれているようで、この声を聞くとニンマリして「元気よ、元気よ、元気よ」と応えたくなる。

2015年3月25日(水)

先月は毎週、週の半分くらいは雨で、よく雨が降るなあと思っていたけれど、今月はほぼ毎日一度は雨が降り、まったく雨が降らず、安定した日差しがあるという日は週に1日か2日しかない。先月以上に多雨の月になった。ほとんど日差しがないため気温が低いうえに、21日の春分の日は、季節が逆のブラジルでは秋が始まったことを意味するので、一段と薄ら寒い感じになってきた。それで私たちの寝具を毛布から薄手の掛け布団に変えたので、はるのベッドも洞窟状にして、中に潜り込んで寝れるようにした。このベッドはキューブのような形になって、中に入ることができるのだけれど、しっかりキューブ状にしないで、わずかな隙間から潜り込むようにした方が暖かいだろうと思い、こんな感じで最近はるを寝かせている。はるも居心地がいいのか気に入ってくれている様子。

月曜日の午前中、パウロが末娘のマリア・パウラを連れてやってきた。エドソンと何か仕事の話だったようだけれど、マリア・パウラが一緒だったので、写真を撮らせてもらった。しばらく見ないうちにすっかり大きくなって、髪が長くなったせいか、お姉ちゃんのイザベラに似てきたなと思った。

2015年3月26日(木)

今月始めに小さなままで収穫した畑のとうもろこしの写真を掲載したけれど、うちの西側にある森へ下りて行く途中、果樹園の横の土地に種を蒔いたとうもろこしもいい感じに育ってきて、実をつけている。それで、そろそろミニとうもろこしとして収穫できるのではないかと思い、エドソンに確認してもらったところ、収穫できそうと言うことで、ビニール袋を持って収穫しに行ってくれた。次の写真は、エドソンが収穫してきてくれたミニとうもろこし。畑で収穫したものよりもつぶがきれいに揃っていてとてもいい感じ。早速、4本ほど塩茹でして食べてみると、コリコリとした柔らかな歯触りで、甘くてとてもおいしかった。ああ~、幸せ、幸せ。残りは冷蔵庫に入れて、少しずつ食べようと思っている。

1週間ほど前掲載したピンクのバラの花のお隣でまだつぼみだったものが花開いたと思ったら、2日くらいして何故か枝が折れて下を向いてぶら下がっていたので、花の部分だけ切り取って水を入れた器に飾ってみた。ひとつだけだとちょっと寂しいかな?と思い、最近咲き始めた黄色のバラもひとつ切ってきて入れてみた。たったこれだけのことで、テーブルの上がちょっと華やかな感じになった。

2015年3月27日(金)

バラの木にまた不思議な虫がいるのを見つけたので写真に撮った。この写真の緑色の部分はバラの幹や枝で、その上に茶色い棒のようなものが見えるけれど、これがその虫。長さが10センチくらいあって、バラの木の上でじっとしているので、最初は枯れ枝かと思ったのだけれど、よく見ると足がついていて、下を向いている頭の部分には目もちゃんとあった。以前、やはりこの木で見つけた虫は緑と赤の保護色だったけれど、枯れた枝のように見えるこの虫も一応保護色と言っていいのかな?

2015年3月28日(土)

メル友の鎌谷さんが送ってきてくださった朝顔とスナップエンドウの種を先月末、それぞれ、バラの花壇と畑に蒔いた。連日お天気が悪く、よく雨が降るので、ちゃんと芽が出るかな?と、心配していたのだけれど、どちらも元気に芽を出して育っているので一安心。次の写真は、バラの花壇で芽を出した朝顔。つるを伸ばして成長できるように、棒を4本差している。

次の写真は、畑のスナップエンドウの列。畑は草を取っても取ってもすぐに生えてきてしまって、草取りが追いつかない。下手をするとエンドウの芽なんだか、草なんだかわからなくなりそう。

今、畑で一番元気なのはマラクジャ・ドスィとカラくらいなものかな?オクラとネギはまずまず採れるので日々食卓を賑わしてくれているけれど、ミニトマトは最初のころ少し採れただけで、以後は虫に食べられたりして不作で続かず。枝豆はたくさん実をつけているけれど、その実が何故かいつまでたっても太らないので、いまだに収穫に至っていない。と言うか、ことしは失敗で収穫できないかもしれないと覚悟を決めつつある。小芋とこんにゃく芋は大きくなってきているけれど、今月はお天気が悪い日が多く日差しがないところにもってきて、マラクジャ・ドスィが覆い被さって影を作っているせいか、最近どうもあまり元気がない。今週はようやくお天気が回復して安定してきているので、これが畑の作物に良い影響を与えてくれるといいのだけれどと願っている。

2015年3月29日(日)

我が家の北側の車寄せから北西に下りて行く坂道を挟んで、左右にサボテンを植えている。先日、右側のサボテンに新芽が出ているのに気づいた。まるでたんこぶができたように左上に出た新芽が何だかおかしくて笑ってしまった。植えた時は一番下ののっぺりしたサボテンだけだったのだけれど、左上に新芽が出て大きくなり、今年はさらにその左上に新芽が出て、このまま同じように芽が出つづけると、そのうちバランスがとれなくなって、左に倒れるのではないだろうか?と心配している。

2015年3月30日(月)

先月下旬、ジミーとジェフがレッスンに来た際、3月から電気料金が80%値上がりすると話していたので驚いた。でもその後、企業向けの電気料金は50%くらい値上がりしたというニュースは見かけたけれど、一般家庭の電気料金に関するニュースはなく、一体どうなったのだろうと思っていた。エドソンの話だと、一般家庭の電気料金は今月から20%くらい値上がりしたようだけれど、これで終わるのか、さらに値上がりが続くのかはまだわからないらしい。80%と聞いた時は、そんなバカなと思ったけれど、企業の50%にしても、一般家庭の20%にしても、ちょっとありえない値上がり幅だと思った。うちは基本的に電気の使用量はそんなに多くないので、あまり高額の電気料金は払っていないけれど、それでも20%の値上げは痛いなあ・・・。

昨日の日曜日のお昼は、ジャナイーナが魚と白いんげんのフェイジャオン(煮豆)を作るから食べに来ないかと誘われて行ってきた。カッサオンという鮫の一種の切り身とイカやエビ、ピーマンなどが入った白いんげんの煮豆がメインで、他にはカッサオンの切り身のフライ、鶏の丸焼き、エビとピーマンとカサバを混ぜて作った副菜、ゆで卵とゆでジャガイモのサラダ、ご飯などだった。フェイジャオンはお肉やソーセージと一緒に煮るのが一般的で、エドソンも魚と一緒に煮たフェイジャオンは初めてと言っていたけれど、とてもおいしかった。ちょとムケッカのような感じの味だった。でもせっかくのおいしい煮豆料理なのに、娘のマリア・パウラもジャナイーナのお父さんも一切食べようとせず、鶏の丸焼きとご飯を食べていた。パウロの所で食事をいただく際は、いつもジャナイーナの両親や弟夫婦も来ているのだけれど、今回は家族だけでなく、パウロの会社で仕事をしているヴィトーとディエゴがそれぞれガールフレンドと奥さんを連れて参加していた。でも、ハファエウや他のスタッフは来ていなかった。

2015年3月31日(火)

以下は、インターネット上で見かけた3月27日(金)11時56分 nippon.com 配信の記事からの転載。中韓が手を組んだお金にものを言わせた反日活動が恐ろしく広範になっていることを感じさせる記事だ。昨今、アメリカ西海岸における在留邦人の子供たちに対する中韓の子供たちによるいじめが問題になってきているけれど、このような 異様な大人社会をもろに反映しているように感じる。

『日米交流史の象徴・ポトマックの桜にまでケチをつける韓国と中国』

米国にも日本生まれの桜「ソメイヨシノ」の名所がある。首都ワシントンのポトマック川の並木である。1世紀以上前に東京市から贈られたもので、その後の日米関係の激動も乗り越え、今や約2000本。毎年3月下旬の開花期に併せ、「全米桜祭り」開かれる。

【桜物語】ポトマックの桜、¨日米交流史¨の象徴(nippon.com)

「全米桜祭り」は、毎年70万人以上の人が参加する首都ワシントンDC.の春の大事な行事となっている。主催は、ナショナル・チェリーブロッサム・フェスティバルInc.。3月最後の土曜日のファミリーデーから2週間開催される。祭りの最中には、寿司や日本酒に関する講義、アニメ・写真などの展示、落語など文化公演、着物のファッションショーなどが多彩な催しが繰り広げられる。人気の「スミソニアン凧(たこ)揚げ大会」も祭りの最初の週末に行われる。

一方、「全米桜祭り」の一環として在米日本大使館やワシントン日米協会などが主催しているのがストリートフェスティバル「さくらまつり」。いうまでもなく、アメリカ最大の日本文化祭となっている。在ワシントンの日本人、日系人社会が一丸となって長期計画をたて、毎年「さくらまつり」を実施している。

ところが、近年、「全米桜祭り」に異変が起きている。韓国、中国などが「全米桜祭り」をアジア系の大きな行事として位置づけ直すよう働きかけているからだ。

特に、韓国側は、ソメイヨシノは日本産ではなく韓国産であるとして、そのことを明確にするよう米国政府に働きかけをしているという。それだけではない。日本の桜自体が、済州島原産のものであるという学説さえ流しているのである。

100年前、日米両国関係者の想いと熱意

桜をワシントンに最初に持ち込もうとしたのは、ナショナル・ジオグラフィックス協会の女性理事で紀行作家であったエリザ・シドモアさんだった。女史は1885年、日本への旅行後、公共施設などの管理をしていた米陸軍に対して、埋め立てが行われたポトマック川畔に桜を植樹するよう提案した。提案は、何度も拒否され、実に24年間にわたる長い要望の末に実現する。

ポトマックの桜「100周年」を在米日本大使として迎えた藤崎一郎氏によると、桜植樹の話が急展開した功労者の一人は、水野幸吉ニューヨーク総領事(当時)だったという。水野氏は日露戦争で在留邦人保護に尽力した人物で、日露戦争を講和に導いた米国に対する恩義を強く感じていた人物でもあった。

水野氏はシドモア女史とも知り合いで、桜植樹の提案を熟知しており、1909年4月にワシントンへ出張したとき、シドモア女史と、ワシントンに偶然に滞在していたアドレナリンの発見者である高峰譲吉博士と3人で話す機会があった。高峰博士は当時、ニューヨークにおける日本人社会のリーダー的存在であった。

この会合で、シドモア女史から「タフト大統領夫人がポトマック川畔への桜の受け入れを歓迎した」との情報がもたらされ、話がとんとん拍子に進むことになった。高峰博士や水野総領事らは、移民排斥などでアメリカ人の反日感情の高まりを懸念していたこともあり、日本政府への桜の移植を強く働きかけることとなった。

桜の木の移植に動いたのは当時の尾崎行雄・東京市長。小村寿太郎外相の依頼を受け東京市は1909年8月に桜の米国移植関連予算を決定する。尾崎市長は当時、大変な”国際派“としても知られ、日露戦争終結のポーツマス条約締結で米国に世話になったという認識を抱いていた。

日本国内でのすべての準備が整い、1910年1月、2000本の桜の苗木が海路でアメリカに移送された。しかし、長い航海の途中、多くの桜が病害虫に侵され、ワシントンに到着はしたものの、防疫検査を通過できず、すべてが焼却処分された。

しかし、尾崎市長はこれにめげることなく、害虫に強い桜を確保するよう指示を出して再挑戦する。東京の荒川堤で採集したソメイヨシノをはじめとする五色桜を穂木として、兵庫県伊丹市東野地区の台木に接木し、健康な苗木を作り上げる。さらに青酸ガス薫蒸で害虫駆除も念入りに実施した。

一年以上かけて育てられた桜の苗木3020本は、1912年2月に横浜港を発ち、無事にワシントンに到着。同年3月27日に記念植樹が行われ、ヘレン・タフト大統領夫人が出席した。長期の航海にもかかわらず、病害虫に侵された桜が一本も見つからなかったことに、米側検疫官は感嘆したという。

最初に贈られた3020本の桜は12種類で、現在ではソメイヨシノとカンザンが多くを占める。また、ワシントンDCの人工湖タイダルベイスンの周りには現在までに、約3750株の桜が植えられ、イーストポトマック公園とワシントン記念塔周辺にも桜が立派に育っている。

ちなみに、伊丹市の東野には「里帰り桜」の木がある。日本から桜がワシントンに贈られてから90周年に当たる2003年に、ワシントンの桜の苗木がその記念として伊丹市に贈呈されたものだ。

積み重ねたものこそが歴史

ポトマックの桜は、米国に、特に首都ワシントンに見事に根差した。現在の親密な日米関係の象徴ともいえる。それゆえに、それを自分のものにしたいというのはいささか子供じみた発想としか思えない。

この2000本の桜が、この地に移植され、愛されるようになるまで、多くの日米の関係者の苦労があった。日露戦争後に日米関係がピーク時から急転直下、険悪期に向かう中、両国のきずなをつなぎとめておこうという無数の思いが、あの大戦争をも乗り越えて、現在、満開の桜を咲かせているのである。

歴史とは、困難な時期においても積み重ねたものの結果であり、こればかりは横から手を伸ばしても手に入れることができるものではないのだ。



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