Kyoko Yoshida Japan Trip 2014 BLOG 

2014年7月23日(水)

日本への一時帰国を前にして、ガレージに設置した流しの下水用パイプの取り付けが、まだ済んでいなかったので、20日(日)の朝、エドソンが作業を始めたのだけれど、気温が低かったため、プラスチックの太いパイプが硬く、折りたたみ式のスイスアーミーナイフで力を込めて切ろうとしたら、反動で右手の中指を切ってしまった。それでパーディーニョの町の救急病院に行くことにしたのだけれど、その前に傷口を水で洗い流したり、アルコール消毒する際、傷口がかなり深いのを見てぞっとした。救急病院では当直の若い女医さんに3針ほど縫ってもらい、神経に異常がなく、指の曲げ伸ばしに支障がないことが確認でき、ほっとした。救急に行く途中、我が家に向かっていたペドレイロのエディの車とすれ違ったので、事情を話して、午後から来てもらい、流しの下水パイプの取り付けを手伝ってもらうことができたのは、不幸中の幸だった。これで何とか留守番をしてくれるヒバマーがここで生活するための準備が整った。

今日は、午前9時にジミーに迎えにきてもらって、高速道路沿いのホドサーブ・ソヒーゾの高速バス乗り場まで送ってもらうことになっていたので、6時に起きて、簡単な朝食の準備をして、メールのチェックをすると、エドソンの友人(アメリカ人)の奥さん(日本人)から英文でメッセージが届いていた。どうして英文なんだろう?と思いながら読むと、21日にご主人が飛行機事故で亡くなったとあった。書かれていることはちゃんと理解できているのに、「えっ?!何これ?」と、すぐには信じることができなかった。でも、とにかくエドソンを起こして、メールを読んでもらうと、「つい2~3日前に話した(チャットした)ばかりなのに・・・! Oh, my God!!!」と言って、声を上げて泣き崩れてしまった。しばらくして落ち着いてから、エドソンがシャワーを浴びている間に、そのメールをエドソンに転送し、奥さん宛ての返信を書き始めた。エドソンのシャワーが終わった後、急いで朝食を食べ、エドソンは共通の友人たちに向けてメールを転送する作業をし、私は返信を書き終えて奥さん宛てにメールを送信した。

この友人は46~7歳で、1年足らず前にアメリカに戻って家を買い、奥さんとまだ4歳にならない息子の3人で新しい生活を始めたばかり。つい最近仕事も見つかり前途洋々だったのに・・・彼は私たちがブラジルに戻る前、エドソンが東京で働いていた時の職場の上司で、エドソンとはとても強い信頼関係で結ばれていた人。彼の趣味もエドソンと同じアマチュア無線だったこともあり、それぞれが当時の職場を離れてからはさらに友情を深め、ほとんど毎日のようにチャットしていた。エドソンにとっては大親友のひとり。持っている小型飛行機の操縦免許のカテゴリーを上げるために、地元の飛行クラブに所属して、暇があると飛んでいたらしいのだけれど、機材の不具合があったのだろうか?まさかこんなことになるなんて・・・私たちが旅行に出発する前、エドソンが最後にチャットした際、「ウクライナの上空は飛ぶなよ」と冗談を飛ばし、「Have a nice and safe trip!」と旅の安全を願ってくれていたのに・・・

8月14日付けで、地元の新聞に掲載された彼の死亡記事は、こちらへ

でも、とにかく私たちは出発しなければならないので、衝撃的なニュースで沈む気持ちを奮い立たせて、ジミーの迎えで予定通りに出発。高速バスとタクシーを乗り継いでサンパウロ空港まではスムーズに移動。ただし、搭乗予定のポルトガル航空は1時間遅れでの出発となった。

2014年7月24日(木)

リスボンでの乗り換え時間が1時間しかないのに、出発が1時間も遅れ、どうなるんだとサンパウロの空港でポルトガル航空の人に言っても、リスボンに着いてから対応してということでまったくらちがあかず。飛行中に客室乗務員の人に尋ねても、リスボンで乗り継いでロンドンまで行くチェックインをサンパウロでしているんだから、飛行機は待っていると思いますと言う。でも、とにかく飛行機を降りたら、グラウンドスタッフに聞いてくださいということだった。でも、リスボン空港ではグラウンドスタッフなどおらず、乗客はみな、パスポートコントロールに流れて行くようになっていた。ポルトガルには上陸しないのに、ここでパスポートコントロールというのも変だなと思いながらも、EUのエントリーポイントなので、必要なのかなと思いつつ、列に並んでいると、後ろの方で、「ロンドンに乗り継ぎの人いますかあ?」とグラウンドスタッフのような女性が叫んでいるので、「ハーイ」と手を上げて返事をすると、早く46番ゲートまで走れと言う。そのゲートが遠いこと、遠いこと。エドソンが必死で走り、私は遅れを取りながらも走り、ようやくゲートにたどり着くと、飛行機は当の昔に出たと言う。「じゃあ、どうして走れだなんて言うの?」と、ハーハー言いながら思った。結局、2時間後くらいの別のポルトガル航空機に座席を確保して、ゲートでひたすら出発を待った。その間、多くのフライトが遅れていて、多くの乗客が同じ様に走らされている状況を見て、ポルトガル航空の運行状況のはちゃめちゃぶりを実感した。後から聞いた話では、ヨーロッパの航空会社の中では、ポルトガル航空が一番安いのだとか。安い料金で無理な運行、運営をしているので、はちゃめちゃなのかなと納得。

さらに、リスボン空港は到着や出発の飛行機が直接、建物に着くことは少なく、ほとんどはバスで到着ゲートの建物や飛行機のところまで移動しなければならない上、バスから飛行機に乗り移る際、座席番号などに関係なく、前と後ろの入り口から同時に乗客を乗せるものだから、機内では前から乗って後ろに行く乗客と、後ろから乗って前に行く乗客でにっちもさっちも行かない混乱状態で、呆れ返ってしまった。客室乗務員の人たちはフレンドリーで、サービスや食事は悪くなかったのだけれど、この混乱と運営の悪さで、エドソンは、ポルトガル航空には2度と乗らないと言っていた。サービスが最悪というかほぼ存在しなかったエールフランスにも2度と乗らないと言っているし、だんだん乗れる航空会社が少なくなってきている。やれやれ・・・

でもまあ、とにかく遅れながらも、無事にロンドンに到着。空港からはタクシーでロンドンの南西にあるギルドフォードまで移動。行き先により乗れるタクシーが決まっているらしく、乗れと言われたタクシーがロンドン名物のブラック・キャブで、メーターなどなく、運転手さんにギルドフォードまでと言うと、彼が料金表の小冊子を開いて料金を確認。100ポンドということで了解して乗った。でも、ギルドフォードで泊まるホリデーインの人は35~40ポンドと言っていたのになあ・・・?ギルドフォードからの帰路、お客さんを乗せずに帰らなければならないので、高いらしいということが後でわかったのだけれど、それにしてもちょっと高すぎると思った。

2014年7月25日(金)

今回ギルドフォードに寄り道したのは、日本への一時帰国を準備している時に、ギルドフォードにあるサリー大学(Univ. of Surrey)が同じ時期に、AMSAT-UK(アムサット・ユーケー)のシンポジウムを開催することがわかったので、アマチュア無線が趣味で、ブラジルアマチュア無線協会の技術コンサルタントをボランティアでしているエドソンが、このシンポジウムに参加することにしたからだった。日本に直行するのは体力的にきついので、途中で一旦、身体を休めたいという私の希望とも合致したため、ここで数日過ごすことにした。ギルドフォード到着翌日の今日、サリー大学にあるサリー・スペースセンターでのワークショップにふたりで参加。次の写真4枚は、朝、ホテルから徒歩で向かったサリー大学の構内。広々として、池などもあり、公園のようにきれいな所だった。

次の2枚の写真は、サリー大学構内にあるサリー・スペースセンターの屋上に設置された衛星通信用のアンテナを撮影したもの。

次の写真は、サリー大学構内の建物のひとつに掲げられたバナーで、サリー大学の「研究部門は世界のトップレベル」とある。

次の写真は、サリー・スペースセンターの建物入り口に向かっているエドソンの後ろ姿。ワークショップはここの2階で行われた。

次の写真は、ワークショップが行われた会議室前の通路にあった展示物の一部。

次の写真は、ワークショップ会場の中で展示されていたオランダAMSAT-NLのキューブサット(小型衛星)。FUNcube-1 Engineering Modelとある。Fun in Space(<衛星通信で>宇宙を楽しむ)というのがAMSATの人たちの合言葉のようになっているので、このオランダのキューブサットのプロジェクトの名前がファンキューブ(Fun Cube)となっているのもうなづける。

次の写真は、AMSAT-UKのメンバーで、サリー大学で教えているクリスさん(左)と、後ろに座っているのは同じくAMSAT-UKのメンバーで、今回のシンポジウムの世話役のグラハムさん。

お昼の休憩時間に、ちょうど衛星が上空を通過するということで、衛星のシグナルをとらえるために、建物の外に出てデモンストレーションをするグラハムさんとクリスさんを見守る参加者たち。

ワークショップの休憩時間に、このワークショップに参加していたブラジルからの留学生(大学院生)ふたりと談笑するエドソン。

ワークショップの合間に施設見学があり、ブラジルからの留学生の人たちが関わっているプロジェクトサイトも見せてもらう。

次の写真にあるSTRaND-1というのは、サリー・スペースセンターが製作した衛星のひとつ。

2014年7月26日(土)

今日から、私たちの泊まっているホリデーインの会議場でシンポジウムの本番が始まった。次の写真は、エドソンが撮影したその会場の中。昨日のワークショップは無料だったのだけれど、シンポジウム参加には費用がかかるので、私は参加せず、ホテルの部屋で休んだり、テレビを見たり、洗濯をしたり、ラウンジにある無料で使えるコンピュータでメールをチェックしたりしてのんびり過ごした。

次の写真の男性(左)は、衛星通信やアマチュア無線の世界では超有名人だという、エンジニアのジェームズ・ミラー(G3RUH)さん(左)。一緒に並んで写っているエドソンは大感激?

1日目のシンポジウムの後、夕食会が始まる前に、サリー大学の近くにあるサリー・サテライト・テクノロジー社の衛星を作っている建物を希望者が見学。私も一緒について行った。

次の写真は、同じくサリー・サテライト・テクノロジー社の、衛星デザイン部門や管理部門が入っている建物。サリー大学の教授であり、この会社の最高経営責任者でもあるマーチン・スウィーティング先生が、セキュリティーアラームの暗証番号が変更になっていることを知らず、古い暗証番号で入ろうとしたためアラームがけたたましくなり始めてしまい、この建物の中に入ることはできなかった。

次の写真は、サリー・サテライト・テクノロジー社の見学から戻り、夕食会が始まるまでホテルのラウンジで南アフリカから参加のハンスさん(右)と談笑するエドソン。真ん中の男性はベルギーからの参加者。この南アフリカのハンスさんも、アマチュア無線の世界ではとても有名な人で、エドソンは23年前にサテライフの衛星地上局設置のためにアフリカ5か国を回った後、ブラジルに帰る際、南アフリカ経由で帰り、自宅に泊めてもらいお世話になった人。

次の写真は、シンポジウムの夕食会の様子。この夕食会には私も参加。参加者の奥さんらしき女性が私を含め4~5人参加していた。エドソンがたくさん話したいことがあるからと、ハンスさんのお隣に席を確保。

次の写真は、夕食会での表彰式。オランダのヴォウター(Wouter)さんがファンキューブ・プロジェクトでオランダを代表して表彰された。左側の頭の禿げた背の低い半ズボンのおじさんが、サーの称号を持つマーティン・スウィーティング教授。AMSAT-UKの大親分でもある。でも、そんなすごい肩書きにもかかわらず、イギリス人らしくなく、とっても明るく気さくな先生だった。エドソンは彼にも22年前にアメリカのワシントンDCであったAMSATの会議で会っている。サテライフがサリー・サテライトから衛星を買い、エドソンがその衛星の通信を管理していたので、しばらくスウィーティング先生や彼の部下の人たちと関係があった。今回のシンポジウム参加ではたくさん懐かしい人たちに会うことができ、エドソンはとても楽しそうだった。

2014年7月27日(日)

昨日、今日と、2日間続いたシンポジウムが終わり、今日の夕方は、数人の参加者でギルドフォードの町へ食事に出かけることになった。次の写真は、夕食の前に行ったパブでビールを受け取っているエドソン。

ここはギルドフォードの町の中心の川沿いのパブで、建物の外のテーブルを囲んでみんなでビールを飲みながらおしゃべりを楽しんだ。中央に見える女性はフランスから参加の大学教授の奥さん。夕食会の後のお楽しみ会のオークションでは、事務局のお手伝いを買って出ていた。手前左の男性はオランダから参加のイヴォーさん。右は確かドイツからの参加者。私はこの人たちの側に座った関係で、この人たちと楽しくおしゃべりをした。アマチュア無線の人たちは、ブラジルでもそうだけれど、どこの国の人たちも、いたってフレンドリーで、とても話しやすいという共通点がある。

その後、歩いてパブのすぐ近くのインド料理のレストランに行き、みんなでテーブルを囲み、それぞれ好きなものを頼んで夕食。パブでもレストランでも、側に座ったオランダ人のイヴォーさんとおしゃべりを楽しんだ。そして、夕食後はみんなでホテルまでそぞろ歩きで帰った。

2014年7月28日(月)

シンポジウムが終わり、1日予備に取っておいた今日は、ロンドン観光に行くことにした。朝起きるとギルドフォードは雨だったので、フロントでロンドンのお天気を確かめてからゆっくりと出発した。ヒースロー空港ではなくガトウィック空港からオランダに向けて帰るというオランダから参加のヴォウターさんとイヴォーさんが、親切にも私たちと一緒にギルドフォードの駅に行ってくれ、どの電車に乗ればいいかを教えてくれた。次の写真は、ギルドフォード駅のプラットフォームで電車を待っているエドソンと私。向かいのプラットフォームでガトウィック空港に行くために、別の電車を待っているヴォウターさんが私たちの写真を撮ってくれ、後でメールに添付して送ってくれたもの。

ギルドフォードから1時間足らずでロンドンのワーテルロー駅に着いた。何のあてもないまま、駅を出て歩き出したら観光バスの乗り場があったので、切符を売っていた係の人に勧められたバスに乗って、観光をした。次の2枚の写真は、ロンドン名物の時計台のビッグ・ベン。

次の写真は、London Transport Museumかな?門の前に馬に乗った衛兵がいるのがロンドンらしいと思い写真に撮ったのだけれど、場所がどこだったか定かではない。ここを通過する前に、キャメロン首相が住むダウニング街の前も通ったのだけれど、警察官がいる以外は、あまりにも普通な場所で、通り過ぎながら、しばらくして「あれっ?」と、気がつく始末。

次の写真は、街灯からぶら下がっている花。ギルドフォードでもロンドンでも、至る所にこんな風に花があふれていた。イギリスの冬は寒いのだろうから、この夏の時期が一年でも一番いい季節なんだろうなと、きれいな花々を見ながら思った。

次の写真は、Royal Courts of Justiceの正面入り口。

この辺でもう午後1時をずいぶん過ぎていたので、タワー・ブリッジの手前で観光バスを降りて、歩きながら食事のできる場所を探していたら、タワー・ブリッジから少し下りた所にPARKIN REVELLERというレストランがあり、入り口前にフィッシュ&チップスという大きな看板が出ていたので、ここでイギリス名物のフィッシュ&チップスを食べることにした。でも、前菜のサラダがついているセットしかなく、料金はひとり17ポンドと高かった。観光地価格かな?次の写真は、前菜が終わり、運ばれてきたフィッシュ&チップスを食べ始めているエドソン。

食事の後、タワー・ブリッジを背景にパチリ。ギルドフォードはずっと涼しかったので、厚着をしているけれど、ロンドンはお天気が良く暑いくらいだった。

私の写真を撮ってくれたエドソンと交代して、今度は私が同じ場所でエドソンをパチリ。

この後、タワー・ブリッジを歩いて渡り、地下鉄でワーテルロー駅まで戻り、ギルドフォードへの帰路についた。この地下鉄は、東京の大江戸線のように車両の幅が狭かった。次の写真は、ワーテルロー駅でギルドフォードに向かう電車の中からプラットフォームを撮ったもの。

次の写真は、ギルドフォードまで戻る電車の中の様子。

次の写真は、私たちが乗ったのと同じ、SouthWestTrainsをパチリ。

ギルドフォードに戻り、駅前でイギリス人の若い女の子の二人連れに、パン屋の場所を尋ねると、とても親切に教えてくれた。ホテルの人たちもそうだけれど、今日のロンドン観光で出会った人たちも、イギリスの普通の人たちはみな気さくで親切なんだなと、妙に感心してしまった。

2014年7月29日(火)

今日は朝のうちはホテルでゆっくりして、正午直前にホテルをチェックアウト。ホテルで呼んでもらったタクシーでヒースロー空港に向かう。ホテルからヒースローまでの料金は35ポンドと決まっているようで、助かった。今回、初めてイギリスで数日過ごし、イギリスの物価高を切実に感じた。ホテルの近くにはレストランなどなく、ホテルのレストランは料金が高いので、ホテル代に含まれている朝食や、シンポジウムで安く買うことのできる昼食のサンドウィッチは別として、夕食はホテル近くのスーパーマーケットに行き、サラダや暖かい鶏肉のローストなどを買って帰り、ホテルの部屋で食べたのだけれど、スーパーマーケットの商品の値段も高いなあと感じた。17ポンドのフィッシュ&チップスは例外としても、それ以外でもイギリスの物価は日本と比べて遜色ないか、あるいは、日本よりも高いのではないかとすら思えた。

2014年7月30日(水)

日本行きの私たちのフライトは夕方だったのだけれど、大きな荷物を抱えていてはどこにも行くことができないので、空港内でひたすら時間を潰した。でも、フライトの3時間前にならないとチェックインを開始してくれないため、空港内でも身軽になるまでずいぶんと待つことになり、待っている間に疲れてしまった。そして、さらに追い討ちをかけるように、全日空機のヨーロッパ線のエコノミークラスの座席は、いつ乗っても背がリクライニングしない設計のものが使われているため、12時間近くの長いフライト中、身体を休めることができず、とても参った。これまでいろいろな航空会社を利用しているけれど、座席の背がリクライニングしないのはこの全日空のヨーロッパ便だけ。どうしてなんだろう?全日空の国内線の座席はちゃんと普通にリクライニングするというのに・・・全日空の客室乗務員やグラウンドスタッフの対応は、他の追随を許さないほどいいのだけれど、飛行機がこんなではプラスマイナスゼロないし、マイナスの印象は否めない。でも、何とか映画を数本見ながら時間を潰し、定刻より少し早く羽田に到着。モノレールでスムーズに天王洲アイルの東横インに移動。でも、東京のすごい暑さにどっと汗が吹き出してきて、疲れが倍増する感じだった。ホテルにチャックインしてシャワーを浴びて、ふたりともバタンキュー。

2014年7月31日(木)

今回の東京での初日は、まず、10日後に抜糸してもらってくださいと言われていたエドソンの指のために、ホテルからほど近い小さな外科クリニックに行って、抜糸をしてもらった。使われていた糸が普通よりも太く、複雑な結び方がされているとかで、抜糸の作業は指を切った時よりも痛かったらしく、エドソンは悲鳴を上げた。でも、無事に抜糸完了。傷はもう癒えているということだった。やれやれ良かった。この後、今回の東京滞在で一番大切な、銀行の用事を済ませるために、有楽町のビック・カメラの側のブラジル銀行東京支店に行った。でも、以前そこにあった銀行がなくなっていて、びっくり。そのビルの管理人室で聞くと、五反田に移ったらしいという。五反田には在日ブラジル総領事館があるので、その関係かなと思いつつ五反田に行くと、駅からすぐ見えるところに銀行があったので、ほっとした。結構時間がかかったけれど、銀行での用事を無事済ませ、五反田駅で昼食。そして、以前、五反田に住んでいた頃エドソンがよく行っていたマッサージのお店がまだあったので、難行苦行の全日空機での移動で、身体の痛みがひどくなっていたエドソンは、マッサージをしてもらうことにし、私は近くの喫茶店で涼みながら待つことにした。

その後、ホテルの部屋に戻り、シャワーを浴びて、しばらく横になって休憩してから、達ちゃんと喜ちゃん夫婦との夕食に出かけた。場所は新宿の「つな八」。東京の夜景を見ながら、とてもおいしい天ぷらをいただいた。私と喜ちゃんとは広島の短大時代からの友人で、この夫婦には東京で暮らしている頃、いろいろなことを教えてもらったり、助けてもらったり、一緒に遊びに行ったり、何から何までどっぷりと、一番お世話になった。エドソンも大好きな私たちの大親友。

2014年8月1日(金)

東京での2日目は、再度銀行に行き、昨日の手配がちゃんと上手く行っていることを確認してから、有楽町のビック・カメラと秋葉原に向かった。今年初めの落雷被害で、エドソンは多くの無線機器などを失ったため、それらの修理などに必要な部品や、電子機器などを買うことが目的だった。

今日もやはり暑さで参ってしまい、午後は一旦ホテルに戻って洗濯や休憩をしてから、夕食に出かけることにした。今晩は、エドソンが東京で最初に働いた職場で同僚だった睦さんとの会食。彼女の職場近くのおいしいスペイン料理のお店に連れて行ってもらった。彼女も私のブログをこまめに読んでくれていて、連絡を取り合ってはいたのだけれど、久しぶりに直接元気な顔を見ておしゃべりすることができて、良かったなあと思った。次の写真は、彼女の携帯でお店の人に撮ってもらったもの。

2014年8月2日(土)

東京はとにかく暑い。連日35度を上回る気温で、身体が悲鳴をあげている。朝はホテルの無料の朝食ビュッフェで軽く食べるだけ。お昼はあまり食欲はないのだけれど、サラダやスープなどを何とか食べるようにして、夜は友人達との会食でおいしいものをいただく日々。今日のお昼は香織ちゃんに中華粥のおいしいお店に連れて行ってもらい、お腹を温め、同時に香織ちゃんとの旧交を温めた。彼女も仕事を忙しく頑張っている様子。そのため趣味の絵や書を描く時間がないようだったけれど、とにかく元気で良かった。夕食は、広島時代からの友人の洋子さんと新宿で待ち合わせて、ベルギービールのお店で再会を祝した。彼女は今年眼を患って、数ヶ月間休職する憂き目に会ったのだけれど、昨日から仕事に復帰したということだった。元気そうに話してはいたけれど、彼女からは何となくネガティブな気を感じた。独身でガン治療中の友人を彼女のアパートに迎え入れて、同居する状態が続いているようで、自分の病とも重なり、精神的にしんどい思いをしているんだろうなあと思った。生きて行くということは辛いなあ・・・

2014年8月3日(日)

今日は、エドソンが東京で最初に働いた職場の同僚だった辻さんと、彼の家族が天王洲アイルまで来てくれたので、エドソンと辻さんにとってはなつかしのTYブルーリーで昼食をご一緒した。奥さんには結婚前に一度お目にかかったことがあるけれど、私たちがブラジルに戻ってから生まれたお嬢ちゃんに会ったのは、今回が初めて。ご夫婦に大事に育てられている様子が目に浮かぶような素直なお行儀のいいお嬢ちゃんだった。日本で初めての職場でエドソンは、日々カルチャーショックに見舞われていたのだけれど、帰国子女で英語を流暢に話し、とても優しい辻さんには、いろいろなことを教えてもらい、助けてもらい、本当にお世話になった。こうして元気に再会できたことを感謝したい。

前回、4年前にエドソンと一緒に一時帰国して東京に滞在した際、初日に用事を済ませようと、頑張りすぎてダウンしてしまった私のために、夜、仕事が終わってからわざわざホテルまで薬と果物を持ってきてくれた佳代さんのメールアドレスが変わっていて、今回は連絡が取れず、会えないかなと諦めていたら、久しぶりに私のブログを見て、私たちが日本に一時帰国していることを知り、メールをくれたため、滑り込みセーフで会うことができた。彼女もエドソンの元同僚で、前回私がホテルの部屋でダウンして寝ている間、1日エドソンの買い物に付き合ってくれた優しい女性だ。ご主人も優しい人で、いつも一緒にお目にかかっている。今回、何と佳代さんは妊娠9ヶ月で、9月に出産予定だとか。何とも喜ばしい!この暑さの中大きなお腹を抱えて、ギリギリまで仕事を続けるのは大変だろうけれど、元気な赤ちゃんが安産で生まれてきてくれるといいねと、エドソンと話している。彼らの住まいが品川駅の近くなので、天王洲アイルからすぐの品川駅のレストランで夕食をご一緒した。

2014年8月4日(月)

今日は、午前中、買い忘れたものがあるからと、再度秋葉原に買い物に行った。宿泊先のビジネスホテルの東横インでは中国人の団体客で溢れていたけれど、秋葉原の道路も大型バスがたくさん止まっていて、大勢の中国人観光客がそれらのバスに乗り降りしているのを見た。以前、東京で暮らしていた頃よりも、断然、中国人の人たちが増えていることにとても驚いた。

夕食は、私の一番古い(小学校1年生の時以来の)友人の妹の裕ちゃんと有楽町の中華レストランに行った。私たちは日本の携帯電話を持っておらず、町で見かける公衆電話も激減しており、ホテルのロビーで無料で使えるコンピュータでメールを時々確認することしかできないため、裕ちゃんとは連絡を取ることがなかなか難しく、何とか会えて本当に良かった。彼女は何度もホテルに電話をくれ、私が彼女に電話をした直後で、私たちが部屋に絶対いるはずという時間でも、つながらなかったのは、電話が壊れていたからじゃないか?というので、夜、ホテルに戻って調べてもらったところ、やはり電話の不具合で、部屋から外にかけることはできても、外からの電話は部屋につながらない状態になっていたことがわかり、電話器を交換してもらった。ホテルの電話なのに、留守電を受けて聞く機能がなかったり、外からの電話がつながらない不具合があっても気がつかなかったり、携帯電話一辺倒の社会になっているんだなあ・・・と、実感。

2014年8月5日(火)

今日は、東京滞在最後の日。午前中はまたまた秋葉原に行き、午後は、ホテルに戻って洗濯をしたり、荷造りをしたり、休んだりして過ごした。夕飯は、アマチュア無線家の遠藤さんと、彼の職場近くの汐留で、焼き鳥をご一緒した。SDR技術の国際的なニューズグループがイントーネット上にあるらしく、そのグループメンバーの中で、今年エドソンが落雷で失ったSDRボードを、遠藤さんが1つ余分に持っておられて、実費で譲ってくださるというので、広島の兄の住所宛てに郵送していただいたのだ。それで、東京にいる間にぜひ直接お目にかかってお礼を言いたくて、遠藤さんの都合もついたため、今晩お目にかかることができた。アマチュア無線の人たちは、それぞれの国籍、年齢、職業、肩書きは様々なのだけれど、共通の趣味を通じて簡単に通い合うことができるようで、初めてお目にかかった方だったけれど、無線機のことやアンテナのことだけでなく、その他様々なことをとても楽しく語り合えて良かったなあと思った。次の写真は、遠藤さんの携帯でお店の人に撮ってもらったもの。

2014年8月6日(水)

今日は朝の早い便で広島に移動。広島空港に着くと雨が降っていた。空港に迎えにきてくれた兄の車で実家に戻る。荷物を解いてゆっくりした後、エドソンがとんこつラーメンが食べたいというので、兄夫婦が家の近くのとんこつラーメンのお店に連れて行ってくれて、お昼をご馳走してくれた。そして、午後からは、家から徒歩10数分のところにある老人介護施設「哲学堂」で暮らす母のところにエドソンと会いに行った。母は私の顔を見るなり、顔をくしゃくしゃにして泣き出した。「ああ・・・まだ私のことを忘れていないんだ・・・」とうれしく思った。でも、母は痩せて小さくなっていた。

2014年8月7日(木)

今日は、午前中家から近いショッピングモールに行って、エドソンのTシャツやズボンや私のTシャツなどを買ったり、今年の12月に出産予定のパウラのためにベビー服などを買ったりと、ショッピングをした。昨日、哲学堂に行く道すがら、哲学堂のすぐ近くにマッサージのお店を見つけたので、午後3時に予約をして、エドソンがそこでマッサージをしてもらっている間、私は哲学堂の母のところに行って過ごした。母は車椅子で、食事も嚥下障害があるようで、もう普通の食事を自分で食べることができないため、流動食をゼリー状にしたものをスプーンで介護の人に食べさせてもらう状態になっていた。言葉も、出だしはクリアなのだけれど、後はムニャムニャと識別できる音としては出てこないため、なかなか会話が成立しにくい状態だった。それでもこちらの言うことはわかっていることが少なくなく、いろいろ話をすると、顔の表情豊かに反応してくれるのはありがたかった。

2014年8月8日(金)

今日も午前中は、年金事務所や買い物の用事で出て、午後、母のところに行き時間を過ごした。昨日家族を連れて帰省した兄の次男の賢志の奥さんが、体調を崩し、今日、日赤病院に入院してしまったので、家では小さな孫2人の世話で義姉さんは大変なことになってしまっている。私も家にいる時は、子守りや家事手伝いに参加。今日は長男の真也が娘の心春ちゃんを連れて帰省したので、子守に加わった。

2014年8月9日(土)

昨日の夕方、母のところから戻る際、まだぎりぎり間に合う時間だったので、眼科に行って、ドライアイの目薬を処方してもらった。今回は女性の先生で、とてもわかり易い説明をする感じのいい先生だったとエドソンに話すと、去年から乱視や老眼が出てきていて、緑内障にもなりかかっていると言われているので、僕も行って診てもらいたいということになり、午前中はこの眼科で様々な検査をしてもらって過ごした。流暢ではないけれど、専門用語はちゃんと押さえて英語で説明してくださったので、エドソンも納得の診察となった。今日は午後からエドソンは喜ちゃんの湯来の実家に預かってもらう予定になっていたのだけれど、大きな台風が来るという予報だったので、とりあえずキャンセル。家でのんびりした。私は午後からいつものように母のところに行った。

2014年8月10日(日)

台風は広島を直撃することなく、四国をかすめて三重県の方に行ったため、今日はいいお天気になった。今日は、午前中に母のところに行き、お昼は、短大のクラブの同期で集まって、「八雲」でおいしい食事をいただいた。父が亡くなった3年半前に帰省した際にもみんなで集まっているので、みなに大きな変化はないけれど、それにしても短大時代からうん十年、みな元気にこうして会えたことを、とてもうれしく思った。この昼食会の後、喜ちゃんと一緒にうちに戻り、エドソンを拾って、湯来の喜ちゃんの実家に行った。

喜ちゃんは8日に、達ちゃんは9日にそれぞれ広島に帰省していたので、今日はエドソンとふたり揃ってお邪魔することにした。7~8年前にも東京で暮らしていた頃、彼らと広島への帰省時期が重なったので、この湯来の喜ちゃんの実家に1泊お世話になったことがあった。その時、東京から帰省している息子さん家族を連れて、遊びに来られた藤田さんたちに初めてお目にかかったのだけれど、今回も台風のせいで、昨日から今日に予定を変更して遊びに来られたので、久方ぶりに藤田さんのご家族にも再会した。前回来た際は、喜ちゃんのお父さんはまだお元気で、一人で農作業や山の作業をこなすスーパーマンだったけれど、その後事故で頚椎を痛めて寝たきりになり、驚異のリハビリで何とか車椅子で動けるようになっておられた。大勢集まって賑やかに夕食のテーブルを囲んだので、とてもいい笑顔をしておられ、良かったなと思った。

2014年8月11日(月)

湯来からほど近い町にたくさんの「リアルかかし」があるからと、ドライブがてら連れて行ってもらった。8月27日(水)12時30分配信の産経新聞の記事に、『住民が思わずあいさつ、リアルすぎる「かかし」…もはや芸術の域に』というのがあったけれど、どうやらこういうリアルかかしはあちこちにあるのかもしれない。次の写真は、喜ちゃんたちと一緒に行った町にあったリアルかかしの一部を撮ったもの。ちょっと離れて見ると、本物の人と間違えるかもしれない。これらのかかしは、この写真を撮った場所のすぐ近くに住む老夫婦が数年前から作っているものらしい。この老夫婦の家の前には、マツコ・デラックスさんのかかしもで~んと座っていた。これがまた似ているからおかしい。この後、広島方面に戻る途中、尾瀬川ダムの近くを通ったので、ダムの畔でレストラン「ポット・プーリー」をしている友人夫婦のことを思い出し、そこでお昼を食べることにした。場所の記憶があまり定かではなく、迷いながらも何とか見つけて、夫婦と再会。うれしかった。ふたりが作っている無農薬野菜たっぶりのおいしいパスタランチをいただいた。その後広島に戻り、エドソンはマッサージに、私は母に会いに行った。

2014年8月12日(火)

今朝起きると、頭がフラフラして、気分がすぐれないので、まためまいが起きたようだとおとなしくしていたのだけれど、朝食後も状態が改善されないため、エドソンに付き添ってもらい、ご近所の伊藤内科へ受診。やはりこれまで繰り返してきたメニエールが、疲労のために出たのでしょうということで、めまいと吐き気を止める薬を点滴してもらい、薬を処方してもらった。点滴をしてもらっている間、看護師さんに、「大先生はお元気ですか?」と尋ねると、「お元気ですよ。そこに座っておられます。頭も耳もしっかりしておられますよ」と言って、点滴などをするベッドの並んだ部屋に入る入り口の辺に座っている老人を指すので、そちらを見たら、伊藤先生だった。私自身フラフラしていたので、そこに座っているのは患者さんのひとりなのかと思い、大先生とは気づかなかった。今は息子さんが医院をやっておられるのだけれど、毎日医院に下りてきて、そこに座っておられるらしい。大先生も感じのいい先生だったけれど、息子さんもこちらの言うことを良く聞き、患者の目を見てとてもハキハキと説明してくれるとても感じのいい先生だった。帰りに居眠りをしている大先生に声をかけると、驚いた表情をされたけれど、「お久しぶりです。お元気ですか?昔はお世話になりました」と言うと、ちょっと不思議そうな顔をされて、「お名前は?」と言われるので、名前を言うと、「ああ~!お元気ですか?」と満面の笑顔を返してくださった。患者はたくさんいたのだから、本当は憶えてなどおられないだろうとは思ったけれど、特大のいい笑顔をしてくださったので、うれしかった。

2014年8月13日(水)

昨日はお昼前に医院から戻り、お目にかかる予定にしていた緑さんと大木さんにそれぞれお電話をして会う予定をキャンセルしてもらい、ずっと横になって過ごした。そして、今日も予定していた田中さんに事情を説明してお目にかかるのをキャンセルしたのだけれど、午後遅くにお見舞いに来てくださったので、上がっていただいて、エドソンと3人で少しお話をした。私の体調不良のため、昨日、今日と母のところには行けず、申しわけなかったなあ・・・でも、体調を崩したのが出発の当日ではなく、数日前で良かった。

2014年8月14日(木)

今日は、広島での最終日。午前中兄に頼んで、銀行とエディオンへの最後の用事を済ませるために、車で連れて行ってもらい、その足で、父や親戚のお墓参りもすることができた。友人との再会を一部キャンセルしなければならなかったのは残念だったけれど、ほぼ毎日母のところに行き、その他広島でやろうと思っていたことはほとんどできたのだから、これ以上望むのは欲張りかな?

2014年8月15日(金)

お盆休みで道路が混雑しているかもしれないので、朝早めに家を出て、兄に車で広島空港まで送ってもらった。ブラジルに持って帰るためにアメリカや東京から送ってもらった機器や、秋葉原で購入した部品などで、スーツケースは結構重たくなったけれど、おみやげを極力買わないようにして何とか超過料金は免れた。羽田では私の一番古い友人の雅子ちゃんが待っていてくれて、国際線への乗り換えを待つ間、一緒にお茶をした。彼女も今年、病を得て、現在治療に専念しているのだけれど、長丁場の治療で薬の副作用などもいろいろあって、大変な思いをしている。でも、いつものように前向きで、きっと治してみせると言っていたので、さすがだなと思った。彼女と会うといつもこちらも元気になる。不思議な力を持った人だ。だからこそ何十年も付き合ってこれたのだろうと思う。やはり私は幸運だなあと思う。その後、予定通り、カナダ航空でトロントに向かう。トロント空港ではトロント近郊のスカーボロに住み、トロントで仕事をしているリオンが、仕事を終えて迎えにきてくれた。リオンはアチバイアに住むブウィとシオック姉妹のお兄さんで、今回トロントで途中下車して休むのに、彼の厚意で家に泊めてもらい、お世話になることになった。

2014年8月16日(土)

今朝は疲れていたので、8時過ぎまで寝た。朝食は飲茶を食べに行こうとリオンが言うので、飲茶というよりも中華粥が食べたいと言うと、どちらもあるからと、ある中華レストランに連れて行ってくれた。建物の外観も内装もイングランド風の重厚な感じの高級そうなレストランだった。お客さんは見回したところ私たち以外はみな中国人で、ウェートレスの人の英語も中国語なまりが強く聞きにくかった。私たちは笑いながらおしゃべりしながら食べているのだけれど、ウェートレスさんたちも他のテーブルのお客さんたちもまったく笑顔がなく、おしゃべりの声は聞こえても、楽しそうに談笑している感じではなく、とても不思議な空間だった。この後、リオンの車でトロント市内観光に連れて行ってもらった。次の2枚の写真は、トロント大学構内にあった教会のような建物。この建物の前を通った際、結婚式に向かう中国人のカップルを2組見かけた。この後、St. Lawrence Marketというところに行き、今晩のバーベキュー用のお肉と、野菜を買った。このマーケットは精肉店、鶏肉専門店、鮮魚店、八百屋、果物屋、チーズの店、ソーセージの店、台所用品店などが何軒も入っているマーケットで、とても楽しい場所だった。こんなマーケットがボトゥカトゥにもあったらなあ・・・と、ため息が出た。今晩はエドソンがリオンの家のバックヤードでバーベキューを作る予定だったのだけれど、マーケットを出た頃から雨がバラバラと降り出し、夕方からは本格的な雨になってしまったので、バーベキューはやめて、リオンの台所を借りて、エドソンが牛肉をオーブンで焼いて、ローストビーフを作ってくれた。私はローストビーフの付け合わせに、野菜炒めを作り、おいしくいただいた。

次の写真は、リオンの家。車の後ろに写っているのがリオン。家の後ろにはまずまずの広さのきれいなバックヤードがある。地下にも同じ広さの部屋があって、香港人の独り身の中年男性が借家人として住んでいた。この地区は比較的治安が良く、平屋や2階建てのきれいな家が立ち並ぶ住宅街だった。でもグレイター・トロント(大トロント都市圏)と呼ばれるここスカーボロや周辺の町は、街並みはカナダなんだけれど、中国人が集住しているため、中国人のお店や、中国語の看板や、中国人で溢れていて、どこに行っても中国語が飛び交っているため、カナダではなく、まるでどこか中国語圏の国に来ているような不思議な感覚だった。

2014年8月17日(日)

今朝は、パンケーキを食べに行こうと言っていたのだけれど、10時前は店がまだ開いておらず、しかたなくマクドナルドでパンケーキを食べて、ナイアガラの滝観光に出かけた。昨日の雨はすっきりと止み、今日は暑いくらいのお天気になった。次の写真は、ナイアガラの滝に行く前に寄り道をした、ナイアガラ・オン・ザ・レイクという町で撮ったもの。ここはワイナリーがたくさん点在するとてもきれいな町で、町の中心部は次の写真のように花があふれ、多くの観光客が散策していた。

次の写真は、にぎやかなナイアガラの町の中。

次の写真は、ナイアガラの滝のテーブル・ロックの側を通りながら撮影。画面の白い部分は滝から上がる水しぶき。

次の6枚の写真は、ナイアガラの滝をテーブル・ロックから撮ったもの。なかなかすごい景色だ!

次の写真は、昼食を食べようと入ったテーブル・ロックの滝のすぐ側のレストランで、リオンが撮ってくれたもの。

次の写真は、エドソンが撮ってくれてもの。右がリオン。

レストランで軽い昼食を食べた後、外に出てナイアガラの滝の一部と、ナイアガラの町をパチリ。

2014年8月18日(月)

今日は、月曜日なのに、リオンが1日休暇を取ってくれ、ジーンズが欲しいという私のために、デパートに買い物に連れて行ってくれた。結局ジーンズでは思うようなものがなく、買ったのは普通のズボンだったけれど、1本新しいズボンが手に入り満足。エドソンも本屋で2冊本を買った。午後はリオンの家に戻り、荷造りをして、夕方リオンに空港まで送ってもらった。家族以外の人を家に泊めて世話をするのは今回が初めてと言っていたけれど、とてもよくしてくれて、いろいろな話も尽きず、とても楽しい滞在になった。

2014年8月19日(火)

定刻よりも少し早くサンパウロに到着。無事に我が家に帰り着いた。今回の旅行はこれまで以上に長丁場だったけれど、大きなトラブルや事故もなく、行く先々で出会う人たちによくしてもらい、会いたい人たちに会い、おいしいものを食べて、母にも久しぶりに会って一緒の時間を過ごすことができ、父のお墓参りもでき、とてもいい旅行になったことに心から感謝。



  Home Copyright (C) 2009 Kyoko Yoshida   Return