Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2014年10月1日(水) | ||||
はるはおかしな子で、何故かソックスが大好き。ソックスに染み付いた私たちの匂いが好きなのか、何が好きなのかよくわからないのだけれど、まさにソックス・フェチ!エドソンや私がソックスを履こうすると、どこにいてもすぐに気づいてサッと飛んできて、興奮してワンワンと吠えて飛び跳ねる。それを面白がって、エドソンはわざとソックスを持ってはるをからかったりする。次の写真は、エドソンが持ったソックスを口にくわえて、引っ張り合いをしているある日のエドソンとはる。
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2014年10月2日(木) | ||||
インターネット上で、9月26日(金)11時14分配信の、『逆転しつつある「オバマ」と「ブッシュ」の評価』という「新潮社フォーサイト」に掲載された会田弘継氏のおもしろい記事を見かけたので、以下にリンクをはってみる。この記事のサイトは、こちらへ。 それからもうひとつ、9月26日(金)14時10分配信の、『日韓併合は、米国のプエルトリコ併合と同様、「侵略」ではない --- 北村 隆司』という「アゴラ」に掲載された記事もあった。この記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2014年10月3日(金) | ||||
この3コマ漫画は、アメリカーナのジョアオンが見つけて、エドソンに送ってきてくれたもの。「3コマ漫画で描く、ブラジルのこの20年の歴史」というタイトルなのだけれど、うまいなあと感心してしまった。左から、カルドーゾ大統領の時代は、種を蒔いて、水をやり、芽ぶいた木を大事に育てた時代。真ん中のルーラ大統領の時代は、その木が大きく育ち実をつけたので、何もしなかったルーラがその実を欲しいままに食べた時代。そして、右側のジウマ大統領の時代は、せっかく育って実をつけている木を意味もなく切り倒している時代。でも、この3人の違いを理解している人ばかりではないところがブラジルの抱える問題。いよいよこの日曜日に大統領選挙が行われる。最近のニュースでは、ジウマの嘘で固めたマリーナ批判が功を奏しているようで、ジウマが支持率を回復しており、マリーナの支持率が下がっているという。何故みんなジウマの嘘を鵜呑みにするのだろう?ボウサ・ファミリアの現金ばら撒きの恩恵を受けている人たちは、ジウマが約束した多くのプロジェクトは巨額の予算がつぎ込まれたにもかかわらず、そのどれもが完了していないか、頓挫してしまっている事実から目を背けている。でも経済界は彼女の口から発せられる数々の嘘にうんざりしていて、ジウマのことを信用していない。だからジウマ優勢のニュースに株価が急落しているというニュースもある。おそらくこの日曜日の投票では、誰も過半数を取ることはできないだろうから、決選投票ということになるのだろうけれど、マリーナが支持率を回復するか、アエシオがもっと支持率を上げないことには、決選投票でジウマ勝利という悪夢がやってくる。そんなことになったらブラジルは坂道を転げ落ちてしまう。 | ||||
2014年10月4日(土) | ||||
先月の下旬、サンタ・バーバラの木がたくさんつぼみをつけていて、少し花が咲いていると書いたけれど、その後、それらのつぼみが次々に花開いているので、写真に撮ってみた。つつましく葉陰に隠れるように咲いているので、少し離れると、花の存在がわかりにくくなるけれど、近づくと、たくさん咲いているのがわかる。
ダイニングルームの西側の窓の左上に、大きなクモが巣を作っている。クリスチャンがここに来ている時に、「窓のところに大きなクモがいる!」とビックリしていたけれど、この窓の左側は開かないのだし、クモの巣に獲物が引っかかった時以外は、上の寝ぐらから出てこず、いつもじっとしているし、虫を食べてくれるのだからと、取り除くこともせず、そのまま共存している。めったに上の方にある寝ぐらから出てこないのだけれど、先日の夕方、ふと見ると偶然にも、引っかかった蜂を寝ぐらに持って帰るために出てきて、その蜂をクモの糸でぐるぐる巻きにして、上に持って行くところを目撃した。次の写真は、蜂をクモの糸でぐるぐる巻きにし終わったところ。ちょっと酷いようだけれど、人間も虫も、命あるものはみな、他の命をいただいて生きているんだなあと思う。
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2014年10月5日(日) | ||||
広島の兄が、孫の葵君の最近の写真をメールで送ってきてくれた。生まれてから7ヶ月少々になるかな?お座りできるようになったんだ。元気で何より。この8月広島に帰省していた同じ時期に、賢志も家族を連れて帰ってきていたので、葵君ともすみれちゃんとも初めて対面した。葵君が泣いているときに、私が抱っこして「ポンポコリン~♪」と歌うとすぐに泣き止んでくれたのは可愛かったなあ・・・この「ポンポコリン~♪」の歌は、「ゲンコツ山のたぬきさん」のメロディーで、私がはるのために作った替え歌で、毎日歌っているもの。この歌を歌いながらはるの体を撫でると、はるはいつもくるんと体の向きを変えて、お腹を丸出しにして、お腹を撫でてというポーズをするので、歌いながらお腹を撫でてやると気持ちよさそうな顔をする。「ポンポコリン、ポンポコリン、ポンポコだぬきのはるちゃんちゃん、ご飯を食べてプープして、ピーしてネンネしてまたあした」という歌詞の、「はるちゃんちゃん」の部分を「あおちゃんちゃん」に変えただけなんだけれど、歌い出すと必ずピタリと泣き止んでくれるので、おもしろいものだなと思った。義姉さんは、「音の響きが好きなんじゃない?」と言っていた。身近に赤ちゃんがいたら試してみてください。泣き止むかも?
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2014年10月6日(月) | ||||
以下は、昨日の大統領選の結果を報じるロイターの記事のコピー。ルセフ氏というのはジウマのことで、ネベス氏というのはアエシオのこと。ブラジルではファーストネームで報じられるのだけれど、海外では名字で報じられるからこんな表記になっている。
[サンパウロ/ブラジリア 5日 ロイター] - ブラジル大統領選挙は5日投開票され、現職のジルマ・ルセフ氏が得票率で首位となったものの、当選に必要な過半数には届かず、2位となったブラジル社会民主党上院議員のアエシオ・ネベス氏とともに26日の決選投票に進むことになった。 開票率98%時点で、得票率はルセフ氏が41.4%、ネベス氏が33.8%。世論支持率で一時は著しい躍進を見せていた社会党候補のマリナ・シルバ氏は21.3%にとどまった。 ルセフ氏は、貧困対策で成果をあげたことを主張。一方、ネベス陣営は、4年におよぶ景気低迷からの脱却を確約している。 調査会社ダッタフォーリャが4日に公表した世論調査によると、決選投票での支持率はルセフ氏が48%で、42%のネベス氏をリードしている。 ただ、これまでの各種世論調査では、シルバ氏に投票する人の約6割が、同氏が決選投票に進めなかった場合はネベス氏の支持に回ると回答するなど、ネベス氏が勝利する可能性も十分ありそうだ。 ルセフ氏の選対本部では、ある支持者が「決選投票ははるかに厳しくなりそうだ。(第1回投票の)結果はわれわれの想定よりもリードが小さい」と話した。 ルセフ陣営ではまた、ネベス氏率いるブラジル社会民主党は富裕層の恩恵を受けているとの見方が広がっていることを受け、決選投票を「エリート対庶民」の戦いだと位置付ける考えも浮上している。 一方、決選投票に進めなかったシルバ氏は5日、数日以内に内部で協議を開き、決選投票での対応を話し合うと述べた。 企業寄りのネベス氏が予想外に票を得たことで、政権交代を期待している投資家が多い市場では、ブラジル株式・通貨が6日に上昇しそうだ。 ルセフ政権の下で、ブラジルの経済成長率は平均で2%未満と低迷。政治評論家のアンドレ・セサル氏は「(ネベス氏は)勢いを増しており、ルセフ氏にとって非常に強力な対抗馬となった」と述べた。 | ||||
2014年10月7日(火) | ||||
先日、野菜畑のマラクジャ・ドスィの葉の間に巣を作って卵を抱いている野バトのことを紹介した際、庭のクアレズマの木にもハチドリの巣があり、ヒナが育っていると書いた。親鳥が巣を放棄するといけないからあまり側に行くなとエドソンが言うものだから、一度見に行っただけで、以来行っていなかった。そうしたら、先日、そのヒナたちがそろそろ巣立ちそうだと言って、エドソンが写真を撮ってきてくれた。私には側に行って邪魔をするなと言っていたのに、彼は時々様子を見に行っていたようだ。
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2014年10月8日(水) | ||||
以下は、インターネット上で見かけたエボラ出血熱に関するロイターの記事のコピー。アメリカ本土ではすでにエボラ出血熱の患者が上陸してしまっているし、スペインではエボラ出血熱患者のための治療チームの一員だった女性看護師がエボラ熱に感染し、その夫らにも感染の疑いが出て隔離されたというし、西アフリカで活動していたノルウェー人の女性医師がエボラ出血熱に感染したため、厳重隔離されて帰国後、オスロ大学病院の隔離施設に入院したというし、エボラ出血熱が世界に拡がるのも時間の問題なのではないかと思わせるような事態が次々に発生している。でも、この記事が言うように、世界に流行する可能性は本当に低いのだろうか?
[ロンドン 5日 ロイター] - 米大学教授らの研究チームは、エボラ出血熱の感染パターンや航空データなどを基に、エボラ熱が10月24日までにフランスに上陸する確率が75%に上るとの予想を発表した。 米ノースイースタン大学のAlex Vespignani教授率いる研究チームは、10月1日現在のデータを使用して感染拡大の確率を予想。医学誌「PLoS Current Outbreaks」に研究内容を発表した。 それによると、10月24日までにエボラ熱が到達する確率は、フランスが75%、英国が50%、ベルギーが40%となり、スペインとスイスは14%だった。 エボラ熱の感染が最も深刻なギニア、シエラレオネ、リベリアにフランス語話者がいることや、フランスへの航空ルートが多いことなどから同国への感染拡大の確率が特に高いという。 この数字は航空交通が100%稼働したとの想定で算出されている。現在、多くの航空会社が感染地域への運航を停止しているが、稼働率が8割減少した場合でも、フランスの感染確率は25%、英国が15%だという。 英ランカスター大学のウイルス学者、デレク・ギャザラー氏は「(エボラ熱の感染拡大が)西アフリカで続き、状況がさらに悪化すれば、航空機を通じて感染が欧州に広がることは時間の問題だ」と指摘した。 ただ、医療専門家らは、先進国でエボラ熱の感染が広く拡大したり、流行になったりする可能性は極めて低いとの見方を示している。 | ||||
2014年10月9日(木) | ||||
ダイニングルームの窓際にあるピンク色のランは、花を6つ咲かせてからずいぶん月日が経つのだけれど、今も元気に咲き続けている。そうしたら、先月の中旬頃、その6つの花のさらに先端に2つつぼみがあることに気づいた。このつぼみは大きくなるだろうか?と思っていたら、数日前にとうとうひとつが開き始めた。次の写真は、その証拠写真。先端に少し開きかけたつぼみ(右)と、まだ開いていないつぼみ(左)の両方が見えるように、花の下の方から撮ってみた。
次の写真は、畑で今花を咲かせているセージ。青紫色の花が咲いているのだけれど、そんなに強烈な色ではないので、写真に撮るとあまりぱっとしないかな?ローズマリーやタイムやミントやパセリはよく使うけれど、セージは植えておきながら、まだ一度も使うことなく何年も経過している。
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2014年10月10日(金) | ||||
今年のノーベル物理学賞を日本人3氏が受賞した。但し、中村氏はアメリカ国籍を取っているようだけれど・・・といかくいいニュースなのでこのブログにも記録しておこうと思う。以下は時事通信10月7日(火)18時52分配信記事のコピー。日本はこのように外から認められた人は天地がひっくり返ったようにリスペクトするけれど、外から認められるまでは、自分たちのまわりで懸命にがんばっている研究者やエンジニアをリスペクトしたり、大事にするという姿勢が希薄なのはどうにかならないものかなと思う。
スウェーデン王立科学アカデミーは7日、2014年のノーベル物理学賞を、実用的な青色発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇名城大教授(85)と天野浩名古屋大教授(54)、中村修二米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)に授与すると発表した。青色の登場でLEDは赤、緑とともに光の三原色がそろい用途が拡大。消費電力が少なく、耐久性が高い特長が注目され、白熱電球や蛍光灯に代わる白色照明のほか、携帯電話などのディスプレー、交通信号などに広く利用されている。 日本人のノーベル賞は、人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発で12年に医学生理学賞を受賞した山中伸弥京都大教授以来。米国籍の南部陽一郎米シカゴ大名誉教授を含め計22人となった。物理学賞は08年に南部氏と小林誠高エネルギー加速器研究機構名誉教授、益川敏英名古屋大特別教授が受賞して以来6年ぶり。 授賞理由は「明るく、省エネルギーの白色光を可能にした効率的な青色LEDの開発」。選考委員会は、世界の電力消費の4分の1が照明に使われる中、LEDが資源の節約に大きく貢献したと高く評価した。 LEDは先に赤色や黄緑色が開発され、電気機器の動作表示ランプなどに応用されたが、発光に高いエネルギーが必要な青色の実現は難しかった。1970年代に炭化ケイ素系半導体の青色LEDが作られたが、暗くて実用的ではなく、次に結晶が作りやすいセレン化亜鉛系での実現を目指す研究が主流だった。 しかし、赤崎氏は松下電器産業(現パナソニック)東京研究所に在籍していた73年、性能がはるかに優れた窒化ガリウム系の青色LEDの開発を始めた。名古屋大工学部教授に転身後の89年、天野氏らと同系の青色LED開発に世界で初めて成功した。 製品化に向けた技術開発は、当時日亜化学工業(徳島県阿南市)に在籍していた中村氏が先行し、93年に同社が発表。赤崎氏の技術は豊田合成(愛知県清須市)によって95年に製品化された。特許をめぐり両社は訴訟合戦を繰り広げたが、青色LEDは急速に普及した。 赤崎氏らは窒化ガリウム系半導体で青色レーザーも開発。この技術を発展させた青紫色レーザーにより、光ディスク「ブルーレイ」が実用化された。 授賞式は12月10日にストックホルムで行われ、賞金計800万スウェーデンクローナ(約1億2000万円)が贈られる。 | ||||
2014年10月11日(土) | ||||
我が家の西側にあるランドマークの木は、8月下旬に私たちが旅行から戻った頃、次々に葉を落とし、かなり寂しい状態になっていたけれど、その後、新芽が出てきて、きれいな薄黄緑色の葉をたたえるようになった。そして、1週間くらい前から花が咲き始め、地面に黄色と白の花びらが散るようになった。このランドマークの木の花は咲き始めは黄色い色をしていて、最初は黄色の花びらが落ちるのだけれど、そのうち白い花びらも混じるようになり、花が満開の状態になると花びらは白だけになる。次の写真は、家のベランダから撮ったランドマークの木。写真では花が咲いているのかどうかわからないけれど、葉先がなんとなく白っぽいのは花が咲いているから。風向きによってかすかに花のいい香りがする。そして、この花の蜜を求めて、姿は見えないけれど、たくさんのミツバチが群がっている音が聞こえる。2枚目の写真は、夜の間、東から吹いた風でランドマークの木の西側の道に落ちているたくさんの花びら。夜間の風向きによって、木の東側に花びらが落ちてたまっていることもある。昼間も風でヒラヒラと花びらが舞い落ちる様は、なかなか風情がある。
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2014年10月12日(日) | ||||
入り口ゲートから家に向かう道沿いに植えた孟宗竹数株のうち、家に近い2株だけが以前新芽を出したのだけれど、やはりその同じ2株がまた新芽を出している。特に、ランドマークの木に近い孟宗竹は元気で、今回は3ヶ所から新芽が出ている。次の写真の、右側のハイビスカスの足元から生えている竹のすぐ左側に1本。そのまたすぐ左奥に茶色に見える右側に傾いたように生えている短い1本。そして、この写真の左側の背の高い1本の、計3本。
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2014年10月13日(月) | ||||
さて、次の写真に写っているものは一体何でしょう?正解はぶどうです。3センチくらいの長細い不思議な形をしていて、ぶどうと言うよりも、ミニチュアのナスのように見えなくもないけれど、ぶどうです。ボトゥカトゥのパオン・ジ・アスーカーに行った際、エドソンが見つけて、買ってみようということになり、買ったもの。房から取って、洗って食べてみると、普通においしいぶどうだった。種なしぶどうなので、このまま丸ごと皮も一緒に食べてしまえる。日本にあるような巨峰やピオーネといった大粒のぶどうをここで見かけることはないけれど、こんな不思議な形のぶどうもあるんだ。
先々週、それまで1週間ほど降り続いていた雨が止んでお天気が回復すると、強い南風が吹き荒れ、気温が下がり、まるで冬が舞い戻ったように最低気温が10度を切る日が続いた。そして、先週初めにようやくその風が止み、穏やかで暖かな日々が戻って来たのだけれど、木曜日頃から気温がどんどん上がり始め、この週末は一気に真夏の暑さになった。最低気温が20度前後で、最高気温が31~32度。これはここでは結構暑い気温。そのため先週掃除をしたばかりの扇風機が大活躍している。 | ||||
2014年10月14日(火) | ||||
パラナ州カスカベルでエボラ出血熱の初期症状を起こしている可能性のあるギニア人男性(モロッコ経由で9月18日にブラジルに入国)が、先週9日にカスカベルの医療施設を訪れたため、カスカベル市とパラナ州は保健省に通知し、この患者は10日未明に空軍機でカスカベルからリオ市のガレオン空軍基地に移送され、伯国のエボラ出血熱発生時の受け入れ先である国立エバンドロ・シャガス感染症研究所に搬送されたというニュースがあった。でも、熱は下がり、下痢や嘔吐などの症状もなく、一次検査の結果も二次検査の結果も陰性で、エボラ出血熱ではないということが正式に確認された。ブラジルにもエボラ出血熱上陸か?と思われたのだけれど、そうならなくて本当に良かった。 また、19日の決選投票に向けて現在、ジウマとアエシオが激しい攻防戦を繰り広げている。ふたりの間の決選投票が決まってから、野党がこぞってアエシオ支持、と言うか、反ジウマを表明したため、アエシオの支持率は6割に迫ってきている。明日発表される最新の支持率調査では、ひょっとすると6割を越える数字になるかもしれない。8月に飛行機事故で亡くなった社会党(PSB)の大統領候補だったエドゥアルド・カンポス氏の家族が、アエシオ支持に回ったため、ブラジル北東部に弱かった民主社会党(PSDB)のアエシオが、カンポス氏の地盤であるペルナンブコ州を味方に率いれることができたのは大きかったようだ。そして、遅まきながらこの週末、マリーナもようやくアエシオ支持を表明した。この調子で決選投票ではぜひアエシオに勝利してほしいと切に願う。私はブラジルの永住権は持っていても、ブラジル国籍は持っていないので、選挙権はない。でも、私たちのここでの生活は誰がこの国をどのように運営するかに大きく左右されるため、他人事ではない。ブラジルでは2期(8年)以上続けて大統領の職に就くことはできないのだけれど、1期置けば再登板も可能なため、ルーラは2018年の大統領選に出馬する意向をすでに示していると報じられている。「今回の改革気運は、PT(ルーラとジウマの労働者党)が政権についているうちに起こした腐敗と政治理念の欠如が招いた混乱に対する反旗が上がって起きた現象といえるようだ」という記述がニッケイ新聞にあったけれど、そのことをPTは全然理解していないようだ。願わくば、PTにはもう2度と戻ってきてもらいたくないと思う。 | ||||
2014年10月15日(水) | ||||
ダイニングルームの窓辺のランの最後のつぼみが開いたので、写真に撮ってみた。右側に4つ。左側に4つ。ちゃんと8つすべての花が咲き揃った。数か月前に6つ咲いた時点でもう大満足だったのだけれど、まあよくぞこんな風に咲いてくれたものだと思う。この窓際の場所は、午前中に朝日が少し当り、午後は夕日が少し当たるのだけれど、よぼどここの環境がこのランに合っているのか、本当にうれしい限り。
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2014年10月16日(木) | ||||
ペトロポリスの安見さんが、7月に行かれたロシア/モンゴル旅行の時の写真を数枚と、孫のまりえちゃんの写真を送ってきてくださった。次の写真は、モンゴルで撮影した写真の1枚。背景にゲルがたくさん見える。たくさん撮られた写真の中から選んだものだけをプリントして960枚になったと聞いて、そのすごい量にびっくり。
次の写真は、8月23日に教会で行われたまりえちゃんの洗礼式(Batizado)での家族の集合写真のようだ。この洗礼式のことをお宮参りとメールに書いておられたのを見て、「ああ、そうか。欧米での赤ちゃんの洗礼式には日本のお宮参りのような意味合いがあるんだな」と、初めて思い至った。国や宗教の違いはあっても、子供の健やかな成長を願う親の気持ちは万国共通なのだから、そういうことなんだと納得。この洗礼式の後、30人ほどを招待してホテルのレストランで披露宴が行われたそうだ。披露宴というと、結婚式の披露宴しか思い浮かばないけれど、ところ変わればいろいろあるんだなあ・・・そして、最後の写真は、まりえちゃん。そろそろはいはいを始めそうとメールにあった。ちょうど賢志のところの葵君や、妹のエリカのところのブライアンと同じような時期に生まれているので、同じように成長している様子が何とも可愛い。
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2014年10月17日(金) | ||||
ブラキアーリアで被われた土地では、ブラキアーリアが他の草の成長を阻害するため、生えてこない草花も、ブラキアーリアを定期的に除去している場所では様々生えてくる。はるとのお散歩が日課になっているお陰で、うちの敷地内をはると歩いていると、季節季節で異なる色々な草花を目にする。次の写真は、そんな草花のひとつで、ここで暮らし始めて初めて目にしたような気がする。もちろん名前なんてわからないけれど、とても可愛い花が咲いている。でも、この可憐な花の感じに似合わず、茎の部分には1センチくらいの鋭い刺がたくさんあるのが写真でわかるだろうか?
次の写真は、ゴールデン・カモミルを大きくしたような花の咲く草。この草、人の背丈くらいに大きくなるので、以前、雑草低木と言って紹介したことがある。去年は森の北側でたくさん咲いていたけれど、7月に日本へ旅行に行く前にトラクターで草刈りをしてもらったため、現在は、入り口ゲートから家までの近道に沿って植えたセドリーニョの並木の側に、1本だけ芽を出したものが花を咲かせている。上部中央と、右端に、赤茶色っぽい蝶々が1匹ずつ止まっているのが見えるだろうか?
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2014年10月18日(土) | ||||
先日、セージの花の写真を掲載した際、セージは植えていても、これまで一度も使ったことがないけれど、ローズマリーやタイムはよく使うと書いた。これらはハーブティーやディップクリームを作ったり、お肉を焼くときなどに、必要な量だけ取ってきて使っている。先日、オレガノやタイムを使う鶏肉のトマト煮込みを作っていて、「ああ、そうだ。少しまとめて天日干しして、乾燥させて、瓶詰にして保存してみよう」と、思い立った。このところ毎日暑く、晴天なので、天日干しにはちょうどいいお天気。早速少し切って、ざるに取り、天日干しすることにした。左側がローズマリーで、右側がタイム。ポルトガル語では、それぞれアレクリンとトミーリョと言う。
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2014年10月19日(日) | ||||
昨日は、サンパウロ州東部のサン・ジョゼ・ドス・カンポスとスザノの中間辺にあるグアラレマという町で、ブラジルアマチュア無線協会(ラブレ=LABRE=Liga de Amadores Brasileiros de Rádio Emissão)主催の第1回全国アマチュア無線大会があり、エドソンにくっついて行った。この大会は参加者が木曜日の午後会場のホテルにチェックインして、金曜日からプログラムが開催されるというものだったのだけれど、金曜日の夕方まで仕事でここを離れられないエドソンは、土曜日だけの参加になった。朝4時半に起床して、家を5時に出発。ここからグアラレマまでノンストップで3時間半かかる予測だったのだけれど、途中サンパウロを抜けた後の高速道路アイルトン・セナとカーヴァリョ・ピントが数ヶ所渋滞していたため、結局4時間ほどかかり、ぎりぎり9時少し前に到着した。これまでこれらの高速道路で渋滞を経験したことはなかったのだけれど、週末だからサンパウロから外に出かけようとする人たちで混んでいるんだろうと、エドソンは言っていた。会場はグアラレマパークホテルというリゾートホテルで、次の写真の1枚目が、そのホテルの建物。2枚目は、ホテルの食堂から見えるプールなど。3枚目はこのホテルの敷地全体を示す地図看板を撮ったもの。複数の散策トレイルや、サッカーやバスケット、テニスなどの球技場や、池などがあり、ヘリポートまである。
9時までに到着できるようにしたいとエドソンが言うので、がんばって早起きして行ったのだけれど、午前中は会場で何か話し合いが行われていただけれで、特別な催しはなく、メインは昼食後の講演会だと聞かされた。エドソンは大会オーガナイザーではないのだけれど、講演会の講演を誰に頼んで何を講演してもらうかなどの企画と折衝を頼まれて、それらの折衝をしたので、その人たちと打ち合わせをしたり、他のアマチュア無線家の人たちと話すことが午前中の目的だったらしい。次の写真は、昼食がほぼ終わった頃合いのホテルの食堂の様子。手前のテーブルには一緒に食事をした人たちが座っている。左からITAの大学院生のリディアのご主人。彼は小学校の先生。その隣のリディアはカメラに向かって怖い顔をしている。何故だろう?その右側は金曜日のプログラムを企画したジョアオン・サアードと、彼の奥さんのマリア・ジョゼ。彼らはエドソンの昔からの友人でリオから参加。右端は、エドソンが講演を依頼したひとりで、ITAから参加したマーセロ。エドソンは後ろの方で、ラブレの会長(えんじ色のシャツに眼鏡の人)たちと立ち話をしている。
昼食後、マリア・ジョゼがグアラレマのセントロまで散歩がてら出かけるというので、やることのない私は一緒に行くことにした。20~30分歩いて中心部に到着。グアラレマは小さくこじんまりとした町だったけれど、ボトゥカトゥでは見かけることのないような感じのいい店がいくつかあった。次の写真は、その内のひとつで、手工芸品を販売している店。ここでマリア・ジョゼはいくつか品物を買っていたけれど、私も、猫の形をしたドアストップを購入した。
セントロでの買い物を終えて、4時半頃ホテルに戻り、マリア・ジョゼは部屋に戻って休み、私は会議場の中で涼みながら時間を潰すことにした。次の写真は、右が講演をしているマーセロ。左が、エドソン。
次の写真は、講演者のひとりで、ヒオ・グランジ・ド・スーウ州の州立大学で先生をしているハファエウ・ハーグさん。彼の専門は物理で、その他に数学や衛星通信技術に関しても教えていて、アマチュア無線家でもある。
次の写真は、夕食が終わった頃、前に出て話を始めたラブレの会長さん。モトヤマという名字なので日系人らしいのだけれど、ちょっと日系人には見えないなあ・・・本職は弁護士さんだそうだ。
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2014年10月20日(月) | ||||
次の写真は、土曜日の夜の夕食会で、食事を始める前に飲み物を飲みながら談笑しているところ。左からマリア・ジョゼ、ジョアオン・サアード、ハファエウ・ハーグ、私、エドソン、そして、この大会のオーガナイザーのひとりでもあるフラビオ。ブラジルの夕食はだいたい8時頃から始まるので、この夕食会も8時をだいぶ過ぎてからぼちぼちと始まった。参加者のほとんどは私の知らない人たちばかりだったけれど、食事の際はこうして気心の知れた人たちと楽しく過ごすことができて良かった。このリゾートホテルは3泊4日のパッケージでないと泊まれず、しかも料金がとても高いため、土曜日だけ参加のハファエウと私たちの3人は、同じ町の別のホテルに1晩だけ泊まることにしていたので、10時半を過ぎてここを後にした。でも、私たちが予約しておいたホテルにつながる道が最近新しくなったらしく、ハファエウのレンタカーに搭載されたカーナビで見つからず、近くまで来ているのに、どの道を入って行ったらいいのかわからず、周辺をぐるぐると1時間近く走り回ることになってしまった。結局、偶然行き合った道路の工事作業のトラックの運転手さんに教えてもらうことができ、ホテルにたどり着くことができたのだけれど、ホテルに到着した頃には12時近くになっていた。やれやれ、疲れた。
翌朝の日曜日は、7時半から8時頃一緒に朝食を食べようと約束していたハファエウと一緒に食事。でも、土曜日から日曜日に日付が変わる際、夏時間が始まっていたことをすっかり忘れていて、朝、6時半だと思って起きたら、すでに7時半になっていたということに後から気づいた。でも、日曜日は先を急ぐ必要がなかったので、のんびり、ゆったり、時間をかけて朝食を食べた。最初、ハファエウはオレンジジュースとマンゴーなどの果物を数切れお皿に取ってきて食べ始めたので、「たったそれだけ?」と、思ったのだけれど、おしゃべりをしながらゆっくりと果物を食べた後、席を立って、パンやハムなどを持って戻ってきて食べていた。その後も、何度かコーヒーのおかわりを取りに行ったりしていた。エドソンの話だと、まず、サラダや果物から食事を始め、その後にメインの食事を食べるというのが、ブラジル南部の人たちの典型的な食べ方なのだそうだ。ちなみに、彼はブラジル最南部の州である、ヒオ・グランジ・ド・スーウ州のポートアレグレの人。レストランなどで食事をすると、まずサラダから出てきたりするけれど、セルフサービスの食事の際も、そんな風に一皿一皿、順番に食べるのかと、妙に関心してしまった。
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2014年10月21日(火) | ||||
日曜日は高速道路のカステロ・ブランコを走って戻って来る際、外気温が36度とか37度を示していて、異様に暑かったのだけれど、パーディーニョの町に戻っても、気温は35度と高いままでびっくり。ニッケイ新聞によると、「サンパウロ市で17日午後2時、観測史上最高となる気温37・8度を記録した」とあったけれど、この週末、同じような暑さがずっと続いていたようだ。日曜日の午後、比較的早い時間にこちらに戻って来ることができたので、はるをヴィラ・シーコに迎えに行き、家に連れ帰ることができた。家は閉め切っていたので、暑い外気が入らず、外よりは多少気温が低かったけれど、外気温35度なんて、ここでは初めての経験だった。そうしたら、夕方から猛烈な暴風雨に見舞われた。西から暴風が吹きつけると、西向きの玄関ドアの下から雨水が染み込んでくるため、タオルなどで隙間を埋めていても、床が水浸しになり、何度も何度も雑巾で床の水を拭き取る作業をしなければならず、やれやれだった。でも、3~4時間後に暴風雨が去った後は気温が急激に下がり涼しくなったので、この点では雨に感謝。そして、翌日月曜日の朝は、少し霧が出ていて、霧が晴れた後も1日中曇り空で、涼しく過ごしやすい気温が戻ってきた。今朝は厚い雲の間から所々青空が見えるけれど、冷たく強い南風が吹いていて、昨日よりもさらに気温が低い。 昨日20日の月曜日ははるの誕生日で、満2歳になった。次の写真は、昨日の午後、ベッドの中でゴロゴロしているはるをパチリ。2枚目は、同じく昨日の夜、玄関マットの上に座って来客が来るのを待っているはる。この玄関マットの上に私が来客用のスリッパを並べると、誰かが来るとわかるらしく、マットの上でこんな風に座ってずっと待っている。
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2014年10月22日(水) | ||||
次の写真は、グアラレマのセントロにあった手工芸品のお店で買った猫の形をしたドアストップ。本当はドアストップなどではなく、ただの人形なのかもしれないけれど、どっしりとした重量感と安定感がドアストップにちょうどいいと思って買ったもの。1枚目は正面から、2枚目は顔が上を向いているので、上から撮ってみた。体は黒一色なのに、尻尾はカラフル。ボタンがついているから洋服を着ているということなのかな?洗面所のドアのところに置いて使っていたものがだいぶ古くなってフラフラしてきたので、新しいのが欲しいなと思っていたので、ちょうど良かった。はるが赤ちゃんの頃は、カーテンの側を通る度にカーテンの裾をガブリと噛む仕草をしてみたり、洗面所や寝室のドアのところに置いたドアストップの人形にちょっかいを出していたけれど、さすがにもう2歳なので、新しく買ってきたこの猫には全然興味がないようで、まったくちょっかいを出さない。それだけ成長したということなのかな?
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2014年10月23日(木) | ||||
先月下旬、「9月14日に3225グラムの男の子が無事に生まれました」と、東京の佳代さんからメールが届いた。あれから約1ヶ月、9月末に高熱が出て1週間入院するという心配な事態を乗り越えて、先日お宮参りに行ったというメールをもらった。ご主人は「生まれたら、僕、世話しますよ」と言っていた言葉通りに、よく面倒をみてくれるので助かっているとあった。どうか元気にすくすく育ってね。次の写真は、ご主人と息子の悠大(ゆうだい)君。
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2014年10月24日(金) | ||||
庭のハイビスカスガーデンの横に、何年か前に植えたくちなしの花2本がなかなか大きくならず、今では元気なアメンドインに埋もれたようになってしまっている、でも、今年もちゃんと花をつけて存在をアピールしている。左右に2本あって、右側は左側のものよりもさらに小さく、本当にアメンドインの中に埋もれているので枯れてしまったかな?と、思っていた。今はまだひとつしか花が咲いていないけれど、つぼみがいくつかあるので、もうしばらくするとそれらも花開くのだろうと思う。この小さなくちなしの花の後ろに見える枝は薄ピンクの花が咲くハイビスカスなのだけれど、こちらは大きくならないだけでなく、まったく花が咲かず存在感がない。枯れてしまったのだろうか?2枚目の写真は、ベランダからくちなしの花(左端)とハイビスカスガーデンの両方が見えるように撮ってみた。ここには16~7本のいろいろな色のハイビスカスを植えているのだけれど、正面左右の赤い色のハイビスカスが一番元気で、1年中花を咲かせている。黄色や薄ピンク色といった色の薄いものはあまり元気がなく、たまにしか花を咲かせない。
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2014年10月25日(土) | ||||
家の西側の外階段に囲まれた箱庭の真ん中に植えたソテツが、数日前に新芽を出したので写真に撮ってみた。普通、ソテツは1年に一重の新芽を出してゆっくりと成長するのだけれど、今年は何と、三重の新芽が出ていて驚いている。どうしてだろう?
以下は、2014年10月22日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。ブラジルの日系社会が大きいので、日本と一番最初に国交を樹立して、移民が入ったのはブラジルだろうと漠然と思っていたけれど、南米諸国のうちで日本と国交を樹立した最初の国はペルーなのだそうだ。ブラジルよりも25年も早い。そして、ペルーへの日本人移民が始まったのも、ブラジルよりも9年も早い1899年だということを知った。ただ、ペルーへの移民事業が終わるまでの間に移住した総数は17,764名だそうだから、ブラジルへの移住者総数と比べて一桁以上少ない。
先日、聖市で開かれた「エキスポ・セビーチェ」で、ペルー人と同日系人のコンビがセビーチェ寿司を初披露した。魚のマリネ「セビーチェ」をシャリに乗せ、同国産香辛料で作った特製ソースをかけたもの。当地で「融合料理」というと、どこか「邪道」的に思われがちだが、この料理の思いもよらない味の調和には感激してしまった▼今年でペルーは日本移民開始から115年が経つ。創作料理の発案者、シェフのホルヘさんに「移住者がもたらした食生活は、ペルー料理に影響を与えたのか」と尋ねると、「当然」といわんばかりに頷き、「昔は魚を角切りにしてセビーチェを作っていたけど、マリネにするのに8時間もかかった。日本移民の伝えた方法で魚を切ると味が浸透しやすいので、今はそちらを採用する人が増えている」と滔々と語った▼ほかにも味を付けない生魚を寿司として食べる習慣が定着したほか、サーモン、海老、マグロなど、以前は食べられていなかった多種多様な魚介類が食卓に上るようになったとか。豊富な魚介類を多用するのは「ペルー食の伝統」と思っていたので、「セビーチェにイカや蛸を入れるのは、日本移民の影響」と聞いて驚いた▼世界が注目するペルー料理と、ユネスコ世界遺産となった日本食は、移民を通した深い繋がりがある。聖市でペルー料理を広める橘谷ロシオさんも、日本移民のペルー食への影響は「イタリア、フランスよりも大きい」と語る。インカ帝国と日本――悠久の歴史と文明を持つ両国家は、地球の両端にありながらも移民によって血を分けた兄弟のような一面がある。そう思うと、セビーチェ寿司にロマンすら感じてしまう。(阿) | ||||
2014年10月26日(日) | ||||
この金曜日に、2014年10月15日発行の「楽書倶楽部」第25号が届いていた。以下は、この号に掲載された私の文章。
来伯当初、四ヶ月ほど暮らした夫の実家のあるリオデジャネイロ州の人口二万五千人余りの町には、日系人家庭が二~三軒のみ。町に数軒あるスーパーマーケットには、日本米と醤油以外に日本食材と言えるものはほとんどなく、野菜の種類も乏しく、とても不便に感じた。 そんなこともあり、サンパウロ州は日系人が多く、食生活の面などで暮らし易いのではないかと考え、ここパーディーニョに越してきた。人口五千人という小さな田舎町だけれど、さすがにサンパウロ州の町だけあって、日系人家庭が五~六軒ある。日本語を話す人はいないけれど、隣町のボトゥカトゥまで行けば、日系人口がぐんと増え、二世の人でも多少日本語を話す人がいたりする。そして、ボトゥカトゥには日本食料品店が二軒あるため、何でもあるリベルダージのマーケットのような訳には行かないまでも、様々な食材が手に入り、それほど不便に感じることはない。ここに越してきたのは正解だったと思っている。 さらに、ここに越してきて何よりも良かったことは、イビウーナにお住まいの香山栄一さんと知り合ったことだった。以来、香山さんを通じて、いろいろな人たちと知り合うことができ、ほとんど知り合いのいなかった私の世界は格段に広がった。そして、前園さんと楽書倶楽部を紹介してくださったのも、香山さんだった。 最初は、どんなことを書いて楽書倶楽部に寄稿したらいいのか、戸惑ったものの、自分の日常や思いをつぶやいてみようと思って書き始めたら、楽しくなった。そして、楽書倶楽部に寄稿されている同人の方たちの文章を読みながら、行間に垣間見えるその人柄などに親しみを感じたり、いろいろと想像を巡らしてみたりと、楽しみが増えた。 寄稿を始めて少しした頃、前園さんがお友達を誘ってはるばる訪ねて来てくださった時は、とてもうれしかった。以来、前園さんには時々厚かましいお願い事をしたり、いろいろとお世話になっている。私にとってはとても頼りになるお姉さんのような存在だ。 荒木さんがお豆腐作りについて書かれた文章に、自家製のお豆腐を作るためのキットを希望者に送ってくださるとあった。かねてからお豆腐を自宅で手作りできたらいいなと思っていたこともあり、早速ご連絡をして、キットを送っていただき、懇切丁寧にお豆腐作りを教えていただいた。以来、手作り豆腐の味を時々楽しみながら、お豆腐好きの夫からも喜ばれている。 私が香山さんから引き継いだ「香山文庫」について書いた際には、鎌谷さんが連絡をくださった。探しておられた古い雑誌は、あいにく文庫の中にはなかったけれど、以来メールのやり取りを通じて、鎌谷さんには畑仕事に関することから、お料理、健康管理に関することまで、様々なことを気さくに教えていただいている。私の大事なメル友だ。 こんな片田舎で暮らしている私にとっては、話し相手は夫と犬のはるだけ。ただ、自宅で英語を教えている関係で、十代から三十代の異なる年齢のブラジル人の生徒さんたちが毎日のように日替わりでやって来てくれるので、外の人たちとの接触がまったくないわけではないけれど、日々の他愛もない出来事を日本語でおしゃべりしたり、何かを気軽に相談したりする友人は身近にはいない。 それが香山さんと、前園さんと、楽書倶楽部のお陰で、このブラジルに何人もの知り合いができたことは、思いもよらない展開だった。お目にかかったこともない方たちともメールでやり取りしながら、みなさんの優しさをつくづくと感じている。この方たちとの出会いがなければ、私の世界はこんなにも広がっていなかっただろうと、我が身の幸運に感謝している。 | ||||
2014年10月27日(月) | ||||
昨夜、バウルのデミウソンとスカイプでおしゃべりしながら、一緒にインターネット上の決選投票の開票結果を見守っていたエドソンが、「ジウマが再選してしまった・・・」と、私に教えてくれた。ジウマ51ポイント対アエシオ49ポイントという2ポイントの差でジウマが再選を果たしてしまった。ああ~・・・何という落胆・・・・言葉がない・・・。デミウソンは「ピンガでやけ酒だあ!」と言っていたそうだけれど、その気持ちよくわかる。 一次投票の後、野党がこぞってアエシオ支持を表明し、アエシオ有利になっていた。それなのに、決選投票直前の週には、アエシオの支持率が下がり、ジウマが支持率を回復したというニュースが何度も流れていたので、とても心配していたのだけれど、その心配が現実となってしまった。直前の各陣営のテレビコマーシャルで、ネイマールがアエシオ支持を表明していたので、少しは盛り返すことができるだろうか?と、淡い期待をしたのだけれど、そうは行かなかったようだ。決選投票前に、ジウマとルーラは北東伯で重点的にキャンペーンを行ない、激しくアエシオを批判したと言う。『ジウマ氏は21日、ペルナンブッコ州ゴイアーナでの集会の演説で「アエシオ氏が当選の際には連邦貯蓄銀行(CAIXA)や社会経済開発銀行(BNDES)の監査を行なう予定だ」といい、それによってこれらの公的銀行からの支出が滞れば、ボウサ・ファミリア(貧困層へのお金のばらまき政策)にも影響を与えかねない』と語り、『ルーラ氏も同集会で、「PSDBは北東伯の人々に偏見がある。もし当選してしまうと、ナチス・ドイツがユダヤ人に対して行なったのと同じことをしてしまう」と語り、さらに「イエス・キリストを殺したヘロデより残忍だ」とまで発言』したと言う。さらに、『PTが選挙キャンペーンで、アエシオ氏がジウマ氏に対して「レヴィアーナ(思慮が浅い)」と呼んだ場面と、一次選での大統領候補討論会でのルシアナ・ジェンロ氏との討論の模様を映し、「女性に対して敬意を払わない人物」と揶揄したことも影響』したと新聞記事にあった。ジウマたちのこのようななりふり構わない、明らかに嘘だとわかる発言にも関わらず、こんな馬鹿げた発言を信じる人たちがブラジルにはたくさんいるから困ったことだと思う。教育に予算を割くことをしない、労働者党の愚民政策が功を奏した結果だと言える。この結果により、おそらく今後株価は下がり、ブラジルの経済環境は悪化するだろう。さらに、ジウマは邪魔なメディアの言論を封殺するかもしれない。その兆候はすでにあり、ジウマ政権にとっては都合の悪い様々な統計数値の発表を選挙後にするようにと指示を出したり、Vejaという雑誌がペトロブラスのスキャンダルにジウマとルーラが直接的に関わっていたとう記事を掲載したことがわかると、裁判所にその雑誌の差し止めを求めたりしている。幸い、ブラジルの司法は韓国のようなことはなく、ちゃんと独立しているため、差し止め請求を認めなかったけれど、ボウサ・ファミリアの恩恵に預かっているジウマ支持の貧困層の人たちはこのような雑誌を読んだりしないので、差し止めにならなくても大きな影響力はなかったのだろう。ブラジルはこれからのさらなる4年間の非民主的で腐敗にまみれた労働者党の政権下で生き長らえることができるだろうか?それとも一気に坂を転げ落ちてしまうのだろうか?ああ・・・気が滅入る・・・
今朝、エドソンが各州の決選投票の結果を示す地図を送ってくれたので、ここにその地図を追加掲載することにした。青がアエシオを支持した州。赤がジウマを支持した州。支持がはっきりと北と南に分かれているのがわかる。北ヘ行くほどボウサ・ファミリアの恩恵に預かっている人口が増え、南はブラジルの経済を支えている人口の多い地域だ。でも、何故か、経済的に豊かで教育程度も低くないリオデジャネイロ州と、アエシオが以前州知事をしていたミナス・ジェライス州がジウマ支持の赤になっている。以前、ペトロポリスに行った際、バスでリオに戻ってきたら、たった1時間ほどの移動で、涼しく洗練されたペトロポリスから、暑くて混沌としたリオに着くという環境の激変に、まるでヨーロッパからアフリカに着いたような感覚を抱いたのだけれど、リオはやはり後進州ということなのだろうか? | ||||
2014年10月28日(火) | ||||
金曜日の夕方また雨が降った。先週の日曜日のような暴風雨ではなかったけれど、雷が鳴り、結構激しい雨がしばらく降り続いた。雨が止んだ後は翌日の土曜日の朝までずっと霧が出ていた。土曜日の朝、朝食とお散歩を終えて、私が台所で豆を煮たり、はるの食事を作ったりしている間、エドソンのワークスペースに置いたベッドの中でおとなしくしていたはるが、突然ワンワンと激しく吠え出した。家の外に動物か何かが来ているのだろうか?と、エドソンが外に出てみても何もいない。それでもはるが吠え続けるので、一体どうしたのだろう?と、不思議に思っていたら、薪ストーブの煙突の中で、「チッチッチッ、ガサガサガサ」という音が聞こえて、ようやく煙突の中にいる小鳥か何かに反応しているのだということがわかった。以前、小さなこうもりがこの煙突から入ってきたことがあったけれど、今回は小鳥だった。次の写真で、煙突と天井のわずかな隙間に小鳥の羽が挟まっているのが見えるだろうか?
それで、仕方なくエドソンが屋根裏に上がって、小鳥の救出作戦を実施した。次の写真は、エドソンが屋根の上に上がって、瓦を外して、屋根裏に入るところをパチリ。私がカメラを向けたらカメラに向かってポーズを取ってくれた。この後、懐中電灯を持ってきてというので、懐中電灯をエドソンに渡すと、煙突の奥で身動きできなくなっていたアンドリーニャ(つばめ)1羽を無事に救出。アンドリーニャは何故か家の屋根裏に巣を作るのが好きなようで、巣づくりの季節になると毎日のように屋根裏に入るための隙間はないかと探しながら、我が家の回りを飛び回っている。我が家は屋根裏に入れるような隙間はないので、アンドリーニャが屋根裏で巣作りをすることはない。煙突は外とつながってはいるけれど、煙突から入ってきても屋根裏には入れない。それなのに、この1羽は煙突から入ってきてしまって、身動きが取れなくなってしまったようだった。でも普通、鳥は垂直には飛べないから、どうやって煙突から入ったのだろう?と、不思議でならない。土曜日はどんよりとした曇り空だったけれど、雨が降っていなくてよかった。もし雨が降っていたらこの救出作戦はできなかったのだから。
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2014年10月29日(水) | ||||
以下は、2014年10月28日付けニッケイ新聞の「コラム 樹海」からの転載。 『今年の大統領選挙は、1989年開始の大統領直接選挙(同年はコーロル氏とルーラ氏の決選投票でコーロル氏が当選)以来の僅差の選挙だった▼89年選挙には23組が出馬。ルーラ氏に隠し子がいた事が判明したりして、有効票の53%を得たコーロル氏が当選した。その後の選挙ではカルドーゾ氏が一次投票で2度当選後、労働者党がいずれも決選投票で勝利(ルーラ氏が61%で2度、ジウマ氏は58・4%と51・6%)▼今年はエドゥアルド・カンポス氏の事故死とそれに伴うマリーナ・シウヴァ氏擁立により支持率が急変。かつてないほど攻撃的な選挙となった。ジウマ氏の攻撃でマリーナ氏は予想以上に支持率を落とし、反撃に転じざるを得なくなったアエシオ氏の拒絶率も急速に高まった。あまりにも攻撃的な選挙となり、棄権や白票などが増えるとの懸念は見事に的中し、21%が棄権、6・3%が白票と無効票だった▼投票日直前の支持率調査はジウマ氏優位のものとアエシオ氏優位のもの各二つで、いずれも統計上の誤差の範囲内の差しかついておらず、正しく票が二分したといえるのも特徴で、27日朝のラジオでは棄権した事を悔いている有権者もいるのではとの声も流れた▼いずれにせよ、PT政権の4年間継続が決まった時点で、アエシオ氏はジウマ氏に電話。祝福の言葉を伝えると共に、国を一つにする事を最優先するよう要請し、ジウマ氏は対話を第一とするとの意向を表明した▼最後の最後までけんか腰だった大統領だけに、昨年以来の抗議行動や一次投票で6割が野党候補に票を投じた事、僅差の勝利などの結果を鑑み、謙虚な対話をと願いつつ夜が更けた。(み)』 この記事で、棄権や白票などが合わせて30%近くあったと知り驚いた。この記事の中にあるコロール大統領と言えば、大統領就任から2年半の1992年に、汚職疑惑により上院で弾劾裁判が行われ、投獄は免れたけれど8年間の再選停止処分を受けたという人物だ。ルーラ政権の時に行われていた議員買収のメンサラオン事件を告発したヴェージャ紙が、今回は「ペトロブラス贈収賄疑惑に関してルーラ前大統領もジウマ氏も知っていた」と告発しており、コロール元大統領の汚職事件の比ではないこのペトロブラスの汚職疑惑の連邦警察による捜査が進めば、ジウマの弾劾裁判になるかもしれない。選挙期間中のジウマ側のあくどい選挙妨害というか選挙違反も目に余るものがあったし、ブラジルが良くなるためには、こういう人が大統領の職にいてはいけないのではないかと思う。そして、同じくニッケイ新聞の記事の中に、「ジウマ氏の当選後、27日午前のサンパウロ証券取引所(Bovespa)の株価は4・45%下がり、ドル高も進んで1ドルは2・56レアルとなった」とあった。 | ||||
2014年10月30日(木) | ||||
エドソンはブラジル国外での生活が長かったからか、亡くなった彼のお父さんのように、朝食は別として、昼食と夕食には、いつも煮豆がついていないとダメというようなコテコテのブラジル人ではないけれど、それでも時々、煮豆が食べたくなるというところはやはりブラジル人だなと思う。私はレンズ豆や、大豆や、カリオカ豆などを使ったブラジル風ではない料理やサラダを時々作るけれど、彼が煮豆が食べたいという時は、何の味付けもせず、シンプルに豆を煮ただけのものを作って、食べるときに塩少々とオリーブオイルをかけて、食事の付け合わせとして食べたりする。次の写真の左側のお皿の右側の茶色っぽいドウラジーニョという豆を煮たものが、右側のお皿の豆。先日この豆を食べていて、何も味付けをしていないのに、ほんのり甘いし、薄茶色の豆を煮たはずなのに、まるで金時豆を煮たような感じに赤っぽくなっていることに気づいた。それで、金時豆(左側のお皿の左側)を出して、色や大きさを比べてみたら、やはりドウラジーニョを煮たというよりも金時豆を煮たように見えるので、これは金時豆の立派な代用になるなと思った。
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2014年10月31日(金) | ||||
先週インターネット上に、「中国で43人のエボラ出血熱患者」というニュースが出たり消えたりしていたようだけれど、どうやら感染を疑われた43人は検査の結果陰性だったというのが真相だったようだ。
エボラ実験薬、患者で直接臨床試験 中国はアフリカで資源漁りをしているので、多くの中国人がアフリカに行って働くと同時に、多くのアフリカ人を中国に受け入れている。もし中国でエボラ出血熱の患者が出たら、衛生状態の悪い中国の環境と相まって、一挙に感染が広がる危険性もある。そうなったら、中国から多くの観光客が押し寄せる日本は対応できるのだろうか?と、不安に思う。そしてさらに、アメリカの疾病対策センター(CDC)は、エボラ出血熱に関するWHOの発表を信じておらず、WHOは実際の4割くらいの患者数しか発表していないのではないかと疑っているらしい。アメリカが軍隊を西アフリカに派遣しているのは現地支援のためだけではなく、実態調査をするためという意味合いもあるのだとか。現在のWHO事務局長のマーガレット・チャンという人は、中国政府の言いなりで、以前香港SARS禍の際、衛生局長としてSARS対応で失敗した人でもあるので信頼できないらしい。とにかく、来年の1月末までに140万人の患者が出て、その内100万人以上が死亡するというのがCDCの予測だというから恐ろしい。WHO事務局長のマーガレット・チャンという人がどういう人で、どのような対応の失敗をしたかという記事のサイトは、こちらへ。
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