Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2014年9月1日(月) | ||||
この土曜日、エドソンはほぼ1日がかりで家の南側のガレージの上の左右にランプを取り付ける作業をしてくれた。電気の配線をして、ランプを取り付ける作業をしている途中で、私の英語のクラスのチアゴとカロリナを時間を間違えて早く迎えに来たカーロスさんと、ガレージ横の部屋でしばらく話し込んだりしたので、1日仕事になったようだった。でも、これで4年越しでランプがついた。これで家に灯りがなくても、この南側のランプを灯しておけば、夜戻ってきて車をガレージに入れるのが楽になった。次の2枚の写真は、1枚目が作業をしているエドソンで、2枚目は作業が完了して取り付けられたランプをパチリ。
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2014年9月2日(火) | ||||
日曜日の夕方頃から雨がパラパラと降り始めた。また、パラパラだけで終わるのかと思っていたら、雨足が強くなったり、弱くなったりを繰り返しながら、一晩中降り続き、朝になっても降っていた。そして、10時前頃に止み、お天気が回復し、太陽が顔を出した。正直もう少し降り続いてほしかったのだけれど、久々の貴重な恵みの雨になった。そして、今日も晴天になった。カラカラだった空気が今朝は潤いを帯びている。次の写真は、月曜日の朝、居間の窓から外の様子を撮ったもの。窓ガラスは雨のしずくで濡れている。私たちがここに戻った頃、咲いていた桜は花が散り、新芽の葉が出てきている。
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2014年9月3日(水) | ||||
今年ブラジルでは10月に大統領選挙がある。ブラジル社会党(PSB)の大統領候補だったエドゥアルド・カンポス氏が飛行機事故で8月13日に亡くなったため、カンポス氏と組んで副大統領候補として選挙戦を戦っていたマリーナ・シウヴァ氏が、ブラジル社会党の大統領候補になり、大統領選は混沌としていると言われていた。でも最近、このマリーナ氏が善戦していて、ジウマ大統領にとって脅威になっているらしい。ジウマ大統領は、カルドーゾ元大統領の民主社会党(PSDB)から大統領選に出ているアエシオ・ネーヴェス氏のことをエリートの代表で、自分は貧しい人たちの代表のようなことを言っているけれど、マリーナ氏はアマゾンの貧しい家庭の出身で、学校教育を受け始めたのも遅かったらしいから、彼女に対してはこの単純2極構造の論理は通じない。そして、マリーナ氏は教育を受けて這い上がってきた人なので、政策の重要課題の中で、教育の重要性を説き、教育制度の改革と、科学技術の振興をうたっている。そのため単純にマリーナ氏を批判する材料がないからか、マリーナ氏が大統領になったら失業者が増えるなどと根拠のないことをジウマ大統領は言い始めているようだ。 29日の報道では、第2四半期の国内総生産(GDP)が発表され、ブラジルは第1四半期比0・6%のマイナス成長に終わり、実質的な「リセッション(景気後退)」に突入したと発表された。それでもサッカーW杯の時のように、「そのようなことは事実ではない。問題ない」と繰り返しているジウマ大統領はどうかしている。次の写真は、マリーナ・シウヴァ氏と、もうひとりの主要な大統領候補のアエシオ・ネーヴェス氏。大統領選はジウマ大統領とこの2人のうちの誰が勝利するのだろうか?どうかジウマ大統領が再選されることだけはありませんように。
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2014年8月29日付けニッケイ新聞ブラジル国内ニュースに、『マリーナ台頭=ジウマが選挙戦略変更へ=対決を避けずに正面から=政策増やし街頭戦略も=アエシオも警戒心強める』という記事があった。この記事のサイトは、こちらへ。 また、9月2日付けのニッケイ新聞には、『ダッタフォーリャ=マリーナがジウマに並ぶ=決選投票では圧勝とも=知識層、高所得者層後押し=景気後退でさらに追い風か』という記事もあった。先日、大統領候補の討論会でのマリーナ氏の発言や、別の番組での彼女のインタビューを聞いたエドソンは、難しい問題で、揚げ足を取ろうとするような質問に対しても、彼女はごまかすことなく正直に、とても正当なことを言ってうまく答えていたと言っていた。知識層がマリーナ氏の指示に回っているのも何だか頷けるような気がする。この記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2014年9月4日(木) | ||||
我が家の畑のマラクジャ・ドスィ(スウィート・パッションフルーツ)は、花がいくつか咲いて、実がなったのだけれど、なかなかその実が熟れて黄色くならず、日本へ一時帰国中に熟れてしまったようで、こちらに戻ってみると2~3個枯れた実が残っているだけだった。それで1つも収穫できなかったのだけれど、先日、ボトゥカトゥのドナ・マリナに行ったら、マラクジャ・ドスィがあったので、どんな味がするのか食べてみようと思い買ってみた。次の写真は、その買ってきたマラクジャ・ドスィ2個と、大きさを比べるために、普通サイズのりんごを横に置いてみた。普通のマラクジャは丸いけれど、マラクジャ・ドスィはちょっとパパイアのような形をしている。でも、大きさはパパイアのように大きくなく、普通サイズのりんごよりも少し大きい程度。
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2014年9月5日(金) | ||||
以下は、インターネット上で見かけた9月1日(月)9時21分配信週刊SPAの記事のコピー。この韓国人ブロガーというのは、以前紹介した「シンシアリーのブログ」を書いている人。
残念ながら、もはや見慣れた光景となってしまった「中韓での反日運動」と「日本での嫌中・憎韓運動」。しかし、それらの現象を単なる“隣国憎悪”で片付けてしまっては、事を見誤ってしまうこともあるようだ。“愛国者”や“排外主義者”の皮をかぶりながら、そろばん勘定を欠かさない連中は果たして何者なのだろうか? ◆話題の韓国人ブロガーが語る韓国で「反日」が絶対的な理由 韓国生まれ、韓国育ちの生粋の韓国人でありながら、韓国国内における「反日」の正当性について強く疑問を投げかけてきた『韓国人による恥韓論』の著者・シンシアリー氏は「韓国内の反日傾向は、日々広く、そして深くなっています」と指摘する。 「特に幼い世代の場合、判断力を身につける前から、毎日のように学校やテレビで日本は悪い!日本は悪い!と言われながら育っているため、これからの反日はさらに悪化していくことでしょう」 そもそもなぜ韓国では反日がここまで絶対的な力を保ち続けているのか。その要因のひとつとして、シンシアリー氏は「『矛盾』を説明するための言い訳として必要」と解説する。 「韓国は民族教育が根強く、そのため『優秀な民族』であり続けるためには、実際の過去や現在、そして未来に対して何かの言い訳が必要になります。それが反日思想の正体にほかなりません。民族主義が相対的に強い韓国の左派、すなわち北朝鮮寄りの人たちの反日思想が一段と強いのもそのためです。昔、神の愛を説いたキリスト教ですが、世の中には、その神の愛だけでは納得できないさまざまな出来事が存在していました。その矛盾を何とか説明するために、神に背き、神と人間の愛の関係を邪魔するもの、『サタン』を作り上げました。それと同じ心理です」 そして、いまや「反論が許されない空気」が完全に国を覆ってしまったため、今後もビジネスや政治の“切り札”であり続けると将来についても悲観的に語る。 「反論や否定自体を封じるようになってしまった今、改善のメドも立ちません。悲しいことですが、私のような人間が本当の名前と顔で皆さんに挨拶できる日は、しばらくはこないと思います」
【シンシアリー氏】 ●シンシアリーのブログ http://ameblo.jp/sincerelee/
― [反日・嫌中・憎韓]ビジネスの正体【2】 ― | ||||
2014年9月6日(土) | ||||
我が家の入り口ゲートから入ってきて、比較的すぐのところにイペーの苗木を3本植えている。でも、これまで何度も葉切りアリに襲われて裸にされているため、なかなか大きくならない。一方、庭の東端に植えたイペーの木はずいぶん背が高くなり、昨日ほんの少し花を咲かせていることに気づいた。花が咲いたのは、この苗木を植えてから初めてのこと。南米原産のイペーの木は桜と同じような時期に花を咲かせるからか、日系の人たちの間ではブラジルの桜と呼ばれていると聞いたことがある。でも、桜と違い、イペーの花は大きく、色も黄色、白、ピンクなど、木によって花の色がいろいろある。今我が家の庭で花をつけているのはイペー・アマレロ(黄色いイペー)。あちこちでこの黄色いイペーの花はよく見かけるので、黄色が一番一般的なのかな?と、思う。我が家のイペーは次の写真の通り、花をほんの少ししかつけていないけれど、これが十数年もすると、3枚目の写真のように大木になり、木全体を黄色に染めるようになるらしい。ぜひそうなってほしいものだと思う。
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2014年9月7日(日) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2014年9月4日付けの記事のコピー。
『スイスを本部とする世界経済フォーラム(WEF)が2日に発表した世界144カ国・地域の国際競争力ランキングによると、伯国の順位は2013年より一つ低い57位となったと3日付伯字紙が報じた。 WEFの国際競争力は国家の生産力レベルを評価したもので、インフラや教育、労働市場、金融サービス、ビジネスの洗練度などの項目について調査した結果を統合したものだ。 伯国は1990年代から同調査の対象とされており、近年はコモディテイの需要増で順位を上げてきたが、高成長期の利点を活かしきれず、ここ2年間で順位を9落とした。WEFは、国家の生産力低下は今後の経済成長を阻害するため、税制改革や労働条件の整備などの広範囲にわたる思い切った改善策が不可欠と警告している。 ラ米での伯国は33位のチリに次ぐ高順位で、以下、メキシコ61位、ペルー65位などと続く。デフォルトに陥ったアルゼンチンは104位だった。一方、BRICSの中では、順位を11下げて71位となったインドを上回ったのみで、一つ上がった中国の28位や11上がったロシアの53位、三つ下がった南アフリカの56位に次ぐ4番手だった。 13年より順位が落ちた項目は、労働市場の効率性(92位が109位)や連邦機関の効率性(80位が94位)、マクロ経済を取り巻く環境(75位が85位)などだ。連邦機関の非効率性は13年6月の抗議行動(マニフェスタソン)でも指摘されており、政府のあり方次第で変化する項目の評価は、政府規制143位、政治への信頼性140位、政府の浪費137位、公金の不正支出135位、政府の効率性131位、汚職130位、教育126位、組織の効率104位など、非常に低くなっている。 企業家との対話不足が指摘され、第2四半期には景気後退(リセッション)に陥るなど、経済政策に難点を抱えるジウマ政権の現状は、経済動向で85位という低評価を受けた事にも表れた。 順位が上がったのは保健衛生と初等教育(89位が77位)、高等教育と職業訓練(72位が41位)など。これらの項目は、マイス・メジコスの導入や、熟練工の不足などを訴える労働市場の声に応えた結果といえそうだが、高校生の国際学力試験の結果などが振るわず、教育全体の評価は126位で終った。 WEFはもう、2015年1月にスイスで開かれるダヴォス会議に10月の統一選挙で選ばれる伯国大統領の出席を依頼している。統一選での当選者は、新任か再任かに関わらず、就任式から3週間後の国際会議で伯国を景気後退から脱出させるための方策についての説明を求められている。』 | ||||
2014年9月8日(月) | ||||
家の回りの庭は、丁寧にブラキアーリアを除去して、アメンドインを植えているため、ブラキアーリアを始め、他の草はあまり生えてこないのだけれど、それでも、アメンドインの中からがんばって生えてくる草もある。それで、気がつくと抜くようにしている。そんな中で、一番目立って生えているのが次の写真の草。引っ張って抜くと、地上に出ている部分よりもずっと長い根っこが出てくる。根がずいぶん長いので、うまく抜けず、途中で切れてしまうこともあるけれど、すっと完全に抜くことができた時は、気持ちが良く、しめしめと思う。
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2014年9月9日(火) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2014年9月6日付け「コラム 樹海」からの転載。日本の政界には女性議員が少なく、企業には女性重役が少なく、会社で働く女性は男性の補助的存在で、男性よりも給与が少なく、社会的に日本の女性は虐げられていると欧米の人たちは見るけれど、本当にそうだろうか?日本人の男性は敷かれたレールの上を行くしかないような状態で、そのレールを外れて自由に生きることはかなり難しい。一方女性は、腰掛けと言われようが、男性よりもやりたいことをやる自由がある。海外に出て行く日本人女性の多さがそれを物語っている。日本女性の社会進出は欧米に比べて少ないかもしれないけれど、家庭でお財布を握っているのは女性というケースは少なくない。反対に欧米では、女性がお財布を握るというのはあまり聞かない。だから女性も自由になるお金を求めて働くしかないというのが現実なのではないだろうか?言葉にしても、日本語は、その言い回しに男性的な言葉や女性的な言葉はあっても、ありとあらゆる物をポルトガル語を始めとするラテン系の言葉のように男性名詞だ女性名詞だと性別でわけるようなことはしない。女性の社会進出は多くはないけれど、男女の性差を認め、女性としての価値と立場を認めている社会と、女性の社会進出は多くても、男女の性差を認めず、女性に男性と同じようにあることを求め、女性の価値と立場も認めていない社会とでは、どちらが本当に男性優位社会だろうか?
『ポ語を勉強し始めた時、男女が混じった集団を指す時は、男性が一人でも含まれていたら「eles」(彼ら)になると知り驚いた。「ポルトガルやブラジルはマシズモ(男性優位主義)の国なのだろう」と想像していたが、実際に来てみるとそれほどでもないと感じた。「ブラジル人は基本的にマシスタよ」と言う女友達は皆仕事をしていて、男性と同じように扱われているかのような雰囲気だった▼1日付エスタード紙のコラムによれば、ラ米は政府要職に就く女性が最も多い地域だという。ジウマ、キルチネル、バシェレ氏など現役女性国家元首の存在も目立つし、大統領の座を争うジウマとマリーナに囲まれると、男性のアエシオはかすんで見える。少し前までは独裁軍事政権下で男性が統治し、マシズモが昔から根付く地域であることを考えると画期的な状態だろう。そんなラ米地域だが、国連のラテンアメリカ・カリブ諸国経済委員会が女性の権利向上キャンペーンを行っている▼というのも、一般社会に目を向けてみると、依然男女間の就業率の差は激しい。同コラムによれば、男性の就業率が80%で女性は50%。個人所得を得る術を何も持たない男性は12%であるのに対して女性は33%。多くの民間企業で女性の給与が男性より低いという。経済的な依存は女性への暴力を助長し、不健全な状態を生む▼国際社会から見れば、女性元首の存在で「女性の活躍」が実現している模範的地域―社会全体でそうであるわけではない。政界や法曹界での女性の進出が著しいのは喜ばしいことだが、それが一般社会に浸透するのはまだ先のことか。(詩)』 | ||||
2014年9月10日(水) | ||||
ここ数日、陽が西に傾く頃になると羽アリがたくさん飛び交い始める。巣立ちの時期のようだ。すごい数なので、写真に撮ってみた。肉眼では群舞している様子がはっきりと見えるのに、カメラのレンズを通すと、うまくその姿を捕らえることができない。次の写真で何とか中央のコンクリートの円筒の手前に、かろうじて数匹飛んでいるのが見える。本当はそこらじゅうにぎっしりと乱舞しているのだけれど、背景が地面だと姿が見えなくなるから不思議だ。これらの乱舞する羽アリは、陽が暮れるとどこかへ行ってしまい、翌日には羽がたくさん地面に落ちていてたりする。一体どこに行ったのだろう?新しい巣作りをどこかで始めているのだろうか?
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2014年9月11日(木) | ||||
この月曜日、インターネット上に日本でスーパームーンが見られたというニュースがあったのを思い出し、火曜日の夕食後、ふと流し台の前の窓から東の空を見ると、以前見たスーパームーンのように大きくはなかったけれど、真ん丸なオレンジ色の月が、東の丘から上り始めているところだった。それで、家の外に出て写真を撮ってみたのだけれど、肉眼だと周辺の景色もまだうっすら見えていたのに、写真に撮ったら、辺りは真っ暗で、赤みを帯びたオレンジ色の小さな月だけしか写っていなかった。この写真を撮ってから20分くらいして、また外を見ると、オレンジ色が黄色に変わって、明るく光っていた。今、こちらは早春なので、これは「中秋の名月」ならぬ「中春の名月」というところだろうか?
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2014年9月12日(金) | ||||
ニッケイ新聞の2014年9月10日付けと、11日付けの記事で、10月の大統領選挙に向けてトップを走っているマリーナ・シウヴァ氏に関する記事が掲載されていた。タイトルは、『寄稿=大統領選挙=トップに躍り出た庶民候補=マリナ・シルバとはどんな人?=(上)=駒形 秀雄』および、『寄稿=大統領選挙=トップに躍り出た庶民候補=マリナ・シルバとはどんな人?=(下)=駒形 秀雄』で、この(上)の記事のサイトは、こちらへ。この(下)の記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2014年9月13日(土) | ||||
今月9日(火)にリオに到着して観光をしていたフランス在住の友人夫婦をここに迎えるために、彼らとイグアスの滝で落ち合って、2日ほど観光してから、こちらに一緒に戻る計画をした。それで、私たちは木曜日の夕方の夜行バスでパーディーニョを出て、イグアスに向かった。次の写真は、私たちが乗った夜行バス。パーディーニョからイグアスまでは約1000キロくらいなので、13時間前後かかる。
私たちが乗ったバスは半分の行程を過ぎた頃から、途中の小さな町のバスターミナルに何度も止まり、人が乗り降りするものだから、出発から13時間半もかかって、12日(金)の朝8時頃イグアスのバスターミナルに到着した。タクシーでホテルに移動。予約してあったサン・フアン・ホテルというのは、イグアスの町の中と、町外れの2ヶ所にあるらしく、私たちはてっきり町外れの方だと思って、そちらのホテルに行ったら予約があるのは町の中の方だったことがわかる。友人夫婦とはホテルで落ち合うことにしていたので、予定を急遽変更して、この日のお昼頃に飛行機でリオからイグアスに到着する友人夫婦を空港で迎えることにして、空港に向かう。空港は一応国際空港と名前がついていたけれど、中の感じはバスターミナルとあまり変わらない小さな田舎の空港という感じだった。そこで、ゆっくりと朝食を食べて、時間をつぶしながら、友人夫婦の到着を待った。彼らの便は予定よりも少し早く到着。無事の再会を喜んだ。この後、タクシーで町のホテルに向かいチェックインして、シャワーを浴びてさっぱりしてから、ホテルの前にあったレストランで昼食を食べながら、午後からの予定を話し合った。次の写真は、イカのフライを食べた後、運ばれてきたムケッカというバイーア州の有名なシーフードの料理を食べているクリスチャン(フランス人)とミカさん(日本人)夫婦。
12日の午前中、イグアスは霧が出ていたので、滝の観光ではなく、イタイプーダムの見学に行くことにした。次の写真は、イタイプーダムで入場券を買って、バスに乗り込むところ。
次の写真は、イタイプーダム。
バスを降りて、写真を撮ったり、景色を眺めているところ。
次の写真は、イタイプーのダムを背景に、手前からミカさん、私、クリスチャン。
次の写真は、まるで海のようなイタイプーダムの湖面。
次の写真は、イタイプーダムの上から、ここに来る前にイタイプーダムを背景にした写真を撮った場所をパチリ。
次の写真は、イタイプーダムの上から、下の建物をパチリ。
次の写真は、イタイプーダムの上。左が湖面で、右側の下に建物がある。
イタイプーダムの建物の見学に行く際は、みんなヘルメットを着用。
イタイプーダムの入り口。
ダムの入り口の所で、ダムを背景にしてパチリ。
ダムの建物の中にあった、ダムの建物の見取り図。右側のかなり下の方まで降りて行き、見学することができた。
次の写真は、イタイプーダムの中のコントロールセンター。このダムは、ブラジルとパラグアイの共同プロジェクトなので、働いている人たちもブラジル人とパラグアイ人が半々いて、一緒に仕事をしているということだった。
次の写真は、ダムのずっと下の方にあるタービン。
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2014年9月14日(日) | ||||
13日の土曜日は、ホテルで朝食後、イグアスの滝に向け出発。イグアスの滝公園の入り口のチケット売り場は長~い行列ができていて、窓口までたどり着くのに30分余りかかった。次の写真は、その行列に並んでしばらくして撮ったもの。チケット売り場はまだ見えない。2枚目は、ようやく見えてきたチケット売り場。
チケットを買い、園内はバスに乗って移動。最初のヴューポイントで降りて、トレイルを下って行くと、次の写真の壮大な滝が目に飛び込んできた。すご~い!!!ナイアガラの滝なんて目じゃない規模の滝に圧倒された。
トレイルを歩きながら、所々にある突き出たヴューポイントで、みな記念写真を撮っている。2枚目は、クリスチャンとミカさんの写真を撮ってあげているエドソン(ただし、写っているのはエドソンの手とカメラだけ)。
次の写真は、クリスチャンが撮ってくれたエドソンと私。
次の写真は、トレイルを歩きながら撮影したイグアスの滝。
次の写真は、イグアスの滝の一番のヴューポイント、「悪魔の喉笛」と呼べれる所を見るために突き出たトレイルを近くから撮ったもの。2枚目はその上でクリスチャンが撮ってくれたもの。ここは滝の水しぶきがかかるため、レインコートを着用するようにガイドブックにあるのだけれど、レインコートなど着用せず、びしょ濡れになっている人たちも少なくない。
次の写真は、「悪魔の喉笛」に向かうトレイルの上から撮影したイグアスの滝の様々な景色。
「悪魔の喉笛」を見た後、エレベーターで地上に上がったすぐのところにあるポルト・カノアス・レストランのデッキの上で、フェイジョアーダの昼食。なかなかいいレストランで、料理もおいしかった。
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2014年9月15日(月) | ||||
土曜日は少し遅い昼食を食べた後、ビジターセンターに戻って、イグアスの滝のアルゼンチン側の観光をするにはどのくらいの時間がかかるか聞いてみると、ブラジル側とアルゼンチン側の2ヶ所のイミグレーションを通るだけでスムーズにいって片道1時間弱かかるということだった。その日の夕方、パーディーニョに戻るためのバスに乗らなければならないため、とてもアルゼンチン側に行って観光している時間がないということで、アルゼンチン側の観光は諦めることにした。その代わりに、ミカさんが持っていたガイドブックにブラジル、アルゼンチン、パラグアイの3ヶ国が見えるスポットがあるというので、そこに行ってみることにした。次の写真がそのスポットで、この写真を撮った私たちのいる場所がブラジル。河の向こう側の広い部分がパラグアイ。画面の左側のちょっとだけ見える突き出た部分がアルゼンチン。正面の大きな河がパラナ河で、左の少しだけ見えているのがイグアス河。
ここにはあまり整備されていない小さな広場があり、小さなお店が2軒だけあった。そして、観光地によくある写真撮影の絵があったので、冗談好きなエドソンとクリスチャンがその絵の所でポーズをとって、記念撮影。
この後、ショッピングモールに行き、夜行バスでクリスチャンたちが使うための毛布などの買い物をした。ブラジルの長距離バスは冷房がとても効いていて、長い時間乗っているととても寒いので、彼らにも毛布を買うことを勧めた。私たちはパーディーニョから毛布を持参したので、往路も復路もその毛布をかけて暖かく寝ることができた。次の写真は、イグアスの滝のバスターミナルでクリスチャンが撮影したもの。
次の写真は、バスの中。私たちの後ろの席に座ったミカさんが、買った毛布を出して用意しているところが写っている。
次の写真は、14日(日)の朝、パーディーニョのホドサーブ・ソヒーゾに到着して、預けた荷物をバスから出してもらっているところ。復路はパラグアイのアスンシオン始発で、イグアスを通って、サンパウロに行くプルーマのバスに乗ったので、往路のように小さなバスターミナルに何度も止まらず、約12時間で帰ってくることができた。
次の写真は、朝食を食べるために入ったホドサーブの中でクリスチャンが撮影したエドソン。後ろにミカさんも写っている。
次の写真は、我が家にたどり着いて、敷地内を案内しているところ。丘の上でクリスチャンがパチリ。
丘から降りてきて、家の北側の庭を歩いて玄関に向かっていると、居間の横のドアの隣の窓に、マリンボンドの巣を発見。イグアスに出かける前、ベランダの西側の窓のところに巣を作ろうとしていたので、殺虫剤で撃退したのだけれど、諦めずに、留守中この新たな場所で巣作りを完了してしまったようだった。暗くなってからエドソンが殺虫剤で撃退して、巣を取り除いたのだけれど、2日後には家の南側のエドソンのワークショップの窓のところに、また巣を作っていて、イタチごっこを繰り返している。
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2014年9月16日(火) | ||||
14日(日)は、イグアスからこちらに戻り、それぞれシャワーを浴びてさっぱりしてから、荷物を解きゆっくりした。その後うちからほど近い「眠れる巨人」が見えるポイントに行き、景色を眺めながらコシーニャとキビのお昼を食べてから、みんなではるをヴィラ・シーコに迎えに行った。 翌15日(月)の朝、クリスチャンとミカさんが重いのにわざわざフランスから持ってきてくれたチーズやワインのお土産をくれ、感謝、感激。エドソンはクリスチャンに頼んでおいた衛星通信用の装置(ドンゴ)を手に、ご満悦。これはイギリスに行った際、買って帰ろうとしたのだけれど、叶わなかったため、クリスチャンにお願いしておいたもの。次の写真は、ドンゴを手にうれしそうなエドソンと、その後ろにいるミカさんの膝に、はるがまとわりついているのが見える。ミカさんは動物が苦手らしいのだけれど、はるにはあまり強い拒否反応を示さず、こんな風にまとわりつかれても大丈夫のようだった。
次の写真は、はるとの朝のお散歩をしているミカさんと私をクリスチャンがパチリ。動物は苦手というミカさんが、はるのリードを持ってお散歩する姿に、こんなこと彼女はしたことないのにと、クリスチャンが驚いていた。はるが比較的よく言うことを聞き、みんなに愛嬌をふりまくので、徐々に可愛いと感じるようになったようで、はるのリードをクリスチャンとミカさんとで交代で持って、毎日一緒にお散歩を楽しんでくれて良かったなと思った。これははるの人徳ならぬ、犬徳のお陰かな?
次の写真は、月曜日の夕飯のお豆腐と挽き肉のがんもを揚げるのを手伝ってくれているミカさん。
月曜日の夕飯の後、遅ればせながら私の作ったブラウニーの上に、クリスチャンがスーパーで選んだローソクを乗せて、エドソンのお誕生日のお祝いを4人でした。エドソンのお誕生日は13日(土)だったのだけれど、夕方イグアスを出る夜行バスに乗らなければならなかったので、ちゃんとした食事とお誕生祝いができなかったので、2日遅れのお祝いになった。何も特別なことはしなかったけれど、クリスチャンとミカさんが加わってくれ、賑やかで楽しいお祝いになった。
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2014年9月17日(水) | ||||
せっかく遠いフランスから訪ねてきてくれたクリスチャンとミカさんだけれど、7月から8月にかけて日本に行くために1ヶ月の休暇を取ったばかりのエドソンは、そうそう仕事を休むことができないため、月曜日と火曜日は私ひとりで、ふたりをパーディーニョの町やボトゥカトゥの町に案内した。次の写真は、うちの近くのコーヒー園でコーヒーの木になったコーヒー豆の写真を撮っているミカさん。コーヒー好きのミカさんはご近所のコーヒー農家の売店や、行った先のスーパーでコーヒー豆をお土産に買っていた。
火曜日の夕飯は、エドソンがクリスチャンに約束していたクリスチャン待望のシュハスコをした。次の写真は、お肉などを焼こうとしているエドソンを側で興味深そうに見ているミカさん。
次の写真は、右側にピカーニャと呼ばれる牛肉、左側の奥にリングイッサと呼ばれる腸詰ソーセージと、手前にミカさん希望のとうもろこしを置いて、焼き始めたところ。
とうもろこしとリングイッサがだいぶ焼けた所で、それらを上の段に移し、ピカーニャを火の上に移して焼いているところ。
シュハスコ小屋の中で、ワインやビールを片手に、おしゃべりしながらお肉を焼くのを楽しんでいるみんな。
シュハスコ小屋でお肉を焼いている間に、夕陽が沈んで行った。
次の写真は、テーブルの上の、焼きあがったお肉やとうもろこし。
次の写真は、ピカーニャを切り分けているエドソン。手前左側のボールは、玉ねぎやトマトなどを刻んで、オリーブオイルと酢を混ぜて作ったヴィナグレッチ。右側のナベは、ガーリックライス。
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2014年9月18日(木) | ||||
クリスチャンとミカさん夫婦はここに滞在中、朝食後、毎日はるとのお散歩を楽しんでくれ、家の中では一緒にじゃれて遊び、はるをすっかり気に入って、可愛がってくれた。次の写真は、朝のお散歩の途中で、下の森の井戸の状態を見るために下りて行っている際、クリスチャンが撮影したもの。私が手に持っているビール缶とゴミは、通りがかりの人が捨てて行ったようで、入り口ゲート付近のうちの敷地内にあったので、拾ってきたもの。
ふたりがここにいる間、あまりあちこちに連れて行ってあげられなかったのだけれど、居間の前のベランダのイスを外ベランダに出して、「さあ、ビーチに行って日光浴をしよう」などと言って、特に何もしないという時間もそれなりに楽しんでくれ、うれしく思った。水曜日はエドソンがお昼前後の時間を利用して、ふたりをボトゥカトゥのコーヒー博物館に連れて行ってくれ、私ははるとお留守番をした。
次の写真は、すっかりはると仲良くなって、抱っこもできるようになったミカさん。これは動物が苦手な彼女にとっては画期的なこと。
次の写真は、水曜日の夕方、居間の前のベランダに座って、我が家で収穫したレモンを使ってエドソンが作ったカイピリーニャを飲みながら、みんなでのんびりと夕陽を眺めているところをミカさんがパチリ。
次の写真は、このとき眺めた日没の景色。
みんながベランダにいるので、もちろんはるも一緒。次の写真は、クリスチャンが撮影したはる。
次の写真は、オートタイマーで、4人揃ってパチリ。はるはみんながカメラに向かってポーズをとっているなんて思っていないので、カメラにお尻を向けている。でもちゃんとはるも仲間に入っている。この後、シュハスコの味がすっかり気に入ったクリスチャンが、もう一度シュハスコをしてというので、水曜日の夕飯にまた、エドソンがシュハスコ小屋でお肉を焼いた。ピカーニャは1回分しか買っていなかったので、今回は、コントラ・フィレという牛肉の部位を焼いた。そして、ご飯もガーリックライスがおいしかったからと、また、ガーリックライスを作った。その際、ミカさんが作り方を知りたいというので一緒に作った。普段あまりお肉を食べないというふたりだけれど、クリスチャンはおいしい、おいしいと言って、たくさん食べていた。喜んでもらってとてもうれしかった。
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2014年9月19日(金) | ||||
せっかくサンパウロ州まで来たのだから、サンパウロ市も観光したいということで、こちらに戻ってから、サンパウロ市営マーケットやリベルダージや移民資料館など、いくつかの観光スポットを検討して、ホテルの予約をし、バスのチケットも確保して、昨日の木曜日の午後2時半のバスでクリスチャンとミカさんのふたりはサンパウロに向けて出発した。次の写真は、高速道路のカステロブランコ上にあるホドサーブ・ソヒーゾのバス乗り場に、みんなでお見送りに行った際、バスの中からクリスチャンが撮ったもの。1枚目ははるが私の腕の中で少し暴れたものだから、私がギャーと顔をのけぞった瞬間。2枚目は、その直後エドソンがはるに「暴れちゃだめ」と叱っているところ。木曜日の午後7時頃、無事にホテルにチェックインしたふたりがわざわざ電話をくれ、その後この写真をメールで送ってきてくれた。
クリスチャンとミカさんは、ブラジル国外からうちに訪ねて来てくれた第一号の「遠来の友」となった。この1週間常に陽気なクリスチャンと穏やかなミカさん夫婦と一緒に過ごせて、とても楽しかった。ふたりは明日サンパウロの国際空港からフランスに向けて帰って行く予定なのだけれど、約2週間のブラジルでの休暇が彼らにとっても楽しいものであったことを心から願わないではいられない。訪ねてきてくれて本当にありがとう。 | ||||
2014年9月20日(土) | ||||
6月のいつ頃からだったか、ペドレイロのエディが週に一度、土曜日に来て、森の中に掘り始めてくれた井戸がなかなかできず、しかもエディのやり方がちょっと杜撰だったため、穴を掘って入れたコンクリートの円筒が傾いてヒビが入り、雨が降ると泥水が井戸の中に流れ込むような事態になっていて、どうなることかと思っていた。「大丈夫。直せる」とエディは言っていたようだけれど、どうも手に負えないと自覚したようで、井戸を掘って30年というベテランのカーロスという人を先週連れて来た。それで、このカーロスさんが傾いた井戸を直す作業を始めてくれたのだけれど、どうもうまく行かず、仕方なく、新たな井戸を掘ってもらうことになった。私たちがイグアスに行っている間、作業を続けてくれたのだけれど、戻ってみると、指定した場所には地中に大木が埋まっていて、それを取り除くための電気ノコなどを持っていなかったということで、少し離れた場所に新しい小さな井戸が完成していた。でも、水量が少なく、とても使えるようなものではなくがっかり。それで、エドソンがカーロスさんと再度話をして、やはり作りかけで問題が発生している井戸を、エドソンが考えるやり方で直してもらうことになり、数日かけてようやく何とか完成。円筒内のコンクリートを乾かすために、一晩中ポンプを作動させて水を汲み上げ続けたので、きれいな水が湧いて出てくるようになり、完成後には、きれいな水を蓄える井戸になった。ベテランのカーロスさんよりもエドソンの考えたやり方の方がうまく行ったというのもおかしなことだなと思ったけれど、とにかく、以後、何度かその水を貯水タンクに汲み上げることができるようになり、ようやく何とか我が家の水の問題も解決へと向かっている。次の写真は、エディが作りかけて、エドソンの指示したやり方で、カーロスさんが仕上げてくれた森の中の井戸。
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2014年9月21日(日) | ||||
金曜日の早朝、雨の音で目が覚めた。でも、雨はすぐに止んでしまい残念に思っていたら、金曜日の夜からまた降り出し、一晩中降ったようだった。そして、土曜日も1日中降ったり止んだりを繰り返した。こんなに雨が降り続くのは久しぶりのことで、森の泉や井戸が潤うだろう恵みの雨に感謝。 玄関前の外階段のところのサツキ4種類、計12本がイグアスから戻るとすべて咲いていたのでびっくり。これまで何度も花を咲かせているけれど、4色、12本が一度に揃ってすべて花をつけたのは今回が初めて。今年は水不足になるほど雨量が少なく、寒かったり、暖かかったりと気温の変動が激しく、気候が一定でなかったのだけれど、何がどう功を奏したのか、こんな風に花を咲かせてくれて、うれしい限り。
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2014年9月22日(月) | ||||
家の北側の車寄せのコンクリートの間の地面に、芝生を植えようか?レンガを並べようか?砂利を入れようか?などと言って、長い間決めかねていたエドソンが、ハイビスカスガーデンの前に自然に生えてきた芝生の感じ(写真中央上の緑の部分)が気に入ったから、全部芝生にすることにしたと宣言した。それで、土曜日は雨が降ったり止んだりのお天気だったのだけれど、手伝いに来てくれたヒバマーに家の北側の草をきれいに取り除き、新しい土を入れてもらい、ダイニングルームと外階段の間の箱庭で元気に伸びている芝生の芽を何本か植えてもらった。次の写真は、土曜日に作業が完了したので、日曜日の午後撮影したもの。芝生が成長するまでには何度も草取りが必要かもしれないけれど、うまく芝生で敷き詰められた状態になるといいなあ・・・
そして、日曜日はお昼前くらいからお天気が回復したので、エドソンは森の中の井戸の水の状態を見に行ったり、シュハスコ小屋で作業を始めた。部屋の掃除が終わってから、シュハスコ小屋で何やら音がするので見に行ってみると、セメントを混ぜてからシュハスコのかまどに置いているところだった。
シュハスコのかまどの手前のレンガの上に石の板が置かれていたのだけれど、まだコンクリートで固定されていなかったらしく、エドソンは先週2度シュハスコをして、この部分をちゃんと完成させようと思い至ったようだった。なかなかきれいに仕上がったじゃないですか。ペドレイロの仕事もできるんだねえ。
インターネット上で、PHP Biz Online 衆知の、<尖閣問題・日本の一手>国際提訴がもたらす6つの効果〔1〕〔2〕/古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員)という記事を見かけたので、以下にリンクを張ってみる。この記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2014年9月23日(火) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2014年9月20日付けのブラジル国内ニュースからの転載。「楽書倶楽部」の第24号にニッケイ新聞の2014年3月14日付けの記事が掲載されており、それには『米国フォーブス誌の2014年版「世界長者番付」によると、資産10億ドル以上の億万長者は1645人いる。もっとも富豪が多いのは米国人で492人、・・・次に中国人152人、ロシア人111人、ドイツ人85人、その次が何とブラジル人65人で5番目だ。次が英国人47人、フランス人43人だ。実は日本人は27人しかいない。・・・世界第3位の経済大国より、7位の伯国に金持ちが多い』とあった。発表者が違うので、次の記事と数字に多少の違いはあるけれど、日本よりもブラジルに億万長者が多いという事実は変わらない。ニッケイ新聞にもあったけれど、「見方を変えればそれだけ(日本は)格差が少ない社会と言える」というのはその通りかもしれない。
『ブラジル国内の景気は後退期に入ったが、「スーパーリッチ」の数はむしろ劇的に伸びている。 | ||||
2014年9月24日(水) | ||||
以下は、インターネット上で見かけた9月18日(木)13時0分配信のアゴラの記事のコピー
同じことを何度も書いたけど、朝日新聞もテレビ朝日もニューヨーク・タイムズも神奈川新聞(http://www.kanaloco.jp/article/76014/cms_id/95741)も同じ話をくり返しているので、よい子にもわかるように説明しましょう。 “問題の本質は、女性たちが戦地で日本軍将兵に性的行為を強要されたことにある。慰安をしたのではなく性暴力を受けた。兵士の性病まん延防止と性欲処理の道具にされた。その制度づくりから管理運営に軍が関与していた。それは日本の植民地支配、侵略戦争という大きな枠組みの中で行われたものであった。” これは「慰安婦問題、核心は変わらず 河野談話、吉田証言に依拠せず」という8月28日の朝日新聞の記事(http://digital.asahi.com/articles/DA3S11320352.html)のパクリです。報道ステーションの古舘さんも一生懸命、吉田清治の話が嘘でも「本質」は変わらないといってました。彼らの言い訳はみんな
・吉田清治の話は嘘だった という筋道になっています。女性の人権などという話は20年前にはなく、強制連行が嘘だったとわかっても、朝日新聞が記事を取り消すのがかっこ悪いので出てきたのです。 昔は「強制連行を認めろ」と騒いでいた朝日(とその亜流)が、嘘がばれたら「最初から嘘だっていってたじゃん」というのはおもしろいですね。それなら、あれほど大論争していた強制連行は何だったんでしょうか。 まぁこれを認めるとしましょう。わからないのは、韓国政府は何をしてほしいのかということです。考えられるのは
・女性の人権侵害について日本政府が謝罪せよ のどっちか(あるいは両方)でしょうが、実はどっちも終わっているのです。「軍の関与」や人権侵害については1992年に加藤官房長官があやまり、広い意味の強制(http://agora-web.jp/archives/1612591.html)については、1993年の河野談話であやまっています。そしてアジア女性基金という形で、賠償もしました。韓国政府も、このときはOKしたのです。 ところがその後になって、韓国政府が「やっぱり正式の国家賠償をしろ」といってきたので、話がややこしくなりました。これはできません。なぜなら1965年の日韓基本条約で「1945年以前に起こった問題の個人への賠償は韓国政府がやる」と決まっているからです。わかりやすくいうと、 日本政府→韓国政府→被害者 という形でお金が流れることになっていて、日本から韓国へはすでに5億ドルのお金が渡ったので、慰安婦のみなさんへの賠償は韓国政府がするのです。これは韓国も合意した上で、1965年に決まったことです。それをひっくり返していたら、条約は意味がありません。 朝日新聞が引くに引けないのはわかりますが、こうやって何も知らない神奈川新聞が言い訳までまねするのは困ったものです。おまけにNYタイムズの記者がこれを「必読!」といってすすめるんだから、マスコミの質の低下は世界的に深刻ですね。 以下も、同じく9月18日12時46分配信「アゴラ」の記事からのコピー。
朝日の謝罪で、状況は急速に変化している。「強制連行」が崩れたおかげで、反対派の論拠は「女性の人権」しかなくなった。その中で唯一、検討に値するのは「アジア女性基金で民間からの拠出によってまかなった償い金を政府予算で拠出することを核とするスキーム」を創設するという東郷和彦氏(http://blogos.com/article/94523/)の意見である。 これは具体的には、2012年に野田首相が李明博大統領と合意に達した「償い金」のようなものをさしていると思うが、それで問題が解決するとは思えない。河野談話やアジア女性基金のときも、金泳三大統領が了解し、両国の合意で決めた「示談金」を無効にする韓国に対して、何度カネを出しても同じことになる。 そもそもアジア女性基金が――条約局長だった東郷氏も知っているように――日韓の請求権問題を完全かつ最終的に解決するという日韓条約に違反するぎりぎりのところで、国内でも「一度条約を破ったら、二度も三度も出てくる」という反対論が強かった。それを押し切って村山政権がやったのだ。このときの外相も河野洋平氏である。 NYTの田淵記者などは、この経緯を知らないので「女性の人権」ばかり問題にしているが、軍が売春婦を使っていたことは既知の事実で、その多くが人身売買によることも明らかだった。それは1992年に、日本政府が謝罪したのだ。ところが韓国メディアが「強制連行を認めろ」と騒ぎ、韓国政府が「強制性を認めれば政治決着する」と要求したのに対して出した、ぎりぎりの妥協が93年の河野談話だった。 ところが、これが逆に「日本は軍の強制連行を認めた」という話になって、「日韓条約のときは知られていなかった新事実が出たのだから条約以外の国家賠償をしろ」と韓国が要求し始めたのだ。田淵記者は嘘がばれたら「強制連行なんかどうでもいい」というが、争点は一貫して強制連行だった。女性の人権だけなら、1993年に終わっていたのだ。 これは普遍的な人権問題ではなく二国間の請求権問題であり、それはアジア女性基金ですべて終わっている。韓国政府が強制連行の主張を引っ込めるなら、河野談話を見直す必要もなく、歴史の検証も必要ない。「強制連行はなかったが人身売買はあった」というのはすべての歴史家の合意する事実であり、20年前からわかっているからだ。 「強制連行は不問」ということで朝日やNYTなどの意見が一致するなら、あとは韓国政府の問題だ。朴槿恵(http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0HC01P20140917)大統領は「慰安婦問題で日本側の勇気ある決断が必要だ」と言っているが、これが償い金のようなものを意味するなら、拒否して「国際司法裁判所でやろう」といえばよい。司法の場で、完全かつ最終的に決着をつければいいのだ。 | ||||
2014年9月25日(木) | ||||
以下は、ニッケイ新聞にあった「勝ち負け小説『イッペーの花』=元サ紙記者紺谷さんが上梓=ニセ宮や桜組挺身隊に焦点」という本の紹介文のコピー。
「アンタには、宮様の血が流れとるがやちゃ」――子供の頃、おばあさんのつぶやいたそんな一言が心の奥底にひっかかっていた達也(主人公)は、彼女の死に直面した機会に、自らのルーツを確かめにブラジルを訪れる。そんな不思議な場面から始まる小説『イッペーの花』を、元サンパウロ新聞記者で、現在札幌在住のジャーナリスト紺谷充彦さん(49、富山県)が7月末に無明舎(秋田県)から上梓した。 勝ち負け抗争を扱った作品は、小説や映画、ノンフィクションを問わず、一連の暗殺事件を中心とした筋書きになりがちだ。ところが紺谷さんは、同抗争の中でも異色な逸話「ニセ宮事件」と「桜組挺身隊」に焦点を当てた。 祖母が帰国後に伯国とやり取りしていた手紙だけを頼りに、来聖した達也が親類を探すと老人ホームにいた。その益田は「日本のラジオが聞ける」という言葉に強く反応し、物語の舞台は一気に70年前の臣道聯盟の事務所に移り、当時の様子を再現する興味深い描写が次々に現れる。 元邦字紙記者だけに、シッポーのキヨ農場をまるで見て来たかのような迫真の情景描写で書き、当地在住者が読んでも違和感が少ない。 東京では「現代の〃勝ち組〃」を目指して詐欺まがいのネット商法で日銭を稼ぐ拝金主義だった若者が、当地で移民と触れ合う中で、徐々に「人生にとって本当に大事なものは何か」「本当の勝ち組とは何か」をじっくりと考え始める―という独自の展開だ。 紺谷さんは本紙への手紙で《思えば、この作品の道のりは長かった……。15年前、「勝ち組」の人にインタビューしたときに構想を思いつき、それから機会あるごとに取材して、作品の原形を書き上げたのが10年ほど前になります。できあがった作品を、いくつもの文学賞に応募したのですが、ことごとく落選。それでも諦め切れず、構成を練り直したり、加筆したりしながら挑戦を続けてきました》と執筆につぎ込んだ執念のほどをしたためた。 当地でも太陽堂、竹内書店、高野書店などの日系書店で注文をすれば入手可能。日本では無明舎(www.mumyosha.co.jp)まで注文を。 | ||||
2014年9月26日(金) | ||||
先週の金曜日に、サンパウロ在住のメル友の鎌谷さんからこんにゃく芋と小芋の種芋が届いた。これらは畑で栽培するためのものだけれど、大きめのこんにゃく芋2つは、こんにゃくを作るためのものとして送ってくださったという。こんにゃくなんて作ったことないけれど、後日作り方をメールで送ってきてくださった。ちゃんとできるかなあ・・・?興味津々。これらの芋が届いたので、長らくさぼっていた畑仕事を頑張らなければならない。まず、畑の草を取って、ご近所の放牧地から牛糞を拾ってきて、新しい土と混ぜて、畑の土の準備をしなければならない。でも、水曜日から雨続きで、作業を開始できないでいる。次の写真は、送られてきた種芋。種芋というものがこんな風に枯れたようなものだということは知らなかった。いまだに農業初心者なので、知らないことばかり。
そして、今週の火曜日には、もうひとつの宝船が着いた。これは、今回の日本への旅行で、スーツケースに入りきらないものを小包にして、広島から郵便(航空便と船便の中間のSAL)で発送したもの。いつもは4週間くらいで届くのだけれど、今回はちょうど6週間での到着となった。私の英語のクラスで使おうと思って買ったテキストや問題集、スリッパ、トイレカバーとマット、常温保存の音戸ちりめん(広島名産のちりめんじゃこ)、ヘアークリームに洗顔クリーム、片栗粉、綿棒、辻さんの奥さん手作りの花のオーナメント、喜ちゃん手作りの台所で使う毛糸のスポンジなどなど、ここでは手に入らない貴重なものばかり。無事に届いて良かった。
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2014年9月27日(土) | ||||
21日(日)の夜明け前、はるが起きて嘔吐した。でも、夕飯を食べてずいぶん時間が経っていたので、お腹の中には何もなく、嘔吐したのは白っぽい液体(つまり胃酸?)だけ。そのせいか、その日の朝とお昼はあまり食欲がなく、少ししか食べなかった。それでも夕飯はいつも通りに食べたので、大丈夫かなと思っていたら、翌朝はまったく食事をしなかったので、エドソンがお腹の薬や痛み止めを飲ませた。そうしたらお昼も夕飯も普通に食べるようになった。オシッコやウンチはずっと正常で、お散歩も毎日元気にするので、あまり心配していなかったのだけれど、24日の夜明け前、また嘔吐して、朝一番のオシッコの際に再度嘔吐したので、朝食後にペットクリニックのポリヴェットに連れて行き、ドトーラ・ヴィットリアに診てもらった。どうやら夕飯の後で与えていたスティックが良くなかったらしい。これまでは白いスティックを与えていたのだけれど、それがなくなったので、パオン・ジ・アスーカーで新しいものを買った。でもいつもの白いスティックがなかったので、牛肉味という赤いスティック(以下写真)を買った。でも、こういうスティックには脂肪がたくさん含まれていて、赤い色は合成着色料なので、あまり体に良くないのだとドトーラ・ヴィットリアから聞かされた。はるはいつも私手作りの食事か、ヴィラ・シーコで使っている質のいいドッグフードを食べているので、こういうジャンクフードは体に合わないのだと納得。このスティックを食べると歯垢を取って歯にいいということで与えていたのだけれど、お腹を壊したのでは元も子もない。ポリヴェットで注射を打ってもらい、4日分の薬を処方してもらい、スティックを与えることを止めたので、以後は嘔吐はしなくなり、食欲も戻り元気にしている。
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2014年9月28日(日) | ||||
水曜日から雨が降り始め、毎日雨が降ったり止んだりの状態が続いている。雨の合間にたまにうっすら日が差すこともあるけれど、太陽はほぼ顔を出さない。今朝は日差しはないけれど、外は明るく、気象レーダーサイトを見るとサンパウロ州内に雨雲は見られない。ただ、予報によると、今日も含めてこの水曜日まで毎日雨だという。長い間、雨がめったに降らず、干ばつのような状態が続いていたのに、春の訪れと共に、一気に雨期がやってきたようで、この極端な変化に戸惑っている。恵みの雨もあまり降り続くとありがた迷惑と思えるから、我ながら勝手なものだと思う。先週雨が降り出す前に、はるとお散歩をしていたら、防風林の外側の電信柱の側のサンタ・バーバラという木に花が咲いているのを発見!近づいて見るとピンク色のような、薄紫色のようなつぼみをたくさんつけている。次の写真は、そのサンタ・バーバラの木の枝の一部。左上の枝先の葉の間にたくさんつぼみをつけているのだけれど、写真ではあまり良く見えない。枝の途中で花開いている部分をアップで撮影したのが2枚目の写真。庭のイペーの木同様、このサンタ・バーバラの木が花を咲かせたのは今年が初めて。「石の上にも3年」などと言うけれど、この我が家で暮らし始めて4年余り。少しずつ植えた木々が、2年、3年、4年と年を重ね、ようやく花を咲かせるようになって来ていることをうれしく思う。
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2014年9月29日(月) | ||||
エドソンはティラミスが大好き。日本で暮らしていた頃は、1人分がカップに入った、スーパーで安く売られているタイプのものをよく食べていた。でも、ブラジルに来てからはスーパーなどでそのようなものを見かけることはなく、この田舎町周辺のレストランでも出会ったことがなかった。今回イギリスに行った際、経費節約のために、夕飯はレストランではなく、ホテルの側にあったスーパーで食料品を買って、ホテルの部屋で食べたのだけれど、その際、日本のスーパーで見かけるような1人分ずつカップに入ったティラミスを見つけて、2日続けて食べたことがあった。それでエドソンのティラミス好きが蘇ってしまったようで、今月上旬、ボトゥカトゥのスーパーに行った際、エドソンがマスカルポーネを見つけてきて、これでティラミスを作ってと言い出した。ティラミスなんて作ったことないから、作り方がわからない。マスカルポーネがあればできるというものでもないだろうし・・・などと思いつつ、何だかんだと忙しくて、先延ばしにしていた。でもこの週末、ようやく重い腰を上げて、インターネットで作り方をいろいろ見てみた。スポンジケーキとティラミスクリームさえ作ればできるということがわかり、 一番簡単そうなティラミスクリームの作り方で作ってみた。出来上がった時は、見た感じはなかなか良くできたと思ったのだけれど、作ってから食べるまでの間、ラップをかけて冷蔵庫に入れておいたら、クリームの上にふったココアパウダーがべちゃべちゃに解けてしまっていて、ちょっとがっかり。でも、味はちゃんとティラミスだった。食べてみるまで自信がなかったので、「味は保証の限りではありません」と、エドソンに断って出したのだけれど、食べ終わったエドソンが、居間のソファーにいる私のところまで来て、「ティラミスだ!ティラミスだ!」と言って、手を叩いて、褒めてくれた。バンザ~イ!
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2014年9月30日(火) | ||||
野菜畑の南側に張った金網の木枠の上、うっそうと茂ったマラクジャ・ドスィの葉の間に、野バトが巣を作って、卵を暖めているのをエドソンが発見!日曜日のお昼前、 ほんの短時間だったけれど、うっすらと日差しが出てきたので、脅かさないように、エドソンがそっと写真を撮ってきてくれた。あまり近くに寄れないので、これが精一杯のアップ。野バトが巣の上に座っているのが見える。この他、庭のクアレズマの木の枝の間にも、ハチドリが作った巣の中にヒナがいるのだけれど、そちらの方はあまり近くに寄ると母鳥が巣を放棄する危険性があるとエドソンが言うので、邪魔をしないようにと、写真を撮りに行っていない。
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