Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2014年6月1日(日)

30日の金曜日は、エドソンのビザ申請のためにサンパウロの日本総領事館に行った。ビザの申請を受け付けてくれるのは午前中だけなので、朝5時前発のバスで行かなくてはならず、午後帰りのバスまでに時間的なゆとりがあるので、前もって前園さんに連絡をしてお昼をご一緒することにした。次の写真は、総領事館での朝一番の申請を終えて、少し買い物をした後伺った前園さんの事務所で、エドソンが撮ってくれたもの。向かって左側が前園さん。右側は広川さん。広川さんは、天国に行く虹の橋の袂で、先に亡くなった愛犬が待っているから必ず会えるという先住民の言い伝えについて楽書倶楽部に書いておられた方。私がサンパウロに出てくることがわかり、前園さんが広川さんにも声をかけてくださったお陰で、初めてお目にかかることができた。彼女もご主人がブラジル人で、来伯10年と言うことだった。書棚には以前この事務所を前園さんと一緒にされていた野口さんや、去年亡くなられた中村さんの遺影も飾られていた。

次の写真2枚は、リベルダージの前園さんの事務所近くにあるニッケイパレセホテル地下の日本食レストランで撮ったもの。前園さんが連絡しておいてくださった大西さんもここで合流してくださり、5人で一緒に楽しくおしゃべりをしながらお昼をいただいた。ここは何故かいつも空いているから何人かが集まって、おしゃべりしながら食事をしたい時は、絶好の場所なのだとか。この日も私たちを含めて3組しかお客さんがいなかった。料理の味は悪くないのに不思議なんだと大西さんが言っておられた。金曜日の日替わり定食はとんかつ定食で、エドソン以外はみな定食を頼んだ。とんかつ定食と言っても、とんかつだけではなく、野菜の煮物、さしみ、きゅうり巻、野菜の酢の物、ご飯にみそ汁に果物のデザートまでついていた。ブラジルに来て初めてちゃんとした日本食レストランで食べる定食に、私は舌鼓を打った。おさしみが好きなら私のも食べなさいと言って前園さんが彼女のおさしみを私にくださるものだから、お腹がパンパンになってしまった。朝、バハフンダに到着してから大きなポン・ジ・ケージョを二つも食べたエドソンは、お腹が空いていないと言って、冷や奴とイカのフライとビールを頼んで、ビールは大西さんとふたりで乾杯していた。この食事の後、私たちは午後2時発のバスでパーディーニョに向け戻り、はるをヴィラ・シーコに迎えに行き、帰宅した。用事も無事済ませることができ、とてもいい一日だった。

2014年6月2日(月)

2014年4月29日から5月17日にかけて、ニッケイ新聞紙上に、『島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一』という14回 の連載記事が掲載された。これは戦後ブラジル日系社会で起こったいわゆる「勝ち組と負け組」の抗争の発端となった認識派襲撃に関わった十数人の内の唯一の生き残りである日高徳一氏(88歳)が、多くの無実の日系人と共に送られたアンシェッタ島での体験を綴ったもの。歴史的に貴重な証言記事だと思う。この連載記事のサイトは、こちらへ

2014年6月3日(火)

金曜日にリベルダージの前園さんの事務所に伺った際、「エリンギ食べる?」と聞かれて、ブラジルに来てからエリンギなんて見たこともないと言ったら、2パックあるから持って帰ってと言われた。そして、大きくてきれいなエリンギの入ったパックを2ついただいた。こちらは何の手土産もなく手ぶらで伺ったのに、恐縮しきり。ブラジルでは日本よりも立派なシイタケが手に入るけれど、その他にはシメジと称して、本物のシメジではなく、似たものが販売されている。それできのこ類を使う料理はもっぱらシイタケとシメジもどきを使うだけで、エノキやエリンギはまったく見たことがなかった。リベルダージでは本当にいろいろなものが手に入るんだなあ・・・。例えば、販売されているお米の種類もボトゥカトゥのウエノでは2~3種類しかないけれど、リベルダージの丸海では10種類以上ある。いただいたエリンギのひとパックで今晩炊き込みご飯を作ることにした。そして、後のひとパックでは何を作って食べようかなあ・・・?と、あれこれ考えを巡らせている。

2014年6月4日(水)

次の写真は、去年の7月初めに庭の東側から撮った我が家と庭の様子。そして、2枚目の写真は、撮影場所が松の右側か左側かで、ほんの少し違うのだけれど、この月曜日に撮った我が家と庭の様子。1年でだいぶ庭の木々が大きくなって、家が隠れるようになってきている。ほぼ中央のフランボヤンの木や、その後ろのヒメシマダケやユーカリの木の成長は著しい。足元のアメンドインも1年前と比べるとだいぶ広がってきているのがはっきりとわかる。

2014年6月5日(木)

火曜日の朝、朝食を食べながらエドソンが、インターネット上の新聞に、ジウマ大統領がリオデジャネイロ国際空港の改築工事完成の落成式を行ったというニュースがあったけれど、実はこの空港の改築作業はまだ完了しておらず、エレベーターやエスカレーターも動くようになっておらず、完全に改築作業が終わるのはW杯が終わってからになる予定だとあったと言ってあきれていた。まだ完成してもいないものの落成式をこれまでもジウマはあちこちでやってきているのだけれど、完成していなくても、落成式をしたというニュースに一般の人たちは簡単に騙されるんだろうなあと思った。『現地実行委員会(COL)のロナウドが23日に「W杯の準備が遅れており恥ずかしい」と発言し、ジウマ大統領が24日に「恥ずかしいと思う理由なぞない」と反論した事は記憶に新しいが、27日にはアウグスト・ナルデス国庫庁長官が「空港のトイレを使うたびに、(ヨーロッパの空港のトイレと比べてしまい)恥ずかしさを覚える」と発言している』という記事もニッケイ新聞にあった。ジウマの鉄面皮は相当なものだなあと思う。「ジウマは本当に恥を知らない。これでよく恥ずかしくないと言えるものだ」とエドソンは嘆いていた。さらに、民主主義の原則は三権分立であるにも関わらず、ジウマは秘密裏に司法を労働者党の管理下に置く法律を通そうとしたということも発覚し、まるでベネズエラのチャベスがやっていたような独裁の道に進もうとしているようで、恐ろしい。このままだと本当にブラジルは危ない。今年の大統領選ではぜひともジウマにも労働者党にも政権を離れてほしいと切に願う。

2014年6月6日(金)

一昨日の水曜日は、日本総領事館で交付されるエドソンのビザを受け取るために、またサンパウロに出かけて行った。金曜日に申請したビザが交付されるのは次の週の水曜日。そして、受け取りができるのは午後2時から4時までのみ。午後1時半には総領事館に着いたのだけれど、事務所の中から時々聞こえてくるスタッフの笑い声を聞きながら、私たちの他には誰もいない待合室でしっかり午後2時まで待たされた。ビザを受け取って、すぐにリベルダージの前園さんの事務所に伺い、コンピュータとプリンターを使わせていただき、カナダのビザを申請するための申請書を印刷させていただいた。カナダの申請書は手書きは認められず、コンピュータ上で入力したものを印刷したものでなくてはいけないのだけれど、エドソンが新しいパスポートの番号や発行日などを書き留めて置かなかったため、申請書を完成させることができたかったので、前園さんに助けを求めた次第。ブラジルで頼れるものは日系コロニアの友人だとつくづく思った。その日、前園さんは同人の大羽さんに手伝ってもらいながら「楽書倶楽部」の発送準備に忙しくしておられた。前園さんには感謝。感謝。

バタバタと前園さんの事務所に伺い、挨拶もそこそこにバタバタと印刷を済ませてからすぐに失礼して、地下鉄などを乗り継いで、午後3時半過ぎにベヒーニにあるカナダへのビザ申請を受け付ける事務所に到着。エドソンの受付番号の前には3組の申請者しかいなかったのに、何とエドソンの順番が来るまでずいぶん待たされた。ようやくエドソンの順番が来て、手続きを終えて事務所を出ると、午後5時半を過ぎていた。次の写真は、ベヒーニの電車の駅のプラットホームから写した街並み。この写真は、プラットホーム上から北東を撮ったものだけれど、私たちが行った事務所のあるのは南東で、このビル群よりもさらにきれいなビル群が並んでいた。ちょうど夕方のラッシュアワーで、道路は車で溢れていた。

次の写真は、プラットホーム上で反対側(西側)のピニェイロス川の方を向いて撮った街並み。大きなビルもあるけれど、川の東側のように高層ビルばかりではなく、普通の住宅街も見える。このピニェイロス川がとても汚染されていて、匂いがひどいので、きれいな高層ビル群との大きな落差を感じる。前回来た時は、このベヒーニの駅に降りてから悪臭に気づいたのだけれど、今回はピニェイロス駅で地下鉄からピニェイロス川沿いの地上を走る電車に乗り換える際、すでにこの匂いがすることに気づいた。地下鉄のピニェイロス駅は地下4階という地下深いところにあるのだけれど、乗降客が匂いを運んで来るんだろうなと思った。そして、地上を走る電車の中でも、川沿いに走っているため、ずっと匂いがしていた。

2014年6月7日(土)

以下は、ニッケイ新聞2014年6月3日付けのイベント情報記事のコピー。先週の金曜日にサンパウロでお昼をご一緒した広川さんが、私たちはボトゥカトゥの隣町に住んでいると言うと、ボトゥカトゥと言えば、知り合いの女性が援協のお見合いパーティーで出会って意気投合した2世の男性と一緒に暮らし始めたのだけれど、その後何かでもめて、男性がしばらくボトゥカトゥに移り住んでいたことがあった。そして、また今ふたりはサンパウロで一緒に暮らしているんだと話しておられた。「へえ~、お見合いバーティーなんてものがあるんですか?」と驚いたら、そのパーティーには2世のお医者さんとか結構いい人たちが集まるらしいと言っておられた。そうしたら、3日付けで以下の記事があったので、「ああ、これかあ~」と、何だかこのお見合いパーティーが身近なものに感じられて、おかしかった。

日系人との出会いの場に=援協お見合い会、15日

サンパウロ日伯援護協会(菊地義治会長)による「第47回お見合い会」が、15日午前9時から援協本部(Rua Fagundes, 121, Liberdade)5階の「神内ホール」である。申込締め切り13日。
日系、非日系は問わず、主に日系人との結婚を希望する人が対象。参加費はお見合い会会員80レ、非会90レ。
昼食やゲームなどを楽しみながら、参加者同士の交流を深める。毎回5組以上のカップルが誕生している。前回は男15人、女17人が参加。30~50代、自営業者や高学歴の男性が多く参加するという。
案内のため来社した援協の坂和三郎副会長、心理師の久保エリオさんは「出会いの場としてぜひ。息子、娘さんにもお勧めください」と参加を呼びかけた。
申し込みは援協福祉部(11・3274・6518)まで。

2014年6月8日(日)

水曜日に前園さんの事務所に行った際、「これ今月の『楽書倶楽部』、持って帰って」と言って、2014年6月15日発行の「楽書倶楽部」第23号をいただいた。発送準備をしているところに私が行ったものだから、ちょうどよかったと手渡してくださったのだ。郵便料金が節約できてよかったなと思った。以下は、この号に掲載された私の文章のコピー。

日本人の自然観

三年余り前、東日本大震災で被災した人たちの様子を見て、世界の人々は驚いた。他の国々では、このような大きな自然災害があると、被災者は泣き叫んだり、救援隊に何故もっと早く来なかったと怒りをぶつけたり、救援物資を我先に取り合ったり、商店などへの略奪行為が普通に行われるのに、そのようなことはなく、みな静かに悲しみに耐え、助け合いながら粛々と避難生活を送っていたからだ。

あれだけ悲惨な状況で、日本人は何故あんなに穏やかでいられるのか?何故、悲しみや怒りをあらわにすることなく、混乱や略奪などがないのか?というような問いを、複数の人から投げかけられた。それが日本人の国民性なのだと言っても、では、その国民性は一体どこから来ているのか?となると、おそらく日本人の宗教観や自然観から来ているのだろうけれど、それをうまく言葉にして説明することはできなかった。

日本人は、自分は無宗教と言う人が少なくない。でもそれは西欧的、一神教的な意味合いの宗教を特別に信じているわけではないということであって、本当は日本を取り巻く自然環境や伝統文化の中で生まれ育つことで、無意識のうちに非西欧的で、日本的な自然観というようなものを身につけて行くのではないだろうか。その自然観は日本人の芯の部分を形成しているので、宗教観と言ってもいいのかもしれない。ただ、一般に日本人はそれを宗教とは認識していないだけのような気がする。

例えば、日本人は「いただきます」と言って食事を始める。この言葉にどんな意味があるのか幼い子どもは理解していないかもしれないけれど、日々繰り返し手を合わせ、その言葉を口にしながら成長することで、自分たちは大自然の恵み、つまり他の命をいただいて、自分が生かされているという意識や、自然への感謝の気持ちを身につけて行く。日本人の宗教観や自然観は、一神教のように教義として教えられるものではなく、日々の暮らしの中で触れる伝統文化や、繰り返される日々の暮らしの中で、言葉よりも行動で、ほとんど自覚されることなく、何となく漠然と身について行くものなのかもしれない。

このようなことをいろいろ考えながら、その後、宗教学者の山折哲雄氏が震災後に書いた「絆 いま、生きるあなたへ」という本を読んだ。その中で山折氏は、日本人が災害に見舞われても穏やかでいられるのは、何千年、何万年の長い間災害とともに生きてきたので、「そのような環境に慣れ、そして耐えることを学んできたからではないか。そのようなライフスタイルの中から一種の落ち着き、諦めのような覚悟さえもが育まれるようになったのでは」と言っている。そして、「日本人の自然への随順、風土への適応という態度のなかに、仏教の無常観に通ずるもの」があり、「数かぎりない地震や風水による災害をくぐり抜けることで、『天然の無情』という感覚がつくりあげられた」という、地震学者の寺田寅彦の言葉を紹介している。

この無情の感覚は日本人の宗教観や自然観と深くつながっていると山折氏は言う。無情には暗い無常観と明るい無常観とがあり、暗い無常観が、滅びゆくものに対する無限の同情と共感の涙を流すことだとすれば、明るい無常観というのは、「春に花が咲き、秋の季節を迎えて紅葉と落葉が訪れる。そして冬になれば、木枯らしが吹く。けれども年をこせば春がまためぐってきて花が咲く。たえまなく甦(よみがえ)り、循環していく自然の移ろいが、われわれの人生に彩りをそえる。それがいつしか生きる支えになっていく。ねばり強く、そしてどこまでもやわらかな、たおやめぶりの忍耐心」だと説明している。

つまり、日本には台風や地震など、他の国とは比べ物にならないような厳しい自然環境がある一方、美しい森と豊富な水に恵まれ、美しい四季もある。繰り返し襲ってくる自然災害に見舞われても、人々はひとつの土地に踏みとどまって、春の訪れを信じて、農耕を続けてきた。その歴史の中で、自然を攻撃的、征服的にコントロールする生き方ではなく、自然を受容して順応する生き方を体得するようになったということだろう。そして、自分自身の命が終わりを迎えても、家族を通じて未来に向かって、その命はつながって行くという明るい無常観を持つようになったのかもしれない。

昔、私はアメリカ中西部の小さな町の大学で学んだ。その大学はルーテル教会系の学校だったので、卒業するためには宗教のクラスの単位を二種類取得することが必須だった。それで前期に旧約聖書を取り、後期に世界の宗教を取った。世界の宗教というクラスでは神道や仏教についてもごく簡単に触れた。その際、キリスト教信者と思われるアフリカ人の男子留学生が、「神道ではこの木に神がいる。あの山に神がいる。あそこにもここにも、そこらじゅうに神がいるというけれど、おかしくないか?」と質問してきた。そのクラスで日本人は私ひとりだったため、神道は自然崇拝だから、自然の中に神の魂を感じるのだとか何とか心許ない説明をしたように思う。今になって思い返すと「キリスト教では全能の神が万物を創造したというのだから、神が創ったものに優劣などはないはず。そのすべてが神聖で、その神聖なものの中に神の存在を感じることがそんなに不自然で違和感を感じることなのか?」と反論していたら、彼はどんな反応をしただろうかと思う。

私たち日本人の自然観は、日々の生活に密着した、空気のようなもので、自覚していなくても、しっかりとそこにあり、日本人の国民性を形成しているもののような気がしてならない。

2014年6月9日(月)

先日、サンパウロでお昼をご一緒した大西さんに、レストランで撮った写真を添えてお礼のメールをお送りしたら、ボストンテリアの愛犬ハチ君の写真(以下)を添えて、ご返事をくださった。ハチ君は人見知りで、家では傍若無人だけれど、外ではおとなしいという典型的な内弁慶だそうで、うちのはるとは正反対の性格のようだ。はるは私たちと家にいる時は、とてもいい子でおとなしくしていられるようになったけれど、外から人が訪ねてくると大興奮だし、お散歩などで一歩外に出るとうれしくてうれしくて、小さな体なのにものすごい力で私たちをぐいぐいと引っ張る。リードがなければどこへ飛んで行くかわからないような子だ。そして、人見知りをせず、誰とでも遊びたがる。だからヴィラ・シーコではみんなに愛されている。大西さんは、犬好きの人に悪い人はいないと固く信じておられるようで、同じ愛犬家同士ということで、私たちにとても優しくしてくださる。広川さんも私たちがモビを失くす半年余り前に、年老いた愛犬を失くされているので、お互いの犬のことでずいぶん盛り上がった。

2014年6月10日(火)

エドソンがエリゼウからもらって、彼と一緒に庭に植えた竹の一種に花がひとつ咲いたんだけれど、「あれは竹じゃなくて、ランの一種なんじゃないかなあ・・・?花の形がランそっくりなんだ」というので、写真を撮りに行ってみた。でも、次の写真のように、花はなく、つぼみしかなかった。エドソンに「花はなくて、つぼみしかなかったけど・・・?」と言うと、「しおれて落ちたのかもね」と言う返事。竹に花が咲くなんて聞いたことないので、これは竹の一種ではないのでは・・・?と思う。でも、ランの一種かどうかも少々疑問・・・次の写真は、ひょろひょろとしたその植物。2枚目は、その枝先のつぼみ。

2014年6月11日(水)

次の写真は、オレンジを絞ってジュースを作る際の、我が家の台所の流し台の状態。台所の流し台の作業スペースは狭いので、洗ったオレンジと、まな板の上で半分に切り、種を取り除いてこれから絞る状態のオレンジと、右に絞り機を置くと、もう一杯一杯。うちでできるオレンジには何種類かあるのだけれど、今の時期、右側の赤みを帯びたルビーオレンジと、左側の黄色いオレンジが収穫できる。黄色いオレンジの方が酸味が強いので、ルビーオレンジと混ぜるとちょうどいい感じになる。だいたい一度に絞るオレンジの数は、その大きさにもよるけれど15個前後で、約1.5リットルの容器が一杯になる。故郷に帰ったエリゼウは、うちで毎日のように飲んだこのルビーオレンジの味が気に入り、実家にも植えようと、帰る前にボトゥカトゥの苗やに行って数本買って、荷物と一緒にトラックに積んで持って帰って行った。

2014年6月12日(木)

野菜畑に植えたホゼリア(rosélia)が大きくなり、今たくさんつぼみをつけている。数日前から花が開き始めたので写真に撮ってみた。初めて見るホゼリアの花は、オクラや芙蓉の花に似ている。このホゼリアはハナウメ(flor de ume)という名前で、花芽かがくの部分(正確にはどこの部分なのかわからない)を漬けたものがウエノで時々販売されている。柴漬けのような色や味で、エドソンも私も気に入っている。それで買い置きがなくなりそうになると買っておくようにしている。でも、いざこのホゼリアを我が家の畑で育てたはいいけれど、どこをどのように収穫して、どうすればあの柴漬けのような漬物になるのかわからないので、宝の持ち腐れ状態。でも、花だけでも楽しめるのだから、まあ、いいか・・・?

先週の木曜日のお昼過ぎに、ここは短時間だったけれど激しい雨が降った。以後、雨は降っていないのだけれど、曇りがちのあまりすっきりしないお天気が火曜日まで続き、水曜日にようやくお天気が回復した。この変なお天気は、サンパウロ州の南のパラナ州やサンタ・カタリーナ州に居座る大きな雨雲の影響だったらしい。これらの州では、集中豪雨による大きな被害が出ているというニュースが、今週の初め頃伝えられた。そして、この時期は乾季で比較的水量が少ないはずのイグアスの滝もすごいことになっていて、普段、観光客が歩いて滝を見る遊歩道も水で洗われているというニュースを、エドソンがネット上で見つけたので、その写真をここに掲載してみた。

2014年6月13日(金)

昨日、サッカーW杯が開幕した。先週の土曜日の夜のテレビニュースで、「W杯まであと5日。今日、メキシコと日本のチームがサンパウロに到着」とその映像を流して伝えていた。メキシコチームはサンパウロのグアルーリョス空港に、日本チームはカンピーナスのヴィラコッポス空港にそれぞれ到着したということだった。そして、昨日の開幕日は、午後3時からサンパウロの競技場からのライブ中継があったので、エドソンとふたりテレビの前に座って見てみた。何だかW杯版カーニバルという感じのオープニングだなと思った。でも、音源から直接音を取っていないようで、競技場の騒音に邪魔されて音楽がクリアでなく、歌の音声がずれていて、ちょっと変な感じだった。ブラジルが初めてW杯を開催したのは1950年。今回は2度目の開催で、昨日付けのニッケイ新聞の記事によれば、「開催地の工事完了は50%」という状態でのスタートとなったのだけれど、1950年の時も、開幕日にオープニングセレモニーと最初の試合が行われたリオデジャネイロのマラカナン競技場はまだ完成していなかったというから、今回もこんな状況での開幕となっても驚くにはあたらないのかも・・・

6月12日付けでニッケイ新聞に「W杯いよいよ本日開幕=開催地の工事完了は50%=聖市では6万人が大移動」という記事があった。この記事のサイトは、こちらへ

W杯でブラジルが試合をする日は、ブラジルでは半日お休みになる会社が多い。ジミーの会社もそうで、昨日のオープニングセレモニーの後はブラジルが初戦を戦ったので、仕事は午前中だけで、午後からお休みになり、来週の17日の火曜日はブラジルの二戦目があるので、また午後から半ドンになるという。ジョズエはサッカーに興味がないので、家に帰っても試合を見るわけではないけれど、夕方までひとりでオフィスに残って仕事をするのも嫌だし、家がボトゥカトゥなので、一度帰宅して、またレッスンのためにパーディーニョに出てくるのもしんどいので、うちでのレッスンはお休みするということだった。へナトは毎週日曜日の朝、友達とサッカーをするのが日課というサッカー好きなので、家で家族と一緒に開会式と試合を見ると言っていた。ブラジルチームが勝ち続ければ、仕事が半日お休みになる日が続き、ブラジルの人たちは仕事に身が入らない日々が続く。

次の写真は、エドソンが「竹ではなくてランじゃないだろうか?」と言っていた植物のつぼみ(10日付けで写真を掲載)が、昨日の朝開いていたので、写真に撮ってみた。色も形もカトレアそっくり!やはりランの一種なのかなあ・・・?ちなみに、横浜の従兄がブログを読んで「竹も花を咲かせますよ。ネットで調べてごらん」とメールをくれたので、調べて竹の花の写真を見てみたけれど、竹の花というのはこんなカトレアのような花ではなかった。

2014年6月14日(土)

広島の友人のひとりがいつも送ってくれる「暮らしの手帖」には、簡単で作りやすいお料理がいろいろ掲載されていて、とても助かっている。作り方が簡単でも、ここでは手に入らない和食の材料が使われている場合は、作ってみることはできないけれど、デザート系のものは材料が手に入らないということはあまりないので、よく作ってみている。次の写真は、先日作ったフルーツコブラー。焼きたてのアツアツを食べるのがおいしいので、焼き上がったものではなく、焼く前の準備ができた状態をパチリ。2枚目の写真は、「暮らしの手帖」の中の作り方が乗っているページの出来上がりの写真(右側)。

2014年6月15日(日)

以下は、ニッケイ新聞2014年6月10日付け「コラム 樹海」からの転載。裁判所がサンパウロの地下鉄ストを止めるよう命令を出しても、その命令を無視したストが、火曜日まで続たけれど、その後はストが行われていない。12日のW杯の開幕日もストをすると言っていたのが、警察の強制排除のようなことが行われて、ストにはならなかったようだった。そもそもこの労組はルーラが作ったものだという。それがPT(労働者党)に反旗を翻しているのだから皮肉なものだと思う。でも、他の党に勝るとも劣らないPTの腐敗は止まるところを知らないのだから、当然か?

『6日午後、同日起きた労組のフォルサ・シンジカルによる抗議行動の写真を見て、現政権への不満の大きさを感じた▼元来、5~6月は給与調整などの理由でストが多発する時期だが、 今回のデモのテーマは現政権の経済政策とW杯への公的資金投与のあり方への反対だった。「PT(労働者党)出て行け」「汚職は真っ平、ジウマもやめろ」「がっかりだ! ジウマ政権は伯国を止めている」などと書かれた横断幕が各所に見える▼特に驚いたのはルーラ前大統領の出身母体というべき金属労組が生産部門への支援策への不満をぶつけた横断幕だった。あの金属労組もPT政権に反旗を翻したのかと考えさせられてしまった▼ルーラ政権が経済活性化計画(PAC)を発表した時の総責任者で、「PACの母」の呼び名ももらったジウマ大統領。だが、PAC事業の遅れが財政負担増を生み、払えないまま次年度、次々年度に繰り越された事業費が予算を圧迫し、年度始めに緊縮財政策を採る事を余儀なくされるという悪循環は年々顕著になっている▼労働者党政権でありながら、労組から反発を受けている矛盾。大統領選前に必死に共闘体制を強化しているはずのPTが何か大きな忘れ物をしているような錯覚を覚える▼PTは選挙戦の度にルーラ政権とカルドーゾ政権の経済成長率などを比較し、自分達がどれだけ優れているかを強調してきた。だが、ジウマ政権ではW杯開催を前にしても経済成長が低迷し、インフレ昻進中だ。昨年のコンフェデ杯や今年のW杯前の抗議行動多発は単なるデモではなく、国民の不満の高まりの表れと再認識しなければ、PTに期待されたはずの改革は起こらない。(み)』

2014年6月16日(月)

次の写真は、ある日の午後居間に置いたベッドの中のはる。はるは1歳になる前後から、オシッコ、ウンチ、膝の上に乗っけて、ベッドをここに持って来てといった意思表示を少しずつするようになり、私たちもはるの声や動作の違いが理解できるようになったからか、最近ではそれが結構わかるようになってきた。この日も、昼食後のお散歩から戻り、私がコンピュータの前に座ると、居間の陽だまりに立って「フーン」と言うので、「ハイハイ、ベッドの移動ですね」と、私がベッドをここに持って来ると静かにベッドの中に入ってくつろいでいた。それからだいぶして、台所仕事をしていた私がコンピュータに戻ろうとすると、はるがこの写真のように横になったままの状態で、頭だけ動かして私の動きを観察していたので、おかしくて写真に収めてみた。

2014年6月17日(火)

久しぶりにペトロポリスの安見さんからメールをいただいた。孫娘のまりえちゃんは3ヶ月半になり元気な様子で何よりだ。まりえちゃんの誕生祝いに日本の兄弟がベビー服を送ってくれたのだけれど、追跡調査で確認すると、発送の翌日にはブラジルに到着して通関手続き中とあったのに、それから延々待って1ヶ月半後に申告金額の60%の輸入税を払って受け取るようにと連絡が来たという。支払ったその輸入税は、ブラジルで2~3着服が買えるような金額だったそうだ。コンピュータなどの電子機器を国外で買ってブラジルへ持って入ろうとすると、100%の輸入関税がかかるというのは知っていたけれど、たかがベビー服で60%の輸入税だなんて、ぼったくりもいいとこだと思った。さらに、昔は日本からの郵便は1週間か、遅くても2週間で届いていたけれど、今では1ヶ月半もかかるということだった。このことをエドソンに話すと、それはルーラ政権がもたらした弊害だと言っていた。カルドーゾ大統領の頃はブラジルの郵便事情は世界でも2番目くらいにいいという国際的な評価を得ていたけれど、ルーラ政権になってから無能な政治家を郵便局や様々な公共機関の長に据えたものだから、サービスが劣化したのだそうだ。そして、最近、やたら何にでも税金がかかるのは、ジウマ政権が続けているボウサ・ファミリアという貧困層へのお金のばら撒き政策のための資金を確保するためなんだと言っていた。だから安見さんが支払った60%の輸入税もボウサ・ファミリアのために消えたというわけだ。

以下の写真は、えりかさんとまりえちゃん。リオのショッピングモールを歩いている赤ん坊連れは、みな赤ちゃんを片手で抱っこするか、乳母車に乗せているので、次の写真のように、えりかさんがまりえちゃんを抱っこ紐で連れて歩く姿は珍しがられていると書いておられた。1枚目の写真は、ポルトガルで買った抱っこ紐。3ヶ月と大きくなったまりえちゃんには窮屈になり、リオでは暑くてかわいそうなので、2枚目の写真の、日本から送ってもらった抱っこ紐に変えたそうだ。この抱っこ紐は軽くて両手が使えるので、えりかさんも抱っこしながら仕事ができて非常に都合がいいらしい。そして、私のブログの中の竹なのかランなのかよくわからない植物は、「ランです」と知らせてくださった。安見さんのお宅にも同じものがあると言うことだった。ようやくこれで謎が解けて、すっきりした。

2014年6月18日(水)

「僕の口、なんだか変な感じなんだけど、どうしたんだろう?見てみて」と、エドソンが側に来て言うので振り返ると、「ぎょっ!何、それ?」変なものを口にくわえているので笑ってしまった。とてもおかしな形のカラがあったから畑から持ってきたと言う。カラはもともとおもしろい形をした芋ではあるけれど、これはまるでカモノハシのくちばしみたいに平らだなあと思った。それで比較するためにカモノハシの写真(2枚目)も以下に載せてみた。

2014年6月19日(木)

今日は聖体祭(Corpus Christi)というキリスト教の祝日で、ブラジルでは休日。エドソンとデミウソンのエンブラエー高校でのプロジェクトは、先月あった先生たちとのミーティングの後、ようやく動き出したようで、昨日の午後、生徒たちにこのプロジェクトのプレゼンテーションをするために、エドソンはまたデミウソンと一緒に高校に出かけて行った。

我が家の食卓の上に置いたランの花が、3つほどつぼみをつけていたけれど、その内の2つが花開いたので写真に撮ってみた。ダイニングルームの南側の窓辺に置いたランも6つほどつぼみをつけていて、少しずつつぼみが膨らんできている。まだ花は開いていない。

2014年6月20日(金)

以下は、2014年6月18日付けニッケイ新聞「コラム 樹海」からの転載。オー!深沢編集長、この件をコラム記事にしましたか?ルーラはジウマとPT(労働者党)に対する民衆の反対を、どうしても貧困層と富裕エリート層の対立という、単純な二極化構造の問題にしたいようだけれど、自分を貧困層の代表のように言うのはチャンチャラおかしい。彼がエリートと呼んだサッカー観戦に来ていた人たちの大多数は中流階層で、彼らが逆立ちしても利用できないような高額な費用のかかる、サンパウロで一番と言われる病院で、ガンの手術と治療を受けたのは誰でしたっけ?彼こそ超特権階級のエリートなのでは?

『「エイ、ジウマ、ヴァイ・トマ・ノ・クー!」(ジウマ、オカマほられろ!)。ありえない最低の罵声が大統領に浴びせられた。しかも、7年越しに準備をしてきたW杯開幕戦会場で、他国大統領や来賓と一緒の時に、6万人の観客(国民)から大合唱された▼暴力的な抗議行動より、ある意味、もっと過激だ。一国の大統領にとってこれほどの恥辱があるだろうか…。テレビ局は編集して分からないように放送したが、ネットにはその現場映像が上げられている▼14日付エスタード紙によれば、大統領は翌日「軍事政権の拷問というもっと酷い迫害に耐えた。言葉による暴力にもビクともしない」と演説した。ルーラ前大統領は「エリート階級による憎悪」だと指摘したと同紙にある▼160~990レアルもする開幕戦チケットが買えるのは、まさに中流階級以上だ。昨年6月に10万人規模で大挙して街頭に出て、「サッカーより教育や医療に投資を」とデモで訴えた社会階層そのものだ▼PT政権は貧困層ばかり厚遇して、中流階級以上は税金を払わされるばかり。そんな不平等感が中流階級以上にこの10年余りの間に積もり積もっていた。その階級が試合会場の大半を占めたからこそ、ジウマ大統領を目の前にした時、大合唱で罵声を浴びせかけた▼高いチケットを買うぐらいだから伯国代表は応援しているに違いない。「サッカーは好きだが今の政治は嫌い」という複雑な想いがあるから、国歌を会場全体で盛大に歌い上げた直後に、大統領への罵倒の〃合唱〃に入れ替わった。あまりに激しい感情表現をする国民性に愕然とする。大統領は決勝戦も観戦予定だが…。(深)』

2014年6月21日(土)

次の写真の右側の木々は、桜の列。左側はセドリーニョとユーカリの木を交互に植えた列。その間に2列ある背の低い植物は、種を蒔いた後、育ってきているグアンドゥという赤と黄色の花を咲かせる豆の木。今年の1月にこの同じ場所を撮影した際は、ブラキアーリアが取り除かれたばかりの状態で、グアンドゥの種はまだ蒔いておらず、左側の列のセドリーニョやユーカリの木は私の腰の高さくらいだった。でも、その後手伝いのヒバマーに丹念にブラキアーリアを取り除いてもらうようにしているので、ぐんぐんと成長して、特に、ユーカリの木は植えてからの時間の長いセドリーニョを追い越して、今では私の身長を越えて、2メートル以上の高さになっている。ブラキアーリアがあるとなかなか植物が成長しないけれど、それを丹念に取り除くと、著しい成長が見られ、その違いをまざまざと感じさせられる。

2014年6月22日(日)

ボトゥカトゥの日系食料品店ウエノのユキエさんに教えてもらって、先月から月に1度日系人の母娘がやっているマッサージに通い始めた。エドソンは日本にいる時から足のしびれや痛みで、毎週のように針治療をしたり、マッサージをしてもらったりしていたのだけれど、ブラジルに来てからは以前のようにストレスを溜めまくる生活から解放され、比較的のんびりした生活に変わったので、だいぶ良くなっていた。でも、以前のように1分1秒でもシステムをダウンさせてはならないという緊張をしいられることはなくなっても、基本的に彼の仕事は1日中コンピュータの前に座っている仕事なので、やはりそれが良くないようで、最近また時々痛み出すようになり、定期的にマッサージをしてもらうことにしたのだ。そして、私も今年になってからひどいめまいに何度か見舞われたり、ちょっと体調の良くない日が時々あるので、体調を整えるために一緒に行って、マッサージをしてもらうことにした。

私はお母さんのジュリアさんが担当で、エドソンは娘のリアさんに担当してもらっている。ジュリアさんによると私は血と気の流れがとても悪く、お腹にストレスを溜め込んでいるらしい。まず悪い気を取り除いてからマッサージをしてくれるのだけれど、マッサージの後は血の流れがよくなり、体の痛みがなくなり、体が軽くなり、とても気持ちがいい。私のめまいにはエルヴァ・ドスィ(Erva Doce)というハーブティーにローズマリーを煎じたものを混ぜて毎日飲むといいと言われ、早速帰りにスーパーでハーブティーを購入。ローズマリーは幸い我が家の庭にあるので調達は簡単。早速昨日から飲み始めた。「良薬口に苦し」と言うけれど、これはまったく苦くなどなく飲みやすい。そして、おへその回りのつぼに1日1回お灸をするといいを言われ、お灸を分けてもらった。この写真の手前の箱に長い筒状のお灸が数本入っている。このお灸は肌に直接置くものではなく、筒の中のモグサに火をつけて、体のつぼの上にかざして、皮膚が熱さを感じたら止めるというものなので、火傷をすることはない。これは中国製だけれど、ちゃんとポルトガル語で書いてあるからブラジル向けに作って売られているもののようだ。メル友の鎌谷さんもお灸がいいとおっしゃっていたけれど、ここでは、どこでどうやって手に入れたらいいのかわからなかったので、ジュリアさんから分けてもらえて感謝。感謝。

2014年6月23日(月)

以下は、インターネット上でみつけた6月22日(日)16時57分産経新聞配信記事のコピー。日本人を一言で単純に説明できないように、日本の23倍近い広い国土に、日本の人口の2倍近い人々が住むブラジルで、「ブラジル人は、こういう人たちだ」とは一言で言いきれないのは当然のことだと思う。ちなみにエドソンはもちろん、私たちの回りにはサッカーにあまり関心のない人たちが多いのも事実。

【W杯】先入観の危うさ ブラジル国民は本当にサッカー好きか?

「サッカーとサンバを愛し、明るくおおらか」「サッカーを語らせたら代表監督のように熱く、リフティングをやらせれば普通の大人でもうまい」-。「情熱の国」ブラジルの人々に対して、日本人が抱くイメージはそんなところか。しかし、ブラジルとサッカーという切っても切れない関係がステレオタイプな先入観に過ぎないとしたら…。実は「サッカー王国」にもこの遊戯に無関心な若者は多く、ブラジルを代表する音楽、ボサノバは若者から敬遠されているという。W杯を機に「遠くて近い国」の素顔を色眼鏡抜きに見てみよう。

■いつもの先入観にがっかり
ブラジルのサッカー人口は約1320万人といわれる。「サッカー王国」といえど、競技人口は全体の7%に過ぎず、サッカー途上国・米国と比べてもかなり少ない(米国のサッカー人口は2000万人超といわれ世界有数)。そんなデータからも、サッカーという遊戯にのめり込んでいる国民が限られていることが分かる。

建築史家の井上章一さんが10年前、リオデジャネイロで学生に日本文化を教えていた頃、サッカーに関心のないブラジル人の存在に驚いたという。ブラジル見聞記『ハゲとビキニとサンバの国』(新潮新書)には、素顔のブラジリアンたちが紹介されている。

当時、井上氏が通っていた大学はブラジルサッカーの悲劇の象徴ともいえる「マラカナンスタジアム」(1950年の自国開催で決勝リーグ最終戦でウルグアイにまさかの敗戦。ブラジル国民がショックに打ちひしがれた歴史的な“事件現場”)のそばにあったが、そんな立地にありながらサッカーがみんなから愛されているわけではなかった。

本書に登場する「サッカー嫌い」を公言するブラジル人学生の日本留学時のエピソードが興味深い。日本の大学へ入ると、まずサッカー部の勧誘があり、ブラジルからの男子留学生はたいてい声をかけられる。ブラジル人だから、サッカーまみれで育ってきたとの思い込みが激しく、その先入観にやりきれなかったという。

■ボサノバはもはや時代遅れ?
ブラジル通のある日本人によると、日本のCMやラジオでよく流れるブラジル音楽、ボサノバは母国では“化石”のような冷たい扱いを受け、若者から完全にそっぽを向かれているという。ボサノバとは「新しい」(ノバ)「流れ」(ボサ)の意。言い換えれば「新しい潮流の音楽」ということになる。かつて斬新だった音楽が時代に取り残されるとは何とも皮肉な話である。

一方、この国の国民性をよく表す言葉に「ジェイティーニョ」がある。簡単に言うと、知恵をしぼって目の前の問題を解決する処世術を指す。例えば、サッカーの試合でゴールエリア内でファウルをもらうために自ら倒れ込むというのも、ジェイティーニョに長けたブラジル人らしさ。

今大会の開幕カード、ブラジル-クロアチア戦でセレソン(ブラジル代表)による微妙なプレーがあったが、PK欲しさにややオーバーな演技をするのは欧米ではきわめてフツーである。サッカーには「マリーシア」(ずる賢い)という言葉があるが、外国人から見れば「日本人はマリーシアが足りない」ということになる。

■決めつけることの危うさ
また、ブラジル人は「嘘をつく」「時間を守るという概念がない」などという風評にしても、ブラジル国民にしてみれば迷惑千万な話であろう。「ブラジリアンタイム」とは、時間に遅れるブラジル人気質を表した俗語だが、全国民が時間にルーズというわけではない。サンパウロ州に住む「パウリスタ」は「カリオカ」(リオデジャネイロ市民の愛称)に比べるとまじめで働き者。時間の観念もしっかりしているという。

ブラジル人だからサッカーの試合に熱狂し、サッカーがうまいというのは、どうやら「日本人は着物で生活している」という外国人が抱きがちな日本人観と似ている。ただし先入観や風評は一度、浸透してしまうと、一掃するのに時間と労力がかかるのは洋の東西を問わないようだ。

ところで、日本サッカーが代表チームを「サムライジャパン」と称し、歴史の断面を切り取ってPRするのは実はおかしな話である。日本代表の本田圭佑がACミランに移籍した際、メディアに「サムライスピリットとは?」と聞かれて、「私はサムライに会ったことがない」と答えた。誤解を生む要因は概して「身内」に潜んでいるようだ。

2014年6月24日(火)

まだ桜の花が咲く時期ではないのだけれど、はると一緒に庭に出ると、必ず桜の木の下で、上を見上げて花芽がたくさんついているなあと眺めている。そうしたら先日、4本の桜の木の一番北側の木に花が咲いているのを発見。この木はまだ葉をそれほど落としていないのに、木の中心に近い枝と、もっとずっと上の方の枝に3つ~4つずつ花をつけていたので驚いた。はるをヴィラ・シーコに連れて行く際通る、パーディーニョから北のマレシャル・ホンドンという高速道路に向かう途中にあるファゼンダ・タムラ(昔、日系人が所有していた農場で、現在の所有者は非日系人)には、道路沿いに何百メートルにも渡って桜が植えられているのたけれど、その木々のいくつかはもう花が咲き始めているのだから、うちの桜が咲いても不思議はないのかもしれない。でも、やはりちょっと早すぎるので、狂い咲きなのかも?5月の末から寒かったり、暖かかったりしたので、この木はおそらくいつ花を咲かせたらいいのかわからなくなったのではないかと思ったりしている。

ニッケイ新聞のW杯サッカー関連記事の中で、「ニッケイ記者がゆく、W杯観戦記」の2014年6月20日付け「日本代表チームを支えたサポーターたち、を支えた現地日本人会の話@ナタル」という記事があった。ブラジルにはこういう暖かい日系人社会があることが他の国々とは大きく違うところだと思う。この記事のサイトは、こちらへ

2014年6月25日(水)

サッカーW杯、崖っぷちだった日本は昨日のコロンビア戦で1対4で負け。結局予選リーグで一度も勝てず、敗退してしまった。がっかり。

次の写真は、日曜日のお昼頃エドソンが撮影したはると私。はるは、赤ちゃんの頃は掃除機を特別怖がったりしていなかったけれど、成長するに従い、モビ同様、掃除機が嫌いになり、私が掃除を始めると掃除機に向かってワンワン吠えるので、最近では掃除をする際は、はるを外のベランダにつないでおくことにしている。はるもそのことがわかっているようで、掃除が終わるまで文句を言わずにおとなしく待っていられる。この日曜日、掃除が終わり、はるを家の中に戻してからしばらくは居間の陽だまりに置いたベッドの中にいたのだけれど、私がコンピュータの前に座ると、待ってましたとばかりにやって来て、膝の上に上げてと言う。それで、はるを膝に上げたところがこの写真。1日に1回、午前中、こうやってしばらく私の膝の上でうたた寝をしたりして過ごすと満足して、午後は居間の陽だまりのベッドの中でひとりでおとなしく寝たり、ゴロゴロしたりして過ごすのが、はるの日課になっている。

2014年6月26日(木)

次の写真は、入り口ゲートから家につながる道の西側のセドリーニョの2列。南にある果樹園を背に、北西を向いて撮影。写真奥の緑の濃いところは、西隣のコーヒー農園。先週末、2日間かけてヒバマーがセドリーニョの足元のブラキアーリアを取り除いてくれたので、すっきりした。この2列は、ブラキアーリアに被われながらも、葉切りアリの襲撃に遭うこともなく、ゆっくりだけれど、成長してくれている。

2014年6月27日(金)

昨日は、エドソンのカナダビザを受け取りに、またサンパウロまで行ってきた。ビザが交付されたと言う連絡は10日以上も前にあったのだけれど、エドソンの仕事の都合などで、受け取りは昨日になった。はるを一昨日の午後ヴィラ・シーコに預けて、昨日の朝4時50分発の高速バスでサンパウロへ。サンパウロのバハ・フンダのバスターミナルに着いてから、いつものように帰りのバスのチケットを購入して、簡単な朝食を食べて、ベヒーニの事務所に向かった。地下鉄の黄線から電車のエメラルド線に乗り換えるピニェイロス駅に着いたのが8時半前。ちょうどラッシュの時間帯で、この駅では電車に乗る人たちをプラットホームから押し込む係の人たちが何人もいて、まるで東京のような光景だった。でも、次に来た電車はラッシュ時の特別電車のようで、ピニェイロス発の空っぽ電車だったので、押し込む係の人たちに押し込まれなくても、みな楽々乗れてやれやれ。ベヒーニの事務所は9時にならないと始まらないので、1階の受付で9時になるまで待って、受付をして上に上がり、事務所で無事にビザを受け取り、事務所を出たらまだ9時半だった。その後、電車と地下鉄を乗り継いでリベルダージに行き、スーパー丸海で食料品を少し買って帰路についた。次の写真は、丸海で買ってきた品々。エドソンは私が手作りする浅漬けよりも、浅漬けの素で作った浅漬けの方をすっかり気に入ってしまっているので、ここでは手に入らない浅漬けの素やわさび漬けの素をたくさん買った。右上のラディッシュは、丸海の側の小さな店の店先にとても新鮮で、傷のまったくないきれいな大粒のものがあったので買ってしまった。丸海やその店で見た野菜はみな新鮮できれいだったので、買いたいのはやまやまだったのだけれど、荷物が重くなるので、ラディッシュだけにした。

2014年6月28日(土)

前回サンパウロに行ったのは、W杯が始まる1週間ほど前で、今回はW杯が始まって2週間後。地下鉄や電車の駅に、以前は見なかった「コリンチャンス・アリーナはこちら」という表示があちこちに出ていた。コリンチャンス・アリーナというのは、今回のW杯のサンパウロ会場になっている競技場のことで、地下鉄の赤線の東端のコリンチャンス/イタケイラ駅が最寄りの駅になっている。だからW杯観戦者に分かり易いようにあちこちに表示を出しているようだった。そして、地下鉄赤線は以前も駅名や乗り換えを伝えるアナウンスはポルトガル語だけでなく、英語でもあったけれど、今回は黄線でも英語のアナウンスが追加されていた。

町の様子は、前回も今回も特に変わりはなく、ブラジル国旗の小旗をつけた車をよく見かけたのと、同じく小旗をたくさん飾り付けた店があちこちにあったのと、高層マンションの窓辺にブラジル国旗やブラジルカラーの緑と黄色の横断幕のようなものが出ているところがあったぐらいだった。

2014年6月29日(日)

リベルダージのスーパー丸海で、浅漬けの素のすぐ側に、「もやし炒めの素」というのを見かけたので、ちょうど今うちにもやしが一袋あるので、どんな味のものか試してみたくなり、一つ買ってみた。金曜日の夕飯にもやしの他に、豚肉、ニンジン、そしてうちの畑のポロネギを加えて作ってみた。軽いみそ味の炒め物になり、おいしかった。完成品の写真を撮ったのだけれど、手元がブレたのか、ピンボケ写真になってしまった。ちなみに、ブラジルの人はもやしなんて食べないようで、普通のスーパーでは見かけない。たまに豆腐など変わったものがあるボトゥカトゥのパオン・ジ・アスーカーというスーパーに行けば、もやしを販売していることがあるけれど、いつもあるわけではない。だから、もやしは日系食料品店のウエノやドナ・マリナに行った際、買っている。以前、友人を夕食に招いた際、お肉の付け合わせにもやしでも炒めようかとエドソンに言うと、「ブラジル人はもやしを知らないから作っても食べないよ」と言うので、人に出したことはない。本当にブラジル人は野菜を食べない、というか、日本人は様々な野菜を食べるので食が豊だなあと思う。

2014年6月30日(月)

ブラジルの食パンのサイズは、日本で普通に見かける食パンのサイズよりも何故か一回り小さく、しかも1枚1枚が日本ではサンドイッチを作る際の薄切りで、1斤を6枚切りや4枚切りにしたような厚切りの食パンは見たことがない。ステーキ肉なら肉屋で切ってもらうことができるのに、パン屋で手作りしているのはパオンジーニョ・フランセーズ(小さなフランスパン)くらいで、食パンは販売されていないので、好きな厚さに切ってもらうこともできない。そうしたら、木曜日にサンパウロの丸海で買い物をした際、日本の食パンと同じサイズの食パンがあったので、うれしくなり1斤買って帰った(27日付け掲載写真の左奥)。ただ、厚みはやはりサンドイッチ用の12枚切りしかなかった。この1年ほど自分で焼いた手作りのパンを食べているのだけれど、週末にはパンケーキを作ったり、ジャーマンポテトを作ったりして気分を変えるようにしているので、この食パンを見た時、翌朝は、トーストしてバターを塗ってシンプルに食べ、土曜日の朝は、久しぶりにフレンチトーストを作ろうと思ったのだ。でも、金曜日にエドソンが食料品の買出しに行ってくれた際、パオンジーニョ・フランセーズと薄切りのハムとチーズを買って来たので、土曜日はそれをサンドウィッチにして食べ、フレンチトーストは日曜日の朝食になった。次の写真は、昨日の朝食で作ったフレンチトースト。ちなみに、パンケーキやフレンチトーストになくてはならないメイプルシロップは、普通のスーパーにはなく、ボトゥカトゥのスーパー、パオン・ジ・アスーカーに行かないと手に入らない貴重品。



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