Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2014年5月1日(木) | ||||
今日はメーデー(Dia do Trabalho=労働者の日)でお休み。ここは日本のように木全体が赤や黄色に染まる、艶やかな秋の紅葉はないけれど、桜やカエデは少しずつ葉が黄色くなって落葉する。居間から見える庭に植えた4本のヒマラヤ桜の木は、最近少しずつ落葉が始まった。まだ一見、青々としているけれど、近くでよく見ると黄色い葉が増えてきている。ただ木全体が色づくことはなく、黄色くなった葉から落ちて行き、花が咲く前にほぼ裸になる。この写真中央の桜の左側手前にある背の低い植物はラベンダー。ラベンダーは放っておくと一年中咲いているような気がする。
桜の木の足元の芝生の上には落葉した桜の枯葉が吹き溜まっていて、この上を歩くとシャカ、シャカと音がする。ここで秋を感じることができるとすれば、この枯葉の上を歩く時だろうか?
| ||||
2014年5月2日(金) | ||||
次の写真は、水曜日の午後、外ベランダで日向ぼっこをしているはるを居間の中からパチリ。この日はお天気が良かったので、はるを外ベランダにつないで、日向ぼっこをさせた。2枚目の写真は、同じ日の午後遅く、居間の日だまりでお昼寝をしているはる。陽が当たって暖かく気持ちがいいからだろうか?どうしてこんな無防備な恰好で寝るのかなあとおかしくて、ついつい頬が緩んでしまう。
| ||||
2014年5月3日(土) | ||||
1日の木曜日は休日だったので、夕飯はエリゼウの送別会を兼ねてエドソンがシュハスコ小屋でお肉を焼くと言っていたのだけれど、太陽が顔を出さず、まるで嵐のような強い風が吹き荒れる1日になったため、シュハスコは延期した。次の写真は、北(右)から吹く強風で、南側(左)におじぎをしている庭の木々。外に出ると、風で飛ばされてくる砂が顔に当たって痛いくらいだった。
そして、2日は私の免許の更新をする予約をしていたので、ボトゥカトゥのポウパテンポに行く予定にしていたのだけれど、朝食の支度をしている時にめまいと吐き気に襲われたため、薬を飲んで寝込むことに。症状は前回ほどひどくはないものの、起き上がるとめまいがしてフラフラし、無理をして動くと気持ちがわるくなるので、1日寝て過ごした。ああ・・・やれやれ、今年はどうしてこう体調の悪い日があるのだろう・・・? | ||||
2014年5月4日(日) | ||||
先月の10日付けで掲載したマラクジャ・ドスィの花が実になっていたので写真に撮ってみた。花はいくつかあっても、実を結んだのはまだこれひとつだけ。
昨日は穏やかないいお天気の1日だったので、先日延期したシュハスコをした。水曜日にエドソンが買い物に行ってくれ、いいピカーニャ(Picanha=ランプ肉のこと、ブラジルでは牛肉のこの部位が一番おいしいとされている)があったと言って買ってきた大きな塊を、シュハスコ小屋で焼いてくれた。エリゼウの送別会というのが一応の名目なので、奮発していいお肉を買ったみたいだ。付け合わせは玉ねぎとピーマンとトマトをみじん切りにして、レモン汁とオリーブオイルで和えたビナグレッチにルッコラを添えたシンプルなものと、ご飯だけ。オーブンで焼くローストビーフもいいけれど、シュハスコで焼くとまた一味違っておいしい。そして、シュハスコで焼いた牛肉にはシンプルなビナグレッチがよく合う。 | ||||
2014年5月5日(月) | ||||
先月23日の夜からエリゼウがうちに来て泊まっている。ブラジルでは勤め先を辞める際、雇用主と一緒に労働局のようなところに行って、書類に署名しなければならないらしく、そのために一旦ミナスに帰っても、またとんぼ返りをしてサンパウロまで出てこなくてはならないと聞き、ミナスの実家まで帰るのに車で片道2日もかかるのに、行ったり来たりするのは大変だからと、エドソンがすべての用事が片付くまでうちにいればいいと言って、部屋と食事を提供することになった。平日は出たり入ったりと忙しくしていたけれど、週末はエドソンと一緒に苗木を植えてくれたり、ここの作業をいろいろ手伝ってくれ、とても助かった。昨日の日曜日の朝、エドソンはエリゼウの部屋に入り浸って、彼の楽器のコレクションを見せてもらったり、即席の演奏をしてもらったりと、楽しそうにしていた。本当にこのふたりは気が合うようで仲がいい。次の写真は、「虹の彼方に」を演奏しているエリゼウとそれに聞き入っているエドソン。
エリゼウはとても器用な人で、竹でギターを手作りしたり、好きな楽器を集めたりしているらしく、手製の竹のギターが2つ、エレキギターが1つ、ポルトガルのギターが1つ、管楽器が1つ、その他アンプや、伴奏などをつけるためのコンピュータなど、ちょっとしたコレクションだ。次の写真は、奥がエリゼウが竹で作ったギターの1つ。手前の丸いバンジョーのようなマンドリンのような楽器は、ポルトガルのギターだそうだ。土曜日の夕方、シュハスコでお肉が焼けるのを待つ間、私がテレビでニューヨークのセントラルパークで行われたコンサートを見ていたら、焼きあがったお肉を持ってエドソンと戻ってきた彼もソファーに腰かけて、コンサートが終わるまで聞き惚れていた。本当に音楽が好きなんだなあ・・・と、思った。
| ||||
2014年5月6日(火) | ||||
次の写真は、この土曜日にエリゼウがエドソンと一緒に植えてくれた桜の苗木。今すでに20本くらい並んでいる道沿いの桜の前後に5本づつ苗木を植え足して、桜並木を隙間なく延ばすときれいになるんじゃないかというエリゼウの提案で、苗木を植え足すことにした。苗木は今はまだひょろひょろとして、その存在が写真ではあまりよく見えないけれど、これが大きくなって花が咲くようになれば、きっときれいだろうなと思う。
| ||||
2014年5月7日(水) | ||||
この月曜日、エリゼウは夜明け前からサンパウロに出かけて行き、用事を無事済ませて夜中に戻ってきた。でも翌朝は疲れた様子もなく、いつも通りに元気にしていた。タフな人だ。私たちは金曜日にするはずだったポウパテンポでの私の免許の更新のために再度予約しなおしてボトゥカトゥへ行った。はるはいつも通りにヴィラ・シーコで預かってもらった。ポウパテンポでの私の更新手続きはスムーズに行ったけれど、住所変更もあるので、免許証が発行されるまで2週間以上かかると言われた。視力検査の部屋では血圧も測定した。担当の医師はよくしゃべるペルー人の男の先生で、視力検査で私がアルファベットを読み上げるのと同時か一寸早くアルファベットを言うので、視力検査になっていないんじゃないかとおかしかった。一方、1ヶ月前に手続きを済ませたエドソンの免許証はリオでのコンピュータのデータ入力ミスを修正するのにブラジリアの連邦政府の許可がいるとかで、手間取っているという説明だった。免許更新の期日内に連邦政府から許可がおりなかったらどうなるんだろう・・・? 毎週月曜日の夜は、ジミーとジェフの英語のレッスン日なのだけれど、今月は林業用機械のフェアに参加するための準備で忙しいので、しばらくお休みするという連絡があった。そして同時に、息子のチアゴと親戚のカロリナという女の子のためのレッスンを始めてほしいということで、チアゴのおじいさんがふたりを連れてきて、いろいろ話をした。その結果、来週から土曜日の午後レッスンを始めることになった。次の写真は、左からチアゴのおじいさん、チアゴ(11歳)、カロリナ(16歳)、そしてお兄ちゃんのチアゴに一緒についてきた妹のレティシア(4歳)。左側手前の後ろ姿はエドソン。カロリナはあまり笑顔を見せない子だけれど、チアゴは目が合うと必ず微笑むような優しい男の子。ちょっと恥ずかしがり屋さん。ふたりの年が離れているので、レベルをチアゴに合わせるとカロリナにはちょっと不満がでるかもしれない、チャレンジングなレッスンになりそう。
| ||||
2014年5月8日(木) | ||||
次の写真は、我が家の果樹園を北東から撮ったもの。画面左側上のラズベリーの木はだいぶ大きくなった。その他にも新しくエリゼウが植えてくれた果物の苗(レンガで囲まれている)が点々と見える。雑草のように小さな緑が点々としているのは、蒔いた種が芽を出したグアンドゥーという豆。
次の写真は、昨日の午前中、引越し荷物の積み込み作業をしているエリゼウと立ち話をしているエドソンをダイニングルームの窓からパチリ。パーディーニョで10年暮らした割には引越し荷物が少ないけれど、トラックの荷台だけでは全然足りないので、トラックに取り付けるカートを購入し、それにも荷物を積んで帰るようだ。
| ||||
2014年5月9日(金) | ||||
エリゼウは、昨日の朝食後、午前中いっぱいかけてトラックへの荷物の積み込みを終え、私たちと一緒に簡単なお昼を食べた後、シャワーを浴びて着替えをし、アメリカーナに向けて出かける私たちと一緒にここを出発し、ミナスに向けて帰って行った。これでもう会う機会はないかもしれないと思うと、何だかとても寂しく思った。どうか元気で、Boa viagem e boa sorte. (=Have a good trip and good luck.)さよならエリゼウ。 私たちは、まずはるをヴィラ・シーコに預けに行き、それからアメリカーナに向けて出発。アメリカーナまでは2時間少々のドライブで、夕方無事に到着。昨日の夜はジョアオンの家に泊めてもらい、今日朝早くからジョアオンの運転でアディネーも加わりサン・ジョゼ・ドス・カンポスにあるITA(Instituto Tecnológia de Aeronáutica)とINPE(Instituto National de Pesquisa Especiais)を訪問するために出かけて行った。サン・ジョゼ・ドス・カンポスはアメリカーナから2時間少々で行けるのだけれど、途中、サンパウロ州で2番目に大きな都市であるカンピナスを通り抜けるのに渋滞で予定よりも少々時間がかかった。でも、10時過ぎには無地にサン・ジョゼ・ドス・カンポスに到着。次の写真は、アメリカーナのジョアンの家の外観。アメリカーナは小さな町だけれど(もちろんパーディーニョよりはずっと大きいけれど)、カンピナスの隣町でベッドタウンのような性格の町なので、豊かで街並みがきれいで、大きくてきれいな家が多い。ちなみに見えにくいかもしれないけれど、家の前を歩いているのは私と一緒に出てきたジョアオンのところの犬のデクスター。この子は14歳の老犬で、とてもフレンドリーでおとなしく、とてもよく言うことを聞く。
| ||||
2014年5月10日(土) | ||||
ITAではエドソンの昔からの友人でITAで教えているダグラスを訪ね、彼と彼が関わっている衛星プロジェクトの大学院生の人たちを交えて話すことが目的だった。でも、ITAはブラジル空軍の施設なので、外国人の私が学内に入るためには前もって許可申請をする必要があるのに、ダグラスがその手続きを忘れていて私は中に入れず。それで私は別行動ということになり、ダグラスがよこした学部生の人たち3人にお守りをしてもらい、博物館に連れて行ってもらうことになった。何の博物館に行くのかと思ったら、連れて行かれたところは、エンブラエーの博物館だった。ボトゥカトゥにもエンブラエーの工場があるけれど、こちらの工場が本家本元というか、本社で、エンブラエーでは中型ジェット旅客機や軍用機を製造している。次の写真は、その博物館の広い駐車場の横に何台も展示されていたエンブラエー社製造の中型旅客機いろいろ。写真右側の後ろにはロケットも見える。
次の写真では、軍用機も見える。金曜日の午前中だからなのか、それとも曜日や時間に関わらず来る人はめったにいないのか、広い駐車場には1台しか車が止まっておらず、私たちの他に2人の見学者がいるだけだった。ここに私を連れて行ってくれた学生たちも初めて来たと言っていた。
次の写真は、私のお守役を仰せつかった学生たち。左からシモーニ(Simone)、ハファエウ(Rafael)、マエヴェー(Maéver)。シモーニはリオのコパカバーナ出身。ハファエウはサンパウロ州とミナスジェライス州の州境の町の出身。マエヴェーはサンパウロ出身。ハファエウがほんの少し英語を話すことができるだけで、ふたりの女の子たちはポルトガル語だけだったので、私がポルトガル語を話すしかなく、ブロークンのポルトガル語で一所懸命に話す努力をした。お陰でいい練習になった。3人ともいい子たちだったので、結構楽しい時間を過ごした。
博物館の入り口のところで、私が3人に並んでもらって写真を撮ると、ハファエウが今度は僕が撮ってあげると言って、撮ってくれたのが次の写真。
博物館の中に入って、すぐ左側にあったのが、次の写真の旅客機。1968年エンブラエー社製造の第1号機ということだった。私たちが博物館に入って行き、前からいたふたりのお客さんが出て行くと、その人たちの相手をしていたおじさんが私たちのところに来て、旅客機の中に入ることができるから、入ってみなさいと言ってくれたので、飛行機の中に入ってみた。
中には座席が8つか10あり、トイレが1つあった。次の写真は、その旅客機の中の様子。操縦室から顔を出しているのはハファエウ。
次の写真は、その操縦室を側に行ってパチリ。本物なので計器がそこらじゅうにあり、天井にもたくさんあった。
次の写真は、昔オーストラリアでのソーラーカーのレースに出たという車の展示のところで、案内のおじさんがハファエウと一緒に中を開けて見せてくれているところ。
中に乗ってみるかと言われ、乗ってみたハファエウ。
次の写真は、そのソーラーカーの全貌を前から撮ったもの。
とても小さな博物館だったけれど、これらの展示の他、サントス・デュモンやライト兄弟が作った初期の飛行機の模型などいろいろあった。 | ||||
2014年5月11日(日) | ||||
金曜日の午前中、エンブラエーの博物館に行った後は、もう行く所がないのか、INPEのキャンパスに行き、エドソンたちが来るのを待った。次の写真は、INPEのキャンパスに着いて、車を止めて歩いている学生たちを後ろからパチリ。この写真で見える並木は松の並木道。ここはとても緑が豊かで、広くてきれいなキャンパスだった。
1時頃、エドソンたちがITAから移動して来て合流。ここで学生たちと別れて、INPEのキャンパス内にある食堂のひとつでお昼をいただいた。左からアディネー、ジョアオン、ITAの修士課程の院生のクレベー(Cleber)、同じくITAの院生のリディア(Lidia)、そしてエドソン。エドソンはボランティアでクレべーとリディアのそれぞれのプロジェクトの相談に乗り、支援している関係で、今回エドソンたちの訪問の受け入れを世話をしてくれたのがクレべーだった。リディアはサンパウロの東にある日系人が多く暮らすモジ・ダス・クルーゼス出身の日系3世で2歳になる子どものいるお母さんだった。日本語は聞くことは多少できても話せないのだけれど、英語を話すことができたので、直接話すことができた。
昼食後は、INPEの衛星を作っているラボがある建物の中の部屋のひとつで、エドソンがINPEの様々な衛星プロジェクトに関わっている学生や教授数人を前に、衛星通信に必須のアマチュア無線に関するプレゼンテーションを行った。エドソンはボランティアでブラジルアマチュア無線協会(LABRE)の技術コンサルタントをしているので、その立場でのプレゼンテーションだった。
次の写真は、ノートパソコンの映像をスクリーンに映しながら講演をしているエドソン。講演は質疑応答を交えて、1時間半くらいだった。この講演の結果、衛星通信に関する情報交換のグループを参加者を対象にエドソンが立ち上げることになった。
この講演の後、衛星を作っているラボをクレベーの案内で見学させてもらった。私にはちんぷんかんぷんだったけれど、エドソンだけでなく、ジョアオンもアディネーもめったにないいい経験だと喜んで、とても興味深そうに話をしながら見て回っていた。最後にこのラボの責任者の人に面会をして、その人と少し立ち話をした後、6時前にようやくサン・ジョゼ・ドス・カンポスを後にした。次の写真は、そのラボの一部。
| ||||
2014年5月12日(月) | ||||
金曜日の夜はまたアメリカーナのジョアオンのお宅に泊めてもらい、翌、土曜日の朝、アディネーと一緒に先月亡くなったアチバイアのデマーコの家に奥さんのシオックと長男のペドロを訪ねた。アチバイアはアメリカーナから約1時間ほどのところにある。デマーコは亡くなる前に、彼が亡くなった後はエドソンとアディネーに連絡をして、自宅のワークショップの無線機や様々な機器の処分を頼むようにとペドロに話していたのだそうだ。それで、ペドロが連絡をしてきて、エドソンがアディネーと一緒に行って、ワークショップの機器の中で販売できるものと、デマーコのことを知っているアメリカーナアマチュア無線協会の会員向けに形見分けのような形で希望者に譲渡するものとにわけて、リストを作る作業を行った。アディネーとエドソンが機器などをひとつひとつ確認して、ペドロがメモを取り、リスト作りを行った。アディネーが協会のインターネットのサイトで希望者を募るということだった。次の写真は、デマーコのワークショップの中で、機器などを調べているエドソンとアディネー。エドソンはデマーコのいないワークショップの中で悲しみがこみ上げてきて、複雑な表情をしている。午後、あらかたリスト作りができた頃、長男のペドロが涙ぐんでいるのを見て、エドソンももらい泣きをしてしまったと言っていた。
男性陣がワークショップで作業をしている間、私はシオックとずっとおしゃべりをして過ごした。デマーコが4月の上旬に亡くなった翌週、彼女は入院してガン摘出手術を受ける予定だったのだけれど、数度の抗ガン剤治療でもガンが縮小していなかったため、手術は延期になり、現在も抗ガン剤治療を続けている。デマーコを亡くした悲しみと、治療による体調不良で、ちょっと顔の感じが変わっていたけれど、仕事を続けながら何とか前向きにがんばっているようだった。ただ、良き夫であり友人でもあった人生のパートナーを失った悲しみは大きく、その辛さや寂しさは私にも痛いほど理解できた。
次の写真は、午前中、サンパウロに出かける前に10分だけと言って、私たちの顔を見に来たシオックのお姉さんのブウィ。シオックには成人した息子がふたりと娘がひとりいて、側にお姉さん夫婦もいて、友人もいるのだから、何とか悲しみと苦しみを乗り越えてほしいと心から願っている。
| ||||
2014年5月13日(火) | ||||
土曜日はアチバイアを4時半頃出て、高速のパーディーニョへの出口にあるホドサーブ・ストップに7時半を少し回った頃に到着。そこで夕食を食べて、無事帰宅。長距離のドライブはいつも疲れるけれど、アメリカーナのジョアオンとベルは楽しい人たちで、いつもとてもよくしてくれるし、サン・ジョゼ・ドス・カンポスのITAやINPEへの訪問はエドソンにとって実り多いものだったようだし、アチバイアのシオックの所でもお役に立つことができて、忙しいスケジュールだったけれど、行って良かったと心から思った。そして、日曜日の朝10時過ぎにはるをヴィラ・シーコに迎えに行った。留守中こちらは寒かったようで、はるはヴィラ・シーコで防寒のために洋服を着せてもらっていた。はるを連れて帰宅した後、たまった洗濯をしたり、ブログを書いたりして、1日ダラダラと過ごした。はるもヴィラ・シーコで3泊もしたので、エネルギーを使いきって疲れたのか、帰宅してからはずっとベッドの中で寝ていた。 アメリカーナに出かける前に庭の木の白い花がだいぶ咲き始めていたけれど、アメリカーナから戻ってくると、満開になっていた。次の写真の白い花の咲いた木の前にあるのはラベンダー。
この木は風で種を飛ばすようで、木の側や少し離れた場所で、あちこちから芽がでてきていて、ハイビスカスの側で芽を出した1本は、小さいながらもすでに花を咲かせていたので写真に撮ってみた。これらの芽をポットに移し替えて少し育ててから、どこか他の場所に植え替えようと考えている。
| ||||
2014年5月14日(水) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2014年5月7日付けの「コラム 樹海」からの転載。ルーラが大統領だった頃ルーラ政権の閣僚のひとりだったジウマは能力のある実務者という印象を与えていたけれど、どうもそれは見せかけだけだったようだ。いざ彼女が大統領になってみると、彼女がかかげたプロジェクトはどれもこれも頓挫して、何も完成しておらず、彼女がやってきたことはボウサ・ファミリアで低所得者階級にお金を振りまく人気取りだけ。しかもこのボウサ・ファミリアのために他のまったく関係のない分野の収入まで流用しているような始末。能力のなさをさんざん露呈してきている現実がある。それでも国民の大多数は新聞やVejaマガジンなどを読んではいないので、そんなことはつゆ知らず、ジウマの人気はまだそれほど低くない。ブラジル初の女性大統領として華々しく世界の注目を集めたけれど、この人が今年の大統領選挙で再度選出されるようなことになったら、ブラジルの未来は暗い。かと言って、ルーラがまた出てくる場合も同様に暗い。個人的にはブラジルがここまで成長する土台を築いたカルドーゾ元大統領の民主社会党(PSDB)に頑張ってほしいのだけれど、どうなるのかなあ・・・?
『祝日5月1日の前夜、ジウマ大統領が全TVとラジオを通して〃選挙演説〃を行ったと対立候補が批判した。今年に入ってインフレがぐんぐん上昇するのに反比例して、大統領支持率は見る見る下降している。その状況への焦りが現れた内容だった▼特に気になったのは「所得税の課税額の修正を4・5%上昇に抑えることを達成した」と、さも良いことのように強調した点だ。同時に「ボウサ・ファミリア(家族扶助手当、BF)を10%上げることを決めた」とも宣言した▼前者が意味するのは、中流階級にとっては実は「増税」だ。所得税の課税枠は毎年インフレ調整されているが、その上昇率を実際より低く抑える政策だ。例えば、今年までギリギリ免税だった者が、給与を実際のインフレ率に合わせて修正したら、来年からは課税対象者になる。すでに払っていた中流階級にとっては、より高い税率に移行する。蔵相は「インフレ目標が4・5%だから修正額も同率に抑えた」と説明していた▼にも関わらず、後者のBFは10%も上げた。大統領支持者の大半がBF受給者であり、それへの支給額をインフレ率以上で上げることは〃選挙対策〃に違いない。中流階級からより多く税金を取って、下層に手厚く配分する。あからさまだ。しかも中流への課税増額に対し、大統領は「達成した」的な表現を使った。「中流を敵視し、貧民側である」と明確に示した▼「全国民の大統領」であるならばそんな物言いはできないはずだ。支持者に向けた「選挙演説」だったと思わざるを得ない。「初女性大統領」の印象を汚さずに退きたいなら、再出馬しない方が得策だ。(深)』 | ||||
2014年5月15日(木) | ||||
4月の上旬に更新手続きをしたエドソンの運転免許証は、リオのデトランでの最初のデータ入力ミスにより、それを修正するためにサンパウロのポウパテンポからサンパウロ州政府、そしてブラジリアの連邦政府へと回され、ようやくデータ修正の許可が下り、正しい内容で、新しい免許証が当初の予定から5週間を経て、この火曜日に交付された。何事にも時間のかかるブラジル、どうなることかと思っていたけれど、ようやく問題が解決した。やれやれ・・・ 半月前に写真に撮った庭の桜の木は、まだ落葉がはっきりとわからいない青々とした状態だったけれど、あれから半月、風の強い日などもあって、だいぶ落葉が進んだ。次の写真は、昨日の朝撮ったもの。左側の木が一番落葉しているけれど、右側の木も葉が黄色くなっているのがよくわかるようになった。この写真では見えないけれど、左側の桜の後ろにもう1本。中央のセドリーニョの向こう側にもう1本、計4本の桜の木がある。ほとんど同じ場所にあるのに、不思議なことに落葉の速度はそれぞれ異なる。
| ||||
2014年5月16日(金) | ||||
家の南側の三角地帯の柵沿いに植えたグレヴィーリャの間で成長しているグアプルブという木がだいぶ大きくなって、2メートルを優に越す高さになっているのでその内の1本を写真に撮ってみた。2本のグレヴィーリャの間に見える緑色の細い幹がグアプルブ。足元にコロア・デ・クリストが赤い小さな花をつけている。右隣りのグレヴィーリャに絡みついて上に伸びている緑の葉は、カラという芋。以前にも書いたけれど、カラは里芋の代用になるちょっとアクのある芋なのだけれど、里芋のように地中で成長するのではなく、このつる性の植物にぶら下がって実をつける不思議な芋。放っておいても育つ丈夫な芋だけれど、何故か店で販売されているのは見たことがない。そして、この芋のことを知らない人たちも少なくない。
| ||||
2014年5月17日(土) | ||||
家の東側、野菜畑の南側の庭には、桜やガーデングレヴィーリャなど様々な木を植えているのだけれど、最近、私の背丈を越える、ちょっとひょろひょろした木に黄色い花がたくさん咲いているのに気づいたので、エドソンに名前を聞くと、グアンドゥだと言う。果樹園にたくさん種を蒔いたのもグアンドゥ。どちらも同じグアンドゥという名前の豆だけれど、少し種類が違っていて、これはパラカンビのお母さんが種を持ってきてくれたものを蒔いて、育ててみたものだそう。黄色い花をアップで撮影したら手前の花はピンボケになってしまった。
次の写真は、森の近くのジャタイの巣箱の側で成長しているグアンドゥのひとつ。こちらは背丈はまだ私の胸の高さくらいで、花の色が黄色一色ではなく、額が赤く、花びらが黄色い。花の形は何だかランの一種のよう。果樹園にたくさん蒔いたグアンドゥはこれと同じタイプ。それが大きくなってこんなふうに一斉に花を咲かせると、きれいだろうな。果樹園のグアンドゥはまだ種を蒔いて、芽が出始めたばかりなので、こんなふうに成長して花を咲かせるのは来年以降になるだろうか?
| ||||
2014年5月18日(日) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2014年5月14日付け「コラム 樹海」からの転載。 『先週末から公開中の映画『グランデ・ビットリア(偉大な勝利)』(ステファノ・ラピエトラ監督)を見た。もう日本ですら久しく作られていない柔道映画が、ブラジルで制作されたことに深い感慨を覚えた。「移民が伝えた東洋哲学が伯国文化を補完する」との図式が見事に当てはまる作品だ▼父に捨てられた母子家庭の少年が、学校でケンカばかりして退学させられそうになって柔道を薦められ、勝敗だけでない「生き方の哲学」としての柔道に目覚めていく物語だ。爽やか青春ドラマになっており、当地の青少年にぜひ見てほしい作品だ。孫やひ孫に入場券代を渡してでも観させてほしい▼原作者マックス・トロンビーニさんに「他のスポーツとの違いは何か」と質問したら、「例えばサッカーは金儲けの手段、貧乏に生まれた少年が金持ちになるための数少ない手段だ。だが柔道は勝つことを目指すだけのスポーツではない。生活態度や人生への考え方も含めて鍛えられる総合的なもの。ブラジルに足りないものが柔道にはある。それを広めることで馬欠場卯一郎先生の教えに応えたい」と言われ、考え込んだ▼W杯1カ月前にこんなことを言うのも何だが、「サッカーに人生哲学があるか」といえば、ほぼ即物的な戦術しかない。武士道精神は生き方、長期的〃戦略〃だ。この映画が全伯で見られることで当地独自の〃サッカー道〃に発展しないか。バルセロナに入団して大金を稼ぐことだけがスセッソ(成功)ではない▼青少年がサッカーに熱中することで倫理や道徳まで鍛えられれば、どれだけこの国の発展に寄与するか。せっかくのW杯を機にそんな方向性を真剣に考えてほしい。(深)』 | ||||
2014年5月19日(月) | ||||
次の写真は、先週からうちで英語のレッスンを始めたチアゴとカロリナ。先々週の土曜日は私の都合で彼らのレッスンを始められなかったので、代わりに月曜日の夜、最初のレッスンをして、この写真を撮った先週の土曜日の午後に2回目のレッスンをした。チアゴは羞ずかしがり屋さんで、なかなか大きな声で復唱できない。でも、がんばっている。カロリナに学校のノートを見せてもらったら、現在完了形などもすでに学んでいて、だいぶ難しい文型をやっている。それで、うちのレッスンでは聞くことと話すことを重点的にするから初歩的な内容でも少し我慢してねと、エドソンを通して話してもらった。彼女はとてもていねいできれいな字を書く。ただ、ブラジルの学校では活字体ではなく筆記体で字を書くように教えるようで、しかも日本で教わる筆記体とはちょっと違った書き方をするため、ダニエラたちもそうだけれど、字はきれいなのだけれど、書いていることを確認しようとして、何て書いてあるの?と、ちょっと戸惑うことがある。
| ||||
2014年5月20日(火) | ||||
夏の間、あまりたくさん花を咲かせなかったハイビスカスが今の時期、夏場よりもたくさん花を咲かせている。その花の蜜を求めてハチドリや蝶々が花の回りを飛び回っていることがよくある。先日、比較的大きな黄色い蝶々が2匹飛び回っていたので、写真に撮ってみた。
| ||||
2014年5月21日(水) | ||||
今年はオレンジやレモンが豊作で、うれしい悲鳴をあげている。オレンジはせっせとしぼってオレンジジュースにして毎日飲んでいるので、たくさん収穫してもすぐに消費できて困らないのだけれど、レモンはチーズケーキやレモンパイを作るのに少し使うくらいではなかなか減らない。それでオレンジジュースの合間にレモネードを作ったり、お酢の代わりにレモンのしぼり汁を使ってサラダドレッシングを作ったり、単にレモンをしぼってお肉にかけたりと、とにかくレモン汁を使うようにしている。そして、ヒバマーはレモネードが好きと言うので、先週の土曜日に仕事に来てくれた際、エドソンが好きなだけ持って帰っていいよと言って、レモンをあげていた。次の写真は、たわわに実をつけているレモンの木の1本。
| ||||
2014年5月22日(木) | ||||
シュハスコ小屋の後ろのハーブガーデンに植えたアロエ数本の内の1本が、花を咲かせているので写真に撮ってみた。このアロエは数年前、イビウーナの中村さんのところで分けていただいて、持って帰った小さなものを植えて、育てていたのだけれど、だいぶ大きくなってきたからか、今回初めて花を咲かせた。後ろのうっそうとした木は、ローズマリーの木。小さなポットの苗を買ってきて、ここに植えたのだけれど、ぐんぐん大きくなって、今では側のアロエを圧迫している感じだ。アロエの右側の植物は、小さな観賞用のパイナップル。3つ実をつけているのだけれど、実の重さでダラーっと地面スレスレに傾いているので、その内の2つを手で支えて立たせてから2枚目の写真を撮ってみた。
| ||||
2014年5月23日(金) | ||||
以下の短い記事は、ニッケイ新聞2014年5月20日付け「大耳小耳」からの転載。フェイジョンというのは豆を肉やソーセージなどと煮込んだ塩味の煮豆料理のことでブラジル料理の代表のひとつ。ブラジル人にとってご飯とフェイジョンは、日本人のご飯とみそ汁のようなもので、なくてはならない。ブラジル人は本当にファイジョンが好き。エドソンのお父さんもメインのおかずが何であれ、ファイジョンは昼と夜、毎日ないとダメという感じだった。学校給食でも子供たちがファイジョンを食べているところをよくテレビのニュースなどで見る。だからブラジルのマクドナルドのまかないがファイジョンでも不思議はない。それから、マックと言えば、日本やアメリカでは値段が安いというのが普通の印象だけれど、ブラジルのマクドナルドは値段が高い。普通のランショネッチでコシーニャやパステウにソーダを足して二人で食べても、15レアル(約750円)足らずで済むけれど、マクドナルドで一番安いチーズバーガー2つにフレンチフライのSサイズをひとつだけつけて、Sサイズのソーダ2つを頼んだだけで30レアル(約1500円)近くする。めったにマックで食事をすることはないけれど、どうして物価や人件費の安いブラジルで、マックは値段が高いのか不思議でならない。食つながりのニュースでもうひとつ。キリンが「一番搾り」を南米で初めて生産して、ブラジル全土で販売を開始するというニュースも同じ20日付けの記事にあった。パーディーニョでは無理だろうけれど、ボトゥカトゥのスーパーで目にするようになったら買ってみたいなと思った。 『マクドナルドでフェイジョンが食べられる?!当地雑誌記事を読んで目を疑った。記事によれば、従業員が、まかないのハンバーガーを拒み、フェイジョン、ご飯をと訴えたことが発端。従業員に提供される食事が客に提供できないのはおかしいとのことで、隠れメニューとして提供されることになったとか。その定食には、サラダ、飲み物、鶏肉・牛肉・魚のサイドがつき、通常のビッグマックセットの4レほど高い23レで提供される。ブラジルを訪れた際には「プラト・エスクルジーボ(特別メニュー)」を試すのはいかが?』 | ||||
2014年5月24日(土) | ||||
この火曜日の午前中、パウロの事務所に出る用事があって、エドソンはパーディーニョの町に出かけて行った。その帰り道、カロリナソイルが工場の敷地を拡張するために、隣接の広い農地を平らにする作業をしていたので、作業をしている人にこの土をどこかに捨てるんだったら、トラック2台分ほどうちに分けてもらえないかと頼んだという。すると快く応じてくれ、エドソンが帰宅するとそのすぐ後に続いて、トラックが2台やってきて、土を運んできてくれた。この土は農地の土なので、ランドマークの木の足元に入れて、流出したランドマークの木の足元に土を足して足元を保護したり、畑に入れたり、敷地内の木々の根元に入れたり、ポットで苗木を育てたりする際に利用できるので、とても助かる。ご近所のよしみとは言え、買えばお金のかかる土を無料で快く分けてくれて、大大感謝!!その夜、エドソンはエンブラエーの高校での先生たちとのミーティングで出かけて行ったりして、火曜日は家を出たり入ったりと大忙しだった。今回のエンブラエーでのミーティングは前回とは打って変わり、プログラムコーディネーターの人が友好的に迎えてくれ、集まった先生たちや校長先生がとても強い関心を示して、いくつか具体的にプロジェクトをする話になったらしい。今回私は同行しなかったけれど、バウルからデミウソンが前回同様駆けつけて、一緒に話し合いに参加してくれたそうだ。
| ||||
2014年5月25日(日) | ||||
木曜日の午前中、エドソンがボトゥカトゥに行く用事があったので、一緒に行って、前の週の金曜日に受け取り可能という連絡のあった私の新しい免許証をポウパテンポに受け取りに行った。これでようやくふたりの免許の更新が完了し、ほっとする。帰りにドナ・マリナの店に行き、野菜や果物、米やしいたけや味噌などを買って帰った。ドナ・マリナは八百屋が基本なので、野菜や果物が新鮮で豊富な種類があり、とてもうれしい。セロリなどは、たま~にパオン・ジ・アスーカーやウエノで見かけるけれど、必ずと言っていいほどしおれていて古そうなので、買う気にならない。でも、ドナ・マリナにあったセロリはとても新鮮で、シャッキっとしていたので、大きくても買ってしまった。その晩、早速買ってきたばかりの大根やセロリやブロッコリーをたっぷり使った洋風おでんを作った。 私は身の回りに観葉植物や花を置くことが好きなので、ダイニングルームの窓際の棚の上に鉢植えを置くだけでなく、ダイニングテーブルの上のひと隅にも必ず花瓶を置いて、花を飾るようにしている。だいたいいつもバラを2~3本に、マーガレットや庭の草花を添えて飾るのだけれど、このところバラは小休止していて花がないので、白い花を咲かせている庭の木の枝数本と、赤い色の葉物植物の葉を飾ってみた。左側の鉢は白い花の咲くランで、今、つぼみを3つほどつけている。この他窓際に置いたランのひとつも小さな芽をつけた茎が伸びつつある。花が咲くのはまだ先のことだろうけれど、どちらも花開くのが今から楽しみ。エドソンも朝食の際、窓際の植物を眺めがら、ランがつぼみをつけ始めたねとか、竹が水を欲しがってるねとか、結構注意して見ているので、彼も楽しんでいるんだなと思う。
| ||||
2014年5月26日(月) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2014年5月22日付け「コラム 樹海」からの転載。男性記者には絶対書けない、女性記者ならではの比較文化論だなと、おもしろく読んだ。
『当地の女性用下着は大胆な色使いやレース使いが美しく、女心をくすぐられるが、機能性に欠けるのが玉に瑕だ。特にブラジャーは「使えたものではない」が正直な感想。当地の化粧品市場は一昨年に日本を抜いて世界第2位規模になり、2年後には米国を抜いて世界第一になる勢いだと報じられているのに、そのけん引役である女心に訴える商品が充実していないのは不思議だ▼ブラジャーの場合、とにかくサイズ展開が貧弱で機能性に欠ける。日本や欧米ではトップバスト(胸の一番高い所を測ったサイズ)とアンダーバスト(胴体のサイズ)という二種の寸法から当人に合ったサイズをはじき出すので、Bカップと言っても胴体の太さによりB65、B70、B75…と5センチ刻みでサイズが展開される。つまり、A~Gまでの7種のカップに対し各5サイズがあれば、一つの新商品に対して合計約35種のサイズ展開がある訳だ▼ところが当地の大半のメーカーはアンダーバストを考慮に入れず、38、40、42という大雑把なサイズ展開しかない。だから「カップは合うけど胴がきつい」などの不具合が生じる上、本来あるべき「胸を支える」「形作る」機能が弱く、いずれ女が恐れる「垂れ」「型崩れ」がやってくる。日本のブラジャーに慣れた女性にとってはあるまじき事態だ▼サイズ展開を増やすメーカーも出てきたようだが、まだまだ未開拓市場のようだ。日本製は高額だがサイズが豊富で機能的、質の高さではどの国にも負けない、〃胸〃を張れる商品群だ。メイド・イン・ジャパンで当地下着市場に〃密やかな革新〃をもたらしてほしいもの。(阿)』 | ||||
2014年5月27日(火) | ||||
先月上旬、セージオとルシアの所で出会ったマーレーニという女性は、4月17日(木)からうちで英語のレッスンを始める約束になっていたのだけれど、彼女の都合で3週間延期になり、その後、延期になった最初の日はちょうどアメリカーナに行く予定が入ってしまったので、こちらから延期してもらったら、更に2週間延期してほしいということになった。こんなふうに延期が続くと、本当にやる気があるのかな?と、少々疑問になってきた。それで先週3度目の正直でレッスンに来れるのかどうか、前日、エドソンにメールで確認してもらったところ、やはり思った通り、さらに2ヶ月延期して、7月からの開始にしたいという返事だった。ああ、やっぱり本気でやる気はないんだ、と納得。レッスンを受けたいと口先だけで言う人たちは結構いるけれど、レッスンの日時と開始日まで決めて、結局来なかったのは、彼女で2人目。まあ、こちらからは生徒さんの選り好みはしないので、来たい人だけが来ればいいと思っている。でも、彼女のレッスンがなくなり、本当は少しほっとしている。と言うのも、現在、月曜日がジミーとジェフ、火曜日がジョズエとへナト、水曜日がダニエラとガブリエラ、土曜日がチアゴとカロリナのレッスンで、週に4日レッスンをしているため結構忙しい。これで木曜日も埋まってしまうと、ちょっとゆとりがなくなるなあ・・・と思っていたので、無理のないスケジュールを保てることができることになり、良かったと思っている。 ニッケイ新聞2014年5月24日付け、日系社会ニュースに、『W杯日本代表宿泊ホテル=新館もグランドも未完成=「5月31日までに完成する」=チーム到着まであと2週間=室外機の設置まだ半分か?』という記事があった。3月末にこのイトゥーのホテルを空から撮影した写真をブログにアップしたのだけれど、まだ完成していなかったのか・・・?おそらく間に合わないのでは?と書いていたニッケイ新聞の予測は的中することになるのかな?この記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2014年5月28日(水) | ||||
雨の降らない水不足の夏が終わり、週に一度くらい雨が降り出し、水不足が解消したと思ったら、またまた雨が降らなくなり、今月は森の泉の湧水の量が減り始めたため節水に努めていたところ、ようやく18日の日曜日に待望の恵みの雨が少し降った。そして、22日の木曜日の午後また雨が降り、一旦上がって日差しが戻ったのだけれど、午後7時過ぎ頃からまた雨が降り出し、以後、毎日しとしとと雨が降るお天気が日曜日の夜まで続いた。こういう雨は地面にしっかり染み込んでくれるのでとてもありがたい。ただ、木曜日から続いた雨で土曜日はどんどん気温が下がり、何だか冷えこんできたので、午後チアゴとカロリナのレッスンが終わってから、エドソンが薪ストーブに今年初めて火を入れてくれた。次の写真は、ストーブに火を入れているエドソンと、彼の膝の上に乗ってお邪魔虫をしているはる。
| ||||
2014年5月29日(木) | ||||
次の写真は、しとしとと雨の降り続く日曜日の午後、霧に包まれた庭を居間の中からパチリ。2枚目は同じく日曜日の午後撮影したはる。そろそろ本格的な冬の到来のようで、雨が止んでお天気が回復した後も寒い毎日が続いている。日曜日は土曜日よりもさらに気温が下がったため、お昼頃から薪ストーブをつけて、防寒のためにはるには洋服を着せた。この服は去年モビの手術の後に、包帯が巻かれた体を保護しようと思って買ったのだけれど、モビには小さ過ぎて着せることができなかったもの。でも、はるに着せてみると、袖回りや胴回りはちょっとゆるめだけれど、着丈はぴったりだった。はるが見上げて見つめているのは、画面には写っていないけれど、側に立っているエドソン。
| ||||
2014年5月30日(金) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2014年5月27日付け「コラム 樹海」からの転載。ジウマ大統領は人を激しく批判することをためらわない人のようだけれど、人から批判されるのは嫌なようだ。
『W杯まで20日だった23日、元代表選手で現地実行委員会(COL)メンバーのロナウドが、官僚主義や多くの混乱を批判し、「W杯準備の遅れを恥ずかしく思う」と発言した▼15日付2面でも触れたが、5月始めのW杯関連工事の完成率は41%。空港からホテルまでの道はぬかるみという例すらある事を知る人なら、国が開催を請け負った時点での約束が果たせない事を恥ずかしく思うのは当然だろう▼だが翌24日、ジウマ大統領やアウド・リベロ・スポーツ相は「恥ずかしく思う理由は何もない」「(COLメンバーでもあるロナウドの発言は)自国に対する自殺点のような行為」と強い口調で言い切った。これらの発言に開いた口が塞がらなかったのはコラム子が日本人故か▼伯国はルーラ政権時代、国際サッカー連盟(FIFA)の意向に反して開催都市を増やし、2012年には準備が遅いとしてCOLへの政府介入を決めた。W杯反対デモも続く中、政府側が自国の非を認める発言もせず、ロナウドを批判したのは謝る事を良しとしない伯国人気質故かも知れない▼だが、ロナウドが4月にアエシオ・ネーヴェス候補と試合を観戦した時の写真をインターネットに掲載し、「親友で未来の大統領」とコメントした事も態度を硬化させたというのは勘ぐり過ぎか▼ジウマ大統領は外からの批判に強い態度で反発する事が多く、FIFA会長とも仲違いしたままだ。コンフェデ杯でブーイングが出た事もあり、今回のW杯は開催国首脳の挨拶すらない開会式で始まる。今回の反論は一国の首脳としては狭量で謙虚さに欠ける性格の表出といったら、更に大きな反発が返ってくる?(み)』 以下も、同じくニッケイ新聞2014年5月27日付け「オーリャ!」からの転載。
『作家エウクリーデス・ダ・クーニャが北東伯のカヌードスの乱を描いた著書『オス・セルトンイス(奥地)』(1902年)を指し、コラム子が通う大学の教授は「これが本当のブラジル。地方の現実はこの時代と大きく変わっていない」と指摘した。「本当のブラジルはサンパウロやリオではなく、地方の現実にある」と。 | ||||
2014年5月31日(土) | ||||
たくさん収穫できるレモンを消費するには、これまでのようにレモン汁を少し使うだけのレモンパイではなく、メレンゲの代わりにレモンの輪切りをレモンクリームの上に乗せたレモンパイを作ってみた。このレモンパイを作るのに3つのレモンを使った。輪切りのレモン1個分は砂糖とはちみつを混ぜたものに漬けて、その漬け汁もレモンクリームの上に乗せたレモンの輪切りにかけてみた。レモンクリームは2個分のレモン汁で酸味の効いた味になり、クリームの上に乗ったレモンの輪切りと共にパンチの効いた味になった。見かけはどうあれ、なかなかおいしいレモンパイができ、エドソンも合格点をくれたので、満足、満足。
|
Home | Copyright (C) 2009 Kyoko Yoshida | Next |