Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2014年2月1日(土) | ||||
27日、月曜日の夜、9時15分にごちそうさんを見終わった頃から雷が鳴り出した。エドソンがブレーカーを落とすから準備してというので、はるをおしっこに連れ出したりして、寝る準備をして、9時半過ぎにはベッドに横になった。するとすぐにとても激しい雨が降り出した。その激しい雨が1時間余り続いた後小降りになり、峠を越えたのかな?と思っていると、いきなりドッカーン!というすさまじい音がして、雷が近くに落ちたようだった。エドソンは心配になり、懐中電灯を持って起き出して、ワークスペースを調べ始めた。焦げ臭い匂いがするというので、私も起きてふたつの懐中電灯で照らして、どこから焦げ臭い匂いがしているのかを調べた。エドソンがアマチュア無線のソフト開発のために使っていた新しいSDRボードが机の上から側のソファーの上へと吹き飛んでおり、焦げ臭い匂いはそのボードの一部が焦げた匂いだった。家の北側にある避雷針兼電波塔に雷が落ちて、ケーブルを伝って雷のエネルギーが家の中に入り込んだのか、SDRボードとその下にあった機材を破壊したようだった。エドソンのワークスペースのコンピュータや無線機なども壊れたかもしれないという不安を抱えつつ、停電していて調べようがないので、被害の全容を掴むのは翌日に持ち越しとなった。 翌日、火曜日の午前10時前に電気が復旧し、エドソンがワークスペースの機材を調べると、恐れていた通り、ほぼすべての機材が壊れてしまっていた。前述のSDRボードとその下にあった機材の他に、コンピュータ2台、ノートパソコン1台、アメリカ時代から大事に使っていた高価な無線機2台、パワーサプライや、ノーブレークというコンピュータを保護するための装置、インターネットの装置などなど。これだけで被害総額は百数十万円。これはここで1年以上楽に生活できるような大金。万全の臨戦体勢を敷いたにもかかわらず、このような想定外の被害が出たことに、エドソンはひどく落ち込み、しばし茫然自失という感じだった。その後、家の中をくまなく調べると、私たちの寝室にあった扇風機も壊れており、居間の天井にある4つのシーリングランプの内のひとつの電球とソケットが焦げて壊れていた。また、森の中の貯水タンクから丘の上の貯水タンクに水を自動で汲み上げるためのシステムまで壊れていることがわかり、想像を絶する雷のエネルギーの破壊力にただただ唖然とするばかりだった。この被害状況から雷が落ちたのは電波塔というふうに単純には考えられないというのがエドソンの見解だった。 ただ、一番大事なエドソンの仕事用のコンピュータの中のデータまでは壊れていなかったのは不幸中の幸いだった。これが壊れてしまっていたら、新しいコンピュータを買って済む問題ではなく、エドソンの受けるダメージは計りしれないものになっていたはず。そして、私のノートパソコンとプリンターも無事で、インターネット接続のための復旧作業が終われば、取りあえず使えるようになることがわかり、少しほっとした。ただ、壊れてしまったエドソンの2台の無線機はブラジルでは手に入らない種類のものなので、彼の落胆は大きなものだった。次の写真は、壊れた扇風機を分解して調べ、修理した後、組み立て直しているエドソン。この扇風機は日本から持ってきたもので、古いのだけれど、ブラジルでは同じように音の静かな高性能のものは手に入らないので、修理ができ、また使えるようになりとてもうれしかった。エドソンに感謝、感謝。
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2014年2月2日(日) | ||||
29日(水)は、ここから北西に1時間半ほど行ったバウルという町の連邦警察で、エドソンのパスポートの更新手続きをする予定だったので、朝一番で、はるをヴィラ・シーコに預けて出かけて行った。ボトゥカトゥを通り過ぎて最初の料金所を通過した頃、エドソンの携帯に連邦警察から連絡があり、システムがダウンしていて予定通りに受付できないので、予約を2月6日(木)に変更してと言ってきた。連邦警察での手続きは予約制なので、急遽予定を変更。Uターンしてボトゥカトゥに戻り、貯水タンクの自動汲み上げシステムに必要な装置を買い、コンピュータの専門店に行って、新しいコンピュータを組み立てるのに必要な部品とノートパソコンなどを注文して、ついでに私の掃除機の部品を売っている店を確認したりした後、お昼を食べてからはるを迎えに行き、午後2時過ぎに帰宅した。コンピュータなどの注文が1日遅れれば、エドソンのワークスペースの復旧もさらに遅れるところだったので、連邦警察の予約がキャンセルになったのは、優先順位からすると良かったかな?と、思った。 火曜日の夕方パウロの会社のスタッフのひとりがインターネットの接続復旧のために来てくれたのだけれど、いろいろ手間取って復旧には至らなかった。水曜日の帰宅後は再度の復旧作業に誰かが来てくれるのを待ちながら、暑さと寝不足からくる疲労で、エドソンも私もしばらく居間のソファーで横になった。そして、5時を回ってホドリゴが来て作業をしてくれた。3時間ほどかかって午後8時過ぎにインターネットが復旧したお陰で、ようやく落ち着いて晩ご飯にありつくことができた。感謝。感謝。 コンピュータがないため仕事も何もできないエドソンは、今後このような雷の事故を防ぐためにはどうしたらいいか?と、いろいろと頭を悩ませているようだった。それに加えて、この夏は降雨量が異常に少なく、去年森の中に作った井戸のようなものから貯水タンクに溜まる水の量も極端に減っていて、水不足になる一歩手前の状況に直面していることもあり、そちらの対策も考えなくてはならず、エドソンは本当に大変。でも、給水システムも電気システムもすべて彼が自分で考えて作ったものなので、インターネットへの接続復旧作業は別として、我が家の電気関係の復旧作業を誰かに頼る必要はなく、彼が自分でできるところが強み。火曜日は本当に落ち込んでいたエドソンだけれど、とにかくできることからひとつひとつ問題を解決しながら、1日、1日、少しずつ元気になってきている。 | ||||
2014年2月3日(月) | ||||
この夏は異常気象で、降雨量が極端に少ないため、葉切りアリが猛威を振るったり、今回のような予想を越えた雷の被害が出たり、例年にない暑い毎日で、水不足一歩手前の危機的状況に直面していたりと、大変なことが重なっている。ここは通常であれば、昼間は暑くても、夜から朝にかけては気温が下がるはずなのに、30日の木曜日は夜になっても涼しくならず、31日金曜日の朝は、風がまったくなく、朝食でコーヒーを飲んだら汗が吹き出すほどだった。パーディーニョに越してきて以来初めて経験する暑さに少々バテぎみ。31日はこの夏一番の暑さを記録したのではないかと思う。翌日の1日(土)から、朝は少し気温が下がるようになったものの、それでも20度を下回らないためいつもよりも暑く、エドソンとふたり二言目には「暑い」「暑い」と繰り返している。ただ、最低気温が21度くらいで最高気温がせいぜい33度くらいなので、サンパウロの35度やリオの40度を越えた気温に比べればずっとましなのだけれど・・・ 1日土曜日の午前中、コンピュータの部品やノートパソコンなどを、ボトゥカトゥのコンピュータ専門店に受け取りに行った。今回の外出は短時間で、はるをヴィラ・シーコに預けるほどのことはないと思い、一緒に連れて行ったのだけれど、人通りの多い街中という初めての環境で、はるは大興奮だった。お店に入ってからも、はるが興奮と暑さで舌を出して「ハアハア」いっているものだから、お店の人たちが入れ替わり立ち替わりはるのために水を持ってきてくれたりと親切にしてくれたのはありがたかった。お陰で、はるがコントロール不能になることはなく、まずまず及第点をあげることができる状態でいてくれたので、ほっとした。次の写真は、土曜日の夜、「寝る前におしっこに行こう」と声をかけると、居間に置いたベッドの中でうたた寝をしていたはるが、ひっくり返ってお腹を丸出しの恰好をしたのでパチリ。このポーズにどんな意味があるのかは不明。
次の写真は、シュハスコ小屋の後ろのハーブガーデンにある大きなローズマリーの木の中央下部分に現れた、マリンボンドという黒い蜂の巨大な蜂の巣。バレーボールの2倍くらいありそうな大きさ。先月上旬、エドソンが見つけたのだけれど、巣が巨大で、無数の蜂が飛び回っていて、側に行くとそのブンブンという音がうるさいくらい。これも雨が少ないために起こった珍現象のひとつだろうか?
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2014年2月4日(火) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2014年1月31日付け「コラム 樹海」からの転載。 『「施設の社長は日系か、ブラジル人か?」。イトゥー市に建設中のサッカー日本代表宿泊施設の工事が遅延かとの話題を、日系建築専門家に振ったところ、まずそう聞かれた。「日系人です」と言うと「じゃあ5月中に完成させるのは難しいな」と即答した▼理由を問うと「3・11の時ですら日本では商店を略奪しなかったが、ここでは平時でもトラックが横転すると付近住民が群がって積荷を略奪する。『他人のものは自分のもの』が当たり前。でも日系人は普通、他人のものには手を出さない」と応えた▼それと工事がどう関係するのかと解説を乞うと「ここ数年来、好景気で作業員が大幅に不足中。しかも今は遅れに遅れたW杯用蹴球場や大型インフラ工事が大詰めで、政府にケツを叩かれた大手建設会社が作業員を無理やり集めている。そんな時期に作業員を集めて突貫工事をするのは至難の技」と答えた。積荷を奪う貧民からさらに奪い取るぐらいの無茶ができないと、この時期に大量の作業員を確保するのは難しいらしい▼日本サッカー協会は当地の総領事館に現地事情を聞くこともないとか。当地では発注主が現場に日参して工期遅れのケツを叩くことは多いが、サッカー協会にそんな人材はいないとも。未完成の状態で選手が無理やり宿泊させられれば、試合成績にも影響は必至か▼日本側は後から「日系社長だから信用したのに」と言い訳するかもしれないが、件の建築専門家は「この時期に、今から建設する施設を宿泊先にして『日系社長だから大丈夫』なんて信用するのは素人考え。当地事情が分かっていない証拠」と切り捨てた▼もちろん間に合う可能性もある。だが性悪説社会だけに「最低限の監視は義務」との話も。さて、どうなることやら…。(深)』 上記のイトゥー市に建設中のサッカー日本代表宿泊施設の工事の遅延に関する不安に関連して、同じくニッケイ新聞の2014年1月10日付けから5回に渡って『《寄稿》 日本は調整不良で全敗する!=2014年W杯緊急問題提起=フリージャーナリスト 笹井宏次朗』という記事の連載があった。その5回の連載記事の内容は以下のようなもので、この連載記事のサイトは、こちらへ。
(1)=最初から決まっていた合宿地=本当にイトゥーでいいのか | ||||
2014年2月5日(水) | ||||
1月31日の金曜日に、2月15日発行の「楽書倶楽部」第21号が届いていた。同人のみなさんからの原稿が早く集まったからなのか、予定よりもずっと早く届いていたのでびっくり。以下は、この号に掲載された「網戸」と題する私の記事のコピー。
ブラジルに移り住んで五年になる。ブラジルでの生活に慣れたかというと、いたって心許ない。ここでの暮らしは不便なことや戸惑うことの方がまだまだ多い。 田舎暮らしだからという一面もあるかもしれない。とは言うものの、サンパウロやリオデジャネイロなどの都会やその大都市圏内の都市は例外として、この広いブラジルのほとんどは大いなる田舎なのだから、むしろ私はリオやサンパウロで暮らす人たちよりも、よほど典型的なブラジル暮らしをしているのかもしれないと思ったりもする。 ブラジルに来て「不思議だなあ」「どうしてだろう」に思うことが多々ある。中でも私にとって切実な疑問は網戸だった。夫の実家のあるリオデジャネイロ州のパラカンビやその周辺の町でも、ここパーディーニョや近隣の町でも、窓に網戸のある家をほとんど見かけたことがない。国土の九十三%が熱帯地域に属すると言われるブラジルは、温帯気候の日本よりも一年を通じて暑く、飛び交う虫も比較にならないほど多い。網戸のない窓を開けていると、昼間はハエや蜂などの虫だけでなく、ハチドリなどの小鳥まで家の中に迷い込んでくる。夜は蚊だけでなく、大小様々な虫が家の灯りに誘われて群がってくる。蚊を媒介して感染するデング熱などの問題が切実に存在するブラジルで、網戸がないのは一体どうしてだろう?と思う。ブラジルに来て以来、虫刺されに悩まされ続けている私には不思議でならない。 標高が一千メートルほどあるパーディーニョでは幸いデング熱の問題はなく、冬は寒いため、冬の間は虫刺されから解放されるものの、冬以外の季節は相変わらず私はよく虫に刺される。地元の人たち何人かにこの疑問を投げかけてみても、「どうしてだろう?」「網戸は子供の頃住んでいた家にはあったけど・・・」などというあいまいな答えが返ってくるだけで、謎は解けない。要するに彼らは私ほど虫に刺されることがなく、たまに刺されるくらいでは、網戸の必要性を感じないということなのだろうか? サンパウロに近いイビウーナなどでは、網戸は簡単に手に入ると香山さんから聞いたことがあるけれど、ここでは、窓に網戸を取り付けている家がないだけでなく、いくら探しても網戸を販売したり、製作してくれる店も見つからない。そもそも店で販売されている窓には鎧戸はついていても、網戸はついていない。オプションでつけられるようにもなっていない。最近我が家の犬が時々お世話になっているボトゥカトゥのペットホテルの窓には網戸があるので、どこに頼んで作ったのかと聞くと、お父さんの手作りだという。需要がないから供給がないのか?供給がないから需要がないのか? 我が家建設の途上で、この町の鉄工所に窓を作ってもらった。網戸も頼んだのだけれど、居間の横のドアの外側に取り付けるための網を張った扉は作ってくれたものの、私たちが希望するような窓に取り付ける網戸はできないと、注文から1年以上も経ってから断ってきた。 この鉄工所でできる網戸というのは、日本で普通にあるアルミサッシの窓の半分だけを覆う引き戸式のものではなく、窓全体を覆うはめ込み式のもので、簡単には取り外しができない種類のものだという。それでもいいからと妥協して、とりあえず熱や湿気をこもらせたくない浴室と台所と納戸の窓に取り付けるための網戸四枚の製作を頼んだ。注文から半年近く経って、ここでの五回目の夏を迎える前に、ようやく網戸を取り付けてもらうことができた。ただしこの網戸、窓枠との間に隙間がある代物で、虫を完全にシャットアウトすることはできない。こんなちょっと残念な網戸でも、あるとないとでは大違いで、昼夜家の中に入ってくる虫の数は格段に減った。
そして、ほんの数ヶ所でも網戸があるお陰で、一日中これらの窓を開けておくことができるようになったので、風通しも良くなり、外気温が下がる夜は、網戸のお陰で室内の熱を逃すことができるようになり、暑い時期、無駄に暑い思いをしなくて済むようになった。サンパウロやサンパウロの近郊に住んでいれば、こんな不便や苦労はないのかもしれないけれど、ここではサンパウロでは得られない美しい自然環境と安全があるので、多少の不便には代えがたいと自分を納得させている。 それにしても、ブラジルは立派な高層ビルを建てたり、世界有数の巨大なダムを建設したり、最新技術を駆使した世界に誇る中型ジェット旅客機を作ったり、アメリカにもない深海での石油採掘技術を持っている一方で、家電製品など日常の暮らしに必要なものの品質は驚くほど悪い。このギャップは一体どうしてなのだろう?でも、アメリカでも家電製品などは日本のものに比べたら品質がかなり劣るのだから、仕方のないことなのだろうか? | ||||
2014年2月6日(木) | ||||
ブラジルに来て以来ずっと、「暮らしの手帖」を送ってきてくれている広島の友人が、おもしろそうな本があったと言って、「忘れられない日本人移民--ブラジルへ渡った記録映像作家の旅」という本を送ってきてくれた。うちの「香山文庫」にまた一冊興味深い移民関連の本が加わった。友人の暖かい心遣いに心から感謝。
年が明けてからずっと節水を心がけているのだけれど、とにかく雨が降らず暑い毎日が続いているためいつもならあちこちから涌く水で湿っている森の中の地面もカラカラで、貯水タンクに溜まる水が減り続け、かなり危なくなってきている。それで1週間ほど前からさらなる対策として、飲み水やお料理に使う水は店で買ってきた20Lボトル入りの水を使い、トイレに流す水は昨年4月末に水が止まった際、エリゼウが給水車で運んできてくれた水の一部を雨水用の貯水タンク(1000L)に取っておいたものがあるので、それをバケツなどで汲んで使い、洗濯は水の使用料の多い洗濯機は使わず手洗いするなどしている。シャワーを浴びたり、手を洗ったり、台所でお皿などを洗うためにはどうしても我が家の水を使わなければならないのだけれど、それ以外では極力使わないようにしている。それでいつもははるのシャワーはエドソンがシャワーを浴びる際、一緒にしてくれていたのだけれど、先週から家の外の貯水タンクの水を使い始めた。次の写真は、その貯水タンクの前ではるの体を洗っている私と、石けんで泡だらけになっているはる。
この降雨量の少なさによる水不足はブラジル各地で起こっており、ニッケイ新聞2014年2月4日付けのブラジル国内ニュースでは、「大聖市圏の水不足深刻に=1月の雨量は過去最低=水道局は節水で値下げへ=W杯へ向け電力でも懸念」という記事があった。こう日照りが続くと、農作物のできにも影響が出て、そのうち野菜などの値段が上がるのではないかと私は心配している。この記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2014年2月7日(金) | ||||
5日水曜日の夜、また先日のような雨と雷に襲われた。普通雨雲は西からやってくるものなのに、前回も今回も東からやってきた。まるで地球が逆回転でも始めたかのよう。とにかくすべてのコンセントを抜き、ブレーカーを落として臨戦態勢を敷いた。幸い今回は前回ほどひどい雷が近くに落ちたりはしなかった。雨の方は長く降ってほしかったのだけれど、やはりザーザーと1時間足らず降っただけで、雷雲が通り過ぎると共に止んでしまった。雨はザーザー降ると雨水は地面に吸収されず、地表を流れて行ってしまうだけなので、水不足の解消には役立たず残念なことだった。思った通り、朝はるとお散歩に出ると、地面はまったく濡れていなかった。 こんな日照りの中、森の木々はせっせと地中の水を吸収するため、日差しの強い午後は森の中の地面もカラカラになる。庭のアメンドインも午後は乾燥してみずみずしさがなくなり、その上を歩くとガサガサと音がするようになる。この暑いカラカラお天気で唯一元気にしているのは、森の側に移住させたミツバチのジャタイたち。夏は新女王蜂が巣立って分家する時期なので、新しい巣をこの棚で作ってもらうために、木の空き巣箱だけでなく、空の果物ジュースのテトラパックを簡易の巣箱に見立てて、棚に置いておいたら、それらがすべて満室になったとエドソンは喜んでいた。次の写真は、そのテトラパックのひとつ。ジャタイのグループのひとつがこの箱を巣として利用しようと決めたようで、無数のジャタイたちが箱の回りを飛び交っていた。それでエドソンが写真を撮ってくれたのだけれど、その写真をコンピュータにアップして見てみると、ジャタイが小さすぎてまったく写っていなかった。肉眼ではあんなにたくさんの蜂が黒い雲のような感じで群れ飛んでいたのに、写真ではまったく見えない。
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2014年2月8日(土) | ||||
6日木曜日の午後、予定通りバウルの連邦警察に行って、エドソンのパスポートの更新手続きを済ませてきた。午後5時の予約とは言うものの、お役所仕事で長く待たされるのだろうと思っていたら、あっけないほどスムーズに提出書類の確認と写真撮影が終わった。午後4時40分頃に到着して、連邦警察を出たときはまだ5時前だったので、20分もかからず、しかも予約時間の前に終わったことになる。パスポートの受け取りができるのは1週間後なので来週また行く予定。今回は予約時間が遅かったため、はるはヴィラ・シーコにお泊まりさせた。それで夕飯はボトゥカトゥまで戻って、ハファエウとマイーラと一緒にする約束にしていたのだけれど、連邦警察で時間を取らなかったため、約束の8時までにずいぶん時間があり、まっすぐ取って返さずバウルのショッピングモールに行ってみた。そこでちょっと覗いた台所用品のお店で、ボトゥカトゥなどでは見かけないとても品質のいいイタリア製のお鍋とフライパンなど7点と、ガラスの蓋が5つと蒸し物用の中鍋1つがついた13点セットを期間限定の特別価格(999.90レアル=約5万円弱)で販売していた。個別に買うとひとつ200レアル前後すると思われ、この品質でこの値段のものを見つけるのはきっと難しいだろうと思い、ずいぶん悩んだ末に分割払いで買ってしまった。「これを買ってもらったから、今後6年間クリスマスプレゼントはいらないから」とエドソンに言ったら、「僕もこのお鍋でできるお料理の恩恵を受けるんだから、半分の3年間でいいよ」と返ってきた。なあんだ、結局クリスマスプレゼントの先払いで合意か?とふたりで爆笑。でも、生まれて初めてこんな素敵なお鍋セットを手に入れることができて感謝!感謝!
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2014年2月9日(日) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2014年2月7日付け「コラム 樹海」からの転載。ブラジルには本当に不思議な現実が多々存在するのだけれど、これはその一例。 『「クレジットカードの年利ほぼ1千%」(2日付けエスタード紙)との見出しに戦慄を覚えた。これはサンタンデルVISAカードで現金を引き出した場合だとある。年初に3千レアル借りれば、年末にはなんと3万2千レに膨れ上がる▼この数字をみて「トイチ」だと思い当たった。日本の闇金融の代表的な手口で、「十日で一割」を略してトイチといい、年利なら365%になる。それが複利で貸し付けられるため、実質年利は1千%を超える。当地では一般銀行が闇金レベルの高利貸しを公然とする▼日本では利息制限法で年利が20%以下に抑えられているから「サラ金」でも18%程度だ。当地銀行のシェッキ・エスペシャルの148%に比べても〃上品〃な商法だ▼中銀の発表によれば、クレジットカード利用者の3分の1が利子なしの一括払いをできず、分割払いをしており、その総額は260億レアルに上る。利用者全体の37%が「90日以上の返済遅滞」に陥っているにも関わらず「中銀は憂慮していない」と書かれている▼貸した側にとって一番美味しいのは、高金利の最低返済月額を延々と払い続けてくれる借り主を多く持つことだ。この部分が金融業の〃フィレ・ミニョン〃だ▼同記事にはサンタンデルでもメキシコなら年利53%、スペイン本国なら26%だとある。本国の26倍の暴利を当地でむさぼる。先進国では不可能なことを、一部の多国籍企業は金融規制が甘い新興国で平気でやって儲ける。先進国の金利を知らない一般国民はカードに踊らされ、複利計算すらできなくても嬉々として買い物をする。いずれカード破産が社会問題になること間違いなしだ。(深)』 | ||||
2014年2月10日(月) | ||||
以下は、インターネット上で見かけた産経新聞2月8日(土)16時30分配信の、記事のコピー。長いのだけれど、とても真っ当なことを主張しているので、ここにコピーを掲載してみる。
『NHK新会長の籾井勝人(もみい・かつと)氏が1月25日の就任会見で、慰安婦問題への個人的見解として「今のモラルでは悪いことだが、当時の戦争地域には大体つきものだったと思う」などと述べたことに対して、朝日新聞と毎日新聞が批判する記事と社説を大々的に展開しています。 しかし、私はこれらの指摘には多くの疑問があり、籾井氏の発言が放送法上問題だというなら、朝日新聞社がテレビ朝日の「報道ステーション」、毎日新聞社がTBSの「NEWS23」でやっていることこそ、放送法違反だと思いますので、今回はそれをテーマに書きます。 まず、籾井氏の慰安婦問題に関する発言を振り返ると次の通りです。「慰安婦は、今のモラルでは悪い。僕はいいと言っているのではない。しかし、そのときの現実としてあった。この2つを分けないと分かりづらい。個人的見解だが、韓国だけではなく、戦争地域に僕はあったと思う。ほかの地域になかったという証拠はない。ドイツにもフランスにも、ヨーロッパにはどこでもあっただろう。この問題は、韓国が日本だけが強制連行したように主張するから話がややこしい。それは日韓基本条約で国際的には解決している。それを蒸し返されるのはおかしい」 この発言について、朝日新聞は1月28日付朝刊の社説で「あまりに不安な船出」と題し、「公共放送のトップを任せられるのか。強い不安を感じる」「NHKが向くべきは政府ではなく、受信料を納める国民の方である。放送内容が政府の宣伝ととられれば、海外での信頼もかえって損なわれよう」「これ(慰安婦に関する発言)には与野党から批判が相次ぎ、韓国でも反発を招いた」などと指摘しました。 毎日新聞の同日付朝刊の社説はさらに過激でした。「公共放送の信頼を失った」との見出しで、「従軍慰安婦問題などについて、不見識な発言を繰り返した。公共放送のトップとしての自覚のなさ、国際感覚の欠如に驚くばかりだ」として、「その資質が大いに疑問視され、進退が問われてもおかしくない。そして、彼を選んだ経営委員会も、任命責任を免れない」と進退にまで踏み込みました。 これらの主張にはいくつも疑問があります。まずはこの発言の経緯から指摘したいと思います。籾井氏は記者会見で記者からの質問に答え、「個人的見解だが…」とことわったうえで、先の発言をしました。すると、記者が「これは会長の記者会見の場だから、個人的見解は認めれない」と一方的に決めつけたことから、籾井氏は「それなら発言を取り消します」と答えました。しかし、記者は「取り消すことはできませんよ」とこれまた一方的に決めつけました。 このやりとりは記者の側に問題があります。「個人的見解は認めない」というのなら、籾井氏がそう発言した時点で「認められない」と宣言すべきです。それをせずに、発言を聞いた後で「個人的見解は認められない」「取り消すことはできない」と決めつけるのは、だまし討ちのようなものです。 また、記者会見はNHK会長としてのものであっても「個人的見解を述べてはいけない」などという決まりはありません。本人が「個人的見解」とことわっているのですから、そう受け止めるべきで、記事にも「個人的見解」であることを前提として付記すべきです。朝日、毎日両紙が記事の中でそれを曖昧にして「NHK会長としての発言」として報道するのは、読者に対して正確な記者会見の内容を伝えていることにはなりません。 次に発言の内容についてです。籾井氏はまず、「慰安婦は、今のモラルでは悪い。僕はいいと言っているのではない」と前置きしています。したがって、「現在の認識」としては慰安婦は「悪い」と言っているのであって、「いい」と言ったわけではありません。 そのうえで、籾井氏は「しかし、そのとき(先の戦争)の現実としてあった。この2つを分けないと分かりづらい。個人的見解だが、韓国だけではなく、戦争地域に僕はあったと思う。ほかの地域になかったという証拠はない。ドイツにもフランスにも、ヨーロッパにはどこでもあっただろう」と述べました。つまり、「先の戦争における事実への認識」を示したにすぎません。 このどこに問題があるのでしょうか。先の戦争において、籾井氏が指摘した国など多くの国が軍用慰安所を設置し、占領地でレイプを行っていたことは、多くの資料や事実で明らかになっています。その歴史的事実から目をそむけて、日本だけが慰安婦をかかえていたといわんばかりの朝日、毎日両紙の報道こそ、国内外の歴史認識をゆがめるものです。 また、籾井氏は韓国が慰安婦問題で日本への攻撃を強めていることについて、「韓国が日本だけが強制連行したように主張するから話がややこしい。それは日韓基本条約で国際的には解決している。それを蒸し返されるのはおかしい」と述べましたが、事実はその通りであって、何の問題もありません。 しかし、朝日新聞は「韓国でも反発を招いた」、毎日新聞は「(韓国との)溝は深まるばかりだ」とそれぞれ社説で批判しました。正しい発言でも韓国が反発したら問題だというのでしょうか。それこそ、「どこの国の国民のための新聞なのか」と言いたくなります。したがって、籾井氏の発言を「不見識」と決めつける両紙の報道の仕方こそ、国民に真実を伝えるという観点で問題があるのです。 第3に、朝日、毎日両紙は、籾井氏の発言を「政府の立場に寄り添うような発言」(毎日)との見解を示していますが、籾井氏はそんなことは一言も言っていません。逆に政府とは「(政治的公平を定めた)放送法があるがゆえに距離を保てる」と述べています。「政府寄り」などというのは、両紙が勝手にそう思い込んでいるだけで、これまた読者に誤った見方を植え付けることになります。 第4に、朝日、毎日両紙が「放送法上問題」と指摘していることです。籾井氏の発言は記者会見でのものであって、そうした内容の主張をNHKで放送したわけではありません。したがって、法的には何ら問題はありません。これを問題だというなら、朝日、毎日両社が系列のテレビ局のニュースで行っていることこそ、放送法違反ということになるでしょう。 これを論じるうえで、まず新聞とテレビの性格の違いについて簡潔に説明します。新聞各紙が会社の主張を社説として掲げているのに対し、テレビ局は放送法によってそれができないことになっています。というのは、新聞はだれでも発行が可能ですから、憲法21条の表現の自由に基づく出版の自由が認められているため、自由に主張ができるのです。 一方、テレビは限られた電波を割り当てられた許認可事業ですから、だれもがテレビ局を作れるわけではありません。したがって、表現の自由は一定の制限を受け、放送法によって「政治的公平」が義務づけられているため、特定の政治的主張はできないことになっているのです。 その観点から言えば、テレビ朝日の「報道ステーション」とTBSの「NEWS23」の報道の仕方には問題があるのではないかと、私はかねがね考えています。「報道ステーション」には朝日新聞の恵村順一郎論説委員が、「NEWS23」には毎日新聞の岸井成格(しげただ)特別編集委員が、それぞれコメンテーターとして出演し、純粋な政策的解説を超えて、両社の政治的主張を堂々と展開しています。それに対して、キャスターは反対の議論を紹介するわけでもなく、相づちを打ってうなずきながら聞くというパターンがほとんどです。 つまり、両番組とも朝日、毎日両紙の主張を事実上、そのまま放送しているわけで、これは「政治的公平」を義務づけた放送法に違反しているといえるのではないでしょうか。「政治的公平」を保つとすれば、政治的に意見が対立している問題を取り上げる場合は、意見の異なるコメンテーターを複数出演させるなどして、視聴者に対してさまざまな角度からの視点を提供すべきです。 私は両番組を見ていて、恵村、岸井両氏が明らかに政治的公平さを欠いた発言をしたり、明らかに事実に反する発言をしたりした場合は、両局に電話して抗議し、訂正を求めるようにしています。しかし、両局とも電話に出るのは窓口の女性で、私の抗議や訂正要請にも「担当者に伝えます」としか言わず、それによって番組内で訂正や謝罪が行われたことはありません。 こんなことで、放送法が義務づける「政治的公平」が守られていると言えるでしょうか。こうした報道がまかり通ると、それこそ「限られた電波を使った国民に対する洗脳」に行き着いてしまう危険性があります。朝日、毎日両社はまず、自分たちがテレビで行っていることこそ、放送法に照らしてどうなのか考えてみる必要があるのではないでしょうか。 籾井氏の発言に続き、朝日、毎日両紙はNHK経営委員の百田尚樹(ひゃくた・なおき)氏が東京都知事選で田母神(たもがみ)俊雄氏の応援演説を行ったことや、同委員の長谷川三千子氏が朝日新聞社で拳銃自殺した右翼団体元幹部を評価する論文を書いていたことについて「問題だ」とする記事を、これまた大々的に掲載しています。 しかし、両紙とも記事の中で触れているように、放送法は経営委員が個人の思想や信条を公にすることは制限していません。それならなぜ、問題なのでしょうか。両氏とも安倍晋三首相と親しいから悪いとでも言うのでしょうか。問題はないのに問題だという報道は、読者をミスリードすることになります。 今回で「朝日・毎日への反論」シリーズは5回目となりましたが、朝日、毎日両紙に対しては改めて「もういい加減、現実離れしたきれいごとの空論や、自らと主張が異なる安倍政権をたたくためなら何でもやるという政治的な思惑に満ちた報道はやめようではありませんか」と呼びかけたいと思います。 新聞各紙の主張はもちろん、それぞれ違っていて構いませんが、国民の「真実」を知る権利に応えるためにも、オピニオンリーダーとしてふさわしい、現実に即した、そして筋道の通った論理的な主張をそれぞれが掲げて、堂々と議論しようではありませんか。(高橋昌之)』 | ||||
2014年2月11日(火) | ||||
半年以上繰り返し同じパンを手作りして、毎朝食べていたら、さすがに飽きてきた。それで目先を変えるために、先月からバターロールを作ってみたり、フランスパンを作ってみたり、何とかレパートリーを広げようと努めている。昨日はイギリスパンに挑戦してみた。出来上がりの状態は、外は食パンよりも固くカリカリとした食感になってしまった。ふくらみが十分でなかったからか、材料の牛乳がなく入れなかったからか、中も食パンのような柔らかさにはならなかったけれど、食パンだと思わず、これはこういうパンなのだと思えば、こんなもんかな?と思えないこともない感じにはできあがった。次回は牛乳を買ってきて、ちゃんと入れて作ってみようと思っている。
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2014年2月12日(水) | ||||
水不足のため貯水タンクの水が減ってきているので給水してもらえないかと頼んでおいたら、忙しい仕事の合間を縫って昨日のお昼前、エリゼウがトラクターで水を運んできてくれた。次の写真は、エリゼウが運んできてくれたタンクの水を、我が家の丘の上の貯水タンクに、ホースで移しているところ。エドソンの携帯に電話がかかってきたので、丘の上まで携帯を持って上がると、水の移動に少し時間がかかるからか、ふたりは丘の上にはおらず、下の森に行っているようなので、今度は森までテクテク下りて行き、ようやくふたりを発見。
ジャタイの巣箱を置いた棚の周辺に、エリゼウからもらったり、苗屋で買った苗木や花の苗を植えているので、エドソンはそれらの成長具合をエリゼウに見せているところだった。私が丘に上がった際、タンクを見たらだいぶ水が溜まっていたので、そのことを伝えると、この後すぐに丘に戻って、給水終了。エリゼウが持ってきてくれた水でちょうど我が家の貯水タンクが満タンになった。去年も水の問題でエリゼウには助けてもらい、今年もまた助けてもらった。エリゼウにはいつも本当にとてもお世話になっている。心から感謝!
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2014年2月13日(木) | ||||
次の写真は、森の中の貯水タンクがある場所と、ジャタイの巣箱を置いた棚がある場所のちょうど間の辺にある、とても古いシロアリの巣。ここら辺でよく見かける普通の巣と違い、巨大な玉子のような何だかとても変な形をしているので、写真に撮ってみた。何かのアニメに出てきそうな生き物の顔のようでもある。
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2014年2月14日(金) | ||||
先週バウルの連邦警察に申請しておいたエドソンのパスポートを受け取りに、今朝、はるをヴィラ・シーコに預け、再度バウルに行ってきた。ヴィラ・シーコに着くとはるはうれしくて、私たちのことなんてすっかり忘れて芝生の上を走り回って楽しそう。次の写真の中央で、頭を撫でられている犬はヴィラ・シーコで飼われている2匹の犬のうちの1匹で、はるとはもうすっかり顔馴染み。そのすぐ後ろにいるのがはるで、手前の犬は初めて見る犬。先週はダックスフントがはるを入れて5匹もいたけれど、今日はこの手前の大きな犬と、ここで時々見かけるチワワと何かが混ざったような犬がいるだけだった。
前の写真に写っている手前の大きなオス犬がはるのことを気に入ったようで、はるが走り回るのをずっと追っかけ回して、はるのお尻をなめたり、体をなめたりしていたので、その様子を写真に収めてみた。はるの方は嫌がるふうではないけれど、まったくゴーイング・マイ・ウェーで、気にもしていないようだった。
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2014年2月15日(土) | ||||
昨日は、午前11時過ぎに連邦警察でパスポートを受け取った後、エドソンがお昼を一緒に食べる約束をしていたデミウソンの職場に行った。デミウソンはエドソンのアマチュア無線仲間の中でも特に親しくしている友人で、サンパウロ州立大学バウル校の気象観測所でチーフエンジニアをしている。次の写真は、その気象観測所の中の一部屋。観測所の敷地内にある巨大なレーダーで、バウルを中心とした半径400キロのエリアをカバーする気象観測を行っている。私たちも自宅で、この写真にあるのと同じインターネット上の観測所のレーダーサイトを見て、雨雲や雷雲の動きを確認して、それらの接近に備えるようにしている。
デミウソンに所内を一通り案内してもらった後、彼の車でバウルの中心部にある彼が大好きだという東京レストランに連れて行ってもらった。日本人移民の人たちはサンパウロ州の太平洋岸にあるサントスに上陸して、多くがサンパウロ州西部(内陸部)の移住地に入植したので、サンパウロ州の真ん中辺にあるバウルには、今はもうないようだけれど、昔は日本領事館もあったくらいで、この辺から西部にかけて日系人口が多くなる。それでバウルには何軒も日本食のお店があり人気なのだという。この店は「ポル・キロ」と言って、サラダバーのようにたくさんのお料理が並ぶテーブルからセルフサービスで好きなものを好きなだけお皿に取って、最後に重さを計ってもらって札を渡され、お店を出るときに支払いをするという、ブラジルにはよくあるシステムのレストラン。月曜日から金曜日までは100グラム4.79レアル(約230円)で、土曜日、日曜日、及び休日は、100グラム5.09レアル(約250円)というサインが出ていたので、それを写真に撮ってみた。エドソンと私のふたり分の料金は、それぞれ缶ジュースと缶緑茶1つずつを入れて、50レアル(約2500円)だった。デミウソンからここは日本食の店と聞いていたけれど、この写真のサインにもあるように中華料理もいろいろあった。私はブラジルに来て初めてここでお寿司(にぎり寿司と巻き寿司)を食べた。お料理はどれもおいしいと思ったけれど、無料でついていたお豆腐のお味噌汁は使っている味噌が違うのか、あまりおいしくなかったのは残念だった。この店でおもしろいなと思ったのは、おしぼりを出さないからか、入り口の扉を入る前の通路のような場所に大きな洗面台があって、お客さんは手を洗えるようになっていたことと、ここで働いている人たちはみな日系人のようだったけれど、お客さんはほとんどブラジル人の人たちで、日系人らしき人は私だけだったこと。それだけ和食とか中華の味が、地元の人たちに受け入れられて根付いているということなのかな?と、思った。
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2014年2月16日(日) | ||||
雨の降らない暑い日々が続いていたけれど、木曜日の夜半過ぎに雷を伴わない雨がしばらく降った。そして、金曜日の朝は気温が下がり、雨も少しパラつくお天気になった。金曜日にバウルに行った帰り、ボトゥカトゥで買い物などの用事を済ませ、はるを迎えに行って夕方帰宅すると、エリゼウからメールが来ており、木曜日は仕事が忙しく、出先で気がついたらうちでのレッスンや夕食に来るにはもう遅い時間だったので、連絡もできずに失礼したというような内容だったという。それで、先日給水してもらったお礼に、木曜日に彼が来た際、持って帰ってもらおうとパンを焼いておいたので、彼のところにその渡せなかったパンを届けに行くことにした。エリゼウのところでしばらく話していると、雨が降り出した。帰ろうにも車のところに行くまでにびしょ濡れになるから、少し小降りになるまで待った方がいいということで、おしゃべりを続けていてもなかなか止まず、結局2時間くらいエリゼウのところで話し込むことになってしまった。 そして、土曜日も1日雷を伴わない穏やかな雨が続き、気温もあの暑い日々がまるで嘘のように肌寒くなり、気候がガラリとかわった。雷を伴いザーザー降る雨は、地中に吸収されずに地表面を流れて行ってしまうだけだけれど、穏やかに降る雨は地面に吸収されるので、水不足であえいでいた庭の草木にはありがたい雨になった。森の中に湧き出る泉の水量が回復するにはこういう雨が何度も降らないと影響はほとんどないけれど、それでもとにかくお天気が変わり雨が降ったことを喜びたいと思った。昨晩の0時に夏時間が終わり、今日から標準時間に戻ったので、日本との時差は元のマイナス12時間になった。夏時間の終了と共に暑い夏も終わり、諸々の問題が解決に向かうことを祈るばかり。昨日の朝も、今朝も霧が出て、ようやくここらしいお天気が戻ってきた。次の写真は今朝7時半頃撮影したうちの西側の森を挟んで見える、お隣のコーヒー園の家。少しずつ霧が引いて6時過ぎの時点では見えなかった家が見えるようになってきた。でも、この家の後ろにはまだ霧が出ている。その後8時過ぎには太陽が顔を出し、霧はすっかり消えてしまった。
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2014年2月17日(月) | ||||
この夏は毎日異常に暑かったので、夕食後のデザートはブラウニーやチーズケーキなどの焼き菓子ではなく、ココナツやチョコレートのアイスクリームを毎日のように食べていた。でもこの土曜日は1日中肌寒く、アイスクリームという感じではなくなったので、チョコレートとジンジャーのマフィンを作ってみた。先々週初めてバウルに行った際、立ち寄ったショッピングモールの台所用品のお店でお鍋のセットを買ったことは書いたけれど、その際、シリコン製のマフィン型8個セット(39.90レアル=約2,000円弱)というのがあったので、それも買ったのだ。日本ではマフィンを作る際使う紙カップはスーパーなどで簡単手に入るけれど、ブラジルに来てからは見たことがないため、マフィンを作ったことがなかった。でも、このシリコン製のマフィン型は何度でも繰り返し使えるので、これからは重宝しそう。マフィンが型から盛り上がってはみ出していないので、写真では小さく見えるけれど、このマフィン型は普通の紙カップよりも大きいので、実際は結構大きなマフィンが出来あがった。
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2014年2月18日(火) | ||||
日曜日の朝、朝食後にはるをオシッコに連れ出すと、庭の桜の木の側の地面から煙突のようなものが突き出ていたので、写真に撮ってみた。これはアリの巣なのだけれど、こんなに高く盛り上がっている巣は初めて見た。側で観察していると、体がちょうどこの土の色のような赤茶色の、大きくなく、小さくなく、普通サイズのアリが1匹、せっせと土を穴の中から外に持って出て積み上げていた。土曜日の雨が止んでから作業を始めたのだろうと思うけれど、半日くらいしか経っていないのに、こんなに高い煙突を作ってしまうなんてと驚いた。
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2014年2月19日(水) | ||||
この夏は水不足になる前から畑の野菜の出来が良くなく、レタスは何度苗を植えても以前のようにうまく成長してくれず、オクラも10粒くらい種を蒔いたのに3~4本しか芽が出ず、成長も遅い。2週間くらい前にオクラをいくつか収穫したのだけれど、新芽は出ていなかったのでしばらく確認するのを忘れていた。そうしたら先日エドソンが巨大に成長したオクラを1本採って来て、「こんなのがたくさんできてるよ」と言うので、行ってみた。巨大なのがあるわ、あるわ。ほとんどすべて20センチから23センチという大きさになっていた。普通サイズのオクラは10センチから12センチなので、倍の大きさ。ひとつひとつ触ったり、ナイフで切ってみて調べると、大きいものはみなとうが立っていて、固くて食べられる代物ではなかった。残念。これからは去年のように毎日チェックしなければと、反省。
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2014年2月20日(木) | ||||
ニッケイ新聞2014年2月18日付け日系社会ニュースの「大耳小耳」で、『サンパウロ市がW杯開催に向けて、国外から来る観光客のために、英国のタウンガイド雑誌と協力し多言語で街のガイドブックを制作した。「日本語/英語」のほか、イタリア語等4言語がある。街の情報からはじまり、「サンパウロ48時間」と題した、市内を2日間でまわるモデルコースは、短期間で来伯する人には参考になる案内だ』という記事があったので、以下にこのサイトへのリンクをはってみる。印刷物だけでなく、インターネット上でも見ることができるこういう案内はうれしい。 このガイドブックのサイトは、こちらへ。 | ||||
2014年2月21日(金) | ||||
今日は、買い物だけでなく、エドソンが仕事の関係で人と会う用事があったので、午後からはるをヴィラ・シーコに預けてボトゥカトゥに行った。ヴィラ・シーコに向かう途中、午後1時20分頃、パラカンビのお母さんからエドソンの携帯に電話があり、10分ほど前にエリカが無事赤ちゃんを出産したという連絡があった。自然分娩ではなく、帝王切開での出産が予定されていたので、今日生まれるということは前もってわかっていたけれど、とにかく元気な赤ちゃんが無事に生まれ、エリカも元気にしているという連絡に、ほっとした。お母さんの話だとブライアン(赤ちゃんの名前)はエリカが生まれたときと同じような顔をしている、つまりエリカに似ているということだった。今年は年明けからろくなことがなく、いささか気が滅入りがちな日々だったけれど、久々のうれしいニュースだった。ただ、私は昨日、今日と原因不明の腹痛で、このうれしいニュースにもいまひとつ元気が出ない。 ボトゥカトゥでは5件の用事を済ませて、午後6時頃、はるをヴィラ・シーコに迎えに行き、帰宅途中にパーディーニョのスーパー、パーディネンセに寄って、夕飯のピザをエドソンに買ってきてもらった。そうしたら私に内緒で明日の私の誕生日のために、前もってバースデーケーキを注文しておいてくれたようで、ずっしり重いチョコレートケーキも持って帰って来てくれた。私に内緒で注文しておいてくれるなんて、何とも憎いことをしてくれる。ありがとう。
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2014年2月22日(土) | ||||
19日(水)の夜、ダニエラとガブリエラのレッスンの際、「昨日はお休みだったね」と話を向けると、「それはパーディーニョだけで、私たちは学校があった」と言うので、パーディーニョの市政記念日だったのだから学校はもちろんお休みでしょう?と思ったら、彼らは今年からボトゥカトゥの学校に転校したのでお休みではなかったということだった。去年までパーディーニョの学校に行っていたのに、何故今年転校したのか今日ジミーとジェフがレッスンで来た際聞いてみた。ジミーは込み入ったことを英語で説明することはまだうまくできないので、理由を説明することはできなかったけれど、ガブリエラはジェット旅客機や軍用機を作っているエンブラエー(EMBRAER、Empresa Brasileira de Aeronáutica S.A.)という世界第4位の旅客機メーカーがやっている高校の難しい入学試験を受けて、トップ入学を果たし、ダニエラはウニファック(UNIFAC)という大学の附属高校に他の2人の友達と一緒に通い始めたということだった。パーディーニョの学校の教育レベルはお世辞にも高いとは言えないので、学力のあるふたりがさらに能力を伸ばすことができるようにと、親たちがより良い学校に転校させたのだろうというのがエドソンの解釈だった。ボトゥカトゥの学校に通うために、ダニエラは毎朝5時起きだそうだから、最近レッスンの際によくあくびをして、眠そうにしているのはそのせいかと納得。お父さんのジミーも5時に起きて、ダニエラと一緒に朝食を食べていると言っていた。親が熱心で、支援を惜しまないから、子供もがんばれるんだろうなあと思った。 ブラジルには最近「ネンネン世代」と呼ばれる世代が増えているそうだ。この「ネンネン」は「nem estudan(勉強せず), nem trabalhan(働かず)」のnemからきている。2011年の統計では、15歳から29歳の若者で、勉強もせず、働いてもいない人たちが960万人もいるという。5人に1人はネンネンで、その内の約70%は女性で、家族と同居していて、その内の58.4%には1人以上子供がいて、その内の41%は未婚なのだと言う。ネンネンの23.9%は北東伯に集中していて、次は北伯の21.9%で、貧困層に多いとニッケイ新聞にあった。そして、この人たちの32.4%は日本で言う小中学校の義務教育すら未修了だというから事態は深刻だ。以前は働きたくても仕事がなかったけれど、今は、仕事があってもやりたがらないらしい。こういう人口が増えると、ブラジル成長の足を引っ張ることになるだろうなと危惧される。この片田舎のパーディーニョにもこういう若者がいるのかもしれないけれど、少なくともダニエラやガブリエラのような子たちもいる事実にはほっとする。 | ||||
2014年2月23日(日) | ||||
この夏は、異常気象で雨が降らないため、水不足に陥っていることは前に書いた。本来ならうちを建ててくれたペドレイロのエディが井戸を掘ってくれる約束だったのだけれど、いつまで経ってもここの仕事に戻って来てくれないので、仕方なく去年、エドソンがヒバマーとゼーの助けを借りて、うちの森の中から湧き出る水を貯水タンクに溜める仕組みを自力で作り、以後、事なきを得ていた。でもこう長い間まともに雨が降らないと、その湧水の量も極端に減ってきて、とうとう貯水タンクに水が溜まらなくなってしまった。それで2週間ほど前、エリゼウに給水してもらって何とかしのいではいるものの、根本的な解決策が必要なので、とうとう1月末にエドソンがエディのところに行き、非常事態だからどうしても井戸を掘ってほしいと依頼。それで8日土曜日にエディが来てくれ作業が始まった。でも、平日は今やっている現場の仕事をして、うちで井戸堀り作業をしてくれるのは土曜日だけなので、作業がなかなか進まない。そして、この井戸が水脈に当たるかどうかもまったく不透明で、井戸を掘っても水が出ないという可能性もあり、まるで博打のようだと思う。一方エドソンは、これと同時進行で、これまで湧水を得ていたところから少し離れた別の場所から湧き出る水を集める小さめの仕組みをもうひとつ作り、2つ目の水源を確保する作業を続けていた。そして、今朝ようやくそれが完成。今日午前中、休日返上で仕上げを手伝ってくれたヒバマーとゼーには、1日分の日当を払い感謝の気持ちを示した。次の写真は、森の中の貯水タンク。2つ目の水源からの水が右側のホースからタンクに入り、左側のホースから丘の上の貯水タンクにポンプで汲み上げられる仕組みになっている。
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2014年2月24日(月) | ||||
オシッコや散歩のためにはるを外に連れ出す際、必ず首輪と紐をつけることにしている。以前、一時的にフリーハンドでオシッコに連れ出したことがあるけれど、家の外にご近所の犬たちが来ているのに気づかず外に出たら、私が止めるのも聞かず、はるが猛ダッシュで駆け出して行ったことがあるので、以後、フリーハンドは止めた。外に出る際は首輪をするということにもうすっかり慣れて、私が手に首輪を持ってしゃがむと、はるは私のところに来て、おとなしく首輪をつけてくれる。でも最近、時々おもしろがって首輪に前足を乗せてみたり、わざと口を開けて首輪をくわえてみたりというイタズラをするようになった。次の写真は、エドソンが撮ったその証拠写真。何だか私がはるを拷問しているようにも見えるけれど、実は、はるがイタズラで首輪を口にくわえている瞬間を捕らえたもの。
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2014年2月25日(火) | ||||
21日金曜日の午後12時45分に生まれたブライアン(Bryan)の写真がようやく手に入った。エリカが出産したこの病院では、赤ちゃんが生まれると、翌日ホームページに赤ちゃんの写真が掲載されるのだけれど、ブライアンは金曜日に生まれたものだから、週末をはさんで月曜日までアップされなかったのだ。ブライアンの生まれた時の体重は2,280グラムで、身長は45センチとあった。この写真を見て、おでこが広いところはエリカやエドソンに似ているから、要するにエドソンのお父さんに似ているのかな?と思った。自然分娩ではなく、帝王切開だったのに、エリカは2日後の日曜日には退院して家に戻ったと連絡があった。日本では考えられない早い退院で、驚いている。でも、母子ともに元気なようなので、良かった。
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2014年2月26日(水) | ||||
先週木曜日から、ずっと原因不明の腹痛が続いていた。市販の胃腸薬を飲んだり、腹痛を止める薬を飲んでも一向に良くならず、日曜日の夜というか、月曜日の朝4時頃、腹痛で目が覚め、下痢が始まった。何度も何度も下痢が続き、体がしんどくなってきたので、午前10時過ぎにとうとうエドソンに病院に連れて行ってもらうことにした。はるを家にひとりで置いて行くことも、一緒に連れて行くこともできないため、今回はパーディーニョの病院ではなく、ヴィラ・シーコにはるを預けて、ボトゥカトゥのプロント・ソコーホ(Pronto Socorro=救急病院)に行った。待合室にはたくさん人がいたけれど、それほど長く待つことなく受診できた。ここはサンパウロ州立大学(UNESP)医学部が運営している救急病院らしく、受付から診察まですべてがコンピュータ化されていた。私を診察してくれたのは50代とおぼしき日系の女医さんで、ムダ話などはせず、てきぱきとプロフェッショナルな対応で、感じのいい先生だった。聴診器を当てたり、お腹を触診したりする診察が済み、何かの感染症でしょうということで、抗生剤とお腹の痛みを和らげる薬を処方された。お腹が回復するまではなるべくジャガイモやニンジンなどを使ったスープのようなものを食べ、たくさん水分補給をするようにして、パンや緑の葉物野菜は消化が悪いから食べないようにという指示を受けた。エドソンが処方された薬を薬局で買って来てくれたので車の中で薬を飲み、はるを迎えに行き、帰宅。帰宅後はるにちょっと遅いお昼ご飯を食べさせた後、私は夕方までベッドに横になりぐっすり眠った。夕飯は、エドソンが先生の指示に従って、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、鶏の胸肉とお米を使ったやさしい味のスープというか、洋風の雑炊のようなものを作ってくれたので、それを食べて生き返るここちだった。以後、ちゃんと薬を飲んで、食事も先生の言い付けを守っているので、徐々に体調は回復してきている。ただ、甘いお菓子もダメと言われたので、バースデーケーキがまだ残っているのに、食べられないなんて、トホホ・・・。 | ||||
2014年2月27日(木) | ||||
去年12月に実がなっていたので、写真を撮って紹介したカスターニャ・ド・マラニャォンの実が、いが栗が割れて地面に落ちるように、実が割れて地面に落ちていたからと、エドソンが家に持って帰ってきた。1枚目の写真はその実のひとつ。2枚目はそれを割った中の様子を撮ったもの。食べられるのはこの中のナッツで、外側の皮はココナツの皮のように固くて食べられない。1つの実の中に5~6個のナッツが入っている。3枚目の写真は中のナッツを取り出して、産毛を取ってきれいにしたもの。これをローストするとおいしくなるのだそうだ。今度、パンを焼く際一緒にオーブンに入れて、ローストしてみようと思っている。でも、エドソンはこの生のままを試食しておいしいと言っていた。
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2014年2月28日(金) | ||||
今朝、はるをヴィラ・シーコに預けて、ボトゥカトゥに買い物と用事を済ませに行った。新しく買ったエドソンのコンピュータに搭載されていたボードがエドソンが希望したものと違っていたとかで、先週ボードの入れ替えを頼んでおいたのを受け取りに行ったり、銀行で用事を済ませたり、ブライアンの誕生祝いにベビー服を2着買って、郵便局から発送したり、スーパーへ行ったり、材木店や建築資材の店に行ったり、あちこち走り回って、たくさん用事を済ませた。疲れたけれど達成感のある1日になった。 午後4時頃ヴィラ・シーコにはるを迎えに行くと、はるは首にオレンジ色のリボンをつけていた。ヴィラ・シーコはペットホテルというだけでなく、ペットクリニックでもあるため、今日は、預かってもらっている間に予防注射もしてもらったので、注射をしましたという印なのか、シャワーもしてもらったので、それを示すものなのか、理由はよくわからないけれど、首にあるよりも頭の上にある方が可愛いんじゃない?と、家に帰ってから私がリボンをはるの頭の上に乗せたら、エドソンが可愛いと言ってはるの写真をたくさん撮ってくれた。ヴィラ・シーコは去年の10月に開店1周年を迎え、それまで家族だけで切り盛りしていたのが、需要が増えて忙しくなってきたからか、今年に入ってから若い女性スタッフが2人増えた。もちろんはるは彼女たちとももうすっかり顔馴染みになっている。いつもお世話になっているヴィラ・シーコが繁盛しているのを見るのはなかなかうれしい。
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