Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2014年1月1日(水)

恭賀新年 A HAPPY NEW YEAR! Feliz Ano Novo!

大晦日の午前中ボトゥカトゥのウエノに買い物に行ったので、午前8時15分から始まった「紅白歌合戦」は、11時頃帰宅してから後半の終わり頃を、夕飯のローストポークの下ごしらえなどをしながら見た。そして、エドソンとふたり揃って「ゆく年くる年」を居間のソファーに座って見ながら、まず日本時間で新年を迎えた。午後からは例によって私は「2014新春生放送!年の初めはさだまさし」を見て過ごした。日本にいたら徹夜をすることの苦手な私には決して見られない番組だけれど、幸いここでは昼間に見られるので、初笑いならぬ、年の終わりの笑い納めのような感じで見ることができる。ブラジルでは一般的にそうなのか、エドソンの家庭だけがそうなのかはよくわからないのだけれど、大晦日の夕飯はローストポークと決まっているので、例年通り、夕飯にはローストポークをいただいた。その後、再放送の紅白で午前中見れなかった前半や後半の初め頃を見て、ブラジル時間の午前0時にカウントダウンをして、二度目となるブラジル時間での新年を迎えた。そして、午前0時からあちこちの町で一斉に上がる花火を見るために、エドソンと丘の上に上がった。周辺の町と言っても遠いので、花火は地平線上にピカッと光だけが見えるだけで、きれいな花火が見えるわけではないのだけれど、まあ一応、年越しの気分だけは味わえる。しばらくこの花火を見て、無事に我が家のゆく年くる年を行うことができた。新年がみなさんにとり、健康で幸せに満ちた年となりますように!

2014年1月2日(木)

先週ウエノに買い物に行った際、クリスマス休暇が入ったため仕入れができなかったということで、お店にはほとんど生鮮食料品がなく、30日に入るということだったので、31日の午前中再度、買い物に行った。でも、お豆腐や油揚げはあったけれど、大根はすでに売れてしまっていて、かまぼこもなく、仕方なく、もう一軒の日系食料品店のドナ・マリナに行き、ようやく大根を手に入れた。大根は元旦のお雑煮(お餅が入っていないのでお雑煮とは言えず、ただのお吸い物と言った方がいいのかもしれないけれど)と、大根とにんじんの酢の物や、七草粥の代わりに、毎年7日にうちで食べる大根粥のためにどうしても必要だったので、何とか入手できてほっとした。次の写真は、元旦の朝の我が家のささやかな食卓。大根、にんじん、鶏肉、ルッコラだけでお餅の入らないお雑煮と、大晦日の夜、新年を迎えて乾杯したブラジル産のシャンペンの残りをお屠蘇代わりに、昆布巻ならぬ塩昆布と、大根とにんじんの酢の物。何だかどれもこれも代用品のようなおかしな食卓だけれど、本格的なおせちはエドソンの好みではないし、私も作れないので、我が家はいつもこんな感じの「なんちゃっておせち風」で満足している。

2014年1月3日(金)

この夏は雨量が少ないと大晦日のブログで書いたけれど、今週前半、つまり年の瀬は、夜の間に少し雨が降った日が数日あり、大晦日の午後には小雨がパラついたりして、恵みの雨が降った。元旦も午後遅くから、雷を伴う雨が降ったりしたため、お天気が回復した後も日差しは強いものの、気持ちのいい風が吹き、夏真っ盛りとは言え、今週は比較的過ごしやすい日が続いている。そんな穏やかな日々の中、我が家の庭では様々な花が咲いている。次の写真は、家の東側の庭で咲いている花々。1枚目は去年の後半ここに植えた後、初めて花を咲かせたネムノキ。エドソンはネムノキという日本語名を知らないし、私はこの木のポルトガル語名を聞いても、それがネムノキだとは知らなかったので、花が咲いて初めてこれがネムノキだとわかった。以前、この木をどこかで見かけた際、うちにもこの木を植えたいと私が言っていたことをエドソンが憶えていて、買ってくれたのだということが遅まきながらわかりうれしかった。

次の写真は、2本あるガーデン・グレヴィーリャの間にあるアモー・アガハジーニョ(Amor Agarradinho)というつる性の植物。アモーというのはloveのことで、アガハジーニョというのはhold、つまり、愛情たっぷりに抱きついてくる花というような意味になるので、要するに「ラブラブの花」と言ったところだろうか?

次の写真は、不思議な形の花を咲かせているガーデン・グレヴィーリャ。

2014年1月4日(土)

昨年末、安倍首相が靖国神社に参拝したことで、中韓が激しく批判しているけれど、産経新聞が、米ジョージタウン大学教授のケビン・ドーク氏にインタビューした12月28日付けの記事を、インターネット上で見かけたので、以下にその『首相靖国参拝、鎮霊社訪問、「平和望む意思明白」米の日本研究者に聞く』という記事のサイトへリンクをはってみる。このサイトは、こちらへ

また、同様にインターネット上で、産経新聞1月1日(水)12時0分配信の『歴史認識戦争、韓国を“走狗”に使う中国…「横暴」に日本人は屈しない』という署名記事を見かけたので、以下に転載してみる。

歴史認識戦争 韓国を“走狗”に使う中国…「横暴」に日本人は屈しない

新しい年が明けた。清々しい平成26年だが、振り返ってみれば、伊勢神宮(三重県伊勢市)で20年に1度の式年遷宮を迎えた昨年ほど、日本の西の隣国が「歴史認識」を言い続けた年もめずらしかった

声高に騒ぎ立てたのは韓国だった。三・一独立運動式典での、日本への千年の恨みを国是とするような朴槿恵(パククネ)大統領の演説に始まり、外遊のたび陰に陽に日本を悪く言う告げ口外交。ソウルのサッカー会場での反日的な横断幕。終戦の日に韓国の国会議員らが靖国神社で行おうとしたパフォーマンスなど、挙げればきりがない。

官民を挙げたこの異常な反日の背景に、まず中国の存在を見ておかねばなるまい。前年の尖閣諸島(沖縄県石垣市)国有化について、中国は「戦後の国際秩序への挑戦」など、領土を歴史に結びつける戦術をとった。歴史問題について、今年初めには中国特使がソウルを訪れて共闘を呼びかけ、6月の首脳会談など折に触れ両国は歩調を合わせている。だが振り返れば1年間、中国は歴史問題を騒ぐより、防空識別圏を設定するなど直接的な威圧に出ている。反日宣伝には韓国を使っているのだ。この構図に韓国も気づくべきである。

歴史認識戦争は今後も続くだろう。戦後の極端な左傾からふつうの国に戻ろうとしている日本を盛んに「右傾化」と呼び、国力をそごうとしてくるだろう。例えば初代韓国統監だった伊藤博文を暗殺した安重根(アン・ジュングン)の石碑を中国・ハルビンに建てる話が、中韓首脳会談で出ている。

最初に言っておけば日本人は、領土をめぐる横暴や歴史についての暴論に、唯々諾々と屈するごとき国民ではない。中韓はそう知るべきである。

◆自国事情で「反日」宣伝

ここまでエスカレートした反日に日本人はどう対処すべきだろう。世論調査で中韓に親しめないという日本人が多くなっているが、感情的な反発ではなく冷静に事態を見る視点を持ちたい。彼を知り己を知ることだ。

まず中国の反日政策。1994(平成6)年、中央宣伝部は「愛国主義教育実施綱要」を制定した。日本軍の「残虐さ」を示す抗日記念館などがその教育の基地として指定され、マスコミは反日キャンペーンを続けた。背景には中国内の拝金主義や、民主化運動を弾圧した89年の天安門事件がある。共産党への求心力を回復するため反日を使ったのである。それまでは親日的だったという識者の回想もある。

韓国では、反日が国民のアイデンティティーの一部をなしているとみなしておかねばなるまい。小学校から教科書で日本の「ひどさ」を教えられている。また知識人らの間に、いわば親日・親米を悪とする北朝鮮寄りのイデオロギーがある。大学時代にその影響を受けた世代は40~50歳代となり、いまや社会の中核をなしている。韓国マスコミに「反日なら何でもあり」の論調があふれ、戦時徴用の賠償を命じる判決が出るのも無関係ではあるまい。今世紀はついに、日本統治時代の対日協力者を難ずる特別法ができるなど反日は制度化された。

朴大統領にしても、父親の朴正煕(チョンヒ)は日本の陸軍士官学校で学び日韓基本条約を結んだ大統領である。反日的な姿勢を見せないと支持を得られない。中韓ともそれぞれの国の事情で反日を使っているのである。

さらに中韓は、一方的な国際発信を進めてもいる。アメリカを主たる拠点に中国系ロビー団体「世界抗日戦争史実維護連合会」が活動し、日本の戦争責任について非を鳴らしている。韓国系団体もアメリカでロビー活動を展開し、東大阪市と姉妹都市にある米グレンデール市に慰安婦像ができるなどの事態に至った。日本をおとしめる「ジャパン・ディスカウント」が繰り広げられているのだ。昨年、慰安婦をめぐる橋下徹・大阪市長の発言が海外で非難を浴びたが、彼を知る、現状を知ることから始めなければ勝ち目はない。

◆「独立不羈」の精神を

ただし最初に言ったように、不当な非難や横暴に日本人は屈しない。そのために次は己を知ることだ。

例えば南京事件を世界に伝えたマンチェスター・ガーディアン特派員、ティンパーリーの著作などは中国国民党中央宣伝部の意向を受けたものだったことが、研究で確かめられている(北村稔「『南京事件』の探究」)。中国が言う犠牲者30万人という数字は、詳細な検証に堪えられるものではない。慰安婦問題では強制連行を示すような資料は出ていない。日本の朝鮮統治は穏健だったという、海外の研究も発表された(ジョージ・アキタ他「『日本の朝鮮統治』を検証する」)。

日本人は過去を教訓としても卑屈になってはならない。国のために命をささげた死者がいる。国家とは統治機構や経済指標のみで語れるものではない。先人が残し現代に受け継がれている徳や風習、言語も含めた歴史こそが、国家の内実をなす。ゆがんだ歴史認識を他国が押しつける筋合いのものではないし、ましてや当の国民が自虐的になってはならない。

西からの暴風に大人として耐え筋を通す日本の姿勢を、世界はちゃんと見ている。当の韓国メディアにすら最近、自国の自省を促す論評が載るようになった。

日の本であるこの国が成った地から、ある先人は「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」との国書を西の国に送った。年を送り迎えるに際し新たにすべきは、この誇り高い独立不羈(ふき)の精神であろう。この精神をもって新年の“初日の出”を迎えたい。(河村直哉)

2014年1月5日(日)

ブラジル時間で1月2日の午前、グレンデール市の慰安婦像撤去の請願署名が10万を超えた。署名が行われているということを日本のメディアは産経新聞を除き、ほとんど無視していたようだけれど、10万を超えたということで無視できなくなり、あちこちで取り上げられたようだった。韓国の報道では日本の極右団体が組織動員したように書いているようだけれど、実際は、これまで声を上げていなかったサイレントマジョリティーの個々人が草の根でFacebookなどで呼びかけて実現したのだと思う。これですぐに何がどう変わるものでもないとは思うけれど、反日メディアも無視できない、ひとつの静かな意思表示にはなったのではないかと思う。私のブログを見てご協力くださった皆さんには感謝します。

もうひとつ行われている、ニューヨーク州ナッソー郡の慰安婦像撤去の請願署名は、まだ今日現在5万に届いていないので、よろしければそちらの方の署名もお願いします。この署名のサイトは、こちらです

そして、今月末から、フランスのアングレーム市で国際漫画際が開催されますが、韓国政府はこの漫画際の主催者を韓国に招待し、接待買収して、慰安婦に関して「20万人を拉致して性奴隷にした」とするプロパガンダの為のアニメや漫画を50作品出展することになったそうです。それで、「なでしこアクション」などが協力して、主催者に対して「韓国の反日キャンペーンに協力するのは止めてください」という署名活動をしています。その署名活動の趣旨は以下の通りです。

【署名の主旨】
戦時中の日本軍相手の売春業の女性は慰安婦と呼ばれました。
現在、韓国は「慰安婦というのは、日本軍が拉致し、強制的に性奴隷にした20万人の婦女子」であると主張し、「日本軍慰安婦問題を、女性の性暴力の問題として国際社会に知らせる」という国際キャンペーンを行っています。
日本軍相手の慰安婦はいましたが、「20万人を拉致して性奴隷にした」というのは事実無根です。
日本では専門家によって歴史資料の検証が行われ、これが捏造であることが証明されています。
日本人は、韓国による日本を侮辱するこの悪質な国際キャンペーンに非常に怒っています。
慰安婦問題は日本と韓国の間で政治的、外交的な論争となっている難しい問題です。
アングレーム漫画祭主催団体は、第41回の漫画祭において、韓国の「慰安婦キャンペーン」に協力していますが、一国の主張をそのまま伝えることは、「漫画を通じた国際理解」という同祭の趣旨に沿っていません。
フランス、韓国、日本の真の友好のために、そして漫画祭の今後の発展のために、二国間の政治・外交問題について主催者がどちらかに加担するようなことは止めて下さい。
私たちはこのメッセージを読んでくださった皆様の優しさとご理解に感謝いたします。そしてアングレーム漫画祭の成功をお祈りいたします。

もしよろしければこちらの方の署名にもご協力ください。この署名のサイトは、こちらです

2014年1月6日(月)

先週、家の東側の庭に咲いている花を3種類ほど紹介したけれど、家の回りにはその他にもいろいろな花が咲いている。ラベンダーはピークを過ぎているけれど、刈り取っていないので、いまだに花をつけているし、くちなしの花も先月たくさん花をつけた後、終わったように思っていたら、年が明けてからまた花をつけ始めた。この他、バラ、ベイジョ、アメンドイン、マーガレット、ゴールデンカモミル、ハイビスカス、サブゲイロなどが咲いている。玄関を出た階段横の花壇には、緑と赤がきれいな葉物植物に水色の花が咲き、名前は知らないけれど、この葉物植物の間に1本だけ生えている植物にも、一見、芙蓉の花のようなピンク色の花が咲いている。2枚目の写真は、これも名前はわからないのだけれど、シュハスコ小屋の後ろにある木で、赤いおもしろい形の花を咲かせている。

2014年1月7日(火)

新年を穏やかに迎えたと思ったら、何故か3日の朝、朝食後にめまいがして気持ちが悪く半日寝込んだ。その後、お昼と夕飯に少し食事ができ、めまいもなくなったので復調したと思ったら、4日の朝6時頃、はるがオシッコというので起きようとしたら、目が回り起き上がることすらできなくなってしまった。年末年始に暴飲暴食をしたわけでも、夜更かしを続けたわけでもないのに、何故こんなことになったのか?ミステリー・・・あまりにめまいと嘔吐が激しいので、救急病院に行くことにした。ちょうど土曜日で、ゼーが仕事に来てくれていたので、ゼーが作業をしている側にはるをつないで、はるを見てもらっている間に、エドソンに肩を抱えてもらって車に乗り、パーディーニョの町の救急病院へ連れて行ってもらった。病院で診察を受けていると、お腹まで痛くなってきた。その後、処置室でめまいと嘔吐を止める薬を点滴してもらっている間に、エドソンは医師が処方した薬をパウラの薬局に買いに行ってくれた。そして、点滴を終え、家に戻ってからは、ただひたすら寝た。こんなことは生まれて初めてのことだった。でも、薬局のパウラの話だと、お腹の不調でめまいと嘔吐を訴える人がこのところ結構いるということだった。そして、お昼前にジミーから電話があり、英語のレッスンが始まるのはいつからかという確認だったらしいのだけれど、彼と彼の末娘のレティシアも金曜日の夜同じようにお腹の不調でめまいと吐き気に襲われて、レティシアをボトゥカトゥの救急病院に連れて行ったと話していたそうだ。でも、私の場合はお腹の不調というよりもめまいの方が強かったので、内耳の問題のような気もする。

4日はトイレに行くにもエドソンの肩を借りないとひとりでは歩けないような状態だったけれど、5日は多少フラフラするものの、薬のお陰でだいぶ症状が軽くなり、助けがなくてもゆっくりなら動けるようになった。それで少し家事をしては横になり、また家事をしては横になるのを繰り返して、何とかしのいだ。6日もまだ頭がフラフラして体に力が入らない状態だったけれど、なるべく起きているようにしたら、頭のフラフラも解消してきた。今朝からは薬も止め、ようやく普通に動けるようになった。

パーディーニョに引っ越してきて8ヶ月くらいした頃、まだ居候生活をしていた頃、横になって休んでいてもひどくなるばかりの偏頭痛に襲われ、初めて救急病院のお世話になった際は、更年期障害かと思ったものの、ストレスが原因だったと後でわかったのだけれど、今回のめまいと吐き気の原因はわからない。加齢のせいかとも思われるけれど、やはりこれもストレスなのかなあ・・・?

2014年1月8日(水)

年末年始にYoutubeで様々な歴史解説講座を見た。その中で特に、宮脇淳子氏(東洋史家、専門はモンゴル史)と倉山満氏(日本の憲政史家)による「じっくり学ぼう!日韓近現代史」の解説が、とても分かり易く、目から鱗だった。1回から22回までの講座で、1回が10分あまりと短く、家事の合間に見やすくて助かった。このサイトは、こちらへ

次の写真は、うちの畑でとれたミニトマト。去年よりもミニトマトの苗の数を減らしたところに、春から初夏にかけてお天気が不安定だったこともあってか、あまり生育がよくなく、たいした収穫にはならなかった。エドソンが苗を買った際、違うものを試してみようと思ったのか、できたミニトマトは黄色と赤の2色で形が普通に丸くなく、ちょっとひょうたんのよう。

2014年1月9日(木)

ドナ・ベティのファゼンダはクリスマス前から今週一杯まで3週間以上ずっとお休みなので、故郷に帰ったヒバマーはまだ戻ってきていないけれど、パーディーニョ出身のゼーはどこにも行かず家にいるからと、先週の3日(金)と4日(土)にも仕事に来てくれた。それでいつもの草刈りの他に、家の東側のシュハスコ小屋のところから物干場に下りる庭の隅に砂利を敷いて歩きやすい道を作ってもらった。次の写真の真ん中手前で赤い花が咲いている木がネムノキで、その右後ろにガーデン・グレヴィーリャ、その少し左にアモー・アガハジーニョ、そしてその左後ろにもう1本ガーデン・グレヴィーリャが少し赤い花を咲かせている。右の大きな木は桜で、去年の8月初めて少し花を咲かせたけれど、今年はもっとたくさん花を咲かせてほしいなと願っている。そして、その後ろの方に見える緑は孟宗竹。砂利道沿いに薄緑の植物が二株あるのは、バジルの一種。ミツバチのジャタイはバジルの花も好きなようなので、ガーデングレヴィーリャの足元に普通のバジルを植え、別のタイプのバジルもここに植えている。エドソンがほとんどのジャタイの巣をすでに森の近くの棚に移動させたのだけれど、2グループだけは、どちらかが新しい巣箱を出たり入ったりして新女王蜂の巣立ちを決めかねているらしいので、まだこの庭と家の間のスペースから移動させないでいる。

次の写真は、家の西側の外階段横の花壇に生えている不思議な植物。葉に沿って小さな花のような形をしたものがたくさん並んでいるのだけれど、しばらくすると、これが自然に飛び散って、周りに落ちて、そこであらたに成長するという植物で、この写真のものもそうやって、自然にここに生えてきたもの。だからこの花壇にはこの植物がたくさん生えている。

2014年1月10日(金)

一昨日、テレビのグロボ(ブラジル)ニュースを見ていたら、サッカーの本田選手がミランに移籍したというニュースをやっていて驚いた。「へぇ~!ブラジルでもこれをニュースで取り上げるんだ・・・」でも、アメリカのプロバスケットボール選手が北朝鮮に招待されて行っているというニュースもしていたから、ブラジルのニュースはアメリカのニュースよりも視野が広いのかな?と思った。

今週初め、W杯の準備が遅れていることにFIFAの会長が苦言を呈して、ジウマ大統領が遅れてなんかいない、着々と進んでいると反論したというニュースがあったけれど、ニッケイ新聞2014年1月8日付けの記事に、FIFA会長がどんな不満を述べたのかというニュースがあったので、以下に転載してみる。この年末年始、リオは猛暑で、コルコバードのキリスト像に登る市電の駅でチケットを買うのに炎天下で何時間も待たされたとか、英語が通じないというような観光客の不満が溢れていたというようなニュースも見かけた。リオの受け入れ態勢は大丈夫なのだろうか?

W杯=FIFA会長が不満を表明=準備の遅れからジウマまで

国際サッカー連盟(FIFA)のジョセフ・ブラッター会長が、伯国のワールドカップの準備の遅れやジウマ大統領に対する不満を漏らしていることが連日報道されている。6~7日付伯字紙が報じている。

6日付伯字紙によると、同会長は先週末発行されたスイスの「24時間新聞」の取材に、「私が1975年にFIFAの仕事をはじめて以来、こんなに準備の遅れているW杯は見たことがない」と語った。

この報道を受け、連邦政府は6日に遺憾の意を表明した。政府は、ブラッター会長の発言が、FIFAと政府、ブラジル・サッカー連盟(CBF)、W杯現地組織委員会(COL)との間に結んだ「2014年6月まではW杯に関して中傷めいた発言は行なわない」という協約を無視したことに不満を抱いた。

ジウマ大統領の反応に対しブラッター会長は、これ以上政府との関係が悪化しないよう態度を軟化し、「ブラジルは、最も良いW杯大会のホストになるだろう」と語気を明るいものに変えた。

一方、7日付エスタード紙によれば、ブラッター会長が伯国代表のフェリポン監督に、ジウマ大統領に関する愚痴とも取れる発言をしていたことが、FIFA関係者への取材で明らかとなった。これは昨年8月、伯国代表がスイスと親善試合を行なった際の出来事で、ブラッター会長は、ジウマ大統領がコンフェデ杯決勝戦の際にスタジアムに不在だったことや、同杯の試合当日に起きたマニフェスタソンへの対策が遅れたこと、コンフェデ杯に対する伯国側の明確な約束がなかったことへの不満を同監督に語ったという。また、ジウマ大統領は同杯期間中、同会長とリオで1度顔を合わせただけで、FIFAが大統領に対する苦情の手紙を送った際も返事を出さなかったことも「態度が横柄だ」とFIFA側に受け止められている。

2014年1月11日(土)

今ここにはいろいろな花が咲いて、花盛りと書いたけれど、うちの西側にある森の北の端にたくさん自生している低木にも黄色い花が咲いている。もう1ヶ月くらいずっとこんなふうに花盛りの状態が続いている。この背丈のあまり高くない木々は、ここにとうもろこしを植えて、刈り取った後、自然に生えてきて大きくなったもの。この森を北側に少しずつ広げたいと思って、ここに竹を何株も植えたのだけれど、竹の方はブラキアーリアに成長を阻まれているのか、まったく存在感がないのに、この木はとても元気にしている。

次の写真は、今週3日間ほど、ゼーの紹介で草刈りに来てもらった中年夫婦の車。フォルクスワーゲンのビートルは日本でもアメリカでも新しいモデルに取って代わってしまい、この古いモデルのビートルを見かけることはもうないと思うけれど、ブラジルの田舎町ではまだ結構よく見かける。メンテナンスさえきちんとしていれば、ちゃんと動いてくれる頑丈な車なんだろうなと思う。ちなみにこの中年夫婦は変わった人たちで、朝はるとのお散歩に出て、彼らにお早うと声をかけても、お早うと返してくれない。そして、ドナ・ベティのファゼンダでもらっている日当に関しても高めに嘘をついているようだし、ヒバマーがひとりで1日にやってしまう仕事をふたりでやっても終わらせられない。つまり、誰も側で監視していないのをいいことに、手抜き仕事をしているということがわかったので、もう二度と頼むつもりはないとエドソンは言っていた。ヒバマーやゼーは正直で真面目に仕事をしてくれるけれど、こちらの信頼につけ込むことを何とも思わない人たちも少なくない。エドソンはブラジル人だけれど、ちょっと日本人みたいなところがあって、正直でない人たちは嫌い。そして、こちらは相手を信頼して誠意を持って接しているのに、相手がちゃんとそれに答えてくれず、つけ込むようなことをしたら、二度とチャンスを与えないという対応をする。

2014年1月12日(日)

数日前のニッケイ新聞の記事に、昨年サンパウロ州で生まれた子供につけられた名前で最も多かったのは、男の子はダヴィ(Davi、つまり英語名のデイヴィッドのこと)、2位はミゲル(Miguel)だったというニュースがあった。これまで人気だったペドロ(Pedro)とジョアオン(João)はそれぞれ3位と4位に後退したらしい。ちなみに女の子はマリア(Maria)とアナ(Ana)が1位と2位だそう。でもマリアやアナは、マリア・クラーラとか、アナ・ルイーザとか、別の名前と組み合わせることが多いので、どうしてもいつも上位にくるのだそうだ。そう言えば、パウロの奥さんはマリア・ジャナイーナ。娘たちはマリア・イザベラとマリア・パウラ。必ずマリアが頭についている。それで、マリアの部分は省いてしまい、下の名前でしか呼ばない。だったら最初からマリアは必要ないように思うのだけれど、アリアと頭につけるのは一種のおまじない(または、お守り)のような意味合いでもあるんだろうか・・・?

次の写真は、8日(水)の午後、洗面所の敷物の上で寝転がっていたはるをパチリ。午前中掃除をして、敷物を外ではたいてほこりを落として、しばらく陽に当てたので、気持ちがいいらしい。そして、この暑い時期、家の南側にあって直射日光を受けない洗面所は風が通って家の中で一番涼しいので、ここは午後の暑さをしのぐには最適な場所。はるは居心地のいい場所をよく知っている。居間の横のドアの前に置いたベッドや、玄関先のマットの上などにはるがいない時に探すと、最近は大抵ここで寝転がっている。

2014年1月13日(月)

以下は、ニッケイ新聞2014年1月11日付け「コラム 樹海」からの転載。中国人は子供の頃から他人に本当のことを言ってはいけないと親から言われて育つと聞いたことがある。ブラジルでも少し似たところがあって、本当のことを言ってはいけないとまでは教育されないまでも、騙す側と、騙される側は、騙される方が悪いというような感覚があり、正直なことを必ずしも美徳としないところがある。だから順法精神もあまり強くなく、つく必要のない嘘を平気でつき、良心の呵責など感じない人が少なくない。でも、誰も信じられない社会と、基本的に信頼関係で成り立つ社会とでは、後者の方がずっと平和で暮らしやすいと思うのだけれど・・・世界を見回すと、そうじゃない社会が少なくないなと思う。やはり教育というか民度の問題だろうか?

『有名な法律家がクルトゥーラTV局のニュース番組で嘆いていた。「ブラジルは法律マニアだ。法律さえ制定すれば、その案件は解決すると思ってどんどん作る。問題は、いかにその法律を守らせるかであって、どんな法律を作るかではない」。実に腑に落ちる話だった。ポルトガル人がそうらしく、その〃伝統〃を受け継いだのだとか▼興味深かったのは、次の発言。「88年憲法が発布されてから、現在までにいくつ法律ができたか知ってるか?実に250万以上の条文が市、州、連邦議会で可決された。でもその分、世の中は良くなったか?物事は禁止すれば良くなる訳じゃない。大事なのは、際限なく細かく決めていくのではなく、要の部分を制定してそれを完全に守らせること」と力説していた▼本来「法律の制定」と「守らせる方法の具体化」は一心同体のはずだ。法律が増えるのに比例して、法を守らせるべき機関要員や警察が増えていけばバランスはとれる。でも際限なく公務員を増やせば財政は破たんするから、法律ほどは増えない▼だから、時間が経って法律が増えるほど「守らせる側」が相対的に〃手薄〃になるという逆説的な状況が生まれる。何事にも限度はある。ある意味、多すぎる法律は、少ないのより始末が悪い▼根本的な問題は、順法精神を子供のころから教え込む「教育」が圧倒的に不足している点だ。いくら法を作っても、守ろうという気持ちが国民にないから違法行為や犯罪は減らない。こう考えるとすべての問題は「教育」に帰結する。すごく当たり前の結論にしかならない。きっと物事に奇抜な解決方法はないのだ。(深)』

2014年1月14日(火)

入り口ゲートの左右に、グレヴィーリャ5本、リグストルン2本、ブーゲンビリア4本、桜2本、パイネーラ2本と、コロア・デ・クリスト(これは木ではないけれど)を何本も植えている。これまで2本のリグストルンが葉切りアリの被害に遭って、何度も裸にされ、ブーゲンビリアも代わる代わる被害に遭っていたのだけれど、グレヴィーリャが被害に遭うことはなかった。それが、この夏はリグストルンとブーゲンビリアだけでなく、12月から1月にかけて何と5本のグレヴィーリャすべてがあっと言う間に丸裸にされてしまった。恐るべき葉切りアリ!そして、年が明けると桜の木の1本も足元にたくさん葉が落ちていたので、いつ裸になるかとひやひやしながら観察しているのだけれど、葉切りアリの姿はなく、その後は葉が落とされていないようなので、何とかもう止めてくれないかなと願うばかり。入り口ゲートに向かう道路沿いに植えたアメンドインもたくさん被害に遭っているので、この夏の葉切りアリの猛襲にはほとほと困っている。次の写真は、入り口ゲートの東側の様子。グレヴィーリャ3本と、リグストルン1本と、ブーゲンビリア1本が裸になっている。足元のこんもりした緑はコロア・デ・クリスト。画面の右端の緑は桜。

家から入り口ゲートに行く道はふたつあって、ひとつは車が通る広い道で、もうひとつはその道よりも少し上にあって人がひとり歩ける細い道。この道はゆるくカーブしている車の通る道と違い、ほぼ直線的にゲートに行けるようになっている。この両方の道に沿ってセドリーニョを等間隔に植えているのだけれど、この細い道沿いのセドリーニョは、葉切りアリの被害にあって裸になった木が多く、成長が遅い。この夏は、入り口ゲートに近い3本が被害に遭って、無残な姿になってしまっている。やれやれ・・・

2014年1月15日(水)

数日前、入り口ゲートの桜の木の足元にたくさん葉が落ちていたけれど、アリの姿は見えず、それから数日動きがなかったのだけれど、今朝はるとのお散歩でゲートまで行くと、またまたたくさんの葉が落ちていた。エドソンと注意深く周りを観察すると数は少ないけれど、葉を運んでいるアリの列を発見。一旦家に戻った後、エドソンがアリ退治のスプレーを持って、処置をしに行ってくれた。そして、朝食後、家の西側の庭で昨日抜いた草の片付けをしていると、ヒメシマダケの側のアメンドインが生えていない場所に葉切りアリの巣を発見。穴がふたつあって、穴の回りに運んできた葉やアリがいて、はっきりと葉切りアリの巣だとわかる。ここにもアリ退治のスプレーを吹きかけて処置した。このスプレーはアリをすぐ殺すものではなく、これを吹きかけられたアリが、これまたこのスプレーのかかった葉を巣に持ち帰ると、毒を持ち帰ったのと同じことになり、巣が全滅するというもの。でも、こんな風にはっきりと巣の在り処がわかるケースは少ないので、アリ退治はなかなか難しい。

次の写真は、この西側の庭で育っているアメンドイン。ブラキアーリアもそうだけれど、アメンドインも放射線状に広がって行くという性質があるのでおもしろいなと思う。

2014年1月16日(木)

以下は、インターネット上で見かけたNEWSポストセブン1月10日7時5分配信の記事のコピー。侮日?それは劣等感の裏返し?

韓国ーー日本人は未開人だから叩き続けないと暴れ出すと認識

新しい年を迎えた日本にとって外交上、大きな課題となるのは日韓関係にほかならない。ジャーナリストの櫻井よしこ氏と評論家の呉善花(オ・ソンファ)氏が、反日の根底にある韓国人の性質を明らかにし、我々はどう対峙すべきかを論じた。

櫻井:昨年2月に朴槿惠(パククネ)大統領が誕生した時は、父親の朴正煕(パクチョンヒ)元大統領が親日的だったと見られていたこともあり、日本人の間には関係改善への期待が高まりました。ところがその期待は完全に裏切られた形になっています。呉善花さんは韓国の反日の動きをどう見ていますか。

呉:過去の大統領は就任当初は親日的で、支持率が落ちてくると反日的になるのが常でした。ところが朴大統領は最初から強硬な反日路線を取りました。だから日本人は驚いたわけですが、私は数年前から、朴大統領は反日的だと言い続けてきました。

櫻井:その根拠は?

呉:大統領は61歳です。韓国では60歳前後から下は徹底した反日教育を受けてきた世代。その反日教育を行なったのが父親の朴正煕元大統領でした。彼は対外的には親日的な姿勢を見せながら、国内では反日だったのです。

櫻井:この根深い韓国人の反日感情は、どこから来ているのでしょう。

呉:「日本のことがわからない」ことが根底にあります。例えば文明国でこれだけの近代国家なのに、“なぜ訳のわからない神々を信じているのか”というのもその一つです。他の文明国はキリスト教文化圏だったり、絶対唯一の神を信仰していたりします。

韓国の儒教では先祖を敬っています。科学や文明が発達するのは、そういう国々だと考えているのです。八百万の神々がいるという日本は未開の国であるはずだと考え、どうして近代化したのか理解できないのです。

櫻井:日本人は自然界を大きな神ととらえ、人間はその自然の中の小さな一部だと受け止めています。海や山、樹木や動物、昆虫にいたるまで、すべてが調和することが幸せな状態だという考え方ですね。物の理、物理は科学の基本ですが、日本人はその物の理をそのまま受け入れています。だからこそ、素晴らしい科学も生み出すことができたと私は思います。

呉:そこが韓国の人には理解できないのです。「美しいもの」「良いもの」という価値観も一元的なものですから、日本人が「人それぞれ」というのがよくわからない。私も以前はそこで一番悩んで、日本人のように多様性がある価値観の世界を理解するにはずいぶん時間がかかりました。

儒教では自然万物の上に人間が置かれている。順番で言えば動物はその次で、植物は順番にも入らない。だから、山や石や木にまで魂が宿っているなんてとんでもないことだと。

理解できないから不安になり、「彼らは未開だから、叩き続けておかないといつ暴れ出すかわからない」と考える。「反日」というより一段低く見て蔑む「侮日」が根源にあるのです。
※SAPIO2014年2月号

2014年1月17日(金)

ブラジルでは今年の後半、4年に一度の大統領選挙が行われる。ブラジルの大統領は現在、ジウマ・フセフ(Dilma Rousseff)という女性大統領。この人が出てきたとき、同じ労働者党(PT)の前大統領ルーラよりも能力が高いのではないかと、世間の期待を集めたのだけれど、任期が残すところ後1年足らずとなり、彼女と彼女の政権の機能不全と能力のなさが露呈してきており、当初の期待を裏切られたと感じている人も少なくない。ジウマ大統領が再選されるようなことになると、ブラジルの将来は暗いのではないかという予測もされている。その機能不全ぶりを示すひとつの例として、昨年末大きなニュースがあった。マラニョン州というブラジル北東部の州の刑務所で、『受刑者同士のグループ抗争を原因とする暴動や私刑(リンチ)が昨年下旬から相次いで起こっているが、収容人数を大幅に上回っている状況がこうした暴力に拍車をかけているという。また今年に入ってから報道された受刑者の妻や姉妹らのレイプ被害と、幼児1人の死者を出した市内のバス放火事件では同刑務所の受刑者らの指示により実行されたことが明らかとなっており、暴力は塀の外にも広がっている』

さらに、『刑務所内の実態を収めたビデオ映像を確認したスイスの国連本部は、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のルパート・コルビル報道官を通して8日、ブラジル政府に向けて声明文を発表し「事実関係の捜査を迅速に開始して責任者を法廷で裁くことを要請する。また定員超過の問題を解決して人間としての尊厳を保つことを求める」と述べた上で、昨年以来59人もの受刑者が刑務所内の暴動により死亡したことへの遺憾を表明した』

でも不思議なことに、国連からの要請を受けてもジウマ大統領はだんまりを決め込んでいる。何故か?マラニョン州は、1985年から1990年まで大統領を務めた民主運動党(PMDB)のサルネイ氏の出身州で、娘が同州の州知事をしているサルネイ王国と呼ばれるところ。そして、ジウマの労働者党(PT)はこのPMDBと連立を組んでいるため、何も言えないらしい。国のためよりも、選挙のために悪を温存するというのは日本でもあることだけれど、ブラジルも日本も国民はいい迷惑だ。でも、次のコラムにあるように、そういう政治家を選ぶのは国民なのだから、国民がおおいに反省しなくてはいけないのだろうけれど、ブラジルの場合は、PTのばらまき政治の恩恵を受けている多くの人々が目先の利益だけに踊らされていて、日本の場合は、事実を報道せず、嘘を垂れ流すメディアを鵜呑みにして踊らされていることがわかっていないという現実がある。どちらがより重傷なのだろう・・・?

以下は、ニッケイ新聞2014年1月14日付け「コラム 樹海」からの転載。

『江戸時代のエタ、ヒニンは一種の不可触賤民と言われるが、マラニョン州のサルネイ家はさながら不可触〃選〃民にみえる。ジウマ大統領も強いことを言えないPMDBの重鎮だ。そんなサルネイ家の娘ロゼアナ同州知事に対し、「まるでフランス革命時のマリー・アントワネットのようだ」との指摘があったのをエスタード紙で見て膝を叩いた▼州都サンルイスは、フランスの絶対君主ルイ13世(Luis XIII)の治世下に仏領植民地にされた同国と縁の深い場所だ。だから州都は「聖なるルイス」と名付けられた。1612年9月に最初のミサが行われたことにちなみ、昨年9月までの1年間、400年祭が盛大に祝われた▼政治評論家はみな「マラニョンにはドーノ(主人)がいる」と北東伯他州との違いを強調する。主のジョゼ・サルネイ氏は66年には同州知事になり、85年には大統領に登りつめた代表的権力者だ▼その娘が現知事で、ペドリニャス刑務所問題への連邦政府の介入や国際人権団体からの改善要求に否定の立場を続けると同時に、知事公邸用の約100万レアルの豪華食材(90キロの伊勢エビ、1・5トンのエビ含む)の入札を行うと発表して世間を驚かせた▼仏革命時の王妃マリー・アントワネットは、民衆が食糧難に陥った時、「パンがなければケーキを食べれば良いじゃない」と言ったとの説がある。今回の豪華食材入札はそれに近い感覚で受け取られた▼それでも10月の選挙では、サルネイ家が推す「〃選〃民」が当選する可能性が強いとか。民主主義の根幹システム「選挙」は、選ぶ側のレベルこそが最大の問題だと思い知らされた。(深)』

2014年1月18日(土)

ドナ・べティのファゼンダの年末年始の休暇が明け、今週月曜日から仕事に戻ったエリゼウが、木曜日に久しぶりにお土産を持ってやってきた。次の写真がそのお土産。彼のお母さん手作りのチーズ2種類と、牛乳で作ったキャラメルのような茶色のお菓子と、彼の実家で飼っているジャタイのハチミツ。彼のお土産はいつもお母さん手作りの素朴なもので、とてもうれしい。そして貴重な貴重なジャタイのハチミツに感謝、感謝。エドソンはうちの森の近くにジャタイのために作った棚をエリゼウに見せたり、積もり積もった話に花を咲かせていた。

このところ毎日のように雨が降る。1日中降るわけではないけれど、1日に1回は降るような感じだ。水曜日など午前中から怪しい空模様で、午後から激しい雷と雨が数時間続いた。そして昨日の朝はいいお天気だったけれど、午後からやはり雷を伴う激しい雨が降った。エリゼウの話だと、この夏葉切りアリの活動がいつも以上に活発なのは、あまり雨が降らず、地面が乾いているからだということだった。ということは、この雨は葉切りアリの活動を抑えるためにもいい雨なんだと、ちょっとありがたく思った。

2014年1月19日(日)

17日(金)のインターネット上のニュースで、小野田寛郎さんが16日(日本時間)に91歳で亡くなられたというニュースを見た。同じ日の夜、CNNやブラジルのグロボテレビのニュースでも、そのことを伝えていた。18日付けのニッケイ新聞では、ブラジルで付き合いのあった人たちの話を交えた記事が掲載されていた。小野田さんは1974年(戦後29年後)にフィリピンのルバング島から帰国した後、親族を頼って1975年にブラジルに移住。晩年は東京都内で暮らしながら、ブラジル中西部のマトグロッソ・ド・スーウ州のカンポグランジ郊外に設立した「小野田牧場」に毎年通っていたそうだ。昨年12月にもブラジルを訪問して帰国後、体調を崩してこの6日に入院。心不全で帰らぬ人となったという。ご冥福をお祈りします。

昨年末から予定していた通り、昨日ハファエウとマイーラと一緒に我が家で新年会を兼ねた食事をした。ハファエウは仕事が忙しく、病院通いもあって、英語のレッスンに来る時間が取りにくくなったから、しばらくお休みするということで、半年くらい前からレッスンをお休みしている。でも仕事の関係でよく電話がかかってきて私がその電話に出たりするし、たまにエドソンと仕事をするためにうちに来たりするので、お久しぶりという感じではない。マイーラは1年ぶりくらいだろうか?

昨晩の献立は、お肉を食べないマイーラのために挽き肉の代わりにシイタケをオリーブオイルで炒めたものを混ぜたコロッケと、お豆腐が嫌いなハファエウに何とかお豆腐を食べさせたいと思い、お豆腐にニンジンとツナとネギを混ぜて揚げたがんもを作り、サラダを2種類作った。どちらも気に入って食べてくれたのでうれしかった。エドソンは私が「ごちそうさん」のめ似子の真似をしているみたいだとおもしろがって、ハファエウに日本のノヴェラ「ごちそうさん」の説明をしていたのがおかしかった。

2014年1月20日(月)

以下は、ニッケイ新聞2014年1月17日付け「コラム 樹海」からの転載。ブラジルには日本では考えられない不思議なことが多いけれど、このコラムを読んでいて、編集長の観察眼はいつもするどく、おもしろいなと思った。

『「なぜブラジル人は抗議行動としてバスを焼くのか?」という疑問が長年頭から離れない。例えば年初の13日間だけで聖市周辺で11台ものバスが焼かれたとの報道があった。バスの値段は平均50万レアルだから、損害額は550万レアルにもなる▼ネット検索してみたら騒乱、民族テロ、犯罪の一環として非日常的に起きることはある。だが経済状態も悪くない〃平時〃の国で、日常的にこんな多数のバスが焼かれているところはない。ある意味、ブラジル社会の特徴だろう▼昨年12月16日朝のグローボTVで、バス会社の経営者は「プロテスト、マニフェスタソンの多くは交通機関と関係のないのに、なぜかバス放火で終わる。例えば洪水でも、軍警と衝突しても結局はバスが焼かれる」と嘆いた▼まるで黒魔術の〃犠牲の山羊〃のように次々に血祭りにあげられ、火の点いたバスの周りで興奮した民衆の様子がテレビで映される。まるで大衆の憂さを晴らすガス抜き装置として、バスを焼く〃儀式〃が社会的に機能しているようだ▼12年に壊されたバスの総計は688台、昨年は1216台と倍増したと同ニュースは報じた。昨年6月の〃抗議の波〃が一番ひどかった時は85台も一日で壊された日があった。焼かれたバスだけ見ても一昨年の53台から昨年は63台▼バス会社は損害を運賃に転嫁する。結局苦しむのは抗議とは無関係の一般市民だ。抗議対象になりやすい政府や警察は痛くも痒くもない。「プロテストはいいけどバスを壊すのは犯罪」とはバス会社の弁。当然だ。もしかして〃社会的なガス抜き〃のためにわざと犯罪を放置しているのか。(深)』

2014年1月21日(火)

休暇中も時々来てくれていたゼーと、長期休暇から戻ったヒバマーが、先週の土曜日、いつものように仕事に来てくれ、草刈りを続けてくれた。次の写真は、ランドマークの木の西側の道沿いでゆっくり成長している緋寒桜(沖縄桜)の並木。緋寒桜はヒマラヤ桜に比べて成長が遅いけれど、少しずつ大きくなってきている。うちに植えた数十本の緋寒桜はまだ小さいので、一度も花を咲かせたことはないけれど、この並木が花を咲かせるようになったらきれいだろうなあと思う。足元にある緑はブラキアーリアの繁殖を防ぐために植えたアメンドイン。こちらも少しずつ広がってきている。

次の写真は、上の写真の桜並木の西側に、交互に植えたセドリーニョとユーカリの木の列。このユーカリの木は長い間小さいままだったけれど、ゼーに肥料をまいてもらったら去年の中頃から成長し始め、ユーカリよりも前に植えたセドリーニョを追い越して大きくなってきている。足元のブラキアーリアは先週の土曜日に取り除かれたばかり。

次の写真では、右側の道と左側のセドリーニョの列の間の草が取り除かれた部分(手前)と、まだ草が取り除かれずにブラキアーリアに被われている部分(奥)の違いがはっきりとわかる。

2014年1月22日(水)

いつだったかエドソンがゼーからもらったマンジォッカの枝を何本も、家の南側の三角地帯に植えた。植えてからまだ1年にもなっていないけれど、だいぶ大きくなっている。マンジォッカは枝を地面に刺しただけで成長するとても強い植物。1本も枯れることなく、みな元気に育ち列を作っている。

次の写真は、同じく三角地帯のマンジォッカの列の手前で育っているカラ。ゼーが作ってくれた竹の棚に巻きついて、いい具合に成長している。今年もカラの豊作が期待できるかも・・・

次の写真も、同じく三角地帯のオレンジの木の1本。まだ収穫の時期ではないけれど、ここにあるオレンジやレモンの木の内の5~6本に実がたわわに実っている。

2014年1月23日(木)

ジミーとジェフとの今年最初のレッスンの際、ジミーが、彼の会社の社員のひとりで、ジョズエ(Josue)という人が英語のレッスンを受けたいと言っているというので、先週その人にうちに来てもらって話をした。生徒さんはひとりよりもふたりの方が、生徒さんにとってもこちらにとってもやり易いのだけれどと、ジミーに言ったからか、へナト(Renato)という若い人と一緒にやって来た。簡単な会話が少し理解できるジョズエと、まったくわからないへナトとの差がかなりあり、へナトはちょっとためらっているようだったので、レッスンに来ないかもしれないと思っていたら、予想に反してとにかく始めてみるということで、今週の火曜日から週1回のレッスンにやって来た。ジョズエはジミーの会社で林業用機械のデザインの仕事をしていて、へナトは販売の仕事をしているのだそうだ。エドソンの話だと、社員にも英語を習得してもらいたいという考えがあって、どうも彼らのレッスン料はジミーの会社で負担するんじゃないかと言っていた。ジミーには心から感謝。次の写真の右がジョズエで、左がへナト。第1回目のレッスンが終わり、帰るところをパチリ。へナトは胸ポケットにRoderと会社の名前の入った制服の青いシャツを着ている。

2014年1月24日(金)

以下は、ニッケイ新聞2014年1月21日付けの「コラム 樹海」からの転載。

『聖市カンポ・ベロ区の何の変哲もない小さなカフェ(喫茶店)に入ったら、メニューにアイスコーヒーがあった。どこでもほぼカフェジーニョかエスプレッソの一点張りの当地としてはごく珍しい。「コーヒーの選択肢が増える兆しか」との期待を抱いた▼というのも、世界最大のコーヒー豆輸出国であるはずの当地には、なぜかカフェが少ない。輸入すると高く付くせいか豆の種類も選べない。カフェらしいカフェといえば、仏系フランズ・カフェや06年に初出店した米国系スターバックスくらいか▼コーヒーを輸入に頼る日本では、なぜかカフェ文化が満開だ。水野龍が最初に銀座に開いた「カフェ・パウリスタ」では、大正期の小説家などの文化人が熱い議論を交わし、熟考できる雰囲気を楽しんだ場だった▼カフェは17世紀初頭にトルコで誕生し、後に欧州に広がったという。上流階級の社交の場、知識人の議論の場として栄えたが、時の為政者に禁じられるほど文化を醸成する〃危険な〃場所だった▼フランス革命当時、その主要舞台となったパリのパレ・ロワイヤル広場の近隣には、最新のカフェが立ち並び、田舎から出てきた文士、弁護士、医者、学生が市民と、あるべき政治を論じ合っていたという。つまりカフェは歴史上初めて、階級を超えて開かれた政治的な議論をできる場として機能したと言われている。それを日本に持ち込んだのが、水野だった▼都市文化の発展と共に増えるカフェは、文化的成熟度を示す指標でもあるようだ。世界最大の豆産地にはカフェが少ないというのは、元植民地国ゆえの歴史の皮肉か。どおりで当地の珈琲が苦いわけだ。(阿)』

2014年1月25日(土)

メル友の鎌谷さんからいただいた金時豆を、昨年10月の終わり頃、少し畑に蒔いてみた。次の写真は、種を蒔いて2週間後くらいに芽が出てきたその金時豆。大豆やオクラ、ラディッシュなどの種も同時に蒔いたのだけれど、一番最初に金時豆の芽が出てきたので、その成長の速さに驚いた。この金時豆は北海道産らしく、暖かい時期の短い北海道で短期間に成長する種類だとは聞いていたけれど、本当にその通りで成長が速かった。

そして、その金時豆の葉が黄色く変色してきたので、鎌谷さんにどのタイミングでどのように収穫したらいいのかを教えていただいて、先週初めに収穫して、さやを平らなカゴに入れて台所の窓辺で乾燥させること約1週間。さやの中で豆がカサカサと音をたてるようになったら、さやから取り出してということだったので、取り出してみた。次の写真が、その取り出した金時豆。成長不良のものも少しあったけれど、だいたいきれいなあずき色の豆が出てきて、大感激。畑に蒔いた種の数が少なかったので、収穫量もほんのわずかしかないけれど、これでも蒔いた種の数の約5~6倍に増えているので、成功と言えるのではないかと思う。今年はもっとたくさん種を蒔いてみようと思っている。

2014年1月26日(日)

この金曜日は、車の定期点検でアヴァレのトヨタに行ってきた。12月にはすでに走行距離が40,000キロを超えていたので、点検に行かなくてはならなかったのだけれど、年末年始を避けて、年が明けてから予約をして行った。モビが元気な頃は、一緒に連れて行ってもいい子にしていてくれたので、食堂は別として、トヨタはもちろん、近くのお店にも問題なく入ることができたけれど、はるはボトゥカトゥへ行くにも、途中でおしっこがしたくなったり、ぐずぐず泣いたりするので、長距離ドライブは無理。まして、まったく落ち着きのないはるを連れて外を歩いたり、店に入ることは不可能なので、ヴィラ・シーコのお世話になるしかなく、朝一番で、はるをヴィラ・シーコに預けてから出かけた。

11時前にゆとりを持ってアヴァレに到着。車の点検が終わるのを待つ間、今回はセントロには行かず、トヨタの近くのお店で買い物をしたり、道路を横切ったところにあるガソリンスタンドの食堂で食事をしたりして時間を潰した。でも、アヴァレは戸外だけでなく、トヨタ以外の店は冷房がなく、店の中も暑かった。私たちはパーディーニョの比較的涼しい気候に慣れきってしまっているので、30度を優に越える暑さには少々参った。午後3時頃、点検と洗車が完了した後、支払いを済ませてアヴァレを出て、ボトゥカトゥに寄って買い物をしてから、5時を少し回ってはるを迎えに行った。ボトゥカトゥのセントロでは雨は降っていなかったのだけれど、ヴィラ・シーコに行く途中から、土砂降りの雨が降り出した。車を洗車してもらってきれいにしたばかりなのに、雨だなんて・・・ああ、やれやれ・・・パーディーニョの町を通り抜けるまで雨が降っていたけれど、町を出てうちに向かう坂を上がりきったジミーの工場の辺りまで来ると、もう雨は降っていなかった。

帰宅して片付けをして、夕飯を食べ終わった頃、西の空は太陽が沈む前でとても明るいのに、東の空は雨が降っているようで真っ暗だったので、写真を撮ってみた。1枚目は逆光になるので、画面の左側でまだ輝いている太陽を柱で隠して西の空を撮ったもの。2枚目は真っ暗な東の空を撮ったもの。この時少し雨が降っていて、お隣の丘の上の2本の木の右側に虹が二重に出ているおもしろい現象が起こっていた。

2014年1月27日(月)

以下は、ニッケイ新聞2014年1月22日付け「コラム 樹海」からの転載。

『W杯真っ最中の7月4日から選挙運動が始まる。話題の東京都知事選などは2週間余りだが、当地では足かけ3カ月もあるので、膨大な手間と費用がかかる。選挙期間が長い方が〃軍資金〃を持つ既存の政治家に有利だし、それゆえに汚職に手を染めやすい。本来はもっと政治家の新陳代謝を促進する選挙制度の方が望ましいことは言うまでもない▼しかも2年ごとに市政選挙と国州政選挙を繰り返す。自ら出馬しない年でも、同じ党の候補者を手伝う必要があるから政治家には大きな負担だ。2年ごとに選挙準備作業を含めて半年間、彼らは本来の国を良くするための活動ができない▼〃軍資金〃が必要だから、当地政治家の多くは汚職を何とも思っていないと聞く。その点、汚職をしない性向を持つ日系政治家は不利だ。「悪貨は良貨を駆逐する」という金言があるが、倫理なき政治は「弱肉強食」の世界だ。日系政治家が勝ち抜くためには日系団体の支援が不可欠なはずだ▼安部順二下議と先日話した折りも、「かつての移住者は農業を通して伯国発展に尽くす心意気が強かったが、今の若者は関心が薄い。もっと国を良くするための議論の場がほしい」と語っていた。106年も経ったのだから、日系団体は親睦や文化普及だけでなく、日本的な考え方をもって当地を良くする方策をもっと考えていい。とくに選挙権を持つ青年部だ▼これから各地で総会が開かれる時期だ。ぜひ各鉄道沿線で連合会青年部を集める機会を作り、日系政治家を呼んで公開討論会をしたらどうか。「日系らしい視点」からこの国を良くする――そのための議論はまさに〃次の百年〃の重要な活動だ。(深)』

以下も、ニッケイ新聞2014年1月24日付け「コラム 樹海」からの転載。

『サッカーW杯本番まであと5カ月――昨年末のグローボ報道では、会場となる全伯のスタジアムの半分しか完成しておらず、開催都市の交通インフラ整備工事は75%が遅延、または試合に間に合わないと報道された。当地らしく最後までハラハラ、ドキドキだ▼特にクリチーバ蹴球場は工事の遅れが酷く、使うかどうかを2月に最終決定する。せめてスタジアムぐらいは突貫工事で完成したとしても、インフラ整備の多くは間に合わない。政治家側の思惑としては全伯に恩恵をばら撒きたいから12都市開催にしたのだろうが、おかげで各都市で工事をせねばならず、不確実要素が飛躍的に増大した▼もしかしてインフラ工事を発注した政治家としては、蹴球場以外のインフラ工事は間に合わなくてもいいと本音では思っているのでは――との想像が湧く。「W杯のため」を錦の御旗に、大規模公共工事をして建設会社に税金をばら撒いて、より多くの建設作業員に恩恵を与えるという〃選挙対策〃だったのでは▼選挙前に金をばら撒くのが目的だから、最初からこの6月を期限として考えていなかった、だから平気で遅れる――と考えるのは穿ちすぎか。単に計画性がないから工事が遅れたのであれば〃普通〃だが、もし政治家がそう考えているのなら実に「計画的」だ▼イトゥーの日本代表宿泊施設も、既報の通りまだ骨組の状態だ。同施設側は「70%できた」というが、さる建築専門家に写真を見せて尋ねたら「40%」との答えだった。日本側は当地事情を理解し、しっかりと工事のケツを叩かないと泣きを見るかも。もう日本代表の〃試合駆け引き〃は始まっている。(深)』

2014年1月28日(火)

はるはヴィラ・シーコではチアリーダー的存在のようで、ヴィラ・シーコの人たちや犬たちみんなから愛されている。モビは私たちのことは無条件で愛してくれたけれど、外から来る人たちには好き嫌いがあって必ずしもみんなに愛嬌を振りまくというふうではなかった。でも、はるは人でも動物でもみんな自分の遊び相手だと思うらしく、誰かが来るとうれしくてうれしくて、興奮して愛嬌を振りまく。そして、元気で走り回ることの好きなはるがヴィラ・シーコに来ると、それまでダラーっとしていた他の犬たちも一緒になって元気に走り回るから、他の犬たちにとってもいい運動になると言われたことがある。金曜日の夕方はるを迎えに行くと、その日はヴィラ・シーコも暑かったらしく、「今日は、はるが水遊びをした」と言って、水の中でひっくり返ってお腹丸出しの格好をして楽しんでいるはるの写真を何枚か見せてくれた。その恰好がとても可愛いので、ヴィラ・シーコのfacebookにその写真を載せる予定だと言っていた。ヴィラ・シーコではいつも思いっきり芝生の上を走り回ったり、転げ回ったりして体がよごれるので、ヴィラ・シーコから戻った翌朝は、エドソンがシャワーを浴びる際、一緒にはるの体も洗ってもらうことにしている。次の写真は、土曜日の朝、エドソンがはるを呼んでシャワーしようと話しかけているのだけれど、シャワーがあまり好きではないはるは、側までは来るのだけれど、シャワールームの前のカーテンの後ろに隠れて小さくなって、「イヤ、イヤ」とささやかな抵抗をしている。その姿がおかしくて写真に収めた。

次の写真は、シャワーが終わり、「ああ、やれやれ」といった表情で、シャワールームのガラス扉の前で、バスタオルを持って待ち構える私がドアを開けるのを待っているはる。

2014年1月29日(水)

いつだったか、下の森に下りて行くところに植えたジャカランダの木の足元に、台所から出た野菜くずを埋めたことがあった。だいぶ経ってそこからメロンのつるのようなものが成長して、いくつか黄色い花を咲かせていたけれど、ブラキアーリアに被われているし、実がなることはないだろうと思っていた。そうしたら先週の土曜日に草刈りをしてくれていたヒバマーが、カボチャがひとつブラキアーリアの中に放ってあったのを見つけてくれた。今月初めに草刈りに来てもらった中年夫婦が草刈りをしている際、ジャカランダの足元の草を取り除いて、このカボチャがあるのを見つけたにも関わらず、ブラキアーリアの中に捨ててしまったものだった。結構ちゃんと成長したカボチャなのに、捨てるなんてもったいない。ジャカランダの足元に、何か黄色い色をした実がひとつあるのはわかっていたけれど、ちゃんと確かめようとしなかった私たちも悪いのだけれど、こんなものがなっていましたよと、ひと声かけてくれればいいのにと思った。でも、ヒバマーのお陰でせっかく成長したカボチャを無駄にしなくて済んだので良かった。このカボチャ、オレンジ色をしているけれど、うちで食べるカボチャはいつも濃い緑色のもの。こういう色のカボチャは食べたことがない。どうして緑色でなくオレンジ色のカボチャができたのだろう?次の写真は、そのカボチャと、大きさを比較するために使いかけのキャベツを並べてみた。

2014年1月30日(木)

我が家で手作りのパンを作って食べ始めて半年以上になる。さすがに毎日食べていたので少々飽きてきた。それでこの月曜日に違うものを作ってみようと思い、テーブルロールを作ってみた。先週の金曜日の買出し日にうっかり小麦粉を買い忘れたので、小麦粉の量が足りず、普通の小麦粉に全粒粉の小麦粉を混ぜて作った。そして、砂糖も白いものではなく、ブラウンシュガーを使ったので、パンの色は少々茶色っぽい感じになったけれど、見た目も味も悪くなく、まあまあ成功かな?

2014年1月31日(金)

以下は、ニッケイ新聞2014年1月30日付けブラジル国内ニュースからの転載。

非識字者数が世界で8位=伯国では1320万人

国連教育科学文化機関(ユネスコ)が29日に発表した報告書によれば、世界150カ国のうちブラジルは、15歳以上の非識字者(文盲)が8番目に多いと29日付G1サイトが報じた。

地理統計院(IBGE)が2012年に行い、翌年9月に結果を発表した全国家庭サンプル調査(Pnad)によれば、15歳以上の非識字者は1320万人と見込まれている。

ユネスコの調査によれば、全世界には7億7400万人の非識字者がおり、そのうち64%が女性だとされる。72%が10カ国に集中しており、その中にブラジルも含まれる。最も非識字者が多いのはインドで、その次に中国、パキスタンと続く。

報告書では世界の教育における主な課題として、教育の質の低さ、学校の授業に魅力がないこと、適切な教師の養成が行われていないことなどを挙げている。調査対象となった150カ国のうち、訓練を受けた初等教育の教師は75%以下という国が50カ国ある。

ユネスコは、国内総生産の6%を教育に投資すべきという目標を掲げている。それを達成している国は150カ国のうち41カ国に過ぎず、伯国はそのうちの一つになっている。でも基礎教育を受けている子供一人当たりへの投資額は年間約5千レアルであり、先進諸国ではその3倍の金額となっている。



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