Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2013年7月1日(月)

家の南側の三角地帯の木々がだいぶ大きく育ってきている。最近特に目につくようになったのは、我が家が建っている地面よりも2メートル近く低い三角地帯に一列に植えたセドリーニョ。小さな苗を植えたので、なかなか姿が見えなかったけれど、去年の暮れぐらいから手前の地面を越えて見えるようになってきた。次の写真は、台所の流し台の前の窓から見た三角地帯。グレヴィーリャ、セドリーニョ、オレンジ、梅の木などが育ってきているのがはっきりとわかる。ここには他にもフェンス沿いに植えたコロア・デ・クリストや、大木になるというグアプルブという木も植わっているのだけれど、まだ小さいのでこの写真では姿が確認できない。

2013年7月2日(火)

先週続いた悪天候は、金曜日、土曜日とお天気が回復したものの、土曜日の午後7時前くらいからまた雨が降り出し、日曜日も月曜日も濃い霧が出て、降ったり止んだりのぐずつくお天気になった。今日も朝は濃霧で、その後お天気が回復するかに思えたけれど、やはり相変わらずどんよりとして、強い風が吹きつけている。この時期は乾季のはずなのに、この長雨は一体どうして?と、ちょっとうんざり。グアムで暮らす友人は、この時期あちらは雨季で、いつもなら雨が多い季節なのに、今年は雨があまり降らないからおかしいなと思っていたら、つい最近、雨、雨、雨になったと言っていた。どこもかしこもおかしな天気のオンパレードだ。ヨーロッパ、インド、カナダでは大洪水で、カリフォルニアでは猛暑、アリゾナでは大規模な森林火災というニュースを次々目にする日々が続いている。地球規模で環境がおかしくなっているということだろうか?次の写真は、最近つぼみを付け始めた玄関前の外階段沿いのサツキ。ここには濃いピンク、白、薄いピンク、赤の4種類、12本のサツキを植えているのだけれど、最近多くの木がつぼみをつけ、花を咲かせ始めている。2枚目の写真は、一番たくさん花が開いている1本をアップでパチリ。

2013年7月3日(水)

以下は、ニッケイ新聞2013年7月2日付けブラジル国内ニュースからの転載。

14年大統領選=ジウマ再選へ黄信号=マリーナの急追受ける
大統領不支持率も過去最高=デモに加え経済政策に問題

ダッタフォーリャが6月27~28日に行った14年大統領選挙に関する世論調査で、ジウマ大統領(労働者党・PT)が支持率を大きく落とし、再選に向け予断を許さない状況となってきた。6月29~7月1日付伯字紙が報じている。

14年大統領選で「誰に投票するか」の問いで、ジウマ大統領は1位にはなったものの、その支持率は前回調査の51%から30%へ急落した。前回調査は6月6~7日に行われたが、その後の3週間の間に起きた全国規模のデモにより、ジウマ氏に対する不信感が高まったことが反映された結果となった。

それを裏付けるように、同時に行われたジウマ大統領本人への支持率も、「よい/最良」が前回の57%から30%へ急落し、「普通」が33%から43%、「悪い/最悪」が9%から自己最悪を大きく更新する25%へ急上昇している。

2位には前回同様、マリーナ・シウヴァ氏(持続ネットワーク・RS)が続いたが、支持率は前回より7%ポイント増の23%となり、35%ポイントあったジウマ氏との差が一気に7%ポイントに縮まった。この調査の誤差は2%のため、差はほとんどなくなってきていると言える。

3位のアエシオ・ネーヴェス氏(民主社会党・PSDB)、4位のエドゥアルド・カンポス氏(ブラジル社会党・PSB)も共に3%ポイント支持率をあげ、それぞれ17%、7%となった。

また、仮にPTがジウマ氏ではなく前大統領のルーラ氏を候補に据えたと仮定した場合は、ルーラ氏が46%と他の候補を圧倒する数字が出ており、在任時における信頼の高さを伺わせた。

一方、メンサロン裁判での手腕を高く評価され、国民から「次期大統領に」の声が高まっているジョアキン・バルボ―ザ連邦最高裁長官を候補に加えた場合は、アエシオ氏とほぼ同じ支持率で3位争いをするという結果となった。

6月30日付フォーリャ紙の分析によると、ジウマ氏の支持率急落の背景には経済政策での問題がある。今回のダッタフォーリャの調査では、インフレは上がると予測する人が54%いた。ルーラ政権末期にはこの数字は30%台前半まで落ちていた。また「失業率上昇」を予想する人が44%、「給与による購買力の低下」を予想する人が38%と、いずれもジウマ政権発足時の2倍近い数字にはね上がっている。また、ギド・マンテガ財務相の辞任を求める声もある。

ジウマ大統領の支持率低下を受け、現在PTと連立を組んでいる与党政党の中で連立を見直す動きも出はじめており、中には大統領府の弱さを指摘し、イデーリ・サルヴァッティ政治担当調整長官とグレイシ・ホフマン官房長官の辞任を求める声もある。

一方で、ジウマ大統領が提案した政界浄化のための国民投票案は国民の68%が賛同、学識経験者らによる政治改革案作成にも73%が賛意を表明しており、好意的に受け止められている。

2013年7月4日(木)

以下は、ニッケイ新聞2013年7月3日付け「コラム 樹海」からの転載。

『世界最多信者数を誇るカトリック大国ブラジルが、法王の来る直前にプロテスト(抗議行動)の国に変貌した――。この10数年間に起きた国民変化(中産階級や新教徒増加)の総決算のような現象が今回のマニフェストだ▼経済拡大期を利用して労働者党は、ボウサ・ファミリアなどにより貧困層の扱いを手厚くしてきた。「格差を減らす」という題目に異を唱える者はおらず、結果的に大統領支持率を底支えする制度として機能してきた▼当地は全国民が強制される義務投票の国だから、全員の意思が政治家のバランスに反映される。だから圧倒的多数を占める貧困者から支持を得た政党が優位に立つ。貧困者が喜ぶW杯や五輪開催などの大イベントは、今まで大いに大統領支持率に貢献してきた。でも中産階級が経済拡大で力を付け、体制に従順であるより、トルコやエジプトに学んで抗議行動を激化し始めた▼今回のマニフェストは学生ら若者が始めた「中産階級の反乱」に端を発していることを考えれば、PT政権で手厚くされず、多額の税金ばかり取られていた中産階級が「税金に見合った公共サービス(交通、医療、治安)をしろ」と抗議を始めたとも分析できる。以前の調査でも教育が高い層ほど政治家の腐敗に厳しく、教育が低いほど寛容との結果が出ていた▼MPL(公共交通無料化運動)の抗議行動は以前からあったが、今回異例の盛り上がりを見せたのは、コンフェデ杯に「W杯で浪費反対」デモを行うアイデアが中産階級のツボにはまったのだろう。カトリックは体制と上手に付き合う宗教という印象が歴史的に強いが、伯国民衆はプロテストに目覚めつつある。(深)』

2013年7月5日(金)

ずっと以前、この辺のスーパーで売られているパセリはイタリアンパセリだけで、日本で普通に見かける種類のパセリは見たことがないと書いたことがある。そうしたら、2~3ヶ月くらい前から、うちの畑に日本で普通に見かけるパセリが元気よく育っているのに気がついた。パセリが勝手に生えてくるなんてことはあり得ないので、パオン・ジ・アスーカーの野菜売り場でよく売られているハーブなどの苗の中で、パセリを買って帰り、試しに畑に植えたんだろうと思うのだけれど、何故かはっきりとした記憶がない。でもまあ、とにかくネギと同じように頻繁に使う用途のあるパセリが元気にしているのはありがたく、助かっている。例えば、2枚目の写真のように、パセリのみじん切りはやはりイタリアンパセリよりもこのパセリの方がいいように思う。でも、何故、苗は販売されているのに、この種類のパセリは店で販売されていないのだろう?

2013年7月6日(土)

雨でぐずついたお天気がしばらく続いていたけれど、水曜日からお天気が回復し、その後、乾季らしい爽やかな日々が戻ってきた。毎週土曜日に手伝いに来てくれるヒバマーが、草取り作業を続けてくれているので、丘の上の貯水タンクの周辺もきれいになって気持ちがいい。次の写真は、貯水タンクの横から我が家を撮影したもの。セドリーニョの手前の竹は、植えたときはセドリーニョよりも背が高かったのに、ずっとブラキアーリアに被われていたせいか、ほとんど成長していない。今ではセドリーニョの方が背が高くなっている。

次の写真は、セドリーニョと竹の間から丘の上の貯水タンクの方を向いて撮影したもの。これらの竹は縦には成長していないけれど、ブラキアーリアを取り除いたら、少なくともたくさん新しい芽が出て育ってきていることが、はっきりと見て取れる。

2013年7月7日(日)

家の北側の庭の桜が一番葉を落として、たくさん花芽をつけているので、そちらばかりに注目していたら、南側の三角地帯の入り口に3本ある桜の一番大きな1本に、昨日花がいくつか開花しているのを発見!この木はちょうど3年前にイビウーナの中村さんから30センチくらいの苗(ヒマラヤ桜)をいただいて、すぐここに植えて育てていたもので、他の2本は後から植えた沖縄桜。植えたのが一番早かったので、成長も早く大きくなったのだけれど、ここは風当たりが強いためか一時弱りかけたことがあった。でも、何とかがんばって生き残り、去年初めてほんの少し花を咲かせてくれた。そして今年も他のどの木よりも早く、また花を咲かせてくれた。今年は去年よりもたくさん花を咲かせてくれるかな?

2013年7月8日(月)

昨日はよく働いた。私が午前中ダイニングルームの下、外階段の横の花壇の草取りや、枯れた植物の葉を切ったりして、きれいにしている間、エドソンはハイビスカスの剪定をしてくれた。次の写真は、ハイビスカスガーデンのハイビスカスを剪定する前と、前列のハイビスカスを剪定した後。後列のハイビスカスの剪定はまだだけれど、だいぶすっきりしたのがわかる。

剪定したハイビスカスの枝をランドマークの木の側に移動させる作業が済んでから、ベランダの椅子に腰かけて、エドソンとふたりで缶ビールを飲みながら1時間くらいのんびりと休憩。至福のひと時!そして、午後も私は畑で作業。マラクジャにたくさんつく毛虫をどうしてもコントロールできず、葉をさんざん喰われてしまったため、マラクジャを育てることは断念。しばらく前にその根元を切って葉を枯らし、毛虫を退治しておいたので、昨日はその枯れたマラクジャのつるをどける作業をしたり、草取りをした。それが終わって家に入り、インターネットでニュースを読みながら休憩していると、エドソンがパンを作るから手伝ってというので、彼のパン作りのアシスタントをした。金曜日にエドソンが買ってきておいたイーストや全粒粉の小麦粉など必要な材料をテーブルに並べると、レシピのメモを見ながら作ってくれた。次の写真は、パンをオーブンに入れた後、焼き具合を見ているエドソンと、エドソンの膝に乗っかってお邪魔虫をしているはる。

次の写真は、焼きあがったパンをオーブンから出しているエドソン。その横ではるもパンに注目している。そして、その出来上がったパン。このパンには金曜日に作ったローストポークの残りをスライスしたものと刻んだくるみが入っている。パンは外はカリッとして、中はしっとり。くるみがいいアクセントになっていておいしかった。大成功!!夕方、このパンをおつまみにワインで乾杯。次回は、パンの中に混ぜるものをローストポークではなく、チーズやベーコンにしてみたらもっとおいしいかもしれないと思った。

2013年7月9日(火)

ペトロポリスの安見さんが、前々から歩いてみたかった「金街道」を歩いたと言って、写真を送ってきてくださった。昔、カリフォルニアでゴールドラッシュがあったように、ブラジルでもミナス・ジェライス州で金が発見されてゴールドラッシュがあったことは有名。このゴールドラッシュの中心地として栄えたオーロプレットという町の名前は、この金山で最初に発見された金のまわりに酸化鉄がついて黒く変色していたため、黒い金(オーロ・プレット)と呼ばれたことに由来すると言う。その金を直接リオ港に運ぶための道路が作られ、その道路はカミーニョ・ド・オーロ(Caminho do Ouro=金街道)と呼ばれていた。この金街道は1723年に完成し、ペトロポリスを通ってリオまで続いている。そのペトロポリスからリオへの下り坂6.5Kmを歩き、丁度3時間のハイキングだったそうだ。当時、金はポルトガルに運ばれイギリスへの支払いに当てられ、この金で産業革命が起こり世界が変わり今があり、その100年後にこの道をドイツ移民が上ってペトロポリスの町を作ったという歴史的な道。そして、この道は当時のまま保存されているらしい。まず、1枚目は、この道への降り口で、ここからふもとまで6.5Kmの急勾配の道が続いている。

2枚目の写真では、幅6メートルの道に、石畳が敷かれているのがはっきりと見える。勾配がきついので、馬車では登れなかったのではないかと書いておられた。

3枚目は、ふもとの移民収容所の建物。ペトロポリスに入植したドイツ移民はリオではなく、その対岸のニテロイ港に上陸し、検疫検査の後ここに移動して、休んでからこの道を登ってペトロポリスに入ったという。リオの古い建物は維持管理が悪いものが少なくないけれど、この移民収容所は維持管理がいいのか、写真で見る限りとてもきれいだ。

4枚目は、リオからペトロポリスまでつながっていた登山鉄道の一部。この登山鉄道は1964年に廃線になったのだけれど、ふもとからリオへの平地を走る部分は今も使われているのだそうだ。その線路の上に立ってポーズをとる安見さんご夫妻。

2013年7月10日(水)

昨日は、護憲革命記念日で、サンパウロ州限定の祝日でお休みだったので、ヒバマーがここの手伝いに来てくれた。もうひとりのゼーは、6月の中旬から2週間お休みして、先週の土曜日に戻ってくるはずだったのだけれど、体調を崩してお休み。そして、今日もゼーはお休み。真面目に働く人だけれど、お酒を飲みすぎるらしいので、それで肝臓を痛めているのではないかと、エドソンと心配している。

日本の秋は紅葉がきれいだけれど、ここではそういうきれいな紅葉は見られない。ただ、常緑樹がたくさんあるので、冬になっても木々がみんな裸になって寒々しい景色になるということもない。そして、冬でもいろいろな花が咲くので彩りにあふれている。外階段に沿って植えたサツキが咲き始めたと、先週書いたけれど、一番鮮やかに花を咲かせている1本をもう一度パチリ。エドソンはこのサツキがすっかり気に入り、毎日のように眺めては、きれいだと言っている。さらに、うちで飼っているミツバチのジャタイと、最近エリゼウにもらったミリンというジャタイよりもさらに小さく、黒い色をしたミツバチが、このサツキや桜が好きなようで、花の回りを飛び回り、せっせと花粉や蜜を集めている姿が見られる。

このサツキのお向かいの花壇では、今カラーが花を咲かせている。これまでは1本ずつ花芽が出てきて花開き、その花が終わると、次の花芽が伸びてきて開花するというのを繰り返していたけれど、今回は何と、花芽が3本ほぼ同時に出てきて、2本が開花している状態で、4本目と、その4本目の左側にわずかに頭の先が見える5本目の花芽も出てきている。こんなに一度にたくさん花芽が出てきたのは初めてなので驚いている。

2013年7月11日(木)

ここの冬は、気温が低く寒い日々と、比較的暖かい日々とが交互にやってくるように思う。それで、日差しがあって暖かい日は、蒔ストーブに火を入れる必要がないくらいに暖かくなったりする。最近になって、春先から咲き始めるはずの花たちが、今年はもうすでに咲いていることに、はたと気がついた。プリマベーラ(ブーゲンビリア)が咲いているのは以前書いたけれど、これも春先から咲く庭のクアレズマも2~3週間くらい前から花を咲かせている。

バラの花壇の足元のベイジョは、去年の冬は完全に枯れてしまったのに、この冬は夏場のように元気で花盛りというわけではないけれど、今でも結構たくさん花をつけている。黄色いマーガレットも枯れずにあちこちで咲き続けている。ここの冬はこういうものと言ってしまえばそれまでだけれど、彩りがあるここの冬はいいなあ・・・と、思う。次の写真は、バラの花壇の手前、 外階段の横に自然に生えてきて、今も仲良く咲き続けているベイジョとマーガレット。

2013年7月12日(金)

昨日は、前の晩から出てきた霧が朝になってもしばらく晴れず、午前10時をだいぶ回ってから我が家の周りは晴れてきたので、はると2度目のお散歩に出た後、ベランダから次の写真を撮ってみた。我が家の周りは霧が晴れているのに、西隣のコーヒー園はまだ霧に被われていて、写真の右奥にあるお隣の家も霞んでいてよく見えない。濃い霧が出ているときはあたりが真っ白で、何も見えなくなることもあり、まるで陸の孤島のような感じになる。そして、ベランダの床もベランダに置いた椅子も霧でびしょ濡れになったりする。以下の写真では、外階段沿いに右から濃いピンク、薄いピンク、白色のサツキが咲いているのが見える。一年ほど前は、まだここには廃材が積み上がっていたのだけれど、廃材を移動させてから植えた桜やくちなしが育ってきているので、見違えるようになってきた。そして、1度目に移植したアメンドインは根付かなかったけれど、2度目に移植したアメンドインは根を張り、少しずつ広がってきている。1年後には地表がすべて隠れて、ここは緑に被われているかな?

2013年7月13日(土)

ニッケイ新聞2013年7月12日付けの日系社会ニュース「大耳小耳」に以下のような文章があった。この記事のニーム(Neem=インドセンダン)という木は、うちにも2~3本エリゼウからもらった苗を植えている。虫が嫌う木だとは聞いていたけれど、インドのアユールヴェーダでも使われる薬草だったのか・・・?

『県連日本祭りのコチア青年連絡協議会のブースで、ピラール・ド・スルの伊勢脇英世さんが育てている「ニーム(インド栴檀、Azadirachta indica A.)」の苗50本ほどを無償配布することになった。無料だが「厚意」は受け取り、同協議会に寄付するとか。数が少ないので20日(土)のみの配布。インド栴檀は伊勢脇さんが「ぷらっさ」欄で紹介していた通り、インドのアユールヴェーダでも使われる薬草で、乾燥葉をお茶にできる他、蚊、ハエ、アブラムシ、ハダニなどの虫除けにも効果があるという。』

次の写真は、うちの庭に植えて1年余り経っているニームの木の1本。このニームについて調べてみると、インド、バングラディシュ等が原産で、インドでは別名「村の薬局」と呼ばれ、約4000年前から薬用ハーブとして利用されているとあった。乾燥に強い木なので、乾燥地域での緑化樹として、こんもり生い茂る葉が街路樹としても利用され、種や実、葉など樹の各部位が医薬品や農業用資材、肥料、化粧品・石けん、シャンプー、歯磨き粉などの日用品、薪、建材、家具材、お茶、ペット用品など多くの用途に加工されているという。ニームの特性を大まかにまとめると次の4点になるようだ。
1.ニームの植林による砂漠化の抑制・防止
2.成長が早く緑化効果が上がる
3.優れた二酸化炭素の吸着力
4.各部位による製品化

2013年7月14日(日)

先週の土曜日に三角地帯の入り口の桜が開花し、翌日は庭の桜の1本が開花した。それから1週間、庭の一番葉を落としている桜の木(以下の1枚目の写真)にはたくさん花芽がついていているけれど、まだ開花しているものは少ない。一方、三角地帯の入り口の桜(以下の2枚目の写真)は、七分咲きといったところで、まだ開花していないつぼみもたくさんあるなのだけれど、すでに新しい葉が出てきてしまっているので、落葉せずに残っている葉と新しく出てきた葉に囲まれて、木から少し離れると花が咲いているかどうかよくわからないような状態。でも、確かに桜が咲いている。

2013年7月15日(月)

先週の日曜日に焼いたパンが大成功だったのに気をよくして、昨日もエドソンはパンを焼いてくれた。今回は小麦粉と全粒粉の割合を少し変え、オリーブオイルの量を減らし、中に混ぜるものはチーズとアーモンドにし、パウンドケーキ用の長方形のケーキ型にパン生地を入れて焼くなど、あれこれ変化させ、何だか理科の実験をしているような感じもしないでもない。夕方、焼きあがったエドソンのパンと、一緒に焼いたアップルパイを並べてパチリ。前回のものよりもさらに味がグレードアップしたと言って、エドソンは大満足。早速、夕飯のサーモンとブロッコリーのクリームパスタにこのパンを副えていただいた。

2013年7月16日(火)

今年は豊作のカラを、里芋やじゃがいも代わりにせっせと食べる工夫をしながら、今度は月に1度くらいの頻度で作るカレーに使ってみようと思い、昨晩、ようやく作ってみた。結果から言うと、悪くはないのだけれど、いつものカレーと味が違いちょっとがっかり。「いつものカレーの味を知らなければ、これはこれでおいしいよ」と、エドソンは言ってくれたけれど、カラのもっちりした食感だけでなく、カラから出るぬるぬるの灰汁が、少々の灰汁抜きでは消えず、カレー全体の味に影響して、違う味にしてしまったようなので、カレーにはじゃがいも代わりにカラは使えないというのが私の結論。ああ・・・残念・・・

次の写真は、土曜日のお昼前に撮影した庭の桜の木。庭に4本植えた桜の木の内の3本は花芽をつけている。その内のこの1本が一番たくさん花芽をつけていて、少しずつ開花している。2枚目の写真はちょっと離れて撮影。この木は枝先に葉が残っているくらいで、ほぼ裸になっているので、居間の窓からでも花をつけている様子や、木全体がうっすらピンク色になっているのが見える。

2013年7月17日(水)

ペトロポリスの安見さんは、8月の文化祭に向け忙しくしておられる様子。今年は「着物ショー」をするので、その準備と打ち合わせをしたとメールをいただいた。ペトロポリスで着物がひとりで着られるのは奥さんの道子さんだけらしく、ましてや着付けができる人は誰もいないので、以前、道子さんが本を取り寄せて独学で習得したのだそうだ。まあ、今時自分で着物が着られる人は日本人でも多くないのだから、日系人の人で着物が着られる人はまずいないだろうなと思う。そういう私も昔々、アメリカの大学に留学する前に着付けのできる友人から付け焼き刃で、普段着の着物をひとりで着られるように教えてもらったことがあるけれど、帯はさすがにひとりでは締められないので、胴回りを締めた後、お太鼓を乗せるインスタントの帯を使っていた。それにしても、道子さんは独学でコンピュータのシステムも自分で作ってしまうし、何でもできるすごい人だなと思う。着付けを習得して以来、文化祭で彼女がひとりで2~3時間かけて、7~8人の人に着付けをするので、毎回へとへとになっていたため、ここ2年ほどやめていたのだけれど、今年は気を取り直して、着物ショーをすることにしたということだった。

着物ショーは、着物の歴史から始まって現代の着物紹介をスライドショーにして解説するので、いろいろな種類の着物を取り揃え、帯の形や締め方もそれぞれに皆違い、本番はさらに子供が2人加わるので8名の着付けをするのだそうだ。写真左から、解説担当の男性、着付け担当の道子さん、留袖、振り袖、小紋、普段着、夏の着物、絽、浴衣、そして、右端は道子さんの着付けの補助役の女性。それにしても、こんなにいろいろな種類の着物をどこから集めたのだろう?と、思ったら、以前は道子さんのものを使っていたので、毎回同じ着物だったけれど、今年は、ペトロポリスの実績を見たリオの人からの寄付で5~6着もらったので、以前とは違う着物でショーをすることになったそう。でも、着物の下に着る襦袢は、道子さんの手作りで、それぞれのモデルの体系に合わせて着物の寸法も調整するなど、数ヶ月かけて準備したのだそうだ。それでも、一人一人の体系を考慮して寸法調整をしたのに、いざ着せるとお腹が出ていて前が合わせられないとか、紐が短いので作り直しが出てきたり、不足の付属品があったりと、舞台裏のご苦労はなかなか大変で、着付け中は、ご主人が問題点の記録係をしたのだそうだ。

次の写真は打掛けだろうか?そもそも、ブラジルでこんなに様々な着物が集まったことに驚いてしまう。「リオの日本人が見に来ることがあり、日本人の道子が着せ付けているのにみっともないことは出来ないと細部まで気にするので、本人は精神的に参ってしまうようで、とばっちりがまともにこちらに来ます」と、ご主人はぼやいておられたけれど、毎回いろいろあっても、結局何とかうまく出来てしまうのは、道子さんのがんばりの成せる技なのではないかと思う。それで、みんなからはまたやろうとせがまれるということだった。いやあ・・・道子さんには本当に脱帽。そして、道子さんを支えているご主人もご立派。今年は土壇場になって、ペトロポリス市が担当の野外イベントの開催中止を通知してきて、野外イベント会場で行う予定だった開会式も、他にちゃんとした場所が確保できないため中止を余儀なくされたりと、大変な思いをされている。それでも日系協会が中心になって、講演会や着物ショー、俳句コンクール表彰式と講演、音楽会、ペトロポリスカトリック大学会場での、日本移民史、日本留学関連事項、ペトロポリス日本移民史のパネル展示などは予定どおり実施されるということだった。ペトロポリスの文化祭は、このご夫婦なしには考えられないし、存在しない。毎年本当によくされるなあ・・・と思う。

2013年7月18日(木)

次の写真は、火曜日の午後、庭の西側から撮影した4本の桜の木。一番手前の木は植えた時期が他の3本よりも1年ほど遅いので、まだ背も低く(とは言っても、私たちの背丈は優に越えているけれど)、ほとんど落葉しておらず、花も付けていないけれど、他の3本は木の中心に花を付けている。特に、真ん中奥の木はほぼ満開なので、離れたところからでも花のピンク色がはっきりと見える。

次の写真は、そのほぼ満開の桜を近くから撮影したもの。

次の写真も、火曜日の午後撮影したカラー。先週2つ花が咲いていて、その他にも3つ花芽が出てきていると書いたけれど、5つの花芽すべてが開いて、今咲き誇っている。

2013年7月19日(金)

次の写真は、昨日の午後撮影したもの。左から防風林の一列として植えたリグストルン(ネズミモチの木)、その手前(右側)はセドリーニョ、奥の背の高い木はユーカリの木(この木はいい匂いがする)、そして、右側手前に桜の木が少し写っている。このセドリーニョは丘の上に三列植えた苗の内の一番上の列のものが、ブラキアーリアのせいで成長せず、小さいままで今にも枯れそうになったので、ここに植え直したものなのだけれど、ここはしつこく草取りをしてブラキアーリアが生えてこないようにしたので、みんな枯れずに大きく育ってくれた。

一方、その三列の内の真ん中の列のセドリーニョ(次の写真)はと言うと、何とか成長していたのに、去年の夏、葉切りアリの集中攻撃に遭い、一番端っこの入り口ゲートに近い木を除き、ほとんどの木が葉を失い、幹と枝だけの無残な姿になってしまっている。この状態で生き残れるかどうかとても疑問だけれど、とりあえず、手伝いのヒバマーに生い茂るブラキアーリアを取り除いてもらう途上にある。ただ、先週の土曜日はヒバマーがお休みだったので、先々週の草刈りが未完了のままの状態になっている。このセドリーニョの列の右側は、私の英語の生徒さんたちが来る際など、普段は鍵をかけている入り口ゲートを開けに行かなければならないので、家から入り口ゲートへの直線の近道として使っている。

次の写真は、三列の内の一番下の、家と入り口ゲートを結ぶ車用の道沿いのセドリーニョの列。この列のセドリーニョは葉切りアリの被害には遭ってはいないけれど、順調に育っているものや、育ちが悪いものや、枯れてしまったものもあり、成長がとてもまちまち。ここに掲載した3ヶ所のセドリーニョは、すべて同じ店で同時に買った苗を、同じ時期に植えたものだけれど、それぞれに性格のようなものがあるのか、植えられた場所や環境の違いが微妙に影響しているのか、育ち方がぜんぜん違うのでおもしろいものだなと思う。

2013年7月20日(土)

ニッケイ新聞2013年7月18日付けの日系社会ニュースに、「テアトロ・ユバ=50周年記念映像が完成=動画サイトで公開中」という記事があったので、以下に転載してみる。弓場農場ができて70年余り、そしてその農場の中にテアトロ・ユバができて50年余り。これはすごいことだと思う。

『2年前に設立50周年を迎えたテアトロ・ユバが、記念行事の収穫をまとめた短編動画『テアトロ・ユバ50周年記念プロジェクト』(26分)を3月に完成、無料動画サイト「YOU TUBE」で公開している。
「芸術活動を通したブラジル社会との交流を」と、ガレリア・デコ30周年に訪れた芸術家を招へいしてのワークショップ、当地の文化団体OCAと交流したフェスタ・ジュニーナ、アンドラジーナ吹奏楽団と競演した「音楽の出会い」など、様々な交流イベントを行った。
作品には、クリスマス公演や、弓場農場からも出演した「汚れた心」等を上映した「映画の出会い」も収録されている。
案内のため来社した小原あやさんは「ブラジル社会とユバとの交流を広げることができた」と満足そうに語り、「50年の歴史にも触れつつ、最近の活動もよくわかる映像。是非見ていただきたい」と呼びかけた。
動画は、YOU TUBEサイトで「projeto de 50 anos do teatro yuba」と検索すれば見つかる。』

このYOU TUBEのサイトは、 こちらへ

2013年7月21日(日)

はるは昨日で丸9ヶ月になった。目の前に出された食事を前にして、「待て、お座り」ができるようになったけれど、目の前に食事がないと「お座り」ができないのはどうしてだろう?「お座り」と言いながらお尻をポンと触ると座るのだけれど、言葉だけではなかなか座ってくれない。はるは、生まれつきの性格がそうなのか、まだ赤ちゃんだからなのか、自由奔放でとても落ち着きがない。それでどうしたものかと、エドソンがインターネットでいろいろ調べたら、犬のしつけで一番大切なのは、上手なお散歩をさせることだとあった。犬はドッグランなどで思いっきり自由に走らせるとストレス発散になっていいのかと思っていたけれど、それよりも、ご主人様に従ってお散歩をした方が精神的に落ち着くのだそうだ。どういうことかと言うと、自分はアルファではなく、ご主人様がアルファだと理解させると、お散歩中に神経を張り詰めなくてもいいため、気が休まるのだという。食事に関しては、私たちの食事が終わってからはるに食事を与えるというのはモビの時と同様にやっているけれど、お散歩のさせ方でもそれを教えなければならないというのは知らなかった。そのために、家を出る際、はるを私たちよりも先に出さず、歩く際は、私たちを引っ張らないように、私たちの横を歩調を合わせて歩かせることを実践し始めた。そのお陰か、最近はるは落ち着いてお散歩ができるようになった。お散歩にはハーネスよりも首輪の方がいいということもこのインターネットの情報で知った。モビとの生活ではしつけの苦労などまったくなかったので、はるには戸惑うことが多いけれど、はるとのバトルを繰り広げながら、私たちもいろいろなことをはるから学んでいる。次の写真は、昨日の午後、お散歩の後で、ベランダの柱に取り付けた長いひもにつないでパチリ。モビは私がカメラを構えると、じっと見つめてポーズをとってくれたけれど、はるはカメラを構えると動き回るので、なかなかいいシャッターチャンスがつかめない。

次の写真は、同じく昨日の午後、居間の中からベランダのはるを撮影したもの。階段のところに座って、辺りを眺めている。お散歩の回数を増やし、お天気がいい日にはこうやってベランダでしばらく過ごさせると、家の中ではとても穏やかにしていてくれるようになった。

2013年7月22日(月)

しばらく体調を崩していたゼーが元気になり、この土曜日は手伝いに戻ってきてくれたので、家の東側のスペースの一部を被うスレートの屋根を取り付ける作業が進展した。そのお陰で、上のシュハスコ小屋の軒下などに吊るしたり、置いたりしているミツバチのジャタイやミリンの巣箱をここのスペースに移動させて、いまだに未完成のシュハスコのかまどを作ってもらうという段取りが一歩進んだ。土曜日の夕方薄暗くなってから、エドソンがいくつかの巣箱をここに移動させたのだけれど、この写真でもわかるように、まだ移動せずシュハスコ小屋の軒下に吊り下がったままの巣箱もある。

土曜日は、英語のクラスが終わり、ダニエラとガブリエラが帰って行ってから、またエドソンとふたりでパン作りをした。今回は、パン生地のこねから、成形と焼きを私が担当した。エドソンはヒバマーたちをパーディーニョに送って行かなくてはならなかったので、やっておいてと言い置いて出かけて行った。また長方形のケーキ型を使って焼いてねという注文だったので、今回は山形にして焼いてみた。パン生地の中に混ぜたのは、前回同様アーモンドとチーズ。成形の際、よく混ぜたので、前回よりもより均一に混ざって、焼きあがったらおいしそうに表面に少しチーズが溶け出していた。

2013年7月23日(火)

土曜日は日差しがあり、お天気は悪くはなかったのだけれど、1日中強い風が吹き、夜遅くから何度も繰り返し暴風雨がきたため、桜の花がだいぶ吹き飛ばされてしまった。そして、日曜日も風が強い状態が続き、また夜遅くからザーザーと雨が降ったため、月曜日の朝見ると、桜の木の足元や周りにたくさん花びらが落ちていた。そして、お昼前頃からまた雨が降り出し、降ったり止んだりの1日になった。次の写真は、月曜日のお昼前、冷たい雨が降り始めた頃、居間の窓から庭の桜を撮影したもの。この週末、ずっと強い風や雨に晒されたにもかかわらず、木がうっすらピンク色に見えるくらいに、まだがんばって咲いている花もある。そして、昨晩も雨が降り続き、今朝も雨、雨、雨。今週は南から寒気が襲うという予報だったけれど、日曜日にサンタカタリナ州の山間部で雪が降ったと言っても、ここはまだ暖かく、寒気が来る感じではなかったけれど、今日は気温が下がったので、最近必要のなかった薪ストーブに久しぶりに火を入れた。いよいよ寒くなるのかな・・・?

2013年7月24日(水)

インターネット上で、アゴラ 7月22日(月)20時47分配信とある『山本太郎氏当選に思う--噛みしめるべき格言「教育のない民主主義は無意味」 - 石井 孝明』という記事を目にした。石井氏は、エネルギーと環境問題を専門とする記者のようで、山本氏の行動は「科学と理性に背を向けた異様な行動」で、「山本氏の騒擾は混乱だけを生んだ」とし、「原発の是非の主張と、今起きている放射能のリスク評価の問題はまったく別である。前者は自由に語ればいい。人々の不安につけ込んで後者を強調して前者を語ってはいけない。誤った情報は風評被害を生み、福島という地域を壊し、ムダな損失を人の人生と社会と日本全体に加える」と主張していた。そして、この記事の中に次のような記述があり、とても気になった。

『山本氏の周囲には異様な取り巻きがいる。選挙では、テロリスト集団の中核派が支援を表明。(池田信夫氏記事「山本太郎は中核派支援候補」)また菅直人元首相周辺に食い込んで、北朝鮮と関係のある新左翼セクト「MPD ・平和と民主運動」の関係者が山本氏の選対に入り込んでいるとされる。

21世紀になって、1970年代に暗躍したテロ集団らが亡霊のように復活した。こうした団体の関与の全貌を部外者が掴むことはできないだろうが、とても不気味だ。山本氏はこれらの集団は勝手に応援したとしているようだが、どこまで恐ろしさを認識しているのだろうか。

冗談ではなく、参議院と議員会館の治安・防諜対策を、各議員と議会事務局がしなくてはならない。山本氏を利用して、中核派や北朝鮮関係団体が活動する可能性がある。民主主義を否定する集団が、民主的手段の選挙によって国政に入り込む。この状況は異常だ。』

この記事の全文に興味のある方は、 こちらへ

この記事を読んで、以前東京で暮らしていた頃、亡くなって何年も経つ昭和天皇を、先の戦争中、朝鮮人女性などを性奴隷とした責任で追求して戦争犯罪者と断罪した茶番劇が東京であったことを思い出した。この自称「国際会議」には様々な国の活動家が集まったようだけれど、新潟と北朝鮮を往来している万景峰号で、日本に不法入国した北朝鮮の工作員(そう、横田めぐみさんらを拉致したのと同じ種類の北朝鮮政府関係者)までが北朝鮮代表として参加していたような得体の知れないものだった。そんな怪しい会議を東京YWCAが支援していたことに驚いた。さらにNHKはこの会議を取材して番組を作ったけれど、内容があまりにひどいので上層部の判断で放送されなかったら、その番組のプロデューサーが自民党の安倍氏から圧力があったからだと事実無根のことを主張して騒ぎ立て、以後、マスコミによる目に余る安倍氏バッシングが始まったと記憶している。何故みんな利用されているということに気づかないのだろう?少し立ち止まって辺りを見回せば、見えてくることもあるというのに・・・目的のためには手段を選ばないということだろうか・・・?狡獪な国々に囲まれているというのに、日本というのは何と能天気で危うい国だろう?と思う。

2013年7月25日(木)

ニッケイ新聞2013年7月24日付けの記事に、『強い寒波に襲われ、南伯では23日、サンタカタリーナ州67市、南大河州6市、パラナ州でも38年振りの降雪を見たクリチバなど14市の計87市で雪が降った・・・・・・降雪は22日から観測され、降雹や突風などの被害が出た町もある。22、23両日に雪が降ったのは南部3州のみだが、南東伯や中西伯、北伯のアクレ、ロンドニア両州でも急激な気温低下などを見ている。サンタカタリーナ州では23日朝、ボン・ジャルジン・ダ・セーラで零下7度、サンジョアキンでも零下4度を記録』とあった。

この同じ寒波がここにもやってきて、23日の火曜日は時間を経るごとにどんどん気温が下がり続け、夜寝る前の外気温は3度になり、翌朝の気温は2度まで下がっていた。朝起きた際の室内の気温も、寝室が10度、居間が13度で、この冬一番の寒気に見舞われ震え上がった。そして、今日の状態も昨日とまったく変わらず、太陽が顔を出さず、気温は低いまま。薪ストーブだけでは部屋の気温を下げない効果はあっても、上げるまでの効果がないので、昨日から服を1枚多めに着込み、今日はガスストーブをエドソンのワークスペースでつけて、何とか暖をとっている。

こんな寒さに見舞われる一方、はるにちょっとした異変があった。火曜日の夜、夕飯を食べている私たちの側で、毛布に包まって寝ていたはるが、突然「ヒー、ヒー」と泣いて、ベッドから出てきたので驚いた。でも、その後夕飯は普通に食べ、寝るまでの時間、いつものように居間に置いたベッドの中でおとなしくしていた。でも、寝る前にオシッコに連れ出す際、ちょっと様子が変なので、エドソンがはるの体を入念に触ってチェックすると、お腹に痛みがあるようだった。それで、オシッコから戻ると、エドソンがはるに痛み止めの薬を飲ませてくれた。

夜中の1時頃、はるがベッドから起き出したのに、いつものようにオシッコに行きたいというサイン(声)を出さないので、変だなと思って起きてみると、私のベッドの足元の敷物の上に座って震えている。まだお腹の痛みが治まっていないようだった。一応、オシッコに連れ出すと、オシッコだけでなくウンチもして、またおとなしくベッドに戻ってくれた。「はるの腹痛は、私たちの知らないうちに薪ストーブに使う廃材の木片か何かを食べたせいかもしれないね。朝になっても状態が改善していなければ、病院に連れて行かないといけないかな?」とエドソンと話しながら寝た。夜明け前、またベッドから起き出して、今度はエドソンの足元の敷物の上に行って丸まっているので、エドソンがベッドを私の側から移動させて、はるをその中で寝かせると、スヤスヤと寝息を立てて寝てしまった。そして朝になり、はるの様子を見ると、まるで何事もなかったかのように元気になっていたので、ヤレヤレと安堵した。次の写真は、昨日の午後のお散歩から戻り、ストーブの前でエドソンにかまってもらっているはる。こんな風にじゃれている時、何故かはるはいつもうれしそうにエドソンのズボンの裾やスリッパに噛みつく癖がある。2枚目はその証拠写真。

2013年7月26日(金)

今週は、ローマ法王フランシスコがワールド・ユース・デーに参加するためブラジルを初訪問中。リオでこの行事を取材中だった日本人カメラマンが警察官に殴られて怪我をするというハプニングがあったようだけれど、パパ・フランシスコはスケジュールを予定通り消化しているようだ。テレビではパパ・フランシスコのニュースを頻繁に流している。水曜日の夜のニュースで、パパ・フランシスコがスピーチする様子が流れていたけれど、ポルトガル語なのかスペイン語なのかよくわからないので、エドソンに「このスピーチはポルトガル語に聞こえないけど、ポルトガル語?」と聞くと、「すごいスペイン語訛りのポルトガル語だね」と言っていた。さすがアルゼンチン出身だ。ちなみに、ローマ法王は、英語でポープ(Pope)と言うけれど、ポルトガル語ではパパ(Papa)と言う。神父さんは英語ではファーザー(Father)、ポルトガル語ではパードレ(Padre)。お父さんは英語でダッド(Dad)、ポルトガル語ではパイ、または、パパイ(Pai or Papai)。

昨日は、午後3時を回って太陽が少し顔を出した。久しぶりの日差しに本当にほっとした。この時期、太陽が顔を出すと家の中に日差しが差し込むので、そのほんの少しの日差しでも部屋の気温が1度くらい上がる。太陽って本当にありがたい。次の写真は、昨日の日の入り後の夕焼けの様子。それで今日はお天気になることを期待したのだけれど、期待に反して今日もどんより曇って太陽の姿はなく、南風がピューピュー吹き荒れて、相変わらず気温が低く寒い。できることならこの寒気を猛暑の日本に分けてあげたいくらいだ。

2013年7月27日(土)

次の写真は、昨日の朝、朝食の準備をして、ストーブに火を入れてくれているエドソンの様子を見に行ったら、はるがいつもの調子でピョンピョン飛びついてくるので、はるの前足を持って、一緒に踊っているところをエドソンがパチリ。

毎日、寒い寒いと震えあがっていたら、このところ忙しくて英語のレッスンを休んでいるエリゼウが、先週満開になったドナ・ベティのファゼンダの桜の写真をグーグル上でアルバムにしたサイトを送ってきてくれた。ブラジルでは桜は冬に咲くのだけれど、長年の習慣からか、桜を見ると春の暖かさを感じる。ドナ・ベティのところには入り口ゲートから家までの道沿いだけでなく、広い広いファゼンダのあちこちに桜の木がたくさん植わっていて、それが一斉に花を咲かせるのだから見応えがある。このサイトは、 こちらへ

2013年7月28日(日)

昨日は久しぶりに太陽が顔を出し、徐々に気温が上がり寒さが和らいだ。薪ストーブはつけたままで、午後からは窓を開けて、外の暖かい空気を家の中に取り込み、冷えきった家の内部を温めた。太陽の日差しは本当にとてもありがたい。太陽さま、さま。午前中は洗濯や、夜の食事の準備など家事をする一方、エドソンのアマチュア無線仲間のマネらふたりの訪問があり、コーヒーを出したりとバタバタした。午後からはダニエラとガブリエラの英語のレッスンをした後、パンを作ったり、ローストポークを焼いたりと、夕飯の仕度に精を出した。

昨晩はかねてからジミーたちと約束していたチーズとワインの夕べを開いた。次の写真は、材料を持参して、うちの台所で1品作っているジミーと息子のチアゴ(10歳)。オリーブオイルを温めて、その中でスライスしたにんにくを茶色くなるまで揚げて、その熱々のにんにくオイルをクリームチーズの上にジュッとかけて、そのクリームチーズをパンに塗って食べるという、ちょっとディップのような感じのものだった。

次の写真は、お料理が揃ったテーブルを囲んでいるみんな。左から、ジミーの息子のチアゴ、ジミーの奥さんのフェルナンダ、ジミーの弟のジェフ、エドソン、そして、ジミー。ジミーの長女のダニエラは、末っ子のレティシアのお守りでお留守番。ジェフの奥さんは、もうそろそろ第二子出産を控えているため不参加。

次の写真は、私を座らせてチアゴが撮ってくれたもの。ジミーたちはブラジル産のおいしいワインと、チアゴのためのブドウジュースと、クリームチーズの一品を持ってきてくれ、私たちは、手作りのパンとローストポーク、サラダ、ブリーやゴーダなど3~4種類のチーズ、ワインを用意した。パーディーニョでワインやチーズを楽しむ人はとても珍しいのだけれど、ジミーたちはワインとチーズが好きだというので、じゃあ今度一緒にワインとチーズを楽しもうということになり、昨晩実現した。息子のチアゴがソーダではなく甘味料の入っていないブドウを絞っただけの100%果汁のジュースを飲み、サラダもチーズも問題なく食べるのを見て、ここは偏食の子供(だけでなく、大人も)が多いのに、ちゃんと普通に食事をすることに、妙に感心してしまった。親が偏食せずに色々なものを食べるので、子供も偏食にならないんだ。やはり家庭環境なんだなあ・・・

次の写真は、チアゴにかまってもらって大喜びのはる。はるは私たちが食事をしている間はとても静かにベッドの中で丸まって寝ていたけれど、私たちの食事がほぼ済んで、彼女に食事をさせた後は、エンジン全開でじっとしていないものだから、チアゴがはると遊んでくれた。エドソンがはるの前にチーズを置いて、「待て、Sit」と言うと、はるがちゃんとベッドの中に座って、「はい、どうぞ」と言われるまでちゃんと待つものだから、ジミーたちに大ウケだった。チアゴもマネをして、日本語ではるに「まて」「はい、どうぞ」と言って、チーズを与えて喜んでいた。

2013年7月29日(月)

以下は、ニッケイ新聞2013年7月27日付けブラジル国内ニュース「東西南北」からの転載。リオ五輪がトラブルなくスムーズに行くことを期待する方が間違っているのかも・・・?

『世界ユースデーの開催で、法王到着日の渋滞、州政庁前でのデモ、メトロの運行一時停止、閉会ミサの会場変更などトラブル続きのリオ市。25日付の米国2紙が痛烈に批判している。ニューヨーク・タイムス紙は、「知事は低能」とのある弁護士のコメントやパエス市長の謝罪などを盛り込み、2016年五輪の開催候補地として、リオと争ったシカゴのシカゴ・サンタイムス紙は「このために負けた?」という見出しで報じ、「国際オリンピック委員会は選定の誤りを後悔するだろう」と手厳しい。』

次の写真は、19日付けのブログで掲載した入り口ゲートから家までの近道の写真を、前回とは反対に家の側から入り口ゲートを向いて撮影。ヒバマーが草刈り作業を完了してくれたので、草がきれいに取り除かれ、セドリーニョの足元に一部刈った草が置かれている。こうしておくと、木の足元からブラキアーリアが生えてこなず、木を保護することになるので、草刈りの後はいつもこのように木の足元に刈り取った草が置かれる。

2013年7月30日(火)

去年のクリスマスの頃に強風のためか、入り口ゲートの扉を閉めておくためのかんぬきに、ヒビが入ってしまったのだけれど、それがとうとう2週間ほど前に完全に折れて壊れてしまった。それでこの土曜日にゼーに廃材の中から適当な板を探して、新しいかんぬきを作ってもらった。次の写真の中央の横板がそれ。人が訪ねて来る時は、鍵は開けておくのだけれど、扉を開け放したりはせず、このかんぬきは常に閉まっている状態にしていて、訪ねてきた人に開け閉めをしてもらっている。まあちょっと面倒くさいと言えば面倒くさいのだけれど、うちは住み込みの使用人は雇っておらず、私たち二人きりなので、扉を開け放していると誰が入ってくるかも知れず、こんな田舎町とは言え、トラブルはできるだけ避けたいので仕方がない。最近はなくなったけれど、以前は扉が閉まっていても鍵が開いていると、うちに用がないのに間違って入ってきたりする人がよくあった。農村地帯には道路に名前はあっても(と言っても、道路の名前を示す標識なんてないので、知る人ぞ知るという感じなのだけれど)、番地なんていうものはないので、この辺に馴染みのない人には、どのゲートを入れば誰の家に行けるかわからないので、間違って入ってくるということがあった。田舎暮らしならではのことではあるけれど、このシャカラで暮らし始めて丸3年を経た最近では、さすがに間違って入ってくる人はほとんどいなくなった。

2013年7月31日(水)

家の南の三角地帯に植えたグアプルブという木に関して、今月初めのブログで少し触れたけれど、この土曜日にゼーが三角地帯のグレヴィーリャなどの足元の枝打ちをしてくれたので、これまでグレヴィーリャの陰に隠れていたグアプルブが、台所の窓から見えるようになった。ちょっと見ないうちにずいぶん大きくなっているので、写真に撮ってみた。手前のコロア・デ・クリスト(キリストの冠)を画面に入れたら、グアプルブの頭の部分が画面に収まりきらなかった。エリゼウから種をもらって、ポットに種を撒いて苗を育て、苗が少し大きくなってからここに植え替えて1年にもなっていないのに、こんなに大きくなっている。3本植えたうちの1本は何者かに食べられて消えてしまったけれど、2本は元気に育っている。

次の写真は、三角地帯の柵沿いにグレヴィーリャとの間に植えたコロア・デ・クリストの列。コロア・デ・クリストのいいところは、切った枝をただ地面に差しただけで育ち、1年中赤い可愛い花を咲かせるところ。台所の流しの前に立って作業をしながら、この赤い花がポツンポツンと見えるのが何ともうれしい。



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