Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2012年12月1日(土) | ||||
いつだったか、家の前のハイビスカスガーデンで花盛りだった黄色いマーガレットの花を何か所かに移植したのだけれど、家の北側に上がって行く坂道のところのものだけが何とか生き延び、最近になり少し花を咲かせ始めた。次の写真は、その坂道を下から撮ったもの。中央に点々と黄色い花が咲いているのがマーガレット。左側の電信柱の前のマーガレットは移植したものではなく、ハイビスカスガーデンの所で咲いていたマーガレットの種が風で飛ばされてきてここで自然に成長したもの。そのちょっと右側のクヌギがだいぶ成長してきているのがわかる。そのまた右側にもクヌギが1本あるのだけれど、こちらはちょっと成長不良でまだ小さいのでよく見えない。そして、そのまた右側に6本植えたセドリーニョもだいぶ大きくなってきている。植えた時はまだ20センチ足らずの小さな苗木だったけれど、今では私たちの身長に迫ってきている。自分たちの手で1本1本植えた木々や花々がこうして成長しているのを見るのはとてもうれしい。
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2012年12月2日(日) | ||||
先日苗木屋のプロ・ヴェージで買ってきておいたジャカランダの苗木2本と、エリゼウからもらった果物の苗木3本を、昨日ジョゼに植えてもらった。2週間ほど前にはタケイシさんからもらったアボカドの苗木を3本植えてもらったので、これで植林総数は711本になった。ダイニングルームの窓下と外階段の間の花壇には、赤紫色の葉物植物を4本と、ブッシーニョという見た感じつげの木のような小さな丸まっこい木を植えたので、これでこの花壇は一応完成。
このところジョゼには主にブラキアーリアを取り除いて小路を作ってもらう作業をしてもらっているので、下の森の近くを行く小路ができあがった。それで今朝は朝食が済んでからみんなでその小路をお散歩。午後になると気温がぐんと上がり、とてもお散歩をする気分にはならないけれど、朝のうちはまだ涼しく、午前中のお散歩は本当に気持ちがいい。次の写真は、森に沿って東側を歩いて、森の北側をぐるりと回って行く小路を歩いて、Uターンして、来た道をまた戻っているエドソンとモビ。
森の近くを行く小路から戻り、家から入り口ゲートまで続く車の道を歩いて、その道の少し上にある別の小路を家に向かっている途中で、さっきまでお散歩していた下の森の近くの小路を撮影したのが、次の写真。カーブしている小路の内側には、たくさん竹を植えているのだけれど、まだ小さいため、元気に育っている雑草低木やブラキアーリアに隠れて、この写真ではまったくその存在が見えない。でもそれらが大きくなればこの部分も森の一部になり、このカーブした小路まで森が広がる予定。
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2012年12月3日(月) | ||||
昨年11月に日本のキリンが買収したブラジルの「スキンカリオール」の社名が、「ブラジル・キリン」に変更になったという『これからは「ブラジルキリン」=スキンカリオール社名変更=キリン製品導入も検討へ』と題するニュースが、ニッケイ新聞の2012年11月14日付け日系社会ニュースにあったので、その記事へのリンクをはってみる。この記事のサイトは、こちらへ。 また、同じく2012年11月14日付け「コラム 樹海」には以下のような記事もあった。クリスマス前が受験シーズンというのは、新学期が日本のように4月ではなく、2月から始まるブラジルならではのこと。記事の中の国家高等教育試験(Enem)というのは、日本のセンター試験、アメリカのSATのようなもの。 『我が家の会話は日本語とポ語、時には英語も交えた言葉遊びになる事も多く、11月6日付2面掲載のテンサン・プレ・ナタール《TPN、ナタール(クリスマス)の前に精神的に追い詰められた状態になる事》について話した時も、「別のTPNもあり得る」という話になった。6日付紙面のプレ・ナタールはクリスマスの前の意味だが、プレ・ナタールには「出産前」という意味もあるからだ▼つまり、ナタールはイエス・キリストの誕生を祝う時だが、ナタール前と出産前を同じ言葉で表現することに思い当たった。そこから、一般の妊婦が出産前後に気持ちが沈んだりし易くなる事などを思い起こすと共に、キリストを身ごもったマリアが出産前に長旅をしなければならなかった事や、その道中ならびに出産の前後に経験したであろう様々な思い煩いなどが偲ばれた▼一方、3、4日は国家高等教育試験(Enem)、11日はカンピーナス大学、25日はサンパウロ総合大学など、大学や高校の入試が重なるこの時期は、受験生や親、教師達は、サンタクロースならぬサンザクロウス(散々苦労する)ともいえる▼大きな出来事の前などに不安定になるのは皆同じで、出産前後は精神的にも不安定になり易いから平静心を保つ必要があるように、入試前やナタール前も焦りや苛立ちを取り除く工夫が必要だ▼大きな喜びの前は〃生みの苦しみ〃もある。やりたい事が終わってないと嘆き、ナタールの準備で思い煩うより、ナタールを楽しむや今年実現した事に目を向ける事でTPNも回避が可能か。クリスマスが〃苦しみます〃になったのではキリスト様も喜ばない。(み)』 | ||||
2012年12月4日(火) | ||||
ここで苗木を買ったり、野菜の苗や種を買ったり、エリゼウらと話していて覚えた言葉がいくつかある。種という意味のセメンチ(semente=seed)、レタスやルッコラなどの苗のことはムーダ(muda=seedling、ムにアクセント)、芽のことはブロト(broto=shoot, bud)。それで、タケノコのことは、ブロト・デ・バンブー(broto de bambu=bamboo shoot)といい、もやしのことは、ブロト・デ・フェイジャオン(broto de feijâo=bean sprout)という。英語とポルトガル語は微妙に表現が異なるけれど、これらがそれぞれ竹や豆の芽であることははっきりとわかる。ずっと昔の若かりし頃、かたくり粉のことを英語で何というのかわからず、アメリカの店で探すことができなかったことがある。後で辞書を調べたらpotato starchとあり、「なあ~んだ、かたくり粉ってジャガイモからできているのか」と思ったおバカな経験がある。いつも使うものなのに、それが何なのかを考えもせず使っていたのだから恥ずかしいかぎり。そして、同じスターチだからcorn starchがかたくり粉の代用になるということも今は理解しているけれど、potato starchという言葉を知るまでは思いもよらなかった。英語を学んでから普段普通にわかっているつもりで使っているけれど、実はよくわかっていない日本語の言葉の意味を、あらためて理解するということが結構よくある。だから外国語を学ぶことは、日本語を学ぶことでもあるのだと思う。そして、同様に、外国の文化を学ぶことは、日本の文化をさらに深く知ることであるように思う。だから何かひとつ外国語を学ぶことは大事なのだと思う。ちなみに、ポルトガル語でスターチはアミド(amido)なので、corn starchはアミド・デ・ミーリョ(amido de milho)という。ここではかたくり粉は手に入らないけれど、アミド・デ・ミーリョは普通のスーパーで手に入る。それからもうひとつ。お豆腐を作るのににがりというものが必要なことはもちろん知っていた。でも、そのにがりというものが一体何なのかは知らなかった。先日自家製の豆腐作りに挑戦した際、作り方の説明の中に、にがりはポルトガル語でsal amargoとあり、これは日本語で苦い塩、英語でbitter saltのことだと初めて知った。日本生まれで日本育ちの日本人だというのに、日本語を深く理解していない自分に愕然とする。 | ||||
2012年12月5日(水) | ||||
昨日は、モビの治療で大学病院に行った。先週は血液検査の結果があまり良くなく、治療を受けることができなかったけれど、昨日は、検査の結果が正常値に戻っていて、抗ガン剤治療を受けることができた。採血をした後、血液検査の結果が出るのを待っている時、お隣のウィリアムがドイツから遊びに来ている友人とふたりで、ジェニファーを連れて私たちのいる外科の建物にやって来た。ジェニファーはお腹にガンができていると聞いていたので、その治療にようやく連れて来たのかと思ったら、もうずいぶんガンが進行していて、やせ細り、歩くこともままならないので、殺処分してもらうために連れて来たのだった。ジェニファーが入った診察室は私たちが座っていた廊下のベンチから見える部屋だったので、ドクターが診察して、もう手の施しようがないことを確認した後、薬を取りに出たり入ったりするところや、ジェニファーが薬を投与されてしばらくすると診察台の上で黒いビニールをかけられているところを目撃することになってしまった。でも、飼い主のウィリアムはそれを見守ることもなく、ドクターの処置が始まるとジェニファーを残してさっさと帰って行ってしまった。モビはこの2年間ガン治療を受けていて、元気にしているけれど、モビよりもずっと後にガンを発症したジェニファーは治療も受けずにボロボロになっていた。モビが私たちと一緒に暮らすことを選択してこの家に来ていなかったら、ジェニファーと同じ運命をたどっていたのかと思うとぞっとする。 大学病院の後、パオン・ジ・アスーカーで買い物をしてから午後2時頃帰宅。昨日はエリカとルーカスとの忘年会だったのだけれど、大学病院から何時に戻れるかわからないので、食事の準備をする時間が十分ないかもしれないと思い、月曜日にローストするお肉の下ごしらえをしたり、豆を煮たり、デザートのブラウニーを作っておいたのは正解だった。今年は英語のレッスンに来る生徒さんの数が減ったので、生徒さんたちとの忘年会は、昨晩と来週の2回のみ。次の写真は、食卓を囲む右からルーカス、エリカ、そして、私。撮影者はエドソン。
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2012年12月6日(木) | ||||
モビのガン治療は、今回、抗ガン剤でガン細胞を小さくしてから、その後は手術はせず、キナヴェット(kinavet)というアメリカで開発された新薬を使って、モビの生活の質を落とすことなく延命を図るという治療方針を取ることに決めた。キナヴェットは抗ガン剤と違いガンをやっつけることはできないけれど、ガン細胞の成長を阻害する働きをするので、ガンと一緒に生きるという選択肢を可能にする薬。でも、アメリカから輸入しなければならず、その手続きは煩雑で、時間がかかる。パラナ州クリチーバ市の犬のガン専門医の人がブラジルで唯一この薬を輸入して、自分のクリニックで治療を行っているということで、そのドクターとコンタクトを取りながら手続きを進めている。このドクターが私たちのために代理で薬を輸入できれば簡単なのだけれど、パラナ州とサンパウロ州では法律が異なり、パラナ州でクリニックを開いているドクターが、サンパウロ州の患者のために直接薬を輸入することはできないため、彼のアドバイスに従いながら私たち自身でしなければならず、なかなかややこしい。そうしたら先週、このドクターの所で治療を受けていた患者犬が死んでしまったらしく、2ヶ月分の薬を融通することができると連絡してきてくれたので、即、代金を払い込んで薬を郵送してもらった。薬が火曜日か水曜日に届く予定だったので、大学病院でのモビの抗ガン剤治療は火曜日の治療を最後にして、薬が届き次第、そちらに切り替えることになっていた。そうしたら予定通り火曜日に薬が届いていたので、昨日からモビにキナヴェットを与えることができるようになった。治療のかいなく死んでしまった犬には申し訳ないけれど、お陰で今進めている手続きと同時進行で、すぐにモビの投薬を開始できるようになったことは、とてもラッキーで、心からありがたく思う。次の写真は、クリチーバのドクターから届いた薬、キナヴェット。1本30錠入りで、1ヶ月分の投薬ができる。
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2012年12月7日(金) | ||||
昨日は、午前中エディナの美容室に行き、髪のカットとカラーをしてもらった。出かける前にインターネットでニュースを読んでいると、ブラジルの有名な建築家であるオスカー・ニーマイヤーが12月5日、104歳で亡くなったという記事があった。首都ブラジリアの建設だけでなく、亡くなる直前まで現役だったというのだからすごいなあ・・・。さて、今回はエドソンとモビを家に残し、私ひとりで美容室に行って来た。エドソンが仕事などで家を留守にすることには慣れているけれど、私ひとりが出かけることはほとんどないので、モビは私がいない間泣き続けたと、エドソンが嘆いていた。それでモビのベッドをエドソンのデスクの側に移動させたのだけれど、それでも泣くので、膝の上に抱っこしてやると、ようやく泣き止み、ベッドに下ろすとまた泣くというのを繰り替えしていたらしい。お昼前にガレージのドアの音がすると私が戻ったのがわかったらしく、以前エドソンのお出迎えをしていたように、玄関の所まで走って行き、扉の前で待ちかまえ、私が玄関のドアを開けて家に入ると、何度も何度も飛びついてきた。その様子が可愛いので、エドソンが写真に撮ってくれた。次の写真は、私が靴を脱ごうとしている間も喜びを爆発させて飛びついているモビ。ああ・・・残念、ピンボケだ。
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2012年12月8日(土) | ||||
ベランダの横に作ったバラの花壇は、バラ3本から始めたのだけれど、ここの環境が気に入ったのか、3本ともよく育ち、繰り返したくさんの花を咲かせてくれている。その後、ダークレッドのバラを1本ときれいな赤い色のバラを1本ずつ加え、つい最近ピンクと白のバラの苗木も1本ずつ加えたのでとても賑やかになってきている。以前ここに、赤、ピンク、白のベージョという花をバラの間に植えていたのだけれど、一番元気で花盛りだった赤と、一番元気のなかった白が冬を越せず枯れてしまい、ピンクのベージョだけが生き残った。このピンクのベージョは唯一生き残っただけあって、基本的に丈夫なようで、このバラの花壇の中に1株、花壇の外の外階段を上がりきったところの吹き溜まりに1株、飛ばされた種が自然に発芽し、花壇の中のベージョよりも元気に花を咲かせている。次の写真は、手前に見えるのがベージョ(右)と、同じく種が飛ばされてきて自然に発芽したマーガレット(左)が仲良く隣り合わせに咲いている。そして、その奥に見えるのがバラの花壇。
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2012年12月9日(日) | ||||
このところ暑い毎日なのだけれど、特に今週はひときわ暑く、ここでも午後の気温は30度を優に越えている。ここでこんなに暑いのも珍しい。何やらブラジル全土が熱波に被われているらしく、昨日のリオの気温は44度を記録したそうだ。ちょっと想像できない気温だけれど、そんなに暑いと冷房があっても効かないのではないだろうかと思ってしまう。それに比べたらここは家の中にいる限り扇風機で何とか過ごせるのだから文句は言えない。こんなに暑い中でもジョゼは仕事に来てくれ、せっせと草刈りをしてくれる。でもこんなに暑いのは何年ぶりかで珍しいと言っていた。昨日の朝、8時過ぎにタケイシさん夫婦がボトゥカトゥに出かける途中寄ってくれ、ライチーと、バナナと、シュシュをどっさり届けてくれた。すべてタケイシさんのところで収穫されたものだからすごい。夫婦ふたりだけで食べきれないからお裾分けということなんだと思うけれど、うちも夫婦ふたりだけだから、こんなにいただいて、きゃ~、どうしよう・・・
昨日の夜は、ジャイミとパウラのところでのシュハスコに呼ばれて行って来た。彼らの家の側には結構大きなシュハスコ専用の小屋があった。真ん中のシュハスコのかまどを挟んで、左側に作業台や、流しや、冷蔵庫などがあり、右側に大きなテーブルがあって、みんなでそのテーブルを囲んで座り、ジャイミがお肉を少しずつ焼いて、アツアツをお皿によそってくれるのを、おいしくいただいた。次の写真は、シュハスコのかまどのところでお肉を焼いているジャイミ。
次の写真は、パウラとジャイミ。テーブルの上にはビール瓶やソーダのボトルや、パンの入ったお皿、ご飯の鍋、野菜の盛られたお皿などがぎっしり並んでいた。
次の写真は、お隣のウィリアムのところにドイツから遊びに来ているアドレイアス。彼とウィリアムも呼べれて来ていた。彼が座った場所はシュハスコのかまどに一番近かったので、かまどの熱気で暑かったらしく、時々、小屋の外に出て涼んでいた。昨日は午後から時々にわか雨が通り過ぎるお天気だったけれど、ここでシュハスコを食べている間も何度かにわか雨が通り過ぎ、気持ちのいい風が吹き抜けていた。
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2012年12月10日(月) | ||||
ニッケイ新聞2012年11月6日付けから、「県連故郷巡り=神秘の首都ブラジリア=大砂丘の地マラニョン」と題する15回の連載があった。日系人が集住しているサンパウロ州やパラナ州だけでなく、中西部や北東部のことを知るいい機会なので、以下に連載記事のサイトへのリンクをはってみる。 『第38回を数える県連故郷巡り一行は9月29日午前9時半、聖市のコンゴーニャス空港に集合してブラジリアへ向かった。たまたま隣に座った、いつもおしゃれな小原あやさん(91、岩手)=ボツカツ在住=に、さっそく旅の一番の楽しみは何かと問うと、「初めて行くマラニョンね。でもね、砂漠は見たいけど砂に触るのはイヤ」と初々しく即答してきた。
第1回=参加者各人の移民ドラマ=柴田空軍少将がお出迎え この連載記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2012年12月11日(火) | ||||
先月下旬頃から、毎日10粒ずつくらい色づいたミニトマトを収穫していたのだけれど、このところ毎日その3倍以上収穫できるので、うれしい悲鳴をあげている。それで毎日毎日トマトを食べている。単純にトマトだけのサラダにしたり、お豆とトマトを混ぜたサラダにしたり、エドソンの得意料理のトマトとトリのハツを煮込んだ料理を作ってもらったり、お豆腐とトマトの中華炒めのようなものを作ったり、トマトジュースを作ったりと、何とか毎日我が家のトマトを消費しようとない知恵を総動員して食べている。そして、タケイシさんからもらったバナナも小腹が空いた時に、丸ごと食べるだけでなく、豆乳と他の果物と一緒にジュースにしたり、バナナブレッドを作ったりして消費しているのだけれど、こちらは日が経つにつれて皮が黒くなってくるので、ちょっとおっつかなくなってきた。それで何本かは皮をむいてタッパーに入れ、冷凍保存することにした。こうしておけばいつでもジュースなどに利用できる。そして、ライチーも毎朝、他の果物と一緒に5粒ずつくらい各自に割り当てて食べているので、最近フルーツ三昧の贅沢をしている感じだ。次の写真は、昨日収穫したミニトマト。毎日これくらいのトマトを収穫しては食べている。
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2012年12月12日(水) | ||||
昨日はエリカとルーカスの英語のレッスンを終え、夕飯の仕度をしていると空模様が怪しくなってきて、夕飯を終える前頃から遠くで稲光が見え、雷が鳴り始めた。台所の片付けをしてから、ろうそくをつけ、ブレーカーを落として、電灯も扇風機もテレビもない、ろうそくの灯りの中でしばらく過ごした。我が家を取り囲むように稲光がいろいろな方向に見え、雷が鳴っているのだけれど、西の空は燃えるような夕焼けで、何だかとても不思議な光景だった。その後少し雨が降っただけで、雷雲は通り過ぎてくれたので、ブレーカーを戻して、電気が復活。ほっとする。次の写真は、昨日の夕飯が済んで、ブレーカーを落とした午後8時10分頃の西の空。今日は雨が降る予報だったけれど、すっきりと晴れた気持ちのいい朝を迎えた。
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2012年12月13日(木) | ||||
このところ午前中は涼しいのだけれど、午後になるとぐんぐん気温が上がり、その結果、夕方近くや夜になるとにわか雨が降るというお天気を繰り返している。昨日も夜、雷が鳴り、強い風が吹き、少し雨が降った。そのせいで今朝はいつもより湿度が高い。それでも朝は気温が下がるので気持ちが良く過ごし易い。朝一番のモビとのお散歩の際、ここの南側(つまり500mほど下のカステロ・ブランコの辺り)は薄い雲が垂れ込めていたけれど、時間と共に、雲がモクモクと厚くなってきた。でも、相変わらず低く垂れ込めているので、我が家はこの雲の上にあり、なかなか眺めがいい。台所の後片付けなどを終えて午前9時頃、丘に上がって写真を撮ってみた。家の前の防風林は左側半分はセドリーニョと竹。右側は、リグストルン、グレヴィーリャ、カエデ、サクラ、そして、セドリーニョの列がはっきり見える。リグストルンとグレヴィーリャは一番古いので、大きくなりしっかりと存在感を示している。カエデの苗は植えた時はひょろひょろしていたけれど、最近は足元に新しい芽が出てきて、たくさん葉をつけている。サクラは今もまだひょろひょろ。そして、右端のセドリーニョは植えた時10センチくらいだったので、まだ背が低いけれど、少しずつ成長していて、4~5倍の高さになっている。この写真を撮った後、しばらくすると日差しが出てきて、下の雲海は消えてしまった。
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2012年12月14日(金) | ||||
昨日の夜、またかなりまとまった雨が降り、今朝は深い霧の中で夜が明けた。今朝は気温は高くなくても湿度があるため何となく蒸し暑い感じがする。そのせいかどうかよくわからないけれど、今朝のモビはちょっと元気がない。予報によれば今日から数日間は雨模様の日々らしい。こう毎日ちゃんちゃんと雨が降ると、木や花にとっては恵みだけれど、雑草もすごいスピードで元気にはびこるので、草取り作業が追いつかなくなりそうな勢い。ランドマークの木の周りに台所から出た野菜クズを何度も埋めていたら、何かの芽が出てきて、だいぶ大きくなってきた。カボチャか?ウリか?種から育てようとしても簡単には育たないだろうと思うけれど、捨てた野菜クズの中から時々こんな風に何かが育つなんて不思議だなと思う。
ランドマークの木の足元で小さな実がふたつほどなっている。この段階では、まだこれが何なのかよくわからない。
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2012年12月15日(土) | ||||
昨日はほぼ1日中雨がザーザーと降り続いた。ただ、たまに雨足が止まることがあり、モビをオシッコに連れ出すことができたのはありがたかった。モビは家の中では絶対オシッコをしたりしないので、時々外に連れ出してやらないといけないのだけれど、雨が降っていると外に出たがらないので、時々雨足が止まったり、弱くなってくれると連れ出しやすくなり、助かる。その雨の中、予定通りハファエウたちが忘年会のために午後7時過ぎにやって来た。私の英語のレッスンを受けているのはハファエウだけなのだけれど、彼のガールフレンドのマイーラと、彼らの誕生会の時に知り合ったエジミウソンとガールフレンドのレティシアも招待したので、賑やかで楽しい忘年会になった。エジミウソンはボトゥカトゥのインターネットサービスを提供する会社で働いているエンジニア。レティシアはボトゥカトゥのサンパウロ州立大学農学部の大学院でランの研究をしている英語を話す学生さん。エジミウソンが「ありがとう」「いただきます」「おいしい」などなど結構日本語を知っているので、子供の頃日本語を習ったことがあるレティシアに教えてもらったのかと思ったら、昔から日本のアニメが好きで、テレビのアニメを見て憶えたのだと言っていた。ふたりでたまに日本食のレストランに行ったりもするという日本ファンのようだった。 昨日の夕飯のメニューは、ローストビーフ、ローストポテト、ヴィナグレッチ、豆と野菜のサラダ、きゅうりとわかめの酢の物、ウルクンライス。そして、肉も野菜も食べない自称菜食主義者のマイーラのために、彼女も問題なく食べることができるジャガイモとゆで卵とチーズでグラタンのようなものを作った。マイーラが食べることができる食材だけで作ったので、おかわりをして食べてくれた。そして、デザートはチーズケーキ。次の写真は、お料理をテーブルに並べ、食べ始める前にエドソンが撮ってくれたもの。左から時計回りに、私、レティシア、マイーラ、エジミウソン、ハファエウ。
次の写真は、マイーラとハファエウがお土産に持って来てくれたチョコレート。チョコレートは偏食のマイーラの大好物。
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2012年12月16日(日) | ||||
昨日はパーディーニョ・ロータリークラブのシュハスコ・パーティーが、この1年を締めくくる意味で、お隣のウィリアムのところで行われたので、お昼前から行ってきた。メンバー全員が家族などを伴って参加し、飲んだり、食べたり、おしゃべりしたりと夕方まで延々続いた。午後からはあいにくの雨模様になったため、家の外のベランダでの食事はちょっと肌寒かった。 今日はタケイシさん夫婦に誘われて、ボトゥカトゥ文協の餅つきに行ってきた。文協というのは、文化体育協会の略で、日系の人たちで作っている親睦団体のこと。でも、先週の日曜日にタケイシさんのお兄さんか弟さんのところの子供さんたち(20代)が交通事故で、ひとりが亡くなり、ふたりが重傷で病院に入院する一大事が発生。それで、今日は亡くなった甥御さんの初七日なのでサンパウロに行かなければならないと言うのに、予定をキャンセルすることなく、律儀に私たちと一緒に文協会館まで行ってくれ、そこの人たちに私たちを紹介してくれ、その足で折り返しサンパウロに行くという忙しなさだった。タケイシさん夫婦のところは今年は奥さんのナンシーの妹さんが亡くなっているので不幸が続いていてかわいそう。とても優しい、いい人たちなのだから、どうか来年は彼らにとっていい年になりますように。次の写真は、白いシャツの男性がタケイシさん。モビを連れている後ろ姿はエドソン。
次の写真は、文協会館の中に飾られた、歴代会長の写真。以前はいろいろなスポーツ大会が盛んだったようで、壁の棚にはたくさんのトロフィーが並んでいた。
この文協会館は、ボトゥカトゥの中心よりも東のパーディーニョ寄りにある農村地帯にあり、とても広く、野球場、サッカー場、バレーボールコートなどを備えているのだけれど、最近はメンバーの高齢化が進み、この写真の野球場は、サンパウロ州立大学の人たちが時々貸りて使うくらいで、ほとんど使っていないということだった。もったいない。
この文協会館のある周辺には、日系の農家が複数集まっていて、タケイシさんととても仲のいいヒノさんの農場ではオーガニックの柿、リンゴ、桃、アテモイアといった果物や野菜を作っている。この写真のリンゴはヒノさんのところのものではなく、ミワさんという別の農家の女性が欲しい方にと持ってこられたもの。私たちも少しいただいて帰った。ブラジルではパラナ州以南の州でフジリンゴなとを作っていることは知っていたけれど、ここでもリンゴを作っているというのは知らなかった。フジはここではできないけれど、このエヴァという品種改良されたリンゴはできるのだとか。エヴァは暖かいところでもできる種類なので、北部のバイーア州でも作っているというのをテレビで見たことがあるとミワさんが話してくれた。
リンゴのカゴの側には白いテーブルがあり、皆さんが持ち寄ったパンや、ハム、チーズ、手作りのアップルパイやリンゴジャム、コーヒーなどが並んでいて、各自自由に朝食を食べられるようになっていた。私もタケイシさんからたくさんもらったバナナでバナナブレッドを2つ作って持って行ったので、ちょうどよかった。次の写真は、パンにハムなどをはさんで食べている子供たち。親御さんと一緒に来ていた子供たちは10人くらいいて、みんな一緒に仲良く遊んでいた。
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2012年12月17日(月) | ||||
昨日の文協会館での餅つきでは、作業を手伝いながらたくさん写真を撮ったので、今日も引き続き餅つきの報告をしようと思う。会館の台所では、前日から水につけたもち米を蒸したり、お湯を沸かしたりする作業がすでに始まっていた。私たちは8時頃行ったのだけれど、もち米を蒸す係の人たちは7時から来て作業をしているということだった。餅つきは年に1回の行事なので、蒸し器は会館にはなく、皆さんが自宅から持ち寄ったものだそうだ。
台所のすぐ前のテーブルでは、あんころもちのためのあんこを丸める作業が始まったので、私もこの作業に加わった。このあんこは数人の人たちが自宅で作ったものを持ってきたもののようだった。右の女性はヒノさんの奥さんのパウラさん。私が持参したバナナブレッドの作り方を教えてと言われ、後日レシピーを郵便で送る約束をした。
台所の横の小さな部屋では、餅つきが始まった。数年前まで杵と臼で餅をついていたそうなのだけれど、メンバーの高齢化のため、杵で餅をつく力のある人がいなくなったので、以来、機械でついているということだった。作業の中心は60歳代と70歳代の一世や二世のお母さんたちで、20歳代はもちろんのこと30歳代、40歳代の若い人たちはいない。若い人たちはせっかくの日曜日をこういうボランティアで潰したくないらしい。どこの日系組織もメンバーの高齢化と、どうやって若い人たちを取り込むかということが大きな課題としてのし掛かっているのが現状。
餅がつきあがると、それを小さくちぎって、丸めて、丸もちを作る作業をしたり、丸めておいたあんこを餅に包んであんころもちを作る作業が行われた。私もこの作業に加わった。この写真の左端のふたりは、非日系で大学生のイゴール君と彼の日系のガールフレンドのアレッシャンドラさん。イゴール君はボトゥカトゥのアニメ同好会の会長をしているので、文協の行事によく参加してくれるのだそうだ。掘り起こせばこういう変り種も結構いるのかもしれない。
出来上がった白もちやあんころもちを、計量器の上で、注文の分量に分けてビニールの袋につめている人。
あんころもちの値段は聞き忘れたけれど、白もちは1キロ20レアルで分けてくれるということだった。側の大きな黒板にはメンバーの人たちからの餅の注文がぎっしり書き出されていた。注文の量は最低1キロなのだけれど、白もちを5キロとあんころもちを2キロなんていう注文も結構あった。どんな大家族なのだろう?
正午を過ぎて、お昼用に皆さんが持ち寄ったお料理がテーブルに並べられ、手の空いた人から食べ始めてくださいということで、私たちもお昼をお呼ばれした。アリアンサのユバ農場での食事もそうだけれど、日系の人たちの食事はお肉料理でもただ肉の塊を焼いただけというのではなく、野菜と一緒に調理してあったり、野菜のおかずもたくさんあり、みそ汁や漬物も必ずあるので、とても豊だなと思う。そして、とてもおいしい。
お昼ご飯を食べている人たちがいる一方で、奥の方ではまだ作業を続けている人たちもいる。
この餅つきの手伝いに来ている人たちとは初めてお会いする人たちがほとんどだったけれど、中にはロータリークラブで何度か会っているミチコさんとミノルさん夫婦や、日系食料品店ウエノのユキエさんや、同じく日系食料品店ドナ・マリナのドナ・マリナも参加していて、顔馴染みの人たちもいた。次の写真は、ミチコさんと一緒に。
餅つきの手伝いに来ているのはほとんどが女性で、男性はごくわずか。しかも作業を手伝っている男性となると、ヒノさんとサトウさんと後ひとりかふたりで、他の男性たちは腰を下ろしておしゃべりに興じていた。次の写真は、左からミノルさん、サトウさんのお兄さん、サトウさん、そして、エドソン。この写真ではエドソンに隠れて見えないけれど、エドソンの足元にはもちろんモビもいる。
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2012年12月18日(火) | ||||
このところずっとお天気が悪く、雨が降ったり止んだりを繰り返している。お天気の悪い日が続くと何となくエネルギーが湧いてこず、今ひとつ体がシャンとしない。でも、そのお陰と言うか、コンピュータの前に座って文章を書くことには集中できるので、昨日はずいぶん久しぶりに中国新聞向けに文協会館であった餅つきのことをリポートに書いて送ることができた。 モビも何となく元気がないので、やはりお天気のせいかな?と思っていたら、昨日の晩ご飯に一切口をつけず、何も食べずに寝てしまった。そして、夜中に起き出して、苦しそうにお昼に食べて消化していないものをすべて吐き出してしまった。それからは気分が悪いものだから何度も起き出しては、私のベッドの足元に来るので、その度にモビをベッドに戻して、しばらくお腹や背中をさすってやることを繰り返した。そして、明け方また吐きそうな様子だったので、外に連れ出したら、芝生の上に座ってまた2度ほど胃液のようなものを嘔吐した。2週間ほど前から飲み出したキナヴェットの副作用なのか、土曜、日曜と出かけた際に、少量ながらシュハスコのお肉や腸詰を与えたり、日曜日はいい子にしていたご褒美にエドソンがお昼ご飯の際、モビに小さな肉の軟骨を1つ与え、いつもと異なる食事をさせたからなのか、よくわからないけれど、とにかく大学病院に行って診てもらうことにした。お腹の超音波検査の結果は異常なく、血液検査の結果、白血球数が減少していて、血液中に少し毒素が検知された。ガンの症状の一つなのか、キナヴェットの副作用なのかはわからないけれど、土日に食べさせたものが悪かったわけではないということがはっきりして、モビに軟骨を与えたことを後悔していたエドソンは少しほっとしたようだった。 | ||||
2012年12月19日(水) | ||||
昨日、お昼過ぎに大学病院を出て、処方された抗生剤とお腹の薬を薬局で買ってから、パーディーニョに戻り、日曜日にパウラと約束したバナナブレッドのレシピを書いた手紙を郵便局から発送。モビは大学病院を出る頃にはだいぶ元気を取り戻してきていて、2時頃帰宅してからお昼ご飯を出したら、少し食べてくれた。晩ご飯は食べなかったけれど、寝る前に野菜と一緒に煮たトリのレバーを小さく切って食べさせたら、少し食べてくれた。昨日の夜もやはり何度か起き出したけれど、前の晩のように苦しそうな様子はなく、朝一番のお散歩をいつものようにして、朝ご飯も昼ご飯もあまり欲しくないようだったけれど、何とか私の手から少し食べてくれた。モビの体調にはまだ少し波があるものの、ゆっくりとした回復基調にあり、今日の午前中は久しぶりにお天気が回復したので(午後からまた雨模様になったけれど)、エドソンも私も少々疲れてはいても気分は悪くない。次の写真は、昨日の夕方エリカとルーカスが英語のレッスンに来るまでの1時間足らずの間、ソファーに横になって休んでいるモビと私。
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2012年12月20日(木) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2012年12月5日付け「コラム 樹海」からの転載。 『TVクルトゥーラ局が日曜夜に放送する番組「レジオン・エストランジェイラ(外人地帯)」では毎回、欧米マスコミの在聖特派員が出演し、ブラジル経済や政局を外側の視点から論じる。この日曜は、大統領府聖市事務所の女性所長が人事権や影響力を駆使して私腹をこやしていたポルト・セグーロ(以下、安全港)事件が焦点となり、「メンサロンで一掃されたと思っていたが、まだまだ政界の汚職の闇は深いという印象が強まった」との厳しいコメントも出た▼さらに「今までのファッシーナ(ジウマ大統領による汚職官僚や大臣の首切り)は、誰かの密告によってベージャ誌などの報道から始まっていたが、今回は連警による摘発であり、より深刻だ。連警から始まったものは長引くし、時に政権に致命傷を与える」との言葉には、さすが特派員と感服した▼安全港事件がマスコミを賑わし始めたのは11月で、選挙が終わった直後からだ。この報道がもし選挙前から始まっていたら、女性所長を指名したルーラ前大統領はもちろん、PT候補は大打撃を受けていただろう。連警の捜査開始は選挙のはるか以前であり、この時期に報道が始まったことも不思議だと思い当たった▼それにしても「外人地帯」で日本人特派員が出たのを見たことがない。残念だ。外人特派員のポ語はたどたどしいが、それなりに長期滞在している話振りで、伯国政治、経済を議論する力があるのは立派だ。3年前後で入れ替わる日本式では難しいのか。日本のマスコミもポ語に堪能な特派員を育て、アジアからの視点で見た世界情勢分析を披露し、欧米マスコミと喧喧諤諤の議論を展開して欲しい。(深)』 | ||||
2012年12月21日(金) | ||||
火曜日に大学病院から戻って少しずつ食事ができるようになり、徐々に回復に向かっていたモビは、翌日の水曜日の朝、病院の指示通りキナヴェットの投与を再開したら、その日の夕方と夜の2回また嘔吐してしまった。それで昨日からキナベットの投与を中止した。エドソンが製薬会社のサイトでこの薬に関する詳細を熟読してみると、モビの症状はまさに薬の副作用だと確認できた。それによると嘔吐の症状が出たら、一旦薬の投与を止めること、再開する際も薬の量を半分にするなど、状態に応じた細かい指示や説明があった。それでそれを印刷して、今日、大学病院での再診の際持参した。今日はドトー・ジョアオンがモビを診てくれたので、その印刷物を渡して彼といろいろ話し合った。採血の結果やモビの状態にどのように対処すべきかなどの指示は、病院で待っていなくても、ドトー・ジョアオンが後でメールで知らせてくれることになったので、9時半には病院を出ることができた。ドトー・ジョアオンに感謝。今日はクリスマスの買い物をしなければならなかったので、その後、パオン・ジ・アスーカーとウエノに寄って買い物をして帰宅した。 帰宅して昼食後にエドソンがダイニングテーブルの不具合を、ドリルなどを使って直してくれている間、遠くで雷がなっていたので、モビが怖がって、私たちがいるダイニングルームの隅っこに寄せた椅子の下に避難して小さくなっていた。キナヴェットの投与を止めて、少しずつ体調が良くなりつつあるので、昨日の夜、モビは一度も起き出さなかった。お陰で私も久しぶりによく眠ることができた。
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2012年12月22日(土) | ||||
月曜日に中国新聞にリポートを送ったのだけれど、木曜日になっても受信確認のメールがないので、確認のため「届いていますか?」とメールすると、「届いています。今日中にアップします」という返事が金曜日に届いた。サイトを確認すると12月21日(金)付けで、私の39本目のリポート「ブラジルで餅つき」がアップされていた。中国新聞のサイトは、こちらへ。 昨日は、クリスマス休暇を一緒に過ごすため、パラカンビからエリカたちが夕方までには到着する予定だったのだけれど、朝の出発が遅れ、途中何か所も交通事故による渋滞があり、午後7時頃にはこの辺りは猛烈な暴風雨に見舞われたので、彼らの道中はさんざんだったようだ。結局、彼らが到着したのは9時過ぎだった。でも、事故なく無事に到着して良かった。良かった。最近、エリカが入手したダックスフントの4ヶ月と2ヶ月の赤ちゃん犬2匹も一緒に連れてきたため、雨の中、車から下ろした大量の荷物や、犬たちで家の中はごった返し、その上、2匹がそれぞれ居間でウンチをしたり、台所の洗濯機の横の洗い場の前の敷物の上でオシッコをしたりして大騒ぎ。家の中まで嵐になったような感じだった。次の写真は、ようやく落ち着いて、子犬たちにエサをやっているエリカとそれを見守るモビとエドソン。
昨日はスーパー元気な子犬たちを相手にモビも落ち着かず、夜遅くまで大変だったけれど、子犬たちは下のガレージの洗面所でおとなしく寝てくれたので、モビも私たちもバタンキューでベッドに潜り込んだ。今朝はみんな元気に目覚め、揃って朝食を食べた。左から時計回りに、エドソンのお母さん、エドソン、エリカ、デニウソン。
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2012年12月23日(日) | ||||
昨日のお昼前に、みんなはパーディーニョに出かけて行き、私とモビは家でお留守番をした。パラカンビのシチオで採れた大量の果物(カシュウ、パッションフルーツ、ジャンボ、ココナツ、スターフルーツ、バナナなど)を持って来てくれたのはいいけれど、とても私たちだけで全部消費できるような量ではないので、お裾分けすることにした。毎週土曜日にここの手伝いに来てくれているジョゼのために用意した2日分のボーナスとクリスマス用のパネトーネを持って行くついでに、果物も持って行ってもらい、ルシアのところにも果物を配達してもらった。それでも家族がここにいる間、毎朝、毎晩、せっせと果物を食べてもらわなければ追いつきそうにない。 昨日の午後はみんな前日の移動の疲れが出て少しお昼寝をした。今朝も昨日に続き曇り空でお天気があまりよくない。少なくとも雨が降っていないのはありがたい。朝食の後、私は台所を片付け、洗濯をし、エリカとデニウソンは、下のガレージの洗面所の中の子犬の世話と洗面所の掃除をした後、子犬たちのお散歩を始めた。家の中の居間のドアのところにいるモビが外の子犬たちに反応して、ウーン、ウーンと声を出すので、エドソンとデニウソンがモビの方を見ている。ドトー・ジョアオンからのメールで、血液検査の結果があまり良くなかったので、なるべく早く再受診するようにという連絡があったけれど、今日は日曜日。明日、明後日はクリスマス。病院は急患しか受け付けないだろうから、水曜日に病院に連れて行くことにした。
子犬たちはモビよりもずっと小さく、体重も軽いので、片手で持ち上げることができ、とても扱いやすいけれど、何しろ元気に動き回り、2匹で絶えず戯れあっている。モビはこの子たちのことが気になるのだけれど、まだいまいちどう対応したらいいのか、受け入れられない感じでいる。この後エドソンは、エリカたちがパラカンビのシチオから持って来てくれたカモミールの花を3株と、フランボヤンズィーニョの苗木(このブログの一番最後のページにある写真の花が咲く)を5本植えてくれた。これで植林総数は716本になった。
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2012年12月24日(月) | ||||
ドトー・ジョアオンからのメールで、今日、明日は彼が担当で診察していると連絡があったのなら、水曜日まで待たずに、今日、モビを病院に連れて行こうということになり、朝食の用意をしておいて、みんなが起きてくる前に私たちふたりだけでささっと食べて、病院に向かった。血液検査の結果、モビの肝臓に問題があるようなので、2種類の肝臓の薬を処方されて病院を出た。このうち1種類は調剤が必要な薬で、調剤薬局で調剤してもらうのに2時間余り待たなければならなかったため、その間、ペットショップに行って、子犬のための小屋とエサを食べさせるのに使うプラスチックのお皿を買ったりした。ボトゥカトゥの中心街は暑い上、クリスマス直前の買い物客と車であふれていて、移動がなかなか大変だった。 エリカが連れてきた2匹の子犬の内小さい方は、エリカからモビへのクリスマスプレゼントなので、お互いに慣れさせるために、午後、この子だけを家の中に入れてモビとしばらく一緒に遊ばせた。ちびちゃんが家の隅々をクンクン匂いを嗅ぎながら歩き回るのを、モビは後ろからこの子のお尻の匂いを嗅ぎながらついて歩き回っていた。どうやらモビはこの子が気に入ったようだ。
エリカが床に座り、ちびちゃんを足の上に乗せると、気持ちよさそうに丸まって眠ってしまった。モビもちびちゃんのことがとても気になるので、側に座り込んで見守っている。
午前中、私たちが大学病院に行っている間に、エドソンのお母さんが今晩のローストチキンの下ごしらえと、エンパダオン(Empadão=ブラジル風チキンパイ)を作る準備をしてくれたので、1時半に帰宅してから、私は洗濯をしながら、ニンジンのフレンチドレッシング和えと、キュウリの酢の物と、ご飯の用意をした。次の写真は、完成途上のエンパダオン。
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2012年12月25日(火) | ||||
昨日の午後4時頃からエンパダオンの仕上げと、トリのお腹に詰めるスタッフィングをエドソンのお母さんが作ってくれ、その後エドソンがそれらをオーブンに入れて焼く担当をしてくれた。みんながクリスマスディナー作りに協力してくれ、作業を分担してくれたのでとても助かった。たくさんの果物を消費するためにエドソンと私はデザートにするフルーツサラダを作った。次の写真は、エンパダオンの仕上げ作業をしているお母さん。
この時期お天気がいいと午後8時近くまで日差しが強く暑いので、夕方、みんな交代でシャワーを浴びて、着替えをしてから、8時くらいからクリスマスディナーを開始した。
次の写真は、テーブルの上のローストチキンとエンパダオン。ローストチキンは以前にも書いたけれど、チェスターと呼ばれる胸の大きな種類で、ターキーや普通の鶏肉よりも柔らかく、パサパサしておらず、とてもおいしい。ちなみに、今回買ったチェスターの重量は3.6キロ余り。値段は54.33レアル(約2700円)。
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2012年12月26日(水) | ||||
私たちが用意したクリスマスプレゼントと、エリカたちが持参したクリスマスプレゼントを去年同様クリスマスツリーの前に置いた写真を撮ってみた。25日のクリスマスの朝はパネトーネというか、エドソンはドライフルーツの入ったパネトーネよりも、チョコレートの入ったチョコトーネの方が好きなので、チョコトーネの朝ご飯を食べ、それぞれ子犬の世話をしたり好きなようにのんびり過ごし、お昼前に集合してひとつひとつ誰から誰へのプレゼントと確認しながら、クリスマスプレゼントを開けていった。
次の写真は、クリスマスプレゼントをすべて分配して、包装を開け中身を確認し終わったところをパチリ。
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2012年12月27日(木) | ||||
これから私たちと一緒に暮らすことになったちびちゃんは、ここに来てから下痢をしており、ドッグフードの食事もあまり食べず、ホネカワスジコさんになってきている。それで予防接種のこともあり、昨日の午前中、エドソンがエリカたちをボトゥカトゥに連れて行くついでに、ちびちゃんをペットクリニックのドトーラ・ヴィットリアのところに連れて行ってくれた。診察の結果、ちびちゃんは標準体重より500グラムも少ない栄養不良状態で、検査をするとお腹に虫がいることが確認された。薬を処方してもらい、食事はドッグフードではなく、鶏の胸肉をご飯と一緒に柔らかく煮たものを食べさせるようにと指示されて戻ってきた。やれやれ2匹も病気の犬を抱えることになってしまった。まあ、ちびちゃんの方はお腹の虫が駆除できて、食事をちゃんとすれば元気になるだろうけれど、モビの方は、キナヴェットの投与を中断したらガンのしこりが一気に大きくなってきていて、食欲もあったりなかったりで、いつまで元気でいられるか、はなはだ疑問になってきた。 ちびちゃんはドッグフードには見向きもしなかったのに、午後、鶏肉とご飯の食事を作ると、すごい勢いで一気に完食。お腹が空いていたんだ。一度にたくさん与えて下痢になってもいけないので、少しずつ何回にも分けて与えるのだけれど、まあよく食べること。夜、疲れてエドソンがソファーに横になっているその上で気持ち良さそうにちびちゃんも寝ているので、その姿をパチリ。この子の名前は「はる(子)」に決定。
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2012年12月28日(金) | ||||
26日の夜、はるを少しずつこの家での生活に慣れさせるために、モビのすぐ横に置いたケージに入れて私たちの寝室で寝かせた。最初の2時間くらいはおとなしく寝てくれていたのだけれど、夜中に目を覚まして泣き出し、あやしてもケージに戻すと泣き続け、私たちを寝かせてくれない。しかたなく夜中の2時頃、下のガレージの洗面所に戻した。それで昨日は疲労が蓄積している上に寝不足で、エドソンも私もフラフラのゾンビ状態。朝、食事の用意をしながら、エリカに頼まれて冷蔵庫で冷やしておいたペットボトルの水や、2日間で収穫した大量のミニトマトの袋などを、デニウソンと一緒に保冷箱に詰め込んだりして、彼らの出発の手伝いをした。5人揃って食事をした後、午前9時頃荷造りを終えたエリカたちはパラカンビに向けて帰って行った。ああ・・・、疲れた~・・・・午前中は洗濯など必要最低限の家事をしたけれど、頭も体も怠く重いため、午後はモビを抱っこして横になったりしてボーッとして過ごした。 ドナ・ベティのところの仕事がクリスマスと年末年始の休暇で2週間ほどお休みなので、昨日はジョゼがうちの手伝いに来てくれた。草取りの他、水曜日にエドソンがボトゥカトゥに行ったついでに買って来ておいたユーカリの木を10本、ジャンボラオンを5本、カエデを2本、エリカたちがパラカンビから持って来てくれたイペーの木を2本、アボカド1本ともう1種類の果物の木1本、合計21本の苗木を植えてもらった。これで総植林数は737本になった。次の写真は、コンピュータの前に座った私の膝の上にいるモビの写真をエリカが撮って、画像を加工していたずらしたもの。
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2012年12月29日(土) | ||||
はるはここでの生活にだいぶ慣れてきて、「ハウス」と言うと、まだ100%ではないけれど、ケージの中に何とか入ってくれるようになり、その中で比較的おとなしく寝てくれたりするようになった。でも、オシッコがまだうまくコントロールできない。新聞紙の上でしてくれるときもあれば、新聞紙のない床の上でしたりもする。お散歩に出てオシッコをしてきたばかりなのに、家の中に入ってケージに戻したとたんオシッコをしたりするので、その度に私の仕事が増える。昨日の夜は夕食の後、おとなしくモビと一緒にモビのベッドで寝てしまったので、私たちの寝室に移動して寝かせた。でも午前3時頃目を覚まし、すっかりフルチャージして遊びたいモード一杯になり、モビが私のベッドサイドに避難してきたので、仕方なくまた下のガレージの洗面所に移動して寝かせることにした。モビははるのことが気に入っているのだけれど、これまで私たち3人でのとても穏やかな生活に慣れているので、彼女のエネルギーに時々ついて行けないというか、ちょっとうるさいと思う時があるようだ。次の写真は、ベランダでモビとはるを膝の上に抱っこして休憩中の私。
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2012年12月30日(日) | ||||
はるが我が家に来て以来、彼女の世話で時間を取られる上、はるを叱っていると、モビは自分も叱られているように感じるらしく、悲しい顔をするので申し訳なく思っている。モビははると一緒にお散歩をしたり、少し遊んだりすることは好きで、はるのことをよく気にかけてくれるのだけれど、彼女がうるさくするのは嫌いなので、家の中でのんびりしたい時は彼女から距離を取ろうとする。でも先日、エドソンがはるだけを連れて外に出たら、モビも一緒に行きたかったらしく、しばらくドアの前で座っていたと思ったら、はるのケージの横に置いたトイレ用の新聞紙のところでオシッコをしてしまった。家の中でオシッコなんてしないモビなのに、私たちの注意がはるの方により多く向けられることが嫌だったのだろうと思う。ごめんねモビ。彼自身もはるを気づかうことでストレスが溜まっていたのだと思う。モビが精神的に悲しい思いをしないように、なるべくモビに話しかけるようにして、午後は彼を抱っこして一緒にソファーに横になったり、膝の上に乗せたりするようにはしてはいるのだけれど、これからはさらにもっと愛情を注いでやらなくてはと反省。次の写真は、昨日モビを抱っこしてソファーに横になっていた時、モビだけを残して洗濯物を取り込みに行っている間も私がソファーを離れたそのままの姿勢でじっとしているモビ。エドソンがパチリ。
いつも西側から写真を撮っている野菜畑、今回は東側から撮ってみた。右側の列手前からネギ、支柱を伝って上に、そして左へと伸びているのはカラ、そして奥にネギ。次の列の手前から枝豆(ポットで実験的に育てた枝豆よりもずっとしっかり育っている)、ヤーコンという芋、この写真では大きなヤーコンに隠れて見えないけれど、ルッコラ、そして、フンショ。次の列手前からネギ、パッションフルーツ、ミニトマト。そして奥にタマネギ。次の列手前から数日前から収穫できるようになったオクラ、レタス、コウヴィ。一番左側の列は手前は何もなく、向こうの奥にエルヴァ・シドレーラ(または、メリッサ)というハーブ(エドソンが最近よくハーブティーを作って飲んでいる)、そして、お肉を焼くときによく使うタイム。
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2012年12月31日(月) | ||||
病気闘病中のモビと、赤ちゃんで私たちの言うことがまだよく理解できず、特にオシッコをする場所がうまく定まらないはるの世話で、日々アタフタしているうちにあっと言う間に大晦日になってしまった。日本と違ってここブラジルでは大晦日だから、新年だからと、特にあらたまった感じは全然ない。でも、今日は見ている暇はなかったけれど、テレビでNHKの紅白歌合戦をつけっぱなしにしてBGMのように流し、バタバタと洗濯などの家事をした。ゆく年くる年の時間になり、家事を中断してテレビの前にエドソンとふたりで座り、お酒を用意して、日本時間の午前0時におちょこで乾杯。ようやく大晦日と新年を迎えた気分に少しなった。でも、午後からは、はなのウンチとオシッコで汚れた下のガレージの洗面所の掃除や、家の掃除をし、エドソンはベランダの掃除をしてくれ、忙しく働いた。これでようやく穏やかに新年を迎えられそうだ。この一年、エドソンと私は風邪をひかず、健康に過ごすことができ、モビも頑張ってガン治療を受けてくれ、少し体調を崩すことはあっても、全般的に元気でハッピーに過ごしてくれたことを心から感謝したい。はるの加わった来る年もみんな元気で過ごしたいものだと切に願う。
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