Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2012年11月1日(木) | ||||
今年も9月から10月の初めにかけて、マリンボンドという蜂(体長3センチの大きいタイプではなく、その半分くらいの小さいタイプ)が我が家の軒下に巣を作ろうとするので、あの手この手でそれを阻止するための攻防戦を繰り広げた。でも、敵もそうやすやすとは巣作りを止めず、ダイニングルームの西側の軒下がダメなら、ダイニングルームの南側の軒下、それもダメなら台所の流しの前の南側の軒下、それでもダメならシャワールームの南側の軒下と場所を少しずつ移動しながら巣作りを続けるので、こちらも必死に殺虫剤が届くところは殺虫剤を使い、届かないところは長いパイプを使って蜂を追っ払って、巣を壊すことを繰り替えした。そのうち仲間の数が減ってきたのであきらめたのか、お天気が崩れて気温が下がったのであきらめたのか、理由は定かではないのだけれど、マリンボンドを見かけなくなったので、巣作りの季節が終わったのかな?と、希望的観測をしていたら、さにあらず。今週は真夏のような暑い日が続いているためか、またマリンボンドが戻ってきた。今回はシャワールームの窓の外枠のところに巣を作り始めた。やれやれ・・・
この度重なる蜂との攻防で、蜂に刺されたりしながらも、こちらもいろいろと効率的な退治法を学習した。一番効果があるのは、夕方暗くなって彼らが寝静まったところを殺虫剤を吹きかけて、翌朝空っぽになった巣を取り除くという方法。それで昨日は昼間は何もせず、暗くなるまで待って殺虫剤を散布。そして、今朝空っぽになった巣を取り除いた。丸1日巣作りの邪魔をしなかったので、直径10センチあまりの大きな巣ができあがっていた。
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2012年11月2日(金) | ||||
今日はフィナードス(finados)で、休日。フィナードスは日本のお盆のようなもので、亡くなった人たちを偲び、祈りをささげる日。お墓参りをする日でもあるらしい。 ニッケイ新聞2012年10月18日付けの日系社会ニュースに、広島大学の教授が来伯してサンパウロ総合大学(USP)で講演をした、『トルデジリャス条約と日本の鎖国=大航海時代の意外な関係=広島大の西谷教授が講演=「ペリーは海洋法破った」』と題する記事があった。おもしろい内容なので以下にリンクをはってみた。 この記事のサイトは、こちらへ。 また、この記事に関連して、同じく2012年10月18日付け「コラム 樹海」には、以下の記事があった。 『数年前、ポルトガルの歴史サイトを見ていて「1543年にポルトガル人が日本を〃発見〃した」との記述を見つけた時は驚いた。嵐のために命からがら種子島に漂着したポルトガル商人を日本人が助けたのに、そう記述するとは大した欧州中心主義根性だと呆れた▼1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見してから〃新世界〃への冒険航海が盛んになり、1494年にトルデジリャス条約が結ばれ、6年後に伯国が発見された。さらに1522年にマゼランが一周したことから「地球は丸い」ことが証明され、もう一本線を引かないと球体は分割できないので、サラゴサ条約(1529年)となった。しかし接触が開始してもポルトガルは日本に対して領土要求は行わなかった。当然だ▼でも米国の外交は強硬だった。黒船は大砲で不平等条約を迫り、それを呑まざるを得なかった。初めて西洋文明のシステムに日本は組み込まれた。平和な鎖国の間に生まれた圧倒的な武力の差がそうさせた▼西洋文明に対する屈辱感を覆すための闘いが明治維新であり、懸命に西洋をまねた結果が「遅れてきた帝国主義」として現われ、軍国主義になっていった―との西谷教授の話は実に興味深かった▼日本人が1596年に亜国で「自分は奴隷じゃない」との裁判を起こしたという連載を以前書いた。米国がインディアンだらけだった1590年の時点で、日本人は南米大陸に上陸しており、グローバル化の最先端にいた▼もし日本が鎖国していなかったら…。ペリーに無理やり開国させられることもなく、英仏同様に戦争が合法的な時代に海外領土を取得していたかもしれない―等と夢想した。(深)』 | ||||
2012年11月3日(土) | ||||
去年の10月から11月頃のブログを見ていたら、家の西側のヒメシマ竹は新しい芽が出てきたばかりで、現在のような壁はまだできておらず、庭のハイビスカスもまだ背が低く、防風林用に植えたリグストルンやグレヴィーリャもまだひょろひょろしている。この1年間にみんなよく育ってくれていることを再確認できてうれしくなった。次の写真は、1年前の去年の10月末か11月初めに撮ったもの。
そして、次の写真は昨日の朝、上の写真とほぼ同じようなアングルから撮ったもの。この1年で家の周りの木々が育ってきているのがよくわかる。
1年前はまだ寂しかった庭も、今ではだいぶにぎやかになってきている。
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2012年11月4日(日) | ||||
昨日の午後、エドソンが外で手伝いのジョゼにいろいろ指示を出しながら庭仕事をしていると、珍しくエディがプライベートで訪ねてきた。今月の24日(土)に彼の長女のマリナラ(Marinara)が結婚するので、その式と披露宴への招待状をわざわざ持ってきてくれたのだった。次の写真は、その招待状。
マリナラは17歳で、お相手のアレッシャンドレ(Alexandre )は23歳と、とても若いのだけれど、ブラジルの田舎では一般的に結婚が早く、これは特別なことではないと話していた。ブラジルではティーンエイジャーになるかならないかでみんなデートを始める。エーナーニのところの15歳の長男のネトも最近ガールフレンドができたので、エーナーニがコンドームを使うようにと言ったら、大量のコンドームを買ってきたんだと笑っていたことがあったけれど、デートを始めるということはこういう意味でもある。話をマリナラに戻すと、来年の2月の新学期からふたりともバウルの大学に行くので、その前に結婚して一緒にバウルに行くことにしたのだそうだ。次の写真は、その招待状を開いたもの。招待客は300人ほどで、時間は午後5時半から。場所は、以前エディたちが暮らしていたシチオ(人に売った農場で、今はエディの所有ではないのだけれど)で式と披露宴をするのだそうだ。食事はおそらくシュハスコ。
次の写真は、居間で話しているエディとエドソン。彼の下の娘はまだ10歳なので、上の娘が結婚して家を出ても、寂しくないね。と言うと、寂しくなったらもうひとり子どもを作ってもいいかな?と冗談を言っていた。
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2012年11月5日(月) | ||||
昨日は朝6時に起きて、エドソンはエーナーニとジェラウドと連れ立って、ご近所にあるエーナーニの農場のひとつに出かけて行った。その農場にある木のひとつに、ミツバチのジャタイが巣を作っているとエーナーニから聞いて、その巣をもらいに行ったのだ。早朝出かけて行ったのは、彼らの寝込みを襲うためで、ミツバチの巣箱やハチミツを取るための道具などいろいろ持って出かけ、8時過ぎに戻ってきた。これで我が家のシュハスコ小屋の軒下に吊るしたジャタイの巣は3つになった。3人がこのアドベンチャーから戻ってから、みんなでゆっくり朝ご飯を食べた。
次の写真は、台所の流しで、ジャタイのハチミツを取っているエドソン。野性のジャタイのハチミツの入っている袋は変な形のかりんとうのような感じのもので、膨らんだ部分をナイフで切って、袋の中のハチミツを注射器で吸い取るのだけれど、なかなか大変。袋の量が少なかったので、とれたハチミツもほんの10ミリリットルだけ。以前エリゼウからもらったジャタイのハチミツよりも少し色や味が濃かったけれど、やはり普通のハチミツよりも優しい味だった。エドソンの左手にジャタイが2匹止まっているのが見える。ジャタイは普通のミツバチと違い、お尻に針を持っておらず、人を刺したりはしないので、手に止まっていても危なくはない。この作業の後、エドソンはこの容器を巣箱の近くに持って行き、この子たちが仲間のいる新しい巣に戻れるようにしていた。突然寝込みを襲われて、気がついたら新しい家の中で、ちょっと驚いただろうけれど、夕方までには巣箱の出入り口にジャタイ独特の煙突のようなものを作り上げて、しっかり新しい家に馴染んでいる様だった。
昨日はさらに、エドソンが夕飯に具沢山のチキンスープを作ってくれることになったので、午後からその材料にするために、野菜畑でカリフラワーやブロッコリーを初めて収穫してみた。カリフラワーは店で売られているものよりも小ぶりながら、何とか一応カリフラワーとわかる形に育ってくれたけれど、ブロッコリーは花ブロッコリーのようで、普通見かける塊を一向に形成しない。種を蒔いて育てたのか、苗から育てたのか忘れていたけれど、よく考えたら、カコでブロッコリーの苗と言って買ったものなので、厳密には花ブロッコリーの苗だったのだと思う。その他、コウヴィ、黄色いミニトマト、ネギを収穫した。オレンジは家の南の三角地帯からエドソンが収穫してきたので、写真を撮る仲間に入れた。赤いミニトマトは元気にたくさん実を付けているけれど、まだ赤くなっていないので、収穫はもうしばらく先のことになりそう。
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2012年11月6日(火) | ||||
8月に種を蒔いて、台所で実験的に育てていた枝豆が小さな鉢の中で2本ひょろひょろと伸びてきたので、10月初め頃だったかにエドソンが野菜畑に植え替えてくれた。あれから約1ヶ月ほど経過した現在も相変わらずひょろひょろしているけれど、葉がたくさん出て、とうとう枝豆の実を少し付け始めた。ただ、まだ中の豆は小さくて食べられる状態ではない。今後豆が大きくなるのか、このままの成長不良で終わるのかはまだわからない。でも、4つ蒔いた種の内のふたつが芽を出しここまで成長し、何とか実をつけてくれたので、ここで枝豆を育てて食べるのもまんざら夢ではなくなったかな?
次の写真は、まだ色づいてはいないけれど、たくさん実を付けている赤いミニトマト。日本でよく見かけるまん丸い形ではなく、ちょっと長丸い形をしている。ここのスーパーで普通に見かけるミニトマトも、この長丸い形をしているので、このタイプがここでは一般的なのかな?と思う。
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2012年11月7日(水) | ||||
ここで野菜を作っていて、野菜の成長というのは苗を同時に植えても、同じ種類のものでも成長に差があり、種類が違えば当然のことながら、それぞれずいぶん成長の速度が違うものなのだなあと、つくづく思う。レタスやルッコラは、あっと言う間に成長し、結構長い間食べることができたけれど、さすがに収穫の時期はほぼ終わってしまった。一方で、カリフラワーや花ブロッコリーは最近ようやくわずかながら収穫できるようになった。そして、だいぶ大きくなっているけれど、まだ収穫していないものにフンショ(Funcho)という野菜がある。日本語でウイキョウ、英語でフェンネル(Fennel)と呼ばれる野菜。名前は聞いたことがあっても実際に見たり食べた憶えはないので、これがどんな野菜なのか、どうやって食べるのかもよくわからない。エドソンによると茎の部分をセロリと同じような感じでサラダなどにして食べることができるという。ウィキペディアで調べてみると、セリ科の植物ということなので、やはりセロリの仲間のようだ。「地中海沿岸が原産とされ、古代エジプトや古代ローマでも栽培されていた記録があり、歴史上もっとも古い作物のひとつとされる」「フェンネルの鱗茎(葉柄基部が肥大したもの)はフィノッキオ (finocchio) とも呼ばれ、野菜としてタマネギなどのようにサラダや煮物、スープなどに用いられる。茎・葉は生食されるが、その他にも佃煮、シチューなど肉料理の香味野菜として使用される」ともあった。タマネギやセロリのような感覚で食べることができるのなら、何とか利用できるかな?
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2012年11月8日(木) | ||||
モビは雷が嫌いと以前書いたけれど、基本的に大きな音がするものは嫌いなので、掃除機も嫌い。私が寝室の方から掃除機をかけ始めると、怖いのだから居間のドアのところにいればいいものを、わざわざ側まで来て掃除機の動きに合わせて、あっちに行ったり、こっちに行ったりとそわそわと落ち着かない。結局、側でガーガーうるさい音を立てる掃除機が怖くて、エドソンのワークスペースのテーブルの下で小さくなっていたり、エドソンに助けを求めて、彼の膝の上に上げてもらったりする。居間の掃除を終えて、掃除機を台所やダイニングルームに移動すると、ようやく居間のドアのところのベッドに戻ってくれる。
気が小さいというか、臆病というか、おもしろい子だと思う。でも、ペトロポリスの安見さんのところのポンタも大晦日に上がる花火の音が嫌いで、見ていて可哀想なほど怯えて怖がると聞いたことがあるから、犬はみんな大きな音が嫌いなのかもしれない。以前、大西さんからのおみやげでいただいたカエルのケロケロを動かすと、お腹の中の木が動いて出すコロコロという優しい音は嫌がらないけれど、エドソンが最近買ってきたネズミのおもちゃのお腹を押さえると出るプープーという音は嫌いで、このネズミのおもちゃをプープー言わせて側に持って行くと、嫌がってベッドから逃げ出したりする。
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2012年11月9日(金) | ||||
昨日はモビの治療でボトゥカトゥの大学病院に行ってきた。採血はほぼ順調に、1時間待ちで9時頃行われたけれど、血液検査の結果がなかなか出ず、午前中に治療をしてもらえるのか、午後からまた来いと言われるのかひやひやしたけれど、何とか12時になりようやく治療が始まり、治療が終わったら1時になっていた。いや~あ、疲れた。昨日は、たまたま黒いコッカスパニエルのような犬を連れた60代の気の良さそうなおじさんが隣に座り、モビと同じタイプのガンでこの6月に手術をし、治療を受けているということで、待っている間エドソンとずっと話しをしていた。この子のガンは第3期と、モビよりも進行しているということだったけれど、この子もとてもおとなしく、ご主人の言うことをよく聞くいい子だった。 「楽書倶楽部」の第16号に、「虹の橋の袂で」という題で、13歳だった愛犬の死について書いている女性がいた。「八月の終わりに、飼っていた黒いラブラドールの牝犬を失って、すぐには癒すことも立ち直ることもできない痛手を受けた」という書き出しのその文章に、この人にとっても愛犬は家族の一員で、とても大切な存在だったのだということが痛いほど理解できた。その中に「ええっ、そうなの?」と驚く記述があった。「私はカトリックで、動物には魂がないと教えられている。だから天国に行っても愛する人々には再会できるけれど、犬には決して会えないというのは哀しい」とあった。キリスト教では神がすべてのものを創造したと信じているのに、その存在に優劣をつけたりするのはどうしてなのだろう?と不思議に思った。神がすべてのものを創造したのであれば、それらはみな等しく神聖な命じゃないのかと私は思う。そして、この女性がインターネットで知ったというネイティブ・インディアンの神話の部分を読んで、ちょっとほっとした。その神話とは、「人が天国に行く通り道には、虹の橋がかかっている。その袂は、広い野原になっていて、飼われていた動物たちが嬉々として元気いっぱい遊んでいる。それは楽しい日々だが、ときおり、群れの一匹がふいに耳をそばだて、さっと橋の方へ飛んで行くことがある。かつての飼い主が、ちょうど天国の虹の橋を渡ろうとしているのだ。走ってきたペットと抱き合った飼い主は、ペットを従えて天国に行く」というものだ。そして、「カトリック信者としては、そんなことを考えてはいけない。でも、私がもし天国へ行けるとしたら、橋の近くで立ち止まって、虹色の光の中に、私の[アルゴス]が待っているのではと、あたりを見回して探すことだろう」と、その文章は締めくくられていた。私はキリスト教ではないので、モビの魂も天国に行くと思っているけれど、もし天国に行く通り道に虹の橋があるのなら、私もそこで立ち止まって、モビを探すことにしようと思った。 | ||||
2012年11月10日(土) | ||||
パーディーニョの町に小さな魚屋さんが店開きして以来、値段がボトゥカトゥのパオン・ジ・アスーカーで売られているものよりも比較的安いこともあって、パオン・ジ・アスーカーで魚を買うのを止めて、ほぼ毎週パーディーニョの店で魚を買うようになった。でも、私たちのようなお客は少ないようで、ここの人たちは食事と言えば肉、肉、肉で、野菜を食べないだけでなく、魚もあまり食べないので、なかなか採算が取れないらしい。それでこの店のおじさんはいつ行っても暇そうに、店の前の階段のところに座ってタバコをふかせている。私たちはだいたいいつもエビと、ランバリ、または、イワシ、サーモン、ティラピアなど、その日ある魚のどれかを買っている。今週も、エビとランバリを買おうと思ったのだけれど、ランバリのシーズンは終わったからもうないということで、エビとティラピアを買って帰った。この魚関連で憶えたポルトガル語がある。海の魚か淡水魚かを区別する際、淡水というのは「甘い水」という意味のアグア・ドスィ(água doce=fresh water)と言い、海水というのは「塩辛い水」という意味のアグア・サウガーダ(água salgada=salt water)と言うので、淡水魚と言う場合、peixes de água doce(=freshwater fish)となる。ここでおもしろいのは、英語でfishは複数形にはならないのだけれど、ポルトガル語ではpeixeではなく、複数形のpeixesとなるところ。 英語とポルトガル語を比較しながら憶えていると、いろいろおもしろいことに気づく。例えば、英語でI don´t know anything.(私は何も知りません)というのを、アメリカの黒人の人などが、I don´t know nothing.などと間違った言い方をするのをよく耳にするけれど、この「私は何も知りません」というのをポルトガル語ではEu não sei nada.つまり、英語に直訳するとI don´t know nothing.と言うのだからおもしろい。 ついでに、ただdoceと言うと、甘いお菓子のことになり、ポテトチップスなどの塩辛いお菓子のことはsalgadoと言う。ちなみにふりかけもsalgado。ただし、ワインの甘口(スイート)、辛口(ドライ)という場合は、甘口はスアヴィ(suave)、辛口はセコ(seco)で、甘口のことをdoceと言わないことはないけれど、辛口のことはsalgadoとは言わない。 | ||||
2012年11月11日(日) | ||||
この金曜日は1日中雨が降り続き、少し肌寒いくらいだったけれど、土曜日の午後からお天気が回復し、短時間ながら太陽が顔を出してくれた。そして今日は、朝から爽やかないいお天気になった。延び延びになっていたタケイシさん夫婦との食事会が、昨日ようやく実現した。彼らは先週末のフィナードスの三連休はサンパウロに行っており、明日の月曜日にはサンタクルス病院でご主人のクリオの検診があるため、また今朝早くサンパウロに行くと言っていたので、ほぼ毎週のようにサンパウロに行っている忙しい合間を縫って、ようやく我が家に来てもらうことができた。クリオはちょっと糖尿病の傾向があり、自宅では玄米ご飯を食べるなど健康に気を使っているので、昨日のメニューは野菜を中心にした料理にした。メインはランバリの唐揚げと、ティラピアのフライ。ご飯はいつもの玄米と日本米を1対3で混ぜたもの。副菜は、インゲン、アスパラ、ゴボウ、カボチャの揚げびたしと、ニンジンのポン酢和え、ラディッシュの酢の物、そして、ほうれん草のお浸し。デザートは桃。奥さんのナンシーはランバリの唐揚げは好きではないのか食べなかったけれど、ティラピアのフライと、その他の副菜はクリオともども何度もおかわりをして食べてくれた。こういう野菜中心の食事を喜んでくれるのは本当にうれしい。普通のブラジル人だとこうはいかない。日系人ならではのことだと思う。
タケイシさんからはこれまで梅の苗木や、花の苗木などいろいろいただいて育てているのだけれど、昨日は3種類のアボカドの苗木を持ってきてくれた。アボカド大好きな私たちは感謝感激。そして、奥さんのナンシーからは桃を一箱と、玉石でできたオーナメントをいただき、早速、ダイニングルームの棚にそのオーナメントを飾らせてもらった。
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2012年11月12日(月) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2012年10月26日付け「コラム 樹海」からの転載。この記事の中のデバッチ(debate)というのは「ディベート」のことで、フリオ(frio)というのは「冷たい」という意味。この記事の中で触れられているノヴェラの「アベニーダ・ブラジル」は、視聴率が70%超あったらしいのだけれど、人間の悪や憎悪がむき出しのおどろおどろしい内容だったので、私は見るに絶えられず、最初の1週間くらいでギブアップしたのだけれど、ブラジル全土で(ジウマ大統領も含め)ほとんどの人が、毎日夜10時前後の1時間このノヴェラを欠かさず見ていたというのだから何ともすごい。このブラジル人の国民性は、正直言ってちょっと理解に苦しむ。 『昨朝のラジオで某政治コメンテーターは聖市長選で「アダジ当確」を公言していた。よほどの大スキャンダルでも噴出しない限り、アダジ優勢をひっくり返すことは困難との判断だろう▼セーラ陣営は「アダジは市長になる準備ができていない」と断言するテレビ宣伝を繰り返し攻撃する。アダジ陣営は「セーラが前回、任期半ばで市長を辞めた。どうして今回は信じられる?」とやり返す。日本ではありえない攻撃的なテレビ宣伝だ。悪意、憎悪すら感じさせる▼聖市決戦投票は「建設的な議論」から外れて、ただ中傷し合っている感が強い。でも一方がそれを始めたら〃お返し〃をする。今も「やられたらやり返す」という論理は厳然と生きている▼伯国のデバッチはその迫力が肝であり、見る側もそれに感動する。理論だけではフリオだ。どこでどう感情を爆発させるかも〃論陣を張る〃ための重要な要素といえる。そんなデバッチの巧拙を票という点数に換算するのが民主主義だ▼超高視聴率を記録したグローボ・ドラマ「アベニーダ・ブラジル」の悪役カルミーニャの魅力は徹底した嫌悪表現に他ならない。あの狂女が、最後にはつき物が落ちたように善人になる様に伯人はロマンを感じる▼日本外交に足りないのはこの〃言い合い〃の迫力だ。日本国内での言い合いと、外国相手のそれでは根本的にルールが異なる。相手によって切り替えることの重要性を日本国民はもっと自覚した方がいい▼デバッチの重要性は昔から日本でも言われている。問題は、それをただ「頭で知っている」だけではなく、「体験として分かっている」かどうか、本当の国際性の問題ではないか。(深)』 | ||||
2012年11月13日(火) | ||||
昨日は濃い霧の中で夜が明け、午前中は雨が降ったり止んだり、午後から少しお天気が回復した。朝、8時前に車が入って来たので、毎週月曜日の朝、英語のレッスンに来る予定のハファエウにしては早いなと思ったら、エディだった。先日彼の娘の結婚式への招待状を持って来た際、2週間後にここの仕事に戻ってくると言っていたけれど、まだ1週間なのにマノを連れてやって来た。彼がここの仕事に来てくれるのは約2ヶ月半ぶり。どういう風の吹き回しだろう?彼の行動は常に予測不可能。でも、お陰でシュハスコ小屋の中のシュハスコのかまど作りが始まったのだからうれしい限り。夕方、エディたちが帰って行ってから、少し形になり始めたシュハスコのかまどを写真に撮った。
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2012年11月14日(水) | ||||
昨日の火曜日は、ここから北東に1時間ほど行ったコンシャス(Conchas)という町に行ってきた。この町に事務所を置いて近隣の複数の町にインターネットサービスを提供しているfdnetという会社に、エドソンが用事があって行くというので、この町に一度も行ったことのない私とモビもついて行くことにした。次の写真は、fdnetの事務所。パーディーニョでもそうだけれど、普通の家を借りて会社事務所として使うというのがこの辺ではごく一般的なので、この事務所も普通の家を少し手直ししたものだった。
エドソンがビジネスをしている間、私たちは建物の外の日陰で座って待ったり、少し周辺をお散歩したりして時間を潰した。次の写真は、この会社事務所から3ブロックほど行ったところにある教会とその前の広場。ブラジルの地方の町は、だいたい一番最初に教会を町の小高い場所に建てて、そこを中心に町ができるというパターンなのだけれど、この町も同様で、この教会から2~3ブロック行くと、町の一番賑やかな場所である商店街があった。
次の写真は、上の教会と広場の写真を撮った同じ場所から、左を向いて、街並みを撮ったもの。ちょうどスクールバスが通り過ぎるところだった。このスクールバスが向かっている方向に商店街がある。サンパウロ州は東側半分以上の地域は丘陵地帯なので、どの町も坂の町で、コンシャスも同様だった。
エドソンの仕事は遅くともお昼過ぎ頃には終わるかな?と、思っていたら、1時半をだいぶ回ってようやく終わり、少々待ちくたびれた。その後、建築資材の店に行って、シュハスコのかまどの一部に使うねずみ色のレンガを買い、近くのパダリア(パン屋)で軽くお昼を食べ、もう一度fdnetに戻って何かを受け取ってから帰路についた。少々疲れたけれど、途中の景色はなかなかきれいで、ジガンチ・アドーメシード(眠れる巨人という名前の山)を反対側から間近に見る道路を走ったのも初めてだったので、いい気分転換になった。帰路パーディーニョの町を通り抜けるついでに、モビの薬やパンを買って、家に戻ったら午後4時半を回っていた。次の写真は、パーディーニョの町でエドソンが買い物をしている間、私と一緒に車の中で待っているモビ。モビを連れて出かける時は、助手席の足元が彼の定位置。助手席に座る人は足を伸ばすスペースがなくなり、ちょっと窮屈なのだけれど、仕方がない。
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2012年11月15日(木) | ||||
今日は、「共和国宣言の日」で休日。このところ我が家の庭では驚きの発見がいっぱい! まずは、シュハスコ小屋の後ろのハーブガーデンと称している場所に、オーナメントのパイナップルがなっているのを発見。家の東側のスペースにコンクリートを入れてきれいにする前に、そこで育てていた苗木を庭に植える際、アロエに似たような植物が1つあったので、ずいぶん前にイビウーナの中村さんからいただいて植えていたアロエの側に植えた。そうしたら最近、パイナップルの形をした実がなっているのを見て、「ああ、これはアロエではなく、パラカンビのシチオにあったオーナメントのパイナップルを持って来たものだったんだ」と、思い出した。アロエのようなギザギザの細い葉がいつまで経っても茶色っぽいままなので、枯れてしまったのかと思っていたのだけれど、どうやらそうではなかったようだ。写真のアロエの手前の茶色っぽい葉から2本枝が突き出て、その先にそれぞれ小さなパイナップルの形をした実がなっている。
次は、我が家の庭が命を育んでいる事実を2つ発見。ガレージの仮住まいをしていた時に迎えたクリスマスに、クリスマスツリーを買って飾り付け、ささやかにクリスマス気分を演出した。クリスマスが終わり、年が明けてから、その木を庭に植えた。その後2年近くが経過して、元気に育ちだいぶ大きくなってきている。その木に最近、チコチコ(スズメの一種)が巣を作ったらしく、木から出たり入ったりしているのでエドソンがのぞきに行ってそっと見てみると、やはり巣があり、中にタマゴが複数個あったので、あまり邪魔をせずに見守っていた。最近、ひなの鳴き声が時々するので、またエドソンがのぞいてみると、タマゴが無事に孵化してひなが3羽生まれていた。母鳥が運んできた食事をした後すやすや眠っているひなたちを写真に撮ってみた。
さらに、エドソンが作ってくれた庭のベンチの側の別の木の中には、ハチドリ(ハミングバード)が巣を作っており、タマゴが3つあるのが確認できた。我が家の庭の花々や木々が昆虫や鳥たちに楽園を提供していることをとてもうれしく思う。蜂のマリンボンドが我が家の軒下に蜂の巣を作ろうとするのはちょっと迷惑だけれど、小鳥が庭の木に巣を作って子育てするのは大歓迎。
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2012年11月16日(金) | ||||
昨日は、お隣にボトゥカトゥからボーイスカウトとガールスカウトの一団がやって来て、何だかとてもにぎやかだった。これこれこういうことで人が大勢来るので少々うるさいかもしれませんが・・・というような挨拶が特にあるわけでもないところがブラジルらしい?午前中は到着してからどこかに行っていたのか静かだったけれど、午後からは我が家の近くにテントを張り出したので、途端ににぎやかになった。次の写真は午後3時頃、台所の窓から撮ったもの。昨日は休日だったけれど、テントを張ってここで寝るということは、今日も学校はお休みなのだろうか?ということは彼らにとってこの週末は4連休?
次の写真は、午後6時くらいに撮ったもの。テントを張るのに3時間もかけていたら食事の用意をする時間がなくなるんじゃないかと心配したけれど、どこにも火や煙は見えず、夕食を作っている様子はまったくなかった。屋外での食事作りもなく、キャンプファイアーもなく、キャンプファイアーを囲んでのゲームもなく、ただテントに泊まるだけのキャンプというのもちょっと寂しいなあ。今朝は時々笛の音が聞こえ、スカウトのユニフォームを着た子供たちが一ヶ所に集合したりしていたけれど、テントを片付ける様子はなく、ひょっとしてこのキャンプ土曜日か日曜日まで続くのかな?
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2012年11月17日(土) | ||||
小さなプラスチックの植木鉢に種を蒔いて、芽がだいぶ大きくなってから畑に移して育てている大豆が何とか小さな枝豆の実をいくつかつけてくれたので、これはいけるかもしれないと思い、先週、畑に直接大豆を蒔いてみた。種を蒔いて1週間ほどだというのに、すでに芽が出始めたのでびっくり。元気に育って、たくさん枝豆をつけてくれるかなあ?
畑のレタスは旬を過ぎてしまったけれど、まだ少しずつ収穫して食べている。でも、中にはぐんぐん背が伸びてきて、今にも花を咲かせそうなものも出てきた。このまま花が咲き種が採れたら、今度は苗を買わなくてもその種からレタスを育てられるかな?と、「捕らぬ狸の皮算用」をしている。
台所のカゴの中でジャガイモやタマネギなどと一緒に保存していたカラから芽が伸び始めたので、エドソンが畑に数個植え付け、芽が上に向かって成長できるように側に支柱を置いてくれたので、元気にその支柱をつたって芽が伸び始めている。家の南側の三角地帯のグレヴィーリャの側に植えたカラも、グレヴィーリャの枝をつたって上に向かって成長している。さて、今年は去年よりも大きなカラができるだろうか?楽しみだ。
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2012年11月18日(日) | ||||
ニッケイ新聞2012年11月1日付けの日系社会ニュースに、「寄稿=小野敏郎氏を偲ぶ=坂尾 英矩」と題する追悼記事があったので、以下に転載してみる。小野リサさんや東京にあるレストラン「サシ・ぺレレ」のことは名前だけは知っていたけれど、彼女のお父さんのことはこの記事で初めて知った。
『去る10月22日、東京でブラジル日系コミュニティーでもお馴染みの小野敏郎氏が亡くなりました。氏は四谷のブラジル・レストラン「サシ・ペレレー」のオーナーとして知られていましたが、若い世代には「小野リサのお父さん」の方がポピュラーでした。しかし、小野さんは戦前のブラジル移住者には無かった分野で活躍した日伯交流史上特筆すべきパイオニアなのです。
その主な業績を上げてみると――
これらの業績は良く知られていますが、私はここで今まで誰も知らない小野さんの隠れたメリットについて書いておきたいと思います。
当時はボサ・ノーヴァ創生期で多くのミュージシャンはジャズにこっていましたが、アドリブ演奏を自由に発散できる場所がありませんでした。そこへ日本人経営の2店が出現したので音楽界で評判が広まり、有名無名の演奏家がワンサと遊びに来る結果となりました。 訃報を受けた私は一時代が終わったような寂しさでいたたまれなくなり、小野さんが好きだった競馬場裏のピニェイロス川に花を流して冥福をお祈りしました。 合掌』 | ||||
2012年11月19日(月) | ||||
今年から文章を寄稿するようになった同人誌の「楽書倶楽部」は、私の世界を広げてくれる本当に楽しい雑誌だ。「国家事業を救った8人のサムライ」のおひとりの荒木さんも、「楽書倶楽部」の同人だということは以前書いたけれど、第16号に自家製のお豆腐作りについて書いておられた。興味のある人には、作り方などを教えてくれ、豆腐を作るための木箱も分けてくださるとあったので、兼ね兼ね家で手作り豆腐を作って食べたいと思っていた私は、迷わず早速メールでお願いした。そうしたら、すぐに木箱一式を発送してくださったのはいいのだけれど、途中で事故にあったのか、なかなか届かない。その間何度も荒木さんとメールでやりとりして、ご心配をおかけした。発送から3週間余り経過した先週の金曜日(16日)になりようやく届いていて、ほっとした。
次の写真は、豆腐作りのために送っていただいた木箱一式。
技術の専門家で、今でもあちらの現場、こちらの現場と飛び回っておられるのに、自宅でお豆腐作りなんておもしろいなと思ったら、「私の従事している土木の仕事では、いつも早く、安く、簡単に、安全にそれに使用に合った物作りを考えています。自家製豆腐では以前からネットなどで調べてはいましたが、これと言ったキットが見当たらず(2、3ありましたが値段が高過ぎて手が出ません)自分でいろいろと作成してみまして、町の木工場に行き、板を選んで切って貰い、それを組み立てた物です」とメールにあった。う~ん、技術屋さんならではの創意工夫があったのか・・・とにかく、木箱のセットが無事届いたので、この土曜日(17日)に早速自家製お豆腐作りに挑戦してみた。次の写真は、出来上がったおから(左)とお豆腐(右)。木箱に入れてからの荷重の仕方が悪かったのか、真ん中が少しへこんでしまい、お豆腐の固さも木綿豆腐と絹ごし豆腐の間くらいの柔らかさで出来上がったのだけれど、とにかく何とかできて感激!できたての少し暖かいお豆腐の味は格別だった。
土曜日はエドソンが早朝からアマチュア無線のフェアでインダイアトゥーバに行っていたので、帰宅してから出来上がったお豆腐を見せ、夕食に麻婆豆腐を作ったらとても喜んでくれた。この出来上がったお豆腐の写真を添付して、何とかできたので自分では70点の合格点だと思うと荒木さんにメールをしたら、「出来ましたね。90点です。パラベンス(おめでとう)!」という返信がきて、「初めての場合は貴方の写真のように真ん中が少し低めになり、水分も多くやわらか過ぎます。要は、もっと重しを均等に掛かる様にする必要がある訳です」「2、3度やってみたら上手く出来るようになります」というメールをいただいた。次の写真は、出来上がったお豆腐を3等分して、水をはった鍋に入れたもの。おからがたくさんできたので、日曜日の夕食のミートローフはこのおからを少し混ぜて作ってみた。おいしかった。これからこのおからをどんなお料理やお菓子に利用しようかと、思いを巡らせている。
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2012年11月20日(火) | ||||
木曜日からお隣でキャンプを始めたボーイスカウトとガールスカウトの子供たちは、土曜日から合流した人も何人かいたようで、土曜日の午後になるとテントの数が少し増えていた。そして、やはり思った通り日曜日の午後までしっかりキャンプをして、午後4時頃引き上げて行った。次の写真は、日曜日の朝、台所の窓から撮ったもの。スカウトのリーダーたちだろうか?何人かが集合して何やら話し合っているようだった。
昨日はまた、モビの治療でボトゥカトゥの大学病院に行ったので、帰りにスーパーのパオン・ジ・アスーカーに寄って去年買い遅れたクリスマスツリーを買おうと思ったら、10日前にあったクリスマスツリーが、もうすでに売り切れていた。それで、苗木屋のプロ・ヴェージに行ってみた。クリスマスツリーとして数種類の木をたくさん販売していたけれど、私たちが思っていたような種類はなく、今年もまたちょっと感じの違うツリーを買うことになった。まあ、毎年違うのもそれはそれで楽しいかな?さすがに飾り付けは12月になってからするとして、とりあえず、家の中の所定の位置に置くことにした。
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2012年11月21日(水) | ||||
ニッケイ新聞2012年10月25日付けから「ブラジル文学に登場する日系人像を探る3=ギマランエス・ローザの「CIPANGO」=ノロエステ鉄道の日系人=中田みちよ」という6回の連載があったので、以下にそれらの記事へのリンクをはってみた。 この連載の第1回記事のサイトは、こちらへ。 この連載の第2回記事のサイトは、こちらへ。 この連載の第3回記事のサイトは、こちらへ。 この連載の第4回記事のサイトは、こちらへ。 この連載の第5回記事のサイトは、こちらへ。 この連載の第6回記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2012年11月22日(木) | ||||
火曜日の朝、食事の後で家事をしているとエドソンが「ヒナの鳴き声がする。巣から出てきちゃったのかなあ?」と言いながら、居間の横のドアのところから外を眺めていた。すると「ああ、やっぱり出てきてる!」と言って、玄関から飛び出して行ったので、私もカメラを持って後を追った。このチコチコの巣は庭に植えて2メートル以上に成長したクリスマスツリーの中間より上、私たちの腰と胸の間くらいの高さにあるのに、そこから落ちたのだろうか?地面に2羽のヒナが肩を寄せ合ってじっとしていた。先週巣の中にいたのを写真に撮った時よりも毛が生えてだいぶ大きくなってはいるものの、まだ外に出てきてしまっては生きては行けないヒナたちだ。
「まだ飛べないんだから出てきちゃだめだよ」と言うエドソンとふたりで1羽ずつ捕まえて巣に戻した。3羽いたはずなのに外に出ていたのは2羽だけ。もう1羽はどうしたのだろうと思ったら、もう1羽はおとなしく巣の中でエサを求めて大きな口を開けていた。お腹がすいて親鳥の帰りを待っていられなかったのだろうか?木から離れてベランダに戻り、巣のある木の方をしばらく見ていると、親鳥が2羽揃って巣に戻って来たので、やれやれひと安心。と思ったのもつかの間、洗濯物を干して家に戻ると、またヒナの声がするので外を見たら、1羽出てきてしまっていた。それでまたふたりで外に出てヒナを巣に戻した。どうやらこの写真の一番手前の子が3羽の中で一番元気なようで、じっとしていられないみたいだった。この子たちの脱走法をよく観察していると、巣は枝でしっかり隠れているので、そこから落ちたり飛び出したわけではなく、木の内部の枝を伝ってうまく地面まで下りてきているようだった。この後も3羽は親鳥がいない時に毎日何度も家出を繰り返し、その都度エドソンが巣に戻すイタチごっこを繰り返している。まだ飛べないのだし、自分でエサを獲ることもできないのだから、巣から離れてしまっては生きていけないのに、どうしてこの子たちは家出を繰り返すのだろう?今朝食事が終わって、エドソンがヒナたちの様子を見に行ったら、巣はからっぽ。1羽は木の足元で死んでおり、もう1羽は木の側にいたので巣に戻し、残りの1羽を探して庭中をうろうろうろ。その間親鳥が木の周りを飛び回っていた。ようやくリグストルンの木のところでヒナを発見。でも、巣に戻してもすぐに出てこようとする。この子たちがどうしても巣にじっとしていられないのなら、それがこの子たちの運命なのかもしれないし、厳しい自然界の掟というものがあるのだから、それはそれでしょうがないことかもしれないねと、エドソンと話している。でも、願わくば今日現在生き残っている2羽が巣立ちの時まで元気に育ちますように。
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2012年11月23日(金) | ||||
ハイビスカスガーデンの横に植えた葉物植物が、冬になり葉が枯れてすっかり消えてしまっていたところに、春になり何だか別物の花が咲き始めたと以前書いたけれど、11月になってその同じ場所に、以前と同じ葉物植物が芽を出し成長し始めた。う~ん・・・これって、2種類の異なる植物が同じ場所に生えているということなのだろうか?それともこのピンクの花は3年目にして初めて咲いたこの葉物植物の花なのだろうか?でも、この葉物植物は白い花を足元に咲かせていたんだけどなあ・・・不思議だなあ・・・次の写真は、ピンクの花が咲いているその同じ場所から以前と同様の葉が成長している写真。この後ろのもう1株の葉物植物は、いまだに枯れた茶色い茎が残っているだけで、ピンク色の花も咲いていなければ、緑の葉も出てきていない。
次の写真は、今年の秋、4月頃に撮ったもの。写真中央左側の2株の葉物植物は、葉だけで、ピンク色の花などは咲いていない。
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2012年11月24日(土) | ||||
実験的に育てていた枝豆の実が、小ぶりではあるもののだいぶ膨らんできたので、この火曜日に収穫してみた。まだ十分に実の膨らんでいない4~5個を残して、2本の木から収穫できたのは26個。早速塩茹でして試食。「ああ~、枝豆の味だあ~」ブラジルに来て初めていただく枝豆。おいしい。「自分たちの畑で獲れた枝豆だと思うと、尚一層おいしいね」とエドソン。本当にその通り。次の写真は、茹でる前の枝豆。
次の写真は、ハイビスカスガーデンの横で育てている2本のくちなしの花の1本。木はまだ地をはうように小さいけれど、今年はたくさん花を咲かせたのでびっくり。これだけ一度にたくさん花を咲かせると、側に行っただけでくちなしのいい香りが漂っている。ただ、もう1本は何故かまだ全然花を咲かせていない。
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2012年11月25日(日) | ||||
昨日は夜明け前から小雨が降ったり止んだり。午後少しお天気が回復しかけたけれど、夕方からまた降り出し、マリナラの結婚式は大丈夫だろうかと心配になった。式は5時半からということだったので、5時を少し回ってから家を出た。以前エディが所有していたシャカラの入り口近くに、現在の所有者がジャガイモを集積するために建てた大きな物置小屋のような屋根つきの建物が会場だった。これなら雨が降っても大丈夫だ。会場入り口で背広にネクタイで決めたエディが来客を迎えていた。エディと奥さんに挨拶をしてお祝いの品を渡してから、ふたりに並んでもらって写真を撮った。エディは自身の背広姿にテレながら、何ともうれしそうな顔をしている。
私たちは例によってモビを連れているので、会場の隅っこに陣取った。次の写真は、私たちのテーブルから中央にある入り口周辺にいる人たちを撮ったもの。
7時頃になってようやく式が始まった。次の写真は、エディがマリナラを連れてバージンロードを歩き始めたことろ。マリナラはお化粧のせいか、とても17歳には見えない。
バージンロードでは2回立ち止まってカメラマンの前で記念写真を撮っていたので、彼らが立ち止まったところを私もパチリ。エディの左奥に、黒いワンピースを着て腕を組んでいるエリカと、その左に黒いシャツを着たルーカス、右に同じように腕を組んでいるエリカのお母さんが見える。
会場の中央前部で、教会の神父さんではなく、市役所の法務官のような人が式を司ったのだけれど、なにしろ私たちのテーブルからだいぶ離れていたので、マイクを通じて音声は聞こえるものの、何が行われているのかあまりよく見えなかった。
式が終わり、記念撮影が始まったので、私も側まで行って新郎新婦の写真を撮らせてもらった。ちょうどいいシャッターチャンスに私の前にしゃがんでいた人がぬっと立ち上がったので、シャッターチャンスを逃してしまい、その人を避けて左に移動してから撮ったので、ふたりともこちらを見ていない。残念。
新郎新婦の写真を撮った後、側にいたエディの家族をパチリ。長女が嫁いだので3人家族になったと思いきや、奥さんは現在妊娠中なのだそうだ。寂しくなったらもうひとり子供をつくってもいいかなと言っていたのは冗談ではなかったんだ。
次の写真は、パドリーニョ(Padrinho)とマドリーニャ(Madrinha)のカップルの一組と記念写真を撮っている新郎新婦。 パドリーニョとマドリーニャというのは、英語のbest manとbridesmaidのようなもので、結婚式の証人となる人たちのこと。アメリカのようにお揃いのドレスやスーツではないけれど、男性はスーツ、女性はロングドレスで正装していた。この結婚式には20組以上のパドリーニョとマドリーニャがぞろぞろ行進したのでびっくり。
この式の間じゅう、私たちの足元に置いたベッドの中でずっと動かずにいい子にしていてくれたモビ。
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2012年11月26日(月) | ||||
ここではぎょうざの皮や、焼けばいいだけの冷凍のぎょうざなどは手に入らない。サンパウロのリベルダージの日本食料品店でも見かけたことがない。それためブラジルに来て以来ぎょうざを一度も食べていない。手作り豆腐の出来に気を良くして、ぎょうざの皮を手作りしてみることにした。次の写真は、何とか作ってみたぎょうざの皮。丸く伸ばすのは結構難しく、どうしてもきれいに丸くならない。作ったものはラップの上に乗せてお互いにくっつかないようにした。
皮を作って、中に入れるたねを作り、いざたねを皮で包む時になり、はたと困った。日本にいる時はほとんど冷凍物ですませていて、自分でたねを皮で包むなんてこと2~3度しかしたことがないから、うまく包めない。しかも、私の作った皮は薄くてふにゃふにゃしていて、市販の皮のようにしっかりしていないので、さらに難しい。結局、見た目はぎょうざだか何だかよくわからないものができた。皮を薄く伸ばしすぎたので、焼いている時にも皮が破れたりとさんざん。それでもエドソンは、ブラジルに来て初めてのぎょうざ作りに私が挑戦したことを喜んでくれ、その変な見かけに笑いながらも「うん。ぎょうざの味だ。おいしい」と言って食べてくれた。中のたねはニラがないので、コウヴィとアルメイラオンを千切りにしてにんにくとタマネギで炒めたものの残りを、キャベツの千切りと挽き肉とネギと混ぜて作った。次の写真は、作った22個の内、約半分を夕食で食べ、残りはタッパーに入れて冷蔵庫に保存したもの。
とてもぎょうざとは言えないような笑っちゃう写真を掲載したので、目の保養のために、3~4日前のきれいな夕暮れ空の写真も以下に掲載してみる。
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2012年11月27日(火) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2012年11月9日付け「コラム 樹海」からの転載。記事の中のパダリアというのはパン屋のことで、バールはバーのこと。ただ、バーと言っても日本のバーを想像するとイメージがずいぶん違う。ブラジルのバーはアルコールが飲めるランショネッチ(軽食堂)のようなところで、フカフカのソファーもなければ、お酌をしてくれるホステスさんもいない。 『ブラジリアは最もブラジルらしく、同時に最もブラジルらしくない町だ。「ブラジルらしい」のはその歴史が示すとおり、独立以来の壮大な歴史ロマンに彩られた都市であり、JKに代表されるロマン主義的な野望が凝縮されているからだ▼「らしくない」のは、通常の街路名は人名、重要な出来事の日付などだが、首都ではアルファベットと数字の組み合わせになっている点だ。普通は交差点には信号だが、計画都市たる首都は広々した道路を最初から作り、極力信号を排してロータリーを作っている点もそうだ▼同様に、普通は繁華街と居住区が渾然一体となっているが、首都は官庁区、ホテル区、大使館区、商業区、居住区と別々に集められている点も異なっている。その結果、〃無機的〃とも言ってもいいような整然とした町並みとなり、パダリアもバールもない不便さを伴う町になった▼行政機構も違う。連邦直轄区には市長も市議もいない。知事は選挙で選ばれるが、「市」の運営は知事から指名・委託された行政官が当る▼遷都発表直後の57年頃は、リオや聖州の既存勢力から強力な反対論が湧き上がったという。既得権益と地理の結びつきの深さを思えば当然だ。当時の国家予算は遷都に集中したため、あちこちにヒズミが生じた▼例えば、アマゾン開発庁はアマゾン河下流にグアマ連邦移住地建設を55年から開始した。日本移民125家族も57年から入植を開始していたが、遷都発表以降、移住地に必要な基本設備を作る資金が回らず、悲惨な状況に陥った。夢のような遷都の裏で泣かされた日本移民がいたことは明記しておかねばなるまい。(深)』 | ||||
2012年11月28日(水) | ||||
昨日はモビの治療で、ボトゥカトゥの大学病院にいつも通りに行ってきた。でも血液検査の結果がボーダーラインで少々良くなかったため抗ガン剤治療は行われなかった。そのため早く病院を出ることができたので、パオン・ジ・アスーカー、プロ・ヴェージ、カコとハシゴをして買い物をしてから戻っても12時半頃には帰宅することができた。今月に入って、黄色いミニトマトは1日か2日おきに2つ3つと採れるのだけれど、赤いミニトマトはなかなか色づかないなあと思っていたら、昨日の夕方、エドソンがたくさん赤いミニトマトを収穫してきてくれた。黄色いミニトマトを採っていたら、葉っぱの陰に赤いミニトマトがあるのを見つけ、他にも隠れているのかなと探したら、色づいているものが結構あったようだった。次の写真は、エドソンが収穫してきてくれたミニトマト。インゲンと黄色いミニトマトを和えた1品に、この赤いミニトマトも少し混ぜて、早速いただいた。
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2012年11月29日(木) | ||||
火曜日に苗木屋のプロ・ヴェージに行った際、青紫色の花を咲かせるジャカランダの苗があったので、その苗木を2本と、その他ジャンボラオンという生垣にするといいとタケイシさんが言っていた苗木など数本を買って帰った。ジャカランダの葉は、フランボヤンやここのランドマークツリーの葉と同じような感じでひとつひとつが小さい。ブラジルの木は大木が多いのに、葉は小さくデリケートなものが多いというのはおもしろいなと思う。次の写真は、今週末ジョゼに植えてもらうまでの間、取りあえず野菜畑に置いたジャカランダの苗木の葉の部分を撮ってみた。2枚目は物干場の近くにあるフランボヤンの木。葉を比較するために撮ってみた。
また、プロ・ヴェージ にかわいい小さなサボテンの鉢植えがあったので、1つ買って帰り、ダイニングルームの棚に飾った。そして、カコではレタスとルッコラの苗を買ったので、昨日の朝、朝食の後でエドソンとふたりで畑に出て、とうが立ってもう食べられないレタスや収穫の終わったカリフラワーなどを引き抜いて、新しいレタスとルッコラの苗を植えた。次の写真は、買って帰ったサボテンの鉢植え。小さな花が咲いている。
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2012年11月30日(金) | ||||
水曜日のお昼前、エドソンがお散歩から戻り、「ベージョ・フロー(ハチドリ=hummingbird)の赤ちゃんが1羽生まれてたよ」と教えてくれたので、昨日の朝、写真を撮りに行ってみた。巣は胸の高さにあり小さな巣の中がよく見えないので、背伸びをして何とか巣の上からのアングルで撮ってみた。まだ孵化していない卵がひとつと、左側に黒いヒナが見える。この黒いヒナの右側に薄茶色の丸いものが見えるのだけれど、これもヒナだろうか?確か卵は3つあったので、2つが孵化して、1つはまだ孵化していないと考えるのが自然だろうか?でも色がちょっと違うのはどうしてだろう?
例の家出を繰り替えしていたチコチコのヒナたちは、生き残っていた2羽も巣から消えてしまった。でも、その後1羽が野菜畑で暮らしているところを発見。とても逃げ足が速くなっていた。昨日は、物干場の近くに積んだ廃材の上に止まっていたり、シュハスコ小屋の屋根の上に止まっていたりと、遠くに行かず家の周りで過ごしているようだった。まだ尻尾が完全に成長していないので、親鳥のように長距離を飛ぶことはできないようだけれど、少し高い所を目指してジャンプしたり、短距離を飛んだりすることはできるようになっているようだった。
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