Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2012年4月1日(日) | ||||
前回うちの草刈りの手伝いに来てくれたのは若い人だったけれど、今回の人はちょっと中年の人で、この人も作業のスピードが早く、とても真面目に働く人だった。昼食休憩を1時間取っただけで、朝の7時半から夕方5時まで休みなく働いてくれ、ずいぶん広い範囲の草刈りが完了した上、木曜日に買ってきておいたカエデの苗木10本も植えてくれた。しかも、これから毎週土曜日に手伝ってくれることになり、感謝感激。もちろん日当は払うのだけれど、それに見合う仕事を真面目にしてくれる人を見つけるのはそんなに簡単なことではないので、紹介してくれたエリゼウにも感謝。感謝。次の写真は右側のリグストルンの足元の両側の草が取り除かれた様子。左側のグレヴィーリャの足元の草も丸く取り除かれているのだけれど、近くまで行かないと、写真ではよくわからない。
今日は、エリカたちが帰るので、6時半に起床。朝食前に、持って帰る苗木などを車に積み込んだ後、食事をして、8時にパラカンビに向け出発した。今日午前中、パーディニョの教会横で魚のマーケットが開かれるとライラから教えてもらっていたので、私たちもエリカたちと一緒に家を出て、行ってみたのだけれど、簡易のテントがひとつ置かれているだけで、マーケットはまだ開いておらず、いつ開くかわからないようなので、待たずに帰ることにした。パーディニョのイベントが時間通りに始まることってあるのかなあ・・・?帰宅後、私は掃除、洗濯、車の掃除などに精を出し、エドソンは、エリカがボトゥカトゥで買ってきてくれたセドリーニョ3本を植えたり、庭の芝生や木に水をやる作業をしてくれた。昨日、今日で植えたカエデとセドリーニョを合計すると、総植林数は610本になった。次の写真は、今日現在の家の東側の状態。先週3日間でレンガの壁が立ち上がってきた。
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2012年4月2日(月) | ||||
ダイニングルームの窓際で育てているとうがらしにたくさん白い花が咲き、その後しばらくして緑色のとうがらしが2つ現われ、そしてつい最近、その緑色が赤くなっていることに気づいた。すると昨日、エドソンが古くてしなびたとうがらしを収穫したから食べようと言うので、一瞬、「これを丸ごと食べるの?」と思ってしまい、我ながら笑ってしまった。そう言えば、時々私は赤唐辛子をハサミで切ってお料理に入れて使ってました。次の写真は、エドソンが収穫して、テーブルの上に並べたとうがらし。
次の写真は、古いとうがらしのほとんどを収穫した後のとうがらしの鉢植え。左側のつるつるのとうがらし2つが新しくなったもの。
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2012年4月3日(火) | ||||
今日は、モビの7回目の治療で、またいつものように大学病院に行ってきた。今朝は霧が深く、フォグランプをつけてしばらく安全走行をしなければならなかった。でも8時前には大学病院に到着。受付を済ませた後、今回は外科に行く前に、内科の手前にある小さな部屋で問診と採血が行われた。何でも再診の患者を早くさばくためにシステムを少し変えたらしい。でも、今の時期、インターンの人たちが入れ替わる時で、まだ新しいインターンの人たちが来ていないため人手不足らしく、この新しいシステムはいまいちうまく機能していないようだった。外科も人手不足のところにもってきて救急の患者があったりして、血液検査の結果が出てからも、治療までずいぶん待たされたけれど、何とか12時には病院を出ることができた。 この後、ボトゥカトゥの中心部にある日系の人がやっているサイトウ・オートサービスという自動車修理工場に行き、エドソンが擦ってちょっと傷つけた車のバンパーなどの修理にかかる日数と料金を確認した。そしてエドソンがパウロから頼まれたもう1件の用事を済ませてから、1時半過ぎに帰宅。エドソンはその足で仕事に出て行った。私とモビは軽くお昼を食べてから、エドソンには申し訳ないけれど、お昼寝。これまで数日間の疲れがたまっていたようで、バタンキューと1時間ほど横になり、少し体が楽になった。モビも今日は治療が長引き、トイレを長い間我慢しなければならなかったり、点滴治療中に少し液と血液が管から漏れたり、針を抜いた後出血がしばらく止まらなかったりといろいろあって、疲れたようだった。次の写真は、夕方エドソンが帰宅した後、玄関マットの上で私たちを見ているモビ。右前脚のガーゼとテープは、出血がしばらく止まらなかったので、止血のためにドクターがしてくれたもの。
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2012年4月4日(水) | ||||
今朝は洗濯物を干した後、また庭で草取り作業や水やり作業をした。先週の土曜日に手伝いに来てくれたジョゼが、リグストルンの左右両側の草を刈ってくれ、そのままになっていた草を少し取り除いたり、桜の木の側のまだ草が刈られていない部分の草刈りをした。草に埋もれていた小さなセドリーニョが3本姿を現した。このセドリーニョ、植えた時は10センチくらいの小さくて元気のない苗木だったけれど、今では30~40センチに成長している。明日はセドリーニョと桜の間に一筋残っている部分の草刈りをしなくては・・・
うちの洗濯機の容量は7キロと、あまり大きくないので、大物を洗う場合は何度かに分けて洗わなければならない。それで来客用の寝室のベッドシーツやバスタオルなどを、月曜日から少しずつ洗い、今日ようやくすべての洗濯が終わったので、午後からシーツと枕カバーにアイロンをかけて、ベッドメーキングを完了した。ああ、今日もよく働いた。満足。満足。 | ||||
2012年4月5日(木) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2012年3月24日付け日系社会ニュース「大耳小耳」からの転載。 『伯国で人気の飲料・マテ茶。「レタスの約25倍の食物繊維とカルシウム」「肉食べたらマテ!」と健康志向の日本らしい謳い文句を掲げ、日本コカ・コーラが『太陽のマテ茶』として新発売した。これまでの茶製品には珍しく陽気さを前面に押し出し、食に遊びに前向きな、南米らしいライフスタイルと応援する飲料とか。 | ||||
2012年4月6日(金) | ||||
今日は、キリスト教で「聖金曜日」とか「受難日」と呼ばれる日で、復活祭(パスコア、páscoa)の日曜日の前の金曜日、キリストの受難と十字架の死を記念する日。英語ではGood Friday、ポルトガル語ではパイシャオン(paixão)と呼ばれ、ブラジルでは祝日なので、今週末は三連休。 毎週土曜日にここの手伝いに来てくれることになったジョゼは、今日はドナ・ベティのところの仕事がお休みなので、ここで仕事をしたいということで、今日も手伝いに来てもらうことになった。先週は、朝7時に迎えに行き、7時半前から仕事を始めてもらったのだけれど、今後は7時には仕事を始めたいから6時半に迎えに来てほしいということで、エドソンは6時に起きて彼を迎えに行った。彼への支払いは時間給ではなく、日当なので、仕事を開始する時間を早めて労働時間が長くなっても支払う金額は変わらないのだけれど、真面目な人なんだなと思う。エドソンがジョゼを迎えに行っている間、私はモビとお散歩をし、朝食の仕度をする。そして、エドソンが帰宅してシャワーを浴びてから、朝食。次の写真は、昼食休憩のため桜の木の下に腰をおろしたジョゼ。先週のようにベランダのイスに腰かけてお昼を食べればいいのにとエドソンが言うと、ここの方が風が通って涼しくていいからと言っていたけれど、ちょっと遠慮しているんじゃないかな?
午前中、洗濯物を干し終わった後、私はダイニングルームの下、外階段の横のソテツを植えただけのスペースに、先週エリカがここに来ている時にプロ・ヴェージで買って来ておいた複数の植物を植え、花壇作りをした。雨樋がまだ出来ていないので、屋根から落ちる雨水による土の侵食を防ぐために、いまだに地面にビニールシートと重石の板が敷いてあって(写真手前側)、きれいな花壇が完成したとは言い難いけれど、まあぼちぼちきれいにして行ければと思っている。お昼頃ダイニングルームの窓からこの花壇の写真を撮ってみた。
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2012年4月7日(土) | ||||
昨日、朝一番のモビとのお散歩に出たら、下の森でマナカの花が咲いているのに気づいた。一昨日まで花など咲いていなかったと思うのだけれど、突然たくさんの花を咲かせているので驚いた。エドソンも同じく昨日気づいたのだけれど、それまでは咲いていなかったように思うと言っていた。この花は秋から冬にかけて咲く花で、一つの木にピンク色と白の2色の花を咲かせるのが特徴。
同じく昨日の午後、エドソンがガレージの前でトンカチ、大工仕事をやっていたので、何をしているのだろうと思ったら、家の東側の桜の足元に先週植えたアモー・アガハジーニョを、別の場所に植え直すために、つる性のアモー・アガハジーニョが上に向かって成長できるように支柱を作っていたのだった。最初は桜の木に這わせようと思ったらしいのだけれど、私が異議を唱えたら、再度インターネット上で調べて、木に這わせるのはどちらにとっても良くないらしいということがわかり、支柱を作って植え直すことにしたのだそうだ。
この家の東側のスペースは、家の東の側面がまだ工事中ということもあって、柵沿いにグレヴィーリャとセドリーニョを植え、真ん中に桜の木を1本植え、桜の足元にアメンドインを植えただけで、特に、庭作りをしていなかったのだけれど、先週末エドソンが、洗濯物の物干し沿いにコロア・デ・クリスト(Coroa de Cristo、キリストの冠)という名前のトゲがあり、赤い花が咲く植物を7本植え、アモー・アガハジーニョを1株植えた。これには理由があって、今工事中の家の東の側面スペースに、ミツバチのジャタイの巣を移動させる予定なので、ここをジャタイの餌場にするべく、ジャタイにとって必要な花の蜜、花粉、樹脂の3つすべてが得られ、ジャタイがとても好み、1年を通して花が咲く、コロア・デ・クリストとアモー・アガハジーニョを植えることにしたという。ジャタイの飛行距離は約300メートルということなので、餌場が巣のすぐ側でなくてもいいのだけれど、近いほどいいということで、このスペースをジャタイのために利用することにしたのだそうだ。
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2012年4月8日(日) | ||||
昨日は私の父の一周忌法要の日だった。亡くなってもう1年か、速いなあ・・・と思いながら、父を偲んだ。今の時期、エドソンが長期に仕事を休めないのと、モビの治療が続いていることなどもあり、「無理して帰ってこなくても、帰れる時にゆとりを持って帰ってきて、お母さんと過ごすことを主目的にした方がいい」という兄の言葉に甘え、一周忌法要への出席は見合わせた。兄によると、母は1月に私が帰り、毎日会いに行っていたことをはっきりとは記憶していないらしいのだけれど、私の顔を見て生きる気力を回復した状態は今も変わっておらず、心身ともに安定して過ごしているという。最近とても元気なので、一周忌法要には連れて帰ることにしていたのだけれど、直前に少し風邪をひいて、老人ホームの主治医が大事をとって外出させないほうがいいというので、残念ながら外出は断念したということだった。でも、横浜から娘の心春ちゃんを連れて帰ってきた真也が、心春ちゃんと一緒に母を見舞ってくれたのはとてもありがたいことだった。写真を見る限り、顔色も良く、表情も以前と変わらず、うれしそうにしているので、少し安心した。
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2012年4月9日(月) | ||||
この辺には様々な野草が花をつけているのだけれど、その中に次の写真の、朝顔のような小さなつる性の植物もよく見かける。花の直径は2センチ足らずと、とても小さいので、見逃してしまいそうなほどひっそりと咲いている。ただつるは朝顔のつるよりもずっと太くてしっかりしていて、手で引っ張っても簡単には折れない。
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2012年4月10日(火) | ||||
以下は、ニッケイ新聞2012年3月28日付け「コラム 樹海」からの転載。これもブラジル社会の負の現実。 『18日のグローボ局人気番組『ファンタスチコ』が告発したリオの大学病院に群がる不正取引業者を赤裸々に告発したニュース映像には驚いた。業者が入札担当の病院職員に、不正取引を申し込む様は実に堂々としたもので、場数を踏んだその道の〃腕利き〃であると感じた ▼200万レアル以上の取引で15~20%が賄賂としてその職員に戻されるやり口であり、その業者は「ウイスキーとかワインの箱に入れて持っていくよ」と 楽しげに説明した。ちょっと見てもお金だと分からないぐらいの量の札束なわけだ。しかも「ドル、ユーロ、どんな通貨でも払うよ。円でも」と豪快に笑い飛ばす様はまさに異様だった▼極めつけは、同番組の記者が正体を明かして業者が所属する本社に確認に行った時、不正取引を申し込んだ本人が「自分は絶対に関与していない」ときっぱり明言した姿だった。この社会でウソをつくことは「普通のこと」なのだと痛感させられた▼公共資金の一部を発注元に還流させる不正取引は政界でも多いと聞く。不正取引で問題なのは、「悪貨は良貨を駆逐する」そのままに真面目な業者が排除され、悪徳業者ばかりがのさばることだ。政界もしかり。不正蓄財する政治家ばかりが選挙で勝つようになれば…▼日本文化が持つ勤勉や真面目さ、商業道徳がひ弱だと思うのは、不正が横行する弱肉強食の社会に対して的確な対抗方法を持たないことだ。そんな社会において、頭角を現せるような日本的な行動規範はないものか▼日系政治家には「まずは泥水を飲んででものし上がり、その上で政界の腐敗した根を絶つ」ような気概を持って欲しい。(深)』 | ||||
2012年4月11日(水) | ||||
昨日、Google+にハリー・ポッターのダンブルドア校長の台詞らしい一文が載っていた。いわく、*Dumbledore Got it Right*「Happiness can be found even in the darkest of times if one only remembers to turn on the light . 」明かりを灯すことを忘れさえしなければ、真っ暗闇の中でも幸せはみつかるというような意味だけれど、なかなかいい言葉だと思った。 今日は、午後から久しぶりにエディナの美容室でカットとカラーをしてもらった。前回は日本に一時帰国する前の1月上旬だったので、3ヶ月ぶり。最近はお昼休みにエドソンが戻ってきて、一緒にお昼を食べてから、1時に私を美容室に送り届けてくれ、私のカットとカラーが終わると、徒歩でエドソンのオフィスに行き、彼の仕事が終わる5時までスーパーに買い物に行ったりして時間を潰し、一緒に帰宅するという段取りが、まずはうまく機能している。でも、今日は明日の朝来るはずだったSKYTV(衛星放送)の人が4時頃来ることになったため、急いで買い物をし、スーパーの前でエドソンに拾ってもらって帰宅。エドソンがテレビをハイデフィニション(HD)にアップグレードする手続きをしたため、ボトゥカトゥの代理店の人が来て、これまでの装置からHDの装置に切り替える作業をしてくれた。でも、SKYTV内部の混乱でこの作業がキャンセルされたことになっているという連絡が代理店からあり、うちの契約内容を確認して、間違いを修正してもらうためにSKYTVに電話をかけ続けること1時間以上、ようやく間違いを正してもらったのだけれど、何故かグロボとNHKだけが視聴できない。どうしてこんな基本的なことがすんなり行かないのか?それがブラジルと言ってしまえばそれまでだけれど、何とかならないものかなあ・・・ | ||||
2012年4月12日(木) | ||||
昨日SKYTVのことですったもんだして、やれやれと大きなため息をついたばかりのところ、今朝、ニッケイ新聞2012年3月30日付け「コラム 樹海」に、似たようなため息まじりの記事があり、ちょっと「同病相憐れむ」という感じがしておかしかった。 『拙宅アパートは聖市グロリア街にあるが、今週は2晩続けて5、6時間ずつ停電して往生した。仮にもセントロの 一角であり、病院や商店、レストランもある街路なのにこのザマ…と出るのはため息ばかり▼停電の時、驚くほど役に立ったのが、家内が今年初めに日本から持ってきた災害用品だった。日本では開店祝いのプレゼントとしてタダで配っていたという「手回し発電ラジオ」は、50回ほどハンドルをクルクルやれば30分ほどもラジオが聴け、ライトまで点く。電池の心配をせずにラジオと明りが使えるのは実にありがたい▼冷たいシャワーを浴びながら、「日本ではいざという時にしか使わない災害用品だが、ここでは日用品になる」としみじみ感じた。大震災の経験を昇華し、洗練された日本の各種防災用品を当地で販売すれば、きっと歓迎される。聖市はもちろん、地方のインフラが脆弱な地域では、それこそ「必需品」と喜ばれること請け合いだ▼インターネットも頻繁に止まる。昨年開所式をしたばかりのメトロ4号線も毎月故障して止まる。昨日はCPTMのフランシスコ・モラット駅で電車が止まっただけで暴動にまで発展した。サッカーチー ムの応援団が殺し合いを演じた上、殺した相手の顔写真をサイトに掲げて「ミッソン・コンプリーダ(使命達成)」と大書きする。こんな状態で、どうして国際的大イベントを誘致しようと思うのか▼基本的な生活インフラすら整っていないのに、高速鉄道や原子力発電所、宇宙ロケット開発などは本当に必要なのか。パ ンタナル(湿原)に高層ビルは建たない。高度経済成長を望むなら、まずは基礎固めを。(深)』 | ||||
2012年4月13日(金) | ||||
先月末、デニウソンがパラカンビのファームからバナナやアバカチ(abacate、アヴォカド)などをたくさん持ってきてくれたので、以後、バナナをフライにしたりバナナブレッドを作ったり、毎晩のようにアバカチをサラダにしたりそのまま食べたりしている。それなのに、先日エドソンに果物を買ってきてと頼んだら、マンゴーやパパイアと一緒にアバカチを買って来たので、「アバカチはたくさんあるのに・・・それにアバカチって果物?」と言うと、「ああ、そうだった?忘れてた。まあいいじゃない、毎日食べれば・・・レモンの絞り汁と砂糖を振りかけて食べれば果物でしょう」という返事。朝食用の果物という感じではないけれど、夕食時にアバカチにお醤油をかけて、おさしみのようにして食べる方法でも、エドソンはおいしいと言ってパクパク食べてくれるのだから、まあいいか・・・。それで思い出したのだけれど、パラカンビのファームの家で最初にアバカチを見た時、日本で見るアヴォカドよりも少し大きくて、皮が薄くつるつるしていて緑色だったので、ずいぶん違うなと思ったのだけれど、ここのスーパーでエドソンが買ってくるアバカチはさらに大きくて、緑のパパイアみたい。次の写真は、左側がよく熟れて緑色の皮が茶色に変色しているパラカンビのアバカチで、右側はここのスーパーでエドソンがよく買ってくるアバカチ。
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2012年4月14日(土) | ||||
今日は午前中、エドソンがボトゥカトゥでアマチュア無線の試験を受けるため、忙しい1日になった。まず、朝5時50分にセットした目覚ましで起きて、シャワーを浴びてからジョゼを迎えに行き、今日してもらう仕事の指示をしてから朝食。そして、7時15分には出かけて行った。エドソンはアメリカで暮らしていた時に、最上級のアマチュア無線のライセンスを取得しているので、日本ではそれを日本の最上級のライセンスに切り替えることができたのだけれど、ブラジルではそれができないらしく、ブラジルでの試験を受けて、今持っているライセンスよりもワンランク上のライセンスを別途取得しなければならないのだそうだ。 そして、今日は、アチバイアからデマーコとシオックが泊まりがけで遊びに来る予定だったのだけれど、1泊の予定が日帰りになり、正午頃の到着予定が午後2時頃の予定になりと、どんどん予定が変わり戸惑った。はるばる長時間のドライブ(片道約2時間半から3時間)でやって来るのに、滞在がほんの数時間ではただ疲れに来るようなものではないかと心配した。正午過ぎにエドソンが帰宅し、スープとパンで簡単に昼食を済ませ、ふたりの到着を待った。1時過ぎに予定より早くふたりが到着。午後9時頃までいられるということで少しほっとする。次の写真は、ふたりがお土産に持ってきてくれたランの鉢植え。早速、居間に飾ってみた。
ふたりにも軽くスープとパンの昼食で一息入れてもらってから、みんなで庭を散策したり、ベランダのイスに腰を下ろして景色を眺めながらおしゃべりをしたりと、のんびりと過ごしてもらった。2ヶ月程前に、サンパウロに住むデマーコのお母さん(92歳)が転んで足を骨折し、1ヶ月の入院を経た後、彼らの家で現在療養しているので、日々の生活が180度変わったようだった。ふたりとも働いているので、昼間は介護の人にお母さんの世話をしてもらい、夜は彼らが世話をするという生活で、たまには息抜きが必要だから、ここに来るのを楽しみにしていたということだった。洋の東西を問わず、老親の介護は大変だなあとつくづく思う。たくさんおしゃべりをして、ゆっくりと夕食を食べて、午後9時前にアチバイアに向け帰って行った。私たちにとって彼らは数少ないとても親しい友人なので、楽しいひとときを過ごしたけれど、彼らにとっても少しは気分転換になったのならいいのだけれど・・・
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2012年4月15日(日) | ||||
今日はお天気が崩れる予報だったのに、1日いいお天気になった。朝食の後、ふたりでベランダのイスに座ってしばらく景色を眺めて過ごした。午前中のベランダは涼しくとても気持ちがいい。特に今日は空気が澄み渡り、青空が広がっていたので格別だった。モビも私たちの足元でゴロンと横になって過ごした。時々私が花に水をやったり、オクラを収穫したりと、イスから離れると、彼も起き上がって来て歩き回ったりしていた。そして、ひとりでハイビスカスガーデンをうろうろした後ベランダに戻ってきたら、鼻の横にハイビスカスの黄色い花粉をたくさんつけていたので、おかしくて証拠写真を撮ってみた。こんなふうにモビはいつも私たちを笑わせてくれる。
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2012年4月16日(月) | ||||
ニッケイ新聞に2012年3月20日から連載されていた「座談会=ブラジル文化形成を語ろう=旧宗主国と外国移民の役割」という11回連載の記事が、ようやく全部読めるようになったので、以下にリンクをはってみる。私はどの記事もとても興味深く読んだ。 『私達が住む「ブラジル」が現在のような多文化が入りまじった形になったのは、どのような経緯からか。移民はその文化形成にどんな役割を果たしているのか。 そして、ブラジル文化は世界にどのような影響を与えているのか。座談会はこれらをテーマにして、ブラジル文化に詳しい岸和田仁さん(ひとし)、ポルトガル に駐在歴のある小林雅彦さん、モザンビークに3年いた中山雄亮さんの3人に参加してもらい、深沢正雪編集長が司会をして1月31日にニッケイ新聞社内で行なわれた。ポルトガルのポ語と違いについての興味深い指摘から、イタリア移民が及ぼした食やノベーラへの影響、さらにアフリカのポルトガル語圏諸国の文化についてまで縦横無尽に話題は展開した。ここでは各人の役職とはいっさい関係なく、個人的な意見や体験、思いをざっくばらんに語ってもらった。(編集部) 第1回=原点はインディオ、ポルトガル、黒人 第2回=独自性模索した20世紀初め 第3回=北東伯から南に拓けていった歴史 第4回=閉鎖的なポルトガル人と社交的なブラジル人 第5回=似て非なるポルトガル語 第6回=古いポ語から独自に発展したブラジル語 第7回=外国移民の影響強いブラジル語 第8回=イタリア移民が多いのに、なぜ麺はアルデンテでないのか 第9回=労働運動を持ち込んだイタリア移民 第10回=「ラテン系アフリカ人」とは 第11回=歴史的に深いつながりあるアフリカ』 この連載記事のサイトは、こちらへ。 | ||||
2012年4月17日(火) | ||||
昨日は、モビの8回目の治療でボトゥカトゥの大学病院にいつも通りのスケジュールで行ってきた。動物病院なので、受付でも外科でも、犬や猫がたくさんいるのは当たり前。でも、みんな飼い主の側でおとなしくしていて、ワンワン吠えて騒々しいということはないのだけれど、昨日は、プードルの患者犬が3匹くらい来ていて、その内の1匹が訳もなくワンワンと吠えるため、他のプードルもそれにつられて吠え、受付はすごくうるさい状態で、ちょっとうんざりした。幸いこのプードルは外科には来なかったので、外科で待っている間もうるさいということがなくて良かった。この犬が特別しつけが悪いのか?それともプードルという犬種がもともとこういう性格なのか?飼い主の言うことを全く聞かない。見ていてやれやれと思った。でもモビを含めほとんどの犬は、このプードルが吠えたてていても、我関せずで、おとなしくしていた。そう言えば妹のエリカが飼っているプードルのニナもよくうるさく吠えるから、やはりプードルという犬種なのかな?と思った。 日曜日の夕方、西の空に少し雲があったので、きれいな夕焼けが見られるかな?と思ったのだけれど、思った程空が赤くならず、ちょっとがっかり。でも、一応写真を撮ってみた。夏が終わり、秋になり、日の出、日の入りの位置がだいぶ北寄りになってきた。
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2012年4月18日(水) | ||||
昨日は不思議なことが起こった。朝、洗濯物を干した後、庭で鉢植えに水をやったり、オクラを収穫したり、ハイビスカスの足元の枝を払ったりしたのだけれど、右手に花バサミを持って、左手で切り落としたハイビスカスの枝や草を取っていたところまでは確かな記憶がある。そして次に、その枝や草をハイビスカスガーデンの側に置いておいたバケツに入れているとき、モビが桜の木の側の建築資材に被せてある黒いビニールシートに体を半分入れて潜り込もうとしていたので、急いでモビのところに行って、完全にビニールシートの中に潜り込んでしまったモビを叱って引っ張り出し、ベランダに抱っこして連れて行き、紐を取ってきてベランダのレールにつないだ。そして、仕事に戻ると、花バサミがないことに気づいた。ハイビスカスの枝打ちをした後、どのようにバケツのところに行ったのかという記憶がまったく欠落していて、バケツに枝を入れているとき手にハサミを持っていたのか、その前にどこかに置いたのか全然思い出せない。何も考えずに行動して、ハサミをどこかに置き忘れることはあり得るので、そこまではまあいいとして、どこを探しても花バサミが見つからない。ハイビスカスガーデンとその周辺、そこからさらにビニールシートのところ、バケツの中、そして家の中と、隈なく探してもない。どうして???エドソンが帰宅後、さらに探してくれたのだけれど、やはりない。キツネにつままれたようだった。日本にいたときから使っていた使い易い花バサミだったので、ちょっと落ち込んだ。 次の写真は、今朝のモビ。私が洗面所と寝室を行ったり来たりしていたら、台所のベッドから出てきて、カーテンのところでちょっと顔を出して「何してるの?」とでも言うように、私を見ていたので、写真に撮った。
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2012年4月19日(木) | ||||
エディたちは先月半ばからここでの仕事を再開してくれたものの、週に1日か2日しか来てくれないので、作業の進展は相変わらずとても遅い。でも、家の東側のスペースのレンガが積み上がり、柱の部分にコンクリートが入り、レンガの壁にコンクリートが塗られ、少しずつ前進はしている。次の写真を、4月1日にアップした写真と比べてもらうと違いがよくわかる。
そして、昨日はシュハスコ小屋の横の、野菜畑にするスペースの真ん中に柱が立てられた。このコンクリートの柱はずっと桜の木の側に横たえられていたので、まだレンガや木材が少し積み上がってはいるものの、これでようやく桜の木の周りも少しすっきりしてきた。
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2012年4月20日(金) | ||||
今日は、うれしい驚きがふたつ。まずひとつ目は、外階段横の花壇に植えた色鮮やかな葉物植物に花が咲いているのを発見。この植物は葉の色が濃い赤、薄ピンク、緑色と3種類あって、これらの葉の色を楽しむ葉物植物だと思っていたので、花が咲くとは思っていなかった。そうしたら濃い赤の葉のものには紫色のような花が、薄ピンクには薄ピンクの花が、緑色には白い花が咲いていた。とても小さな花だけれど、確かに花が咲いている。
ふたつ目の驚きは、消えた花バサミが見つかったこと。「さっきまで使っていたハサミが突然消えるなんてことあるはずない。きっとどこかにあるはずだ」と言って、一昨日だけでなく、昨日もエドソンは仕事から戻ると、しつこく探し回ってくれ、まだ埋めていないハイビスカスガーデンとレンガの間の隙間も棒を使って隈なく探してくれたのだけれど、やはり見つからなかった。「もういいわよ。必死で探している時は見つからず、忘れた頃に見つかったりするんじゃないかなあ?」と今朝、エドソンと話したばかりだった。そして、今朝もいつものように私は庭仕事をしたのだけれど、作業の途中でふとこの隙間の端のカーブしている部分に目をやると、そこに花バサミがあるではないか。こんなにわかり易いところにあるなんて・・・しかもここもちゃんと探したのに・・・まあ、失くした物が見つかる時というのは、こんなものなのかもしれない。とにかく愛用の花バサミが見つかり、感謝、感謝。 | ||||
2012年4月21日(土) | ||||
先日、Google+で「Beauty of Math !」というおもしろい記載があったので、ちょっと長いのだけれど、ここにコピーしてみることにした。後半のアルファベットを数字に置き換える部分は、英語でのみ成立することなので、ちょっとこじつけのような感じで???だけれど、前半はまぎれもなく「数学の美しさ」を物語っていて、小川洋子さんの小説、「博士の愛した数式」や、藤原正彦さんの「心は孤独な数学者(だったかな?)」のことを思い出した。
1 x 8 + 1 = 9
1 x 9 + 2 = 11
9 x 9 + 7 = 88
Brilliant, isn’t it?
1 x 1 = 1
Now, take a look at this…
101%
What Equals 100%? What does it mean to give MORE than 100%? Ever wonder about those people who say they are giving more than 100%? We have all been in situations where someone wants you to GIVE OVER 100%.
How about ACHIEVING 101%? What equals 100% in life?
Here’s a little mathematical formula that might help answer these questions:
If:
If:
And:
But:
THEN, look how far the love of God will take you:
Therefore, one can conclude with mathematical certainty that: *While Hard Work and Knowledge will get you close, and Attitude will get you there, It’s the Love of God that will put you over the top!* ( : | ||||
2012年4月22日(日) | ||||
金曜日の午後から雨が降り出し、その後ずっと降ったり止んだりのお天気が続いている。今日の午後になりようやく太陽がほんの少し顔を出したけれど、空は相変わらず灰色の雲に被われている。今日の外の気温は17度。室内は20度以上あるのに、何だかちょっと肌寒いので、エドソンは半ズボンを冬用のフリースの長ズボンに替え、半袖のTシャツの上から長袖のシャツを着込んでいる。私は厚手の靴下をはき、長袖のTシャツの上からカーディガンを着込んでいる。何だか急に晩秋になったような感じ。モビも雨の止み間に用便に行く程度で、運動不足ぎみ。
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2012年4月23日(月) | ||||
今日からエドソンは家で仕事をすることになった。朝、いつものように職場に出て、システムを管理するためのコンピュータを持って帰り、彼のワークスペースにそれをセットアップして仕事を始めた。ゆくゆくは下のオフィス兼ワークショップをもう少し整理して、ネットワークをつなげ、家と仕事場を区別する予定だけれど、取りあえずは、彼のワークスペースで仕事を開始。仕事に出たはずのエドソンが少しして戻って来たので、モビは大喜び。早速彼の膝の上に抱っこしてもらおうと必死でアピール。でも、仕事中はダメと言われ、仕方なく居間の扉の前の敷物の上に戻って行った。エドソンが家で仕事をすることになると、仕事の合間にモビとお散歩をして体を動かしたりすることができる上、お昼は軽く野菜中心のスープやサラダを私が作って健康管理ができるのでありがたい。次の写真は、今朝撮った満開のマナカ。4月7日にアップした写真と比べてもらうと満開の様子がよくわかると思う。
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2012年4月24日(火) | ||||
ちょうど去年の今頃(正確には4月28日)、私が日本に一時帰国している時にモビがガンの摘出手術を受けた。次の写真はその頃エドソンが撮った写真のうちの1枚で、手術後数日して、首の包帯が取れ、庭を散歩しているモビ。これを見て、現在の庭の状態と比べ、1年前はほとんどなにもなかったのだと、あらためて感慨にふけった。1年前は桜の苗木はまだとても小さく背が低いため、野うさぎのオサマ・ビンラーデンから守るために周りにレンガを数段積み上げていて姿が見えない。そして、庭は除草剤で枯らしたブラキアーリアに被われ、ハイビスカスもまだとても小さい。
次の写真は、ほぼ同じようなアングルから撮った現在の庭の様子。桜もハイビスカスも大きく育っている。そしてこの1年間にあらたに植えたセドリーニョや柳、芝生にラベンダーなども育ってきているので、庭がとてもにぎやかになっている。何といってもブラキアーリアが生えていないのが何ともうれしい。
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2012年4月25日(水) | ||||
今週に入り、ジョアオンのとうもろこしの収穫作業が始まった。家畜の飼料用として出荷するということなので、収穫はとうもろこしが立ち枯れするまで待っていたようだ。機械での作業なら早いのだろうけれど、ジョアオンのところにはとうもろこしを収穫するための機械がないため、彼と奥さんのジレウザがひとつひとつ手作業で、とうもろこしの実を採ってトラクターの後ろにつないだカートに投げ込む作業をしていた。ブラキアーリアがうっそうと茂っている中での作業は大変だ。
次の写真は、収穫作業が終わった入り口ゲート付近のとうもろこし畑。
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2012年4月26日(木) | ||||
今日は朝から強い風が吹き荒れていたので、冷たい南風が吹き始めたのかと思い、覚悟してモビとのお散歩に出ると、暖かい北風だった。天気予報では今日から週末にかけてお天気が崩れる予報で、気象レーダーを見ると、南西から南東に向け雨雲が移動していた。この雨雲に向かって風が吹いているのだろう。庭の木々は北からの強風で、みんな南側にお辞儀をしている。季節の変わり目には、いつもこうやって北風と南風がせめぎ合いするので、強い風が吹くのがここのお天気の特徴だ。
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2012年4月27日(金) | ||||
今日は、モビの9回目の抗ガン剤治療でいつも通りにボトゥカトゥに行ってきた。そして、帰りにボトゥカトゥとパーディーニョで食料品の買出しをした。エドソンが今週から在宅勤務になったので、これからは日を決めて、毎週金曜日に郵便局に行き、届いている郵便を受け取ったり、食料品の買出しをすることにした。今日、郵便局に行くと、「楽書倶楽部」の第13号(2012年4月15日発行)が届いていた。「楽書倶楽部」は2ヶ月に1度出される同人誌で、以前からイビウーナの香山さんに「何か書いてみませんか?」と誘われていたのだけれど、なかなか書けなかった。そして先月ようやく、他愛のない内容だけれどモビのことを書いて原稿を送り、掲載の運びとなった。「楽書倶楽部」創設3年目に入る記念すべき号から参加することができ、またひとつ私の世界が広がり、とてもうれしく思う。以下に掲載された文章をコピーする。
我が家には8歳くらいになるダックスフントの雄犬がいる。名前はモビ。モビは、もともとは私たちの飼い犬ではなく、お隣の果樹園農家でもう1匹の姉妹犬と一緒に飼われていた犬。 私たち夫婦は3年前にブラジルに来る際、リオやサンパウロのような大都市ではなく、治安のいい中小規模の町に住みたいと話していた。その結果、夫の実家のあるリオと違い、涼しい気候と美しい自然環境が気に入り、サンパウロ州の片田舎のパーディーニョという町へと、2年半ほど前に引っ越してくることになった。そして、町外れの農村地帯にある果樹園農家の片隅の、ほんの小さな一角を購入し、ここに家を建設する間、この農家で1年近く居候生活を送らせてもらった。 この果樹園農家のオーナー夫妻はサンパウロに住んでおり、ここにやって来るのは週末だけ。普段は、果樹園での農作業をし、オーナー夫妻が来ている時には家事手伝いもするカゼイロさん夫婦が別棟で暮らしており、彼らがモビたちの世話もしていた。そこに私たちがやって来て、毎日一緒に暮らし始め、餌やりなどの世話をするようになったため、すっかりなついてしまい、私たちの言うことをとてもよく聞くようになった。 例えば、私たちが食事中、テーブルの下をうろついたり、おねだりをしてはいけないと言い聞かせると、ちゃんと自分たちの食事の番が来るまでおとなしく待つことができるようになった。これにはオーナー夫妻もとても驚いていた。そして、夜寝る時に家の裏の犬小屋に戻すまで、私たちの側を片時も離れなくなった。そんな彼らを見ていて、「家ができて、あんたたちが向こうに引っ越したら、きっとこの子たちはついて行くよ」と、カゼイロさんは笑っていたけれど、後日、本当にその通りになってしまった。 一昨年、長びく居候生活をようやく脱して、何とか住めるようになった我が家のガレージでの仮住まいを始めると、2匹は私たちを探してここまで来てしまい、以来お隣に戻ろうとはしなかった。そのため、オーナー夫妻の同意を得て、私たちと一緒に暮らすようになったのだった。「猫は家につき、犬は人につく」とはよく言ったものだと思う。 そして、昨年初め、モビの首にできた瘤を病理検査してもらったところ、悪性腫瘍だということがわかった。その同じ頃、雌犬の方も真菌感染を繰り返していたため、投薬治療を始めると、ガクンと体調を崩し、あれよあれよと言う間に悪化。6日間毎日、隣町のボトゥカトゥにあるサンパウロ州立大学獣医学部付属病院に治療に通ったものの、助けることはできなかった。 病理解剖の結果、5年くらい前に受けた去勢手術の際、内臓を傷つけており、それが原因で慢性腎臓病を患っていたため、投薬治療をきっかけに多臓器不全になってしまったということがわかった。オーナー夫妻も、カゼイロさん夫婦も、私たちも、彼女がそんな持病を抱えていたとはまったく知らず、可愛そうなことをしてしまった。 せめて、残されたモビだけでも助けたいと思い、抗ガン剤治療と手術をし、その後3ヶ月におよぶ、更なる抗ガン剤治療を受けた。抗ガン剤治療というと、吐き気との戦いで、痩せ細っていく患者の姿が想像され、心配したのだけれど、幸いモビは、肥満とそれに伴う激しいいびきという副作用以外には、特に体調を崩すこともなく、元気に闘病生活を送ることができた。 病院での治療の他に、自宅でも決められた投薬や、手術の傷痕の消毒などをし、食事も病院で教えられたものを作るようにした。そして、用事があって私たちが外出する際、家にひとりで置いておけないため、どこに行くにも一緒に連れて行くようになり、私たちの生活はすべてモビを中心に回るようになった。 モビの治療が無事終わり、昨年8月に、ほぼ完成した我が家にガレージから移り住んだ。新しい家での生活にもすっかり慣れ、私たち夫婦との絆をより深めたモビと、3人での穏やかな日々を送っていたところ、モビのガンが再発。年が明けてから、再度の治療を受けている。前回同様に、しばらく抗ガン剤治療をして、ガン細胞をたたいて小さくしてから手術。そして、更なる抗ガン剤治療ということになるようだ。 こんなに元気にしているのに、治療をしなければ1年ともたないと宣告されたときは、信じられない思いだった。けれど、私たちと一緒に暮らすことを自らの意志で選択し、無条件の愛情を注いでくれ、私たちに思いも寄らぬ大きな喜びを与えてくれた、大事な大事な家族なので、どんなことがあっても最期まで、モビの命を見つめて行こうと、今では心に決めている。 | ||||
2012年4月28日(土) | ||||
ブラジルのテレビのノヴェラ(連続ドラマ)は、日本と違い、番組の再編成時期が新年度というふうに、はっきりとは決まっておらず、今年は3月から4月にかけて夜の3本のノヴェラがバラバラと、すべて新しいものに入れ替わった。その中で、3月から始まったアモー・エテーノ・アモー(Amor Eterno Amor)というノヴェラに出てくるとてもいじわるそうで嫌な感じの女性が、この2つ前のモージ・イ・アソプラ(Morde e Assopra)というノヴェラの中で、貧しい母子家庭の善良なお母さん役をやっていた女優さんと同じ人だとわかった時は、その変身ぶりにびっくり。どんな役をやっても全然代わり映えのしない俳優さんも多いけれど、この人の変身ぶりは、お化粧や髪型を変えるだけでなく、声の感じや話し方まで変える徹底ぶりで、ただただ脱帽。以下の写真は順に、その女優さんの以前の役柄と現在の役柄、そして、役柄を離れたご本人。
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2012年4月29日(日) | ||||
昨日は私の母の86歳の誕生日だった。兄夫婦が午後から母を家に連れて帰り、ささやかな誕生祝いをしてくれた。感謝。感謝。日頃食べることのないお好み焼きをあえて食べてもらったのだけれど、おいしいと言って喜んで食べてくれたと兄からメールがあった。お好み焼きは去年父が亡くなった後、私がブラジルに帰る前に一度、ご近所のお店に母を連れて行って食べて以来なので、母にとっては約1年ぶりだ。
そして、昨日はサンパウロ州立大学の気象観測チームと、アマチュア無線愛好家の合同の実験があるとかで、エドソンがアメリカーナのアディネイさんたちとバウルに出かけて行ったので、私はモビとお留守番。サンパウロ州立大学の気象観測チームは気象観測用の風船を定期的に上げているらしく、今回はそれにアマチュア無線愛好家が参加して次のような実験が行われたのだそうだ。まず、風船に搭載された装置から送られてくるデジタルの観測データを地上で受信して、それを音声で読み上げて、別の周波数で風船に送り返し、それを受信した風船の装置がまた別の周波数で地上に向けその音声を送信し、それを地上の無線基地で待機するボーイスカウトやガールスカウトの子どもたちが受信するというものだったらしい。つまり、子どもたちにアマチュア無線に関心をもってもらうことが目的だったらしい。このところ週末になるとお天気が崩れ、気温が下がり、昨日もあいにくのお天気で1日ぱらついたけれど、実験は何とかうまく行ったようだった。我が家は1週間ほど前から夜は掛け布団を使うようになった。 | ||||
2012年4月30日(月) | ||||
午後9時半頃から始まり、10時半頃に終わるテレビのノヴェラが終了すると、私はいつも寝てしまうので、見たことはないのだけれど、この後の番組で、ゾーハ・トタウ(Zorra Total)というおバカな番組がある。夜テレビを見ていると時々この番組のコマーシャルをやっているので、その存在だけは知っている。その中で、ジウマ大統領のそっくりさんが出てくる。そんなに似ている訳でもないのに、なんだか特徴は捕らえていて、やはり似ていると思えてしまう。次の写真は、その番組内のそっくりさん。
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