Kyoko Yoshida Life in Brazil BLOG 

2012年3月1日(木)

このところとても暑い日々が続いている。これはここに来て以来、一番の暑さではないかと思う。雨もよく降るので、その相乗効果でいつになく蚊が大量発生しているようだ。最近私はまた、よく蚊に刺されるようになった。ブラジルに来た当初、やたらに刺されまくった手足の傷痕が薄くなり、だんだんきれいになり始めていたのに、また元の木阿弥。先日は、玄関と寝室で蚊取り線香を炊いたりしたのだけれど、何といっても、先月、エドソンがフロリアナポリスに出張した際、買ってきた虫取りラケットが大活躍している。

2012年3月2日(金)

今日は、モビの4回目の治療があって、ボトゥカトゥの大学病院に行ってきた。病院へはいつものように8時に到着。受付は相変わらずたくさんの患者で溢れていたけれど、受付を済ませて外科に行くと、モビは3番目の患者で、すぐに血液検査のための採血をしてもらえた。今日は何とか首の血管から採血することができたけれど、それでも3度やり直した。そして、採血から2時間後に治療に呼ばれたので、びっくり。血液検査のラボが混んでいなかったのか、いつも結果が出るまで3時間前後待たされるのに、今日は2時間で結果が出て、治療にゴーサイン。いつも通りに治療が行われ、11時過ぎに病院を後にすることができた。その後、買い物をして、お昼過ぎに帰宅。エドソンはパウロの会社のシステムにトラブルが発生したため、お昼も食べずに仕事に戻って行った。

金曜日の夕方は、先週からエドソンが仕事の帰りにライラを拾って帰宅することになっているのだけれど、今日は忙しくて、オフィスを出るのが遅くなったため、ライラのことをすっかり忘れてしまったらしく、ひとりで帰宅した。私が「ライラは?」と聞くと、「ああっ!忘れてた!」と言って、また彼女を迎えに出かけて行った。ライラのお母さんは車を持っていないため、週に1度の日本語のレッスンに来るのに、エドソンが送り迎えをしてあげないと来れないのだ。5時半のレッスンの開始が6時と30分遅れたので、終了時間も30分遅らせて7時半まで行った。レッスンをしている間、激しい雷と雨が降り始め、ライラを送って行く頃には雨が一旦小降りになったのだれど、エドソンが戻る頃には、また雨が激しく降り出し、夜遅くまで降り続いた。

2012年3月3日(土)

今朝、エドソンはやる気満々で、9時前には桜の木の下枝の切り落としや、草刈り作業を開始した。次の写真は、家の南側の三角地帯で、草刈り機を担いで草刈り作業に勤しむエドソン。

2~3度休憩を入れながら、お昼過ぎまで作業を続けてくれたので、三角地帯がすっきりし、植えてからまだあまり成長していないオレンジやレモンの木が姿を現した。写真の左端の部分や手前の斜面は、まだ草ボウボウだけれど、3時間以上重い草刈り機を担いで、ほぼ作業を終えてくれたのだから、すごいと思う。

私は、例によって家の前の庭の草取り作業をした。今日は、3本の桜の木の周りや、まだ小さいセドリーニョの周りの草を集中的に抜いた。でも、やってもやってもブラキアーリアの面積の方がひろいので、まだ当分格闘は続く。

3時間余り働いて、お昼過ぎにクタクタになって作業を終えた。エドソンは一足先に草刈り作業の汚れと汗でぐっしょりのシャツやジーパン、靴下、帽子などを玄関前に脱ぎ捨てて、家に入りシャワーを浴びて、ベッドにひっくり返っていた。私もシャワーを浴びてすっきりしてからお昼の用意をして、ふたりでお昼を食べ、その後1時間ほど横になったら、背中と腰にきていた痛みと疲れが少し和らいだ。エドソンも体中が痛いと悲鳴をあげていた。

2012年3月4日(日)

夏時間が終わり1週間が経つのだけれど、朝はどうしても以前の7時、つまり夏時間が終わったので、標準時間の6時に目が覚めてしまう。それで6時半にはモビと朝一番のお散歩をする。最近、モビはお散歩をしたがらないので、仕方なく体にひもを装着して、お散歩に引っ張って行く。体にひもを装着したり、お散歩に引っ張って行くこと自体は嫌がらず、ご機嫌で入り口ゲートまで行って、戻ってくることができるのだけれど、ひもをせずにこれまで通りに自由にしていると、いくら呼んでもベランダから外に出てこようとしない。どうしてだろう?肥満で歩くのが億劫になっているのかな?

今朝は涼しく、風があったので、洗濯が済んでから、エドソンとふたりでしばらく庭のベンチに腰を下ろして、庭を眺めて過ごした。家の北側のシュハスコ小屋の後ろのハーブガーデンのインセンスの木の横に植わっている植物に赤い花のようなものが咲いていた。右下には実のようなものもなっている。でも、一体この植物が何なのか、エドソンも知らない。

このシュハスコ小屋の後ろのハーブガーデンは、まだ草取り作業をしていないので、草ボウボウなのだけれど、インセンスに隠れて、紫色の実のようなものをつけた草が1本生えていた。

2012年3月5日(月)

現在、我が家の庭にはいろいろな花が咲いている。ハイビスカスが一番多く、色も赤、黄色、薄ピンクと派手なので、一番目立っているけれど、他にもひっそりと咲いている花たちもいる。次の写真は、植えた後、冬の間まったく姿を消してしまったので、枯れてしまったのかと思っていたら、夏になり芽が出てきて、見る見る大きくなった植物。根元のところに白い花が隠れるように咲いていることに最近気づいた。雨の後で土をかぶっているけれど、結構大きな花を咲かせている。

次の写真は、くちなしの花。ハイビスカスガーデンの横に、半年くらい前、2本並べて植えたのだけれど、まだ小さいなりに、時々白い花を咲かせている。

2012年3月6日(火)

モビは本当におもしろい子だと思う。私が朝、トイレに入っている時、ドアを閉めていると、側にエドソンがいてもドアのところで「アーン、ウーン」と泣く。私の兄のところの次男坊が赤ちゃんの時に、お母さんがトイレに入ると、そのドアの前まで行って、出てくるまで「エーン、エーン」と泣いていたことを思い出す。それで昼間、モビと二人っきりの時は、トイレでもシャワーでもドアを開けたまま使用することにしている。トイレに入っている時はドアのところまで来て、私がトイレで用を足していることを確認すると、「ああ、トイレなの?失礼」とでも言うように、くるりと方向転換して自分のベッドに戻って行く。でも、昼間シャワーを浴びる際は、「今からシャワーを浴びるから待っててね」と、ベッドの中のモビにちゃんと断ってからシャワーを浴びるのだけれど、シャワーが終わって、シャワー室のガラス扉を開けると、いつの間にかベッドから出てきて、シャワールームのドアの内側のマットの上に座っていることがよくある。昨日も午前中外で草取りをして汗をかいたので、シャワーを浴びて出てくると、写真のようにマットの上にデンと座っていた。

モビのことを私たちは、シェフィ・ダ・セグランサ(chefe da segranca=chief of security、警備主任とか保安長官という意味)と呼んでいるのだけれど、彼の行動は、まさにSP。クライアントの側を片時も離れず、安全を確保するのが仕事なので、シャワー室のガラス扉の方は向かず、一応ドアの外を向いて見張り番をしているといった感じなのだ。でも、本当のところは気が小さくて寂しがり屋なので、とにかく少しでも側にいたいのだけれど、モビはシャワールームに入ってきてはいけないことになっているので、奥まで入らず、妥協策として入り口のところにいるというのがこの行動の真相。そして、こちらを向かず、ドアの外を向いているのは、私と目を合わせないことで「僕はここにはいませんよ」というふりをしているのではないかと思う。

2012年3月7日(水)

中国新聞の「海外リポート」の編集担当者がまた変わった。一昨年の8月に西村さんから、岡本さんと里田さんの2人の担当になり、昨年の8月には岡本さんが移動で抜け、今度は2月いっぱいで里田さんが移動したため、3月からは鈴中さんという人が担当になった。さらに3月から紙面が再編されるとかで、インターネット上の「海外リポート」に関してもいろいろ変更の連絡があった。特に大きなものは文字数制限で、リポート原稿は900字以内と制限がもうけられた。これまでは自由に書かせてもらっていたのが、900字と短く制限されると、書きづらいなと思う。何しろ900字と言えば、これまで私が書いていたリポートの3分の1前後の長さでしかないからだ。

去年の11月からずっとリポートを書いていなかったので、2月の下旬ころから次のリポートを書き始めていたら、文字数制限の連絡が来たため、書いていたものを大幅に短くして、書き直す作業をしなければならなかった。そして、月曜日(日本時間の火曜日の朝)にそのリポート原稿を送信したら、何と即日アップされた。これは前代未聞のこと。よほど原稿不足で困っていたのかと思ったのだけれど、何故かスペインからのリポートと2本同時のアップ。それはないでしょう?ここ1週間記事が更新されていなかったのに、何も同時に2本もアップしなくてもいいのに・・・と思った。

まあ、とにかく、私の38本目のリポート「動物に優しい国 ブラジル」が3月6日付けで掲載された。中国新聞のサイトは、こちらへ

2012年3月8日(木)

エドソンは前からよくミツバチの話しをしていたのだけれど、去年の暮れ頃から、ここでミツバチが飼えないだろうかと具体的に考え始め、本格的にインターネット上の情報や本を読んだり、エリゼウに話しを聞いたりしていた。そうこうしていたら、先日ジェラウドと話していて、彼を通じてミツバチを入手できることになり、ついにミツバチを飼うことになった。次の写真は、エドソンが取り寄せて読んでいた本。

火曜日の夜、ハファエウの仕事の都合で彼の英語のプライベートレッスンがキャンセルになったので、これ幸いと少し早い夕食をとってから、ジェラウドのところにミツバチを受け取りに行った。ブラジルには様々な種類の南米原産のミツバチがいるのだそうで、今回譲り受けたのは、ジャタイ(Jataí)という名前のとても小さな茶色のミツバチ。これはバウルに住むホザの兄弟が育てていたもので、ジェラウドが自宅用と私たち用に2箱、この週末バウルから持って帰って来てくれたもの。次の写真は、そのミツバチの箱。家の前の未完成のシュハスコ小屋の東側の軒下に、エドソンがぶら下げてくれた。この箱の中央下の右よりに小さな穴が開いていて、ここから小さなミツバチが出入りしている。

次の写真は、この出入り口の接写。

昨日の夜、エリゼウがプライベートレッスンの後で、一旦家に帰り、ミツバチが巣を作っている竹を持ってきてくれた。「ジェラウドからひとつもらったのに、またもらうの?」「うん。ミツバチが竹に作った巣が4つくらいあるからって、そのうちのひとつを、何週間も前からもらう約束してたんだ」「ふ~ん・・・そんなにたくさんどうするの?」「うん。趣味だよ。趣味。おもしろそうじゃない」と言って、やはりシュハスコ小屋の軒下に竹の巣を吊るして、テトラパックでハチのための水飲み場を作って吊るし、エドソンは毎朝彼らの様子をチャックしている。このミツバチも同じジャタイという種類で、竹に巣を作るのが好きらしい。とてもおとなしいハチで人を刺したりはしないので、防護服などは必要ないのだそうだ。次の写真の左側がエリゼウからもらった竹。

2012年3月9日(金)

ニッケイ新聞2012年2月25日付け「日系社会ニュース」に、『世界の邦字紙から=亜国=マルビーナス戦争30周年=英亜緊張とエネルギー危機』というアルゼンチンの記事と、『パラグァイとテレレ=土地問題の悲喜劇とは=坂本邦雄』というパラグアイの記事が掲載されていた。日本では目にすることのない記事だと思うので、以下にリンクしようと思う。

アルゼンチンの記事は、こちらへ

パラグアイの記事は、こちらへ

2012年3月10日(土)

先日、ペトロポリスの安見さんから、「日本の空前のマラソンブームに刺激され、リオ フラメンゴ海岸通りのマラソンに参加しました」というメールをいただいた。参加費は100レアル(約5000円)で、参加者はそんなに多くないだろうと思っていたら、さにあらず。引き換え所の番号が1万2千番まであったので、1万人以上の参加者があったことがわかったそうだ。安見さんにとっては人生初めてのマラソンで、お嬢さんとふたりで5キロコースに参加したという。 走り出して1キロ地点までは、前後左右、人、人、人で、その混雑のため温度が急激に上がり、走り続けられるか心配したそうだれど、無事完走。次回は7月で、毎年ペトロポリスで開催している文化祭直前なので参加できないけれど、その次の10月にはまた参加されるという。70代だというのに、がんばるなあ~!

ブラジルでもあちこちでマラソン大会があるようで、2年半ほど前、イビウーナの香山さんのお宅で出会ったJICA派遣の日本語教師の女性は、サンパウロのマラソン大会に出るために、毎日走って準備していると言っていたっけ。私は走るのは苦手なので、こういう人たちを見るとすごいバイタリティーだなあ~と感心してしまう。次の写真は、走っている安見さんとお嬢さんのエリカさん。そして、大勢の人たちが集まっている大会会場の様子。

2012年3月11日(日)

先日、エリゼウが竹のハチの巣を持ってきてくれた際、シュハスコ小屋の後ろのインセンスの木2本が、ものすごい数の蚊の住処になっていることをエドソンが発見。この葉を燃やすとお線香のような匂いがして、この匂いを虫が嫌うとマウリシオから聞いていたのだけれど、話が違う。燃やさなくてもこの葉はいい匂いがするのだけれど、蚊の住処になるようでは困るので、ここまで大きく育ったのに可哀想だけれど、昨日の午前中、エドソンが2本を切り倒してくれた。これで蚊の出没が少しでも減るといいいのだけれど・・・その後、このハーブガーデンを覆うように、うっそうと茂っていたブラキアーリアを抜いて、ハーブガーデンをすっきりさせた。次の写真の左から、オレンジの木、3種類のアロエ、ローズマリー。ローズマリーの右側の3種類の植物の名前はわからない。右端は4日付けで紹介した赤紫の実のようなものを付けている草で、抜こうかと思ったのだけれど、しばらく抜かないでおくことにした。

昨日の夜は、エーナーニの家での夕食に呼ばれていたので、モビを連れて出かけて行った。お土産に我が家の外ベランダの横の花壇に咲いているバラの花2本と、バナナブレッドを持参。奥さんのカロウにふたつとも渡すと喜んで、バラを早速花瓶に活けてダイニングテーブルの後ろの台に飾ってくれた。エーナーニの所では地鶏を飼っていて、夕食はその地鶏の料理だった。ガリーニャ・カイピーラ(galinha caipira)、つまり、地鶏はとても味があっておいしいからぜひ食べてみてと、カロウが腕をふるってくれた。夕食の献立はファロファ、地鶏、フェイジャオン(煮豆)、ご飯、ポレンタ(とうもろこしの粉を水で溶いて煮た料理)、そしてレタスのサラダだった。この料理の組み合わせは、典型的なブラジルの家庭料理。デザートはプディンとゼリー。エーナーニの所には、14歳を頭に4人の子どもがいるのだけれど、夕食を一緒に食べたのは、一番下の7歳のジュニオーだけだった。14歳の長男のネトはピザ屋さんでピザの配達のアルバイトに行っていておらず、真ん中の男の子と女の子もどこかに出かけていていなかった。エーナーニのお母さんが同じ敷地内の別棟で暮しているのだけれど、私たちが到着してしばらくして、彼女はBINGOに出かけて行った。みんなそれぞれにいろいろ予定があって忙しいんですね。エーナーニの所にいる間、モビは私たちの足元でじっとして、とてもいい子にしていた。

2012年3月12日(月)

土曜日の夜、エーナーニのところへ行ってしばらくすると、すごい雷が鳴り出し、ザーザーとひどい雨が降り始めた。稲妻と雷の間隔がとても短く、ドカーンというすごい音がしたので、雷が近くに落ちたかもしれないと思ったのだけれど、どうやら我が家のお隣のウィリアムの所の電波塔か、近くの電信柱に落ちたらしく、電波塔に設置されているパウロのインターネット会社の装置にトラブルが発生していたようで、昨日の日曜日の朝、パウロが修理に来ていた。それで、エドソンも午前中は丘の上の電波塔の所に行って手伝っていた。私は洗濯と掃除を済ませて、玄関先の土地に40本ほどのアメンドインを移植する作業をし、その後、また庭の草取りに勤しんだ。次の写真は、だいぶきれいになった庭。アングルは違うけれど、3日付けでアップした写真と比べてもらうと、一目瞭然。この写真の中ほどにユーカリの大きな木が3本見えるけれど、このユーカリの木、植えた時は腰の高さよりも低い苗木だったのに、あっという間に3メートルくらいに成長している。ここで植えた木々の中では、驚くほど成長が速く、一番の成長株がこのユーカリの木だ。西隣のクラウディオのコーヒーファームとの間の柵沿いに植えた20数本の竹は枯れてしまい、成長しなかったので、ユーカリの木を植えようかとエドソンと話している。

2012年3月13日(火)

昨日はモビの5回目の治療で、ボトゥカトゥの大学病院にいつも通りに行って来た。今回も前回同様採血と、血液検査の結果が出てから治療が行われるまでの待ち時間が比較的短く、スムーズに行き、11時過ぎに病院を出ることができた。 感謝。感謝。それで、帰宅途中に、苗木屋のプロ・ヴェージに寄って、セドリーニョ3本、サツキ12本、柳2本、シトロネラ2株、タイム5鉢、アモー・アガハジーニョ(Amor Agarradinho)というつる性の植物2鉢、しめて150レアルを買って帰った。アモー・アガハジーニョはミツバチがとても好む花が咲くらしい。

帰宅後、軽く昼食を食べてから、買って帰った苗木をエドソンとふたりで植える作業をした。サツキは玄関前の外階段に沿って植え、柳も同じスペースのサツキの後ろ側に植え、セドリーニョはヒメシマダケの近くに植えた。これらの17本を加算し、植林総数は594本になった。シトロネラやタイムなどは木ではないので、植林総数にはカウントしていない。途中2度ほど雨で作業を中断しなければならなかったけれど、夕方までにすべての作業を終えることができたので、満足。満足。

2012年3月14日(水)

月曜日に大学病院に行っている時に、エディから電話があり、我が家の作業に来ていると連絡があった。何と4ヶ月ぶり!モラエス家具店のオーナーのモラエスさんの自宅はまだ完成していないと思うのだけれど、ぼちぼちこちらの仕事も再開することにしたらしい。そして、火曜日も引き続き作業が行われ、家の西側でボロボロになっていたエディの物置小屋が取り壊され、家の東側での作業が行われた。当初はこの家の東側に狭い階段を作る予定だったのだけれど、階段は取り止めて、レンガでL字型に壁を作って、風雨から守られた環境を作り、ここにミツバチの巣を移動させたり、小さな苗木を育てるためのスペースを作ることにした。

昨日は1日サンパウロへ行って来た。毎年この時期にお世話になっている日系の税務コンサルタントのタカハラさんの自宅兼事務所に行って、確定申告の手続きを行った。サンパウロまで高速バスで2時間半余り、それから地下鉄とバスを乗り継いで行くのだけれど、地下鉄にもバスにも冷房などなく、気温がパーディーニョよりもずっと高い上、バスに乗っている間見えるサンパウロの街並みが、いつ来ても汚いのでちょっと気が滅入る。とにかく落書きが多い。そして、ちゃんと維持管理されていない古い建物も多く、道路沿いにゴミが散乱していたりする。こんな街並みでは治安も悪くなるはずだと思う。エドソンとふたりで、どうしてこんなに汚いのだろう?と不思議に思う。そして、こういう環境の中であちこちに高級な高層マンションが立ち並んでいるのだけれど、マンションの敷地内は安全でも、一歩マンションから外に出れば安全とは言えず、気の滅入る環境ではとても住む気がしない。夕方5時半発のバスに乗れたので、8時過ぎにパーディーニョに到着。ドナ・クレウザの所で預かってもらっていたモビを向かえに行って、ピザ屋さんでピザを買って帰り、夕飯にした。ああ~疲れた・・・。

2012年3月15日(木)

ドトー・ジョゼのクリニックでの予約を、エドソンが取ってくれていたので、昨日は午後からボトゥカトゥへ行ってきた。半年に一度、定期的に受診しようと思っているのだけれど、忙しいとついつい何ヶ月か遅れがちになる。本当は12月に行くべき所、3月になってしまったけれど、遅れても行かないよりはましと思っている。ドトー・ジョゼのクリニックでの受診が終わり、帰ろうという時になって、激しい雨が降り出したので、1階のロビーで雨が止むまで30分以上足止めを食ってしまった。雨が小降りになるのを待って、近くにある指定の検査施設に行き超音波検査の予約を取り、帰宅の途につく。帰る途中で、玄関先のサツキの側に2本植えた柳の間に、もう1本植えようということになり、また、プロ・ヴェージに寄って柳を1本買って帰った。パーディーニョに戻り、モビを向かえに行って、家に戻ると5時半。ぎりぎりエリゼウのレッスンに間に合った。

今日は、午前中に砂利や砂などの配達があったのだけれど、エディたちは来ておらず、私ひとりだったので、セメントはガレージの中、砂利などはガレージの前に下ろしてなどという指示をつたないポルトガル語でして、何とか事なきを得た。レンガは午後から配達するからとおじさんが言っていたので、昼食後外で草取り作業をしていたら、トラックが来たのでレンガの配達かと思ったら、エドソンがクリスマス前に頼んでおいたベランダ用のイスの配達だった。カーニバルの頃「イスができたのだけど、いつ配達しましょうか?」と言われていたのに、エドソンがずっと忙しく、配達してもらうのを忘れていたり、後回しにしていたのだけれど、ようやく今日、イスの配達を手配してくれ、うれしい限り。小さな台のようなテーブルのようなものは、おまけでつけてくれたらしい。手作りのイス2つで500レアル(約25000円)。これで夕方このイスに座って、のんびりと夕焼けを眺めるという贅沢が味わえる。

2012年3月16日(金)

昨日の午後配達すると言っていたレンガが、今朝、配達された。昨日と同じおじさんがふたり、うっすら霧の立ちこめる中、1時間ほどかけてレンガと砂を下ろす作業をしてくれた。ふたりは痩せて背の高いおじさんと、太ったおじさんという好対照で、どちらも気さくな人たちだった。これで家の東側の作業をするための資材が揃ったのだけれど、さて、エディたちは月曜日に作業に来てくれるだろうか?

先週から「香山文庫」のウェブサイトを作るための準備をようやく始めたのだけれど、今週は私たちには珍しく、月、火、水と3日連続予定があり、ほとんど家にいなかったため、準備がなかなか進まなかった。でも今日は、お天気が悪いのも手伝って、1日家にこもっていられたので、準備作業がだいぶはかどった。この作業の一環で、香山さんからいただいた蔵書を数えてみたら、850冊余りあった。

2012年3月17日(土)

サンパウロ市ではカーニバルが終わると涼しくなるというのが常識なのだけれど、今年はいつまでも暑い日が続いていた。ここパーディーニョも同様で暑い日が続いていたけれど、昨日は1日太陽がほとんど顔を出さず気温が低めで、どうやらようやく季節は秋へと変わり始めたようだ。夜になるとさらに気温が下がり、外に出ると肌寒いくらいだった。それで、今朝もその延長線上でとても涼しく、風があったので、エドソンは半袖のTシャツの上から長袖のシャツをはおって、月曜日に植えた3本のセドリーニョが正三角型になっていなかったと言って、1本の位置を変えるために植え直したり、フランボヤンの苗木を2本植えたりしてくれた。これで先日追加で植えた柳と合わせて、総植林数は597本になった。次の写真は、セドリーニョの植え直しをしているエドソンと、その側(右側)に座ってエドソンの作業を見ているモビ。その後、お昼前のひととき、早速ベランダのイスに腰を下ろして涼しい風に吹かれながら、3人でしばらく景色を眺めて楽しんだ。極楽。極楽。

2012年3月18日(日)

以下は、ニッケイ新聞2012年3月7日付け「コラム 樹海」からの転載。ああ~、豊水梨食べた~い!

『「豊水を出荷しました」。今年もサンタカタリーナ州のラモス移住地から「秋の訪れ」を告げる便りが届いた。今 年の夏は特に暑かっただけに、豊水を2時間ほど冷蔵庫で冷やし、名前どおりの水分タップリの爽やかな甘みをシャリッという音を楽しみながら頂くのは、まさ に至福だ。日本の紅葉の風景が脳裏に浮かぶ▼梨の成分の9割は水分で、りんご酸やクエン酸などの酸味が含まれており、歯ごたえをもたらす繊維が便秘予防に役立ち、疲労回復に良いとか。甘み成分である果糖は血糖値が上がりにくい食品で、糖尿病の食事療法にも使われている。成分のカリウムが体内のナトリウムを排出する作用があるので、高血圧予防にも良いとか。梨の〝機能性〟は立派なものだ▼気になる今年の出来は「雨が少なかったので、普通作か小さめ」という。 先月中に収穫を終え、保冷されたものが今月いっぱい出荷される。「今年の天候はあまり良くなかったが、出来栄えのいい豊水が収穫できたのはJICA研修の 成果だと喜んでいます」との声を聞いた▼08年に5人、10年に4人、11年には2人が訪日研修に行き、梨生産者、試験場、大学農学部で学んできた。将来の移住地観光農村化をにらんで特産品加工をして土産にするアイデアなどを温めているとか▼今年グァタパラ移住地やピニャール移住地などが半世紀の節目を迎 える。ラモス創立はその2年後で、いわば最後発で規模的にも小さい。「瓢箪から駒」との言葉からとって移住地のシンボルにしたと聞いたが、ジョビン国防大臣や斎藤空軍総司令官が梨を食べに訪れるなどの存在感は独特で、むしろ「実力」だと感じる。(深)』

2012年3月19日(月)

土曜、日曜と、エドソンは下のガレージにこもって棚を組み立てる作業をしたり、ワークショップとガレージの整理をしてくれた。この棚は、お隣のウィリアムがどこかからたくさんもらってきたものの一部で、「少しいらないか?」と言われ、エドソンが3つもらってきたもの。ガレージやワークショップの道具を置いて整理するのにちょうどいいので助かる。

そして、その作業の合間に、来客用の寝室の壁に飾ろうと思っていた絵を掛けてくれた。これを壁に掛けるためには、電気ドリルで壁に穴を開けて、ネジを埋め込む作業をしなくてはいけないので、エドソンに前から頼んでいたのだけれど、「週末にやるよ」と言っていた言葉通りやってくれ、感謝。この絵の下、2つのベッドの間に小さいキャビネットを置いて、その上に電気スタンドを置きたいのだけれど、まだ購入に至っていない。少しずつこの殺風景な寝室を、居心地のいい空間にして行けたらと思っている。

日曜日の午前中、私は庭の草取りをした。4時間あまりかけて、アンテナタワーからベンチまでの草をやっつけることができ、満足。草取りを始めると、かっぱえびせんのコマーシャルではないけれど、「やめられない、とまらない・・・♪」という感じで、その後、腰と背中が悲鳴をあげるのが常。でも、「わかっちゃいるけど、やめられない・・・♪」

2012年3月20日(火)

昨日は朝早くから、家のすぐ側でトラクターの音がするので何をしているのだろう?と思ったら、我が家とお隣の柵沿いの土地で、赤いトラクターが土を耕していた。お隣のトラクターは青い色なのだけれど、耕していたのは赤いトラクター。そして、このトラクターを動かしていたのはお隣のカゼイロのジョアオンではなくて、誰か知らない人だった。お昼過ぎまでかかってこの一角を耕し終わったのだけれど、この後ここをどうするのだろう?ここはず~っと手つかずのままで、何も植わっておらず、ほったらかしだったのだけれど、何か植えるつもりなのだろうか?耕されたばかりの土地では、10数羽の鳥が飛来して、餌をついばんでいた。土を起こしたので土の中から虫がたくさん出てきたようだ。

今日は日本では春分の日。季節が逆のここブラジルでは今日から暦の上で秋!この週末から気温が下がり、気持ちのいい日々が戻ってきた。

2012年3月21日(水)

昨日、今日は、1本1本、手で草を抜くのではなく、くわを使って庭の東側の木の周りの草を取り除く作業をした。昨日6ヶ所、今日2ヶ所の木の周りの草を取り除いたら、くわの柄が壊れてしまったので、仕方なく大きな庭バサミで木の周りにボウボウ茂っている草を切る作業に切り替えた。

私たちの期待に反して、月曜、火曜とエディたちは仕事に来なかったけれど、今日、ようやく仕事に来てくれた。それで朝一番で、エドソンが仕事に出る前に、エディに頼んでダイニングテーブルの不具合を直してもらい、洗濯機横の流し台の蛇口の取り替えをしてもらった。助かる~!昼食休憩が済み、午後の作業が始まった頃、外で私が庭の写真を撮っていると、セメントの袋や、エディの物置小屋を壊した後の木屑などを、エディたちが燃やし始めたので、その写真も撮ってみた。

2012年3月22日(木)

昨日の夕方のレッスンに、エリゼウが大きな箱を抱えてきたので、何だろう?と思ったら、エドソンが頼んでいたハチの巣箱をカンピナスから取り寄せてくれ、持ってきてくれたのだという。木製のハチの巣箱2つで102レアル(約5000円)。彼からもらった竹に巣を作っているハチに、こちらに移ってもらうつもりらしい。と言っても、新しい巣を用意しましたから移ってくださいというわけにも行かないだろうし、どうするのかと思って聞くと、ジャタイという同じ種類のハチのワックスが付いてきているので、これを箱やハチの出入り口に塗ると、その匂いにつられてこの箱に巣を作るのだとか・・・不思議だなあ~。この巣箱、とても精巧にできていて、ハチミツをとるための小さな引出しが4つついていた。

2012年3月23日(金)

今日は、モビの6回目の治療で、いつものようにボトゥカトゥの大学病院に行ってきた。以前は12時近くまで出てこなかった血液検査の結果が、最近は10時半から11時くらいまでには出るようになり、待ち時間が比較的短くなったので助かる。今日も11時には結果が出て、治療ということになったのだけれど、インターンの人の手際が少々悪く、治療が終わるまでに1時間近くかかった。それでも12時には大学病院を出ることができたので良かった。その後、銀行やスーパーなど5ヶ所で用事を済ませ、3時前には帰宅することができた。帰宅後は夕食の準備をし、ライラの日本語レッスンの準備をし、エドソンがライラを迎えに行き、無事レッスン終了。疲れたけれど、充実した1日になった。

次の2枚の写真は、3ヶ月近く間を置いて撮った同じ外ベランダ横に作った花壇の写真。1枚目は昨年末に撮った写真で、2枚目はこの水曜日に撮った写真。1枚目の写真にあるケイトウは枯れてなくなってしまっているけれど、ベイジョもバラもオクラも3ヶ月でずいぶん大きくなっているのがわかる。オクラは今でもコンスタントに毎日3~4本の収穫があり、私たちを楽しませてくれている。

2012年3月24日(土)

今朝8時前にのんびり朝食を食べていると、玄関のドアをノックする音がするので「誰だろう?こんなに早く」と、エドソンが玄関に行くと、パウロだった。「今晩6時からイザベラの誕生会をするから来て」ということだった。毎日職場で顔を合わせているのに、どうして当日の朝わざわざ家まで言いに来るのだろう?不思議だなあ・・・でも、あいにく今晩はライラとお母さんのシディを夕食に招待しているので行けないと断った。パウロからの招待は前もってではなく、当日ということが多いので、めったに予定のない私たちでも招待を受けられないことがよくある。

午後5時頃エドソンがライラとシディを迎えに行き、彼らが何を飲むかよくわからないので、缶ビールとソーダを買って来てくれた。シディはワイン党ではなくビール党で、ライラはソーダではなくマラクジャ(パッションフルーツ)のジュースがいいと言って飲んだ。私たちが知っているこの町の子どもたちは果物ジュースなど飲まず、みんなソーダ一辺倒だけれど、ライラは違っていた。今晩のメニューはてんぷら(かぼちゃ、ピーマン、しいたけ、エビ、イカ、セイント・ピーター)、オクラと梅干しを刻んで混ぜたものを乗せポン酢をかけた冷や奴、きゅうりとわかめとちりめんじゃこの酢の物、とうふとわかめのみそ汁、そして、ご飯。うちに来るお客さんにここまで和風の食事を出したのは初めて。シディは更年期対策には大豆がいいからと言って、自分でお豆腐を作って食べるような人なので、彼らなら大丈夫と思って出したのだけれど、思った通りふたりともどれもおいしいと言って食べてくれた。特に、シディは冷や奴に乗せたオクラと梅干しの味が、豆腐によく合うと言って、気に入ってくれた。シディは箸は使えないのでフォークで食べていたけれど、ライラは上手に箸を使って食べていた。

彼らはパーディーニョの町中のカトリック教会近くの借家に住んでいるのだけれど、ご近所の人たちがさかんに聞きたくもない「誰と誰が浮気をしている」といった噂話をしてきたり、家を出入りする度にどこに行くのかとしつこく聞いてくるのでうんざりしているようだった。そして、日曜日に家で親子ふたりで仲良くそれぞれの勉強をしていると、「何で勉強なんかしているのか?ライラは外で同年代の子たちと遊んだ方がいい」と言うのだとあきれていた。ボトゥカトゥとは住人の性格や対応、考え方がずいぶん違うと言って、カルチャーショックを受けているようなので、同じブラジル人なのにおもしろいものだなと思った。しかもすぐ近くにプロテスタントの教会もあり、その教会がうるさくてしょうがないとも言っていた。ブラジルのプロテスタント教会はどうしてどこもうるさいのだろう?治安が悪化しつつあるボトゥカトゥから治安のいいパーディーニョに来たのだけれど、ご近所の人たちとの付き合いが難しい上、パーディーニョの高校のレベルが低いことなどいろいろ問題があって、ちょっと失敗だったかもと思っているようだった。

2012年3月25日(日)

今朝、朝食後に寝室でベッドメーキングをしていると、近くで「キッ、キッ」と鳴く鳥の声がするので見ると、部屋の前のアンテナタワーの中程にいたので、写真に撮ってみた。スズメの3倍くらいの大きさで、ちょっと長めの尾を時々上下させながら少しずつ上に移動していた。鳥たちはこのアンテナタワーが好きなようで、いろいろな鳥がよくこのタワーにとまって鳴いていることがある。

エドソンは昨日ずっとガレージにこもって何かしていたけれど、今朝は、モビを連れて庭の隅々まで見て回ったり、お隣の井戸のポンプを直しに行ったりしていた。私はお昼前に、モビとお散歩をした後、モビの体を洗い、その後、エドソンとふたりでベランダのイスに腰かけて、えんどう豆をおつまみにビールで乾杯。昼食の代わりにビールというのも変な話だけれど、まあ、たまにはこういうのもいいか・・・週末こうやってベランダのイスに腰かけてのんびりできると、しあわせだなあと思う。ここに訪ねてきてくれるお客さんにも、この楽しみを味わってもらいたいので、エドソンが先週イスをもう2つ追加で注文してくれた。

2012年3月26日(月)

この週末にあった大きな芸能ニュースは、喜劇俳優のシコ・アニージオ(Chico Anysio)氏が亡くなったこと。この人の百面相の顔は、お笑い番組のコマーシャルで毎日のように見ていたので、この突然のニュースを聞いたとき、「ええっ、そうなの・・・」と、少し驚いた。

先々週は2日だけ、そして、先週は1日しか仕事に来なかったエディたちが、今日はやってきて、家の東側にレンガの壁で囲んだスペースを作るための本格的な作業を始めてくれた。今日は基礎工事が行われ、先々週配達された砂利や、砂、セメントがみるみるなくなって行った。

今日からひとりで1週間程の予定で、エドソンの妹のエリカが休暇を取ってやって来ることになった。クリスマスにお母さんたちとやって来た際、ずいぶんここを気に入ってくれ、また来たいということになったらしい。午後無事にサンパウロに到着し、5時半バハ・フンダ発のバスに乗ることができたと連絡があったので、7時半に家を出て、ホドサーブまで迎えに行くと、ほぼ8時ちょうどに無事到着。家に帰りみんなでにぎやかに少し遅い夕飯の食卓を囲んだ。

2012年3月27日(火)

エリカがここに来ていても、エドソンは仕事があって家にいないので、私は何をしてあげればいい?と、エドソンに聞くと、エリカはパラカンビで毎日すごく忙しい生活をしているから、ここでは特に何をするでもなく、のんびり好きなように過ごさせてあげればいいんだから、気を使わなくてもいいということだった。朝、エドソンが仕事に出た後、私の一通りの家事が終わってから、モビを連れてエリカとお散歩に出た。お散歩の後、庭のベンチで景色を眺めながら休憩。昼食後は特に構わず放っておいたら、モビと遊んだり、コンピュータで何かをしたり、お昼寝をしたりして夕方まで過ごしていた。

次の写真は、エドソンのお母さんがおみやげにとエリカに持たせてくれたテーブルセンター。ダイニングテーブルの上に置いて、写真を撮ってみた。

2012年3月28日(水)

今朝は霧が出たり、薄くなったりを繰り返し、いまにも雨が降り出しそうだったけれど、結局雨は降らず、午後遅くなって少し太陽が顔を出した。お陰で夕方までには洗濯物が何とか乾き助かった。朝、家事を終えた後、エリカとモビと一緒にこのシャカラの外を1時間ばかりお散歩した。うちの入り口ゲートを出ると、すぐ向かいの放牧場にたくさん牛が来ていて、一斉に私たちに注目したのでおかしかった。

我が家から東に向かって歩き、右に行くとドナ・ベティのファゼンダ、左に行くとパーディーニョの町に行く四つ角のところでUターンして戻った。帰路は西に向かって歩くので、途中で我が家の屋根とその向こうにランドマークの木が見え、シュハスコ小屋の小さな屋根も見える。家の右側には、庭に植えた木々が成長してきているのが見える。我が家の屋根の手前の茶色い部分はお隣のウィリアムの敷地。そしてその手前に木々が並んでいるのは、ウィリアムの入り口ゲートから家まで続く道に植えられた桜並木。そして、さらにその手前の草原はまた別の所有者の敷地で、一番手前のフェンス沿いはドナ・ベティの敷地。

お散歩の途中で、エリカが何度も写真を撮っていたので、その姿を撮ろうとカメラを構えたら、写真を撮り終えてポーズを取ってくれた。お天気が悪い上、気温が少し低く、雨が降りそうだったので、彼女はエドソンのウィンドブレーカーを着ている。

昼食は焼きそばが食べたいとエリカが言うので、焼きそばを作って食べた。午後、エリカはテレビを見て過ごし、私は夕食の準備と、デザートのブラウニー作りに精を出した。

2012年3月29日(木)

以下は、ニッケイ新聞2012年3月17日付け「コラム 樹海」からの転載。この日本の秋の楽しみはサンパウロ市ならでは。この田舎町ではなかなかそうはいかない。それでも「立派な」という表現を省いたりんごや柿、梨、栗なら、ボトゥカトゥに行けば手に入ることもある。

『残暑が厳しく汗を拭いながらの日々だが、それでも朝と晩には冷え込みが強く、シャツだけでは肌寒くセーターが 欲しくなる。編集局の近くを貫く東西線の路傍に咲く紫紺野牡丹の赤紫の花も夕日を受けて照り映え秋の訪れを告げている。蒼天には鰯雲がたなびき、涼風が肌に触れるのも気持ちがいい。稔りの秋。読書三昧とばかりに秋の夜長を友とする楽しみもまた格別というものである▼旧移民には懐かしいシネ・ニテロイがあっ た東洋街(昔は日本人街)の店頭には、あの日本の茶褐色の梨を惜しげもなく飾り道行く人々の味覚を誘っている。「豊水」と「幸水」らしいのだが、冷蔵庫で冷たくし表皮を剥いてのジューシーな美味は堪えられない。もうすぐ青森のリンゴ「富士」も店先にでんと座る。あれは故・後沢憲志博士が導入を決め栽培を指導したものであり、梨も柿にも日本から専門家が来伯しているのを忘れまい▼握り拳を二つ合わせたような大きな「富士」に齧り付いたときの感動は、将に秋を シンボライズするものだ。30年ほど昔のサンパウロには、こんなリンゴはなく、日本を想い起こしては残念がったものだが、今は堂々とした「富士」を手にブ ラジルの皆さんに「美味いだろう」と自慢したい。そして―赤い柿がやってくる。岐阜が原産の「富有」である▼天皇陛下とご一緒に来聖した皇后陛下が、確か6月だったかに栽培者から贈られたのを召し上がり「おいしい」と絶賛されたのエピソードがあり、本場よりも美味の評判なのである。栗もあるし日本の秋は、 遠いブラジルの地にしっかりと根付いている。秋到来である。(遯)』

2012年3月30日(金)

昨日は、エドソンが午後から仕事を休んだので、エリカを連れてボトゥカトゥの植木屋のプロ・ヴェージに行き、苗木や花、芝などを買った。パラカンビのファームに持って帰って植えると言って、エリカも少し花や苗木を買っていた。帰宅後、3人で庭に芝を植える作業をした。エリカが手伝ってくれたのでとても助かった。

今日は、午前中私の超音波検査があったので、またボトゥカトゥに行き、帰りにスーパーマーケットに寄り食料品を買って帰宅。エリカがモビとお留守番をしてくれたので、今日はドナ・クレウザにモビを預けなくても済んだ。検査が予約の時間よりも1時間以上遅れたため、帰宅したら1時半。車から荷物を下ろしたりしていると、エリカのご主人のデニウソンと彼のお母さんのドナ・マウラがパラカンビから到着。エドソンはお昼も食べずにその足で仕事に出て行った。急いでみんなのお昼を作らなくてはと思ったら、エリカがパーディーニョの町でお昼を食べてくるから心配しなくていいと言い、3人で出かけてくれた。エリカの気遣いに感謝。モビはレストランに入れないので、私とモビはお留守番。でも、そのお陰でゆとりをもって夕飯の準備ができ助かった。5時半にエドソンがライラを連れて帰宅。7時過ぎまで日本語のレッスンをして、エドソンがライラを家に送り届けて帰宅してから、みんなで食卓を囲んだ。デニウソンがパラカンビのファームで獲れたバナナやアボカド、玉子などたくさんのお土産を持ってきてくれたので、ライラに少しおすそ分けして持って帰ってもらった。ドナ・マウラ(70歳)は家からこんなに遠く離れたところに来たのは初めてで、すごく遠かったと言っていたけれど、エドソンは地球の裏側の日本に住んでいた時に比べれば、ずっと近いですよと言って、笑わせていた。

2012年3月31日(土)

今朝は、エリゼウの紹介でここの草刈りを手伝ってくれる人が来てくれることになったので、エドソンが町までその人を迎えに行くため、6時半起床。昨日の夜、モビに2度も起こされて用便のため外に連れ出さなくてはならなかったため、ちょっと寝不足ぎみで眠い。エドソンが帰宅してからみんなでゆっくり朝食を食べ、朝食後、みんなは外に出て、庭の散策を楽しんでいた。私が部屋の掃除を始める頃、エドソンとデニウソンが庭の真ん中に出来つつあった蟻塚を壊してくれていたので、写真に撮ってみた。

その後、エリカたち3人はボトゥカトゥに出かけて行き、エドソンは庭仕事をしながら手伝いの人にいろいろ指示を出し、彼のために何度も冷たい水を補給してあげていた。今晩はエドソンの職場の同僚であり、私のプライベートレッスンの生徒でもあるハファエウと、彼のガールフレンドのマイーラを夕食に招待していたので、私は午後までかかってその準備に精を出した。午後4時に、パウロが娘のイザベラを連れてきたので、1時間ほどイザベラの英語のレッスンをした。毎週土曜日午後4時から1時間ほどしていた子どもの英語のクラスは、金曜日にライラの日本語のレッスンが入ったこともあって止めていたのだけれど、この2月の新学期からイザベラがボトゥカトゥのレベルの高い学校に転校したため、ちょっと苦労しているらしく、学校の英語の勉強を見てほしいと頼まれ、イザベラだけ再開することにした。

5時過ぎにパウロとイザベラが帰る際、手伝いに来てくれていた人をパーディーニョの町までついでに送ってもらうようエドソンが頼み、エドソンが町まで往復しなくてもよくなり助かった。6時過ぎ、ハファエウとマイーラが到着。オーブンの中のお肉が焼きあがるまでの間、居間でチーズやクラッカーをつまみながらみんなで賑やかに談笑。

マイーラはベジタリアンということで、今晩のメニューはローストビーフの他は、ゆでジャガイモとゆでタマゴを混ぜた野菜サラダ、きゅうりとわかめの酢の物、かぼちゃやズキーニなど7種類の野菜をトマトジュースで煮込んだラタトゥイユ、刻みオクラと梅肉を混ぜたものを乗せた冷や奴、そして、ご飯というすべて野菜だけの献立にした。でも、マイーラが食べたのはほんの少しの野菜サラダだけ。きゅうりの酢の物はまあいいとして、ラタトゥイユにも手をつけなかった。ベジタリアンだというのに、野菜を食べないなんて信じられない!この人は一体何を食べて生きているのだろう?と不思議に思った。彼女の好きなものは、タマゴとチーズとチョコレートらしく、「それって、ベジタリアンっていうよりも、ただの偏食なんじゃないの?」と思った。お豆腐を食べたことのないデニウソンのお母さんのドナ・マウラですら冷や奴を食べてくれたのに、ハファエウも冷や奴には手をつけず、食べてみようともせず、がっかり。次の写真は、食事の後、エリカに手伝ってもらって台所で片付けをしている私をデニウソンがパチリ。



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