Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2011年6月1日(水) | ||||
昨日はパーディーニョの町限定の祝日だった。でも誰に聞いても、何の祝日なんだか誰も知らないという不思議な祝日だった。それでも休日は休日。エディーは月曜日も仕事を休み、週末から合わせての4連休を取った。エドソンは昨日が祝日だということを、その前日まで知らなかったので、前からわかっていたら昨日サンパウロに行けたのにと、言っていたけれど、その代わりにボトゥカトゥの町に買い物に行き、建築資材の店で必要な資材を調達し、お隣の照明器具の店でダイニングルームや居間の天井に取り付けるための照明を買い、パウロに教えてもらった別の店で、エドソンのワークスペースに据え付けるデスクや本棚を注文することができたので、お休みを有効に使うことができた。 今日は、東側の足場が取り外され、南側の軒下と柱の仕上げをするための足場が組み立てられ始めた。次の写真はお昼の休憩が終わった後、作業を再開したエディーたち。今日は4人が作業しているのだけれど、この写真には2人しか写っていない。
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2011年6月2日(木) | ||||
モビは手術から一月余りを経過し、以前と変わらず、いたって元気にしている。ちょっと肥満ぎみになってきているので、食事の回数を1日2食から、3食に増やし、1回の食事の量を減らし、1日3回のお散歩を4回に増やして、何とかダイエットに努めている。効果のほどはまだわからない。手術以後、彼には鶏のレバー、ジャガイモ、ニンジン、ブロッコリーなどを食べさせるようにと、ドクターから言われているので、私の留守中エドソンは鶏のレバーを煮て食べさせていた。でも他の野菜までは手が回らないでいた。それで、私が帰って来てからは、買っておいた牛肉の缶詰が無くなったこともあって、これらの材料をすべて一緒に煮て、ミキサーにかけ、ペースト状にしたものを牛肉の缶詰の代わりに、ドッグフードに混ぜて食べさせている。モビはこのペーストをとても気に入ってくれて、毎回あっと言う間に完食してしまう。1回作ると、約1週間分の量ができるので、あまり手がかからず、とても助かっている。次の写真は鍋で野菜とレバーと砂肝を煮ているところ。
鍋の野菜とレバーなどをミキサーにかけて、ペーストを作る。
出来上がったペーストを、空になったハチミツの1リットル容器に入れて保存。
できたてほやほやの、まだ少し暖かいペーストをドッグフードに混ぜたものを食べているモビ。
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2011年6月3日(金) | ||||
昨日は、父の死に関連してどうしてもしなければならない用事があってサンパウロの日本総領事館に行った。一昨日の水曜日にサンパウロ市の交通機関が、地下鉄を除きストだったため、サンパウロ市は大混乱だったと前日の夜のニュースでやっていた。ブラジルはちょっとフランスに似ていて、労働組合が強いため、リオやサンパウロの大都市ではこのようなストがよくあるようだ。昨日も朝出かける時点で、やはり地下鉄を除きバスや電車などの交通機関がストを続けているということだったのだけれど、私たちにとってサンパウロ行きは1日仕事になるため、エドソンの仕事の都合や、モビをドナ・クレウザのところで預かってもらう手配などをしなければならず、前もって予定を立てなければならない。そのため今日がダメなら、じゃあ明日というような簡単なことにはならない。それで、地下鉄が動いていれば何とかなるのではないか?と、リスクを覚悟でとにかく出かけて行った。 幸い、行きも帰りもラッシュアワーを外れていたせいか、まったくいつもと変わらない感じで、スムーズにバハ・フンダ駅からブリガデイロ駅まで地下鉄を乗り継いで総領事館を往復することができた。総領事館でもスムーズに必要な証明書を出してもらい、6時半にはパーディーニョのホドサーブに帰り着くことができた。ストの影響を全く受けることなく、ラッキーとしか言いようのない1日になった。 私たちの留守中、仕事に来てくれたマウリシオが、先週買って来ておいてくれた桜の苗木20本を植える作業をしてくれたので、植林総数は256本になった。植えた桜の総数は25本。まだ植えていないイビウーナの中村さんからいただいて育てていた苗がもう1本あるので、これを植えれば26本になる。これらの木が育って花を咲かせるのは、まだ何年も先のことかもしれないけれど、今後は毎年7月のお花見の時期が楽しみだ。今日は、午前中マウリシオに手伝ってもらって、ガレージ内に積み上げてあった引越し荷物の箱を、上の家の寝室に移動させた。ガレージ内で積み上げていて、ホコリだらけになっていた場所を掃除し、ガレージ内を整理した。大きな引越し荷物の壁がなくなり、ガレージ内が少しすっきりし、気分がいい。これもひとつの前進。
午後からはマウリシオにリグストルンの苗木などをボトゥカトゥの苗木屋さんまで買いに行ってもらった。グレヴィーリャ1本、リグストルン10本、セドリーニョ15本の計26本を買ってきてくれ、計130レアル。グレヴィーリャは1本10レアルで、その他は1本5レアルだった。手前の背の低い苗木はセドリーニョ。後ろの背の高い苗木がリグストルン。リグストルンの中に1本グレヴィーリャが混ざっている。
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2011年6月4日(土) | ||||
先週、私の英会話のクラスに体験参加した2人の女性の内ひとりは、ボトゥカトゥの英語学校を続けることにし、もうひとりはこちらに参加することにしたということで、今日から私の生徒さんはひとり増え、男性2人、女性2人の計4人になった。彼らの2時間のレッスンが終わると、引き続きパウロの娘のイザベラとの1時間のレッスンが始まる。ブラジルでは公立小学校では5年生から英語の授業があるのだけれど、イザベラが通っている私立小学校では3年生くらいから英語の授業があるらしく、彼女は8歳の時から英語を習っている。それで、彼女が学校で使っているテキストというかワークブックのようなものを使い、発音と綴り方に重点を置いて復習するようなことをしている。そのため英会話を教えているというよりも、英語の家庭教師をしているような感じだ。そして、東京の大学で先生をしている友人が送ってくれた子供向けの歌の本とCDを使って、毎回必ず体を動かしながら歌う英語の歌を一緒に歌っている。
今日は、お隣のカゼイロのジョアオンから「娘のダニ(本名はダニエラ、Daniella)の15歳の誕生パーティーを午後8時からするから来て」と、招待されていたので、8時前に懐中電灯を片手に、モビを連れて、草原を横切ってテクテクと出かけて行った。私たちからのお誕生日のお祝いは、木曜日にサンパウロに行った際、バハ・フンダのホドビアーリアで買っておいた化粧ポーチ。ブラジルでは15歳の誕生日というのは、子供からおとなになる変わり目の特別の日のようで、どこの家庭でも特別な誕生会をするのだそうだ。ジョアオンの家に行くと、親戚や友人の人たちがたくさん子供連れで来ていて、家の外に置かれたデーブルの周りや家の中は人であふれていた。ジョアオンの雇い主のウィリアムもジウダと一緒に来ていた。次の写真は家の前のベランダに置かれたテーブルに並ぶケーキやお菓子。
8時からと言っていたのに、待てど暮らせど美容院に行っているという主役のダニは戻らない。その間パーティーに来ているおとなたちは、寒い中、冷たいビールなどを飲みながら、手持ち無沙汰におしゃべりをしているのだけれど、子供たちは元気に走り回っていた。ガンガン鳴っている音楽に合わせてダンスをしているちびっこカップルもいた。この子たちは相当長い間踊っていた。こんな小さな頃から音楽に合わせて踊っていれば、リズム感が良くなるはずだ。
午後9時を回って、ようやくダニが美容院から戻り、主役の登場となった。バッチリお化粧をし、髪をセットしてもらい、大人びたドレスを着ている。ダニの右手側のテーブルのところで大きなビール瓶を持っているのは父親のジョアオン。
次の写真に写っている人たちは、主役のダニを含め皆、真夏のような恰好をしているけれど、実の所、気温は9度くらいでとても寒く、オーバーを来ている人もいるのに、この人たちはこんな恰好で寒くないのだろうか?と、エドソンも私もとても不思議だった。ジウダとウィリアムは寒くてもうこれ以上我慢できないと言って、ダニが登場する前に家に戻ってしまったくらいなのだ。
寒さに備えて、しっかり重ね着をして行った私たちも寒くて我慢できず、ダニにお祝いを言ってプレゼントをあげたら、すぐに退散した。帰る途中でウィリアムたちの家に寄って、挨拶だけして帰ろうとしたら、「今からお昼のシュハスコの残りを温め直すから一緒に食べて行って」と引き止められ、結局、ジョアオンのところではなく、ウィリアムのところで夕食をいただくことになってしまった。 | ||||
2011年6月5日(日) | ||||
マウリシオは、週に3日か4日ご近所のタケイシさんのところのコーヒー園の仕事を手伝い、1日か2日うちに仕事に来てくれるのだけれど、タケイシさんはよくマウリシオに、果物や苗木など、いろいろなものを言付けてくれる。この木曜日も、タケイシさんからだと言って、マウリシオがオレンジととうもろこしをたくさん持って来てくれた。次の写真はそのとうもろこし。我が家のとうもろこしは、ほんのわずか実をつけているのだけれど、まだ収穫はできない。
それで今日はそのオレンジの3分の1くらいを絞って、オレンジジュースを作り朝食に出した。その後、とうもろこしの実をすべて削って、さっと茹で、何かの役に立つだろうと取っておいたアイスクリームの容器に分けて入れ、冷凍保存の準備をした。だんだん寒くなってきているので、これで熱々のコーンスープを作ろうと思う。
一方、エドソンは今日はお昼ご飯を食べに降りてきただけで、ずっと上で電気の配線や、コンセントや電灯のスイッチなどの取り付け作業に精を出してくれた。お疲れ様。午後、お掃除がてらモビと一緒に様子を見に行くと、モビは部屋の隅でコンセントの取り付け作業をしているエドソンの側に行って、しばらく彼の作業を眺めていた。
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2011年6月6日(月) | ||||
次の写真は、先週の木曜日にマウリシオが植えてくれた桜(セレジェイラ、cerejeira)の一部。この苗木だけを見ていると、ヒマラヤ桜なのか、沖縄の緋寒桜なのか、それとも別の種類なのか私たちにはよくわからない。花が咲けば多少の違いはわかるかもしれないと期待している。
私の留守中、エドソンが市のトラクターに草刈りを頼んだので、戻ってきたらきれいに草が刈られ、丘の上だけでなく、下の森の近くまで自由に歩いて行くことができるようになっていた。下の森の近くに穂先が赤い植物が群生しているので、近くまで行って写真に撮ってみた。ここは秋から冬にかけて落葉する木はあっても、紅葉は見られないのだけれど、このすすきのような植物と赤い色をした植物の群生を見ると、一応、秋らしいかな?と、思う。
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2011年6月7日(火) | ||||
今日は朝からすごい風が吹いている。「寒そうだな」とモビを連れて外に出ると、北から吹きつけている風なので、意外に生温かかった。エドソンがインターネットの気象観測サイトを見て、西から大きな雨雲が近づいているから、午後から雨になるから気をつけてと、言い置いて仕事に出て行った。このところずっと雨が降っていないので、この風で外は砂埃がひどく、外から戻ると口の中がジャリジャリ言うほどだった。ここの砂はパウダースノーならぬ、パウダーサンドなので、ガレージの中にも容赦なく砂が吹きつけられて入ってくる。ダイニングテーブルの上を何度拭いても、雑巾は砂埃で真っ赤になる。やれやれ・・・床もザラザラ。 午後から雨が降り始め、砂埃が舞わなくなったので、ガレージの床の拭き掃除をした。何度も何度もバケツの水を変えて、雑巾をすすぐのだけれど、ここの赤い砂のため、雑巾も赤く変色してしまった。 今は乾季なので、めったに雨は降らないけれど、降るといったら、まるで巨大台風のような暴風雨になるので、油断がならない。まだ、日本と違い地震がないだけましなのだけれど、ここの暴風雨と雷はとても曲者だ。 | ||||
2011年6月8日(水) | ||||
昨日の暴風雨がもらたした被害状況を今朝チェックし、何ヶ所か写真に収めてみた。まず、雨水を貯めるために買って、まだ設置されないまま家の前に置いてあった大きな水のタンクが、15メートル余り東に吹き飛ばされて、お隣との境の柵の側まで行っていた。側にある孟宗竹やグレヴィーリャにぶつかっていなくて良かった。
私の留守中に屋根瓦が一通り並んだのだけれど、まだ次の写真のように、4つの角は先っぽに2枚くらい置かれただけで、完成していない。そのため、昨日の風で、家の南西角の瓦は飛ばされてしまっていた。
この角の瓦だけでなく、他にも飛ばされた瓦があるようで、ガレージ前の地面に落ちて壊れていた。
さらに、家の西側にあるエディの道具置き場の小屋のスレートの屋根も一部、吹き飛ばされて家のベランダの下に叩きつけられて壊れていた。もう少し吹き飛ばされる位置が高かったら、窓ガラスにぶつかって、ガラスが壊れていたかもしれないので、これも不幸中の幸い。
この他、ベランダに置いておいたモビの犬小屋や柵も10メートル以上吹き飛ばされ、建設現場の空になったダンボール箱やセメントの袋なども、そこら中に吹き飛ばされて散らばっていたので、今朝はそれらをひとつひとつ拾い歩かなければならなかった。 | ||||
2011年6月9日(木) | ||||
大学病院でのモビの治療に関連して、いくつかポルトガル語を憶えた。まず、この大学病院の正式名称は、Faculdade de Medicina Veterinaria e Zootecnia(ファクルダージ・デ・メディシナ・ヴェテリナリア・イ・ズーテクニア、獣医学および畜産医学部)のHospital Veterinario(オスピタル・ヴェテリナリオ、獣医学病院)。モビの治療をしてもらう外科の建物の入り口のドアにはCirurgia de Pequenos Animais(シルージア・デ・ペケーノス・アニマイス、小動物外科)とある。馬や牛などの大型の動物は別の場所で治療が行われるようだ。大学病院にモビを連れて行くと、毎回やるのがexame de sangue(エザーミ・デ・サンギ、血液検査)。そして、その血液検査の結果、白血球数が少ないなどの問題がなければquimioterapia(キミオテラピア、化学療法)を行う。そして、家で飲ませるためにもらうモビの薬の処方箋は、receituario(ヘセイトゥアリオ、処方箋)。 その他、テレビを見ていてよく耳にする言葉は、少しずつだけれどわかるようになってきた。例えば、ajudar(アジュダー、to helpのことで、助けるとか手伝うという意味)。help me、つまり「助けて」とか「手伝って」と言いたい場合、 me ajuda(ミ・アジューダ)という。そして、おもしろいなと思ったのは、ドライバーのことをmotorista(モトリスタ)というのだけれど、タクシードライバーのことは、motorista de taxi(モトリスタ・デ・タクシー)などとは言わず、taxista(タクシスタ)ということ。また、置く(to put)という意味のpor(ポー)という言葉は、普通のポルトガル語のようにarとかerで終わらない単語なので、普通のブラジル人にとっても動詞の変化を憶えるのが難しいらしく、何故かポルトガル語には存在しないponhar(ポニャー)という単語を使う人たちが多いらしい。私もporの変化はよくわからないので、ここの人たちに一番通じやすい、colocar(コロカー)という言葉を使っている。 | ||||
2011年6月10日(金) | ||||
5月31日付けのニッケイ新聞のブラジル国内ニュースで、久しぶりに高速鉄道の受注競争に関する記事を見かけた。「高速鉄道は日韓仏の争い=陸路輸送庁長官が中間報告」という見出しで載っていた。この記事の終わりの部分に出てくるバラ・フンダというのは、私たちが高速バスでサンパウロに行く際到着するBarra Fundaのことなので、正しくはバハ・フンダと発音する。 『7月29日に入札が行われる高速鉄道(TAV)受注競争は、日本、韓国、フランスの争いとなりそうだと28日付エスタード紙が報じた。 27日のベルナルド・フィゲイレド国家陸路輸送庁(ANTT)長官の発言によると、リオ〜サンパウロ〜カンピーナスの3市を結ぶ全長511キロの高速鉄道は、その後の国内外の鉄道網拡張計画とも鑑み、技術先進国には魅力的な計画で、積極的なのは日、韓、仏の事業者だという。 同長官によれば、日本政府は100億ドルの金融支援を行う方針を打ち出しており、韓国も同様の意向。フランスも、建設資金の調達を快諾しており、伯国の高速鉄道事業計画落札者の技術は、ラ米地区の同種の計画でも利用される可能性が高いという。 高速鉄道の入札を希望するコンソーシアムは、7月11日までに書類を提出、29日に開札が行われる。総工費は350億レアルの予定だが実際には500億 レアルかかるともいわれている。また、聖市からは、同市内の駅をカンポ・デ・マルテからバラ・フンダに移転して欲しい旨、申し出が出ているなど、流動的な部分を残している。』 | ||||
2011年6月11日(土) | ||||
ここパーディーニョで私たちが仲良くしている夫婦の中にジェラウド(Geraldo)とホザ(Rosa)がいる。彼らはここから高速道路のカステロ・ブランコまで下りて行った所にあるニーニョ・ヴェージ(Ninho Verde)というコンドミニオ(Condominio、セキュリティーの厳しい分譲住宅地)で暮らしている。前々から夕飯に誘っていたのだけれど、こちらの都合のいい時は、あちらの都合が悪く、あちらの都合のいい時は、こちらの都合が悪いという状態が続き、何ヶ月も延び延びになっていたのが、この木曜日の夜、ようやくお互いの都合が合い、食事に来てくれた。 このところ寒いので、夕飯のメニューにエドソンは鍋(鶏の水炊き)を提案したのだけれど、日本食初心者の彼らにはちょっと敷居が高すぎるかもしれないので、同じように体が温まる野菜たっぷりのポトフを作ることにする。ジェラウドは数年前リタイアした後、サンパウロから環境のいいパーディーニョに移り住み、ボランティアで近隣の病院に入院している子供たちを慰問するパッチ・アダムスをやっている。そして去年あたりから、マックス・フェファー文化センターで1日4時間のパッチ・アダムス養成講座を2週間に一度開いている。ホザはここから北西に1時間以上行ったバウルに住んでいる高齢の両親の世話でよくバウルに行っていて、パーディーニョにいる時は、庭仕事をしたり、趣味で絵を描いたり、手工芸品を作ったりしている。それで、彼女手作りのお土産(ナイフやフォークを立てて入れるものなど)を持ってきてくれた。布巾のピエロの絵は、ホザの手描き。
そして、ホザはお料理もとても上手で、彼らの庭で採れたレモンを使った、手作りのとてもおいしいレモンケーキを持ってきてくれたので、食後のデザートにいただく。この他、同じく彼らの庭で採れたアボカドやレモンなどもどっさり持ってきてくれた。少し前には、タケイシさんの所からもとうもろこしやオレンジをいただいているので、うれしい悲鳴。
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2011年6月12日(日) | ||||
リオデジャネイロ州ペトロポリスの日系協会は、2008年の日本人移民100周年の年から毎年、日本文化際を開催している。今年は8月6日から14日まで開催される。例年この文化祭は、ペトロポリス日系協会、ペトロポリス市役所、在リオ日本総領事館の共催で行われているのだけれど、今年は3月に震災があったため在リオ日本総領事館は自粛するということで不参加となる一方で、ペトロポリス市からは、「日本の大地震に対するペトロポリス市民の同情だけでなく、一日も早い復興を願っているという気持ちと、応援の声を日本に送るような大々的な行事にしよう」という提案があったのだそうだ。それで、日系協会の安見さんは、リオ州の各日系団体にも応援・協力を依頼したらしい。そして、私の所にも、「日本とあまり関係のないブラジルの一小都市がこのような行事をしてくれることは本当にありがたく、なんとかしてこの声を日本の人達に伝えたい」のだけれど、どのように日本のマスコミとコンタクトを取ったものかと、相談があった。ブラジルに来てまだ2年余りで、ほとんど何も知らない「ど田舎」暮らしの私なんかよりも、在伯期間が長く、リオの総領事館にも顔が効く安見さんの方がよっぽどいろいろな人を知っているだろうにと、思ったけれど、とにかく先週の月曜日、私の知っている限りの、と言ってもほんの6ー7人の、人たちに問い合わせのメールを送ってみた。 まず、サンパウロのニッケイ新聞の深沢編集長からすぐに返信があり、記事にしましょうと言ってくれた。さらに、記事にしてくれるかどうかはわからないけれど、一応、リオの共同通信の特派員にも連絡を取ってくれたという。ありがたい。イビウーナの中村さんからは産経新聞東京本社の編集局の方と、NHKサンパウロ支局長の連絡先をいただいた。他にも問い合わせをした方達全員が返信をくださり、いろいろな情報を寄せてくださったので、ありがたく思うと同時に少し驚いた。在伯の日本人の人たちは皆、親切で、律儀だなあ。 そして、さらに驚いたのは、月曜日の朝、深沢編集長に連絡を取ったばかりなのに、すぐに取材に動いてくださり、木曜日、つまり6月10日付けのトップニュースで、「リオ州ペトロポリス=市主導の震災支援イベント=8月『ガンバレ日本』開催=リオのコロニアも全面協力=岩手出身 杉村公使ゆかりの地で」という記事が掲載されたことだった。私はニッケイ新聞の購読契約をしていないので、全文を読むためには記事が無料で読めるようになるまで10日ほど待たなければならないのだけれど、ここでは10日現在で読むことができる頭の部分だけを転載してみる。ちなみに「ガンバレ日本」は、ポルトガル語でForca Japao(フォーサ・ジャパオン)と安見さんの資料の中にあった。 『リオ州ペトロポリス市(パウロ・ムストランギ市長)、同市文化観光基金、現地日系協会(安見清会長、会員150)の共催による震災支援イベント『ガンバ レ日本』の開催が8月6〜14日に決まり、準備が進んでいる。同協会は08年から「日本文化祭」を開催しているが、東日本大震災を受け、親日家のムストラ ンギ市長が支援イベントにすることを提案した。ペトロポリスは1897年に初めて日本公使館が設置され、被災地となった岩手県出身の杉村濬公使が移民賛成論を唱えたゆかりの地。安見会長は、「市が積極的にこのようなイベントをやろうとしてくれる。とても嬉しい」と声を弾ませている。』 | ||||
2011年6月13日(月) | ||||
この金曜日と土曜日の2日間で、マウリシオがセドリーニョやオレンジの苗木70本を植えてくれたので、植林総数は一挙に352本になった。セドリーニョの苗木はとても小さいのだけれど、50本まとめて買うと50レアル、つまり1本1レアルという安さだったので、まとめて買って来てもらった。これでまずは一通り、家の周りの植林作業は完了した感じだ。後は、西隣のコーヒーファームとの境界にある森の再生・拡張をしたいのだけれど、これは急いだことはないので、追追にと考えている。次の写真は、マウリシオが植えてくれた背丈が10センチほどの小さなセドリーニョ。
次の写真ではよくわからないかもしれないけれど、入り口ゲートの両側には、これまでそれぞれグレヴィーリャ2本、ブーゲンビリア2本ずつを植えているのだけれど、さらに、桜を1本とリグストルンを1本ずつ追加して植えた。これらが育つと、入り口ゲートの両側は緑と花が生い茂ることになる。
モビとの午後のお散歩の際、私の前を歩き、丘を登って行くモビの可愛いプリプリのお尻を写真に撮ろうとして立ち止まってカメラを向けると、モビも立ち止まってこちらを向き、座り込んでポーズを取ってくれた。体が太い丸太のようにパンパン。病気の治療が終わり、薬の摂取が終わるまで、ダイエットの効果は出そうにない。
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2011年6月14日(火) | ||||
先週は、火曜日と木曜日に雨が降り、太陽が顔を出さない日があったので、ずいぶん冷えた1週間になったけれど、昨日は昼間の最高気温が20度を越えたので、少し暖かくなりほっとした。先週火曜日の暴風雨で、下の三角地帯で育っていたとうもろこしは、ほとんどがなぎ倒されてしまったため、土曜日にエドソンが大小なっていたとうもろこしの実をすべて収穫してくれた。蒔いた種から48本の芽が出て、収穫できたとうもろこしはとても小さいものが10個だけ。でも、時期遅れに種を蒔いて、以後特別に何もせず、ほっておいてこれだけできたのだから、初年度としては上出来だろうと思う。
しばらく出没していなかった野うさぎが、ここ2ー3週間、また夜な夜な出没して庭を荒らしている。植えたばかりの苗木を折ったり、地面を被っていたアメンドインを食べたりする被害が出ている。エドソンはこの野うさぎのことをオサマ・ビンラーデンと呼んでいる。地面ぎっしりに生えていたアメンドインが食べられてしまい、無残に地面が見える状態になってしまっている。地面にたくさん転がっている丸いものは、野うさぎの糞。
それでも、3ー4ヶ月ほど前だったかに、このテロリストに折られた桜の苗木は、今では保護するために周りに積み上げて置いたレンガよりも背丈が伸びて、しっかり成長している。だからアメンドインも雨季になればまた回復して、地面ぎっしりに生えてくるだろうと思う。
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2011年6月15日(水) | ||||
今月に入り、建設作業のスピードがガタッと落ち、エディたちは週に2ー3日しか来てくれない状態が続いている。そのため、家の南側の軒下や柱の仕上げをするために組み立てられた足場はそのままで、作業は止まってしまっている。それでエドソンは、今週は家の中の作業を優先してくれとエディに頼んで、まだ残っていた室内のレンガの磨き上げと湿気防止塗料の塗布を月曜日にしてもらい、今日は、ストーブの煙突や換気扇のための穴を天井に開ける作業が行われている。きれいに仕上がった天井を壊すなんてと思うけれど、ここでは屋根が一番最後に立ち上がるので、初めから天井に煙突用の穴を開けておくことができない。天井に穴が開いていると、雨降りの日に、家の中や天井が無残なことになるからだ。それで、作っては壊し、作っては壊しということを、ここのペドレイロさんたちは得意としている。 そして、2週間ほど前にボトゥカトゥのオフィス家具店で注文しておいた、エドソンのワークスペースに置くデスクや本棚が今朝届いた。これらが届く頃には煙突もできているかと思っていたのだけれど、結局、タイミングがうまく合わず、少々埃をかぶることになってしまった。でも、エドソンは家の中に家具が入り始めたことをとても喜んでいる。次の写真は、組み立てられたばかりのデスク。
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2011年6月16日(木) | ||||
昨日は日没後、月食が見られるということで、夕食の準備をしながら夜空を注意して見ていたら、6時を過ぎて少し霞んだ東の空にぼんやりと細い月が見え始め、時間を追うごとに、月食で欠けた部分が徐々に少なくなり、月が明るくなって行くのが見えた。私の小型カメラでは暗すぎて捕らえることができなかったのだけれど、エドソンの一眼レフで何とか写真に収めることができた。
ニッケイ新聞に、以下のような記事があった。ブラジルのことをもっと知りたい人には役立つサイトではないかと思い、ここに転載してみる。 『ブラジルをもっと身近に、もっと楽しく—日本語で伯国情報を発信するポータルサイト「Brasi link(ブラジリンク)」がオープンした。朝日新聞が報じた。趣味からビジネスに役立つ情報を「観光、音楽、ファッション、料理、生活、ニュース」の6 カテゴリに分けて紹介。写真も多く、在伯記者によるナマの情報が手に入るとあって、日本でのブラジル人気は更に加速しそうだ。』このサイトは、こちらへ。 | ||||
2011年6月17日(金) | ||||
昨日はモビの治療の日だったので、また、ボトゥカトゥへ行ってきた。先月いっぱいでインターンの人たちは研修を終えたらしく、姿を見なくなった。そのため人出不足なのか、患者が多いからなのか、血液検査から治療までの間、ずいぶん時間がかかり、待たされる。お天気がいいと、広いきれいな庭をお散歩したりして時間を潰すことができるのでいいのだけれど、前回は雨の上、停電になったりして、薄暗い中、外科の狭い廊下の冷たくて硬いベンチに座って待ち続けるのはなかなか大変だった。他の患者犬を見ていると、交通事故に遭って治療に来ている犬もいたりするけれど、モビのように腫瘍の治療に来ている犬が結構多いのに、少々驚く。犬も人間と同じように、ガンが増えているのだろうか? 午後1時にようやく病院での治療を終えた後、スーパーなどで買い物をして3時過ぎにボトゥカトゥから戻ると、エディが台所と居間の間のカウンターテーブルの一枚板の最終仕上げをするところだったらしく、エドソンはテーブルを磨くための布を持って上がって行った。しばらくして、「テーブルに塗料を塗って磨きをかけたらとてもきれいになったよ。みんなでお祝いしよう。」と言って、ワインで乾杯することになった。それでちょっと記念撮影。左から、エディ、エディの下でペドレイロ修行をしているマノ(本名はアレッシャンドレ、Alexandre)、もう一人の手伝いのお兄ちゃん(名前は知らない)、そして、エドソン。エディの弟のネゴは、最近何故か他のペドレイロのところで働いているらしく、ここには来なくなった。兄弟喧嘩でもしたのだろうか?
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2011年6月18日(土) | ||||
現ジウマ政権のパロッシ官房長官の資産が、4年で20倍に増えたと5月15日付のフォーリャ紙が報じて以来、ブラジル政界はガタガタしている。このパロッシさん、結構評判のいい政治家だと思っていたら、前のルラ政権の時も、財務大臣か何かをしていて、やはりお金のスキャンダルで大臣を辞任しているのだそうだ。洋の東西を問わず、政治家という人種は懲りない人たちなのだなと思う。さらに、検察省は何故か同長官関連の捜査を打切りにしたとか・・・政治家の捜査をしだすと、ゾロゾロと皆罪に問われることになるらしいから、ストップがかかったのかもしれない。ブラジルは民主主義国だけれど、日本同様、政治の世界は混沌としているようだ。 ニッケイ新聞の2011年6月8日付け「コラム樹海」に、この件に関して次のような記事が掲載されたいた。 『わずか4年間で資産を20倍に増やしたことで説明を求められているアントニオ・パロッシ官房長官(PT)は、 グローボやフォーリャ紙の取材をうけて弁明した。しかし、個人的な経営コンサルタント会社の正当な収入であり、顧客の名前は一切明かせないと開き直ったものだから、釈明が足りないとますます野党から追求され、ついに辞任に追い込まれそうな雲行きだ▼昨年のジウマ大統領の激烈な選挙戦を仕切った立役者であり、その功労賞と取れなくもないようなタイミングで資産を増やしたとされるため、世間の注目は集まる一方だ。短期間にそれだけ資産を増やす〃秘訣〃は、政治家でなくとも国民誰しもが知りたいところ。隠し立てする必要ないというなら正々堂々と包み隠さずに教えて欲しいものだ▼最近さる日系連邦下議の関係者と話していたら、ジウマ大統領のガン再発の可能性について盛んに論じていた。万が一、大統領に健康問題が発生したら、ミッシェル・テメル副大統領 (PMDB)が昇格するから、政界の方向性は大きく変わる可能性がある▼閣僚の要たる官房長官をまず失脚させ、その上で大統領を揺さぶって——などと権謀術数がもし講じられているのであれば、最近やけにPMDBの鼻息が荒いのも合点がいく部分がある▼検察の捜査も見送りになったが、あとは辞職して〃疑惑〃 に蓋をするのが従来のパターン。でも本来辞任とは関係なく、そこに罪があるのなら追求されるべきだ。伯国が本気で世界のリーダー国になりたいのなら、中途半端なところで手打ちにする政界の悪習こそ辞めたほうがいい。(深)』 | ||||
2011年6月19日(日) | ||||
このところエドソンは毎週末、上の家のコンセントや電気スイッチの取り付けで忙しい。今週も昨日、今日とほぼ1日中作業をしてくれた。そんな中、今日はご近所で週末限定のランチョネッチ兼バーのような店を出している農家にコシニャ(コロッケのようなもの)を食べに行った。ご近所と言っても、ここから南東に2ー3キロ行った台地の際にあるので、もちろん徒歩ではない。ここのコシニャはおいしいという評判で、隣町のボトゥカトゥからわざわざ食べに来る人もいるということだった。台地の東側の際で、ジガンチ・アドメシード(人が横になって眠っているように見える山並み)も見える景色のいい場所にあるのだけれど、評判だというコシニャはどこがそんなに評判なのだろうと思える普通の味で、店構えももう少しきれいにすればいいのにと思うような店だった。でも、馬で来ているご近所のガウーショのおじさんたちだけでなく、隣町のボフェチや遠くサンパウロのナンバープレートをつけた車で来ている人たちも数組いて、結構賑わっていた。 店の外の木の下にテーブルやベンチがたくさんあり、そこでのんびり景色を眺めながら食べていると、木の上にパパガイオが数羽いて、その内の1羽が枝を伝ってシズシズと私たちの上にやってきた。何だか声を発して「ちょうだい」と言っているようなので、食べているものを少し分けてやった。
食べ物を口のところに差し出すと、静かにくちばしで加え、それを足に持ち替えて、じょうずに食べる。そして少しずつゆっくり食べる。少しもガツガツはしていないのだけれど、食べ終わると、また側に来て「ちょうだい」というような声を発する。「もうないよ」と言っても、しばらく私たちを眺めていた。そして、本当に私たちが食べ終わると、またシズシズと枝を伝って上に上がって行った。このパパガイオ、野性のものがここに住みついたのだろうか?数羽で話している声が、まるで人が話しているように聞こえるのでおかしかった。
昼食から戻り、エドソンはまた作業に戻り、私は床の掃除をしたり、エドソンの作業を手伝った。天井に照明を取り付けるためのベースや、一部照明の取り付けが完了し、だんだん部屋らしくなってきている。
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2011年6月20日(月) | ||||
ブラジルのテレビでは、様ざまなノヴェラ(Novela、連続ドラマ)をやっている。私が見ているグロボテレビでは、夕方の6時前くらいから10時半頃まで3本のノヴェラを立て続けにやっている。まず、6時台はCordel Encantadoという歴史物のノヴェラをやっている。この時間帯うちではまだテレビをつけておらず、めったに見ないので、どういうストーリーなのかよく知らない。次に7時台に少しコメディーっぽいMorde & Assopra、そして、約1時間弱のJornal Nacionalというニュース番組をはさんで、9時台にInsensato Coracaoがある。以前は7時台のノヴェラも見ていなかったのだけれど、このMorde & Assopraはおもしいので見るようになった。 オープニングの映像と音楽がちょっと変わっていて、インパクトがありおもしろい。一応、メインの主人公が考古学者のジュリア(Julia)と、武骨な農夫のアビネー(Abner)なので、ロボットの女性と恐竜で「美女と野獣」を表現している感じだろうか?
![]() 以前も書いたことがあるけれど、ブラジルの連続ドラマは日本のドラマと違って、やたらにいろんな人たち(20ー30人)が出てきて、それぞれにドタバタがあるので、たくさん主人公がいる感じなのだけれど、一応、このAbner (Marcos Pasquim)とJulia (Adriana Esteves)が主人公ということになっている。9時台のノヴェラは嫌になるほど悪意を持った人間がたくさん出てくるのだけれど、このMorde & Assopraでは、悪意を持った人や意地悪な人たちもいないわけではないけれど、基本的には誤解や様々な行き違いがドタバタの原因なので、見ていてしんどくない。
![]() 9時台のノヴェラはだいたい、いつもリオが舞台なのけれど、このノヴェラは日系人の多いパラナ州のロンドリーナが舞台。そのせいか日系人の家族も出てくる。左から、Akira (Chao Chen)とTieko (Miwa Yanagisawa)。このふたりは母と息子という関係。 Hinoue (Ken Kaneko)。この人はお寺のお坊さん。 Keiko (Luana Tanaka)とHoshi (Camila Chiba)はいとこ同士で、アキラとチエコの家で同居している。ケイコはアキラのお嫁さんになるために日本から来たのだけれど、アキラとの結婚が嫌で、家出してしまう。そしてケイコの娘Kimmy 役で小さな女の子(Carol Murai)も出演している。
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2011年6月21日(火) | ||||
先週まで、チリの火山が噴火し続けていると、毎日のように報道していたけれど、先週末辺りからニュースを聞かなくなった。収束したのだろうか?チリの西に位置するアルゼンチンやウルグアイ、そしてブラジル南部でも、この火山灰で多くの航空便が欠航したり、道路や畑に雪のように火山灰が積もる被害が出ていると言っていたけれど・・・。そして、あるニュースではこの火山灰はすでに南半球を一周して、オーストラリア、ニュージーランドを通って、チリ南部に到達したとあった。想定外の大きな地震があちこちであったり、こんな大きな火山噴火があったりと、何だかこのところ地球の状態が穏やかじゃないのが気になる。 以前、お隣の丘の上に、UNESP(サンパウロ州立大学)の気象観測装置が設置されたと、写真を添えて書いたことがあるけれど、その後、この観測装置の周りに柵が設けられ、インターネット上で常時、1時間ごとの気温、湿度、降雨量などの観測データが見られるサイトが立ち上がったので、私たちはここの気温や湿度などが簡単にわかるようになった。
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2011年6月22日(水) | ||||
今日は日本では夏至なので、日本の真裏にあるブラジルでは冬至ということになる。でも、先週までの寒さが和らぎ、このところ最低気温が10度前後、最高気温が20度を越えているので、暖かな穏やかな毎日が続いている。日本と違い、冬至粥や柚子湯とは縁がないけれど、季節柄りんごがおいしいので、りんごのケーキを作った。夕飯にはかぼちゃのスープを作ろうと思う。
先月、広島に戻っている時、友人のひとりが、17日、18日の深夜にNHKラジオ第一で、ブラジルのことを特集していると知らせてくれたけれど、午後11時を過ぎるとバタンキューの私にとって、サンパウロ市から生放送の「ブラジル発ラジオ深夜便」を聞くことはできなかった。そうしたら、ニッケイ新聞に、この番組がインターネット上で6月末まで視聴できるとあった。アドレスは(www.nhk.or.jp/shinyabin/brasil2.html)で、高橋ジョーさん(国際交流基金特別顧問)、海谷英雄さん(トメアスー文化協会理事)、青木智栄子さん(ブルーツリーホテル社長)らの話が当日そのままに聞けるのだそうだ。それで、聞いてみようと思ったら、これを聞くための特別のソフトがうちのコンピュータに入っていなくて、アウト。ああ、残念・・・ | ||||
2011年6月23日(木) | ||||
今日は、Corpus Cristi(コーパス・クリスティ、これはラテン語で、英語にするとBody of Christ)という宗教的な祝日。ブラジルはカトリックの国なので、今日は全国的に休日。教会ではミサがあるのかもしれないけれど、カーニバルやイースターやクリスマスのように何か特別な催しがあるというわけではないらしい。私たちにとっては、普段の休日や週末などと変わらず、ひたすら家事や、家の作業に勤しむ1日になった。 今月に入り始まったものの、ずっと進展していなかった北側の軒下や柱の仕上げは、今週作業が進み、ようやく西側半分の作業が昨日終わり、取り払われた足場が東側に移動した。この作業が来週、つまり今月末までに完了するかどうかはわからない。エディたちの仕事を見ていると、集中的にひとつのことを仕上げるというよりも、あっちをやったり、こっちをやったりするので、なかなか予測がつかない。この外の作業をする前に煙突を仕上げてほしいとエドソンは頼んだはずなのだけれど、天井裏にレンガを上げた後、それを積み上げて煙突を作る作業は行われず、この外の作業が始まった。その理由は、???
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2011年6月24日(金) | ||||
ニッケイ新聞2011年6月11日付けのブラジル国内ニュースに、「ジョアン・G氏80歳に=内気なボサノヴァ創成者=世界中に語り継がれる逸話」と題するおもしろい記事が載っていた。 『ボサノヴァを創成したとされ、『ボサノヴァの神様』とも呼ばれたジョアン・ジルベルト・プラド・ペレイラ・ド・オリヴェイラ氏が、10日に80歳の誕生日を迎えたと同日付フォーリャ紙が報じている。 ジョアン・ジルベルト氏の神話と謎は、1958年7月にアントニオ・カルロス・ジョビン作曲、ヴィニシウス・デ・モライス作詞のサンバ『想いあふれて (Chega de Saudade)』を録音したことに始まり、独特の発声とギター奏法による曲は、ブラジルのポピュラー音楽をボサノヴァ誕生前と後に分けた。 ハーモニー、リズム、発声、奏法など全てが新しいこの曲がラジオで頻繁に流れ始めると、全国の若者達が固定概念にとらわれない生き方があると考えるようになり、彼のような「変人」がいるなら、自分も自分の賜物を生かした職業に付きたいという人が増えた。 彼のアルバムは飛ぶように売れたが、彼は決して人気の証となる国民的雑誌などには出ようとはしなかった。一時薬物にも手を出した彼は、コパカバーナ区のアパートで隠れて過ごし、後にイパネマ区へと移った。隣人からも隠れながら過ごし、最も近しい友人でさえ親しかったとはいえない。 いつも人目を避けていたジョアン氏だったが、人前に出れば必ず大きな反響を呼び、変わり者と呼ばれることもあった。ボサノヴァは、ジョアン氏が幾日もバ スルームに閉じこもってギターを鳴らす試行錯誤の末、それまでにないスタイルの奏法を編み出したことで誕生したという逸話まであり、世界中に語り継がれている。 「新しい傾向」「新しい感覚」などという意味があるボサノヴァは、中産階級の若者達の求めていた心地良く洗練されたサウンド、「新しい感覚」のサンバとして成立した。ボサノヴァをジャズの一種と見る見方もあるが、少なくとも本来はサンバの一種。その出現はブラジルのポピュラー音楽に大革命を起こし、世界中の音楽界にも大きな影響をあたえた。 1950年代〜60年代に作られたボサノヴァの多くは、爽快さ、親しみやすさから、今なお世界各国で聴かれ、歌唱・演奏の題材として頻繁に取り上げられている。 一方、「ザ・ビートルズがボサノヴァを殺した」という言葉があるように、ボサノヴァのアメリカ上陸はビートルズの上陸とかぶっており、もしザ・ビートルズが出てこなかったらボサノヴァがアメリカ及び世界中のポピュラー音楽の中心になっていたのではないかとまで言われている。』 | ||||
2011年6月25日(土) | ||||
昨日は午前中2時間、午後から2時間、雨が降ると大きな水溜まりができて、ぐちゃぐちゃになる入り口ゲート前の道路の補修と、水抜きのための溝を2つ作った。道路の向こう側の牧場は道路よりも低いので、柵の所の土を掘ってどけ、水が道路で停滞せず、向こう側に流れるようにした。久しぶりに鍬を持ったものだから、また両手にまめができてしまった。
今朝は前触れなくマウリシオとドナ・クレウザが手伝いに来てくれたので、マウリシオには昨日私がやり始めた道路の補修の仕上げと、水抜きの溝をもうひとつ作ってもらい、木を植える穴を数個掘ってもらった。ドナ・クレウザには窓の掃除を頼んだ。午前中は私もドナ・クレウザと一緒に窓拭きをし、午後からはいつものように英語のクラス。エドソンは今日も1日、照明スイッチの配線や取り付け、照明を天井に取り付けたりする作業に勤しんだ。明日お天気が崩れなければ、天井裏での配線作業を進め、電気関係は数ヶ所の例外を除き、ほぼ完了することになるけれど、予報では雨になるようなので、作業は来週末に持ち越す可能性大。
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2011年6月26日(日) | ||||
農村地帯の土地を登記する際、ブラジルではその土地に名前をつけなければならない。田舎の農村地帯の住所はあってないようなものなので、名前が大切なようだ。私たちの土地の登記は、手続き開始から2年が経とうかというのに、まだ完了したという連絡がないのだけれど、手続きを始める前に、Chacara do Sol Nascente(シャカラ・ド・ソウ・ナセンチ)という名前をつけて手続きを開始した。Chacaraは小農園とか、別荘、菜園などという意味で、Solは太陽、Nascenteは生まれるという意味。英語にするとLittle Farm of The Rising Sunで、「日の出小農園」という意味になる。これは私がはるばる「日出づる国」から来たという意味を込めている。 ブラジルでは農場を意味する言葉がいろいろあるのだけれど、それぞれ規模やその内容で異なる名称を使う。まず、ファゼンダ(Fazenda)は大農場という意味で、日本では想像もつかないような何百、何千、何万ヘクタールもの大きな農場のことを言う。戦前移民した人たちの多くはこのようなコーヒー・ファゼンダに入植し、将来自分たちもファゼンデイロ(Fazendeiro、大農場主)になることを夢見て一生懸命働いた人たちが少なくない。 次に、シチオ(Sitio)は小農場とか別荘という意味で、ファゼンダよりも規模がずっと小さく、持ち主は普段、そこには住んでおらず、週末や休みの日にだけやって来て過ごす場所という意味合いの方が強いので、どちらかというと小農場というよりも、別荘を意味することの方が多いようだ。例えば、お隣はSitio Paraisinho(Little Paradise Farm)という名前で、アテモイアという果物を栽培してはいるけれど、持ち主は住んでおらず、週末だけサンパウロからやって来るので、彼らにとってここは別荘のような場所。 シャカラ(Chacara)は、シチオとほとんど同義語のような感じで使われる。ただ、シチオよりも規模がさらに小さく、持ち主がそこに住んでおり、野菜や果物など作物を育てている場合が多い。まさに私たちの土地がこれに当たる。大きさはお隣の10分の1以下と小さく、私たちはここで暮らしており、まだ、本格的な菜園作りは始めてはいないけれど、野菜や果物などを育てようと計画している。ちなみに、パラカンビにエドソンが所有している土地は、大きさはここと変わらない小さなものだけれど、本宅ではないので、ChacaraではなくSitioとして登記してある。 | ||||
2011年6月27日(月) | ||||
昨日は予報通り朝から雨。お昼過ぎには止んだけれど、1日どんよりとしたお天気が続いた。でも前回のような暴風雨ではなく、普通の雨だったので、植えた木々にはいいお湿りになった。そして、このところずっと働き詰めのエドソンにとっても、「少し休め」と言っているような1日になった。 しばらく暖かく穏やかな日が続いていたけれど、この雨を境にまた気温が下がり、今朝の最低気温は6度で、今年一番の冷え込みになった。でも、明日の最低気温は0度、最高気温も14度と、さらに気温が下がるという予報なので、本当の今年一番の冷え込みは明日になりそうな気配。 今日は1日中寒く、午前中は霧が出て、湿気が多かったせいか、エディたちは外での作業はせず、家の中で作業をしていた。居間の壁のコンセントを取り付ける場所の配線用のパイプが詰まっていて、配線できないから、この詰まりを直してくれとエドソンは頼み、もし、パイプ詰まりが直せなければ、場所を下に移動させればいいだけだから、くれぐれも壁を壊してまで直すようなことはしないでくれと言い置いていたのに、夕方戻って見てみると、壁が壊され無残なことになっていたので、とてもガッカリしていた。エドソンはこういう雑な仕事が大嫌い。
この他、居間の照明の組み立てと取り付け、台所のガスレンジの上のレンジフードの取り付けも完了していたのだけれど、このレンジフードもちょっと取り付けに不具合があり、エドソンが自分で直して事なきを得た。床のタイルを綺麗に張った後、塗料などをこぼして汚したり、何か固いものを落として傷つけたりということも結構あるので、この雑さ加減は何とかならないものかと思うけれど、国民性の違いなのか、どうにもいただけない。
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2011年6月28日(火) | ||||
昨日の夜のニュースで、サンタカタリナ州では氷点下の気温を記録したと言っていたので、覚悟していたのだけれど、予報とは異なり今朝の最低気温は0度までは下がらず5度だった。それでも昨日よりも1度低いので、やはり今年一番の冷え込みには違いない。でも、暖かな太陽が顔を出し、すっきりと晴れ渡る青空が広がり、空気が澄んでいたので気持ちが良く、遠くまで見渡せる朝になった。 夜は寝る前に、朝は目を覚ますとすぐ、モビを連れて用便のお散歩をする。この時期、朝晩戸外に出るのは寒くて少々億劫なのだけれど、朝は清々しい空気を胸いっぱいに吸うことができたるし、夜は夜で満点の星空を見上げることができるので、モビがいてくれるお陰だと思っている。こういう美しい自然に囲まれていることをとても幸いだと強く感じる。 | ||||
2011年6月29日(水) | ||||
以下はニッケイ新聞2011年6月15日付け「コラム樹海」からの転載。ここパーディーニョもイタリアからの移民の人たちが作った町。でも、ピザのお店はあっても、パスタや他のイタリア料理を出すお店はない。唯一の例外は、高速道路のカステロブランコ上にあるカンポネーザというレストラン。ここはイタリア料理のひとつであるパルメジャーノ料理を専門に出すけれど、パスタなど他のイタリア料理はない。ここの人たちにとって、パスタなどは家で作って食べるもので、レストランで食べるものではないのかなあ? 『今週土曜の18日は日本移民の日だが、2日はイタリア系コミュニティの日だった。全伯の伊国籍者は33万9866人もおり、うち聖州には14万3606人が在住する。驚くべきは伊系子孫の人口が3千万人と発表されていることだ。なんと全人口の16%に当たる ▼代表団体のO Circolo Italiano San Paoloは聖市レプブリカ区の名所イタリア・ビル内にあり、創立は1911年で今年百周年だ。有名なイタリア系学校ダンテ・アリギエリも今年百周年を迎えた▼移住が開始されたのは1870年中頃といわれ、1881年に聖市セントロに創業したRistorante Carlinoが現存する最古のイタリア食レストランという。1893年創立のジョルナル・ファンフーラは現在も続く、当国最古のエスニック新聞の一つ だ。もちろんイタリア語中心だ▼イタリア移民を扱ったTVドラマは少なくとも「Os Imigrantes」(1981、バンデイランテス)「A Proxima Vitima」(95、グローボ)「O Rei do Gado」(96、グローボ局)「Terra Nostra」(99、グローボ局)「Esperanca」(02、グローボ)「Poder Paralelo」(09、レージ・レコルジ)「Passione」(10、グローボ)と7本もある▼特に昨年のドラマでは主だった俳優の半分を伊系子孫で揃えたことでも話題になった。もちろん日本移民のドラマは一本もない。イタリア移民がいかにこの社会に深い影響を与えているかの証左だ。ちなみに今年10月から来年6月までは「ブラジルにおけるイタリア年」として390の行事が企画されている。日本移民140周年はどうなっているだろうか?(深)』 | ||||
2011年6月30日(木) | ||||
今日は、大学病院でのモビの抗がん剤治療最終日。いつも通り朝食を済ませ、片付けをしてから、8時半前に家を出る。9時過ぎに大学病院に着き、10時過ぎに血液検査のための採血が行われた。今日もたくさん患者犬が来院していて血液検査の結果が出るまでに時間がかかりそうだったので、待つ時間を利用して、ボトゥカトゥの中心街での用事を2ー3件済ませ、11時半過ぎに大学病院に戻る。12時頃ようやく検査結果が出たので、治療に呼ばれる。いつもの女医さんがふたりで手早くモビの足に点滴の針を刺したり、テープを巻いたり、「今日が最後ね」「顔が見れなくなると寂しくなるわ」などとモビに話しかけながら治療をしてくれた。ふたりの内のひとりはカメラを持ってきて、「あなたはとても聞き分けがよくて、手を煩わせることがない、いい患者だったから記念に」と言って、治療中のモビと私たちの写真を撮ってくれ、モビにキスしてくれた。この女医さんは私たちがモビを時々「モビちゃん」と呼んでいるのを聞いて覚えたのか、病院で唯一人モビのことを「モビちゃん」と呼ぶようになった。2週間後の超音波検査の予約をして、その後は3ヶ月に1度、超音波検査を受けて経過を見ましょうということで、大学病院を後にする。 午後からは建築資材の店や家具店、スーパーマーケットなどをはしごして、用事を済ませ、5時ちょうどに帰宅。今日仕事に来てくれたマウリシオが、2日前に買っておいた190本のセドリーニョと、サイプラス(次の写真)を1本植える作業をしてくれたので、植林総数は543本になった。家の周りはまだ建設作業に使う砂や砂利の山や、カートやコンクリートミキサーなどが雑然と置かれていたり、エディたちが食べたオレンジの皮やゴミが転がっていたりと、庭とは言えない状態だけれども、これらのものが取り除かれた暁には、ちゃんとした庭ができる予定。
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