Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2010年12月1日(水) | ||||
先々週の週末、マウリシオとウィリアムとの間の話し合いが穏やかにうまく行ったようで、マウリシオがここの仕事を辞めるに際し、ウィリアムの方から解雇したことにしてもらうことで合意し、失業保険を申請することができることになったらしい。年末までここでの仕事を続け、年明け早々パーディーニョの町で見つけた借家に引っ越すという。寂しくなるなあ・・・でも、次の仕事が見つかるまでは無収入という不安定な状態は回避でき、何とか失業保険で生活できることになって良かった。 | ||||
2010年12月2日(木) | ||||
パーディーニョの町やこの近辺にはレストランの数が圧倒的に少なく、しかもブラジル料理以外に変わった料理を出すレストランはまずない。ボトゥカトゥまで行けばわずかに日本食や中華のレストランがあるけれど、あまり一般的ではない。ブラジル料理というのは、油で炒めて炊いた塩味のご飯、フェイジャオン(ソーセージやベーコンの入った塩味の煮豆)、お肉、野菜サラダと相場が決まっている。お肉の種類が牛肉だったり、鶏肉だったりするだけで、私たち日本人には代り映えのしない料理に思える。生まれてこの方これしか食べていない人たちにとってはこれ以外になく、これでいいのだろうけれど、いろいろな料理を食べ慣れている人が毎日これを食べ続けるとなると、確実に飽きるだろうと思う。エドソンはブラジル生まれのブラジル育ちで、こういう料理を食べて育った正真正銘のブラ ジル人だけれど、アメリカと日本で合わせて17年も暮らし、日本食や中華料理、インド料理、その他様々な料理に馴染んで、楽しんできた。その間、ブラジル料理はたまにシュハスコのレストランに行ったり、家でフェイジャオンを作ったりする程度だった。それが、今回ブラジルに戻って生活を始め、朝晩は私の作るものを食べているけれど、お昼はいつも職場近くのレストランやジャナイーナが作るブラジル料理を食べているため、最近ちょっと食傷気味らしい。何だか脂っこく、胃にもたれるから食べる量を減らしているのだけれど、それでもどうも胃腸の調子が重いと言って、夕食もあまり進まない。それで昨晩はカレーを作った。11月の初めにボ トゥカトゥのウエノ商店で買ったらっきょうを添えて、おいしいと言って食べてくれた。私は胃腸が弱っていて食のあまり進まない時でも、カレーだと食べることができたりするのだけれど、エドソンにとっても同じだったのでうれしく思った。 このウエノ商店で買ったらっきょう。どうやらウエノさんか誰かの手作りのようで、ビニール袋の中の瓶を出してみると、再利用のマヨネーズの瓶に入っていた。 商業ベースで作られたものでないことは明白。つけ汁の中には細かく切った昆布やいりこを砕いたものなども少し入っていた。いかにも手作りという感じ。らっきょうは小粒だけれど、味はとてもいい。ウエノさんのところでは、所有している畑で野菜や果物を育てて、それらも店で販売しているので、おそらくこのらっきょうも自分の畑でとれたもので手作りしたのだろうと推測する。だからあまり量がなく、たまたま見つけたその日はこの1瓶しか残っていなかった。ブラジルで初めて食べた手作りらっきょうの味はまた格別だった。
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2010年12月3日(金) | ||||
このところ毎日、降水確率80%とか90%の日が続いているのだけれど、去年のように連日ザーザーと雨が降るわけではなく、夕方頃から降り出したり、夜の間降ったりして、日中は何とかお天気がもつことが多いので助かっている。でも今日は3時前頃から雷が鳴り出し、しばらくして一旦は静かになり、空が明るくなったのだけれど、すぐにまた黒い雲に被われて、もっとひどい雷が鳴り出し、ザーザーと雨が降り出した。モビとフィオナは雷が嫌いなので、居間のソファー に腰かけている私の足元でブルブル震えている。仕方がないので、ブレーカーを落としているためテレビも電灯もない薄暗い中、二匹を私の膝の上に乗せて、嵐が去るのをひたすら待った。その間、何度も窓から稲光が見え、ドカーンと近くに雷が2~3回落ちたようだった。こんなお天気なので家のことを心配して、5時前にエドソンが帰宅し、モビもフィオナも私もちょっとほっとする。モビは私の膝の上からエドソンの膝の上に鞍替えして、スースーと眠り始めた。6時前頃ようやく嵐が通り過ぎ、ブレーカーを戻してみると電気は点くものの、テレビがちゃんと作動しない。雷のためテレビが壊れたのかと一瞬ひやりとしたけれど、エドソンが電圧を調べてみると、とても低くて不安定だという。やはりどこかに雷が落ちて、不具合が出ているようだった。それで夕飯のご飯は電気釜が使えず、鍋で炊いたので、焦がさないように気をつけたら、焦げない代わりに、ちょっとべちゃっとしたご飯になってしまった。ブラジルのガスレンジは日本のガスレンジのように火力をあまり調節できないので、弱火でコトコトという作業が苦手。 | ||||
2010年12月4日(土) | ||||
午前中ボトゥカトゥの銀行で用事を済ませた後、ウエノとパオン・ジ・アスーカーで食料品を買い、帰りにいつも行く苗木屋さんに寄ってグレヴィーリャを3本買って帰った。プリマヴェーラ(ブーゲンビリア)も3本ほしかったのだけれど、大きな苗ばかりで、車のトランクに乗せて帰れるような小さ目のものがなかったので、また今度にする。パオン・ジ・アスーカーではたくさんクリスマスツリーを販売していたので、1本買って、車の後部座席の床に乗せて帰る。以前、3本買ったセドリーニョのうち2本は植林し、1本はクリスマス用にと思い、植木鉢で育てていたのだけれど、ガレージで生活を始めていくらもしないある日の嵐の強風で、幹がポキンと折れてしまったため、あらためて買わなくてはならなかったのだ。 お昼過ぎにボトゥカトゥから戻ると、ここの道路で電力会社の人たちが作業をしていた。2週間ほど前にお隣とうちの敷地内に電信柱が立ち、電線が通ったものの、道路沿いの電信柱には電線が引かれないまま2週間何の動きもなかったのだけれど、2週間ぶりに作業が再開された。車を停めてエドソンが監督の人と話した所、今日、電線が通り、来週電気が来るらしい。ラッキー! 帰宅後お昼を食べて、早速、入り口ゲートに沿って掘っておいた穴に、エドソンとふたりでグレヴィーリャを植える作業をする。その後、外での作業を終えて家に戻り、シャワーを浴びて着替え、今度は買ってきたクリスマスツリーの飾り付けをする。このシンプルな飾りは東京で暮らしている時から毎年使っている同じもの。でも、今年はカンピーナスのショッピングモールで買った豆電球の灯りも飾ったので、夜はこの灯りを点けて楽しむことができる。
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2010年12月5日(日) | ||||
昨日の夜、台所のベッドでおとなしく寝ていたモビが起きて来て、居間のソファーでテレビを見ている私たちの足元で尻尾をフリフリ「抱っこして」と訴えるので、彼の体重があまりかからない私にとって楽な姿勢を取ったらこんな恰好になってしまった。モビはこの体勢で時々いびきをかきながらすやすや眠っていたのだけれど、エドソンがカメラを取りに行き、戻ってきてカメラを構えると、目を覚ましてカメラ目線になっている。
今、 ここは桃の季節。先月あたりからウエノに行くと、いつもたくさんの桃が箱詰めされて売られている。この桃はウエノさんの畑で作っているものらしい。小粒だけれど甘味があってとてもおいしいので、ウエノに買い物に行った際は必ず買うようにしている。写真の桃は一箱(22センチ四方)に16個入っていて6レアル(300円)。ひとつひとつきれいに紙に包まれている。これよりも大きめのものだと一箱に入っている数が減り、値段は10レアル(約500円)あまりする。また、日本だったら商品にはならないだろうと思われるさらに小粒の桃も、この同じ大きさの箱に山盛りで2レアル(約100円)で売られていた。タダみたいな値段だけれど、捨てるのはもったいないからだろうと思う。
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2010年12月6日(月) | ||||
イビウーナの中村さんの随筆をまた紹介しようと思う。今回は中村さんが暮らしているコンドミニオについて書いておられる。英語のコンドミニアム (condominium)は分譲マンションのことだけれど、ブラジルでは普通コンドミニオ(condominio)というと、塀で囲まれていて、入り口ゲートには守衛さんが24時間常駐しており、出入りする人を細かくチェックするセキュリティーの厳しい分譲住宅地のことを言う。日本の分譲住宅地には団地全体を囲む塀などなく、24時間体勢で常駐して警備にあたる守衛さんもいないけれど、ブラジルだけでなく、フィリピンやアメリカにもこのようなGated Townはたくさんある。ブラジルも大都市に近いほど治安が悪くなるため、安全を確保して安心して暮らそうと思うと、こういう場所を選ばなければいけないのだと思う。コンドミニオは日本と比べものにならないくらい広くて、価格もずっと安いのだろうけれど、ブラジルの基準からすると結構な金額になるので、こういうコンドミニオを買える人たちは裕福な人たちということになる。私たちはパーディーニョで土地を買って、家を建てているのだけれど、それに必要な予算では買えないのではないかと思う。
わがコンドミニオに話を戻す。全体の面積は30万㎡で60区画(1区画5000㎡)ある。中には、6区画を一人占めする例外もあるが、無論イビウナ庵は標準の5000㎡だ。外壁は高い鉄筋コンクリート塀で囲まれ、外来者(訪問者、雇人)の出入りチェックは厳しく、わが園丁もCheck-inカードをぶら下げている。安全対策はそれだけでなく、不寝番(1日24時間見回り)を置いている。外壁の内側は、先ず芝生・林・池があり、次に大通り (Avenida)が囲み、大通りから6っの街路(Rua=Street)が内側に入り込んでいる。不寝番のオートバイの走行距離計によると、大通り1 周と6街路出入りの合計は6Km丁度とのことだ。 私の毎日の散歩は、大通りの1周だが、途中2街路に出入りする。万歩計では、6500歩前後となる、1里(4Km)というところだ。この1里の道は、季節の花あり、鳥のさえずりあり、時には小動物(ガンバ、トカゲ等)との遭遇あり、等々で中々楽しい。途中、共有のプール(大小)、集会所、テニス・ コート(2面)、子供用の遊び場がある。勿論、専用のプールやテニス・コートを備えている家もある。各々の家は生垣で囲まれている。イビウナ庵は大通 りに面した100mのブロック塀に蔦を這わしている。=生垣が原則で、ブロック塀は禁止の為、蔦を這わすことで例外的に承認された= 年に数回、集会場でヴァイキング式の食事会がある。ピッツア、豚の丸焼き、シュラスコ、パエリア、等だが、必ずパン、チーズ、サラダ、ビー ル、ワイン、清涼飲料水は用意される。多くは家族単位の参加だが、親類や友人連れも少なくない。この集会場は、接客用(Max60人)にシュラスコの炉、 ピッツアの窯、冷蔵庫、台所が備付けられている。私達も、コンサートの為に3度この集会場を借り、コンドミニオ内外の客を招いた。 時々の来客も喜んでくださり、質素だが程々の高級感もあり、気に入っている。イビウナ、06/12/2010 中村 勉 | ||||
2010年12月7日(火) | ||||
今日も降水確率80%で、日差しがなく、どんより曇っているけれど、レーダーサイトで見る限り周囲に雨を降らせている雲はない。先週の土曜日にここの道路沿いの電信柱に電線を通す作業が行われたので、今朝それを見に行ってみる。一応3本の電線が通っている。でもエドソンの話だと、この道路の入り口のカロリナソイルの所まではまだつながっていないそうなので、電気はまだ来ない。次の写真は、入り口ゲートの所から電信柱に通った電線をパチリ。ちょうどご近所のおじさんたち(だろうと思うけれど、どこの人たちかは知らない)があまり大きくない犬を2匹連れて馬で通りかかった。いわゆるカウボーイだけれど、ブラジルでは彼らのことをガウーショ(gaucho)と呼ぶ。
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2010年12月8日(水) | ||||
ニッケイ新聞の2010年11月26日付け「ブラジル国内ニュース」に、「高速鉄道=期日間際に応札断念続く=日本や欧州の技術先進国=韓国グループ益々有利に=伯国企業脱退の声あるも」という以下の記事が載っていた。最近韓国で行われたG20の際、韓国は国を挙げてルーラ大統領やジウマ次期大統領らになりふり構わない高速鉄道売り込みを行っていたというから、この入札は韓国が取るかもしれない様相になって来ていたけれど、その韓国も入札できないかもしれないとなると、このプロジェク トは一体どうなるのだろうか?と、思ってしまう。 『【既報関連】応札期日の29日を目前にして、日本や欧州のグループが高速鉄道計画応札はせずと表明し始めた。入札延期や計画内容の見直しがされない場合、断念またはその可能性ありとされるのは、日本ならびにフランス、スペイン、ドイツの欧州勢で、19日に政府関係者が来伯した中国も事業計画そのものへの疑問を表明している状態だ。 各国からの入札延期要請にも拘らず、応札期日は11月29日との決定から1週間。従来から入札延期を求めていた技術先進国グループが、計画の不透明さと国内の建設企業との事業提携の難しさを理由に応札断念という結論を出し始めたようだ。 日本や欧州の企業の応札断念を示唆する記事は24日付フォーリャ紙、25日付エスタード紙などに掲載されたが、アルストムと中心とするフランス企業グループは、24日に、現状では採算確保の見通しが立たない事や、融資条件などの提示から応札までの期間が短く、計画全体の評価が出来ない事を指摘して応札しない旨を伝える文書をフランス大使名で送付。 2週間前に応札断念の意向を固めたというスペインも、計画全体の検討が間に合わず、29日までに条件を提示する事は不可能だという。 一方、2009年秋から三井物産、三菱重工、日立製作所、東芝の4社で参加を検討して来た日本も、伯国の建設業者が積極的な姿勢を見せない事と併せ、伯国政府が求める運営面の採算性が不透明で資金調達のメドも立たないなどの理由で、25日に入札不参加を決めたという。 24日付フォーリャ紙は、ドイツもフランス同様の理由で応札せずと見ているが、入札延期を求めなかった唯一のグループである韓国も、伯国の建設業者が参加を取り消す可能性が出てきたとの報道は25日付エスタード紙。韓国側が資金面などでより大きな責任を負うよう求めた事で及び腰となったようだ。 高速鉄道については、中国からもリスクが大き過ぎるとの意見が出された事があるが、経費全体の3分の2を占める建設を担当する国内業者が消極的な理由の一つは、地勢分析なども含めた計画内容への不安。トンネルなどを多用する高速鉄道でありながら普通の鉄道並みの経費で費用を算出した計画案の不備を指摘する声もあり、参加は落札者との直接交渉で決める方が無難という考えも広がっている。 国内企業やその加盟団体からも入札延期を求める声が出ている中、韓国グループに不協和音が噴き出したとあっては、29日の応札は更に不安定要素を増しそうだ。』 | ||||
2010年12月9日(木) | ||||
英語とポルトガル語を比較すると、ポルトガル語はよく主語が省略されたり、きっちり文章を言わずに、フレーズだけで済ませたりする表現が多いので、日本語に近い感覚もあるけれど、動詞の活用が複雑で、前置詞も次に来る単語が男性名詞か、女性名詞かで変化したり、名詞か形容詞かで変化したりするので、英語に比べてとてもややこしいと思う。 例えば、英語の「for」は、ポルトガル語では「por」だけれど、次に来る単語が女性名詞だと「pela」、男性名詞だと「pelo」になる。それで、 Muito obrigada pelo convite.(Thank you very much for the invitation. ご招待どうもありがとうございます)という表現になる。でも「for」という意味で「para」という前置詞もあって、例えばこれだと、Este e um presente para voce de todos nos.(This is a present for you from all of us. 私たちみんなからのあなたへのプレゼントよ)と何か贈り物をもらって、Para mim? Muito Obrigada. (For me? Thank you very much. 私に?どうもありがとう)と言ったりする。そして、for youはpara voceと英語の「you」の部分は「voce」で変わらないけれど、for meはpara euではなくpara mimと、「私」の部分が変化する。でも英語の「with」という意味にあたる「com」が来ると、with youの意味でcom voceとは言うけれど、 with meと言う場合は、com mimではなく、comigoになるので頭がこんがらがってくる。 そして、genteという言葉は「人々」という意味だけれど、口語で「nos」の代わりに「私たち」という意味で、a genteという言葉がごく普通に使われる。例えば、エドソンはガソリンスタンドでいつも、Completa com alcool para a gente.(Fill up with alcohol for us. 私たちのためにアルコールで満タンにしてください。ーー日本語では「私たちのために」と言ったりしないけれど直訳するとそうなる)と言って、燃料を入れてもらう。でもこのgente、またはa genteはそれぞれ「人々」とか「私たち」という意味なのに、三人称単数形として扱うので、次に来るべき動詞も三人称単数形の動詞にしなければならない!?。 | ||||
2010年12月10日(金) | ||||
朝、エドソンが仕事に出かけると、モビとフィオナを外に出して、私が洗濯や掃除をしている間、外で遊ばせることにしている。今朝はいいお天気で気持ちのいい涼しい風が吹いているので、日向でもあまり暑くない。それでフィオナはガレージの前の日向に座ってこちらを見ている。以前化膿して手術した腰の部分の傷はだいぶ小さくなったけれど、まだ毛が生えてきていない茶色の部分が少し見える。
私がガレージの中から日向ぼっこをしているフィオナの写真を撮っていると、少し離れた所にいたモビが窓の所までやって来て、「何してるの?」というような顔をしてこちらを見るので、彼の写真も撮る。
この後、2匹はウィリアムの敷地の方に行ったようで、しばらく姿が見えなかったけれど、10時過ぎにモビが戻って来た。これは大体いつも通り。彼を家の中に入れてやると、私たちの寝室に置いた彼らのベッドの中で大の字になってベッドを独り占めにしている。たくさん遊んだ後、モビはいつもこうやって大の字になって寝る癖がある。
モビとフィオナはウィリアムの敷地の方に遊びに行くと、だいたいアテモイアの果樹園に下りて行って、体を汚して帰ってくる。ただフィオナはアテモイアの果樹園から戻ってもまっすぐここに戻らず、ドナ・クレウザのところに入り浸って、午後遅くにならないと帰って来ないことが多いのだけれど、今日は珍しくお昼前に戻ってきた。すぐに家の中に入れず、 モビも外に出してやると、フィオナはガレージの前のコンクリートの上で、お腹を出してひっくり返っている。
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2010年12月11日(土) | ||||
先週、ボトゥカトゥのウエノに行った際、ポン酢の空き瓶を持って行くのを忘れたので、また今日行って、買い物のついでにポン酢の空き瓶を渡して、同じものを取り寄せてもらうようお願いした。サンパウロのリベルダージにある日本食料品店にはあるのだけれど、ボトゥカトゥではウエノもドナ・マリナの店も扱ってお らず手に入らない。でも、ウエノでは彼らが扱っていない商品でも、欲しいものがあれば取り寄せてあげると言っていたので、ポン酢を取り寄せてもらえるか聞くと、そもそもポン酢というものが何なのか知らないという。それでリベルダージで買ったポン酢の空き瓶を持参する必要があったのだ。 ポン酢は鍋や冷や奴にかけて食べるだけでなく、いろいろな料理の味付けに使えて重宝するので、これがないとちょっと困る。それで、買ったポン酢が切れると、 しょうゆとみりんとライムの絞り汁で手作りポン酢を作るのだけれど、ブラジルのしょうゆの味が違うのか、ライムの絞り汁の味がポン酢に使われている柑橘類と違うのか、店で買うミツカンのポン酢は、私が作る手作りポン酢よりも味がまろやかでおいしい。パラカンビにいたときも、リオまで行った際、日本食のレストランの人にポン酢はどこの店に行ったら手に入るか聞いてみたら、その人もポン酢が何なのか知らなかった。ブラジルの日系の人たちの間ではポン酢はまだその存在が広く知られていないようだ。次の写真は今日、ウエノで買い物の支払いを済ませた後、混んでいなかったので撮らせてもらったもの。左の女性が少し日本語が話せるウエノさんの娘さんで、いつもニコニコしていてフレンドリー。右の若い女性はウエノの従業員。
ウエノの後で、パオン・ジ・アスーカーに行って買ったマンジェリカオン(manjericao、バジル)、サウシーニャ(salsinha、パセリ)、オーテラン (hortela、ミント)、アレクリン(alecrim、ローズマリー)の苗1本ずつを夕方になってからポットに植えた。同じく買ったネギに根が付いていたので、根の部分を長めに切り落として、それも植えた。これから台所で使う緑の野菜を育てて必要な時に食べることができるかと思うと、とても楽しみ!
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2010年12月12日(日) | ||||
昨日は夕食が済んだ頃から雷が鳴りだしたため、コンセントをすべて抜いてブレーカーを落とし、ろうそくをつけて、居間のソファーでごろんと横になって、モビたちのベッドを私たちの足元に置いて、嵐が通り過ぎるのを待った。テレビもなく、ろうそくの灯りだけの薄暗い中でソファーに横になっていたので、エドソンも私もモビもフィオナもみんな1時間余り寝たようだった。2時間ほどで激しい雷と雨の嵐が通り過ぎ、やれやれとブレーカーを戻して、シャワーを浴びてからベッドに入る。するとしばらくしてまた雷が鳴りだしたので、再度ブレーカーを落として寝ようと思ったら、今度は雷が嫌いなモビたちが犬小屋から出ようと必死でもがき始めたので、仕方なく犬小屋から出して私たちの寝室のコンピュータテーブルの下にベッドを置いて朝まで寝かせてやる。私たちの側にいれば問題ないのだけれど、雷が鳴る中、2匹だけで犬小屋にいるのは怖いらしい。朝起きて私がトイレに行ったり着替えをしている間、彼らはもう起きているのだけれど、テーブルの下でおとなしく、私がごそごそするのを見ている。
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2010年12月13日(月) | ||||
昨日の午後、楽しみにしていたNHKのドラマ「坂の上の雲」を見ようと思っていたら、3時過ぎからお天気が悪くなり雷が鳴り始めたので、コンセントを抜いてブレーカーを落とさなければならず、テレビを見ることができなかった。残念。それで、嵐が通り過ぎるまでの2~3時間は、エドソンも私も居間のソファーで本を読んで過ごした。昨日も今日も昼間はとても暑く、気温が30度を越えて上がったので、午後遅くに雨が降るのは、日本の夕立のような現象なのかもしれないけれど、ここのは夕立というような生易しいものではなく、ひどい雷を伴った激しい雨が降るので、「夕立」というよりも「嵐」といった方がいいよ うに思う。その嵐が通り過ぎ、夕飯の支度をして食事をした後、少し涼しくなったので、まだ少し明かりがあるうちにと思い、土曜日に買ってきていたプリマベーラ(ブーゲンビリア)1本を入り口ゲートのところに植える。プリマベーラの苗はなかなか小さ目のものがなく、食料品を乗せた車のトランクにいくつも乗せて帰ることができないため、今回も買って帰ったのは1本だけ。後もう2本プリマベーラを植えれば、入り口ゲートの植林は一応完了する予定。 夕方、嵐が通り過ぎたので、これで今日は終わりかと思っていたら、11時過ぎた頃からまた雷が鳴り出したため、モビたちはまた今晩も私たちの寝室で寝ることになる。長い間すごい稲光と雷が続き、激しい雨が明け方近くまで降り続いた。でも、去年は異常気象で毎日のように雨が降り続き、ここの道路が水浸しになって車が通れなくなり、大変だったけれど、これでも今年は週に何回かの雨で、降り続いたりしないので助かっている。 | ||||
2010年12月14日(火) | ||||
雨が降り続かないので助かっていると書いたばかりなのに、昨日は1日しぐれてお天気が悪く、その上午後になって嵐が来て5時過ぎに一旦止んだものの、夜中過ぎから再度雨が降り出し、そのまま止まず、今日も1日ずっと雨。何となく、去年の多雨の悪夢が蘇る。今週の天気予報はずっと同じような雨の予報なので、一体いつになったらお天気が回復するのやら? お天気が悪くても、1日に2度はモビたちをトイレのために外に出してやらなければならない。その度に外の水場で足を洗ってやってから、タオルで拭いて家の中に入れるという作業をすることになる。でも、雨が降っていると、足だけでなく体も泥だらけにして帰ってくるので、仕事が増える。そして、夕方、エドソンが仕事から戻って車をガレージに入れると床が泥だらけになる。車の後ろとガレージの扉の間は通路としてモビたちだけでなく、私たちも行ったり来たりするので、その床の泥は洗い落とさなければならない。これもまた一仕事。 次の写真は、今朝の外の景色。濃い霧が出ていると奥に見えるお隣の倉庫はもちろん、手前にある風車もまったく見えなくなるのだけれど、それでは何のことかわからないので、霧が少し薄くなったところで写真に撮ってみる。
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2010年12月15日(水) | ||||
英語にはtake、put、haveなどいろいろな表現に多用できる便利な基本動詞とも言える動詞がいろいろある。一方、ポルトガル語にはそのようなちょっとオールマイティー的な動詞があまりない。でもそんなポルトガル語の中でもtomer(英語のtakeにあたる)はいろいろな表現に使うことができる。 「tomer cafe」は「to drink coffee、コーヒーを飲む」、「tomer cafe da manha」は「to eat or have breakfast、朝食を食べる」、「tomer remedio」は「to take medicine、薬を飲む」「tomer banho」は「to take shower、シャワーを浴びる」、「tomer cuidado」は「to be careful、注意する、または気をつける」などなどだ。従って、毎日の生活で耳にする機会がとても多い。 テレビニュースなどを見ていると「Daqui a pouco.」や「Daqui a pouquinho.」(どちらも「soon」つまり「すぐに」という意味)の表現をとてもよく耳にするけれど、最近「Ja ja.(ジャジャ)」という表現を時々耳にする。「ja」というのは「Ja tomou cafe da manha?(Did you already have breakfast?、朝食はもう食べましたか?)」の「もう」つまり「already」の意味で、ドナ・クレウザの所に何か持って行って、ちょっとだけおしゃべりをしてからすぐ帰ろうとすると、「Ja?(もう帰るの?)」と彼女はよく言う。けれど、「ja」を2度繰り返して、「Ja ja.」と言うと、「Daqui a pouco.」と同じく「すぐに」という意味になるのだそうだ。例えば、お店で何か料理を注文して、「早くしてください」などと言うと、「Ja ja.(はい、すぐに)」という返事が返ってくるわけだ。 | ||||
2010年12月16日(木) | ||||
エドソンはイニャミ(inhame)が好き。と言っても「嫌味」のことではなく、ポルトガル語で里芋のこと。パラカンビのお母さんが作るトロトロに煮込んだ里芋料理が好きで、しかも、里芋には血液をきれいにして、体内の毒素を外に出す作用があるとかで、うちの畑でも育てて食べようと盛んに言う。そして、私にも 里芋料理を作ってと言うので、お母さんの作るものは作り方を知らないのでできないけれど、和食の「里芋の具だくさん汁」を作ってみることにした。材料の中のごぼうはないので、里芋の他には人参、しいたけ、こんにゃくだけで作ってみた。ブラジルのしょうゆの色が濃いせいか、なんだかずいぶん黒い汁になって、 ぎょっとしたけれど、汁の味は干し椎茸の戻し汁を混ぜたからか、見た目よりも優しい味になった。こういうしょうゆ味のいかにも和食という煮物ないし汁物をエドソンはこれまでうちで食べたことがなかったので、どんな反応をするかと思ったけれど、何の抵抗もなくおいしいと言って食べてくれた。 このところ毎日雨で、家に閉じこもっていなければならないため、家事を終えたらほとんどの時間、本を読んで過ごしている。でもそれも段々飽きてきて、何となく手持ち無沙汰。それで晩ご飯の副菜として、今まで作ったことのなかった里芋の具だくさん汁や大根煮を作ってみたり、ブラジルに来て以来作ったことのなかったチーズケーキやチョコチップケーキを作ってみたりと、午後から台所で過ごす時間が増えた。 | ||||
2010年12月17日(金) | ||||
今日付けで、私の28本目のリポート『豪快な牛の丸焼き「ボイ・ノ・ホレチ」』が、中国新聞の海外リポートに連載された。このサイトは、こちらへ。これは11月後半のある日曜日にパーディーニョの町であった昼食会なのだけれど、牛の丸焼きというブラジルでもサンパウロ州以南の州独特のものなので珍しいと思いリポートにした。牛の丸焼きの写真を掲載しようかな?と、思ったのだけれど、豚の丸焼きに比べてさらにグロテスクなので、それは止め、チケットに牛が吊るされているイラストが載っていたので、丸焼きの写真の代わりにそのチケットの写真を掲載することにした。 | ||||
2010年12月18日(土) | ||||
先日ブラジルのしょうゆは色が濃いようだと書いたけれど、北パラナの重鎮の沼田信一さん(92歳)が80歳前後の頃書かれた「信ちゃんの昔話」第六部の中に、「醤油の思い出」とうい一文があっておもしろいなと思った。ブラジルに移住して来た日本の人たちは味噌は各家庭で手作りしていたそうなのだけれど、 しょうゆは作るのが難しく、なかなかまともなしょうゆができなかったらしい。 沼田さんのところでは「味噌を仕込む時に、沸かしざまのお湯を加えて、かなり柔らかい味噌を作り、その中にミソコシの細長いザルをさしこんでおいて、そこに溜まる汁を取って醤油代わりに使っていた」のだそうだ。「色はうすいし、多分に味噌の味であるが、それで間に合わせていた。色つけに砂糖をカラメラ状にして混ぜていたかも知れない。」「再三、味噌の溜りを取ると味噌の味が落ちるかも知れないと言って、後では味噌を取り出して水と塩を足して沸かして後、これをこしてそれに砂糖をカラメラ状にしたもので色と甘味をつけたらしい。そういうものを常時使用していると、醤油が市販されるようになってから、わざわざ買ってきても、『味噌醤油の方がうまい』と言って本物に急にはなじまなくなっていた」という。 そして「42年度の大霜の翌年は西瓜の当り年で、自然生えのつるにも立派な西瓜がゴロゴロと実り、更に不思議な事には、毎年入って困るうじが、無消毒で全然入らないのであった。そこで思い立って、西瓜糖を一斗(20リットル)かんに三つ、四つ作ったのである。(中略)とにかく沢山あったので、妻が醤油の色付けに使ってみてはどうかと試してみると、大変にうまいものが出来て、なんと十ヶ年も西瓜醤油を正味したのであった。その西瓜醤油がなくなる頃、私は町に暮らす事となり、市販のものを利用する事になるのだが、子供までが町の物はまずいというので困った」のだそうだ。 その後、ロンドリーナで醸造していた「曙」印がおいしいということで、それが製造中止になるまで使い、それからサクラ醤油に長くお世話になっているという。 この頃はキッコーマンがブラジルでも製造されていて、おいしいはずだからと買ってみるのだけれど、「なかなかサクラから離れられない」と書いておられる。 サクラ醤油は日本食料品店でなくてもごく普通のスーパーでも販売しているので、簡単に手に入り、私たちもブラジルに来て以来ずっとお世話になっている。 最近これまで使っていたしょうゆが少なくなってきたので買い換える際、ウエノにキッコーマンがあったので、サクラ醤油(9.90レアル、約500円)よりも高いのだけれど、キッコーマン(18レアル、約900円)を買ってみた。久しぶりのキッコーマンの味に「しょうゆってこんな味だったっけ?」と思い、沼田さんの話を思い出した。次の写真は、左が使い切って空になったサクラ醤油のボトル。右が買ったばかりのキッコーマンのボトル。
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2010年12月19日(日) | ||||
今朝は1週間ぶりに太陽が顔を出し、気持ちのいい青空が広がった。明日もこのお天気が続くとは限らないので、朝食後に洗濯機をフル稼働させながら、窓を全開にして掃除をし、モビたちのバスタオルや犬小屋の中に敷いているクッションの手洗いなどをした。一方、エドソンは防風林として植えたハイビスカスを家のベランダの前に移植すべく、穴掘り作業を始めてくれた。 昨日、ボトゥカトゥに買い物に行った際、これまでタケイシさんから聞いていたけれど、まだ一度も行ってみたことのなかった日系の人がやっているというホンドン・プランタスという苗木屋に行ってみた。ここの苗木はいつも行くプロヴェージよりも安く、ご主人のセイージオさんがとても親切に対応してくれた。防風林用に植えたハイビスカスがうまく育たないので、ハイビスカスを移動させてグレヴィーリャを植えようかと思うのだけれどとエドソンが聞くと、グレヴィーリャ を一列すでに植えているのなら、グレヴィーリャよりも育ちが早いリグストルン(Ligstrum 、ねずみもち)を植えてはどうかと勧めてくれた。1本3レアルと安いので、リグストルン(ねずみもち)を15本とプリマヴェーラ(ブーゲンビリア)を2本買った。もっと早くこの店に来てみれば良かったなと思った。 それで今日はリグストルンを植えるために、まず、ハイビスカスを移動させる必要があり、エドソンはその作業をしてくれた。大洗濯を終えた後、私は入り口ゲー トに2本のプリマヴェーラを植えた。それが終わってからエドソンのハイビスカス移植作業を手伝った。防風林用の背の高いハイビスカスは11本植えたのだけれど、その内2本は乾季の間に枯れてしまったので、今回移植したのは9本。この移植を完了したらすでに午後1時を回っていたので、今日の作業はこれでお終い。次の写真は入り口ゲートの柵に沿って植えた4本のプリマヴェーラ(向こう側に2本、こちら側に2本)と、家のベランダの前の小さなハイビスカスの後ろに移植した背の高いひょろひょろのハイビスカス。ついでにオーナメント用の小さな竹も1株右側に植えた。
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2010年12月20日(月) | ||||
昨日の朝、エドソンが家のベランダの前でハイビカス移動のための穴掘り作業をし、私は外の物干しで洗濯物を干していると、お隣のウィリアムが、ジウダからのクリスマスプレゼントと言って、パネトーネを持ってきてくれた。左側がウィリアムが持ってきてくれた缶入りのパネトーネ。右側はこの土曜日にパオン・ ジ・アスーカーで私たちがクリスマス用に買ってきた箱入りのパネトーネ。
家の天井にコンクリートが入り、2週間の乾燥期間をおいて、建設作業が再開されるはずだったのだけれど、先週は丸々1週間雨続きで、結局3週間も作業が中断してしまった。でも昨日お天気が回復し、今日も引き続きいいお天気になったため、今日はエディたちが仕事に来てくれた。23日か24日頃にはまた2週間くらいのクリスマス休暇に入るのだろうから、今週お天気が続いたとしても作業できるのは数日しかない。でも、今月はまったく作業が進まない可能性もあると思っていたので良かった。ほんの少しの前進でも歓迎したい。 | ||||
2010年12月21日(火) | ||||
先週続いた雨で、入り口ゲートの前の道路に大きな水たまりができ、大きなトラックかトラクターが通ったのか、道路がドロドロのひどい状態になっていた。それで、昨日と今日、少しずつ我が家の建設に使う際、壊れて捨てられたレンガをカートで山盛りに積んで運び、細かく砕いて道路にまく作業をした。 今朝、物置小屋の側にあったエディのカートのひとつを拝借して壊れたブロックを積んでいると、手伝いの若いおにいちゃんがふたり、別のカートを持って来て何か言うので、何かな?と思っていると、どうやら借りたカートはタイヤがパンクしていたようで、こちらを使えと言ってくれているようだった。そしてカートに積んだレンガを、持ってきたカートに移し替えてくれた。優しいなあ~。エディは私が外で作業をしているのを見ていないようで、案外よく見ている。めったに手出しや口出しはしないけれど、見かねると、こんな風にそっと助けてくれる。次の写真は道路のドロドロ部分にまいたレンガ。道路の水たまりの方までは手が回らないけれど、せめてうちの敷地内のドロドロ部分だけでもと、入り口部分の補修をした。
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2010年12月22日(水) | ||||
ブラジルの会社にはボーナスというものはないらしい。でもここでは会社は社員に対して給料を13ヶ月分払わなくてはいけないと、法律で決まっているのだそうだ。つまり12月はボーナス代わりに給料が2度出るということらしい。昨日、エドソンが「これボーナス」と言って、12月分の2度目の給料を渡してくれた。エドソンはパウロの会社の社員ではなくコンサルタントなので、パウロにはエドソンに13ヶ月分の給料を支払う義務はないのだけれど、社員と同じような扱いをしてくれ、13ヶ月目の給料をくれたようだった。その心遣いに感謝、感謝!家の建設の方は、これからもまだまだ屋根を作ったり、窓を作ったりとお金がかかるので、こういう臨時収入はとても助かる。 昨日、日本は「冬至」だったので、地球の反対側のブラジルは「夏至」ということになる。それで、ブラジルは暦の上で、今日から夏! | ||||
2010年12月23日(木) | ||||
日曜日と月曜日は晴天のいいお天気が続いたけれど、火曜日からは午前中は太陽が顔を出していても、午後になると例によって雷を伴うひどい雨が降り出し、時々小休止を挟みながら翌朝まで断続的に降り続く状態が続いている。今日も明け方まで雨が降った。夜が明けると一旦雨は止んだものの、午前中は霧に包まれた状態が続き、午後からまた雨が降り出し、その後時々小休止しながら雨の1日になった。 月曜日の夜頃から背中があちこちかゆいので、どうしてだろうと思い、昨日の夜エドソンに背中を見てもらうと、下着のあとをくっきり残して、真っ赤に日焼けしているという。日曜から昨日までの4日間、強い日差しの下で作業はしたけれど、長袖のTシャツを来て、顔や手首には日焼け止めクリームを塗り、麦わら帽子を被り、首にはタオルを巻いて作業をしたのに、どうしてシャツの下の背中が焼けたのだろう?シャツ1枚では薄すぎるとういことか?これからは半袖シャツの上からもう1枚長袖シャツを引っ掛けて作業した方がいいだろうと、エドソンは言う。このガレージでの仮住まいを始めた頃から虫刺されからはほぼ解放されていたのだけれど、外での作業の時間が増えると、今度は日焼け予防を徹底しなければならないという課題が出てきた。 | ||||
2010年12月24日(金) | ||||
![]() 今年もクリスマスにはチェスター(Chester)の胸肉でローストチキンを作ろうと思ったのだけれど、去年のようにパオン・ジ・アスーカーで胸の部分だけを売っておらず、チェスターの1羽丸ごとしかなく、仕方なく小さ目のものを買ったのだけれど、それでも3.6キロ余りの大きさのものを買うことになってしまった。値段は1キロあたり9.45レアル(約500円)だったので、支払った額は34.55レアル(約1700円)。セイント・ピーターやサーモンといった魚だと1キロ当たり20数レアル(1000円以上)するので、それに比べたらずいぶん安い。
今日エドソンは1日仕事かと思ったら、午後から皆帰宅してもいいことになったと言って、お昼過ぎに帰宅した。それで午後からローストチキンのお腹に詰めるスタッフィングを作るのを手伝ってくれたり、モビたちを散歩に連れ出したりしてくれ助かった。次の写真は今日のクリスマスイブ・ディナー。ローストチキン、スタッフィング、野菜の温サラダ、グリンピースのご飯、そしていつもよりもちょっといいワイン。モビたちにもローストチキンを少しお裾分けして、ふたりと2匹でささやかながらお祝いをする。
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2010年12月25日(土) | ||||
Feliz Natal! ![]() 今朝は9時頃から12時過ぎまでエドソンとふたりで植林作業をする。リグストルン(ねずみもち)を植えるために、エドソンがブラキアーリアを除去している間に、私はリグストルンの苗木や肥料を下から運び、リグストルンを植えるための穴掘りを開始。ここの植林作業で一番大変なのはブラキアーリアの除去。その次に大変なのは穴掘り。ブラキアーリアの除去が終わったエドソンが穴掘り作業に加わったので、私は掘った穴に少しずつ肥料を入れて1本ずつリグストルンを植えて行った。グレヴィーリャと違い、植える間隔は50センチあればいいらしいのだけれど、1メートルくらいの間隔で15本すべてを植え終わる。15本植えてもハイビスカスが植わっていた列のちょうど半分程にしかならないので、一番上のグレヴィーリャの所までカバーするためには、もう15本買ってきて植えなくて はならない。今日のこの作業で、これまでに植えた木の総数は158本になった。
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2010年12月26日(日) | ||||
昨日に引き続き、今朝もエドソンは外で作業。家の下に植えたシュシュとカラのつるが伸びて成長して行けるように、枯れた竹などで簡易につっかえ棒を添えてあるのだけれど、それだけでは不十分になってきたので、今日はもうちょっとしっかりとした棚のようなものを組み立ててくれた。私は洗濯機を回しながら「坂の上の雲」を見て、テレビを見終わってから洗濯物を干したり、モビたちのタオルや雑巾を外の水場で洗い終えた後でエドソンの作業を少し手伝った。
昨日も今日も午前中は太陽が少し顔を出し、まずまずのお天気なのだけれど、午後1時を過ぎた頃から雷を伴って雨が降り出し、夕方になって止むという状態を繰り返している。丸1日お天気という日がほとんどない。これがここの雨季の普通の状態のようだけれど、ちょっと降り過ぎ。こう毎日雨が降るとカビが心配。 | ||||
2010年12月27日(月) | ||||
エディたちは23日の仕事を最後に、クリスマスおよび年末年始の休暇に入った。結局、今月彼らが仕事をしてくれたのは先週の月曜日から木曜日の4日間だけだったけれど、一応、寝室や台所のレンガむき出しだった天井部分にコンクリートを塗る作業が進んだ。居間やダイニングの天井は年が明けてからということになる。次の写真は天井にコンクリートが塗られた台所(左側)と、まだ塗られていない居間(右側)の違いを撮ってみた。
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2010年12月28日(火) | ||||
去年、歌手生活50周年を迎えたホベルト・カルロス(Roberto Carlos)は、毎年この時期サッカーで有名なリオのマラカナン競技場などで大規模なライブコンサートを開くのが恒例になっているらしいのだけれど、今年は、初めてコパカバーナの海岸が会場となって行われた。25日の夜テレビを見ていたら、このコンサートがライブ中継されていたので、少しだけ見た。若い頃に片足を切断するオートバイ事故で義足を使っているため、長い間立って歌うことができないらしく、オープニングの曲が終わると、そのことを断わりながらイスに腰かけておしゃべりしたり歌ったりしていた。でもとても70代のおじいさんには見えない。
コパカバーナ海岸は大晦日に大量の花火が打ち上げられることでも有名で、昨日の夜のニュースではその準備が着々と進んでいるという現地からのリポートがあった。コパカバーナ海岸の400メートル沖合いに並ぶ筏から、2000発以上の花火が打ち上げられるのだそうだ。でも、海岸でのライブコンサートといい、花火大会といい、長い間立ったままそれらを見物する人たちは何と我慢強いのだろう。 | ||||
2010年12月29日(水) | ||||
昨日はとてもうれしいサプライズがあった。何とエディたちが仕事に来たのだ。去年同様年明けまでずっと休みだとばかり思っていた。何の前触れもなく朝7時20分頃、上でガタガタと音がするので、いつもならエディたちが作業に来たんだなと思うのだけれど、昨日は予期していなかったので、外に出て確かめたらエディのトラックが止まっており、いつものようにつけっぱなしのラジオから大きな音量で音楽が流れていた。ヤッホー!!これは何だか奇跡に近い。どういう風の吹き回しだろう?でも何はともあれ、うれしい。うれしい。 そして今日も仕事に来てくれた。明日も来るのかとエドソンが確認すると、まだ決めていないという。う~ん。その日の気分で来るか来ないか決めるのか?エドソンは31日まで仕事に出ると言っていたけれど、たぶんエディは今日が仕事納めだろうな。 | ||||
2010年12月30日(木) | ||||
12月28日付けのニッケイ新聞に、編集部が選んだ2010年コロニアの10大ニュースというのが掲載されていた。日本の10大ニュースともブラジルの10大ニュースとも違うコロニアならではのものなのでここに転載してみる。 『移民102周年を迎えた今年も様々な節目が多い1年だった。コチア青年、文協は55周年、県人会の式典も多く、旅順丸渡伯一世紀にあわせ県人移住百周年を祝うところも。一世減少、世代交代が進む中、それぞれの団体が将来に向けた新しい形を模索している。デカセギ現象は四半世紀となり、依然厳しい状況が続く中、日伯両国で取組みが続く。32年続いたJALサンパウロ便撤退という寂しいニュースもあったが、日伯経済交流は着実に前進しているようだ。来る2011年を前に、編集部が選んだ10大ニュースをお届けする』
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2010年12月31日(金) | ||||
昨日の朝の最低気温は15度、昼間の最高気温は27度。今日はそれぞれ14度と26度。夏なのに比較的涼しいここの気候が私たちはとても気に入っている。今週は雨が降ることなく午後になると湿度が下がる気持ちのいい日が続いた。予報では元旦からまた降水確率80%の日々が戻るらしいので、今週はちょっと一息という感じの週になった。 エドソンはいつも通り仕事に出て行ったので、私は掃除や洗濯をしながら、合間合間に午前8時半から始まった「紅白歌合戦」を見る。でも、NHKの「ゆく年く る年」は見たいからと、エドソンはお昼過ぎに紅白が終わる頃戻ってきた。彼は「ゆく年くる年」で除夜の鐘を聞きながら、日本各地の静かな年越しの様子を見るのがとても好き。元旦のお屠蘇代わりにと買っておいたブラジル産の清酒「東麒麟(あずまきりん)」を冷のままおちょこについで、日本時間の年越しに合わせて まずは乾杯。お隣のウィリアムがジウダと末息子のクリストファーと彼のガールフレンドを連れて昨日から来ていて、今晩の夕飯のシュハスコによんでくれたので、手土産にするためのデザートのブラウニーを午後から作る。
午後9時過ぎにウィリアムのところから戻り、ブラジルや世界各地の大晦日の様子をテレビのニュースで見ながら年越しそばの準備をし、11時頃になっていただく。コパカバーナ海岸からの中継を見ながら12時近くなってエドソンがブラジル産のスパークリングワインを開ける準備をし、テレビと一緒にカウントダウンを行い乾杯!その後、家の外に出て、丘に上がり周辺のあちこちの町で打ち上げられる遠くの花火を少し見て、家に戻りコパカバーナの花火を堪能する。
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