Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2010年6月1日(火) | ||||
今日はエドソンの仕事の後で、一緒に食料品の買出しをする必要があったので、朝、エドソンを職場に送り届けて、私は車で帰宅した。その後、建設現場に行き、ハイビスカスを植え替えるための穴を、家の玄関先に10個掘る作業をした。防風林用に植えた11本のハイビスカスは、間違って大きくならない種類のものを買ってしまったことが判明し、防風林の役割を果たせないことがわかり、植え替えなくてはならないことになった。11本のハイビスカスの内、1本は2度にわたり枯れてしまったため、植え替えが必要なのは10本。そのためまず、10個の穴を掘り、次にその穴に入れる土をカロリナソイルや肥料と混ぜて用意し、防風林用に上の斜面に植わっているハイビスカスを1本、1本、掘り起こして、移植するという作業を今週はする予定。ハイビスカスを掘り起こした後は、また大き目の穴を掘り直し、土を用意して、別の木を買って来て、植えなくてはならない。 夕方、エドソンの退社時間に合わせて彼の職場に行き、いつも行くマーケットのシェーロ・ヴェージに一緒に行き、食料品をまとめて買って帰る。「家は完成したかね?」というのが、このところこの店のご主人の挨拶代わりになっている。地元の人なんだから、ここではそんなにすぐには家は完成しないということは、百も承知しているはずなのだけれど、そう聞かれるとエドソンは「まだ下のガレージすら完成していないよ」と、まじめに答えている。 | ||||
2010年6月2日(水) | ||||
次の写真は、植木鉢に植えたセドリーニョの側で、植林を待っている苗木たち。私たちがせっせと木を植えているのを知っているジャトバス研究所のエリゼウが、自分で育てていた何種類かの苗木をわけてくれた。エリゼウには本当に感謝。
夕方からご近所のタケイシさんのところに行った。このところ奥さんがサンパウロで家族の介護につききりで、彼もサンパウロとパーディーニョを行ったり来たりしているらしく、すっかりご無沙汰していたのだけれど、今晩は家にいるということでお邪魔した。ボトゥカトゥでとてもいいブドウを栽培している日本人を、取材させてもらおうと思い、その橋渡しをお願いしにいったのだけれど、ブドウの卸売価格が安すぎて、採算が取れないため、ブドウ栽培をやめてしまい、ブドウの木をすべて抜いて、現在はユーカリの木の苗を栽培していると聞いて、がっかり。まあ、仕方がない。こういうこともあるだろう。気を取り直して、タケイシさんは今晩一人なのだから、うちで一緒に食事をしましょうと誘ったのだけれど、反対に、君たちが来たら一緒にカンポネーザに行こうと思っていたからと、強く誘われ、結局、ご馳走になってしまった。でも、久しぶりに一緒に食事をし、ゆっくりといろいろ話すことができ、楽しい時間を過ごした。 | ||||
2010年6月3日(木) | ||||
ブラジルでは、今日は「聖体祭(Corpus Christi)」で祝日。金曜日も休みにしてしまうところが多いので、この週末はほぼ4連休になる。エドソンの仕事もお休み。『「最後の晩餐」でキリストが、パンをとって「これは我が体なり」と、ぶどう酒の杯をとって「これは我が血なり」と言い、これを記念して祭礼を行うよう言ったことに因み、ローマ教皇ウルバーノ4世が三位一体の日曜日の次の木曜日を「聖体祭」と定めた』という。毎年、イースターから60日目の木曜日が聖体祭と決まっているのだそうだ。 『教会までの道を、花やおが屑などを使ってキリスト教に関する絵などで飾り、その上を十字架を先頭にして侍者、白衣の少年少女、司祭、修道者、信者の順で長い行列を作る。これを「聖体行列(Proscissao)」といい、この儀式はこの木曜日か次の日曜日と決められている』ブラジルでは『「刺繍の町」と呼ばれているイビチンガ市(Ibitinga)では本物の刺繍で、巨大な物があふれているイトゥ市(Itu)では彩色したおが屑やコー ヒー豆の殻などで、「芸術の町」と呼ばれているエンブー市(Embu)では花で道路を飾り「聖体行列」が行われるので特に有名』だとインターネット上の情報にあった。 夜のテレビニュースでは、ベロオリゾンチやブラジリアでの聖体行列の様子を報道していた。 お昼前後にエドソンとふたりで、ハイビスカス10本の植え替えをする。丘の上に植わっているときは側まで行かないと咲いている花が見えなかったけれど、場所を家の側に移したので、花がよく見えるようになった。
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2010年6月4日(金) | ||||
今日付けで、中国新聞の海外リポートに、私の19本目のリポート「日本と違う税制に戸惑いと驚き」が掲載された。中国新聞海外リポートのサイトは、こちらへ。このリポートの中では触れなかったけれど、ブラジルの固定資産税の課税金額は、日本のように土地の評価価格で決められるのではなく、いくらでその土地を購入したのか、購入時の金額によって課税金額が算出される。一方で、車の所有税は、どんなに安いポンコツの中古車でも、購入金額ではなく、その車の年式、メーカー、モデルなどで、課税金額が決まっていて、毎年徴収される。国が変われば、考え方も異なるということだろうけれど、課税方法が一定でないのは不思議だと思う。 今日は、エドソンの仕事が休みなので、午前中からボトゥカトゥにガレージ内の天井や、外壁を塗るためのペンキなどを買いに行く予定にしていたのだけれど、下水処理用のタンクを埋めるための穴や、入り口ゲートの傾斜を平らに修正などの作業のために、前から頼んでいた重機オペレーターの人が朝一番で連絡をくれ、来てくれることになったので、買い物は明日行くことにした。これまで何度も市の重機を頼んでいて、初めの頃は市の担当窓口を通して正式に頼んでいたのだけれど、それではなかなか重機を回してもらえず、オペレーターの人にも上手下手があって、誰が来るかわからないので、一番スムーズにことが運ぶのは、来てもらいたいオペレーターの人に直接頼むことだということがわかってきた。以来、いつも同じ人に直接頼み、彼が都合をつけて来てくれるようになった。この人はとても腕がよく、こちらの希望をよく理解し、きれいな仕事をしてくれる。ここでの慣習的なやり方を知っているのと知らないのとでは、得られる結果がずいぶん違うものだなあと、変に関心してしまう。 お昼が終わって、午後から重機の作業が再開されると、タイヤのトラブルが発生。オペレーターの人が修理に戻ったため、2時間以上時間を無駄にしてしまった。でも、この人はいいかげんな仕事はしたくないというタイプの人なので、日の入り後のだんだん暗くなる中でも、6時近くまでかかって、作業を完了してくれた。 次の写真は、入り口ゲートの左右に傾斜していた道路を平らにしてもらったもの。ゲートの外の道路と高さがほぼ同じになった。
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2010年6月5日(土) | ||||
次の写真は、家の下の三角地帯に下水処理タンクを設置するために、昨日掘ってもらった穴。ここに設置するタンクの中で、トイレの汚水は生物分解され、次に、この隣に掘ってもらった少し横長の溝のような穴の方に入り、台所や洗面所などからの下水と合流して、さらに生物分解が進むようなシステムにする予定。ここでは下水も立派な資源なので無駄にせず、台所洗剤も洗濯洗剤もいわゆる生物分解可能な(biodegradable)ものを使い、すべて自然に返し、再利用しようと考えている。
次の写真は、昨日造ってもらった道の上から撮ったもの。入り口ゲートから家まで続く道は、家の下のガレージに来るようになっているのだけれど、その途中で左折して、上の家の方に来る道を造ってもらった。というのも、入り口ゲートを平らにするための石の混ざった土が必要だったため、ここの部分の石ころの混ざった土を使うことにし、ついでに、エディが上の家の部分の建設作業をする上で、作業の車が入りやすくすることと、緊急に車を家に横付けしなくてはならない時や、将来的に家から下のガレージまで階段を上り下りするのが難しくなった時(つまり、私かエドソンが車椅子を使うようになった時のこと)を考えて、造ることにした。つまり、発見的問題解決法(heuristic)というわけだ。写真の中に写っているのはフィオナ。
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2010年6月6日(日) | ||||
昨日の夜、パーディーニョの町でフェスタ・ジュニーナ(Festa Junina)が開催されたので、出かけて行った。これは毎年6月に行われるお祭りで、日本の秋祭りや、アメリカの感謝祭のようなもの。これについては、中国新聞の海外リポートにも書く予定。ここは昼間、風がないお天気のいい日に太陽の下にいると、それほど寒くはないけれど、夜は寒い。昨晩は気温が6〜7度だったので、教会前の大きな焚き火の前はとても暖かく心地よかった。 フェスタ・ジュニーナ定番のクアドリーリャ(Quadrilha)というダンスが始まるまで、エドソンはピンガにしょうがとシナモンを混ぜて暖めたケンタオン(Quentao)を、私は赤ワインにオレンジジュースとアップルジュースとシナモンを混ぜて暖めたヴィーニョ・ケンチ(Vinho Quente)を飲みながら、お祭りに来ていた顔見知りの人たちとおしゃべりをして待った。これらの飲み物は寒い時期に行われるフェスタ・ジュニーナの定番の飲み物だけれど、ところによって、ピンガや赤ワインに混ぜるものが異なるようだ。パーディーニョでは料金はそれぞれ1レアル(約50円)だった。 次の写真は、フェスタ・ジュニーナ独特の田舎スタイルの服装をして、クアドリーリャに参加して踊っている人たち。
男性はわざと顔にひげを描いたり、ズボンに接ぎあてをしたりしている。女性は頬を赤く塗り、黒い点でそばかすを描いて、髪は三つ編みやお下げにしている。この写真の女性はわざと牛乳瓶の底のような丸めがねをかけている。
日本のお祭りのように屋台がたくさん出たりはしていないのだけれど、それでも、次の写真のような、本物の金魚すくいならぬ、プラスチックの金魚釣りがひとつと、ボールを投げて、壁にかかっているピエロの顔の口に入ったら景品がもらえるようなゲームがひとつあった。
教会前の焚き火の側では、若者たちが油の塗られたポールに登って、上部に貼り付けてある紙を取り、景品をもらうという競技をしていた。パーディーニョのフリーペーパー「パーディーニョ新聞(Jornal do Pardinho)」の発行者のジェラウドさんも、新聞掲載のために、カメラでこの競技やダンスを撮影していた。
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2010年6月7日(月) | ||||
ミニチュア・ダックスフントのモビとフィオナは、私たちが建設現場に植林などの作業に出かけると、必ずついてくる。まず、そこらじゅうをクンクンと匂いをかいで回る。そして、あちこち走り回って、適当に遊んでいたり、おとなしく座って私たちの作業を見ていたりする。でも、時々、突然2匹で鬼ごっこを始めたりもする。次の写真はそんな鬼ごっこをしている2匹が数秒立ち止まって、にらめっこをして、どちらが先に動き出すかと探り合っているところ。手前がモビで、向こう側で顔をこちらに向けているのがフィオナ。この子たちの行動は本当におもしろく、見ていて飽きない。この子たちが側にいると、本当に癒される。
今日、マウリシオがここの果樹園に石灰を撒く作業を終えて、石灰が少し余ったからと言って、ついでにうちの土地にもトラクターで石灰を撒いてくれた。トラクターの後ろに石灰を散布する機械を取り付けて、石灰がスムーズに穴に落ちてゆくように、トラクターの後ろでアルバイトのレオナードが棒で石灰を混ぜている。この辺の土地は酸性度が高いため、こうやって石灰を撒いて、PHを中和させないと植物が元気に育たないのだ。
この作業で、草や地面だけでなく、一緒に作業を見ていたモビやフィオナたちも、風に乗って飛散する石灰の粉を被って、背中が真っ白くなってしまったため、家に帰ってから体を洗ってやらなければならなかった。 | ||||
2010年6月8日(火) | ||||
この前の土曜日にボトゥカトゥの建築資材の店に、ペンキなどを買いに行ったら、聖体祭の週末をここも4連休にしたようで、あいにくお休みだった。そのため今日、午後から再度出かけて行かなければならなかった。その店に行く前に、銀行に寄り、ボトゥカトゥでいつも行くガソリンスタンドで車を洗ってもらい、建築資材の店に行く。店にはいつもいる親切な中年の男性店員さんも若い男性店員さんもおらず、今まで対応してもらったことのない中年の女性店員さんが対応してくれた。でも、何かおもしろくないことでもあったのか、とても機嫌が悪く、エドソンの質問にも「そんなこと知らない」とつれない返事。こちらが購入すると言っている品物を間違ってコンピュータに入力したりと、気もそぞろ。あまりの対応の悪さに、支払いをして品物を受け取った後で、エドソンはマネージャーにやんわり苦情を言っていた。いつも対応してくれる男性の店員さんたちはとても親切で、こちらの質問に専門店の店員さんらしく、詳しくいろいろ答えてくれるのに、ずいぶんな違いだった。 この後、家のレンガを購入した店に注文しておいた、レンガに塗る防水用の液体が届いたと言う連絡をもらっていたので、支払いと品物の受け取りに行く。このレンガの専門店は小さな店なのだけれど、この辺では手に入りにくいサンタ・カタリーナ産の質のいい白いレンガを扱っていて、オーナーのペドロさんはいつもとても親切な対応をしてくれる。 これらの買い物を終え、4時過ぎに帰宅すると、ガレージの扉に塗る白いペンキが足りないとエディが言う。お昼過ぎに出かける前に、ペンキ塗りの作業をしていたエディの弟にペンキは足りるかとエドソンが確認した際、十分だと言っていたのに、戻ってきたら足りないと言う。明日は朝から、アヴァレのトヨタに車を定期点検のために持って行かなくてはならないので、ボトゥカトゥに行く時間がない。仕方がないので、すぐボトゥカトゥに取って返すことにする。月曜日から始めたペンキ塗りを水曜日に完了して、木曜日には窓を取り付ける予定になっているとエディは言っていたので、ペンキ塗りの完了が遅れると、窓の取り付けの日程を再度調整しなければならず、時間を無駄にしたくなかったので、パーディーニョとボトゥカトゥを二往復。お陰で、帰宅が遅くなり、ちょっと疲れた。 | ||||
2010年6月9日(水) | ||||
車の走行距離が1万キロに迫ったので、今日は、ここから南西に1時間くらい行ったアヴァレ(Avare)という町にある、トヨタのディーラーに車を持って行って、点検をしてもらう予約をしていたので、8時半に家を出る。ボトゥカトゥにはホンダのディーラーはあるのに、何故かトヨタのディーラーがなく、アヴァレのトヨタがここから一番近いディーラーなのだ。 以前も書いたけれど、サンパウロの高速はとても整備が行き届いていて、運転がとても楽なのだけれど、町に到着すると、道路の名前がはっきりと表示されていないことが多く、だいたい初めて行ったところでは必ず道に迷う。今日も町の中心に行く降り口を見落として、引き返したり、町に入ってから、何度も通行人に道を尋ねたりして、ようやく10時ちょうどに到着。でも、店は空っぽで、別の場所に移ったとサインが出ていた。エドソンが電話で予約を入れた際はそんなことは何も言っていなかったし、インターネットのウェブサイトの住所表記も変更されていなかったのに・・・やれやれ・・・たまたまトヨタの女性社員の人がひとりいたので、エドソンが移転先の場所への行き方を聞いて、20分近く予約の時間から遅れて無事に到着。新しい移転先の方がよっぽどわかり易い場所にあった。最初からここを目指して来ていたら、迷うこともなく楽勝で来れたのに。 でも、ここでの対応はとてもよく、点検が終わるのは午後4時頃になるので、それまで町の中心で買い物などしたかったら車で送り迎えをしてくれるというので、建築資材の店に連れて行ってもらう。アヴァレの中心街はボトゥカトゥよりもすっきりしていて、なかなか感じが良く、いろいろな店が結構趣味のいい物を置いていた。アヴァレの町外れには大きな水力発電のダム湖があるようで、その周辺が風光明媚な観光地になっていて、ホテルなどの宿泊施設もたくさんあるため、ボトゥカトゥよりもずっと町の規模は小さいのだけれど、外から観光客が来てお金を落とすからか、ちょっと垢抜けた印象だった。 最初に行った建築資材の店で、いろいろ買い物をした後、中心街を歩き回りあちこち店をのぞいたり、お昼を食べたりして過ごす。町をふらふら歩いていると、馬に乗った軍警察官を見かけた。ニューヨークの騎馬警官は有名だけれど、ブラジルではここで初めて騎馬警官といいうものを見た。パトカーに乗っている警察官よりも威圧感があると同時に、なんとなく親近感もあって、不思議な感じだった。
午後2時頃までふらふらして疲れたので、トヨタに電話をして迎えに来てもらい、トヨタに戻る。その途中、トヨタの近くにガーデンショップや台所用品などを販売しているきれいな店を見かけたので、一旦、トヨタで買い物の荷物を置かせてもらい、歩いて行ってそれらの店をのぞいてみた。ボトゥカトゥでみかける店よりもセンスがいいものをいろいろ置いているけれど、結構いい値段なので、ちょっと考えてしまう。 午後4時前にトヨタに戻ると、車の点検が完了していた。とても感じのいい対応で、てきぱきと点検の受付や書類作成をしてくれ、最後に車を建物の前まで回してくれた女性と記念写真を撮らせてもらう。さすがトヨタ、社員教育も行き届いているというところか?
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2010年6月10日(木) | ||||
昨日の夕方、アヴァレからの帰りにご近所のタケイシさんの所に寄って、夕食に招待したら、昨晩は農業組合の会合があるということで、日にちをずらして、今晩6時に来てもらうことにした。彼はお肉(carne)が好きだと言っていたので、昨日の夕飯は牛肉のおかずを用意していたのだけれど、それは昨日食べてしまったので、今日は豚肉でひと口とんかつを作ることにする。 ちなみに、ポルトガル語でカーニ(Carne)と言えば、英語のmeatのことなので、肉全般を言うのだけれど、ブラジル人の頭の中では、カーニと言えば、牛肉のことを意味し、豚肉や鶏肉はイメージされないらしい。そういえば、関西の人もこれと同じような感覚だと何かで読んだことがある。つまり、関東では「肉まん」と言うけれど、使われている肉は牛肉ではなく豚肉なので、関西では「肉まん」とは言わず「豚まん」と言うとあったように思う。私も東京で暮らし始めるまでは「肉まん」ではなく「豚まん」と言っていたかな? タケイシさんは時間通りに到着。自宅の畑で採れた数種類のオレンジを箱一杯にもって来てくれた。その上、以前、譲ってあげると言っていた梅の苗木を2本、トラックに積んで来てくれた。タケイシさんのお宅では、毎年採れる梅で、奥さんのナンシーが梅干を作っているので、この木を植えて、梅の実がなるようになったら、私も作り方を教わって、梅干を作りたいと思っている。タケイシさんはコーヒー農家なのだけれど、コーヒーの木だけでなく、オレンジ、ポンカン、レモンといった様ざまな種類の果物の木などもたくさん育てている。そして、農業全般の知識が豊富で、農業の基本をいろいろ私たちに教えてくれるので、おしゃべりしていて、とても勉強になる。いつもは玄米を食べているので、久しぶりの白米はおいしいと言って、お代わりをして食べてくれた。次の写真の手前の箱に入った2本の苗木が、タケイシさんが持って来てくれた梅の苗木。
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2010年6月11日(金) | ||||
今週、ガレージの扉のペンキ塗りが完了し、窓が入る予定だったのに、扉のペンキ塗りは完了したものの、何故か窓は入らず、相変わらず窓なしの状態が続いている。でも、ガレージ内の壁や天井のペンキ塗りと、ガレージの前に1.5メートル幅でコンクリートを塗る作業が進行中。壁と天井を何色のペンキで塗るか、いろいろ悩んだのだけれど、ガレージは白に近いアイスグレーにし、オフィスはアースカラーのベージュにした。それらのペンキが壁に塗られた状態で見てみると、アイスグレーも悪くないけれど、アースカラーのベージュは暖かい印象で、なかなかいい。「ガレージの壁もこの色にすればよかったかなあ・・・」と、エドソンはこの色がとても気に入った様子。選ぶときは小さなサンプルカラーを見て決めるので、実際に広い壁に塗られた時は印象が変わったりして、色選びは難しいと思っていたけれど、満足行く色選びができたことを喜びたい。次の写真は、ガレージの扉のペンキ塗りが終わった状態。まだ窓は入っておらず、外壁のペンキ塗りも始まっていない。
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2010年6月12日(土) | ||||
昨日の夕方、エドソンが帰宅後エディと話すと、アイスグレーとベージュのペンキが、それぞれ2缶ずつ足りないというので、今日、またボトゥカトゥに買いに行く。1缶で何平米塗れるかをちゃんと確認して買ったのだけれど、2度塗りする必要があるからか、足りないらしい。帰りにまたプロベージに寄り、防風林用に大きく育つ種類のハイビスカスの苗木を買う。赤、ピンク、黄色の3色があったので、それぞれ4本ずつ買い、グレヴィーリャの苗木も1本買う。 途中でお昼を簡単に食べて、2時近くに帰宅。ガレージの側にペンキの缶や苗木を降ろして、一旦、家に帰り、作業用の服に着替えて植林作業に出かける。今回のハイビスカスの植林は、小さなハイビスカスを移植後に空いた穴に植えればいいので、とてもスムーズに11本のハイビスカスを植えることができた。1本余分に買ったのだけれど、これは予備に他の苗木と一緒にしばらく置いておくことにする。グレヴィーリャは以前、三角地帯に作った穴の数を数え間違えて、購入した数が1本足りなかったので、追加で買って、今日植えることにした。これら12本を植えた後、オレンジなどの柑橘系の苗木を植えようと、三角地帯に8つ掘ってあった穴の内の2つに、土と肥料などを混ぜて戻しいれる作業をした。こうして土を準備して2ヶ月くらい置いてから、梅の苗木を植えるようにと、タケイシさんから教えられたので、その通りにする予定。 これらの作業を終えて帰宅すると、マテウスが麦藁帽子を被り、新しい靴を履いて、パーディーニョに出かけるとうれしそうにしていた。側にいたドナ クレウザが、今日は子供のフェスタ・ジュニーナだからカイピーラスタイルなんだと教えてくれた。ブーツに麦藁帽子。ネッカチーフに格子柄のシャツをこのために買ったとドナ クレウザが言っていた。全部で56レアル(約2800円)もしたと、苦笑していた。ズボンにはカラフルな布でわざと接ぎあてがしてあった。マテウスはこの格好が結構気に入っているようなので、この上から着込んでいたジャンパーを脱いでもらい写真に撮る。でも、寒いので、手袋はしたままで写真に納まってくれた。
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2010年6月13日(日) | ||||
今朝はガレージの電気の配線準備で、電線を通すために壁に埋め込んであるチューブの設置状況を確認するために、エドソンは建設現場に出かけて行った。電気の配線はエディに任せず、エドソンは自分でやるつもりらしい。私は洗濯が済んでから合流し、昨日植えたハイビスカスなどに水をやる作業をする。水やりが終わる頃、エドソンがちょっと手伝ってと言うので、ガレージに行くと、どうも問題があるようだった。 チューブの埋め込みがこちらが頼んだようになっていない部分や、チューブに石かコンクリート片が詰まって配線できなくなっている部分があるらしい。エドソンがチューブの設置状況を確認するための道具を使って悪戦苦闘して、私も手伝いながら、すべてのチューブを確かめた結果、コンセントや電灯用のチューブはすべてほぼ計画通り設置されていたけれど、肝心の電灯をともすための4つあるスイッチの内の一番大事な2つが、チューブが詰まっていて電源とつながらないことが判明。まさかそんな・・・これではガレージの中の電気はつかない。こんな基本中の基本で問題が発生するなんて・・・ 何時間もの格闘の末、午後2時を回って帰宅してからずっと、エドソンは問題が判明したチューブの配線図をにらんで、何とか解決策を見つけようと、何時間も考え込んでいる。こんなこと日本だったらありえないことだと思うけれど、例によってここはブラジルのしかも田舎町。注意深く作業をして、ていねいな仕事をすることは、ここの人たちにはとても難しいことなんだなあ・・・と、再度思い知らされる。 今月に入ってガレージの完成に向けて少しずつ、少しずつ前進していたけれど、床にタイルが敷かれ、壁と天井のペンキ塗りもそろそろ終わろうかというこの時期に、こんな大問題が出てくるなんて思ってもいなかった。最悪の場合、せっかくきれいにできた壁と床を何箇所も壊さなければいけないかもしれないのかと思うと、何とも気持ちが沈む。 | ||||
2010年6月14日(月) | ||||
今朝一番にガレージの窓が来て、取り付け作業が始まった。と思ったら、何か問題があったらしく、昼前には取り付け作業をやめて作業の人たちは帰って行ってしまった。「ブルータスお前もか?」でも、少なくともエディたちは仕事を続けていたので、少しは前進があったのだけれど・・・ 夕方、エドソンは仕事から早めに戻って、昨日発覚した大問題をエディと話し合うと、チューブにコンクリート片が詰まったりすることはよくあることだと言って、エディはあまり動じなかったらしい。こんなことよくあってもらっては困るのだけれど・・・昨日何時間も考えて、解決策というか、妥協案を考え付いたエドソンだったけれど、何とかチューブの詰まりを直すことができるというのであれば、願ってもない。どうか、当初の計画通りに配線ができますようにと、祈るばかり。 今晩、W杯南アフリカ大会で日本がカメルーンに勝ったというニュースをJournal da Bandでも、Jornal Nationalでも映像を交えて伝えていた。すべての試合の結果を伝えるわけではないのに、日本の試合の映像を流したと言うのは、注目しているからなのだろうか?それとも、とても以外な結果だったからなのだろうか?「ブラジルのテレビはゴールの瞬間の映像は、どこの国のものでも、だいたい流すのが普通だよ」と、エドソンは言う。まあ、いずれにしても、ブラジルの主要なニュース番組で日本のいいニュースを見るのは悪い気はしない。日本のマスコミは南アフリカの治安が悪いため、ドイツ大会の時のように女子アナなどを派遣していないとインターネットのニュースで読んだけれど、ブラジルのゴールデンタイムのニュース番組は、Jornal da Bandはメインの男女キャスターの内の、Boechatという男性キャスターを、Jornal Nationalはメインの男女キャスターの内の、女性キャスターのファチマを現地に送り、どちらも連日南アフリカから生中継報道している。 | ||||
2010年6月15日(火) | ||||
イビウーナの中村さんは、週に一回随筆を書いている。14日付けの「Amigo」と題する随筆をここに紹介しようと思う。 『サンパウロ−リオデジャネイロ間の412kmに敷設する高速鉄道の入札を廻り仏・独・日・韓の間で売込み競争が行われていると新聞報道で知ったのは昨年12月だったので、もう結果が出ているだろうと、勝手に想像していた。呑気なものだ。 先週、某昼食会で隣合せたJBICのH氏が「日本勢がとるのは難しい」と言うのを聞き、未だ勝負がついていないのだと分った。「何故難しいの?」と話を合わせた処、「伯側の乗車者数保証がないからです」との返事だった。「へぇー、そんな保証があるものなの?」と不思議に思った。Finance付きで技術を売るビジネスで、貸付金の元利返済を伯政府又は信用の高い金融機関が保証すれば済むものと思っていたが、そうでもないらしい。現場感覚からのズレを感じた。 少し前に読んだ元Jetroサンパウロ所長S氏のコラム(日伯論壇、ニッケイ27/03/2010)を思い出した。彼は、日本人とブラジル人がなかなか噛合わない例として、「エタノールの対日輸出の際も、日本人や日本企業は、ブラジル側が安定供給してくれるのかという点につき何度もいやになるほど聞いたものだった」と経験を談じている。 現役時代、大きなプロジェクトを手掛けてきたが、ほとんどは外国人相手の交渉が私の仕事だった。同僚からは、何時も易しい部分を分担していると愚痴られた。最も難しい部分は社内説得(最終的には稟議書を通すこと)だというのが、チームの一致した意見だった。S氏も「仮に企業の担当者が乗り気になったとしても出来の悪い上司が案件潰しにかかり、重箱の角をほじくることになり、案件はボツになる」と言っているが、海外プロジェクトでは日本の社内が難関なのだろう。 商社マン駆出し時代に先輩諸氏から受けた薫陶の一つに「商売のコツは比較的よいものを比較的やすく提供する処にある」という言葉がある。この訓えからすると、商売が成らないのは、それが比較的よくもなく比較的やすくもないからだ。 ところができの悪い上司に限って、この教訓も潰した原因が自分であることも棚に上げて、「お前は彼等のアミーゴだろう。そこを何とかして来い」と無理難題を言ったものだ。海外の責任者は大変だ。「相手の顔に唾をかけておいて、今度はその手に接吻してこいと言うわけですか?当地には、アミーゴはアミーゴ、商売は商売という諺がありましてね、都合のいい時だけのアミーゴでは駄目です。相手の条件を飲むしかありませんね」と突っ撥ねることになる。時節(今昔)も場所(国柄)も変わらない。結局、ビジネスはよい条件を出すことに尽きる、と思う。』 中村さんは、この高速鉄道の件を知ったのは昨年の12月と書いているけれど、昨年3月に私たちがブラジルに越してくる頃には入札の第一ラウンドが進行していて、及び腰の日本は脱落しそうになっていた。その後、日本は第二ラウンドに復帰してがんばっていたので、私も注目していた。でも、いつまでたっても結論が出ないようなので、やはりブラジルは何でも時間がかかるなあと、思っていたのだけれど、その原因のひとつが日本側にもあるということがこの随筆でわかった。それにしても、日本側の態度も何だか理解に苦しむ。「伯側の乗車者数保証がない」と言っても、ブラジル政府はその損失を補填すると言っているだから、問題ないように思うのだけれど、しろうとの浅知恵だろうか?日本側は本気で高速鉄道を売り込む気があるのだろうか?日本側の上層部に英断を下す能力がないということなのだろうか?近年、韓国企業のサムスンが大好調なのは、十分な市場調査をし、有望と見られる商品に集中的に多額の投資をしているからで、それを可能にしているのは、企業トップの人たちの迅速な判断力と決断力によるところが大きいという記事を見た。大きく育ってしまった日本企業には、現状にぬくぬくとするばかりで、難しい判断や決断をする能力のある人材がいないということなのだろうか? | ||||
2010年6月16日(水) | ||||
ブラジルでは一部を除いて、ゴミを日本のように分別収集しない。でも私は、これまでに身についた癖で、少なくともビンとプラスチックと缶ぐらいは分けないと気持ちが悪い。ただ、私が分けていても、ゴミを取りに来るドナ クレウザは、ビン以外はすべてゴミ袋に入れてしまう。何度もこれを繰り返していたところ、ボトゥカトゥの大きなスーパーのパオン・ジ・アスーカーの駐車場の片隅に、リサイクルのゴミ箱がいくつも並んでいるのを発見。以来、ヨーグルトや食用油、台所洗剤、シャンプーなどのプラスチックボトルと、ワインなどのビン類と、缶ビールや缶詰などの缶は、洗って箱に入れて取っておき、パオン・ジ・アスーカーに買い物に行った時に、まとめて持参して、これらのリサイクルのゴミ箱に入れるようになり、ちょっと気分的に楽になった。 先日、例によって、箱にたまった20個くらいのプラスチックボトルや缶類を持って行ったら、ちょうどキャンペーン期間中だったらしく、女性が2人、ゴミ箱の前にテーブルを置いて座っていた。こちらが持参したものの数を数えながらゴミ箱に入れ、エコバッグを2つくれた。10個リサイクルするごとにエコバッグ1袋進呈ということだったらしい。私たちの持参したのは20個に少し足りなかったのだけれど、サービスと言って、2袋くれた。次の写真はそのもらったエコバッグ。バッグに書かれているReduza Reutilize Recicleは、削減、再利用、リサイクルの意味。その下の小さな文字で書いてあるUm futuro feliz e a gente que cria.というのは、A happy future is something we create. つまり「幸せな未来は私たちが作るもの」という意味。a genteはnosつまりweと同じ意味の口語表現で、nosは複数形だけれど、genteは三人称単数形。criaはto createのこと。でも、私たちがパオン・ジ・アスーカーで買い物をする際は、だいたい袋詰めではなく、箱詰めにして、車のトランクに積んで帰るので、このエコバッグの出番はない。他の店での少量の買い物に使わせてもらおうと思っている。
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2010年6月17日(木) | ||||
火曜日頃から気温が上がり、寒さが和らぎとても気持ちがいい。モビたちも家の前のベランダで寝そべっていると暑いくらいなので、日向と日陰を行ったり来たりしている。北の強い熱帯高気圧と南の寒冷前線が押し合いへし合い、しのぎを削っていて、このところ熱帯高気圧が優勢らしい。 ずっといいお天気が続いているので、私は毎日、建設現場に行って、植えた木々の水やりに精を出している。何しろこれまでに植えた木の総数は、124本。それに植林を待っている苗木も10本以上あるので、今日はこのエリア。明日はこのエリアと、エリアごとに分けて水やりをするため、日数がかかる。そして、すべてに水やりを済ませると、また最初のエリアに戻って水やりということになって、結構忙しい。でも、生き物と言うのは、植物も動物も、こちらが愛情を注いで、手をかければかけるほど、それに答えてくれるので、こういう作業も苦にならない。 | ||||
2010年6月18日(金) | ||||
今日付けで、中国新聞の海外リポートに、サンパウロ市在住の沢田啓明さんの「W杯の代表試合中すべてがストップ」が掲載された。中国新聞海外リポートのサイトは、こちらへ。ブラジル対北朝鮮の試合が行われたのは今週火曜日の午後。その日はちょうどエドソンに仕事の帰りに、ひき肉とキャベツを買って帰ってと、頼んでおいた。夕方、手ぶらで戻ってきたので、買い物をするのを忘れたのかと思ったら、「店を全部回ったんだけど、どこもみんな閉まってたんだ」と言う。私が、「どうして?」と聞くと、W杯の試合が3時半から始まったから、みんな3時には店を閉めてしまったらしいということだった。そう言えば、火曜日はエディたちも仕事に現れなかった。こういうことだったのか?次の試合は日曜日なので、もともと商店はお休みで、いいけれど、平日に閉店になってしまうと困る人も出てくるだろうに・・・と、思うのは、サッカーフリークではない私だけかな?まあ、「郷に入れば郷に従え」と言うことつきるのか・・・ちなみにエドソンの職場は、サッカーの試合を見たい人は早退してもいいというお許しが出たそうで、ひとり若いホドリゴ君だけが帰宅したと言っていた。 10日のブログで書くのを忘れていたのだけれど、10日付けで、沢田さんは「W杯優勝を祈り公道にも飾りつけ」というリポートも書いている。こんなことをしても誰も警察に文句を言っていく人はいないとあったけれど、同じ頃ニッケイ新聞の記事で、サンパウロ市では公道に絵を描いたりすることを、今年から法律で禁止しているので、処罰されるのを恐れて、公道に絵を書く人はめっきり減り、ペンキ屋もペンキの販売量がとても減っているようだとあった。それから、リオデジャネイロ州のパラカンビでは、道路に絵を描くのではなく、地区ごとに道路や店や家を国旗など様ざまなものではでに飾りつけて、その美しさを競ったりするそうだ。いずれにしても、ブラジルにとって、W杯は国を挙げてのとても大きな注目イベントだということがわかる。 今日は、祝日ではないけれど、ブラジルでは「日系移民の日」という名称がついている。102年前の今日、最初の移民船、笠戸丸がサンパウロ州のサントス港に到着し、日本人移民の人たちがブラジルに第一歩を記した記念すべき日。 | ||||
2010年6月19日(土) | ||||
水曜日にエディがコンクリート片が詰まった電気配線用のチューブの詰まりを直してくれた。エドソンはいくらやってもダメだったけれど、さすがにいくつも様ざまな建築物を手がけて来ているぺドレイロ。私たちは大問題だと思ったけれど、エディがたいして動じなかったわけだ。これで、電気の配線作業はやりやすくなった。 午前中は、またボトゥカトゥにペンキを買いに行く。今度はガレージの中の洗面所などに取り付ける木のドアに塗る、仕上げのペンキが一缶足りないのだそうだ。12時半頃ボトゥカトゥから戻り、その足で建設現場に行き、ガレージやオフィスの中の掃除をし、午後からエドソンたちが作業しやすいように準備をした。エドソンは、同じ職場で働いている若い日系人のホドリゴ君に応援を頼み、二人で電気の配線に取り組んだ。今日はコンセント部分と電灯のスイッチ部分の配線をし、コンセントとスイッチのいくつかを取り付ける作業をしていたけれど、細かい作業でなかなか時間がかかるようだった。ふたりがガレージで作業をしている間、私は例によって、木に水をやる作業にいそしんだ。5時近くまであれこれと外でずっと作業をしたので、さすがに疲れて、私は一足先に家に帰る。エドソンは私が戻った後もホドリゴ君と作業を続け、6時を回って帰って来た。 次の写真は、ガレージの中で電気のコードを用意しているエドソンとホドリゴ君。ホドリゴ君は口数は少ないけれど、とても感じのいいまじめな青年。おじいさんが一世か準二世で、80代でまだ健在らしいのだけれど、二世のお母さんがまったく日本語を話さないため、彼も日本語はまったくわからないらしい。
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2010年6月20日(日) | ||||
今日はお昼をパウロの家でのシュハスコに呼ばれているので、エドソンは朝食後、9時には昨日の作業の続きをするためにガレージに出かけて行った。私は洗濯をしてから、10時半頃合流し、ハイビスカスなどに水をやり、11時半前に一緒に家に戻り、モビたちを犬小屋に入れてから、その足で一緒にパウロの家に向かう。 今日は、W杯のブラジル対アイボリーコーストの対戦なので、試合の前にシュハスコパーティーをして、みんなで一緒にテレビで試合を観戦するという趣旨だった。でも、家族や友人など30人近くの人たちが十分に座る場所もない感じで、シュハスコが終わり、2時頃になっても試合が始まらないようなので、私たちは失礼して、ガレージでの作業に戻ることにした。サッカーの試合よりも、自分たちの家の準備を進める方が気がかりだったのだ。 エドソンが作業をしている間、私は、また木に水やりをしたり、エドソンが作業した後に出たゴミを掃除して回ったり、洗面所に電気の線を配線するのを手伝ったりして、ふたりで6時近くまで作業を続けた。来週末、また土日をこの作業に費やせば、ようやく何とか完了するかな?という予測だ。 次の写真は、コンセントを取り付けるために開けてある穴に、電気の線を配線した後、そして、コンセントを取り付ける前の状態。
次の写真は、エドソンが電線をつないで、コンセントを取り付ける準備をしているところ。半田付けをしたり、テープを巻いたりと、すべて手作業の細かい仕事。なかなか時間がかかる。
次の写真は、コンセントの取り付けが完了した後の様子。
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2010年6月21日(月) | ||||
土曜日にエドソンたちが電気の配線作業をやり易くするために、ゴミで散らかっていたガレージの内部を掃除する際、洗面所に取り付けるために買っておいた洗面台の箱を移動させるついでに、2つある箱の中を見てみると、洗面台の下の引き出しなどのキャビネットの部分と、洗面台の上の壁に取り付けるための鏡しかなく、キャビネットの上に取り付ける洗面器の部分がないことが判明。数週間前に配達してもらった際、箱を開けてまで調べなかったため、今頃になって遅まきながら気がついた。そう言えば、エディが何かが足りないというようなことを言っていたけれど、このことだったのか・・・と、エドソン。それで、今日は仕事を休んで、朝、エディにそのことを再確認し、その足でボトゥカトゥの店に行く。 この店はアグアス・ダ・セハのマーセロから教えてもらって行き、タイルやトイレの便器や洗面台などいろいろ買い、オーナーの対応もとても良かったのだけれど、こういうミスをちゃんと善処してくれるかどうか不安だった。でも、何もいぶかることなく謝罪してくれ、店の近くにある倉庫でちゃんと洗面器部分を受け取れるようにメモを書いてくれたため、問題なく受け取り、持って帰ることができた。ついでに台所の流し台の下のキャビネット部分の価格の手ごろな商品があったので、それも購入することにした。流し台のトップは、以前別の店でセールをしていたものを買っておいたのだけれど、下のキャビネット部分はどうするか決めかねていたので、ちょうど良かった。 去年7月末にパーディニョに引っ越して来て、8月に家の建設に関してエディと話し合った際、建設開始は9月中旬で、完成は遅くとも約1年後の今年の9月頃という印象だったのだけれど、もうすぐ7月。悪天候のため建設開始が2ヶ月も遅れ、その後も家の下のガレージすらなかなか完成しない状況では、家の年内完成はどうもおぼつかない。でも、ここでの居候生活もすでに11ヶ月近くになり、そんなにいつまでもこの状態を続けることはできないので、下のガレージができ次第、ここでの居候生活を脱して、ガレージでの仮住まいをすることにした。そのためには、簡易の台所が必要だったので、今日、ひょんなことで流し台の問題を解決することができ、本当に良かった。あと9日で6月も終わろうとしているけれど、まだ窓が来ておらず、下水処理タンクの設置も終わっていないので、少なくともそれらが完了しなければ、ガレージでの仮住まいは始められない。 | ||||
2010年6月22日(火) | ||||
昨日はボトゥカトゥから戻り、お昼を食べてから、エドソンはガレージのコンセントの取り付け作業を再開した。でも1時間余りで戻って来た。パラカンビにお父さんが残した家のことで、パラカンビまで行って、書類に署名をしなければならないため、ここ2〜3週間それがいつになるのか、パラカンビからの連絡を待っていたのだけれど、昨日の午後ようやくフランシスコから最終的な確認の連絡があったのだ。それでエドソンはパーディーニョまで必要書類のコピーやスキャンを取りに出かけ、私は持って行く荷物の用意をした。 午前8時半頃ここを出て、いつものようにカステロ・ブランコ上のホドサーブで、燃料を満タンにして、車を洗ってもらい出発。このところずっと雨が降っていなかったのに、1時間くらい走ると雨が降り始めた。不思議なこともあるものだ。サンパウロ市内のマージナル・チエテは入り口辺りが少し混雑していたけれど、雨にもかかわらず比較的スムーズに通過できた。その後、アイルトン・セナ上のホドサーブでいつものように昼食休憩を取り、しばらく行くと雨が止み、パラカンビには5時前に到着することができた。前回はパラカンビまでずっと大雨で、到着に時間がかかったけれど、今回はたいした雨ではなかったため、渋滞もなく、スムーズに到着。 シャワールームのシャワーが壊れていたらしく、私たちが到着したのを確認した上で、エリカのご主人のデニウソンが新しいシャワーを取り付けに来てくれた。お陰で私たちの滞在中、水のシャワーではなく、お湯のシャワーを浴びることができた。感謝。 | ||||
2010年6月23日(水) | ||||
午前中と午後、2度にわたり公証人役場(Cartorio)に行って、書類を提出して認証してもらったり、書類にサインをしたりして、用事を無事済ませることができた。午前と午後の公証人役場での約束の時間の合間に、銀行で用事を済ませたり、建築資材のお店に行ったり、ベトさんのハチミツ店に行って、ハチミツやプロポリスを買うことができた。次の写真は、今回私たちがお世話になった公証人役場の建物。
今晩はお母さんのところで夕飯を一緒に食べることになっていたので、久しぶりにトゥリリャ(Trilha)という小さな魚を買い、お母さんにから揚げを作ってもらうことにした。パーディーニョには魚屋というものがなく、ボトゥカトゥのスーパーのパオン・ジ・アスーカーに行けば鮮魚売り場があるのだけれど、値段がとても高いため、めったに魚を食べることがない。そのため、パラカンビに来たいい機会なので、パーディーニョでは食べられないトゥリリャを食べることにした。トゥリリャ1キロで、たったの7レアル(約350円)だった。パオン・ジ・アスーカーでは考えられない値段だ。この魚はフライにすると、ちょっとエビのような味がしてとてもおいしい。 次の写真は、魚屋で内臓だけ取り除いてくれた状態のトゥリリャ。
次の写真は、お母さんがトゥリリャを開いて、背骨を取った状態。
次の写真は、小麦粉をまぶして、から揚げにした状態。頭の部分もそのまま食べることができる。
夕食の頃から、あくびが頻繁に出て、とても疲れて眠くなったので、夕食後早めに失礼して、ファームの方に戻り、早めに寝ることにする。 | ||||
2010年6月24日(木) | ||||
昨日の夜はよく眠れたので、気持ちよく起床。朝食後、荷造りをして、8時半頃ファームを出発。前回同様、復路はお天気も良く、スムーズに帰宅の途につく。 リオデジャネイロ州からサンパウロ州に入ってしばらくすると、アパレシーダ・ド・ノーチ(Aparecida do Norte)という町を通過する。次の写真は高速を走る車の中から、その町にある有名なノッサ・セニョーラ・アパレシーダという名前の教会を撮ったもの。この町はブラジルのバチカンのような存在で、この教会を目指して国中から多くのカトリック信者の人たちが巡礼に来るのだそうだ。ちなみに、ブラジルの人口の大多数はカトリック信者で、ブラジルは世界で一番大きなカトリックの国。ローマ法王がブラジルを訪問する際は必ずここでミサをすることになっているという。エドソンも子供の頃両親に連れられて、一度ここに来たことがあるらしい。リオとサンパウロ間を結ぶ高速鉄道ができると、この町にも駅ができる予定と聞いた。現在は車でしか来れないけれど、高速鉄道ができれば、列車でも来ることができるようになり、巡礼の人たちにとっては、とても便利になることだろう。
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2010年6月25日(金) | ||||
昨日の夕方、パラカンビから無事に戻り、エドソンが家の建設現場に行き、留守中の進捗状況を確認した。ガレージの中の木のドアがすべて取り付けられ、家の北側に避雷針用の電波塔を建てるためのコンクリートの土台が完成していた。
今朝一番で、パウロの従兄弟で、タワーを作る仕事をしているアンドレが、頼んでおいた電波塔を設置してくれることになっているとエディは言っていたそうだけれど、来なかった。そして、もちろんエディたちも仕事に来ていない。今朝は11時からブラジル対ポルトガルの試合があったので、来るはずないか?試合は午前中なのだから、午後から来れるじゃないかというのは、非ブラジル人の考えることで、今日はみんな1日お休み。サンパウロ市にある日本企業のパナソニックですら、今日は休業しているようで、まったく連絡が取れない。まあ、日本企業と言っても、従業員のほとんどはブラジル人なのだから、これが当たり前なのだろう。ただし、エドソンは仕事に出たし、オフィスの他のスタッフも試合中は仕事を休んでも、試合の前後はちゃんと仕事をしたようだった。アルゼンチンからの海外リポート(6月22日付け)にも、W杯中は国民みんながテレビで試合を観戦するとあったから、ブラジルだけの話ではなく、おそらくラテン系の国はどこもみな似たり寄ったりなのだろうと思う。 | ||||
2010年6月26日(土) | ||||
木曜日にパラカンビから戻ると、マテウスが水疱瘡に罹っていた。学校で他の子供からもらって来たらしい。それで学校を休んでいるのだけれど、お腹に赤い湿疹が出ている程度で、本人はいたって元気なのでおとなしく家の中にいたりはせず、外でふらふらと遊んでいたり、ドナ クレウザにくっついてここに来たりしているので、エドソンは水疱瘡に罹ったことのない私にうつるのではないかと神経質になっている。大人になってから水疱瘡に罹ると重篤になり、大変らしいのだけれど、ドナ クレウザもマウリシオも、さして気にしている様子はない。そして、マウリシオも風邪をこじらせて肺炎になってしまったらしく、昨日病院で診てもらい、処方された抗生剤を飲んでいるらしい。だからと言って、寝込んだりするわけではなく、普通に仕事をしている。丈夫な人だなと思う。でも、ここは彼の存在で成り立っているようなファームなので、早く良くなってくれるといいのだけれど・・・ 今日はまた、午前中はボトゥカトゥの建築資材の店と、パオン・ジ・アスーカーに行き、買い物をし、午後から、エドソンはホドリゴ君に手伝ってもらって、電気の配線作業。私は木の水やり作業をする。ホドリゴ君のお陰で、ガレージとオフィスと洗面所の天井の電気の配線をすべて終え、電球を取り付けるだけの状態まで作業が進んだ。後は、オフィスのコンセントの取り付けが終われば、ほぼ電気系統の作業は完了する。ただ、オフィスのコンセント用に空けてある穴はガレージのものとは違う、質の悪いものが使われているらしく、すんなり電線がスペースに収まらず、先週エドソンは1つ取り付けるのに長い時間、悪戦苦闘していたので、明日、すべての取り付けが終わるかどうかはちょっと微妙かもしれない。 | ||||
2010年6月27日(日) | ||||
このファームの入り口ゲートからこの家まで来る道の両側に、桜の木が植わっているのだけれど、普通の桜ではなく、ひょろひょろとした背の低い木で、手入れが悪いためか、1年中ほとんど枯れ木のような状態なので、本当にこの木が桜なのかどうか、半信半疑だった。
この時期ここに来たことがなかったので、この桜の花が咲いているところを見たことがなかったのだけれど、パラカンビから戻ると花が咲き始めていた。入り口ゲートからの並木にはまだほんの少ししか咲いていないけれど、マウリシオの家の側の木はたくさんきれいな花を咲かせている。色はソメイヨシノよりも少し濃いピンク色。ペトロポリスの桜の時期も7月だったように、ブラジルの桜はどこも秋から冬にかけて咲くもののようだ。
今日はまた1日、エドソンは電気のコンセントの取り付け作業を続け、私は家事と木への水やり作業とエドソンの手伝いをした。今日はコンセントの配線のやり方を少し変えたようで、比較的スムーズに作業が進んでいる。午後4時前にはすべてのコンセントの取り付けと、天井に電球を取り付ける作業が終了し、すべての電球が点灯することを確認。これでガレージとオフィスに電気が点くことになった。お疲れ様でした。エドソン。 | ||||
2010年6月28日(月) | ||||
2010年6月16日付けニッケイ新聞のコラム「樹海」に、日伯のサッカーに関する次のような文章があった。 『サッカーW杯の対カメルーン戦で、日本代表が自国外初勝利を飾ったことを心から喜びたい。思えばここまでの間、日本は多くをブラジルから学んできた▼80年代に伯国にサッカー留学し、90年代のJリーグ初期に凱旋して〃キング・カズ〃として君臨した三浦知良選手のことは記憶に新しい。82年に高校を中退して渡伯。86年にはサントスFCとプロ契約し、パラナ州の松原クラブにも在籍した▼93年のW杯米国大会アジア予選時の司令塔・ラモス瑠偉、初出場となった98年仏大会で中山雅史選手の日本初ゴールにパスを出した呂比須ワグナー、02年W杯日韓大会に出場したパラナ州マリンガ出身の三都主アレサンドロなど多くの代表選手を供給してきた。今回は日系伯人初の田中マルクス闘莉王がいる▼それ以前の、日本のW杯出場への道筋を整えたことにも伯人は関係している。非欧州人としては初めてジョアン・アベランジェが国際サッカー連盟(FIFA)会長に74年に就任し、 最初に取り組んだのはアフリカやアジアの国々が参加できるようにW杯大会参加枠を16から24に増やすという〃種まき〃だった▼彼の在任最終年、さらに32に拡大した98年仏大会にようやく日本は初出場した。その種から芽が出て、02年はアジアで今回はアフリカ大陸開催となった。欧州と南米だけのスポー ツだったサッカーを、まさにW杯の名にふさわしいものに組み替えたのはアベランジェだった▼ジュビロ磐田で闘将といわれ、サッカー王国静岡にその闘魂を伝えたドゥンガが、今回の伯国代表監督だ。まさにサッカーは日伯交流に欠かせないスポーツになった。(深)』 日本がカメルーン戦に勝った際、ブラジルのゴールデンタイムの2つのニュース番組で映像を交えて報道していたと書いたけれど、今晩、Jornal Nationalでは、明日のパラグアイ戦を前にした日本チームの練習風景を報道をしていた。カメルーン戦の後も今回も、日本チームの映像の他に、闘莉王へのインタビューの映像も流していた。ブラジルにとって闘莉王は言葉が通じるため、日本チームの看板選手のような扱いだ。ブラジルの日系コミュニティーも日本の決勝トーナメント進出に盛り上がっているようだ。そして、ブラジルのメディアは、結構、日本に注目しているように感じる。やはりサッカーは日伯を結ぶスポーツなのだと思う。 今日はW杯のブラジル対チリの試合が午後3時半からあるため、エディたちも、ガレージの窓を取り付けてくれるはずの会社の人たちも、当然のことながら仕事に来ていない。そして、今日はお肉を買う必要があったので、今朝エドソンと一緒にパーディーニョの町に出て、買いに行こうかと思っていたのだけれど、店が閉まる3時前に仕事を切り上げてエドソンが買って帰ってくれることになった。 エドソンは頼んでおいた買い物をして、3時過ぎに帰宅後、また建設現場に出かけて行き、電灯やコンセントの配線すべてが集まる電気の配電盤を仕上げて、夕方戻って来た。窓と下水処理用のタンクが設置されれば、何とかガレージに移り住むことができるのだけれど、それがなかなか進まない。でも、エディたちの仕事が遅々として進まない一方で、エドソンが電気の配線作業を進めて完了してくれたことは、とてもうれしい。 | ||||
2010年6月29日(火) | ||||
今日は、ブラジルの試合はないのに、誰も仕事に来ていない。何故だろう?モラエス家具店の仕上げに2週間集中する前に、こちらの仕上げをしてくれると言っていたのに・・・ここの人たちの行動は本当に予測不可能だ。午前中、木に水をやる作業をしていたら、大きなトラックが来て、アンドレに頼んでおいた避雷針用の電波塔を降ろして行った。「えっ?届けるだけで組み立ててくれないの?」と思い、エドソンに電話をすると、トラックは配達するだけで、組み立ては午後からアンドレが来てしくれることになっているらしい。
ガレージで仮住まいを始めるためには、ガレージの半分のスペースを台所兼居間として使う必要があるため、2台の車を置くスペースの真ん中に木の壁を作って、半分は車を置くスペースとし、半分は居住スペースに分けなければならない。でも、ここで大工仕事をしてくれる人を探すのはとても難しいため、どうしたものかと頭を抱えていた。そうしたら、ボトゥカトゥに住んでいるパウロのお父さんが、隠居する前は大工さんだったらしく、助けてくれることになった。今日、お昼前にエドソンと一緒にガレージに来て、現場を見て、壁の長さを計測し、エドソンの相談に乗ってくれていた。パウロとジャナイーナは、エドソンが彼らの会社で仕事をしているということもあるのだけれど、常に私たちのことを気にかけてくれていて、家族ぐるみで助けてくれるので、本当にありがたい。
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2010年6月30日(水) | ||||
6月24日(木)付けで、中国新聞の海外リポートに、私の20本目のリポート「素朴な秋祭りフェスタ・ジュニーナ」が掲載されたのだけれど、パラカンビに行っていたりして、いろいろあったため、うっかりそのことをブログに書くのを忘れていた。このリポートのサイトは、こちらへ。 以前、この辺でよく見かけるウルブ(Urubu)という、カラスのようなハゲタカのような黒い鳥のことに少し触れたけれど、後からエドソンに聞いたところによると、この鳥は絶滅危惧種なのだそうだ。この辺はまだあちこちに森が点在しているので、こういう鳥も何とか生き長らえて行けるのだろうと思う。
そして、ここにはタマンドア(Tamandoa、アリクイ)も普通にうろうろしているという話をマウリシオから聞いていたけれど、夜中に、うろうろしていることが多いらしく、よくここの中型犬のセシリアが追っかけまわして、うるさく吠え立て、安眠を妨害されることがある。でも、私は実際に見たことはなかった。そうしたら、先日の夕方そのチャンスが巡って来た。セシリアが森に向かってワンワンうるさく吠え続けていると思っていたら、マウリシオがタマンドアがいるからカメラを持っておいでと言って来た。初めてアリクイという動物を間近で見たけれど、細長い鼻と、ふさふさの長い尻尾を入れると、ここの大型犬よりも大きいのでびっくり。アリクイがこんなに大きなものだとは思いもしなかった。写真を撮ったのだけれど、薄暗い森の中で、しかも夕暮れ時の時間帯だったため、全体に暗くて、黒っぽいアリクイの姿がはっきりと映らなかった。それで、ここにはインターネットで見つけた写真を掲載することにする。このアリクイは歯が退化してしまっているらしいのだけれど、写真のようなするどい爪を持っているため、これで引っかかれると大怪我をするらしい。セシリアは以前、タマンドアを追っかけまわして、この爪で反撃され、瀕死の重症を負ったことがあるらしい。それでも懲りずに今でも相変わらず、追っかけまわしている。
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