Kyoko Yoshida                                        
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2010年5月1日(土)

今日はメーデーで祝日なのだけれど、、エドソンは朝から1日仕事で、パウロたちと外での作業をするらしく、私はジャナイーナの所でイザベラたちと過ごすことになった。8時前に一緒にエドソンの職場に行き、みんなの仕度ができるのを待ち、その後パウロの家に移動して、パウロの家の上にあるアンテナなどの装置のある部屋でエドソンたちが作業をしている間、私は、先日リベルダージで買ってきてあげた折り紙の本を見ながら、イザベラと折り紙をして遊んだ。折鶴は何も見なくても作れるけれど、その他のものは折りかたを見ないとよくわからない。簡単そうでも結構難しく、ちょっと四苦八苦。

ジャナイーナは「お昼は魚よ」と言って、パクー(Pacu)という比較的大きな川魚の調理に忙しくしていたけれど、時々、台所の窓から私たちがやっていることをのぞいていた。

エドソンたちは上の部屋での作業が終わると、パーディーニョの別の場所にあるアンテナと装置の所に移動して行った。お昼に戻ってきて、みんなでジャナイーナが準備したお昼を食べ、また、仕事に戻って行った。お昼のパクーはなかなかおいしかった。夕方6時過ぎにエドソンたちはようやく仕事を終えて戻って来たので、一緒に帰宅した。

ジャナイーナの家では、ジャナイーナのお母さんとイザベラが風邪をひいていて、お昼前頃から調子が悪くなり、ふたりとも寝込んでしまった。私もお昼前後はちょっと気分が悪かったので、お母さんから薬をもらって、寝室で休ませてもらったりした。今日は何だかみんな調子が悪く、1日一緒に遊ぶ予定が、みんなで一緒に寝込むような感じになってしまった。

ここのドナ クレウザとマテウスもひどい風邪をひいている。マウリシオの妹さんの結婚式で行ったマリリアは暑かったのだけれど、戻ってきたらここはぐんと気温が低く寒かったので、風邪をひいてしまったのだと言っていた。今、ここは風邪のシーズンのようだ。

2010年5月2日(日)

2010年4月16日付けニッケイ新聞の「コラム樹海」に、日本とブラジルの考え方の違いを考えさせられる、次のような興味深い記事が載っていた。記事の中に出てくる地名のモーロというのは、morro(丘)のことなので、モホまたはモーホという発音方が本当は正しい。

『リオ州のモーロ・ド・ブンバの土砂崩れで200人が生き埋めになった事件の記事を読んでいて驚いた。ゴミ捨て場だった場所を不法占拠して勝手に家を建てた住民の自己責任だと思っていたら、「占拠した者に罪はない。占拠させていた側(市)こそ責任を問われるべき」との考えが公に表明されていた▼伯国にはUsucapiao(ウズカピオン)という有名な法律がある。「ある一定期間にわたって土地を占拠した者には、その地権を得る権利ができる」というもので、その期間は5年とも10年ともいわれる▼つまり誰の土地だろうが使っていない土地には、無断で侵入して実際に使っている人に使う権利を発生させようという発想だ。件のファベーラのような無断占拠を奨励しているとすら解釈できる。広大な国土を持つ新大陸ならではの考え方か▼しかし、先祖代々猫の額のような土地にしがみついてきた伝統的な日本人の発想とは相容れない部分があり、その法思想をすんなりとは納得するのは難しい▼その記事曰く、市側はファベーラ住民を危険地帯から退去させる義務がある。退去させるためには、前もって住宅を用意しなければならないとある。不法占拠した人を退去させるのに、そんなに至れり尽くせりの環境まで用意せよという。占拠したもの勝ちと言えなくもない▼しかし、どう考えても行政がそこまで実際にやることは 考えにくい。「法律は法律、現実は現実」という壁がある。法があっても執行されない状態がざらにあるという現実も、遵法思想の強い日本人にはわかりにくい。この国の本質を理解するには何年かかるのだろうと考え込んだ。(深)』

ブラジルという国は、こんなふうに私たちとは考え方がまったく違ったりするから驚くことばかりだ。先日ニッケイ新聞に行って、編集長の深沢さんと話していて、日本ではビザが切れたのにそのまま滞在していると、不法滞在者として逮捕されて強制送還される対象になるけれど、ブラジルではビザが切れて引き続き滞在していてもそれ自体は犯罪ではないし、ビザのない人を雇うことも罪にはならないと聞いた。おおらかと言うか、大雑把と言うか。そんなに人で溢れていない大きな国だからそういうことも可能なのだろうなと思った。去年、こういう不法滞在者向けに、恩赦があって、何年以前(何年だったか記憶にない)に入国している人は、ちゃんと届出をすれば永住権が取れるという措置が実施され、日本で言うところの不法滞在者の多くが正式に永住権を得たということがあった。やはり、おおらかなのかな?

2010年5月3日(月)

今朝、マウリシオが下の果樹園に行かず、トラクターでどこかに出かけて行った。どこに行ったのだろうと思っていたら、エドソンがうちの土地の家の前というか、下の部分に木を植える作業をしたいので、その準備のために、草を刈って欲しいと頼んだらしく、9時過ぎにエディたちにコーヒーポットを持って行ったら、マウリシオがトラクターに取り付けた草刈機で、草刈作業をしていた。

次の写真は、マウリシオの作業が終わり、家の前の三角地帯の草がきれいに刈られた状態。柵の手前はウィリアムの所有地で、柵の向こう側の草が刈られていない左右の土地もウィリアムの所有地。私たちはウィリアムの大きな農場の端っこの、ほんの小さな部分を購入したので、土地の東側と南側はウィリアムの所有地に囲まれている。写真の左側にある風車は、井戸水を汲み上げるためのポンプ。手前にある木々は、レモン、ライム、ポンカンといった柑橘系の木々なのだけれど、ウィリアムたちはこれらの木々にあまり手をかけていないので、植えてから何年も経っているにもかかわらず、成長が思わしくないような気がする。

2010年5月4日(火)

今日付けで、中国新聞の海外リポートに、私の18本目のリポート「活発に活動 アマチュア無線愛好家」が掲載された。このリポートは5月11日(火)付けの夕刊紙にも、縮小版が転載されると聞いている。中国新聞海外リポートのサイトは、こちらへ

家の下のガレージは、超低速で仕上げの作業が行われている。天井、壁、床にようやくコンクリートが塗られ、少しきれいになってきた。外の壁はまだまったく手付かずなので、レンガがむき出しの状態。床に敷くタイルは、ガレージの床に箱に入ったまま置かれている状態で、タイルを敷く作業はまだ始まっていない。

2010年5月5日(水)

2010年4月17日付けのニッケイ新聞の「日伯論壇」に、共同通信社リオ・デ・ジャネイロ支局長、 名波正晴氏の「人の往来自由化で交流拡大」と題する記事が掲載されていた。日本とブラジルとの間に査証相互免除協定がないのはどうも理解できない。早く両国で話し合って、自由に往来できるようにしてほしいものだ。この記事のサイトは、こちらへ

もうひとつニッケイ新聞からの引用になるけれど、4月21日付け「コラム樹海」を紹介したい。このブラジル人の気質、「まさにその通り」うまく言い表していると思う。

『先に放送されたグローボTV局の人気番組BBB10(「Big Brother Brazil」という番組のこと)を見ていて、伯人に人気のある人物とは、ひとつの人格の中に「天使」と「悪魔」の両面性を激しく持っている人だと感じた。よく西洋のアニメで、主人公が何かの選択に困ったときに、頭の上に天使と悪魔が浮かんで言い争いをする描写があるが、あれが実にピンとくる▼もちろんどんな人にもその両面性は備わっているが、日本人なら安定的に「天使」であろうと努力し、やせ我慢することが尊い態度と考えがちだ。だが伯人は逆に不安定で両極端に揺れ動く激しい気質を持っているラテン的性格ほど共感を呼ぶらしい▼同TV番組で真っ先に落とされるタイプ は、真面目でおもしろみのない「天使」的な人物だ。逆に、何度もパレドン(落選試験)に送り込まれても不死鳥のごとく復活してくるのは、徹底的に相手を面罵する品性の悪さを持つ「悪魔」的気性の人物だ▼ノベーラ(ドラマ)しかり。大半の主人公には三角関係や裏切りが付き物であり、品行方正な人物ではない。TV番組を見る限り、まっとうなことしか言わない面白みのない人物は「偽善的」と映るらしい。ふつう日本人的には真面目さ、誠実さ、勤勉さを特質として自他共に認めているが、これは伯人的には「面白みがない」人物像でもあるのだろう▼ボス肌のルーラ大統領はカリスマ性が高く、真面目なアウキミン元聖州知事は「ピコレ・デ・シュシュー(うま味のないアイス)」と言われたのも、この国民性ならではだろう▼今回の大統領選ではどちらも「天使」タイプか。上手に「悪魔」ぶりをチラつかせた方に人気が集まるのかも。(深)』

2010年5月6日(木)

今朝は洗濯を終えた後、ここの畑で芽が出てきたアルメイラオンの苗を数本、私たちの土地に植え替える作業をした。アルメイラオンはとても栄養価が高く、何にでも利用できる便利な緑の野菜。我が家を建てている場所は、まだちゃんとした畑を作っておらず、野菜を育てられるような土も作っていない状態なのだけれど、アルメイラオンはほとんど野生に近い、雑草のように強い野菜なので、何とか根付いてほしいと思っている。

昨日、今日の2日間で、ガレージの床と、その隣にスペースを取った、エドソンのワークショップ兼オフィスの床に、ほぼタイルが敷き詰められた。こうしてはっきりと進展を目にできると、ゆっくりでも進んでいるなと確認できるので、うれしい。

2010年5月7日(金)

モビとフィオナは基本的にシャワーを浴びるのがあまり好きではない。でも、フィオナが病気になって以来、すっかり家族の一員という感じで、私たちが家の中にいる時は、家の中で過ごす癖がついてしまったため、週に一度くらいの頻度で体を洗うようにしている。

モビの毛並みはいつもきれいにつやつやしているのに、今週になってフィオナの毛並みが何だか逆立って汚れた感じになっている。それで今朝、体を洗ってやると、いつにも増して抵抗する。どうしたのだろうと思い、タオルで体を拭いて、膝の上に抱いて一緒に日向ぼっこをしながら観察してみると、毛並みが逆立っているように見えたのは、汚れているからではなく、何かぶつぶつとできていて、体の表面がでこぼこしているからだということがわかった。そこをごしごしやったから痛かったのだということが判明した。

午後、ドナ クレウザにフィオナの体のぶつぶつを見せて、フィオナは何かの病気だと思うと言うと、以前手術した傷跡が今も時々口を開けるので、それが直っておらず、その影響なのかもしれないから、また動物病院で診てもらわないといけないねと言っていた。

2010年5月8日(土)

昨日の夜は、パウロたちとここから30分くらい行ったイタチンガという町へ、ピザを食べに行った。ジャナイーナの弟と彼の奥さん、パウロの会社のスタッフのひとりのハファエルと彼のガールフレンドも参加して、とてもにぎやかだった。ボトゥカトゥに行けば、中華レストランや日本レストランなども2〜3軒あるのだけれど、彼らの外食の選択肢の中にはどうもそういった変わったものはないらしい。私たちはふたりだけで夜間に外食することはないので、まだ一度もそういったレストランへは行ったことがない。

今日午前中、ボトゥカトゥに買い物に行った。明日は母の日なので、ウエノやパオン・ジ・アスーカーにはいろいろな花の植木鉢がたくさん並んでいた。ただ、カーネーションは見かけなかった。パラカンビでもそうだけれど、ここら辺でも花と言えば、だいたい小菊などの植木鉢に咲いた花で、切花というのはほとんど見かけたことがない。ノベラの中では男性が女性に花束をプレゼントしたり、家にきれいで値段の高そうな花が大きな花瓶に活けられていたりしているので、リオやサンパウロには日本にあるような切花であふれた花屋さんがあるのだろうけれど、ここら辺では見かけない。パオン・ジ・アスーカーにかわいいひまわりの鉢植えがあったので、1本買って帰って、午後雨の合間に建設中の家の前に植えた。背丈は低いけれど、茎は太いので元気に成長するのではないかと期待している。

今日は天気予報通り朝から雨が降り出し、1日降ったり止んだりのお天気になった。一昨日アルメイラオンを移植し、昨日は、竹やグレヴィーリャなどに肥料をやったので、ちょうどいいお湿りになった。

2010年5月9日(日)

今日は予報に反して雨は降らなかったけれど、どんよりとした曇り空の寒い1日になった。アテモイアの収穫時期に入ったので、ウィリアムはトラックでアテモイアをサンパウロに運ぶため、今朝6時前にアテモイアを積んだトラックでサンパウロに帰って行った。本当ならこんなに早く出発しなくてもいいのだけれど、今日は「母の日」なので、お昼はお母さんの所に集合しなければならないため、それに間に合うように早く出るのだと言っていた。

私たちは朝ゆっくりと起きて、のんびり朝食を食べ、洗濯を終えた後、お昼前にグレヴィーリャを植えるための穴を掘りにでかけた。先日マウリシオに草を刈ってもらった家の下の三角地帯に行って、どこに何を植えるかを決め、穴を掘る位置を決め、2時間近くかけて大きめの穴を3つ掘ったところで、今日の作業はおしまいにした。小さな穴なら同じ時間で2倍くらいの数の穴が掘れるのだけれど、小さい穴だとやはりグレヴィーリャの成長が若干遅いようなので、がんばって大きめの穴を掘ることにした。ウィリアムの土地との境界線に沿って、V字型にグレヴィーリャを植える予定なので、最低でも10個ほど穴を掘る必要がある。そしてこのV字型に植えたグレヴィーリャの内側に、バナナやとうもろこしなどを植え、畑を作ろうと計画している。

2010年5月10日(月)

今暮らしているウィリアムの家の横にある大きな木の根元に、イビウーナの中村さんの所でいただいた桜や、パラカンビから持って帰ったフランボヤンなどの木の苗を置いて、育てているのだけれど、その内のつる性の植物がだんだん伸びてきて、他の苗に巻きつくようになったので、それらから少し離して、枯れ枝に巻きつくようにしたら、元気に成長を始めた。そして、最近小さな可愛い赤い花を咲かせるようになった。何という名前の植物なのかエドソンも知らないらしい。

2010年4月24日付けのニッケイ新聞の「日伯論壇」に、立命館大学教授、 小池洋一氏の「日本のブラジル化」と題する記事が掲載されていた。「ブラジルの優れたものから学ぶという意味で、日本のブラジル化が必要」と書いている。この記事のサイトは、こちらへ

2010年5月11日(火)

昨日の朝、マウリシオがフィオナを動物病院で診てもらうために、毛布で包んでかごに入れて、ボトゥカトゥまで連れて行ってくれた。ドクターの診立てによると、フィオナの体のでこぼこの斑点状態は、普通は猫がよくかかる真菌(カビ)によるもので、犬がかかるのは珍しいらしい。これは別の病気があるために免疫機能が低下して起こっている症状ではないかということだった。その別の病気として可能性があるのは、2年前に行われた去勢手術に問題があったため、何らかの機能障害が起きていて免疫機能が低下しているのかもしれないということだった。それで超音波検査をしたのだけれど、結果は異常なし。では、何故、免疫機能が低下しているのかは不明のまま。処方された薬と特別な石鹸を使って、しばらく様子を見ることになった。そして、フィオナの状態はモビにも人間にも感染しないけれど、しばらくはフィオナを家の中に入れない方がいいだろうということだった。

今日の夕方エドソンがまた果物を持って帰ってきた。例によって、オフィスに行商の人が来たので買ったらしい。今回は巨峰のような大きな粒の甘いぶどう2房と、グアバ5個。代金は両方合わせて15レアル(約750円)。毎日朝食の時に果物も欠かさず食べるようにしているので、こんなふうにいろいろ果物を買ってきてくれると、とてもうれしい。

ボトゥカトゥの大きなスーパーマーケットのパオン・ジ・アスーカーには、様ざまな種類の果物が並んでいる。一方、パーディーニョの店ではパイナップル、りんご、パパイア、マンゴー、バナナなどはだいたいいつもあり、メロン、スイカ、ぶどうなどもシーズンになれば見かける。でも、柿、いちご、梨、桃、あんず、キウィなどはめったに(あるいは、まったく)お目にかからない。ブラジルに来て初めて食べた柿は、先月パオン・ジ・アスーカーで買った大きな富有柿。おいしかった。パラカンビでは真っ赤に熟れたトマトのような柿(渋柿?)をよく見かけたけれど、ちょっと熟れ過ぎていて食べたいとは思わなかった。でも、この大きな富有柿は日本で見かけるものと変わらずおいしそうだったので買ってみた。期待通りだった。こういった目先の変わった果物は、だいたい日系の農家が作っていて、サンパウロの市場に出て、主にサンパウロやリオなどの都会で消費されるらしい。そして、田舎の人達はこういった果物の存在は知っていても、食べたいと思わないのか、需要があまりないので、一般の店は置かないのだろうと思う。

2010年5月12日(水)

この日曜日から気温が下がり始め、今週は最高気温が20度に届かず、最低気温も10度前後という寒い毎日が続いている。でも、太陽が出ている時は、フィオナは太陽に当たっていた方がいいので、フィオナを無理にでも犬小屋から出し、犬小屋の扉を閉めて戻れないようにし、モビも家に入れないようにして、2匹に日向ぼっこをさせるようにしている。でも時々「家の中に入れて〜」とドアをキーキー引掻くので、「ダメ」と納得させるのに苦労する。

先日、パオン・ジ・アスーカーで、Bonsaiとして売られていた可愛いジャブチカーバを買った。ボトゥカトゥでたまに行われる植木市などに行くと、日本の盆栽を真似たBonsaiをよく見かける。我が家ができたらこういうものを家に飾ろうと思っているのだけれど、なかなか我が家ができず、室内に花や木の鉢が1つもないこの家での生活が長くなってきて、なんだか潤いが欲しくなり、買ってしまった。こういうものがひとつ家の中にあるとないとではずいぶん気分が違う。木や花は、おそらくとてもいい「気」を発しているからだと思う。

2010年5月13日(木)

家の方は、昨日、洗面所の床にタイルを敷く作業が完了した。レンガがむき出し状態の時は、何だか暗い洗面所だと思ったけれど、壁と床にタイルが敷き詰められると、驚くほどぱっと明るくなった。そして、ガレージのドアと、エドソンのオフィスのドアと、ガレージの横のプロパンガスを置く小さなスペースのドアが到着した。ガレージの扉とエドソンのオフィスの窓は来週初めに届くらしい。エディたちが毎日コンスタントに仕事をしてくれれば、ゆっくりでも着々と前進するはずなのだけれど、今週仕事に来てくれたのは火曜日と水曜日だけ、月曜日と今日はお天気はまったく問題ないのに、仕事に来てくれなかった。

エドソンの話だと、パーディーニョの町のパウロのオフィスの斜向かいにある、家具屋のモラエスの新しい店舗を、エディは1年半も前から手がけているらしいのだけれど、どうもそちらの作業とうちの作業を行ったり来たりしているらしい。こんな調子でのんびり作業されてはたまらない。モラエスは現在、自宅も店舗もあって、これは別の場所に作っている新しい店舗なので、その完成が遅れたからといって生活に困ることはない。でも、私たちは現在仮住まいで、自分たちの住む家がないのだから、こちらを優先してほしいとエドソンはエディにはっきり言ったらしいのだけれど、なかなかこちらの希望通りには動いてくれない。

今朝の室温は13度。少々風が吹いていても、外のベランダの太陽の下にいる方がよっぽど暖かい。家の中でじっとしていると寒くてしょうがないので、外に出て作業をすることにした。家の下の穴掘り作業を始めた場所にき、四方40センチ、深さ10センチの浅めの穴を4つほど掘る作業をした。本当はこの3倍くらいの深さにしなければならないのだけれど、スコップではあまり深く掘れないので、仕上げは別の道具を使ってエドソンにしてもらおうと思っている。戸外での作業に行くと、モビとフィオナも大喜びで必ずついて来る。この方が彼らにとっても運動になっていいので、一挙両得。

2010年5月14日(金)

4月29日付けのニッケイ新聞で、日本航空が「サンパウロ―成田便は9月30日で運休。27日夜のサンパウロ発ニューヨーク経由便が最終便となり、それに伴いサンパウロ支店も撤退する 」という記事を見た。「今年2月にこれまでの週3便が2便へ減便されながらも、直行便の運行は続いていた」けれど、とうとう運休になってしまうようだ。「デカセギブームが終わって客足が激減したあと、大韓航空はまっさきにソウル・サンパウロ路線を運休したが、08年から運行再開している。しかも週3便だ。 中国国際航空公司は09年12月から週2回、北京・サンパウロ路線を再開している。もちろん、ドバイ経由のエミレーツ航空の参入もある。どうして、日本の航空会社だけが時流に逆行する事態になっているのか。国際競争力の問題なのか、それとも・・・。まるで、元気がない今の日本をそのまま象徴しているかのような出来事だ。『日の丸の復活』という意味を込めて、4年後のW杯ブラジル大会までに、ぜひとも運行再開を期待したい 」と、記事は結ばれていた。それまでに日本は元気を回復しているだろうか?でも、今の政府では難しいような・・・?

エドソンは明日土曜日が仕事なので、今日1日休みをもらい、お昼前からボトゥカトゥでの用事を済ませに行った。今日は、ガレージの壁塗りのためのペンキ、電気のスイッチ、コンセントの差込口、ドアノブ、洗面所のシャワーなどなど、最終仕上げに必要な細々したものを調達した。ここではほとんど何から何まで自分で店に行って調達しなければならず、いろいろ調べたり、比較したりして、自分で判断しなければならないので時間がかかる。帰りに、プロ・ヴェージという以前グレヴィーリャなどを購入した植木屋さんに行って、肥料とアメンドインの苗を購入。さらに、別の農機具や野菜の種などを販売している店で、土作りのための別の肥料のようなものとブラキアーリアを除去するための液体を購入して帰宅。どちらの店もオーナーがとても親切で、豊富な知識と経験を惜しみなく私たちに教えてくれるので、木や野菜の育て方などほとんど何も知らない私たちは大助かり。

2010年5月15日(土)

昨日の夜10時ごろウィリアムがやって来て、今日お昼を食べた後、トラック一杯にアテモイアを積んでサンパウロに帰って行った。でも、今週末のアテモイアの収穫は2トンあったので、最高1トン半しか積めないトラックでは全部を運ぶことができず、今晩またここに戻って来て、明日の朝、残りのアテモイアを積んでサンパウロに戻る予定らしい。これらのアテモイアは青物市場に出すのではなく、スーパーマーケットに品物を卸している仲買人のような人に売っているらしい。農業は大変な仕事だと思う。

昨日、ボトゥカトゥに行った際、パオン・ジ・アスーカーにも寄り、買い物をして帰った。野菜売り場でかぼちゃを見たら、久しぶりに食べたくなり、いろいろある種類の中から、アボボラ・パウリスタ(Abobora Paulista)という、ひょうたんのような形をしたかぼちゃを買った。表面が濃い緑色で、でこぼこした形が日本のかぼちゃに似ている種類は、アボボラ・ジャポネーザ(Abobora Japonesa)という名前だった。以前買って食べたことがあるけれど、味も日本のかぼちゃとほぼ同じだった。このパウリスタは皮がジャポネーザのように硬くなさそうなので、下処理はジャポネーザよりも簡単なのではないかと思う。

今日、ウィリアムとふたりでだけのお昼を食べ終わった頃、エドソンが予定よりも早く仕事が終わったようで帰宅した。エドソンにお昼の用意をして、彼の食事が終わり、後片付けが済んでから、昨日、プロ・ヴェージで買ってきたアメンドインを植えるために一緒に出かける。64本の苗のパックを1つ買ったので、その内の45本を以前植えた5本の竹の周りや下に植え、水をやり、今日の作業は終わり。後19本は明日植えることにする。

2010年5月16日(日)

昨日、ウィリアムはトラックでアテモイアをサンパウロに運ぶ途中、高速のカステロ・ブランコ上でトラックが故障したらしく、修理に時間を取られ、昨日の夜ここに戻ってくることができなかった。そのためここに残っているアテモイアはサンパウロに運べなくなり、マウリシオが近隣で販売しなくてはならなくなったらしい。

エドソンは生魚以外は何でも食べ、私の作る和洋折衷の料理を喜んで食べてくれるけれど、やはりブラジル人なので、時々フェイジャオン(煮豆)が食べたくなる。私はまだフェイジャオン作りに慣れていないので、そんな時は、ドナ クレウザに頼んで作ってもらい、彼女の作り方を観察している。今日はベーコンやソーセージなどの材料が揃っているので、久しぶりにフェイジャオンを作ってもらうことにした。

シュハスコの横にあるかまどに、エドソンが火をおこして、ファイジャオン作りが始まった。ドナ クレウザが忙しくフェイジャオン作りをしている間、私は洗濯機を回し、エドソンとマテウスはベランダの階段のところで腰掛けて、のんびり休憩しているので、写真を撮る。のどかな日曜日の午前中のワンシーン。

お昼は、ドナ クレウザが作ってくれたフェイジョンとご飯で軽く済ませ、午後から、昨日植え残った19本のアメンドインの苗をふたりで植えに行く。すべて植え終わり、水をやった後、穴掘り作業に移る。エドソンが穴を掘る場所を決めて、鍬で草をどけている間に、私は先日同様に浅目の穴を4つ掘った。ここにはバナナととうもろこしの他に、マンジョーカやシュシュも植えようなどど話しながら、作業をした。

2010年5月17日(月)

2010年5月1日付けのニッケイ新聞日系社会ニュースに、「■記者の眼■拝啓、麻生太郎前内閣総理大臣」という記事が掲載されていた。編集長の深沢さんの主張に私も共感している。この記事のサイトは、こちらへ

さらに、同じく5月1日付けのニッケイ新聞の「日伯論壇」に、日経HR社長、 和田昌親 氏の『「食断」の日本を救うのはブラジル』という記事が載っていた。毎週、ブラジルのことをよく知る経済人が様ざまな視点から、いろいろな主張をしているけれど、日本の人たちにもぜひこれらの主張に耳を傾けてほしいと願っている。世界でブラジルほど親日的で、社会的に一目置かれている日系人が多く暮らしている国はない。この国には、麻生前総理の言うところの日本の「含み資産」があるのだから、これを有効利用しない手はない。ブラジルに対する無関心は、日本の将来にとってマイナスでしかないと思えてならない。この記事のサイトは、こちらへ

次の写真は、この土日に植えたアメンドイン。この土の斜面をアメンドインで緑の壁にしようという計画。

2010年5月18日(火)

ここで飼われている4匹の大きな犬のうちの、リーダー格のカーラが昨日突然死んでしまった。病死だったらしい。「このところカーラをあまり見かけないね。どうしたんだろう?」と、土曜日にエドソンと話したばかりだった。大きな犬たちは、だいたいいつもマウリシと行動を共にして、一緒に果樹園に下りて行くので、モビやフィオナのようにいつも私たちの側にいるわけではない。それでも、時々、散歩について来たり、建設現場まで一緒に来たりしていたし、カーラはこの家のベランダのベンチの下を昼間の休憩場所にしていたから、彼女の顔を見ない日はなかった。でも、彼女が病気だったということは全然気づかなかった。マウリシオの話だと、私たちが彼女を見かけなかった2〜3日、食欲がなく元気がなかったらしい。昨日の朝、農業組合の車で獣医さんらしい人がやって来て、カーラに注射をしていたけれど、もう手の施しようがなく、午後遅く、血を吐いて息を引き取ったということだった。

原因は不明。普通の病気でこんなにあっけなく死んでしまうなんて考えられないので、毒でも食べたのではないかというのがマウリシオやエドソンの意見だった。この辺にはウルブという体はカラスのようで、頭はハゲタカのような、自然界の清掃屋と呼ばれる大きな黒い鳥がいる。カラスと違いカーカーとうるさく鳴くことはなく、静かに空を旋回している。ごみをあさったりもしないし、人間や動物を襲うこともない。放牧されている牛が死んだりしたら、それを食べに来てきれいに掃除をしてくれるありがたい鳥なのだけれど、牛を飼っている人たちの中にはこの鳥を嫌う人たちもいるらしく、牛が死ぬと、わざと毒物をまいてウルブの駆除をしようとする人たちもいるので、そういった毒を食べてしまったのではないか?というのだ。

カーラは大きな犬の中でも一番穏やかな性格で、お行儀が良く、つやつやした黒い毛並みがきれいなとても賢い犬で、顔も美形で、人間で言うと、才色兼備という感じの犬だった。そんな彼女がもういないんだと思うと、とても寂しい・・・

2010年5月19日(水)

現在、アテモイアの収穫期で、アテモイアを収穫すると、マウリシオとドナ クレウザは箱詰め作業に忙しい。特大・大・中・小と4種類の大きさで分別して、特大と大のものには白いネットカバーをして箱詰めし、中はカバーなしで箱詰めし、小もカバーはなしでまとめてかごに入れられる。次の写真は箱詰めされた特大サイズと、かごに入れられた小サイズのアテモイア。熟れ過ぎていたり、木から落ちて傷ついたようなものは商品にならないので、マウリシオの自宅で食べたり、皮を剥いて実の部分だけを真空パックして、夏まで冷凍保存して、ジュースにしたりするのだけれど、時々、私たちにもお裾分けがある。

私はこのところ毎日少しずつ、家の下の三角地帯に木を植えるための穴掘り作業をしている。この前の日曜日にエドソンと3つ掘り、昨日と今日でそれぞれ4つずつ、合わせて11個の穴掘りを完了した。残りあと5つ。ここにはグレヴィーリャを14本と、ゴールドクレストを2本植える予定。

今日、マウリシオがご近所から孟宗竹を15本ももらってきてくれた。ご近所のファームで孟宗竹が増えすぎたので、ジャトバス研究所のエリゼウに処理を頼んだらしい。それで、以前から孟宗竹を欲しがっていたエドソンにエリゼウがわざわざ連絡をくれ、一部を分けてくれることになったので、マウリシオがトラクターに大きなカートを取り付けて、取りに行ってくれたのだ。エリゼウとマウリシオに感謝。今週末グレヴィーリャを買いに行き、植林をしようと思っていたけれど、思いがけず急に竹がたくさん手に入ったので、進めていた三角地帯の穴掘り作業と植林は後回しにして、竹を先に植える作業をしなければならない。

2010年5月20日(木)

マウリシオは朝から病院に薬をもらいに行ったりしなければならないので、ここで毎日働いているアルバイトのレオナードに今日1日、うちの仕事を手伝わせてやってくれと行ってきた。願ってもない。日当25レアル(約1250円)を払っても、手伝ってもらえるとこちらは大助かり。それで、エドソンが朝仕事に出る前に、私たちの土地にレオナードと一緒に行き、掘りかけの残りの穴5つを掘ってもらったり、15本の孟宗竹を植える場所の草を取り除いて、マウリシオが穴を掘る機械(ドリル)を借りて来てくれた際、エドソンがいなくてもどこに穴を開けたらいいかはっきりわかるようにしてもらったりという、様ざまな仕事を頼んでくれた。午後、様子を見に行くと、すでにほとんどの仕事を完了してくれていた。お隣との境界のフェンス沿いに植えた竹の周りの草刈を、私も少し手伝ったけれど、私たちと違って、さすがに鍬などの道具を使い慣れていて、このような力仕事の農作業に慣れているから仕事が速い。速い。

午後遅く、マウリシオがジャトバス研究所のエリゼウから借りてきてくれたドリルで孟宗竹を植えるための15個の大きな穴と、その他にも数ヶ所の穴を掘ってくれた。そして、明日の朝、レオナードと一緒に竹を植える作業をしてくれることになった。今回譲り受けた孟宗竹は、これまでにエリゼウから購入した背丈の低い竹の苗と違い、すでにかなり大きく人間の背丈の2倍以上に育っていて、とても重いので、これを私たちだけで植えるのはなかなか大変な仕事になるところだった。でもマウリシオのお陰でその大変な思いをしなくても済むことになった。感謝の言葉もない。

2010年5月21日(金)

2010年5月7日付けのニッケイ新聞の日系社会ニュースに、「 ブラジル日系社会の歴史に新たな1ページ――。ブラジリアの上院議会で6日午後3時、日系人として初の連邦上院議員となったマット・グロッソ州の柳井ジョ ルジ義昭氏(DEM、61、二世)の就任式が行われた。上院議員(任期8年)は、各州3人が輩出され全伯81人。同州選出の故ジョナス・ピニェイロ上院議員の死去により、繰り上げ就任していた第1補充のジルベルト・ゴエルネル上院議員の代理として、同職を務めることが今年1月に決まっていた。今年10月の 選挙までの123日間が任期」という記事があった。日系の下院議員はすでに何人かいるようだけれど、上院議員はこの人が初めてらしい。しかも、この人のお母さんは広島出身で、87歳の現在もパラナ州のクリチバで健在だという。「『政治に倫理を。日系人の代表を国政に送るべき』と主張してきたサンパウロ援護協会の森口イナシオ会長は、『誠にめでたいこと。州議、下議ともにこれからどんどん日系人がブラジルの政治に参加していくべき。日系人の誇りを持って、立派な仕事をして欲しい』とエールを贈っている」とあった。 頑張れ日系人!頑張れ広島人!と、私もエールを贈りたい。

犬という動物が皆そうなのか、ミニチュア・ダックスフントという犬種の特徴なのか、よく知らないけれど、モビとフィオナは私たちの言うことをとてもよく理解し(ポルトガル語でも英語でも日本語でもOK)、とにかく人の側にいるのが大好き。私たちが外で作業をする時は、一緒についてきて適当に遊びながら、側で私たちの作業を見ているし、ベランダの椅子に腰掛けていたら、膝の上に乗りたがり、それがかなわない場合は、足元でゴロンと横になる。そして、私たちが家の中にいれば、家の中に入ってきたがるという具合で、一時も側を離れたくないようだ。家の中に入ることを許可すると、だいたい教えた通りに床の上の敷物の上で毛布に包まっているのだけれど、時々、毛布から出てきて、私たちの顔を見つめて、膝の上に座りたいと訴えてくる。先日もモビがエドソンにおねだりをして、膝の上にあげてもらったのはいいけれど、何だかとても変な体勢で、スースーと寝息を立て、夢見心地の状態になっているのがおかしくて写真に撮った。彼らと暮らし始めて、犬も寝言を言ったり、いびきをかくということを知った。

2010年5月22日(土)

またまたニッケイ新聞からの引用になるけれど、日本を外から眺めていると、何だかおかしいと思えることが多く、ニッケイ新聞の主張には、まさにその通りだと思えることが多いため、どうしても紹介したくなってしまう。以下は、2010年5月7日付けニッケイ新聞の「コラム樹海」から。

「金融危機発生からわずか1年半あまりで、在日伯人約31万人のうち約7万人が帰伯した。短期間にこれだけの定住人口が移動することは日伯史上初。戦後移住者は約20年かけて5万人だし、移住最盛期の1932〜35年の4年間を合計しても約6万5千人だ▼確かにたくさん帰ってきているが、実は24万人もがまだ日本に残っている。昨年4月に発表された帰国支援と再就職支援事業はすでに終了しており、日本に残っているのは30万円もらっても帰りたくない人であり、より定住指向の強い層だろう。その24万人の「住民」に対する日本政府の方策の真意がよく分からない▼というのも、先月から在日ブラジル人がビザを更新する際、保険証 (国民健康保険や厚生年金などの社会保険)の提示が義務付けられた(09年10月9日既報)。これはデカセギの大半を占める間接雇用(派遣会社)は今後、ビザの更新時に問題が生じることを意味する。さらに現在入管法改正の検討も行われているが、外国人研修・実習制度の拡大の方向性が議論されていると聞く▼ この一連の施策が日本政府に通底する真意なら、(1)デカセギは帰国費用を出すから帰れ、(2)デカセギはビザ厳格化するから帰れ、(3)代わりに定住できない外国人(研修・実習生)を増やす、とも理解できる。そうなら多文化共生は言葉遊びに聞こえる▼7月11日参院選説が高まっており、その2カ月前である来週には小沢幹事長や鳩山首相が辞職して民主党の支持率を一気に上げ、その勢いで参院選過半数を狙うとのシナリオがあると聞く。ただし選挙の争点に外国人問題は入らないだろう。(深)」

2010年5月23日(日)

21日から23日まで、ボトゥカトゥで日本文化フェスティバル「TOMODATI(友達)」 が開催されると聞いて、昨日の朝、出かけてみた。ボトゥカトゥ市、在サンパウロ総領事館、国際交流基金、JICA、ボトゥカトゥ文協(日系人協会)、UNESP(州立大学)の共催と聞いていたので、ずいぶん大きなイベントかと思っていたのだけれど、よく植木市などが行われる広場で、以前行った植木市などよりもずっとこじんまりと行われていた。 お弁当、やきそば、てんぷら、カレーライス、パステウなどを出す食堂、書道や折り紙を教えてもらえるコーナー、生け花の展示などはみな日系協会のメンバーの人たちがやっているようだった。

広場の一角にある建物の中では、浮世絵展が行われていた。そこには日本の世界遺産の模型もあって、法隆寺や金閣寺などと一緒に広島の原爆ドームや宮島の模型もあった。

この他、JICAのブースや、手作りの竹細工(これはパーディーニョのセージオとルシアの店)や、石やプラスチックなどで作った盆栽などを展示販売する店や、オーガニック野菜を販売する店などが出ていた。この人工の盆栽を作るジュリオという男性は、日本には行ったことがないけれど「僕は日本人に生まれたかった」というくらい日本好きで、いつか日本に行くのが夢だと言っていた。欧米人に似合わず、手先が器用なようで、写真を見て自分で工夫してこれらの盆栽を作るのだとか・・・たいしたものだと思う。彼のウェブサイトは、こちらへ

広場の入り口近くのセージオやジュリオのお店の前で、彼らとおしゃべりしていたら、2台の白バイに先導されて黒塗りの車が広場に入ってきたので見ていると、どうも在サンパウロ総領事夫妻のようだった。後で総領事館のウェブサイトを見てみると、やはり大部総領事だった。次の写真は総領事夫妻と、ボトゥカトゥ市長。ボトゥカトゥ市長が結構若いので少し驚いた。ショートヘアーの老婦人はブラジルでは有名な日系コロニアの弓場農場で、50年もバレー(踊り)の指導をしている小原明子さん。弓場バレーはブラジルではとても有名で、土曜日の夜の公演のため、はるばる弓場から大型バスを貸しきって来られたのだそうだ。彼女はブラジルではとても有名人。もう一人の男性もおそらく弓場農場の関係者と思われる。

2010年5月24日(月)

土曜日に、ボトゥカトゥの日本文化フェスティバルに行った帰りに、またプロ・ヴェージに寄って、木の苗を買った。グレヴィーリャを14本、セドリーニョ(Cedrinho、ゴールドクレスト)を3本、パイネーラ(Painera)を1本、ユーカリの一種で、葉をむしって擦ると虫が嫌うシトロネーラの匂いがする木(名前はわからない)を1本、そして、シトロネーラ(Citronela)という草を2株。さらに、鉢植え用の大きな鉢1つ。合計100レアル(約5千円)。

そして、昨日午前10時から午後2時半過ぎまでかかって、エドソンとふたりでこれらを植える作業をした。木曜日にアルバイトのレオナードに家の下の三角地帯の残りの穴掘りを完了してもらい、カロリナソイルと肥料などを混ぜて、少し穴に入れておいてもらったので、後はその上に苗木を置いて、カロリナソイルと掘り出した土を混ぜて植えて行く作業を繰り返し、グレヴィーリャ14本とセドリーニョ2本を完植。残りもう1本のセドリーニョは、今年のクリスマス飾り用に、これらの苗木とは別に、買って来た大きな植木鉢に植えた。

パイネーラとユーカリの一種は、購入予定ではなかったのだけれど、エドソンがプロ・ヴェージの人といろいろ話していて気に入ったので、試しに植えてみることにした。これからどこに植えるかを決めて、穴掘り作業をしなくてはならない。シトロネーラは葉の長い、虫が嫌う草で、これもまだ植える場所を決めていないので、しばらくこのままの状態で大きな木の側に置いておくことにした。

植林を終え、水をやり、作業終了。さすがに疲れて、体のあちこちが痛いけれど、植林が少しずつ進んでいることに満足。これで、これまでに私たちの土地に植えた木の総数は、108本になった。次の写真は入り口ゲートから家に向かう道路沿いに植えた孟宗竹の列と、家の下の三角地帯に植えたグレヴィーリャとセドリーニョ。

2010年5月25日(火)

先週届くはずだったガレージの扉が、昨日の朝ようやく届き、取り付け作業が始まった。洗面所の窓とエドソンのワークショップ兼オフィスの窓はまだ届かないけれど、少しずつ、少しずつ前進している。

今日は、午後3時過ぎに私の血液検査などの結果を持って、ドトー・ジョゼに受診する予定になっているので、ついでにエドソンは1日休みを取って、朝からボトゥカトゥに行きいろいろと用事を済ませることにする。建築資材の店で電気の配線のためのワイアーなどを購入していたら、下水処理用のタンクを注文していた店から電話があり、予定通りタンクを届けたと言ってきた。今朝、私たちが家を出る9時前には電話をくれたらしいのだけれど、私たちが住んでいるところは携帯電話の電波が不安定なため、通じなかったようで、届け終わって、再度、連絡をくれたようだった。それで、予定を急遽変更して、銀行に小切手を取りに行き、州立大学近くのその店まで支払いに行った。州立大学の周辺は新興の住宅地らしく、新しい大きな家が立ち並んでいた。

無事支払いを済ませ、次に、窓や扉を販売している別の店に行き、パーディーニョの店のものと比較するために、私たちの希望に近いモデルで見積もりをしてもらう。次に、ガソリンスタンドで燃料を補給した後、自動車保険の代理店に行き、契約と支払いを完了する。自動車保険はこれまでバンコ・ド・ブラジルと契約していたのだけれど、自動車の登録をパラカンビからパーディーニョに移したので、今回の契約更新の際には保険料がぐっと下がると期待していたら、保険料が2倍以上跳ね上がることがわかり、保険会社を変えたのだ。バンコ・ド・ブラジルの保険料試算システムではパーディーニョはパラカンビよりも危険な地域となっていると聞いて驚いた。治安の悪いリオから約75キロのリオ大都市圏に入るパラカンビよりも、サンパウロから200キロも離れた田舎町のパーディーニョが危険だなんて、有り得ない。それで、この辺で代理店を探すことにし、ハファエルの紹介で彼が使っているボトゥカトゥの代理店を紹介してもらい、見積もりをしてもらった。そして、料金も内容もこちらの方が断然いいので、契約をした。当然のことながら保険料はこれまでの半分近くになり、ほっと一安心。それにしても、バンコ・ド・ブラジルの評価システムはおかしいとしか言いようがない。

これらのことをすべて済ませてから、時間通りにドトー・ジョゼのクリニックに行き、受診。日本での最後の検査から2年くらい経過しているのだけれど、特に何の変化もなく、異常なしということで、こちらも一安心。更年期障害のような症状も偏頭痛が出て以来起こっていないので、今すぐ何かする必要はないということで、今後、半年に一度程度、定期的に受診すればいいということになった。「ポルトガル語を少しは話せるようになったかね?」と先生に聞かれ、「アインダ ナオン(まだで〜す)」と答えたら、笑っていた。この先生は検査の結果をわかり易く説明してくれるだけでなく、無駄な世間話も好きなようで、気さくにいろいろおしゃべりをするので、暖かい人柄が伝わって来る感じだ。

その後、駐車場の近くの店で、エドソンのジーパンとコットンパンツを1本ずつ買い、パオン・ジ・アスーカーでも買い物をして帰宅。あちこち飛び回る忙しい1日だったけれど、予定していたすべての用事を無事済ますことができた。今日は丸1日家を留守にしたので、家に戻るとモビとフィオナがおおはしゃぎで飛びついてきた。

2010年5月26日(水)

今日はエドソンがエディナの美容院に午前9時で予約をしてくれたので、朝、エドソンと一緒に出かけ、エディナの美容院で降ろしてもらう。3ヶ月ぶりにカットとカラーをしてもらい、久しぶりにすっきり、さっぱり。彼女のお店は前回もそうだったけれど、ペディキュアやマニキュアをしてもらいに来るお客さんや、ご近所の人もよく出入りするので、とてもにぎやか。カットとカラーが終わり、徒歩でエドソンのオフィスに行くと、彼はパウロとイタチンガに出かけているので、車の鍵を預かっていると言って、ジャナイーナが車の鍵を渡してくれたので、ひとりで帰宅。

帰宅後お昼を食べた後、車の内部が最近とても汚れてきたので、掃除をする。洗濯もしたかったのだけれど、ドナ クレウザがこの週末、金曜日の夜から来ていたウィリアムとジウダの残していった洗濯物や、ソファーカバーを洗うために、洗濯機を使い続けていたので、洗濯は断念。

2010年5月8日付けニッケイ新聞の「日伯論壇」に、日本ブラジル中央協会理事長、元駐伯日本国大使、 鈴木勝也氏の「両洋間連絡路建設の夢」という記事が載っていた。この記事のサイトは、こちらへ。日伯論壇はこの記事が最終回だそうだ。

2010年5月27日(木)

昨日はとてもいいお天気で暑いくらいだったけれど、今日はちょっと厚い雲が空を覆っている。でも、洗濯物がたまっているので、午前中はせっせと洗濯に勤しむ。マウリシオはアルバイトのレオと一緒に朝から草刈の仕事に精を出している。草刈機のエンジンの音が響き渡っている。

日曜日まで元気だったのに、月曜日の朝からフィオナが、何故か何も食べなくなった。カーラのことがあったのでちょっと心配したのだけれど、どうもただお腹の調子が良くなかっただけのようで、火曜日にエドソンに教えてもらって、水に塩と砂糖を少し混ぜたものを飲ませると、その夜は牛乳を少し飲み、水曜日の朝は少し食欲が戻り少し食べ、夜は普通に食べることができた。やれやれ、良かった。昨日の夜も、今朝もいつものように喜んでちゃんと食事をしたので、お腹の調子はもう大丈夫のようだ。フィオナは次から次へといろいろな体調トラブルに襲われるので、心配の種が尽きない。でも今日は、午後から植えた木々に水をやりに出かけると、フィオナも元気よくモビと一緒について来て遊んでいたので、完全復調したのだと思う。

次の写真は取り付けられたガレージの扉と、配達されてガレージの前に置かれた下水処理用のタンク。昨日、外壁にコンクリートを塗る作業が行われ、今日、ガレージの扉のペンキ塗りをするとエディは言っていたけれど、仕事に来ていない。ペンキ塗りが終わらないと、ガラスを取り付けることはできないのに・・・

2010年5月28日(金)

今日はブラジル芸能情報を少し。最近ルアン・サンターナ(Luan Santana)という若い男性歌手がブレイクしている。”Meteoro”とか、”Voce nao sabe o que e amor”などといった彼の歌を盛んに耳にする。日曜日の夜のバラエティー番組に出ているのを一度見かけた。テレビは夜しか見ないので、番組のコマーシャルで見かけるだけだけれど、彼のコンサートで女の子たちが熱狂しているコマーシャルを良く見る。他にもいろいろな歌番組やバラエティー番組に引っ張りだこらしい。ジャンル的にはMPBに入るのだろうか?それともセルタネージョ?よくわからない。でも、とても元気のいい歌を歌っている。

今月の第2週で、夜のノヴェラ「ヴィヴェール・ア・ヴィダ(Viver a vida)」が最終回を迎えた。前のカミニョ・ダス・インジアス(Caminho das indias)に比べて、何となく平凡で、つまらない終わり方だった。でも、全体的に見てカミニョ・ダス・インジアスほど面白くはなかったから、こんなものかなとも思う。そして、第3週から新しいノヴェラ「パッシオーネ( Passione)」が始まった。カミニョ・ダス・インジアスでインド人家族のお父さん役を好演していたトニー・ハモス(Tony Ramos)が、メインキャラクターで出演し、ブラジルとイタリアを舞台にしているので、カミニョ・ダス・インジアスのようにおもしろくなるかな?と、期待していたのだけれど、あまりおもしろくない。しょっぱなからキツネとタヌキの化かしあいで、何だかなあ・・・と思ってしまう。それで、毎回テレビを見ながらいつの間にかうたた寝をしてしまっている。トニー・ハモスはブラジルでは人気の中堅俳優で、カミニョ・ダス・インジアスが終わった後、複数の映画に出演したり、テレビコマーシャルなどでもよく見かけるのだけれど、残念。

2010年5月29日(土)

今日は朝からエドソンと一緒に木を植える仕事をしようと思っていたので、お昼ご飯は昨日の夜のうちに作っておいた。でも、ここの圧力鍋は少し壊れていて、圧力がちゃんとかからなかったため、有り得ない話しながら、肉と野菜の煮込み料理の一番下になっていた肉が少しこげてしまった。捨てるのはもったいないので、こげた部分を切り落として、こげた味のついてしまった煮汁を捨てて、新たに水やスープやお酢やオリーブオイルを入れて、味を調整しなければならず、とんでもないことになってしまった。でも、まあ何とか食べられる状態に回復することができたので、料理を無駄にせずにすんだ。

午前中、パイネーラを植えるための穴を掘り、肥料やカロリナ・ソイルと土を混ぜて穴に戻し、パイネーラを植え終わる。一旦、お昼を食べに帰り、午後からまた作業に戻る。私たちふたりだけならその日の体調や気分や作業の進み具合で、お昼を抜かしたり、時間をずらしたり、簡単に済ませたりと、臨機応変にできるのだけれど、ウィリアムが来ていると、どうしても12時半前後にちゃんとお昼にしなければならないため、あまり自由がきかない。

午後からは、ユーカリの木の一種を1本と、竹を2本、パイネーラと同様に穴を掘り、土を用意して植え終わり、その後、孟宗竹に水をやり、今日新しく植えた木以外の、すべての木に肥料を撒いて、今日の作業は終わりにした。

2010年5月30日(日)

朝食の後で、洗濯機を回しながら昼食のしたくをしていると、ガレージの無線室から戻ってきたウィリアムが、今日のお昼はパーディーニョであるパーティーに行って、その足でサンパウロに帰るからお昼はいらないという。Fica vontade. 何の連絡もなくお昼に人を連れて来られるのは、ご飯やおかずが足りなくなり困るけれど、食事をする人数が減るのは一向に構わない。どうやらエディの弟の誕生祝いのシュハスコパーティーがあると聞きつけて、出かけて行くことにしたらしい。

天気予報では今日の降水確率は80%とあったので、雨が降るのを期待していたのだけれど、風は強いものの、朝からいいお天気。普通ならこの時期は南からの冷たい風が吹きつけるのに、今日は北からの暖かい風が吹いている。どうも雨は降りそうにないので、昼食の後でエドソンとふたりで木に水をやりに行く。すべての木に水をやるわけではないけれど、80本近くの木や、アメンドインやアルメイラオンに水をやらなければならないため、ふたりで手分けしてやっても結構時間がかかる。

次の写真は、家の北側に植えたユーカリの木の一種。左奥に見えるのはだいぶ前に植えた竹の塊。元気に育っている。

2010年5月31日(月)

昨日の夜、雨が降ったからか、今日は昨日から一転、南からの冷たい風が吹いていて、少し気温が低い。今日はパーディーニョの市制記念日なので、パーディーニョ限定の休日。このところほとんど仕事に来てくれなかったエディが今日は何故か仕事に来ている。今週は木曜日がキリスト聖体祭で祝日なので、金曜日も休み4連休にするところが多いため、実質、休みでないのは火曜日と水曜日だけなので、エディは今週も仕事に来ないかも・・・と思っていたけれど、うれしい誤算だった。まあ、だからと言って、今週目一杯働いてくれるかどうかは予測不可能だけれど・・・

エディたちは5月の第1週は毎日5日間仕事をしてくれたのに、第2週、第3週と仕事をしてくれたのはそれぞれ2日半だけで、第4週の先週などは1日しか仕事に来てくれず、いったいどうして?と、思うばかりだったけれど、エドソンがいろいろな人と話して、どうして彼がそのような行動を取るのかだんだんわかってきた。ブラジルの一般の人たちにとっては数年がかりで家を建てることはごく普通のことらしく、少しお金が貯まると資材を購入し、ぺドレイロに建築を進めてもらい、お金がなくなったら建築を何ヶ月も(人によっては何年も)ストップするというやり方をするのだとか。そのため、施主の都合に振り回されて仕事が途切れ、収入が不安定になるのを防ぐために、エディは常に複数の仕事を掛け持ちで抱え、何とか帳尻を合わせようとしているらしい。でも、お天気や様ざまな要因に左右されるものの、私たちの家を1年前後で完成させるということで仕事を頼み、定期的に支払いをしているのだから、ちゃんと約束を守ってやってもらわないとこちらは困る。

ブラジルでのぺドレイロという仕事は、大工で言えば棟梁にあたる人以外は、棟梁に雇われて日雇いで仕事をするのだけれど、その人たちは手に職がなく、他に何もできないから、ぺドレイロの手伝いをするしかない人たちというふうに考えられているらしい。だから、いい仕事が見つかるとぺドレイロの手伝いをやめてしまうので、手伝いの人の顔ぶれが時々変わる。そのため彼らだけに仕事をさせることができず、常に棟梁が側にいないと仕事にならないらしい。さらに悪いことに、その棟梁であるぺドレイロの中には、施主が用意した建築資材をちょろまかしたり、施主に代わって資材を購入する際にお金をごまかしたりするような人がざらにいるらしく、信頼できる腕のいいぺドレイロを探すのは大変らしい。その点、エディは信頼できる正直者で通っていて、腕も良く仕事を怠けたりもしない。途中でデザインの変更をしても臨機応変に柔軟な対応をしてくれる。彼に仕事を頼むにあたり、複数の人から太鼓判を押されたような人なのだけれど、それでも毎日仕事をしてくれなくては、いつまで経っても家は完成しない。年内完成なんて夢のまた夢か?と、気が遠くなりそう。



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