Kyoko Yoshida                                        
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2009年12月1日(火)

先々週だったか、マウリシオが大きな黒い犬のジェニファーの腹部から、何か虫の幼虫のようなものをナイフで取り出す外科的処置をしていたのでびっくりしたことがある。この辺には動物の皮膚の下に卵を生みつけるたちの悪いハエがいて、ジェニファーの腹部の皮膚の下でそのハエが生みつけた卵がかえって幼虫になりモゾモゾし始めたらしく、ジェニファーがひどく痒がっているので、調べたら幼虫がいることが発覚したらしい。何と十数匹の幼虫を取り出していた。このハエは普通のハエの2〜3倍くらいの大きさで、というか全長が長く、色は薄茶色、胴体に縞模様があるので、ハエというよりもどちらかというと蜂に似ているようにも思う。普通のハエと違って、食事の匂いにつられてやってきたりはしないけれど、ごく普通に家の内外を飛び回っていて、よく見かける。普通ウシや犬などといった動物に卵を生みつけるらしい。でも、人間の周りでもうるさく飛び回り、人間も同様にその標的になると聞いてちょっとぞっとした。ジェニファーは毛足が長いので、その分不潔になりやすいためか、他の犬たちに比べ、ハエが好んで卵を生みつけるらしいということだった。自然環境があまり壊されていない環境の中で暮らしているので、こういう動物や虫との生存競争の中にいるのだなあと思う。

2009年12月2日(水)

ここ10日あまり、たまに小休止があり太陽がちょっと顔を出すことはあっても、ほとんど毎日のように結構な量の雨が降るため、我が家の工事は中断したまま、時間が止まってしまったようになっていたけれど、今日は久しぶりにいいお天気になり、午後からエディのスタッフたちが何の前触れもなくやって来て、作業を再開してくれた。ただ、作業時間が短かったので、雨で崩れた部分の補修をしただけで、工事事態の進展は何もなかった。でも、とにかく可能なときに少しでも作業をしてもらえると、ちょっとうれしい。

今私たちが暮らしているウィリアムの家の裏の道を南に下りて行くと、視界が開けて、果樹園が広がっているのだけれど、その途中にある、この木で覆われた道が私は結構気に入っている。

2009年12月3日(木)

今日、12月3日付けで、中国新聞の海外リポートに私の10本目のリポート「日系人の教育志向と高い向上心」 が掲載された。中国新聞海外リポートのサイトは、こちらへ

昨日の午後、パーディーニョの町に買い物に行ったついでに郵便局に寄ったら、イビウーナの香山さんからアグロ・カヤマ(AGRO KAYAMA)の2010年の手帖と、週に1度エッセイを書いている香山さんの友人の中村さんのエッセイのコピーが届いていた。アグロ・カヤマは香山さんが始めた農機具などを販売するお店だが、現在は息子さんやお孫さんたちが引き継いでいる。アグロ・カヤマの顧客でもないのに、こんな立派な手帖を送っていただいて恐縮してしまう。

そして、パーディーニョでいつも買い物をするお店では、来年2010年のカレンダーをもらった。こういうサービスは日本と変わらないのだなと、変に感心してしまった。そして、そのカレンダーが何と日本の菊人形展の写真だったので、びっくり。カレンダーの左上にあるMERCADO CHEIRO VERDEというのがこの店の名前で、シェイロ・ヴェージ(緑の匂い)というのは、ネギやパセリ、パクチーなどの香草のことをいう。でも、この店で扱っているのは野菜だけでなく、他の食料品や、家庭用品など、だいたいのものは一応揃う。鶏肉は骨付きのぶつ切りくらいしか扱っていないけれど、牛肉と豚肉は質が良く、様ざまな部位を扱っていて、たまに、冷凍の魚もある。

パーディーニョから帰る道すがら、町に出入りするための道路の中央に立ち並ぶ街灯に、夜になったら電気を点すらしい、サンタクロースや天使の形をしたクリスマス用の飾り付けがしてあるのに気付いた。ああ、もう12月、もうすぐクリスマスなんだ・・・

2009年12月4日(金)

一昨日は夕方までお天気が良かったけれど、夕方からお天気が崩れ、一晩中ザーザーとうるさいほどの大雨が降り、その後も毎日、雨が降り続いている。この2日間で相当量の雨が降った。今日もどんよりした曇り空で時々雨が降っている。お天気が悪いため、気温も低く、最低気温が16度で、最高気温も22度までしか上がらず、ちょっと薄ら寒い。それでエドソンはいつものT-シャツの上から長袖のシャツを着、私はトレーナーを着込んでいる。

こんな雨降りなので、昨日、マウリシオは果樹園での作業をお休みして、ボトゥカトゥに出かけて行った。ついでに何か必要なものがあったら買ってくるよと、いつものように聞いてくれたので、レタスを買ってきてもらうよう頼んだ。先日、畑の整理をするまではレタスとルッコラは畑に行けばあったのだけれど、すべて古くなって取り払ってしまったので、店で買うしかなくなったのだ。でもパーディーニョの町の店では、何故かレタスのような葉物野菜を置いてないため、ボトゥカトゥの店まで買いに行かなくてはならない。ここでレタス(アルファスィ、alface)というと、普通、日本でみかけるキャベツのように葉を巻いたシャキシャキしたものではなく、サニーレタスやグリーンリーフの巻いていない柔らかい葉レタスのことを言うので、どんなレタスを買ってきてほしいかを説明するのに、ちょっと困った。結局、私がほしい巻きレタスはアメリカーナという名前のレタスだろうということだった。このタイプは露地栽培に適さず、ハウス栽培をしなくてはならないため、あまり作られておらず、値段も少し高いので、一般的でないらしい。このタイプのレタスはアメリカでも日本でもごく普通に売られているので、特に何も考えることなく頼んだのだけれど、ブラジルでは少し事情が違ったようだ。ふたつがひとつの袋に入っているものを買ってきてくれ、料金は1レアル(約50円)だった。

2009年12月5日(土)

先日の大雨は、サンパウロ市でも大変な雨量だったというか、むしろサンパウロ市の方が大変だったようだ。夕方、悪天候による交通渋滞を予想して、ウィリアムは会社から車での帰宅を諦め、レインコートに身を包み、オートバイで帰宅したそうだけれど、途中15キロ以上の渋滞があったり、道路の一部が川になっていて危険な場所もあったという。そんな水の中もなんのその、運転を続けて進んでいたら、今度はトンネル内で車が燃えているところに遭遇。煙が充満する中、皆、車を置いて避難しているような状態のところにも出くわしたらしい。でも幸いオートバイだったので、車の間を掻き分け掻き分け、何とかそのトンネルも通過して帰宅したのだけれど、家に帰りつくまでにいつもの2倍近い時間がかかったと、今日、サンパウロから来て、ひとしきり話していた。

リオやサンパウロ市内は排水設備が不備なのか、それとも最近の雨量が異常なのか、大雨が降ると、いつもひどい交通渋滞が起こったり、道路が川になったりするニュースをよく見る。それにしてもこのお天気は本当に異常としか言いようがない。でも、今日はお昼過ぎころまでいいお天気が続き、午後は雲が出てきたけれど、久しぶりに何とか雨の降らない1日になった。

2009年12月6日(日)

今日も午後は雲が出たけれど、午前中は昨日よりもいいお天気になり、青空が広がった。でも、週末だけお天気が回復してもなんにもならないのだけれどなあ・・・ウィリアムの提案で、月に1度の恒例のシュハスコ(Churrasco、ブラジルのバーベキュー)をしようということになり、午前中、マウリシオがパーディニョにお肉を買いに行き、ドナ クレウザと私は付け合せの料理の準備をする。

次の写真は、ファローファを作るためのマンジョーカの粉、でもこれはすでにニンジンやニンニクで味付けがしてあって、他の材料と混ぜるだけでファローファができる種類なので、Farofa Pronta(出来合いのファロファ、ready-made farofa)と袋に書いてある。その名もデウザ(Deusa、女神)。シュハスコやフェイジョアーダなどの料理に必ずといっていいくらい付いてくる一品。ドナ クレウザの作り方は、鍋で玉ねぎとベーコンのみじん切りを炒め、溶き卵を流し入れて、さらに炒め、最後にネギとこの粉を加えて出来上がり。これにコウヴィやアルメイラオンの千切りやオリーブを刻んだのを混ぜてもいい。作る人によって微妙に混ぜるものが変わってくる。

午後1時半過ぎ、お肉の一部が焼きあがり、お料理を台所のテーブルの上に並べる。それぞれが好きなものを好きなだけ自分のお皿に取るセルフサービスがここのやり方。真ん中にあるのが玉ねぎとピーマンとトマトを細かく刻んで酢とオリーブオイルで混ぜたサルサ(ポルトガル語ではビナグレッチという)、私は普通これにネギやオリーブを刻んだものを混ぜるけれど、今日のはドナ クレウザ流。このサルサの上部に黒っぽい鍋があり中身が見えないけれど、玉ねぎとニンニクのみじん切りをオリーブオイルで炒め、千切りのアルメイラオンを加えて炒めたもの。その右側は玉ねぎのスライスやディルの混ざったポテトサラダ。その下がファローファ。その下はご飯。そしてその左側はTボーンステーキのような骨のついた牛肉。残った骨は犬たちのご馳走になるので、シュハスコを始めると、犬たちはおこぼれにありつけることを知っていて、全員が家の周りに集まって来る。

2009年12月7日(月)

土曜、日曜とお天気が良かったのに、そして、昨日の夜インターネットのレーダーサイトで雲の状況を確認したら、この辺には雨雲や雷雲が全然なく、今日もお天気が何とか続くだろうと思っていたのに、予想に反して、朝から雨。時間の経過と共に、雨足が強さを増している。ああ・・・やれやれ・・・

夜のテレビのニュースで見ると、ブラジルの北東部以外はすべて雲で覆われて、雨が降っているという。リオデジャネイロ州の北隣のエスピリト・サント州やミナスジェライス州ではこの降り続く雨で、水害や土砂崩れが発生していると言っていた。これまでは南部地域ばかりが被害に遭っていたけれど、ほぼ全国に渡って雨が降っていたのでは、どこで被害が出ても不思議はないということか・・・

マウリシオは平日の夜や週末に家族を置いてひとりでよく外出する。平日の夜などは仕事の憂さを晴らしに、飲みに行くのだろうと結論付けたいところだけれど、実は、彼は下戸で、アルコールは一切飲まない。でも、きっと町のバーに行って、他の人達がお酒を飲んでいる側で、自分はソーダを飲みながら、彼らの話の輪に入っておしゃべりをしているのだろうなと想像する。彼はとてもおしゃべり好きなので、アルコールが入っていなくても、気にならないのだろうと思う。彼はパーディーニョの町のほとんど(もちろん全員ではないけれど)の人を知っていて、今、町で何が起こっているかなど、とてもよく知っている。彼のこの顔の広さと情報量は、アルコール抜きの彼のバー通いによるところが大きいのではないかと私は考えている。

2009年12月8日(火)

昨日降り続いた雨は、夜の間も、バケツをひっくり返したように騒々しく降り続き、安眠を妨害されるほどだった。こんなに降ったにもかかわらず、今朝になっても止むことなくまだ降り続いている。昨日も今日も相変わらずここはすっぽり霧に包まれている。

エドソンが今朝、インターネットのニュースを見て、サンパウロ市を流れる二つの大きな川のチエテ川とピニェイロス川が氾濫して、サンパウロ市は大変なことになっているらしいと言っていた。これらの川はサンパウロ州の東部から西部に向かって流れて、イグアスの滝に合流している大きな川なのだけれど、サンパウロ市の東部の山間部でも大雨が降っているため、サンパウロ市内で降っている雨だけでなく、上流域の雨が下流域にあるサンパウロ市内に流れ込んで、川の水が溢れてしまったようだ。チエテ川の両側にはマージナルチエテという片側4車線の主要幹線道路が走っていて、この道路は平常時でもいつもすごい数のトラックや乗用車で渋滞している。この道路が水で溢れて川になったのでは、サンパウロ市は機能しなくなるのではないかと思う。例えば、私たちがサンパウロ市の中心に行くにしても、サンパウロ国際空港に行くにしても、リオに行くにしても、どうしてもここを通らないといけない重要な道路なのだ。お昼のニュースで、170キロの大渋滞になっていると言っていた。道路が川になっていて身動き取れなくなっているようだ。常に交通渋滞なのだから、早くバイパスを造ればいいのにと思うけれど、サンパウロ市をぐるっと回る環状線を造る計画はあるものの、サンパウロ市の南側の道路が一部完成しているだけで、このマージナルチエテの北側の道路はまだ何も具体的に始まっていないのが現状だという。

2009年12月9日(水)

サンパウロ市の水害は、広い範囲での床上浸水や土砂崩れで、犠牲者も出ているということだった。ここは浸水や土砂崩れといった被害は出ないものの、大雨が降ると、舗装されていないこのファームの前から舗装された道路まで1.5キロくらい続く道路は状態が非常に悪くなり、泥沼のようになり車のタイヤを取られそうになる場所が2〜3箇所ある。そして、特に、舗装された道路からここの道路に入ってくる出入り口部分の100メートルあまりは排水が悪いため、川ようになり、出入りが難しくなる。そのため、この2週間ほど、毎週火曜日が雨だったため、不必要なトラブルを避けるため、ロータリークラブの例会を欠席した。そして、昨日も前日からの大雨で最悪の状態だったので、またお休みするしかないかと、思っていたら、昨日は今年最後の例会なので、ぜひ出席してほしいと、書記のネウザからエドソンに直接電話があったため、覚悟を決めて、何とか出かけて行くことにした。するとお昼前くらいから雨が止み、水深20センチあまりだった出入り口の部分は、午後から徐々に水がひき、何とか通れるようになったため、トラブルなく例会に出席することができた。この部分は舗装道路から100メートルあまり入ったところに新しくできたカロリナ・ソイルという工場に出入りするトラックのために道幅を拡げて、舗装道路にすることになっていると聞いているけれど、いつまでたっても舗装工事が行われない。そのため、このところの大雨で、雨が降る度に水浸しになる状態が続いて、私たちの出入りを妨げている。

昨日の例会では、メンバーのひとりのジェラウドが、12月2日付けで創刊した新聞、Journal do Pardinhoの創刊号を持ってきて見せてくれた。創刊号なので、パーディーニョの町の様ざまな面や、人々が広く紹介されている創刊記念号という趣の12ページの新聞になっていた。新聞の大きさは日本の新聞を半分にしたものより少し大きいぐらい。フリーペーパーにしてはとても立派な新聞だ。

2009年12月10日(木)

ペトロポリスの安見さんのところの補習校は今日が今学期の最終日で、15日に卒業式があり、1月末まで夏休みだそうだ。ここパーディーニョの小学校は明日11日が最終日で、やはり1月末まで7週間の夏休みに入ると、パウロの8歳になる娘のイザベウが教えてくれた。イザベウは「お父さん子」のようで、ロータリークラブの例会には必ずお父さんと一緒に参加し、出席簿を持って出席者のサインを集めて回ったり、ネウザやシモーニのお手伝いを率先してやり、パーディーニョ・ロータリークラブのマスコットのような存在だ。

今日、お昼を食べていたら、とても近くでキーキーと騒々しく大きな声で鳴く鳥の声がするので、何だろうと話していたら、その直後に、ドナ クレウザが小さな声で「Sr. Edson」と呼ぶ声が聞こえた。エドソンが玄関から顔を出すと、パパガイオ(Papagaio、オウム科の鳥)のつがいがすぐ側の木の枝にいると言って、手招きをして、小さな声でエドソンに来るように言っている。私たちが出て行ってみると本当にすぐ側の木に2羽の緑色の鳥が、枝の上にとまって激しく鳴いている。

こんなにキーキー鳴く声を聞いたのは初めてだ。ドナ クレウザの話によると、このつがいは自分たちの巣と卵を失ったことを悲しんで泣いているらしいということだった。この鳥たちは何故か、この家の裏のシュハスコのかまどの煙突部分に巣を作っていたらしく、それを知らずに私たちは日曜日にそのかまどを使ってシュハスコをしてしまい、彼らの巣を無残にもかまどの熱で破壊してしまったらしいのだ。今日、ドナ クレウザが掃除をしていてその巣の残骸を見つけたと言って、後で見せてくれた。戻って来ると巣と卵が無残なことになっていたため、2羽の親鳥が悲しんで泣いているのだとドナ クレウザは言っていた。かわいそうに・・・でも、それにしても、この数日間この親鳥たちはどこに行っていたのだろう?シュハスコをした日から4日も経っているのに・・・

2009年12月11日(金)

今日付けで、中国新聞の海外リポートに沢田啓明リポーターのリポート、「サッカーW杯 強豪国の国民心理」 が掲載されていた。中国新聞海外リポートのサイトは、こちらへ

昨日の夕方、台所の裏のベランダで洗濯物を取り込んでいたら、南東側の森が始まる辺りの木の上から鳥か動物のにぎやかな鳴き声がするので、何だろうと思って近寄ってみると、リスが数匹あちこちの枝にいるのが見えた。アメリカに住んでいたときも人が暮らしているすぐ側でよくリスを見かけたけれど、リスがこういうにぎやかな鳴き方をするのは初めて聞いた。鳴き声を真似してみると、逃げることなくこちらに興味を示して、こちらを向いて鳴き続けるので、急いで部屋の中にカメラを取りに行き、鳴き声を真似しながら同じ場所に戻って、相変わらず鳴いている一番近いところの一匹の写真を撮らせてもらう。

2009年12月12日(土)

今週は雨で始まったけれど、火曜日の午後ようやく雨が止み、水曜日と木曜日が曇り時々晴れというまずまずのお天気になったため、木曜日にエディたちが仕事に来てくれた。エドソンはエディと連れ立って、パーディーニョの町の建築資材を扱う店に行って、基礎工事用の資材と簡易の資材置き場とガレージの部分を建てる材料を調達することができた。一歩前進といったところだ。でも、木曜日の夜、また激しい雨が降ったため、金曜日はお天気が回復したものの、エディたちの作業は午後からの半日だけだった。1週間のうち雨が降らないのは週末を除いて1〜2日あるかないかなので、毎日コンスタントに作業ができないのは何とも残念。それでも1日でも半日でも作業ができれば、何も進まないよりもましと考えるしかないか・・・

とにかく、お天気に振り回されて、何も進展がないというのはなかなかのストレスなので、少しでも自分たちでできることをしようと、エドソンとふたりで鍬とスコップをかついで行って、家の北西側に竹を植えるための穴掘りを始めた。ウィリアムから譲ってもらったファームの片隅の土地にはほとんど木が生えていないので、自分たちで植林をしなければならないため、その準備を始めることにした。ドナ ベティのバンブーファームの管理をしているエリゼウ(Eliseu)と相談して、この辺の土地に向いている何種類かの竹を教えてもらい、それらの竹を彼から買うことにした。エリゼウからもタケイシさんからも、竹など木を植える際には、まず40センチ四方、深さ40センチの穴を掘り、ウシの糞と掘り出した土を混ぜて、土の準備をしてから植林するという手順を踏むように言われているので、その通りにしようとしている。でもこの穴掘りも、土が硬くなかなか大変で、私は初日に早くも両手にまめができてしまった。作業は軍手をはめて、帽子をかぶって、日焼け止めクリームを塗って、曇り空の下でするのだけれど、ここは標高が高く紫外線が強いため、曇り空の下でも作業が終わると顔が真っ赤に日焼けしている。

水曜日、金曜日、今日と、無理せず少しずつ穴掘りをして、初日に木を植える間隔を測って少し掘り起こしておいた10箇所の内の、6箇所の穴掘りを完了することができた。とりあえずこの10箇所の穴掘りが完了したら、土の準備をして、竹を植え、それからまた次の10箇所の穴掘りをするというふうに作業を進める予定でいる。

2009年12月13日(日)

ブラジルの南半分あまりの地域では、雨、雨、雨で、被害が続出しているのに、昨日の夜のニュースでは、北半分のアマゾンを含む地域では旱魃で、550の町で深刻な被害が出ていると言っていた。この両極端はとてもむごい。ここの雨を分けてあげることができるなら分けてあげたいと切実に思う。

昨日のお天気は曇り空からたまにパラパラ降る程度で、ほとんど崩れなかったものの、1日中強い風が吹き荒れ、穴掘り作業をしていて帽子が飛ばされそうになるので、結局帽子を脱いで作業を続け、髪が風でぼさぼさになってしまった。そして、夕方からまた本格的に降り出した雨が、今日の午後2時近くまで降り続き、ようやく上がった。

今週末はウィリアムに加え、ジウダとジウダのお母さん(80代)も一緒にここに来ていたので、昨日は嵐のようなにぎやかさだった。でも今日は彼らが帰る少し前くらいまでずっと、あいにくの雨だったので、ベランダにハンモックを出して昼寝をすることも、犬たちと戯れることもできず、みんな何だかとても退屈な時間を過ごした。

2009年12月14日(月)

今日は、朝から洗濯、洗濯、洗濯。週末明けはいつも、衣類だけでなく、バスタオルやハンドタオルなど、週末にみんなが使ったものを山のように洗濯をする。ジウダが来るときは、いつも愛犬カピトゥも一緒に連れて来るので、その時だけソファーにはソファーカバーを掛けることになっている。ここで飼っているダックスフントたちは家の中には入れないけれど、カピトゥは家の内外を自由に出入りすることを許されていて、家の中にいる時は、必ずソファーに座るからだ。それで今日はその2枚のソファーカバーも洗濯しなければならないため、何度も洗濯機を動かすことになる。幸いお天気が晴れたり曇ったりなので、洗濯物を外に干し、家の外は大量の洗濯物の花が咲いている。

明日の夜、ロータリークラブのイベントがあるため、今晩は早めに簡単な夕食を済ませて、そのイベント会場作りのお手伝いに町まで出かけて行った。ロータリークラブの建物よりも町の中心寄りにある市役所所有のホールで、イスを並べたり、花を飾ったりするお手伝いをした。主にメンバーの奥さんたちが担当する仕事なのだけれど、ネウザのご主人のへジナウドや、シモーニのご主人で会長のゴメス、そして、ジョゼも来ていた。舞台の上のテーブル上に花を飾りつける担当は、少し英語が話せるアンジェラで、要領よく手馴れた様子でテキパキとやっている。イス並べが終わってから、私は主にアンジェラのアレンジの手伝いをした。次の写真は、舞台の上で飾り付けに使ったクリスマスツリーの枝の後片付けをしているアンジェラと、舞台の右下でテーブルにクロスをかけている、左がソフィアで、右が今月パーディーニョ新聞を創刊したジェラウドの奥さんのホジータ。

2009年12月15日(火)

昨晩は8時半頃からまた雨が降り出し、会場の準備もほぼできた感じだったので、私たちはお先に失礼して帰宅した。雨は一晩中しとしとと降ったようで、朝起きたら辺りは霧に包まれ、地面はまだしっかり濡れていた。時間の経過と共に、霧が徐々に晴れて、曇り空になったので、午後から残りの4つの穴掘り作業をする。午後2時半頃4つの穴掘りを完了して家に戻ると、また雨が降り出してしまった。

激しい雨が降り続いたので、今晩7時からのロータリークラブのイベントに出かけて行くのは諦めることにする。このところロータリークラブの例会も2度続けて欠席したり、今晩のイベントにも結局行けなかったので、このイベントがどういうものなのか詳しくは知らないけれど、パーディーニョにある学校の児童生徒の中から、この一年を通じて優秀だった子どもを数人表彰したり、ロータリークラブの支援者を表彰するというような催しがあるのだと聞いている。

2009年12月16日(水)

今日は朝からまずまずのお天気になったので、午前中はボトゥカトゥに行き用事を済ませ、パーディーニョに戻って、ジョゼのお店に行く。月曜日にジョゼのところでエドソンが注文しておいた資材が届いて、エディが今朝一番でそれを受け取り、ここに運んで来たので、その支払いをしに行ったのだ。セメントや砂利も届き、簡易の資材置き場もほぼ完成し、後は、柱を立てるために掘った穴の中の水が乾いてくれれば、柱が立てられるところまで来たのだけれど、毎日雨が降るため、穴に溜まった水がちっとも乾かず、なかなか柱が立ち上がらない。

午後4時を過ぎた頃から雲行きが怪しくなり、5時前からすごい雨が降りだした。次の写真はお勝手の出入り口から南側を撮ったもの。

この後、さらにひょうが降り始め、5分あまり続いた。6時半頃ようやく雨が上がり、マウリシオが下の果樹園にアテモイアの木の状態を調べに行き、戻って来たところをエドソンが台所から顔を出して話したところ、アテモイアの木は大丈夫だったようだけれど、また、こんなひどい雨が降ったら、下のため池が決壊するかもしれないと言っていた。

この雨で、今晩8時開始のロータリークラブの今年最後の集まりであるクリスマスの食事会に出て行くことはできなくなった。残念。軽く夕食を食べて、テレビを見ていると、8時前頃からまた雨が降り出し、今度は稲光と雷までゴロゴロと激しく鳴り出した。今度の雨は雷を伴っている分、夕方の雨よりもひどく、雷が何度もドカーン、ゴロゴロと鳴り、家がブルブルと振動し、その振動が体に何度も伝わってきた。この状態がときどき弱まったり、強まったりして夜中まで続き、ようやく雷は収まったものの、雨は朝まで降り続いた。

2009年12月17日(木)

昨日の2度目の激しい雨で、下のため池はマウリシオの予想通り、決壊してしまった。

雨が止んで半日近く経つのに、ため池の上にある森からは大量の水が激しい音を立てて流れ出している。

一方、私たちが家を建てようとしている敷地の入り口部分は、連日の雨で沼地のようになってしまい、今週、建築資材を運んで来たトラックが立ち往生をしてしまい、マウリシオがトラクターでトラックを引っ張り出さなければならない事態が2度も発生したので、今日は、午前中、エドソンとふたりで入り口付近に溜まった水を抜くための溝掘りをし、ドロドロになった表面部分の土を取り除く作業をした。この作業をしているとき、お隣のクラウディオのコーヒーファームの管理を任されている人が、ファームに行く途中で、トラックで通りかかり、ひとしきりエドソンとこの辺の道路の状況などを話していった。その人の話によると、舗装道路からこの道路に入ってくる入り口部分が、また例によって川になっていて通れないので、反対側から来たのだと言っていた。午後からエドソンがマウリシオと行ってみると、カロリナ・ソイルの工場を超えて、いつも以上に水面が拡大していた。次の写真の水の向こう側に見える車がいるところが舗装された道路で、そこからカロリナ・ソイルの工場までの100メートル余りがいつも川になってしまうのだけれど、今回は、いつも以上に水が溢れて、この道路沿いの別の工場の敷地内やカロリナ・ソイルのお向かいのファームの敷地内まで水浸しになってしまっている。これでは当分ここは通れそうにない。

カロリナ・ソイルの工場の建物のある場所は、トラックが出入りする駐車スペースよりも低いようで、建物の周りに水が溢れている。この様子だと、工場の建物の中まで水が入り、おそらく床上浸水しているものと思われる。

私たちは午前中、我が家の敷地入り口のドロドロの場所で作業をしたため、靴は当然のことながらジーンズやシャツに至るまで泥はねで、すっかり泥だらけになってしまった。お昼頃家に戻り、靴もジーンズもシャツもすべてごしごしと手洗いで泥を落としてから、洗濯機を回す。エドソンも私も今日はクタクタになった。

お昼過ぎにパーディーニョから戻ったマウリシオが、東西に広がるパーディーニョの町の真ん中を流れる小さな川が氾濫して、東西を結ぶ二つある橋のうち北側の、マックス・フェファー文化センターやロータリークラブにまっすぐ通じている道路に掛かっていた橋が壊れて通行できなくなっていたと言っていた。パーディーニョの町は東側に町の中心があり、町ができた当初からある古い教会の周辺に商店や郵便局やランショネッチなどいろいろなお店があり、西側は主に住宅街で、突き当たりに墓地があり、その手前から東に向かって、マックス・フェファー文化センターや、ロータリークラブの建物や、市の所有のイベントホールの建物などが点在している。そして、東側と西側の間が谷間のようになっていて、普段は気がつかないほどの小さな川が流れている。その川が氾濫したらしい。パーディーニョの町の近辺はあまり急勾配などはなく、なだらかな丘陵地帯なので、大雨が降っても水の被害が出るなんてことは予想もしていなかったけれど、これまで何日も降り続いていた雨に加え、昨日はまたさらに大量の雨が降ったため、こんなことになってしまったようだ。このため、この川沿いにある学校の建物は床上浸水してしまったということだった。

パーディーニョ(Pardinho)というのは小さなパード(Pardo)という意味で、この町の真ん中を流れている小さな川は、パード川(Rio Pardo)の源流なので、パーディーニョの町の名はこの川にちなんでつけられたと思われる。パード川はサンパウロ市内を流れているチエテ川やピニェイロス川と同じように、サンパウロ州を西に向けて流れて、パラナ河に合流し、最終的にイグアスの滝に合流している。

2009年12月18日(金)

昨日の午後、ご近所から連絡があり、ウィリアムのアテモイア果樹園の最南端部分でがけ崩れが発生しているというので、エドソンとマウリシオが一緒にドナ ベティのバンブーファームのある側の道路に行ってこちら側を見てみると、2箇所ほどでがけ崩れが起こってるのを確認し、写真を撮ってきた。次の写真はそのうちの1箇所の様子。ここには木がたくさん生えていたのに、無残に赤土がむき出しになっている。

エドソンが戻ってから、一緒に徒歩で果樹園に少し下りて行ってみると、一番下のレモンの木が植わっている先にあった木がうっそうと茂っていた部分がなくなっていた。そして、左側のドナ ベティのバンブーファームに目をやると、やはり南西の端の部分で数箇所、同様にがけ崩れが起きているのが見えた。こんなに被害が出ているにもかかわらず、昨日は、また4時半頃から激しい雷と雨が夜遅くまで続いた。いい加減に雨が止んでくれないと、被害がどんどん拡大してしまう。

今日も午前中、マウリシオが下の果樹園で作業をしている時に、お隣のドナ ベティの敷地内で地滑りが起きているゴーという音を聞いたと言っていた。これまでの雨で地面が大量の水を含んでいるため、その上さらに雨が降ると、もう支えきけれなくて地滑りが起きてしまう状況なのだと思う。

2009年12月19日(土)

昨日の夕方マウリシオがお隣のドナ ベティのところからトラクターに取り付けて使う、穴を掘る機械を借りてきてくれたので、今日エドソンは朝一番でマウリシオとふたりで穴掘り作業を始める。私は洗濯とお昼の準備を終えてから、カメラを片手に様子を見に行くと、家の建設予定地の北西側に作る防風林用の穴だけでなく、西隣のクラウディオのコーヒーファームとの境界線の柵に沿って竹を植えるための穴堀りも終わっていた。さすがに機械だと早い!防風林用の竹と一緒に植える予定の樫の木の一種は、竹よりも深い60センチの深さの穴を掘らなくてはならないので、そのために機械を借りたのだけれど、竹用の40センチの深さの穴もこれだとあっという間に掘れてしまう。それで、今日の午前中だけで、40〜50個すべての穴掘りができてしまった。

次の写真はうちの敷地の入り口部分。まだ少し水溜りが残っているけれど、木曜日に溝を掘って水を抜いたり、表面の泥をどけたりしたので、だいぶ状態が良くなっている。

入り口の両側にも数本竹を植える予定なので、柵に沿って数箇所穴を掘る。

穴掘りが終わり家に戻ると、ウィリアムがクリスマス休暇で戻って来ているカナダ在住の息子エリック(Eric)と一緒に到着していた。舗装道路から入ってくるカロリナ・ソイルのところの道が、やはりまだ通れないので、パーディーニョの町まで行って、遠回りをして、別の道を通って反対側からやって来たそうだけれど、そちらの道の状態もあまり良くなく大変だったと言っていた。それからみんなで下のアテモイアの果樹園に下りて行き、ため池の状態を見たり、一番下のがけ崩れを起こしている辺りまで行ってみる。果樹園から戻ってから、作っておいたお昼を暖めなおして、みんなでお昼にする。次の写真はお昼を食べた後、家の前のベランダでくつろぐ左からエドソン、エリック、ウィリアム。

2009年12月20日(日)

昨日、今日と、いいお天気が続いている。この調子で明日まで雨が降らないでいてくれたら、柱を建てるために掘ってあった穴が乾いて、そこに明日鉄筋を立てて、コンクリートを流し込み、柱を作ることができるのだけれど・・・天気予報では一応火曜日までお天気が続くことになっているので、その予報通りにお天気がもってくれることを祈るばかり。でないと、24日(木)から1月3日(日)までの2週間近く、エディたちはクリスマスと年末年始の休暇に入ってしまうので、何の進展もないまま年を越すことになってしまう。休暇に入るまでに何とか柱だけでも完成させてほしいと願っている。

仕事の進捗状況が非常に悪く、遅れに遅れていても、エディたちはちゃんと休暇を取る。これが日本だったら、施主が文句を言えば無理が通ったりするのだろうけれど、ここはブラジル。人間的な暮らしの方が優先され、個人を犠牲にすることはない。いいような悪いような・・・

金曜日、土曜日と2日がかりで、ドナ クレウザは裏のシュハスコのかまどの隣に置かれている大型の電気オーブンでチェスター(Chester)の丸焼きや、ローストビーフ、プディンなどを作るのに忙しかった。サンパウロでのクリスマスパーティー用に作ってと、ジウダから指示があったようだ。ウィリアムが今日、サンパウロに戻る際、持って帰ることになっているらしい。アメリカだとクリスマスの定番のご馳走は七面鳥の丸焼きだけれど、ブラジルでは普通の鶏よりも大きな種類で味も良いと言われているチェスターという大きな鶏の丸焼きを作るのが一般的らしい。七面鳥は油気がなくパサパサした感じだけれど、チェスターは七面鳥よりも、そして、普通の鶏よりもおいしいのだそうだ。でも、私はまだ一度も食べたことがない。アメリカで暮らしているときも、日本で暮らしているときも、七面鳥は大きすぎるし、パサパサ感があまり好きではないので、小さな鶏を丸焼きにしていたけれど、ここでも、ふたりだけの食卓にはチェスターは大きすぎるので、やはり、小さな鶏の丸焼きを作ろうと考えている。

東京に住んでいる間、この時期は、我が家で友人や甥っ子たちと一緒に楽しくにぎやかな食事会をしていたけれど、今年はそれがなく、ふたりだけの寂しいクリスマスになりそうだ。

2009年12月21日(月)

幸い天気予報通り、今日もお天気が良く、朝8時からエディたちが来て作業を始めてくれた。でも、今日は掘ってあった穴の掃除などをして、鉄筋を穴に入れるところまでしか進まなかった。コンクリートを流し込む作業は明日するようだ。どうか明日もお天気が続きますように。

ブラジルは今日から暦の上で夏に突入。エドソンの話だと、この時期は本当はまだ雨季ではなく、暑くていいお天気が続くのが普通で、雨季は1月末か2月頃から始まるのだそうだ。だからここ数日続いているいいお天気の状態が、この時期は普通なのだという。でも、今年は乾季の時期から雨が多く、暖かくなってからは、ずっと雨季のように週の大半は雨降り続きだったので、ここ数日続いている晴れの状態がとても珍しく、私はこれがいつまで続くかとヒヤヒヤしている。とにかくエディたちが休暇に入るまではお天気が続いてほしいと願っている。

ここではよくベイジョ・フロー(ハミングバード)が、家の中に迷い込んでくるのだけれど、今日は同じ鳥なのか、違う鳥なのか、3度も続けて迷い込んで来たので、写真を撮った。森がすぐ側に迫っているウィリアムのベッドルームの窓からいつも入ってきて、リビングから台所へと抜けて飛び回り、台所から外に出ようとするのだけれど、台所の窓や扉が閉まっていると、ここで行き詰まってしまう。それでしょうがないので、私が行って扉を開けて、外に出してやらないと、いつまでも台所の窓や扉のところでバタバタやっている。彼らは来た道を引き返すということがどうも苦手のようだ。

2009年12月22日(火)

今日もお天気がもってくれたので、掘ってあった穴に埋め込んだ鉄筋に、コンクリートを流し込む作業が行われ、無事、家の下のガレージ部分の土台ができた。日本のやり方とも、ぺドレイロだったエドソンのお父さんのやり方ともずいぶん違う、かなり荒っぽい、雑な仕事のように思えるけれど、この辺ではこのやり方が普通なのだそうだ。

お昼頃からボトゥカトゥに買い物に行き、クリスマス用の食料品と共に、今日の夕方、エディたちに出してあげるためのチーズと冷えたビールを買って、3時頃家に戻ると、エディたちはすでに土台作りを終えて帰宅してしまった後だった。お天気が協力してくれて、年内に土台作りが可能となったことを喜び、エディたちに感謝の気持ちを伝えたかったのだけれど、何だか肩透かしを食ってしまった感じだ。ということは、明日はもうこれ以上進められる仕事はないわけだから、実質、明日から休暇に入るということなのか・・・

夜、9時頃から雷が鳴り出し、激しい雨が降り始めた。この雨が1日早く、昨日降っていたら、今日、土台にコンクリートを流し込むことはできず、土台造りは年を越してしまっていただろうから、お天道様に感謝!!

2009年12月23日(水)

昨日はボトゥカトゥに買い物に行き、まず日系食料品店のウエノに行くと、そこで偶然買い物に来ていたタケイシさんに出会った。悪天候が続いていたので、家の建設の進み具合を心配してくれていた。ウエノでは白菜、大根、もやし、豆腐、果物などを購入。いつもレジにいる日系の女性は、笑顔と気さくな人柄でとても感じがいい。前回はエドソンが彼女とポルトガル語で話をしただけだったので、知らなかったけれど、今回話していて、彼女は少し日本語が話せることがわかった。両親がそれぞれ10歳くらいのときに移民してきたので、家での両親との会話は日本語らしく、それで少し話せるのだそうだ。エドソンが彼女とポルトガル語で話す一方で、私とは英語で話しているものだから、「この人達は一体どこの国の人?」と、思ったらしく、少し話が弾んだ。

その後、パオン・ジ・アスーカーに行き、ブラジルのクリスマスの定番のお菓子であるパネトーネ(Panettone)や、チェスターなどを購入。パネトーネは普通ドライフルーツを混ぜて焼いたケーキのようなパンのようなお菓子なのだけれど、私たちはドライフルーツではなく、チョコレートの入ったものを、自分たち用と、ここに来て以来お世話になっているマウリシオと彼の家族用、インターネット会社経営のパウロと彼の家族用に3つ買った。東京に住んでいたときも、五反田駅前の南米食料品店では、クリスマスシーズンが近づくと、店内に大量にこのパネトーネの箱が積み上げられていたけれど、日本にはたくさんおいしいケーキがあるので、あえてパネトーネを買って食べたことはなかった。でも、ここには日本のようなおいしくしゃれたケーキなどはないので、郷に入れば、郷に従え。ブラジル流にパネトーネを食べることにした。

そして、クリスマスの夕食用に小さな鶏を買おうと思っていたら、エドソンが「小さい鶏を一羽買うと、ほとんど骨を買うようなものだから、チェスターの胸の部分だけを売っていたら、それを買おう」というので、売り場で係りの人に聞いてみると、いろいろな大きさの冷凍のチェスターの胸肉を販売していた。それらの中に、すでに下ごしらえがしてあって、後はオーブンに入れて焼くだけのお手軽なものがあったので、それを買うことにした。

2009年12月24日(木)

昨日の夕方、家の下のガレージの部分に使うレンガがトラックで運ばれてきた。けれど、そのトラックがうちの敷地の入り口で、またしても立往生をしてしまった。先週、エドソンと私が水抜きや表面の泥をどける作業をして、この月曜日にはエディが市の重機を頼んでくれて、土や砂利を入れて整地してくれたのだけれど、仕事が雑だったからか、トラックが想定より大きかったからか、整地された部分をはみ出して、動けなくなってしまった。それで、マウリシオにトラクターで来てもらい、エディが大きな鎖を市から借りてきてくれ、それをトラクターとトラックに取り付けて、ようやくトラックを引っ張り出すことができた。やれやれ。

何はともあれ、年内に土台が何とかでき、その上レンガが届いたので、年が明けると、休暇明けとともに、レンガを積み上げる作業を開始できるということだ。パパイ・ノエウ(Papai Noel、サンタクロース)に、このすてきなクリスマスプレゼントを感謝。感謝。

今日は朝から曇り空だったけれど、午後2時半過ぎ、クリスマスディナーの準備を始めた頃から、雲行きが怪しくなり、3時前には激しい雷を伴う雨が降り出した。White Christmasならぬ、土砂降りのRainy Christmasになってしまった。でも、エディたちが休暇に入るまでは雨を降らせないでという願いは聞き届けてもらえたのだから、文句は言うまい。

次の写真は、チェスターをオーブンで焼く前の状態と、焼きあがった後の状態。下ごしらえがしてあるものを買ったのだけれど、ニンニクやパセリを刻んだものをちらし、コショウ、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎを加えてオーブンで焼いた。初めて食べたチェスターは、ローストした後も肉がしっとりとしていておいしかった。二人で半分食べてお腹がいっぱいになってしまった。残りの半分はまた明日の夕食にしようと思う。

2009年12月25日(金)

Feliz Natal!(フェリース・ナターウ=Merry Christmas)

今日も曇り空ながら、時々日差しのある穏やかな1日で終始するかと思われたけれど、昨日と同様、3時前頃から空が雨雲に覆われて暗くなり、雨が降り出し、雷が鳴り出した。この状態が約2時間ほど続いてからお天気が回復した。マウリシオと彼の家族は、パーディーニョの町でガールフレンドと暮らしている長男のマーコスのところでクリスマスを過ごすと言って、昼前から出かけて行ったので、今日はエドソンと私と犬たちだけの静かなクリスマスになった。

今日付けで、中国新聞の海外リポートに私の11本目のリポート「交流の先駆け、若宮丸漂流民の数奇な運命(上)」 が掲載された。28日(月)には「交流の先駆け、若宮丸漂流民の数奇な運命(下)」が連載される予定と聞いている。中国新聞海外リポートのサイトは、こちらへ

2009年12月26日(土)

日の入りの時間が少しずつ遅くなってきていたけれど、昨日から日の入りの時間がとうとう午後8時を回った。夕食が終わっても外が明るいので、夏だなあと思う。

今日はウィリアムがここにパーキンソン病のレベル3か4のお父さんを一緒に連れて来るというので、ちょっと心配したのだけれど、思ったよりも要介護の程度が重くなく、ドイツ語、ポルトガル語、英語を話すことができ、聞いていたほど気難しい性格でもないようなので、ほっとした。彼は、普段はパラナ州北部のロンドリーナ(Londrina)に近いホランディア(Rolandia)というところにあるファームでひとり、使用人の人達と暮らしているのだけれど、このシーズン、サンパウロのウィリアムのところに来ていて、この週末ウィリアムがここに来たいと思えば、お父さんの介護をジウダに押し付けて来る訳にもいかず、一緒に連れて来るしかなかったのだろう。でも、普段は介護の人が側で世話をしている車椅子のお父さんを、介護の人なしでどのように世話をするのだろうと心配したのだ。

お昼頃彼らが到着し、ウィリアムが手助けをして車から降りて車椅子に移る様子や、お昼を一緒に食べる様子を見ていて、歩行が自由にならないだけで、気力も聴力も頭もまだはっきりしていて、普通に会話が成立するので安心した。食事を飲み込む際、病気のせいで食道と気管支の切り替えがうまく行かないらしく、気管支の方に食べたものの一部が入ってしまうようで、食事中によく咳き込むことがあるので、それがちょっと大変そう。背中をたたいてあげてもあまり効果がないらしい。彼はお昼を食べた後、少しハンモックに横になった後、ウィリアムがテーブルの上に用意したコンピュータを使い始めたので、写真を撮らせてもらう。80歳という高齢なのに、コンピュータやスカイプを自在に使いこなしている。

昨日は夜9時過ぎにも雨がしばらく降ったため、今日もまたここの道路に入ってくる入り口のところが水浸しになっていて入ってこれなかったので、パーディーニョの町まで行って、逆の方向から来たとウィリアムは言っていた。今日もお昼を食べ始めた頃、短時間ながらザッーと雨が降り、その後も何度も雨が降ったり止んだりと、さんざんな1日になった。毎日1〜2度は必ず激しい雨が降るので、溜まった水が乾く暇がないようだ。

2009年12月27日(日)

昨日は、ウィリアムのお父さんが、ハンモックから下りたいとか、外のベランダから家の中に入りたいとか、トイレに行きたいとか、動こうとする際、ウィリアムはいつものように倉庫の無線室に行ってしまっていて側にいないので、世話をするのは結局、側にいる私がやるしかなく、彼はウィリアムのように太ってはいないものの、身長180センチ以上と背が高くて、体重95キロの体のがっしりした大きな人なので、車椅子を押すにも結構重く、力が要る。でも、お茶目な人柄に加え、とても素敵な笑顔で「Thank you.」と言われると、お世話も苦にならないから不思議だ。それでも、さすがに昨日の夜、お父さんがシャワーを浴びる際の介助だけは、ウィリアムがやって、その後はまた、お父さんを置いて無線室に行ってしまったので、テレビでノヴェラを一緒に見た後、寝室に行く介助はエドソンがしてくれた。

今日は、パーディーニョに住むお父さんの従兄弟が来るので、お昼はシュハスコにするとウィリアムが言うので、例によって、ドナ クレウザと私はおかずの用意をする。シュハスコのかまどを用意して肉を焼くのは、いつもはマウリシオにまかせきりだけれど、今日はウィリアムが自らやっていた。食事の後も従兄弟の人を挟んで長い間おしゃべりをし、その人が帰って行った後も、お父さんをトラクターに乗せて、下のアテモイアの果樹園を見せに行ったりと、今日はほぼつきっきりでお父さんの面倒を見ている。

次の写真は、昨日の夕食の際に撮ったもの。ドナ クレウザ手作りのできたてのパン(今回はイタリアンブレッドではなくPao de Agua)と紅茶というのが、ウィリアムがここに来ている週末の夕食の定番。でも、今日の夕飯はお父さんのためにと、ウィリアムからの特別注文で、ドナ クレウザがおいしい洋風鶏雑炊のようなものを作ってくれた。ブラジルにも雑炊のようなものがあるんだ・・・どうりで、エドソンはあまり違和感なく私の作る雑炊やお正月の七草粥を、おいしいと言って食べてくれるんだ、と納得。ただ、もともとオリーブオイルでご飯を炊いているドナ クレウザの雑炊に、さらにオリーブオイルをかけて食べるのはまあいいとして、油気のない私の雑炊や七草粥にもエドソンはオリーブオイルをかけてたべるので、それはちょっとどうかなあ?と思う。

2009年12月28日(月)

昨日は昼間はまずますのお天気で、夕方大きな雨雲が通り過ぎたので、強い雨がしばらく降ったり止んだりしたけれど、今日は朝から雨。ウィリアムと彼のお父さんはこの雨の中、9時半頃サンパウロに帰って行った。今日は昨日とは違い、雨が降ったり止んだりと、お天道様が顔を出さない風の強い暗い1日となった。

今日付けで、中国新聞の海外リポートに私の12本目のリポート「交流の先駆け、若宮丸漂流民の数奇な運命(下)」 が掲載された。今日付けではイタリアからのリポートも併載されている。中国新聞海外リポートのサイトは、こちらへ

2009年12月29日(火)

今日午前中は霧に包まれて、雨が降ったりしたけれど、お昼前から少しお天気が回復したので、パーディーニョに買い物に出かける。今晩はインターネット会社経営のパウロと彼の家族を夕食に招待しているので、その食材その他の買い物と、郵便局での受領郵便のチェック、エドソンの散髪など、いろいろとやることがある。

夕食の約束は6時だったのだけれど、インターネット回線のトラブルか何かで、パウロがよその町に仕事に出てしまっていて、その仕事がなかなか終わらず、時間を7時20分頃に延ばすことになる。そして、7時40分頃ようやくここに到着。次の写真は左から、エドソン、パウロ、奥さんのジャナイーナとアナ・パウラ、そして、イザベウ。アナ・パウラは1歳1ヶ月で、やっと伝い歩きができるようになったばかりで、8歳のお姉ちゃんのイザベウがよく面倒をみている。イザベウはとても少食および偏食で、野菜が嫌いらしく、ごはんと豚のローストを少し食べただけで、アルメイラオンのソテーも、ポテトサラダにさえ見向きもしなかった。でも、デザートのチョコレートをかけたニンジンケーキは、おかわりをして食べるほど、甘いものが大好きなようだ。彼女はパーディーニョ・ロータリークラブの例会に必ず来ていて、マスコットのような存在。

2009年12月30日(水)

私が書いている海外リポートがきっかけとなって知り合ったイビウーナの中村さんご夫妻のお招きで、今日から元旦までの年末年始をご夫妻のお宅で過ごすことになった。昨晩、パウロたちが帰る頃から降り始めた雨が、夜中もザーザーと激しく降り続いたので、このまま今日も雨だと困るなあと思っていたら、朝には雨が止み、カステロブランコに下りる舗装道路への出口のところも左右に水が溜まってはいるものの、真ん中は水がなく、何とか通ることができた。午前中は荷造りや、部屋の片付けなどをして、お昼頃出発する。

高速道路のカステロブランコに下りて行く舗装道路は、途中で1箇所ひどい地すべりを起こして陥没しているので、前から片側は通行できなくなっていたけれど、今日そこを通ると、さらに陥没が広がっていた。そして、サンパウロ方面に向け、カステロブランコにつながるアクセス道路の下り口も、上り口も両方ともがけ崩れを起こしており、通行止めになっていた。仕方がないので、サンパウロとは反対方向に向けてカステロブランコを少し走り、次の出口で下りてぐるっと回ってサンパウロ方面行きの道路に乗る。途中、いつものように、ホドサーブでアルコール燃料を満タンにして、車を洗ってもらい出発する。

中村さんご夫妻は、イビウーナのサンパウロ寄りの町外れに住んでおられるので、途中からイビウーナの中心に住んでおられる香山さんの所に行く道とは、違う道を行かなければならない。でも、メールで前もって地図を送ってくださっていたので、問題なくお宅にたどり着くことができた。中村さんご夫妻とは初めてお会いしたのだが、とても気さくで暖かい人柄のご夫婦で、フィカ・ボンタージ(Fica vontage.、お楽にしてください。Make yourself at home.)と言われるまでもなく、お宅はとても居心地が良く、ご主人は日本語とポルトガル語だけでなく、英語もお話になるので、話が弾んだ。

2009年12月31日(木)

朝は毎朝ふたりで、コーヒーを片手に、庭の草花や木々や、菜園の野菜の状態を見ながら、庭をぐるっと一周することにしているということなので、今朝は私たちもご一緒して、広いお庭に植わっている様ざまな植物を見て歩く。お庭には、とても大きな枝垂桜が4〜5本植わっていて、満開の時期になると、外を通る人達が車を止めてしばし眺めて行くほど美しく花を咲かせるそうだ。ペトロポリスにあったのはピンクの色の濃い緋寒桜だったけれど、ここの桜はソメイヨシノに近い、ピンクの薄いヒマラヤ桜だということだった。満開の時にはぜひ見てみたいと思う。そして、カキツバタが楚々とした花を咲かせていた。昨日までつぼみだったのが、今朝咲いたのだそうだ。

次の写真の何かの尻尾のように見えるものは、百年に1度しか咲かないCentury Plant(百年樹)という花だそうで、それが今年の4月に咲き始め、この尻尾のような長く垂れ下がった部分全体にびっしりと白い花を咲かせたのだそうだ。私たちが行ったときはもう花は終わっていて、咲き終わったら枯死するという最終段階を迎えていた。花が咲いているところを見られなくて残念。そのかわりに花が満開の時に撮ったという写真を後で見せていただいた。

このお庭の散歩の後、家に戻って、朝食をいただく。奥さんの澄子さんが育てている畑の野菜も入った作りたての果物ジュースや、サンドウィッチなどをおいしくいただく。

朝食の後、テレビの衛星放送で紅白歌合戦をリアルタイムで見る。テレビを見ながらも中村さんとのおしゃべりは尽きない。午後は年越し蕎麦を持って、みんなで香山さんの所にお邪魔することになっているため、澄子さんはその準備で忙しい。台所で年越し蕎麦の用意をしながら、好きな歌手の歌声が聞こえると、ときどき台所から顔を出してテレビを見ている。次の写真は、台所で重箱に蕎麦をきれいに丸めながら詰めている澄子さん。

香山さんはいつもだいたい1時半か2時頃お昼を食べるそうなので、1時を少し回った頃、お宅に伺う。私は香山さんとはこの8月に知り合ったばかりだけれど、初めてお会いしたのは11月。まだとても短いお付き合いだ。でも、中村さんと香山さんは10数年来の長いお付き合いだそうだ。

香山さんと一緒に暮らしている長女のちえ子さんは日本に旅行中なので、ご近所に住む次女ののぶ子さんが煮しめやなますやエビのてんぷらなどを作ってもてなしてくださった。

あまり長時間お邪魔すると、香山さんの体に負担になるといけないので、4時頃には失礼する。夜は、すぐ近くにあるヤクルトアカデミーの佐藤先生とご家族が来られるから、それまではゆっくり休んでくださいということで、7時頃まで部屋に下がって過ごす。でもこの間も澄子さんは台所で忙しく立ち働いている様子。7時過ぎに佐藤さん一家が来られ、佐藤さんの奥さんが持ってこられたお料理も加わり、おいしそうなお料理がたくさんテーブルの上に並ぶ。次の写真は左から中村さん、エドソン、佐藤さんの長男のエスタヴァン(Estavao)。佐藤さんには三人の息子さんがいるのだが、次男さんは日本の実業団で野球をやっていて、三男さんは日本の大学生ということだった。家族全員が(もちろん奥さんは別だが)野球をやっているという野球一家だ。

佐藤さんは戦後移民の方で、3歳のとき、まず両親に連れられてボリビアへ移住し、数年後再度ブラジルに移住して来られたそうで、まともに学校に行けなかったため、おそらく香山さんのように独学で勉強して中学卒業資格試験や高校卒業資格試験などをクリアして、36歳でブラジルの大学に入って勉強したというすごい経歴の持ち主だった。日本語、ポルトガル語、スペイン語を話されるという。そして、中村さんの話だと、彼の日本語の読み書き能力は非常に高く、とても立派な日本語を書かれるということだった。ヤクルトアカデミーでは13歳から18歳までの日系、非日系を問わず、試験に合格して入ってきたブラジル人の子どもたち30人ほどに野球を教えていると言うことだった。このアカデミーから育って、日本で野球をしている若い人も何人かいるそうだ。

次の写真の絵本は、中村さんのアメリカ在住の次女の方が子ども時代に描いた絵に、ご本人が日本語と英語でストーリーを書いて、ポルトガル語訳も加えて作った、できたてほやほやの絵本。帰国子女として日本に帰ってから経験した辛い体験を、周りの人たちに挨拶をすることで乗り越えたというお話で、日本にいる、または日本から帰ってきた日系ブラジル人の子どもたちや、同じような体験をしているであろう多くの子どもたちを励ますために、出版することになったらしい。幼い頃にご本人が描いたという絵がとてもいい。現在アメリカでアーティストとして暮らしているそうだが、子ども時代からすでにその素質の片鱗が感じられる。

次の写真は、12月30日付けの新聞、フォーリャ・ジ・サンパウロ(Folha de Sao Paulo)の表紙。新聞名の下の写真は、今年の重大ニュースを示すもので、左から、アメリカのオバマ大統領就任、ホンジュラスのブラジル大使館に逃げ込んだゼラヤ大統領、サッカーのロナウド(でも何故彼が選ばれているのかは疑問。ウィリアムやエドソンに聞いてもわからなかった)、突然亡くなったマイケルジャクソン、新型インフルエンザ(何故かマスクをした日本人の女の子の写真)、今年世界的な注目を浴びて、フランスでは2009年の最重要人物にも選ばれたルラ大統領。

理学療法士というか、スポーツドクターというか、スポーツ選手の故障を治療する資格をもっていて、日本で数年暮らしてブラジルに戻り、現在、新しいビジネスを立ち上げるために奔走しているというエスタヴァンと、話に夢中になっているエドソン。

お昼に香山さんのところで年越し蕎麦を食べたのだけれど、夜も澄子さんが少量作ってくださり、二度目の年越し蕎麦をいただく。12時近くなってから、4.5キロも続く海岸線が人で埋まるリオのコパカバーナ海岸の年越し風景の生中継をテレビで見ながら、シャンペンをあける準備をし、12時ちょうどに海に浮かぶ10数隻のいかだから、大量に打ち上げられる花火の中継を見ながら、みんなでフェリース・アノ・ノヴォ(Feliz Ano Novo、新年おめでとう、A Happy New Year)と乾杯をする。



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