Kyoko Yoshida                                        
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2009年8月1日(土)

昨日、ドナ クレウザ(Dona Cleusa)が朝食用にと持ってきてくれた、アテモイア(Atemoia)も加えた朝ご飯を済ませて、家事と洗濯を終えた頃、ウィリアム(William)とジウダ(Gilda)がサンパウロから到着。車から荷物を降ろしたり、片付け物をしたりした後、12時過ぎにこのファームのお隣のドナ ベティ(Dona Betty)の家での昼食会に、彼らと一緒に出かける。ただ、お隣といっても、車で5分はかかるので、ウィリアムの車に一緒に乗せて行ってもらう。

この昼食会は、私たちのパーディーニョ(Pardinho)到着とはまったく関係なく計画されていたのに、おそらくウィリアムが招待された際、私たちがパーディーニョに引っ越して来るので、一緒に招待してくれないかとドナ ベティに頼んだのだろうと思われる。それなのに、まるで私たちの歓迎会であるかのように、ドナ ベティの家の入り口には、「パーディーニョへようこそ」というエドソンと私を歓迎する手作りのメッセージがかかっていて、ドナ ベティがとても暖かく迎えてくれ、とてもうれしく思う。

この昼食会には、ドナ ベティの知り合いの医師、弁護士、大学教授、建築家と、様ざまな人たち約14人ほどが招待されていて、パーディーニョ市長も食事が始まるまでの1時間くらい、顔を出していた。半数はサンパウロに住んでいる人たちだったけれど、ウィリアムの他にもう一人、パーディーニョでファームをしている人がいた。大学教授の人は、ここから30分ほどのところにあるお隣の町、ボトゥカトゥ(Botucatu)にある大学の森林工学の先生だった。弁護士の人は、20年ほど前、日本航空かどこかの日本企業の招待プログラムで、ブラジルから選抜された2人のうちの1人に選ばれて、上智大学の夏期留学プログラムに行ったことがあるという人で、広島にも行ったということだった。この人たちと知り合うことで、即、エドソンの仕事が見つかったりする訳ではないけれど、ここでの生活を始めるにあたり、ウィリアム以外に親しい知り合いのいない私たちにとって、いろいろな人たちと知り合うことはとても有意義なことなので、ウィリアムとドナ ベティには心から感謝だ。

昼食前の1時間くらい、ドナ ベティの家のベランダで、飲み物とおつまみをいただきながら、招待されている人たちそれぞれとゆっくり、いろいろ話をしてから、別棟の大きな食堂に移動して、お昼をいただく。

次の写真の右側の女性が、ドナ ベティ。とても70代には見えない若々しい人で、大の日本びいきなので、私のことも日本人だというだけで無条件で親切にしてくれているように思う。彼女は平日はサンパウロ市で暮らしていて、金曜日から日曜日までをこのバンブーファームに来て暮らしているようだ。

ここパーディーニョはサンパウロから車で2時間かかるので、新鮮な魚は手に入りにくいと聞いていたけれど、ドナ ベティの昼食会で出された食事は、ブラジルでは珍しくお肉料理は皆無で、マッシュルームのラビオリ、サーモンと大豆をトマトで煮込んだような料理、イワシとカツオのクスクスなど、ヘルシー嗜好の高いものばかりだった。そして、食後のデザートもドナ ベティが考案したという、タケノコとココナツが入ったケーキで、砂糖の代わりにステビアを使うという凝りようだ。どれも少し変わった、でもおいしい食事だった。日本人の感覚では、デザートにタケノコを使うなんて、思いもよらないことだけれど、さすがバンブーファームのオーナーだ。

人口約5000人というこの小さな田舎町で、こんなに様ざまな人たちに会えるなんて、とてもおもしろい。ここは小さい町だからこそ、いろいろな人と知り合うことができるのだと思う。これまでのパーディーニョ訪問での経験から、こういう面があることなども考慮した上で、ここに住むことにしたのだけれど、間違いではなかったように思う。食事の後は、ブラジルの食後の定番、カフェズィーニョ(Cafezinho、エスプレッソコーヒー)を庭でいただく。その後、私たちは次の予定があったので、他の皆さんよりも先に失礼したのだけれど、それでもドナ ベティの家を出たときは、すでに4時を過ぎていた。

2009年8月2日(日)

一昨日、私たちが到着した頃は、すでに薄日が差していたけれど、それまでの1週間余りは、雨が降り続いていたそうで、この辺りでは66年振りとなる記録的な雨降りだったらしい。この乾期の季節に不相応な、異常な雨量はリオだけでなく、サンパウロの方がひどかったようだ。でも、昨日は、午前中は霧が出ていたものの、お昼頃からはお天気が回復し、日差しが出てきたので、暖かくなった。今日も晴れ時々曇りのいいお天気だ。

今朝は、ゆっくりと起きて、4人で朝食をいただき、これからのことについて、いろいろと話をする。ウィリアムは私たちがパーディーニョに来て暮らすことにしたのを、とても喜んで歓迎してくれているので、私たちもとてもうれしい。ジウダも、この家はあなたたちの家同然なのだから、ここにあるものは何でも自由に使ってと言ってくれる。ウィリアムとエドソンは、アマチュア無線の全国大会をパーディーニョに持って来たいなど、いろいろ一緒にやりたいことがあるようで、話は尽きない。その後、ファームの散歩に行き、戻ったところに、ウィリアムのアマチュア無線仲間の人が奥さんと一緒にやって来た。この人は大きなロバ農家を経営しているのだそうだ。牛でも馬でもなく、ロバというところが珍しい。奥さんはパーディーニョで薬局をやっているということなので、奥さんの方にはこれからいろいろとお世話になる機会も多いだろうと思う。

この夫婦は何の前触れもなく、突然やって来たのだけれど、ウィリアムによると、これがサンパウロ州のこの辺りの田舎町の流儀なのだそうだ。アメリカだと必ず前もって電話をして訪問先の相手の都合を確認した上で訪ねて行かないと失礼になるけれど、ここでは好意を持っている相手に対しては、通りがかりなどに、ちょっと立ち寄って「元気にしてる?」と、顔を出すのが普通なのだそうだ。この辺りではこうやって不意にやって来て、親愛の情を示すことがむしろ正しいエチケットなのだとウィリアムが説明してくれた。これがパウリスタは暖かいといわれる所以なのかもしれない。彼らはしばらくアマチュア無線のことなどを楽しそうに話してから、帰って行った。

お昼は、ここから高速道路のカステロブランコまで下りて行ったすぐのところにあるレストランに出かけて行き、この店で一番人気の魚料理を食べる。高速道路上にあるということもあって、この人口密度の低い田舎町にあるにもかかわらず、ここはいつもとても多くのお客さんで混雑している人気の店だ。私たちも席に案内されるまで20分程順番を待った。

昨日は、ドナ ベティの家までウィリアムの車を使ったので、今日は私たちの車の乗り心地を確かめたいらしく、ウィリアムが私たちの車を運転して出かけることになった。レストランでは、帰りのことは特に何も考えずに、みんなで一緒にビールを飲んだ。「帰りはキョウコが運転する番」とウィリアムに言われ、「ええ?、飲酒運転になる」と、言ってみたものの、ウィリアムもエドソンもジウダもみんな飲んでいるのだから、誰が運転しても飲酒運転になるので、仕方なくご指名にあずかった私が運転をしてファームに戻る。ウィリアムはドイツ人のきっちりした性格をかなり持ち合わせている人だけれど、こういったことは結構、ブラジル流でおおらかだ。これからはちょっと気をつけなくては、と少し反省。ファームに戻った後、ウィリアムとジウダと愛犬カピトゥ(Capitu)は、荷物を車に積んで、サンパウロに帰って行った。

2009年8月3日(月)

今日は天気予報では雨の予報だったのに、南西の空には青空が見える。午前中少しシャワーが降ったけれど、結局、太陽が顔を出し、午後からは日差しの暖かないいお天気になった。

午後、ここから一番近い大きな町、ボトゥカトゥに行ってみる。ボトゥカトゥはパーディーニョの隣町なのだけれど、このファームからボトゥカトゥの中心部までは車で30分ほどかかる。人口約12万人くらいの中規模都市で、以前も書いたけれど、大きな州立大学の医学部とその付属病院、そして、広大な農学部のキャンパスがある。ボトゥカトゥというのは、インディオの言葉でgood air、つまり、いい空気を意味するのだそうだ。標高は800メートルほどで、1000メートルのパーディーニョよりも少し低いところにある。この辺一帯はサンパウロ市とは違い、大気汚染とは無関係な自然環境の中にあるので、ボトゥカトゥに限らず、どこもみなgood airだと思う。

ボトゥカトゥではどこに何があるのかわからないまま、車で走ってみたのだけれど、以前、マウリシオに連れて行ってもらった大きなスーパーマーケット、パオン ジ アスーカー(Pao de Acucar)を見つけることができ、そこを隅から隅まで見て歩く。まるで、日本かアメリカの大きなスーパーのような品揃えの豊富さに感激する。値段はずいぶん高かったけれど、鮮魚売り場もちゃんとあり、値段を気にしなければという条件付きながら、ここでも一応、魚を食べることが可能だということがわかり、うれしくなる。そして、さらに帰り道では、ドナ マリナ(Dona Marina)の日本食料品店も偶然見つけることができたので、今度来るときはここで豆腐を買おうと思う。

2009年8月4日(火)

今日も午前中は霧が出ていたけれど、お昼前から霧が晴れ、いいお天気になった。この家は小さいけれど、窓が大きく、家の中が明るいので、とても気持ちがいい。

パーディーニョの中心部はどうか知らないけれど、周辺のファームが点在している地域には水道が来ていないので、みなそれぞれのファームで井戸を掘って、井戸水を使っている。このウィリアムのファームも例外ではなく、地下水を電力ポンプで汲み上げて使っている。パラカンビのファームの井戸水は鉄分が多く、濾過しないと味が良くなかったけれど、ここの水はとても上質なミネラルウォーターなので、水道の水よりもずっとおいしい。西隣のファームに湧き水の水源があって、ウィリアムのファームとの境界のあたりで、川になって流れ出し、その川がそれぞれの所有地の境界線になっているらしいのだけれど、この台地の地下にはとても豊富な水があるのだそうだ。

次の写真は、西隣のファームの家。このファームではコーヒーを栽培している。

次の写真は、家が木に囲まれていて良く見えないけれど、東隣のドナ ベティのバンブーファームの家。

午後からは、マウリシオと一緒にボトゥカトゥに行き、銀行や数軒のお店の場所を教えてもらう。

2009年8月5日(水)

お昼前にパーディーニョの郵便局に行って、私書箱を開設しようと思ったのだけれど、窓口は一つしかなく、10人足らずの行列ができていて、全然進まないので、先にボトゥカトゥに行って、他の用事を済ませることにする。

ボトゥカトゥの銀行の前にある駐車場のようなところに車を止められると、マウリシオは言っていたけれど、そこはタクシー専用の駐車場で、一般の車は止められないことがわかり、仕方なくどこか近くの路上に止めるか、駐車場を探すことにする。しばらく行ったところで、路上駐車できるスポットがあったので、そこに止める。係りの人に1レアルの駐車代を払って、レシートのようなものをもらったのだけれど、それを車の中に置いておくようにとは言われなかったので、システムがよくわからず、一緒に持って用事を済ませて1時間くらいして戻ってきたら、駐車違反の切符を切られており、がっかり。係りの人が一言、これは車の中の見えるところに置いておくようにと言ってくれれば、駐車違反の切符を切られなくても済んだのにと思う。まあ、システムがわからないこちらがちゃんと確認すべきだったのかもしれないけれど、いいレッスンになった。次回から気をつけよう。

帰路、ドナ マリナの店に寄ってみると、だいたい午前中で売切れてしまうはずの豆腐がまだ2つ残っていたので、その内のひとつを買って帰る。このファームからほんの30分のところにある店で、豆腐を買うことができるなんて、とてもありがたい。感謝。感謝。

2009年8月6日(木)

今日は朝からいいお天気だけれど、風がとても強い。このファームは台地の上にあるので、風の強い日が多いけれど、今日はお昼を過ぎても吹き続けている。でも、戸外の気温は高いので、暖かい風が吹いている。今日はとても暖かい1日だった。

朝食の後、ご近所を少し散歩する。パーディーニョの主な産業は酪農と畜産なので、どこに行っても、のんびりと牛たちが草を食んでいるのに出会う。このファームの周りの農道には、よく牛たちが集団で立ち止まっていたりするので、車で通る際は、ゆっくり走りながら、時々警笛を鳴らして牛たちにどいてもらわないといけないこともある。

散歩から戻ってから、倉庫にある引越し荷物の中から炊飯器の入っている箱を探し出して、炊飯器だけを取り出して家に持って帰る。これまでずっと鍋でご飯を炊いていたのだけれど、ブラジルのガスレンジは火加減の調節が難しく、鍋もホウロウ鍋ではないため、よく焦がしたり、どうしてもご飯が鍋の底にこびりついてしまっていたのだけれど、これで今日からお米を無駄にすることなく、おいしくいただける。

昨日、ボトゥカトゥから戻って、再度パーディーニョの郵便局に行くと、相変わらずの行列で、窓口の対応は遅く、気が遠くなるほどひとりひとりに時間がかかっている。結局、現在、私書箱の空きはないということだったので、ファームに戻り、マウリシオに相談してみる。ここの郵便局は、いちいちファームまで郵便を配達してくれないので、週に1度、マウリシオが郵便局までこのファーム宛に来ている郵便を取りに行くらしく、私たちもこのファームの住所を使えばいいということになった。配達はしてくれないけれど、書留や小包などが届けば、郵便局から電話連絡があるのだそうだ。

2009年8月7日(金)

今日は朝から風もなく、晴天の穏やかないいお天気だ。タンスの中の衣類をすべて出して陰干しにし、家事を済ませてから、ファームの散歩に出かける。

午後から、ドナ クレウザが週末用のパンを焼いてくれるというので、私も見学がてら一緒にパン作りの作業をする。イタリアンブレッドやミルクブレッドなど、レパートリーがいろいろある中、一番時間がかからず、簡単なソルトブレッドを作ってもらうことにした。一応、材料に関してはレシピを参考にしているようなのだけれど、分量に関しては、計量カップなど使わず、すべて目分量でやってしまうところがすごいと思う。とても手馴れた様子で、2度ほど種を寝かせるための待ち時間が30分ずつあったけれど、比較的短時間でおいしそうなパンが焼きあがった。

2009年8月8日(土)

明日の日曜日は、ブラジルでは「父の日(Dia dos Pais)」なので、ウィリアムはサンパウロで子どもたちに父の日を祝ってもらうらしく、この週末はパーディーニョには来ず、サンパウロに留まることになった。ブラジルでも「母の日」は日本やアメリカと同様、5月の第二日曜日なのに、「父の日」は6月の第三日曜日ではなく、何故か8月の第二日曜日なのだそうだ。

ウィリアムたちが来ないのであれば、昨日、週末用にとドナ クレウザに焼いてもらったパンをエドソンとふたりだけでは食べきれないので、彼女たちにも食べてもらうことにする。

次の写真は、私たちが居候をさせてもらっているウィリアムのファームの家。

2009年8月9日(日)

ウィリアムの果樹園ファームは、ブラジルの標準から言うと、とても小さなファームなのだけれど、それでも、何も育てていない空き地の部分もたっぷりあるので、このファームの端っこの部分の小さな区画を譲ってもらい、ここに私たちの家を建てることにした。日本ではどんなに逆立ちして頑張っても、私たちには自分の家を建てたりすることはとてもできないけれど、土地や建築費用が日本とは比較にならないほど安いブラジルでは、贅沢をしなければ可能なので、せっかくブラジルに帰ってきたのだから、終の棲家を作ることにした。

先週末、ぺドレイロ(Pedreiro、石を扱う人という意味、つまり、建設業者のこと)のエディ(Edy)という人と会って話をした。ブラジルの普通の家は木造ではなく、レンガ作りなので、家を建てる人は大工さんではなく、ぺドレイロと呼ばれる。エディはこのパーディーニョの人で、ウィリアムや、ドナ ベティの昼食会で知り合ったもうひとりの農家の人が、正直で信頼できると推薦する人で、先週末同様、今日も約束通りファームに来てくれ、先週末話した私たちの希望を検討した結果を、専門家としていろいろ回答、助言してくれた。

2009年8月10日(月)

パーディーニョに来てからの2〜3日は、朝晩寒かったけれど、いいお天気が毎日続いているうちにだんだん暖かくなってきていたのに、今日はお天気は悪くはないものの、朝から気温が低く、ちょっと寒い。ドナ クレウザも昨日まではスカートに半そでシャツという夏の格好だったけれど、今日はズボンにフリースのジャンパーを着て、寒い、寒いと言っている。結局、昼の最高気温は18度止まりだった。28〜9度まで上がっていた昨日までとは大違いだ。

昨日は暖かかったので、1日中シャワールームの窓を開け放していたため、夜になって、シャワーを浴びようと中に入ると、驚くほど大きな蛾が入って来ていて、シャンプーラックにとまっていた。今朝もまだシャンプーラックにとまったまま動かないので写真を撮った。この時期、ここには蚊はいないようだけれど、この数日暖かかったせいか、夜になると家の内外に大小様ざまな蛾や虫が飛び交うようになった。でも、こんなに大きな蛾を見たのは初めてだ。

2009年8月11日(火)

昨日の夜からずいぶん寒くなってきたと思っていたら、今朝の気温は9度で、昨日の朝よりもさらに気温が下がっている。やはり、季節はまだ冬ということなのだろう。夜になると家の内外で飛び交っていた虫たちも、今晩はどこかに姿を消してしまっている。

このファームの大きな犬たち4匹は、いつもマウリシオの仕事に同行して、下の果樹園に行ったり、彼が倉庫の中で仕事をしていると、倉庫の前で彼が出てくるのをじっと待っていたりと、常に彼の側にいるけれど、彼が仕事を終えて家に帰ってしまうと、1日の仕事が終わったのがわかるらしく、マウリシオの家のベランダなど、みなそれぞれ好きな場所に行って寝るようだ。そのうちのカーラ(Carla)という黒い犬は、この家の玄関先の足拭きマットの上を寝床と決めているようで、1日の仕事が終わると、この所定の位置にやって来る。

小型犬のダックスフントたちは、この家に住んでいる人間は誰であれ、彼らの飼い主(または、友だち)だと思っているらしく、マウリシオにはついて行かないのに、私たちがこのファーム内をうろうろ散歩したりすると、必ず私たちについてくる。でも、基本的にはこの家の周りからは余り離れない。そして、彼らにはちゃんと彼ら用の犬小屋がこの家の裏にあって、夕暮れ時に、彼らの名前を呼ぶと、どこにいてもみんなちゃんと戻って来て、おとなしく犬小屋に入ってくれる。驚くほどよく言うことを聞いてくれるので、世話がとても楽で助かる。時には、こちらが彼らを呼ぶ前に、すでに自分たちで犬小屋に戻っていることもあるくらいだ。

2009年8月12日(水)

今朝の気温も昨日とあまり変わらず10度だったけれど、雲ひとつない晴天で、お昼前頃から、だんだん暖かくなってきた。

エドソンは、朝から倉庫の中にあるワークショップに1日こもって、壊れたウィリアムのアンテナアンプリファイアーやSDRゼロの修理に忙しい。

お昼休みには昼食を終えたマウリシオとマテウスが覗きに来た。マウリシオもアマチュア無線を少しやるので、興味があるようだ。

2009年8月13日(木)

今日は朝から、このファームの果樹園内の道路を補修するために、トラクターやトラックが何度も家の前を行ったり来たりするので、その度に洗濯物にホコリがかからないようにと戸外の物干しからベランダに移動させたり、ダックスフントたちがトラックにひかれたりしないように犬小屋に入れたり出したりと、忙しい。

マテウスはこういうトラクターやトラックといった乗り物が大好きなようで、今日は午後からずっとこの家に入り浸りで、それらが通る度に、家の前のベランダに出て行き、ベンチに座って、眺めている。

中国新聞の編集の都合で、ペトロポリスのリポートよりも前に送ってあったパラカンビに関するリポートが、原稿送付から7週間経って、ようやく、「繊維工場の町、危機乗り越え「知の町」に 」と題して、8月14日付けで中国新聞に掲載された。中国新聞海外リポートのサイトは、こちらへ

2009年8月14日(金)

マウリシオが運転するトラクターのわだちで、かなりデコボコになっていた果樹園の道路が、今朝、マテウスと一緒に見に行ってみると、昨日の工事で平らに補修されていた。次の写真は下の果樹園へと続く補修された道路。

マテウスが僕の写真も撮ってと言うので、彼の満面の笑顔の写真を撮る。

2009年8月15日(土)

ぺドレイロのエディーが紹介してくれた土木エンジニアの人が、今朝8時半に来て、これから建てる家の相談に乗ってくれた。これまでのところ、ここの人たちは約束どおりに来てくれており、予定変更がある場合は、当然のことながら電話をくれるので、とても助かっている。パラカンビでは、こういう基本的なことがなくて振り回されていたけれど、ここでは、そういうストレスはあまりなさそうなので、ほっとする。

このエンジニアの人と2時間あまり話し合って、その話が終わる頃に、ウィリアムがひとりでバイクに乗ってやってきた。ジウダが一緒に来ない時は、高速の料金を払う必要のないバイクで、経費節約をしているのだそうだ。サンパウロからここまでには数箇所に料金所があるのだけれど、それを往復払うとなると結構な金額になるので、こういう節約は必要なのかもしれない。

これまで週末は、ドナ クレウザがウィリアムたちの食事の世話をしていたのだけれど、私たちはここに居候させてもらっているので、食材の買出しや何を作るかは私が考えて、ドナ クレウザに手伝ってもらう形で、一緒にすることにした。彼女にはパンやデザート、その他、時々ブラジル料理などを担当してもらい、主にメインの料理は私が担当して作ることにした。でも、エドソンとふたりだけの時と違い、ウィリアムは食べることが好きで、よく食べるので、量を多めに作らなくてはいけない。それに彼がいると、お昼の仕度、おやつの仕度、夕食の仕度と、1日中台所にいるような感じだ。ドナ クレウザが手伝ってくれるのでとても助かる。

次の写真は、ドナ クレウザが作ってくれたイタリアンブレッド。外側はカリカリ、中はもっちりしていて、とてもおいしい。このパンは種を一晩寝かせるので、昨日から準備して、できるまでにずいぶん時間がかかった。彼女はこのイタリアンブレッドを16本も作ったので驚いたけれど、おそらく、半分以上はウィリアムがサンパウロに持って帰るのだろう。

2009年8月16日(日)

ウィリアムは日曜日だからといって、遅くまで寝ていたりはしない。朝7時には起きて、ドナ クレウザに朝食の用意を頼んで、倉庫の無線室に行ってしまった。ドナ クレウザとふたりで朝食の準備をして、エドソンも起きてシャワーを浴び始めたので、彼女にウィリアムを呼びに行ってもらう。ウィリアムは医者に体重を落とすように言われているので、最近、食べる量を減らしているとは言うものの、それでも食べることが大好きなので、私たちよりもずっと食べる量が多い。普段あまり量をたくさん食べないエドソンも、彼が側でモリモリとおいしそうに食べるので、つられて食べている。

昨日も今日もふたりは倉庫の無線室にこもって、何かしている。昼食に戻って来て、今日の実験がすべて成功したとうれしそうに話してくれる。どんな実験をしたのか聞くと、月に無線シグナルを送り、それを月に反射させ、ヨーロッパのアマチュア無線の人がそれを受信し、彼らが送ったシグナルを受信したというシグナルをその人から月経由で送り返してもらう、というものなのだそうだ。何だか良くわからないけれど、無線シグナルを月に反射させるのは、技術的になかなか難しいことらしい。

昼食後に、またしばらく無線室にこもった後で、ウィリアムはサンパウロに帰る準備を始めた。パーディーニョにある生産者直売店の牛乳やバターは品質がいいらしく、彼はここに来るたびに牛乳をまとめて買って帰るので、荷物を積むスペースのあまりないバイクに、マウリシオに買ってきてもらった牛乳や、ドナ クレウザの作ったパンを積み込むのに一苦労。車で来たときには、ここの水もポリ容器に入れて持って帰るのだけれど、今日はバイクなので、さすがにそれはできない。

2009年8月17日(月)

今日はとても風の強い1日だった。明後日の水曜日から土曜日まで雨が続くという予報だけれど、午後から雲が出てきて、何だか今晩あたりからすでに雨が降り出しそうな空模様になってきた。

午後、パーディーニョの町に買い物に行く。この町には小さなマーケットが2つあるのだけれど、私たちは、ジウダやマウリシオが行きつけにしている店に行くことにしている。ここは家族経営の小さな店だけれど、肉や野菜といった食料品から日用雑貨まで、必要なものはだいたい揃っている。そして、いつ行ってもご主人と奥さんと息子の3人が一緒に働いていて、他にも精肉売り場の担当の人や、アルバイトの若いお兄さんなどもいて、みなとても親切にしてくれる。そしてご主人が、「何か必要なものがあればいつでも取り寄せてあげるよ」とも言ってくれる。次の写真はレジを担当していた息子さんと、品物を持って帰りやすいように、空き箱に詰めてくれたご主人。支払いを済ませた後、写真を撮らせてもらってもいいか聞くと、「いいよ、いいよ」と気さくにポーズをとってくれた。

2009年8月18日(火)

昨晩少し雨が降ったようで、今朝は草や地面が濡れていた。空は雲に覆われて、今にも雨が降り出しそうだったけれど、朝のうちは少し太陽が顔を出したりして、昼前から雨が降ったり止んだりのお天気になった。

パラカンビのファームでは、バナナだけでなく、オレンジ、ライム、アセロラ、ポンカン、パッションフルーツ、アボカド、そして他にも私の知らない果物の木がいろいろあり、ずいぶんお世話になったけれど、このファームにもオレンジ、ライム、ポンカンといった柑橘系の果物の木があり、たくさん実をつけているので、それらを絞って新鮮なオレンジジュースやレモネードを作って毎日のように飲むことができる。これはともて贅沢なことだと思う。オレンジの木には今、花がたくさん咲いていて、近くに行くととてもいい匂いがする。

オレンジの花というのは初めて見たけれど、見た目も匂いも、ちょっとジャスミンか、フィリピンのサンパギータのような感じだ。

ちなみに、ブラジル産オレンジジュースの98%はサンパウロ州産で、その生産量は、世界全体で生産されるオレンジジュースの約5割に相当するのだそうだ。この数値の中には、私たちが家で絞って飲んでいるような、自家製のオレンジジュースはもちろん含まれていないのだから、すごい数字だと思う。

2009年8月19日(水)

このところ毎日少しずつ、サンパウロ市にある「ニッケイ新聞」のインターネット上の古い連載記事を、読んでいる。この新聞には、ブラジルの日系コロニアを取材した記事がたくさん載っているのだけれど、一つのテーマをじっくり掘り下げて取材し、連載していて、読み応えのある記事が多く、ブラジルの日系移民の人たちの歴史や、現在抱える問題がとてもよくわかっておもしろい。

つい最近、「日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!」と題する、10回の連載記事を読んだ。100年前の日本人のブラジル移住以前に、400年も前に日本人が奴隷としてブラジルに来ていたかもしれないという記事はとてもおもしろかった。興味のある方は、こちらへ

2009年8月20日(木)

昨日はずっと曇りで時々雨が降るという、風が強く寒い1日で、昼間の最高気温も16度程度にしかならず、犬たちもほとんど犬小屋に引っ込んで過ごすような1日だったけれど、今日も同じようなあいにくのお天気の1日になった。

私たちがこのファームに引っ越してきてからすぐの頃、マウリシオはアマチュア無線の資格試験を受けたのだけれど、その結果、めでたく合格したことがわかった。これで、晴れて正式にアマチュア無線の免許取得に向けた手続きを開始できるので、とてもうれしそうだ。マウリシオはとても頭が良く、スポンジのように何でもすぐ吸収して覚えることができるのだけれど、彼の人生で一番の失敗は、高校を中退してしまって勉強を続けなかったことだと、以前、ウィリアムがマウリシオのことを評して言っていた。そのウィリアムの影響でアマチュア無線を始めて、無事試験に合格したことは、マウリシオにとってはとても意味のあることだったのではないかと思う。この家のベランダのイスに腰掛けてもらって、彼の写真を撮る。いつも柔和な顔で笑っているのに、わざわざ腰掛けてもらったりしたせいか、何だか気難しい表情の写真になってしまった。

2009年8月21日(金)

最近、エドソンとふたりして、カミニョ ダス インジアス(Caminho das Indias、つまり、インドへの道)というノベラ(Novela、連続メロドラマのこと)に、はまっている。ブラジルとインドが舞台で、インドとビジネスをする会社経営のブラジル人たちとその家族、そして彼らを取り巻く人たち、リオで暮らすインド人とその周りのブラジル人たち、インドのインド人たち(と言っても、俳優はほとんどみな本当のインド人ではないのだけれど)などなどたくさん登場人物がいて、この人たちが複雑に絡み合って、ドロドロ、ドタバタのメロドラマを繰り広げている。毎晩見ていたら、次はどういう展開になるのだろう?と気になり始め、はまってしまった。言葉が理解できず、何がどうなっているのか、よくわからない部分もあったりするのだけれど、状況的に何となくわかる部分も多く、言っていることが多少わかる部分もあったりして、とてもおもしろい。

先日、この番組の中のあるシーンで、ある女性がQuer alguma coisa?と聞き、相手の男性がQuero uma coisa.と答え、女性がO que?と聞くと、男性がFicar sozinho.と答える場面があった。これを日本語にすると、「他に何か欲しいものはある?」「ひとつある」「何?」「ひとりにしてくれ」という会話になる。このように一連の会話の流れがスッと聞き取れて、無理なく理解できると、とても簡単な会話なのだけれど、何だかとてもうれしくなる。今のところ、ノベラは私のブラジルポルトガル語の先生の役割を担ってくれている。

2009年8月22日(土)

昨日の夜まで何の問題もなく使えていた台所のプロパンガスが、今朝、朝食の用意をしようとしたら、全然火がつかない。とうとう空っぽになってしまったようだ。それで、今朝一番のエドソンの仕事は、寒い中、倉庫から13キロの重いプロパンガスを運んできて、取り替えることだった。ご苦労様。

10時を少し回って、ウィリアムがサンパウロからやってきた。今日は、ジウダも一緒のはずだったのに、ひとりで車に乗ってやってきた。次回の中国新聞の海外リポートを書くために、今日の午後、ドナ ベティにインタビューをお願いしていたら、ついでに今日のお昼をウィリアム夫婦も一緒に、彼女のところでお呼ばれすることになっていたのだけれど、このところの雨続きで、ドナ ベティのバンブーファームに通じる道が今、通れなくなっているらしく、今週末彼女はここに来れないため、予定が1週間延期になった。そのため、ジウダもそれに合わせて、ここに来るのは来週に延期したらしい。でも、リベルダージの日本食料品店で何か欲しいものがあったら買って行ってあげるとジウダが言ってくれていたので、豆腐や、S&Bのカレー粉、干しシイタケなどを頼んでおいたのだけれど、それはちゃんと買っておいてくれ、ウィリアムが運んできてくれた。感謝。感謝。

午後遅く、ぺドレイロのエディーが再度、相談に来てくれ、デザインの変更などに関してかなり長い時間話をした。彼が帰った後で、ウィリアムと3人で、ここから車で40分くらい行ったところにあるイタチンガ(Itatinga)という町に行って、夕食を食べることになった。ここから北西にあるボトゥカトゥよりも小さい、人口2万人くらいの町で、イタチンガはここから南西の方角にある。この町にはウィリアムの一番のお気に入りのピザレストランがあるのだそうだ。私たちが店に到着したのは8時半近くだったのだけれど、店はその後から混み始めたので、ちょうどいいタイミングだったようだ。シイタケのピザとアーティチョークのピザのハーフ&ハーフを注文。ブラジルに来て初めて食べたピザはとてもおいしかった。日本と違うところは、ウェーターさんが希望を聞いて、一人一人のお皿に一切れずつピザをよそってくれ、残りはテーブルに置いておかず、何故が持って行ってしまう。そして、みんなのお皿が空っぽになった頃を見計らって、またピザを持って来て、お皿によそってくれる。最初の時と同様、ピザが冷めておらず暖かいので、ああ、そういうことかと、納得。冷めたピザよりも常に熱々のピザの方がおいしいに決まっているから、この給仕の仕方はとてもいいと思った。

2009年8月23日(日)

火、水、木、金と4日間続いた雨降りのお天気が、昨日ようやく回復して、久しぶりに太陽が顔を出したと思ったら、今日はまた朝から冷たい雨が降り、霧に包まれている。予報では水曜日くらいまで、またずっと雨が続くらしい。でも、ひとつの救いは、こんなに雨降りが続いても、ここは気温が低いためか、パラカンビのようにあちこちからカビがはえてきたりはしないのでありがたい。タンスの中の衣類も、ここに来てから一度陰干ししただけなのに、それ以後すっかりカビ臭いにおいがしなくなった。

今日は、朝の気温と昼間の気温がほとんど変わらず、最高気温が13度以上にならず寒い1日だった。ここには暖房というものがないので、家の中の温度も外気温とたいして変わらず低いため、台所仕事をしていないときは、リビングのソファーの上で毛布にくるまって過ごす1日になった。

そして、ウィリアムは、4時にしっかりおやつを食べてから、サンパウロに帰って行った。

2009年8月24日(月)

今日も1日、雨が降ったり止んだりの状態が続いていおり、相変わらずあたり一面、深い霧に包まれていて、外に出ると雨が降っていなくても、霧が洋服に絡まって湿ってくる感じだ。お天気がいいと、ツバメのような背中が黒くて、お腹の白い、高速で飛ぶ鳥が、家の軒下まで飛んできて賑やかなのだけれど、こういうお天気の時は、鳥たちも犬同様に、巣篭もりしてしまうのか、まったく姿を見かけないだけでなく、鳴き声も聞こえなくなる。台所の時計のチクタクという音だけがやけに大きく聞こえるしばしの静寂が続いている。

2009年8月25日(火)

早朝は相変わらず霧に包まれていたけれど、だんだん霧が晴れて来て、視界が良くなり、いつものようにかなり遠くまで見渡せるようになった。空はどんよりとした雲に覆われていたけれど、午後から少し弱い日が差し始めたので、マウリシオとドナ クレウザに手伝ってもらって、畑仕事をすることにした。

収穫が終わって、何も植わっていない部分を耕し、草を取り除き、昨日、マウリシオがボトゥカトゥに行ったついでに買ってきてくれたルッコラの苗を植え、ミニトマト、ニンジン、玉ねぎ、からし菜の種を蒔いた。ルッコラの苗は、味も含め、まるでちょっと背丈の低い貝割菜といった感じの苗だ。こちらのお店では貝割菜を見かけないので、このルッコラの種を買ってきて、苗を育てれば、貝割菜の代用にすることができそうだ。

みんなが畑に集まって、仕事をしているので、犬たちも全員、畑の周りで横になっている。ここの犬たちはみなメス犬で、ダックスフントのモビ(Moby)だけがオス犬なのだけれど、ときどき、彼はオスの威厳を示したいのか、大きな犬のリーダー格のカーラに向かって行って、意味もなく吠え立てたりすることがある。普段カーラはモビに吠え立てられても「もう、うるさいわねえ」という感じでモビをあしらっているけれど、今日は、モビが畑の側でおとなしく横になっているカーラに向かって行き、ちょっかいを出して噛み付いたため、カーラが怒ってモビを組み伏して噛み付き返し、モビがすごい悲鳴を上げた。でも、マウリシオがすぐにカーラにやめるように言ったので、事なきを得た。モビは、自分の非を自覚しているようで、その後しばらくは反省モードで、しゅんとしていた。私が一足先に収穫した野菜を持って、家に帰るのにいつものように一緒についてきて、真っ直ぐ犬小屋に入って行き、しばらく中でおとなしくタイムアウトを取っていたので、おかしかった。次の写真は、お勝手の階段のところでこちらを見つめているモビ。

2009年8月26日(水)

今日は、朝から太陽が顔を出し、久しぶりにいいお天気で、気持ちがいい。ダックスフントたちも犬小屋の扉を開けると、しばらく家の前ではしゃいだ後、久しぶりのお天気を満喫するために、午前中は下の果樹園に遊びに行ってしまった。そして、午後からは家の前のベランダの辺りで日向ぼっこをして過ごすという、いつもながらの日課が戻って来た。右がモビで、左がメスのフィオナ(Fiona)。リビングの窓から声をかけて、こちらを振り向いたところをパチリ。この2匹はジウダの愛犬カピトゥの子どもたちなので、兄弟で、とても仲がいい。

どちらがどちらか、最初は区別がつかなかったけれど、最近は顔つきと体つきで、わかるようになった。モビの方が全体的にほんの少し大きくて、体の骨組みががっちりしていて、男の子らしい顔をしている。フィオナは顔と体が少しほっそりしている。

2009年8月27日(木)

朝一番でボトゥカトゥの病院に検査結果を取りに行ったマウリシオと、10時半にドナ マリナの店で待ち合わせて、ボトゥカトゥでの用事を済ませてから、少し離れたところにあるとても大きな敷地内に樹木園を併設している植木屋さんに連れて行ってもらう。これから建てる家の周りにどんな木を植えたらいいか、どんな木がいくらぐらいで販売されているのかを見に行ったのだ。ここは丘の上で風が強いことが多いので、防風林としては、クリスマスツリーのようなエバーグリーンがいいようだ。値段もそれほど高くない。その他、とてもいい匂いのする様ざまなタイプのユーカリの木や、みかんやオレンジといった果物の木など、大きなものから、小さいものまで、多種多様の植木を育てて販売している。これらを見て回るだけで、ちょっとした植物園を見ているようで、何だか楽しい。

その後、バイホ デメトリア(Bairro Demetria)という、ボトゥカトゥの中心から10キロくらいパーディーニョ寄りのところにある地区に案内してもらう。ここはエコビレッジのようなところで、農場や、学校、自然食品を扱うお店、ポウザーダ、レストランなどが点在しているので、一度行ってみたかったのだ。この中にあるポウザーダ兼レストランのカフェ・トメ(Cafe Tome)というところでお昼を食べる。このレストランの食事はセルフサービスで、お皿に取ったものの重さで料金を支払うタイプの、ブラジルではごく普通のお店だった。

このエコビレッジの住人の多くはドイツ系やスイス系の人たちのようで、ここには日本でも良く知られているシュタイナー学校がある。昼食後、車をレストランに置いたまま、徒歩で近くにある学校まで行ってみる。構内の掲示板に学校の全景が写ったポスターがあったので、その広さを感じてもらうために、写真に撮る。ここには幼稚園から高校まであるようだ。

この他にも、豆腐など自然食品を作って売っている店もあるらしいのだけれど、とにかく広くて、何がどこにあるのか、あちこち時間をかけて回ってみないことには、よくわからないので、次回また、ゆっくり来ることにする。

2009年8月28日(金)

去年の金融危機以来、5万4000人のブラジル人が、日本からブラジルに戻って来たというニュースを、今日、インターネット上で読んだと、エドソンが言っていた。でも、出入国のコントロールが、両国でそんなに明確にされているわけではないのだから、実態は誰にも正確には把握できていないのではないかと思う。先日、ニッケイ新聞には、日本から家族と一緒に帰ってきた子どもたちの中には、ポルトガル語が話せない子どもがたくさんいるらしく、サンパウロのあるグループがその子たちにポルトガル語を無料で教えようと、「カエルの教室」を開講したというニュースもあった。

次の写真は、ここの犬たちの中で一番年長の、ジェニファー(Jennifer)。カーラと同じように真っ黒な犬だけれど、顔に少し白い毛が混ざっていて、カーラほど毛に艶がなく、毛足が少し長いので、カーラとの区別はつき易い。

次の写真は、ハスキーとシェパードの混ざったクリスタル(Cristal)。クリスタルのような目をしているので、そのものずばりの名前だ。

2009年8月29日(土)

午前10時半を少し回って、ウィリアムとジウダがサンパウロからやって来た。12時に一緒にドナ ベティのバンブーファームに行き、昼食前の1時間程、ベランダでドナ ベティに私のインタビューに答えてもらう。彼女は英語が話せるので、直接話を聞くことができ、とても助かる。インタビューと言っても、エドソンやウィリアムも話に参加してくるので、いたってカジュアルな雰囲気でできた。インタビューの後で、庭にある樹齢300年のジャトバの木の下で、リポートに添えるドナ ベティの写真を撮らせてもらい、ついでに、ジウダが私とドナ ベティの一緒の写真も撮ってくれた。

インタビューの途中で、フランシス(Francis)がサンパウロからやってきて、私たちに加わった。フランシスは3月に来たときに紹介された日本語(だけでなく、フランス語はもちろんのこと、英語もポルトガル語も)を話すフランス人の人で、今回も私たちが来るので、ドナ ベティがわざわざ彼を呼んだようだ。「お久しぶりです」と日本語で挨拶をしたら、「それほどでもないでしょう」という返事が日本語で返ってきた。右側の座っている男性がフランシス。左に立っている女性がドナ ベティ。

昼食後、ドナ ベティが、パーディーニョにもう一組日系の夫婦がいるからぜひ紹介したいと言ってくれるので、お言葉に甘えて、連れて行ってもらうことにする。ご主人のセージオ(Sergio)は日系2世で、奥さんのルシア(Lucia)はブラジル人という夫婦で、日本で10数年暮らしている間に、奥さんが整体術を学び資格を得て、現在、パーディーニョで整体院を開いて仕事をしている。でも、整体術というのは、ブラジルでは馴染みが薄いものなので、お客さんはまだ少ないと言っていた。ご主人のセージオもまだ仕事がないので、奥さんの整体院を手伝っているということだった。ウィリアムも、顔が広く多くの情報源を持っているマウリシオですら、彼女の存在を知らなかったようなので、これから徐々にお客さんは増えて行くのではないかと思う。

これで、この小さなパーディーニョにも、タケイシさん夫婦と、セージオさんと、私の4人の日系人がいることがわかったと、ドナ クレウザに言うと、もうひとり学校の先生をしている日系人女性がいると、彼女は言っていた。その人にもぜひ会わなくては。せっかく小さな町に住んでいるのだから、ここで暮らしている日系の人たちとは全員、知り合いたいと思っている。

2009年8月30日(日)

今朝、朝食の際、ウィリアムが、「ドナ ベティは、よっぽど君たちふたりのことが、気に入ったんだな。彼女は、そうそう自分から人を紹介しようなんて言ってくれる人ではないよ」と、言っていた。そうだとしたらとても光栄だ。でも、そうでなくても、私たちにはとてもありがたい彼女の厚意に、ただ感謝するのみ。

私がとてもおいしい日本食を作ると、ウィリアムがジウダに誇大に宣伝するものだから、彼女は今日、私が作る昼食に過剰な期待をしている。ここで私が作るものは、材料の入手が難しいこともあって、日本食というよりも、家庭料理の本に載っている若干和テイストの簡単洋食で、正確には純粋な日本食など作っていないのだけれど、日本人の私が作るものはすべて日本食とでも思っているようで、ちょっと緊張。そんなわけで、まさかローストビーフを作るわけにも行かず、いつもよりもちょっと和テイストを強めて、豆腐と人参とツナのがんもどき、ここの畑で収穫したキャベツを刻んで入れたハンバーグミートローフ、ごま油がないので、その代わりにサラダ油とオリーブ油を混ぜて和えた、大根とハムの和え物、そして、インスタントの味噌汁にご飯というメニューにした。ウイリアムもジウダも気に入ってくれ、たくさん食べてくれたので、ほっと一安心。でも本当は、時間がなくて豆腐の水切りが不十分で、がんもどきの種の粘りが出なかったので、混ぜる小麦粉の量を増やさなければならず、私としては、ちょっと失敗。

2009年8月31日(月)

ポルトガル語の単語の中には英語と似ているため、その意味を察することのできる単語もたくさんあって、その中の例えば、マラビリョーゾ(Maravilhoso)は、英語でmarvelousのことなのだけれど、marvelousという言葉は、英語の日常会話の中ではそんなに使われることはない。maravilhosoはどちらかと言うと、marvelousよりもwonderfulに近い感じで、ここでは普通に使われている。日本語だと、「すごい」という言葉を使う感覚だ。

それから、ここでの生活でとてもよく耳にするのが、オーパ(Opa、オにアクセント)という言葉。これはあまり意味のない言葉で、日本語で言うと、他の人と出会い頭にぶつかりそうになって「おっと」とか、物を床に落として「おっと」ないし「ああ」とかいうような場合に、口をついて出る言葉で、老若男女関係なく使われる。テレビのコマーシャルの中でもよく耳にすることがある。

また、ジウダがサンパウロに帰るときや、家族から電話がかかってきたりすると、最後にフィカ コン デウス(Fica com Deus.)と言う。これは「あなたが神様と一緒にありますように」というような意味で、この状況での日本語の表現で適当と思われるのは、「気をつけてね」という感じだろうか?英語で、God bless you.つまり、「あなたに神の祝福を」というのと同じような感じで普通の会話の中で、自然に交わされる言葉のようだ。



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