Kyoko Yoshida                                        
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2009年5月1日(金)

今日はメーデーで、またまた休日。

午前中は予定通り、私たちはネギ畑の草取り。ネギ畑の奥にアリ塚発見。このアリに噛まれるととても痛く、大変なことになるらしいので、アリ塚の周辺の草とりはあきらめる。野菜畑の草取りもして、すべての畑に水をやる。畑が少しずつきれいになって行くので気持ちがいい。

昨日、エライニ(Elaine)がオクラ(Quiabo、キアボ)を7〜8本収穫して来てくれたので、軽く塩で茹でて夕食に食べてみる。ここのオクラは日本で見かけるものよりも大きくて硬そうなので、見た目はあまりおいしそうではないけれど、味も歯ごたえも日本のものと変わらなかった。収穫するタイミングさえ逃さなければ大丈夫のようだ。でも、そのタイミングの判断は慣れないと難しいかもしれない。このオクラの木は野菜畑のすぐ先1メートルのところにあった。エライニが草を刈ったり、枯葉をどけたりして、少しずつ畑の掃除をしてくれているけれど、大部分はまだ草ぼうぼうの中に隠れているので、まだまだ新しい発見がいっぱいだ。

今朝、エドソン(Edson)がココナツの木の芽を見つけたというので、一緒に行ってみると、ココナツの木から落ちて、そのまま放置されていた実から芽が出ていた。すごい生命力だ。

もうひとつすごいものを発見。アボカドの木の側で、小さなクモ(Aranha、アラニャ)がクモの巣をせっせと作っている。こんな形をどうやって考えるのだろう?とても芸術的で美しい。しばらく眺めていると、だんだん中心に向かって丸い線が増えて行く。少しずつ、少しずつ、でも着実に仕事をしている。

2009年5月2日(土)

ここ数日、西隣のファームでショベルカーが道幅を広げたり、ファームの中を通る水の通り道を作ったりしていたのだけれど、エドソンも同じ仕事を頼むことにしたようだ。今朝、9時前には作業の人が来て、うちのファームでショベルカーが動き出した。

うちのファームには、西隣のファームを通って山から流れてくる小さな小川のようなものが通っていて、乾期にはほとんど消えてなくなるのだけれど、雨期には水があふれて、ファームの北側5分の1くらいをすっかり水浸しにしてしまい、沼地にしてしまうため、水が溢れ出さないように、ショベルカーで水の通り道、つまり、水路を作ってもらうことにしたのだ。エドソンもショベルカーの上に一緒に乗って、いろいろ指示を出している。

この作業の人は、これまで私たちがかかわったてきたカリオカとは違い、とても仕事が速く、予定よりも早め早めに、次々と仕事を片付けている。うちでの作業には5時間くらい(60レアルx5時間=300レアル、日本円で15000円弱)かかるという見積もりだったのに、お昼過ぎには仕事が済んでしまったので、3時間(60レアルx3時間=180レアル、日本円で9000円弱)ほどで終了したことになる。うちの作業が終わると、今度はまたご近所の次のファームでも同じような作業をする予定だそうだ。中には約束事をきちんと守る、こういう働き者のカリオカもいることがわかって、少し救われた気がする。

エドソンはショベルカーに一緒に乗っていたので、足やシャツを泥だらけにして帰って来た。

2009年5月3日(日)

お母さんが畑で採れた何だか変わったものをいくつか持って来てくれた。それでなくても日本で見かけるものよりも大きなここのアボカドをさらに大きくして(約20センチくらいの大きさ)、表面にトゲトゲをつけたようなグラビオラ(Graviola)というブラジル原産の果物だ。大きさをわかってもらうために、一緒にシャープペンシルを置いて写真を撮ってみた。

この果実はブラジルだけでなく、熱帯地方の市場で、「グアナバーナ」とか「ブラジリアンチェリモーヤ」という名前でも売られてもいるらしい。酸味が強いので、そのまま食べるよりもジュースにして飲むのが一般的と、インターネット上の情報にはあったけれど、実際に食べてみると、酸味はなく、甘くて濃厚なクリームのような食感と味だった。食べ終わった後もしばらく後を引くような濃厚な甘さだ。

このグラビオラの樹皮、葉、根、実、種など、すべての部位が熱帯地方の自然医療では利用されていて、様ざまな効用があるらしい。それに、近年ではグラビオラには抗がん特性があることがわかってきているという。ブラジルの植物には、まだまだよく知られていないすごいものがたくさんありそうだ。

次の写真は、ミシリカ ポンカン(Mixirica Ponkan)という甘夏柑のようなみかんで、全然すっぱくない。でも甘味もそれほどではなく大味な感じだ。名前から察するところ、おそらくこれも柿のように日系の人たちが作り始めたのだろう。ちなみにミシリカ(Mixirica)というのは、タンジェリン(Tangerine)、つまりミカンのこと。ポルトガル語ではタンジェリーナ(Tangerina)とも言う。うっかり写真と撮る前に食べてしまったので、代わりに木になっているミシリカ ポンカンの写真を撮る。

そして、ウルクン(Urucun)という奇妙な外見の香辛料の一種。見かけは栗のイガイガのようで、中の赤茶色の種を着色料として使う。サフランライスを作るように、この種を入れてご飯を炊くと、オレンジ色のような赤茶色のようなご飯ができる。これを入れたからといって、ご飯の味が特に変わるわけではないけれど、料理に赤い色をつけたい場合、何にでも使うことができる。ウルクンというのはインディオのトゥピグアラニ族の言葉で「赤」という意味で、インディオの人たちが顔に赤い色でお化粧をする際に使っていたという。合成着色料と違い、自然の植物素材なので、体への悪影響は何もないため、現在でも化粧品や医薬品の着色料として使われているそうだ。また、ウルクンはぜんそくや、心臓病、熱さまし、火傷の治療、不眠症などにも効用があるらしく、広く自然医療に使われているという。

このこげ茶色の栗のイガイガのようになる前のウルクンは、きれいな赤いふわふわしたポンポンのような花で、これがこんなイガイガのものになるなんて、ちょっと想像できない。

2009年5月4日(月)

今日は、ノヴァイグアス(Nova Iguacu)にあるホンダの販売店に行って、車を見てみるつもりだったのだけれど、エドソン宛の携帯電話の請求書や、私のCPFと呼ばれる納税者番号カードの入った郵便物を、朝一番でエリカが持って来てくれたので、あれもこれも全部まとめて銀行での用事を済ませることにした。

納税者番号カードは届くのに1ヶ月かかると言われていたけれど、3週間ほどで届いたのはとてもうれしい。お陰で、今日、銀行での支払いなどと一緒に、私の銀行手続きも完了することができた。そして、CPFが来たので、デトラン(Detran)での運転免許の切り替え手続きを再開することができる。

そして、パラカンビの町に行ったついでに、エドソンの選挙登録の更新も完了することができ、今日はいろいろと進まなかった物事を片付けることのできた1日になった。

ただ、エドソンの運転の実技試験に関しては、今日も含め、何度も自動車学校の事務所に顔を出しているのだけれど、デトランに問い合わせると言っていた担当の人がいつ行ってもおらず、もう1週間になるのに、いまだに、どうなっているのかわからない状態だ。

2009年5月5日(火)

昨日、私のCPF(納税者番号カード)が届いたので、今日は早速、リオのデトランに行くことにした。その前にパラカンビでCPFのコピーを取り、デトランに支払うお金を銀行に行って支払おうとしたら、ブラジル銀行では受け付けておらず、イタウ銀行の窓口でしか支払えないことがわかり、窓口が開くのは10時からなので、パラカンビで支払いを済ますことはあきらめて、リオのデトランの近くにあるイタウ銀行に行くことにする。

リオのバスセンター到着後、いつものように、帰りのバスの切符をまず購入し、タクシーでデトランまで行き、その近くのイタウ銀行で支払いを済ませる。その支払い証明を持ってデトランに行き、ようやく運転免許切り替えの手続きをすることができた。でも、外国人に対する特別な配慮はないようで、心理テストはやはりパラカンビで、ポルトガル語でしか受けられないという。う〜ん、困った。

それにつけても、デトランの対応はいつも不親切だ。最初に行った時もエドソンの書類は、銀行での支払い以外はすべて揃っていたのだから、お金を支払ってくればできると言ってくれればいいものを、私の書類が揃っていないからと、まったく相手にしてくれず、手続きを進めてくれなかったし、今回も、私たちが受付で番号をもらって部屋に入った際、数人の人たちがすでに中で待っていたので、しばらく待たされるのは覚悟していたけれど、係りの人たちは何をしているのか、部屋を出たり入ったり、お互いにおしゃべりをしたりして、しばらく何も進まず、ようやくひとりの女性がコンピュータの前に座って発した言葉が、「次は誰?」だ。次は誰ってことはないだろう。受付番号を言うなり、書類にある名前を呼ばなければ、待っているこちらには次が誰かなんてわかるはずがない。そして、この女性は眉間にしわを寄せて、いかにも不機嫌に面倒くさそうに、書類を乱暴に扱いながら情報をコンピュータに入力して行く。デトランに来るのはこれで3度目だが、この人はいつ来てもこんな感じで仕事をしている。健康に良くない働き方だ。

銀行でも、デトランでもかなり待たされたため、手続きを終えてデトランを出た時は、もうすでに1時を過ぎていた。そこでまず、ダウンタウンでお昼を済ませることにする。ごく普通のお店に入り、それぞれ、エドソンは牛肉の料理を、私は鶏肉の料理を注文したのだけれど、こういうお店の1人前の量がとても多いことをうっかり忘れていたため、料理が来てみて、1人前だけ頼むべきだったと、とても後悔。お肉料理のお皿とは別に、ご飯とフレンチフライが山のように別皿でそれぞれに運ばれてきて、野菜の付け合せはなし。こんなに食べるからブラジル人は太るのだ。

2時過ぎにはバスセンターに戻り、バスの出発までの時間を利用して、すぐ横にある、フォルクスワーゲンの販売店で車を見せてもらうことにする。販売員の人といろいろ話をして、フォルクスワーゲンのボラ(Bora)とゴルフ(Golf)を見せてもらい、ボラを試乗運転させてもらう。以前、ブラジルに来た際レンタカーで借りたフォックス(Fox)よりも大きいだけあってエンジンが静かで、乗り心地は良かったけれど、値段はトヨタカローラと変わらないか、むしろ高いことがわかった。しかも、ガソリンとバイオ燃料のどちらでも使えるフレックス(Flex)ではなく、ガソリンしか使えないという。ブラジルの車はフレックスが常識なのに、どうしてだろう?トヨタカローラを見て以来、エドソンはインターネットでいろいろ調べて、様ざまなメーカーの仕様や値段を比較しているのだけれど、どうも、トヨタカローラよりもいい条件の車はなさそうな感じになってきた。それに、2年半前に来た時よりも、確実に新しくていい車をパラカンビでもごく普通に見かけるようになっているし、ホンダシビックやトヨタカローラも町の中でちょくちょく見かけるので、思っていたよりも特別な車ではなくなってきているようだ。

2009年5月6日(水)

今日は、先月半ばにパラカンビの家具店で購入し、月末に届くはずだった、寝室に置くキャビネットが、休日が多かったので工場からの搬出が遅れたという理由で、配達予定が延びて、今日届くはずだったのに、今朝エドソンが電話をして確認したら、明日午前10時の配達になったという。さて、3度目の正直で、明日届くだろうか?

午前中はいつも通り野菜畑で草取りなどに精を出し、午後からパラカンビに行く。まず、自動車学校の事務所に行ったが、やはり担当の人はいない。向こうから電話をくれる約束なのに、電話がないので、わざわざ事務所まで出向いているのに、一体どうなっているのだろう?

次に、デトラン指定の事務所に行く。運転免許の切り替えの心理テストを私が受ける際、エドソンが医師の説明を通訳できるように許可を得るために、テストの申し込みをする前に医師と相談しようと考え、医師が来る次回の予定を確認したところ、明日、その医師の上司のマネージャーが午前8時にパラカンビに来るので、その人に相談した方がいいということがわかった。明日、出直すことにする。

今日は、スーパーでセロリがあったので、セロリを買った。先日、白菜(Acelga、アセウガ)と大根(Nabo、ナーボ)を買ったお店にもセロリがあったのだけれど、何だかしおれた感じで元気がないので、買うのを止めた。でも、野菜の種類があまり豊富でない、いつも行くスーパーに、もう少し元気なセロリがあったので、買ってみた。日本のスーパーで見かけるものよりも細くて、みどり色が濃いけれど、匂いは同じだ。まあ味もそんなに違わないだろう。ひとつ面白いことを発見した。セロリは辞書ではサルサオン(Salsao)となっているのに、こちらのお店ではどこでもアイポ(Aipo)という名前で売られていた。どうしてだろう?お母さんに聞いてみると、アイポはサラダなどに生で使うけれど、サルサオンはパセリのような味で、普通、生では食べず調理して食べるという。う〜ん。セロリは生でも調理しても食べるけれどなあ?この説明だけでは、どう違うのかよくわからない。これも両方食べ比べてみないと、何とも言えない。

ちなみに、パセリはポルトガル語でサルサ(Salsa)と言い、サルサオンはサルサの大きいものという意味なので、パセリの味がして当然という感じだろうか?そして、こちらのパセリは日本で言うと、イタリアンパセリのことで、日本にあるようないわゆるパセリはこちらでは見かけない。

もうひとつ面白いことがあった。スーパーのレジの女性が、アイポを食べたことがないようで、エドソンにこれはどうやって食べるのかと聞いている。「サラダに混ぜたり、いろいろな食べ方ができるけれど、薄くスライスして、イカとマリネして食べるとおいしいよ」と彼が応えると、「ゲーッ」という反応だった。シーフードレストランに行けば、タコ(Polvo、ポウボ)でもイカ(Lula、ルラ)でも何でも、様ざまに料理されたものをブラジルでも食べることができるけれど、一般のブラジル人にとってはタコもイカも、見るからに食べるものではないという意識らしい。あいにく、パラカンビの魚屋にはタコもイカもないので、エドソンが好きなマリネはできないけれど、ポテトサラダに入れるか、鶏肉やジャガイモなどと一緒に煮て、ポトフでも作ろうと思っている。

ちなみに、現在のブラジルの大統領のフルネームは、ルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シウバ(Luiz Inacio Lula da Silva)といって、通常、ルラ大統領と呼ばれている。このルラというのはイカのことで、彼の母方の苗字が何故かイカという意味のルラという名前なのでおもしろい。どうしてイカなんて苗字になったのだろう?

2009年5月7日(木)

今朝は、予定通り8時までにパラカンビのデトラン指定の事務所に行く。マネージャーと直接話したかったのだけれど、受付の女性がすでにマネージャーに説明をしてくれていて、マネージャーは自分では決められないので、さらに上司と相談することになったと結論を聞かされただけで、マネージャーには会わせてはもらえなかった。わざわざ早朝から出かけて行ったのに、自分の言葉で直接マネージャーに事情を説明できなかったので、エドソンはとてもがっかり。でも、「ダメ」と言われたわけではないので、相談の結果、OKの判断が下されることを祈るばかり。

午前8時だというのに、パラカンビの町の中心部の店は、スーパーを始め、ほとんどの店がすでにオープンして営業しているのにびっくり。朝が早い。夕方は7時頃まで営業しているらしい。

ファームに戻り、いつも通り、畑仕事。今朝は小雨が降っていたので、土がかなり湿っていて、靴が泥だらけになってしまった。2匹の犬たちも畑の近くで遊んでいるだけでなく、畑の上を駆け回ったり、時々、側に来てじゃれつくので、彼らの泥だらけの足で、T-シャツまで泥で汚れてしまった。でも、畑の方はだいぶきれいになってきた。泥のようになっている土が少し乾燥したら、畑を耕して、雑草の根を取り除く作業をして、いろいろな野菜の種を蒔こうと思っている。

11時頃、パラカンビの家具店から電話があり、今から店を出てこちらに配達に向かうというので、エドソンがこの地区への入り口まで迎えに行く。家具店の店主と組み立てをしてくれる人が、荷物を運び入れてくれた。店主はしばらく世間話をしながら組み立て作業を見ていたが、私たちの支払いが済むと帰って行った。組み立ての人は作業が終わってからひとりでバスで帰るらしい。エドソンとおしゃべりをしながら作業を続け、約3時間程して、無事組立作業を完了。作業はかなりゆっくりペースだったが、とても丁寧な作業だった。キャビネットを寝室に移動し、置き場所がなくてイスの上に置いていた小物をキャビネットの引き出しに入れると、部屋がすっきりした。これで寝室の使い勝手がずっと良くなった。

居間でキャビネットの組み立て作業が続いている最中、午後1時過ぎに、運送会社からの前もっての電話連絡も何もなく(店のマネージャーからは今日届くと言う電話連絡は昨日あったが)、いきなり洗濯機が届いた。運転手と一緒に来た配達の人がこの辺の地理を良く知っているので、住所を見ただけで何の問題もなくこのファームに来ることができたらしい。待ちに待った洗濯機がやっと来たのだから、飛び上がって喜んでもいいようなものだけれど、購入から6週間あまり、待ちくたびれて何だか喜びが薄い。「ようやく届いたか、やれやれ」という気持ちの方が大きい。でもとにかく、もう慣れっこになったとはいえ、毎日の手洗いの洗濯から開放され、これでバスタオルやジーパンなどの大物の洗濯が楽になるので、助かる。感謝。感謝。

キャビネットの組み立てが終わった後、少し片付けをしてから、洗濯機を取り付けるための細かな部品を買いにパラカンビに行く。明日、エドソンがそれらの部品を使って、洗濯機を取り付けてくれると、明日から洗濯機が使えるようになる。

2009年5月8日(金)

朝食後に早速、エドソンが洗濯機の取り付けを始めてくれた。排水用のホースが短すぎるということがわかったが、それは延長ホースを買って継ぎ足せば何とかなる。さて、取り付け完了。まず、試運転をしてみることにした。水道の元栓を開けて、洗濯機のスイッチを入れる。水が流れ出し洗濯機に流れ込んで行く音がする。でも、水がなかなか溜まって行かない。スピードがとても遅い。う〜ん、ウィリアム(William)のファームの洗濯機も洗濯槽に水が溜まるのに時間がかかったから、ブラジルの洗濯機というのはこんなものなのかなあ?しばらくすると、エドソンがこの洗濯機は壊れていると言い出す。何を言っているのだろうと思ったら、洗濯機の底から水が漏れている。どうして?洗濯機に溜まった水を排水して、洗濯機をひっくり返し、底のカバーをはずし懐中電灯で照らして、エドソンが水漏れの場所を探し当てた。底に1箇所ヒビが入っている。これは輸送の際にできたヒビではなく、明らかに工場で組み立てる際に確認できるはずの不良品だ。つまり、品質管理の問題だ。どこまでもついていないというのか、何と言うべきか、、、

壊れて届いた洗濯機を取り替えてもらうのに5週間以上かかり、ようやく届いた2台目の洗濯機が不良品とは、、、あきれて言葉もない。これをまた取り替えてもらうことはもう考えられない。また1ヶ月以上も待って、取り替えてもらったとしても、ちゃんとした製品が届く保証は何はない。「もう2度とブラジル製の家電製品は買うな!といことだ」とエドソンが言う。でも、ブラジルの家電マーケットにある製品は、ブラジル製か、ブラジル製と大差ないアメリカ製か、韓国製しかなく、車と違って日本製の家電はあまり見かけないし、あったとしても値段が5倍もするので、私たちにはとても買えない。でも、何故、ブラジルやアメリカの家電製品は昔ながらのものばかりで、日本のようにデザインや品質改良をしないのだろうかと思う。エドソンがシリコンか何か強力な接着剤でヒビを補修してみると言ってくれたけれど、私の中ではほぼ「あきらめるしかないか、、、ああ、払ったお金がもったいないなあ、、、」と思っている。

お昼前に、パラカンビに行く。昨日パラカンビに行った際に今日の正午で予約を入れておいたカベレイレイラ(Cabeleireira、つまり美容院)に行くためだ。でもその前に、これまでにもシャワールームのパイプやいろいろな物を購入している、建築資材を販売するお店に行き、洗濯機の修理のための強力な接着剤を買う。このお店にはこれまで何度も来ているので、お店の人とすっかり顔馴染みになってしまった。

さて、美容院だが、お母さんもエリカも髪を長く伸ばしていて美容院に行くことがないため、どこに行けばいいのかわからなかったのだけれど、昨日、たまたま行った薬局の女性に聞いて、教えてもらったお店に行って覗いて見ると、日本で見かける町の普通の美容院とあまり変わらない、感じの良さそうな店だったので、予約をするためにお店に入って行くと、偶然にもそこの美容師さんとエドソンや彼の家族はお互いに知り合いだということがわかった。なあんだ、美容師さんにも知り合いがいるんじゃない。

美容院ではまず始めに、どんな風にどのくらいの長さで髪を切ってもらいたいか、ヘアカラーは何色にするかなどをエドソンに通訳してもらって決め、すべて終わるまでに約2時間かかるので、その間エドソンはお父さんの家にお見舞いに行き、私は一人で髪のカットとカラーをしてもらう。洗髪台は日本のものとは違って座ってするタイプなので、あまり楽ではないのと、洗髪の技術がアメリカ同様あまり上手ではないので、これらは我慢するしかないけれど、カットとカラーは日本と変わらず満足行くものだった。料金は85レアル。日本円で約4000円。日本では6300円払っていたので、60レアルくらいの料金を予想していたのだけれど、さすがにパラカンビで一番人気のきれいな美容院で、設備が整っているだけあって、料金も他の美容院に比べて割高だということがわかった。でも、ホザーニ(Rosane)という名前の中年の美容師さんも、アシスタントの若い女性たちも、みな親切で感じがいい人たちだったので、とても満足だ。このお店の営業時間は正午から夜の12時まで。土曜日は午前8時から夜8時まで。日曜日と月曜日がお休みとあった。私の予約は正午だったので、最初はお客は私ひとりだったけれど、その内すぐにお店はいっぱいになり、薬局の女性が人気のお店だからいつも込んでいると言っていた通りになった。

美容院の後は、エドソンの友人のフランシスコ(Francisco)のオフィスを覗いて見ることにする。中国新聞のウェブサイトに寄稿するリポートを書くために、取材をさせてもらいたいと頼んでいたのだけれど、今週の木曜日か金曜日なら時間が取れると言ってくれていたので、オフィスに寄って見ることにした。その言葉通り、彼はオフィスにいて、私たちが行くと気さくに迎え入れて、歓迎してくれた。そして、パラカンビの町の歴史にまつわる話をいろいろ聞かせてもらうことができた。この町は19世紀の後半ジャングルを切り開いて、南米最大の繊維工場が建てられた時から歴史が始まる、結構、由緒正しい140年もの歴史のある町だったのか?私の取材が終わっても、エドソンがいろいろと世間話を続け、2時間あまりお邪魔してしまった。彼はこの元繊維工場の所有地を管理する仕事をしているので、つまりパラカンビで不動産関係のビジネスをしているので、この町のビジネス状況に関してとても詳しい。

辺りが暗くなった帰りのバスの中から、大きな満月が見えた。最近、世界中で豚インフルエンザが広がっているようだけれど、パラカンビでは秋になり気温が下がって涼しくなってきたせいか、風邪をひいている人が多い。もちろん豚インフルエンザではなく、普通の風邪だけれど、お母さんもどうやら風邪をひいてしまったらしい。ブラジルでもサンパウロやリオなど複数の州で合計6人の豚インフルエンザの患者が確認されているようだ。これから冬に向かうブラジルにとって、これからはちょっと心配な季節だ。

2009年5月9日(土)

自分たちのファームでできた果物や野菜をいただけるのは、とてもありがたいことだけれど、贅沢を承知で言えば、一度にまとめてではなく、少しずつ収穫できればいいのになあと思う。収穫時には、まとまってどっさり採れるので、家族だけでは食べきれないことがしばしば。もったいない。このファームに来て以来、毎日のように飽きるほどいろいろな種類のバナナを生のまま、または調理して食べてきたけれど、最近ちょっと小休止のようだ。今日、バナナの畑を見て回ったら、木になっているのはまだみんな小さくみどり色のものばかりで、これらが黄色く色づくまでには少し時間がありそうだ。

アセロラも収穫時期が終わり、しばらくアセロラジュースともお別れだ。でも収穫時期は1年に1回だけでなく、さすがブラジル、4回も収穫時期が訪れるということなので、ほんのしばしのお別れだ。

パラカンビの町のメインストリートの商店街を抜けたあたりにあるサッカー競技場の壁の前で、地元の農家の人たちが果物を売る露天をいくつか出しているのだけれど、そういう人たちは自分のところで採れたものだけでなく、近隣のファームからも仕入れて売っているようで、うちのファームにも果物を買いに来る人がいるらしい。そんなに高く買ってくれるわけではないので、わずかな収入にしかならないけれど、食べきれずに捨ててしまうよりも、わずかな金額でも買ってくれる人がいるのはとてもありがたいことだと思う。先日など、お母さんとエライニが留守中、ご近所の人が玉子を買いに来たのでびっくり。お母さんたちはスーパーで売られている価格の半額くらいの値段で、ご近所の人がほしいと言って来れば売っているらしい。

今日、エドソンはアマチュア無線のアンテナ作りに精を出している。週末はいつも朝早くからパーディーニョ(Perdinho)のウィリアムと、彼らの南極のプロジェクトや、SDRプロジェクト、そして、ウィリアムのファームのことなどを無線で話すのに忙しい。時には、ペトロポリス(Petropolis、リオから北へ1時間ほど行った山の上の町)に住んでいるマーチン(Martin)と哲学や科学について話したりもしている。マーチンは核物理学者で、ブラジルの原子力発電所勤めを定年退職し、今はペトロポリスの大学で先生をしている人だそうだ。彼も同じように小さなファーム暮らしをしているので、話が合うらしい。エドソンはアマチュア無線で不特定多数の人たちと話すことよりも、アマチュア無線の技術面に関して、アンテナを改良してみたり、自分で独自のソフトや装置をデザインしてみたりということの方が楽しいようだけれど、時には会ったこともない、アマチュア無線仲間のマーチンのような人と話すことも楽しんでいる。先日もマーチンと話をしていると、別の人もその話題に加わってきて、何だか日本の話をしていると思ったら、その人の奥さんは福岡県出身なんて話をしている。結構楽しそうだ。

2009年5月10日(日)

今日は、ブラジルでもDia das Maes(ジア ダス マインス、つまり母の日)なので、お母さんのためにブラジルバーベキューのシュハスコ(Churrasco)をすることになった。午前中にエリカとマーシーア(Marcia)の17歳になる息子のハファエウ(Rafael)と4人で、隣町のセロペディカ(Seropedica)に買い物に行く。普通、日曜日はお店はやっていないのだけれど、今日は特別のようだ。町はすごい人で、スーパーもとても混雑していた。大きなお肉を買っている人たちがたくさんいる。肉売り場には長い列ができていた。私たちも牛肉(Carne、カーニ)を1.2キロ、ソーセージ(Linguica、リングイッサ)、鶏のハツ(Coracao de Galinha、コラサオン ジ ガリニャ)、コウビ(Couve)などを買い、帰る途中で、果物の露天商からパイナップル(Abacaxi、アバカシー)2つを5レアル(日本円で、約200円)で買い、帰宅する。

帰宅後、みんなで手分けしてシュハスコの準備に取りかかる。いつもお父さんの介護をしてくれている従姉妹のマーシーアと、お母さんと一番仲の良い妹の一人もファームに来て、一緒に食事をすることになっていたので、合計8人分と思い、たくさん買い込んだのだけれど、結局何故か、2人とも来れなくなったため、ちょっと、食事を多く作りすぎてしまった。でも、お母さんはとても喜んでくれた。

先日、ウルクンの種は、サフランライスを作る要領で、ご飯と一緒に炊くと書いたけれど、早とちりだった。今日、初めてお母さんが作るところを側で見ていたら、まず最初に、フライパンにオリーブオイルを入れて、次にウルクンの種を入れて、しばらく炒めて、オリーブオイルに赤い色を出して、ご飯を炊く際、その赤くなったオリーブオイルを入れて炊くので、種を直接入れるわけではなかった。どのくらいこの赤いオリーブオイルを入れるかは好き好きで、控えめに入れれば、ご飯は黄色いサフランライスのような色になるし、たくさん入れると、オレンジ色のような色になる。

2009年511日(月)

お母さんから風邪(Resfriado、ヘシフリアード)をもらってしまったようで、エドソンは昨日から鼻をずるずるいわせて調子が悪い。昨日から薬を飲んでいるけれど、今回のはちょっとたちが悪そうだ。ちなみに、I have a cold. 「私は風邪をひいている」をポルトガル語で言うと、Eu estou resifriado. で、日本語に直訳すると、「私は風邪の状態だ」という意味になるのだけれど、エドソンはアメリカに行ったばかりの頃、風邪をひいた際これを英語に直訳して、I am cold. (つまり、私は寒いとか私は冷たいという意味になる)と言ってしまい、通じなかったという経験がある。私も英語の文章をそのままポルトガル語に直訳して、とんちんかんなことを言って通じないことがよくあるけれど、同じヨーロッパの言語なのに、表現の仕方が違うことが多々あるのでややこしい。

風邪にも負けず、今日は予定通り、リオに行く。

先週は、ホンダの車を見にノヴァイグアス(Nova Iguacu)に行こうと話していたのだけれど、先日リオで飛び込みで行ったフォルクスワーゲンの販売店の対応があまり良くなかったので、やはり、トヨタの販売店の人が紹介してくれた、バハ(Barra)にあるホンダの販売店に行くことにした。リオまでいつものようにバスで行き、リオのバスセンターからバハまで、また別のバスに乗り換えてバハのバスセンターまで行き、バハのバスセンターからはタクシーで、ホンダの販売店まで行くので、ずいぶん時間がかかったけれど、販売員の人を紹介されて行くと、やはり対応が違う。

最初は、トヨタカローラとホンダシビックを比較すると、シビックがいろいろな面で負けてしまうので、販売員の人は売り込みにあまり積極的ではなかったけれど、シビックとフィット(Fit)の両方を試乗運転させてもらったあたりから、私たちがフィットに興味を示し始めると、俄然積極的になり、フィットのトランクを開けて見せてくれたり、後部座席を倒したり上げたり動かして、様ざまな大きさの荷物を積み込めることなど、フィットの特徴をいろいろ説明してくれた。フィットは1400〜1500ccと小さい車なので、カローラとはタイプがまったく違うのだけれど、なかなかいい。ブラジルではとても人気があるせいか、価格はカローラよりもわずかに安いだけで、大して変わらない。単純な比較はできないけれど、それぞれの、価格やサービスを比較して、トヨタカローラかホンダフィットのどちらかを選ぼうというところまできた。

バハのホンダ販売店でゆっくり時間を取り、バハからの帰りのバスもラッシュアワーがあることを予想して、ゆとりをもって移動できるようにするために、リオからの帰りのバスは、今回は最終便の6時45分発にしたのだけれど、ラッシュアワーが終わる頃の時間だったせいか、それほどひどい渋滞はなく、8時過ぎには家に帰りつくことができた。

2009年5月12日(火)

エドソンの風邪は昨日の夕方あたりからさらにひどくなり、今朝は薬のせいもあって、頭がボーっとしてるようで、時々、横になったりしている。

私もおそらくいつものように、時間差でこの風邪をもらうのだろうけれど、今のところ大丈夫なので、今日は、洗濯、掃除、ごみ捨て、畑仕事と、ずっと動き回っていたら、さすがに疲れて、午後は少し横になってお昼寝をした。今日はふたりとも休養日となった。

うちのファームから北西の方向の山の向こうで、煙がもくもくと上がっている。山火事なのか、焼畑をしているのかわからないけれど、かなりの煙だ。でも、ここからはずいぶん離れているので、影響はなさそうだ。

2009年5月13日(水)

エドソンは今日も調子が悪い。昨日も今日もくしゃみを頻繁にするので、自分で寒いと感じていなくても、体がちょっと冷えていると感じているのかもしれないと説得して、長袖のシャツを着せることに成功。ようやくくしゃみが収まった。

昨日も今日も家にこもっているので、エドソンは保険料のことで車の販売店や銀行などと連絡を取ったりして、少しずつ車購入の準備をしている。販売店を通じて保険をかけるとずいぶん高いのだけれど、ブラジル銀行(Banco do Brasil)を通じて車の保険をかけると安いらしいということがわかり、銀行に連絡して見積もりを依頼すると、すぐ折り返し電話で見積もり金額を知らせてくれた。ブラジル銀行に口座を持っていると、割引もあるらしく、販売店経由の保険会社の見積もりの半分くらいで済むことがわかった。銀行の対応の早さと見積もりの安さに感激。私たちの口座のあるパラカンビ支店は、必ず支店長か副支店長が直接対応してくれるので、いつもスムーズに事が運び、とてもありがたい。ブラジル(というよりもリオというべきか?)の一般的なサービス産業はこれまでの経験から言うと、まだ未成熟というか、あってないようなものだけれど、それらと比べると何だか別世界のようだ。日本の銀行でもこんなに親切丁寧なサービス対応を受けたことはないので、この落差に驚いている。

午後、パラカンビのお父さんの所に行っているお母さんから連絡があり、お父さんの家のことで、今日中に支払いを済ませなければならない何かの支払いが済んでいないらしい。急いでパラカンビの町に行くことにする。バス停でバスを待っていると、友人のフランシスコが車で通りかかり、町まで彼の車に乗せてもらうことになった。ラッキー!トヨタカローラとホンダフィットのどちらを買おうか悩んでいるという話をエドソンがすると、彼は最近ちょっとした事故に遭ったばかりだったので、自分だったらフィットよりも安定性のあるカローラにすると言っていた。

銀行の前でお母さんと落ち合い、書類を受け取り、銀行で支払いを済ませる。その後、スーパーに行って買い物をしてファームに戻る。

2009年5月14日(木)

お母さんの風邪は軽かったのに、それをもらったエドソンはひどく調子が悪い。エライニもエドソンと同じように今日は何度もくしゃみをして、ひどい鼻声で調子が悪そうだ。彼女もお母さんから風邪をもらったようだ。やれやれ、次は私の番か?

以前、このファームのおかしな犬猫ファミリーを紹介したけれど、今日は、番犬のデデ(Dede)を紹介したい。彼はこのファーム唯一の大型犬で、といってもシェパードやゴールデンレトリーバーのように大きくはなく、ただ他の犬よりも大きいというだけだけれど、入り口近くのマンゴーの木につながれている。20メートルくらい離れた2本のマンゴーの木の間を走り回ることができるように、彼の首輪についたチェーンは、2本のマンゴーの木をつないでいるワイヤーにつながれている。年齢は3歳くらいの雑種で、私たちが寄って行くと首をかしげる癖がある。2年半前に来た際、「お座り(Sit)」と「待て(Stay)」を教えようとして、お座りだけはできるようになったけれど、待てまでは習得できなかった。今回、ようやく「待て」も完璧ではないけれど、できるようになった。食事を持ってゆくと、とても興奮して飛び跳ねるけれど、「Dede. Sit.」、そして「Stay.」と言うと、ちゃんと座って少しの間だけじっとして、こちらを見つめ首をかしげる。彼の食事は基本的には他の犬と同様ドッグフードなのだけれど、夕食のお肉類が残ったり、骨が出たりしたら、彼のところに持って行くことにしている。そして、アバカチ(Abacate、つまりアボカド)が木から落ちて、地面の上で壊れていたりすると、エドソンがそれを拾ってデデのところに持って行くと、とても喜んで食べる。デデはアバカチが大好きだ。

アバカチと言えば、ここに来る野鳥たちもアバカチが大好きなようだ。先日、エドソンが家の裏の丘を上がって行く途中に野鳥の餌台を作って、バードウォッチングをしようとしたのだけれど、見事に失敗。木に囲まれて人の通る道からも外れているからちょうどいいと思ったのに、何故が嫌われてしまい、鳥が集まって来ることはなかった。でも、家の玄関先のアバカチの木から実が熟れて、最近、時々ドスンと大きな音をたてて、実が自然に落ちて来ることがあるのだけれど、それを地上で割れた状態のまま放置していると、鳥たちがそのアバカチをついばみに来るようになった。ここは玄関先で、人の出入りがあるのに、人通りの少ない餌台は嫌われ、人通りの多い玄関先に集まって来るなんて、おもしろい。

2009年5月15日(金)

とうとう私も風邪をもらったようだ。でも、早くから薬を飲み始めていたので、ちょっと喉がおかしく、咳が出る程度で済んでいる。ただ、薬のせいだろうか?体がだるく、眠気がくる。

バハのホンダ販売店から電話で、マネージャーが直接オファーについて話したいから来てほしいと言ってきたが、エドソンはまだ出かけて行ける状態ではないので、もう少し良くなったら出かけて行こうと考えている。

このファームの人間たちはみんな体調を崩しているが、動物たちはみんな元気だ。キキとパパ猫がくっついて、のんびりとお昼寝をしている。パパ猫はほとんど1日中、あちこち場所を変えながら、気に入った場所で寝て過ごしていて、キキは1日中元気に遊びまわっているけれど、時々こうやってパパ猫のところに行って、一緒にお昼寝したりもしている。この子たちはいつもこんな感じだ。

デデがつながれているマンゴーの木に、時々エライニが子牛をつないで、デデと遊ばせている。デデは一応、番犬なのだけれど、昼間はのんびりと寝ていることが多く、誰か知らない人が来ると吠え立てる程度で、私たちが出入りする分には吠え立てたりはしない。遊び相手がいると俄然元気になり、必死で遊ぶ。キキやママ犬のラリーニャともよく遊ぶけれど、子牛と遊ぶのも大好きだ。

2009年5月16日(土)

昨晩から降り続いた雨は、朝には止んだものの、今日は1日中どんよりと曇ってすっきりしないお天気だ。そしてちょっと肌寒い。こういう日は洗濯物を干しても乾かないので、今日の洗濯はお休み。

エドソンの風邪はゆっくりと快方に向かっている。私の喉の状態は良くも悪くもならず、ちょっと変だなという同じような状態が続いている。でも、時々くしゃみが出るので、夏用のカーディガンを着込んでいる。

こちらでの生活もすでに2ヶ月になり、慣れたような、慣れないような、相変わらず何ともいえない中途半端な状態が続いているけれど、ポルトガル語に関しては、まだまだ全然という状態だ。ただ、食べ物や日常生活に関する語彙だけは増えているかな?と、思う。そして、私たちが日本語を教科書通りに話さないのと同じように、こちらの人たちもポルトガル語を教科書通りに話さないケースがいろいろあることに気づくようになった。例えば、「エリカはどこですか?」という文章を、ポルトガル語のクラスで習った通りに言うと、”Onde esta a Erica?”だけれど、ここで普通に聞く表現は、”Cade a Erica?”だ。CadeはOndeと同じく、「どこ」という意味らしいのだけれど、ブラジルでしか使われていない口語表現だそうだ。CadeはO que e deという古いポルトガル語が縮まった表現で、もうその中に動詞があるので、見た目は動詞が抜けたような”Cade a Erica?”になるらしい。(注:ポルトガル語のアクセント記号は表記できないので、省略してある)

また、「それは何ですか?(What is it?)」という文章を、ポルトガル語のクラスで習った通りに言うと、”O que e isso?”となるが、こちらでは、”Que que e isso?”と言う。家の外で何かドスンという音がして、”Que que e isso?”と言って、エリカが飛び上がったことがあるけれど、さしずめ「何、あれ?(英語で言うなら”What’s that?”)」という感じだろうか?そして、「OKです(または、いいです)」という意味で使う”Esta bom.”も、”Ta bom.”とか、ただ単に、”Ta.”というふうに縮めて言う場合がとても多い。だから、「いい?」「いいよ」という会話だと、”Ta bom?” “Ta.”となる。そして、”Let's go.”という意味で、”Vamos.”と言う代わりに、”Vamo la.”という表現をとてもよく耳にする。

それから、こちらの人たちは何だかんだ話した後に、よく、”Entendeu?” と聞く。これは「わかりましたか?」つまり、”Did you understand?のこと。英語なら、こういう場合、”Do you understand (what I mean)?”と現在形で言うのが普通だけれど、ポルトガル語では過去形で聞くので、日本語の感覚に近いかもしれない。

3週間ほど前に中国新聞に送った初めてのブラジルリポートが、17日付けで、中国新聞のウェブサイト上の海外リポートに、「日系人の少ない町のスーパー事情」というタイトルになって掲載された。リポートを読みたい方は、こちらへ

2009年5月17日(日)

昨日の早朝からお母さんはパラカンビのお父さんの家に行っている。今回は何とお泊り。2〜3週間前から、毎週土曜日に、エリカが鍼灸のクラスを取り始めた上、土曜日の看護をお願いしている人が体調を崩して、昨日は来れなくなったので、昼間はお母さんとエライニが看護をし、夜は、夜勤のエリカの代わりに、お母さんが泊まることになったようだ。お父さんの退院以後、お母さんは本当によくやっている。

ファームの方は今日も相変わらずのどかだ。先週、寝室のキャビネットが来て、イスの上の小物をキャビネットに移す際、イスの上に出しっぱなしにしていた布でできた小物入れの袋がカビだらけになっていたので、びっくりしてすぐに洗濯したのだけれど、タンスの中の冬物のフリースのジャケットや日本からの移動の際、着てきたジャケットなどにもカビが生えていて、ショック。今日はそれらを全部出して、洗濯できるものは洗濯し、できないものは、よおく叩いて陰干しにし、風を通すことにした。ここに来た当初は、雨が多く、湿気が高かったけれど、乾期になり、最近は気温が下がってきていたので、湿度のことはあまり気にならなかったのだけれど、夜の間よく雨が降ったりするので、案外湿度は高かったのだと思い知らされた。スーパーで湿気取りを買ってきて、タンスや引き出しに入れなくては。

畑のレタスとコウビはずいぶん大きくなった。素人が作っているので、コウビは店で売られているような立派な大きな葉っぱに比べればると、とても貧相で、売るほどはないけれど、それでも家族が食べるには十分だろう。レタスの方は、葉っぱを広げて、大きく育っている。もうそろそろ収穫の時期だ。

2009年5月18日(月)

朝5時ごろ目が覚めた際、エドソンが頭痛がして全然眠れなかったから、頭痛薬がほしいと言うので、バッファリンを2錠飲ませて、再度横になる。7時ごろ私が起き出したくらいから、ようやく頭痛も引き、眠れたようで、11時近くまで起きてこなかった。私は彼のペースにまかせて、洗濯などをした後、畑に出て戻って来たら、どうやらお母さんに起こされたようで、部屋から出て来た。何だかとてもグロッキーな顔をしている。風邪がまだ完全に抜けていないのかもしれない。

今日は、バハのホンダの販売店に行く予定にしていたけれど、中止。午後からパラカンビに行き、いくつか用事を済ませることにする。

まず、自動車学校に行き、エドソンの運転の実技練習を3回分ほど予約する。実技試験は自動車学校でするのかと思っていたら、自動車学校を通して、別のところにあるデトランの運転試験場に行かないといけないらしい。運転試験場で実技試験を受けるためには、どうしても自動車学校を通さないといけないらしいので、面倒くさい。自動車学校のマネージャーと何度も電話で話し、デトランの問合せ先の電話番号まで渡しているのに、どうもはっきりしない。エドソンの場合、自動車学校でレッスンを受ける必要がないので、自動車学校にとっては何の収入にもならない手続きなので、腰が引けているらしい。でも、アメリカ時代からオートマチック車しか運転したことのないエドソンは、ブラジルの運転試験場で使われているマニュアル車に慣れるために、数回マニュアル車で実際に練習したいと思っていたので、数回レッスンを受けるからという条件を出し、何とか合意できたので、予約に行ったのだ。私の場合、オートマチックもマニュアルも運転経験があるので大丈夫だけれど、おそらく、同様に1〜2回レッスンを受けることを条件に、運転試験場の方にまわしてもらうことになるのだろう。

でも、その前に、私の場合は心理テストが立ちはだかっている。パラカンビのデトラン指定のオフィスのマネージャーは、上と相談してエドソンの通訳を認めるかどうか決まり次第連絡するという話だったのに、これもいつまでたっても連絡がない。それで、また、事務所まで行ったのだ。はっきりとしたルールがないので、判断しかねているようだ。だったら尚更、マネージャーと直接話をさせてほしいとお願いし、面会の予約を依頼した。

パラカンビの町で、郵便配達の人を見かけたので、写真を撮った。ブラジルのサッカーチームのナショナルカラーは、国旗の色と同じ黄色と緑だけれど、ここの郵便配達の人のユニフォームの色も、黄色と青だ。黄色いシャツに、青のショートパンツ、またはズボンという服装で配達しているので、結構目立つ。徒歩で配達している人をよく見かけるのだけれど、この人は黄色い自転車で配達をしている。

2009年5月19日(火)

今日は、バハのホンダとトヨタの販売店に行く。ホンダの販売店では、再度、フィットを試乗運転させてもらった後、かなり満足の行くオファーをしてくれたので、ほとんどフィットに決めるようなつもりで、トヨタに行ったのだけれど、トヨタで、再度、販売員の人といろいろ話して、カローラの試乗運転をさせてもらうと、やはり、乗り心地がずいぶん違うので、心が揺れる。トヨタは最初に言っていた価格からいろいろ値引きしてくれ、フィットの値段とほとんど変わらなくなった。フィットは小さいのだからもっと安くてもいいのにと思う。

フィットはシティーカーで、田舎の悪路やハイウェー向きではない。カローラもセダンなので、田舎の悪路向きではないけれど、ハイウェー上では良く走る。このどちらにも向く車はSUVなのだけれど、SUVは値段が500万円以上もして、とても大きく、燃費が悪いので、最初から私たちの選択肢の中にはなかった。だから、フィットかカローラになったのだけれど、カローラの唯一の問題は、やはりちょっと目立つことだ。車の大きさはシビックよりもほんのわずか小さいのに、何故か大きく見えるし、値段はフィットとほとんど変わらないのに、カローラの方が高級車に見える。でも、いろいろ悩んだ結果、やはり、カローラに決める。支払う金額から得られるものがカローラの方がずっと大きいという結論に至ったためだ。

ライセンスプレートもトヨタで手配してくれるので、免許証がなくても購入できることがわかった。後は保険だ。保険がなければ車を購入できない。免許証がまだブラジルの免許証に切り替わっていなくても保険をかけることができるかどうかの確認をする必要がある。

昨日、ウィリアムから電話があり、今週末パーディーニョに来ないかと言ってきてくれた。これからのことや、もろもろ、彼に相談したいと、以前から考えていて、再度パーディーニョに行くことを予定していたのだけれど、2週間ほど前に、彼がアテモャの配達中に大きな鉄の扉に指を挟まれて、骨折する事故に遭い、入院したり、手術したりする災難に見舞われていたため、予定が延び延びになっていたのだ。

そして、今日、バハから帰宅すると、お母さんの携帯電話にサンパウロの引越し業者から連絡があり、荷物の通関が無事終わったという知らせが入ったという。良かった。ようやく物事が少しずつ動き出したような感じだ。

2009年5月20日(水)

今日は朝から、いろいろ電話がかかってきたり、かけたりと、エドソンは忙しい。車の保険に関して銀行に問い合わせたら、国際免許でも保険をかけることはできるけれど、万一事故に遭った場合、保険の支払いはトラブルかもしれないということだった。それでは保険がないのも同じだ。保険がないのに、車を買うわけにも行かず、さて、どうするか?困った。とりあえず、トヨタの販売店の人に連絡をして、事情を説明して相談したところ、今回の取引価格を1〜2週間先まで保証することはできないけれど、今、購入してもらえれば、免許取得まで車を預かることはできるということになったので、取引を完了させ、車を購入し、エドソンが免許を取得するまで、車を販売店の方で預かってもらうことにした。

午後、パラカンビに行き、銀行で支払い手続きをし、車の保険契約について、再度確認し、ついでに健康保険についてもどのようなものがあるか調べて連絡してもらうように依頼した。ブラジルは基本的に皆保険制で、医療費は原則無料だけれど、日本のようにどこの医院でも診てもらえるわけではなく、どこの病院に入院できるかも制限があり、入院時に4人部屋ではなく、2人部屋とか個室にしてもらいたくてもできないなどの多くの制約がある。そして、薬代は保険が効かない。もっと良い医療、あるいは高度な医療を受けたいと思えば、基本の保険とは別に個人で保険をかける必要があるため、相当なお金がかかる。

そして、デトラン指定のオフィスでのマネージャーとの面会を、3時に取り付けることができたので、銀行での手続きの後、面会時間まで、お父さんのところにお見舞いに行き、その後、デトラン指定のオフィスに行く。マネージャー氏いわく、やはり外国人だからと言って特別扱いはできない。それをし出すと他にも特別扱いを言ってくる人が増え、きりがなくなるからというのが基本的な姿勢だと言う。ただ、説明言語がポルトガル語というのは、どうしても変更できないけれど、他の受験者と一緒ではなく、私だけのためにテストの時間を取ってくれ、ゆっくりとポルトガル語で説明してあげるからということで、6月1日(月)午後3時からテストを受けることになった。テストまで少し時間があるので、エドソンにこのテストではどんなことをしたかを思い出してもらって、どのような説明を受けることになるのかを予習することにした。マネージャーとしては、これが精一杯の対応なのだから、こうなればすべてポルトガル語でやるしかない。

2009年5月21日(木)

今日は久しぶりに朝から良く晴れたので、昨日から乾かずに室内で干していた洗濯物と、今日洗濯したものと、すべてを太陽の下に干し、再度タンスの中のジャケットなどの衣類を陰干しにしたので、そこらじゅう洗濯物の花が咲いたようだ。

午前中はいつも通りのスケジュールで畑の草取りも済ませ、エドソンは午後からパラカンビに行き、13時35分から自動車学校での車の運転練習。私は家で、明日からのサンパウロ行きの荷物の仕度をする。リオ=サンパウロ間は複数の航空会社がシャトル便を飛ばしているので便利なのだけれど、何週間も前に予約しなければ安いチケットは手に入らないことがわかり、がっかり。2〜3日前の予約や当日となると、料金がとても高いので、それよりも料金がずっと安いバスで行くことにする。サンパウロまで飛行機で行けば1時間、バスだと6時間と、時間はかかるけれど、懐具合にゆとりのない私たちは贅沢は言っていられない。荷物をふたりのリュックに入るように制限しなくてはいけないけれど、パーディーニョはここより気温が低いので、長袖のシャツが必要なため、どうしても衣料品がかさばってしまう。

午後3時半頃に、エドソンが自動車学校での運転練習を終え、帰宅する。自動車学校の車はハンドルがとても重くて、マニュアル車のギアと足のコーディネーションが思うようにスムーズに行かないとこぼしている。今日、練習の後、運転試験場での実技試験の予約を入れてもらうことができたそうだが、一番早く試験を受けられる日付が6週間以上先の、7月5日だという。ブラジルでは何故、こうも何でもかんでも時間がかかるのだろう?まるで、ずっと登り続けているのに、いつまでたっても頂上に辿り着けない山に登っているような気分だ。

ようやく物事が動き出したと思ったのは、早とちりだったのか、、、運転免許取得まであとわずかと思っていたけれど、試験を受けても免許を手にできるのはいつのことになるのやら、、、トヨタの販売店に車を2ヶ月近くも預けることはできないので、なるべく早く免許を持っている誰かと、車を取りに行かなければならない。

2009年5月22日(金)

朝、6時起床。7時に家を出て、パラカンビに行き、8時過ぎの高速バスでリオに行く。交通渋滞はなく、9時半頃にリオに到着し、リオからは、10時のサンパウロ行きのバスが満席だったので、10時15分のバスのチケットを確保。バスの発車時間まで少しあるので、パステウ(Pastel)とフルーツジュースの朝食を食べ、腹ごしらえをする。こういうパステウの軽食のお店のことを、こちらではランショネッチ(Lanchonete)と言って、至る所で見かける。このホドビアーリア(Rodoviaria、つまりバスターミナル)にも、複数のランショネッチがある。10時少し過ぎにバス乗り場に行き、15分発のバスを待つ間、バス乗り場を離れて出発する10時発のバスの写真を撮った。私たちはこれと同じバスでサンパウロに向かう。

サンパウロ行きのバスを出している会社はいろいろあるのだけれど、エドソンはこのバスが良さそうだと思ったようだ。パラカンビからリオまでの高速バスよりもずっとグレードが高く、座席は航空機のビジネスクラスのように前後のゆとりがあり、膝が前の座席に当たることもない。リクライニングも45度位傾けることができ、かなり乗り心地がいい。インターネットのサイトでは、料金は一人75レアル(日本円で約3500円)となっていたけれど、実際に払ったのは、63.50レアル(日本円で約3100円)だった。安いのはいつでも大歓迎。飛行機の一人分の運賃が、片道270レアル(日本円で約13000円)と、ネット上の情報ではあったので、それに比べるとずいぶん安い。

リオから3時間余り来たあたりのホドサーブ(RodoServe、つまりサービスエリアとか道の駅のような場所)で昼食休憩が30分程あり、その後2時間余りで、予定通り、つまり午後4時15分頃、サンパウロ市のチエテ(Tiete)バスターミナルに到着。全行程6時間の長旅の割には、座席がゆったりして座り心地が良かったせいか、あまり疲れなかった。ただ一つ、高速バスはどれも冷房が効き過ぎていて、とても寒いので、フリースのジャケットを着ていなければ、私は絶対、風邪をひいてしまうと思う。

リオからサンパウロまで、ドゥトゥラ(Dutra、国道116号)を西へ西へと進む道すがら、リオデジャネイロ州とサンパウロ州の違いをまざまざと再確認した。リオからノヴァイグアスを過ぎる辺りまでは、お世辞にもきれいとは言い難いのだけれど、サンパウロ州はお世辞抜きに、格段にきれいだ。まず、道路の両側に落ちているゴミが少なく、建物に書かれた落書きもとても少ないので、町並みがサンパウロ州に入ると、とてもきれいな印象を受ける。その上、リオデジャネイロ州側では見かけない、きれいで大規模な工場がたくさん建ち並び、とても高級そうな家々がドゥトゥラから見える。エドソンの説明によると、サンパウロ市と、サンパウロ市から北へ1時間程のカンピナス(Campinas)市と、リオデジャネイロ州の北、サンパウロ州の北東にあるミナスジェライス州の南部地方を結ぶ、三角地帯(リオデジャネイロ州の西部を含む)は、ブラジルでも技術的にとても発達しており、ずいぶん豊かな地域なのだそうだ。サンパウロ州は道路などのインフラが整っているので、大規模工場が進出しやすい環境にあるのだろう。

チエテバスターミナルは、サンパウロ最大のバスターミナルで、約100本のバス乗り場があることは情報として知っていたけれど、実際に行って見ると、リオのホドビアーリアはまったく勝負にならないほど、広く、きれいで、整然として、まるで空港のような印象の施設だった。そして、地下鉄の南北線(Norte-Sul)のチエテ(Tiete)駅が同じ建物の中にあって、乗換えがとても便利だ。サンパウロ市内の地下鉄の路線は4本あり、運賃は他の路線に乗り換えても均一料金で、2.55レアル(日本円で約120円)と、とても安い。地下鉄の駅とローカルバスとが上手く連絡しているようで、地下鉄の切符にはもう1種類あって、バスに乗り継ぐ場合はいくらだったかは覚えていないけれど、もう少し高い料金で、これも均一料金だった。リオ市内の連絡の悪い交通事情とはまったく状況が違う。地下鉄とバスの路線地図はまるで東京の地下鉄の地図のような感じだ。駅も列車も同様にきれいで、安心して利用できる。ただひとつ、運賃は2種類だけなのに、切符の自動販売機はなく、長い行列を作って、窓口で買わなくてはいけないのが、難点と言えば難点だろう。

チエテ駅からは、セ(Se)駅で東西線(Leste-Oeste)に乗り換えて、バハフンダ(Barra Funda)駅まで行き、そこのバスターミナルからパーディーニョ方面に行く長距離高速バスに乗ることもできるのだけれど、今日は金曜日なので、ウィリアムの住むサンタクルス(Santa Cruz)駅近くのマンションで合流して、彼の車で移動することになった。それまでに少し時間があるので、サンタクルスに行く途中にあるリベルダージ(Liberdade)駅で降りて、東洋人街に行ってみることにする。

リベルダージの駅から地上のプラサ ダ リベルダージ(Praca da Liberdade)に上がって行き、地図を見ながら、どちらの方向に行ったらいいか迷っていると、すぐ側で地元の人らしい日系人の年配の男性が3人、日本語で立ち話をしていたので、彼らに、赤い鳥居のある大阪橋はどちらの方向に行けばいいのか聞いてみると、親切に教えてくれた。すごい。さすがに日系人の町、リベルダージだ。この通りには丸海というサンパウロで一番大きな日本食のスーパーマーケットがあることがガイドブックに載っていたけれど、たまたま最初に見つけて入ったお店がその丸海だった。本当にここには何でもある。豆腐やこんにゃくはもちろん、わかめも、うどんも、ソーメンも、お惣菜も、漬物も、もちろんポン酢もある。地元で作られたものだけでなく、日本から輸入されたものもずらりと並んでいる。「ああ、あれもある。これも、ある。うれしい〜!」と私がはしゃいでいると、エドソンも私のことを冷やかしながらもうれしそうな顔をしている。

買いたいものはたくさんあるけれど、今回は荷物になるので、これから行くウィリアムのファームで使うスリッパを2足と、白菜の漬物と、パラカンビに持って帰るために荷物にならない浅漬けの素を2袋買う。パーディーニョに越してきたら、月に1度はここに買出しに来ようとエドソンと夢のような話をする。その後、あちこちの店を覗いてみると、炊飯器もごく普通に売られている。日本とブラジルは電圧が違うので、日本の炊飯器は持参できないため、秋葉原で海外用のタイガーの炊飯器を買って、引越し荷物の中に入れたのだけれど、こちらに来てから買ってもよかった感じだ。本当にここでは日本のものが何でも揃い、お店の人も日本語を話せる人が多いのに、感激。

リベルダージでの散策の後、ウィリアムのマンションに行く。彼は以前、一軒家の自宅に住んでいたのだけれど、3度も泥棒に入られて、3度目は奥さんのジウダ(Gilda)と娘が車で帰宅して、門を開けようとしていたところを襲われて強盗に入られたので、もう我慢の限界と、警備の厳しい、安全なマンションに引っ越したという話を聞いていたので、サンパウロ市はとても怖いという印象だったのだけれど、駅から彼のマンションまで歩く間の街の様子は、東京とあまり変わらない感じだった。

私たちが着いて、ジウダがお茶を入れる準備をしてくれていると、ウィリアムもすぐに戻ってきた。とてもいいタイミングだ。お茶を飲みながら、ひとしきりおしゃべりをした後、出発前に隣に住むお母さんを紹介するというので、お隣の部屋のお母さんの所に行く。ベルギー出身で、ジュネーブの国連機関で働いていたときに、上司がブラジルに移動になり、彼女も2〜3年のつもりでブラジルに移動になったのがそもそもブラジルに来るきっかけだったとか。26歳でブラジルに来て以来、61年間もブラジルで暮らしているという。現在87歳という高齢にもかかわらず、精神的にとても若々しく、ブラジルでこんなに長く暮らすことになったのは、ひとりの男性、つまりウィリアムのお父さん(ドイツ人)に巡り合ったからと、楽しそうに話してくれた。彼女は何と8ヶ国語も話せるので国連機関に勤めていたらしい。ヨーロッパにはよくこのように何ヶ国語も話せる人がいるけれど、同じような言語とはいえ、やはり8ヶ国語はすごいと思う。彼女の英語はとても流暢だった。

8時を回って、いよいよパーディーニョに向け4人と1匹(ジウダの愛犬ダックスフントのカピトゥ)で出発。途中、ホドサーブで夕食を食べ、11時過ぎにパーディーニョに到着。すぐにシャワーを浴びて、ベッドに入る。

2009年5月23日(土)

パーディーニョは朝からとてもいいお天気で、乾いた風が吹き抜け、パラカンビよりもずっと涼しく気持ちがいい。朝食後、エドソンとウィリアムはアマチュア無線のプロジェクトのことで無線室にこもりっぱなし。ジウダと私はパーディーニョの町にマテウス(Mateuz、マウリシオの5歳の息子)を連れて買い物に行くことにする。ジウダは車を運転しながら、ゆっくりとしたポルトガル語でいろいろ質問をして来るので、こちらも一生懸命言えることを言って、何とか会話を成立させようとするのだけれど、なかなか思うように行かない。でも、言葉の選択を間違ったり、動詞の変化を間違えても、何とかこちらの言わんとすることを理解してくれるので、とても助かる。彼女は結構我慢強い女性だ。

この町はとても小さいので、お互いにみんな知り合いのようで、お店の人たちはジウダはもちろん、マテウスのこともよく知っていて、親しげに話しかけてくる。この店にはこれまでにも何度か来ているけれど、いつ来てもオーナーも店員さんたちも気さくで、親切だ。しかもジウダは現金を持たず、つけで買い物をしている。小さい町なればこその便利さと、居心地の良さのようだ。このお店はパラカンビのスーパーに比べたらずっと小さいけれど、必要な物は、日本食と魚介類以外ならほぼ何でも揃う。

買い物から帰宅後、ジウダとドナ・クレウザ(Dona Cleuza)が昼食を用意してくれた。みんなでお昼を食べる際に、急いで部屋にカメラを取りに行き、写真を撮ることにする。

今、ウィリアムのところで作っているアテモヤが収穫の時期なので、彼の作ったアテモヤもいただく。大きさは日本で見かけるアボカドくらいで、表面はズムーズでなく、でこぼこしている。見慣れない形なので、見た目はあまりおいしそうではないけれど、いかにもトロピカルフルーツといった感じだ。 

これを半分に切ると、中はグラビオラととても似ている。味もグラビオラに似ているけれど、グラビオラほど濃厚な甘さではなく、後を引く感じもなく、アテモヤの方が食べやすい。とても柔らかいので、スプーンで簡単にすくって食べることができ、手も汚れない。

夕方は、パーディーニョの町のマックス・フェファー(Max Feffer)文化センターの野外ステージで、音楽祭があるというので、4人で出かけて行く。パーディーニョの町はMusica Raiz(ムジカ ハイズ、根っこの音楽という意味)、つまりルート音楽と呼ばれる、カントリー音楽に似た音楽の発祥地だそうで、町の入り口にはムジカ ハイズ発祥の地という看板が出ている。この音楽祭では、ブラジルのいろいろな所から、様ざまな歌い手が集まって、歌を披露していた。これらの演奏される音楽を聴きながら、「フランシスコの二人の息子たち」(Dois Filhos de Francisco)というブラジル映画を思い出した。この映画の中でふたりの男の子の兄弟が、ギターを弾きながら、歌っていたのはカントリー音楽と呼ばれる種類の音楽で、このムジカ ハイズとは微妙に違うらしいのだけれど、とても似ているので、私には違いがよくわからなかった。

2009年5月24日(日)

今日は、パーディーニョとサンパウロを結ぶ、カステロブランコ(高速道路)を、サンパウロに向け1時間程行ったイペロ(Ipero)というところにある、サービスエリアで、年に一度のアマチュア無線の小規模な集会があるというので、出かけることになった。

ハム仲間が自分たちの実験の成果を見せ合ったり、いらなくなった部品などを持ち寄って交換し合ったり、交友を深めたりするのが、主な目的らしい。エドソンにとってはこれからブラジルでの生活を始めるにあたって、欠かせないネットワーキングに役立つからという、ウィリアムの提案だった。

エドソンの作ったSDRZeroという装置を、数年前サンパウロで開催された別の技術フェアで、ウィリアムがブースを設置して発表したので、アマチュア無線仲間の間ではエドソンの名前は良く知られているのだけれど、直接会ったことはないので、彼らはエドソンを知らないし、エドソンも彼らを知らない。だから、いい機会だというのだ。ウィリアムがコンピュータに搭載したSDRZeroをファームから持参し、それを見せながら、数人の人にエドソンを紹介すると、たちまち彼らの周りには人だかりができて、エドソンはその人たちひとりひとりと話すのに忙しい。

ジウダと私は手持ち無沙汰なので、暇にまかせて、売店をのぞいたり、売店でジウダが買った音楽CDを、車の中で聞いたりして時間を潰す。この集会に来ている人たちは、お昼はここのシュハスカリーア(Churrascaria、つまりシュハスコレストラン)で、シュハスコ(Churrasco)を食べることになっているらしく、12時を回って、徐々にメンバーがテーブルに着き始めたので、私たちも適当なところに座って飲み物を注文する。どこのテーブルも話が弾んでいる。

私たちの側に座った人たちもウィリアムやエドソンと楽しそうに話している。その内のひとりはサントスで医師をしている人だったのだけれど、何と、パラカンビから北へ1時間ほど行ったバソーラス(Vassouras)の医科大学で学び、インターン時代にエドソンのお父さんが入院していたパラカンビの病院でも診療していたことがあるのだそうだ。お互いに共通の友人がいることもわかり、すっかり意気投合している。魚をご馳走するから(サントスはサンパウロ州の港町なので魚が新鮮なので)、ぜひサントスに遊びに来てくれと、誘ってくれた。そのお隣にはサンパウロから来たという日系の中年男性もいた。私も日本語とポルトガル語を交えて少し彼と話をした。私が広島出身だと言うと、彼の伯母さんが広島の人で、戦争中は黄金山の近くに住んでいたそうで、原爆で家が倒壊したというようなことを話してくれた。

この集会に来ているメンバーの顔ぶれを見ると、大多数が中年以上の白人男性ばかりで(黒人系の人も3人いたが)、若い人はほとんどいない。これはアメリカでもブラジルでも同じような傾向らしく、最近は何故か若い人たちの間でアマチュア無線をやる人が少ないのだとか。エドソンは若い人たちにアマチュア無線の楽しさ、特にテクノロジーの面での楽しさを教えたいということを以前言っていた。コンピュータと無線を合体させたようなSDRは、コンピュータと一緒に育ってきている若い人たちには、とっつき易くと思っているようだ。

昼食後、ウィリアムとジウダと愛犬カピトゥはサンパウロに帰って行き、私たちはマウリシオ(Mauricio)の車でパーディニョに戻る。

2009年5月25日(月)

エドソンが昨日の夜から喉がおかしいと言っていたので、持っていた風邪薬を飲ませたのだけれど、今朝は喉がひどく痛いという。本格的にまた風邪をひいてしまったようだ。ブラジルに来て、これで3度目の風邪。その上、今回は下痢まで!昨日の朝、私も下痢をしたので、ドナ・クレウザに薬をもらって飲んだお陰で、すぐによくなったのだけれど、エドソンは結局、風邪薬とお腹の薬を飲んで、1日中ベッドの中で寝て過ごすことになってしまった。

午前中、サンパウロの引越し業者Japex から、明日の午前10時に予定通り、荷物を届けるという連絡が入る。日系の業者だからなのか、対応がきめ細やかでいつも約束通りに事を進めてくれるので、とても安心していられる。ブラジルに来るまでは、落ち着き先が決まるまで、とりあえずパラカンビに荷物を運んでもらって、お父さんの家のエドソンが無線機などの機器を保管している部屋に、詰め込む予定にしていたのだけれど、ここは湿気が多く暑いので、カビが心配だし、ここでの手続きや、運転免許の切り替えができ次第、サンパウロ州に移動して、落ち着く先を決めようと考えるようになったので、パラカンビに配達してもらわず、パーディーニョのウィリアムのファームの倉庫に預かってもらうことにした。私たちがこの週末パーディーニョに行くことにした後で、通関手続きが完了したという連絡が入り、とてもタイミングが良かった。

午前中に私たちの様子を見に来たマウリシオに、エドソンの薬を買いに行ってもらい、私はジウダが買っておいてくれたパイナップルやマンゴーなどの果物で、フルーツサラダをたくさん作り、エドソンに食べさせる。午後からは暇にまかせて、ベランダで犬たちと一緒に日向ぼっこをしながら、空を眺めて過ごす。ここの空は広くて、雲の流れる様子を見ているだけでも退屈しない。午後から南西の空に黒い雲が広がり、空模様が怪しくなり、時々、遠くで雷が聞こえる。家の南側に行って空を眺めると、遠くの方で雨が降っているのが見える。ベランダで寝ていた犬たちも私についてきて、足元で一緒に空を眺めている。私がベランダの椅子に戻ると、犬たちも一緒にベランダに戻り、またそれぞれ気に入った場所にごろりと横になる。いつも側にいて、着かず離れずの彼らのこの感じはとてもいいなと思う。そうこうしているうちにざっと通り雨が来たので、家の中に入り、テレビでノベラ(Novela、つまり連続メロドラマ)を見ることにする。しばらくして、本格的に雨が降り出した。

夕方、雨がやみ、エドソンが起きてきたので、有り合わせのもので夕飯を作りふたりで食べる。1日寝ていたお陰で、お腹の具合はほぼ全快。風邪の方も少しずつ良くなっているようだ。

2009年5月26日(火)

8時前に、「今日、荷物の配達は10時だったね」と、マウリシオが確認に来て、トラクターで果樹園に下りて行った。でも、20〜30分もしないうちに、戻ってきたので、どうしたのかな?と思っていると、白いバンがやって来て、倉庫の前でマウリシオと話をしている。ひょっとして、荷物の配達?でも、まだ8時半で、配達予定時間の10時まで1時間半もある。でも、やはり配達だった。マウリシオの家の電話に配達の車から、到着直前に連絡が入ったようだ。エドソンとふたりで倉庫まで行き、配達の人たちに挨拶をし、荷物の番号をリストで確認しながら、倉庫の中に運び入れてもらう。中年の運転手の人がひとり、配達担当の責任者の人がひとり、荷物の運び入れを手伝う若い人がひとり、計3人で、手際よく仕事を進めてゆき、1時間足らずですべて完了。

海外への引越しを請け負う業者はいろいろあるけれど、ブラジルへの引越しを請け負う業者は、需要が少ないからか3社くらいしかなく、どの業者もブラジルに支店を持っていないようで、代理店を通して仕事をしている。その中で2社の見積もりを取り、結局、これまでの海外や国内の引越しで、いつも利用してきたヤマト運輸の対応や仕事のやり方を経験して知っているので、見積もり金額がほとんど変わらないのであれば、やはり一番信頼できると思い、ヤマトに依頼した。ブラジルでは、Japexという代理店が荷物の通関と配達をしてくれたのだけれど、窓口の担当者は日系の人らしく、コミニュケーションは日本語でもポルトガル語でもOKで、通関書類の作成はとても適切、こちらの質問にも迅速かつ具体的に、的確な指示、回答をくれた。お陰で、通関では何のトラブルもなく、通関料をかけられることもなく、さらに、今回、配達先の変更に関しても、遠いリオデジャネイロ州のパラカンビよりも、同じサンパウロ州内で2〜3時間で配達できるパーディーニョへの配達は何の支障もなく、快く変更に応じてくれ、前日には確認の電話をくれ、当日は予定の時間よりも早く到着するという、これまでリオでは経験することのなかった仕事ぶりに、ヤマトに依頼して本当に良かったと満足。

荷物の倉庫への運び込みが完了して、配達の責任者の人とエドソンが話をしていると、その間、運転手の人と若いお兄さんはファームのみかんの木を見つけて、みかんを食べに行ってしまった。この辺はやはりいかにもブラジル人らしい。運転手の人はみかんを食べ終わった後、野菜畑の赤い唐辛子を見つけて、「もらって帰ってもいいか?」と聞き、マウリシオの許可を得て、彼からもらったビニール袋いっぱいに唐辛子を摘んで、帰って行った。サンパウロに戻る途中で、もう1件、日本からの航空便の荷物を配達するのだそうで、3〜4箱の荷物がバンの中に残っていた。

エドソンの調子もほぼ回復したので、午後からマウリシオの案内で売り出し中のファームをいくつか見に行く。場所的にはウィリアムのファームよりも良い場所はなく、値段的にもこちらの予算内に収まるものもなかなかない。とりあえず、マウリシオにパーディーニョで借家を探してもらうよう依頼する。その後、明日リオに帰る長距離バスの切符を買いに、ホドサーブに行く。朝、ちょうどいい時間のバスはなく、6時発のリオ行きがあるというので、その切符を購入する。でも、リオ到着まで11時間かかるという。ここからチエテまで2時間余り、チエテからリオまで6時間で、休憩を数回入れたとしても9時間余りで着くはずなのに、何故だろう?

2009年5月27日(水)

朝4時半に起床、仕度をして、5時半に時間通りにマウリシオが車で迎えに来てくれ、ホドサーブのバス乗り場まで送ってもらう。昨夜ずいぶん雨が降ったけれど、朝になっても霧雨が降ったりやんだりしている。朝食用のパステウとジュースを買ってバスに乗り込む。今回のリオまでのバスもとても乗り心地がいい。でも、11時間はちょっときついかも。リオまで行かず、途中のパラカンビで降ろしてもらえれば10時間だけれど、それでも長旅になる。

このバスはバハフンダを経由して行くのかと思っていたら、途中でカステロブランコを北に下りて、カンピナスの方角に行く途中にある町を3つも経由して行く。道理で時間がかかるはずだ。高速バスというのはあまり途中の町を経由するとのない、直行バスが普通なので、こんなに頻繁に止まり乗客が乗り降りする高速バスなんて聞いたこともないと、エドソンも驚いている。4度目の経由地のカンピナスではバスを乗り換えさせられ、運転手さんも交代した。私たちを含め5人と人数の減った乗客に、新しく交代した背の高いハンサムな黒人の運転手さんが、ひとりひとり気さくに行く先を確認して行く。エドソンが一応リオまでだけれど、できればパラカンビで降ろしてほしいと頼むと、何の問題もなく了解してくれた。何と、運転手さんもパラカンビの住人なのだそうだ。サンパウロ州で長距離高速バスに乗った、そのバスの運転手さんがパラカンビの人だなんて、何と言う奇遇だろう?トラックの運転手のように、仕事の都合で、州を越えて長距離のバスの運行に携わっているので、毎日朝、家を出て、毎日夜、家に帰るという生活ではないのだろうけれど、パラカンビで暮らして、こうして仕事をしているのか、、、

カンピナスの後、サオン・ジョゼ・ドス・カンポス(Sao Jose dos Campos)のターミナルで3人の乗客が降りた後は、乗客は私たちふたりだけとなり、パラカンビに着く2時間半くらい前に昼食休憩があり、パラカビには午後4時に予定通りに着き、降ろしてもらうことができ、とても幸運なバスの旅となった。まだ明るい時間に家に帰り着けたので、10時間のバスの旅の割にはそれほど疲れずに済んだ。でも、バスを降りると、パラカンビはパーディーニョと違い、湿度が高く、暑いので、体がびっくりしている。今日のリオの昼間の気温は、何と37度だったらしいと、家に帰ってインターネットの情報で見たエドソンが驚いている。道理で暑いはずだ。

家に帰り、荷物を片付け、留守中溜まったメールなどをチェックして、遅めに夕飯を食べ、11時頃、さすがに疲れて床に就く。

中国新聞の海外リポートに、私の2本目のリポートが、「広い国土 こもごも交通事情」というタイトルになって、5月26日付けで載っていた。月末か6月初めの掲載と聞いていたので、ちょっとびっくり。中国新聞海外リポートのサイトは、こちらへ

2009年5月28日(木)

昨日の夜は激しい雨が降ったのだけれど、朝にはお天気が回復したので、パーディーニョに行く前に溜まっていた洗濯物とパーディーニョから持って帰った洗濯物を、すべて洗濯して、留守中に汚れた家を、エドソンとふたりで徹底的に掃除する。留守中、お母さんがカビ臭い匂いがしていたからと、窓を数日開けっ放しにしていたようで、虫の死骸があちこちに溜まり、家の中を虫がたくさん飛び回っている。ああ〜、たった1週間足らず留守にしただけなのに、また、元の木阿弥、、、蚊取り線香を焚き、虫取りラケットを手に、各部屋を回り、できるだけ虫をやっつけたのだけれど、それでも、寝ている間に足と手の数箇所を刺されてしまった。少し涼しくなって、ここ数週間、虫刺されから開放されていたのに、またこのかゆみに悩まされる日々に戻ってしまった。

午後は留守中に書けなかったブログをせっせと書いて、ブログ更新の準備をする。

2009年5月29日(金)

サンパウロから雨を連れてきてしまったのか、昨日の夜もまた強い雨が降り、夜中に雨の音で目が覚めるほどだった。夜が明けてもまだ降り続いている。今日は、自動車学校で、エドソンの運転の練習が8時からあるので、困ったなと思っていたら、7時前頃から、少し小降りになった。ウィンドブレーカーを着て、フードを被り、小降りになった雨の中を、ふたりでパラカンビに出かける。運転試験場での試験官の人の指示が理解できるよう、私も一緒に車に乗せてもらって、インストラクターがエドソンに出す指示を聞く練習をしようと思ったのだ。でも、やはり難しい。右、左、真っ直ぐ、止まれ、くらいはわかるけれど、他の細かい指示や説明はやはり何を言っているのかわからない。ああ〜、ため息が出る。

教習が終わった後、エドソンがエリカのお店の開店準備を手伝う約束なので、エリカに連絡すると、まだ夜勤の仕事から戻っていないらしく、とりあえず、お父さんの家に行き、エリカの帰りを待つことにする。今日は、お父さんの調子がちょっと良さそうで、エドソンと話ができる。1時間くらいしてエリカが戻り、一緒に彼女のお店に行く。エリカはそれでなくても忙しく働いているのに、何を考えているのか、パラカンビの町にインターネットカフェを開店しようとしている。パラカンビの町にはもうすでに数軒インターネットカフェがあるので、ただコンピュータが使えるというだけの店ではうまく行かないし、エリカ自身が店の運営に携われないため、店を誰かに任せないといけないので、管理が行き届かなくなるなどの理由で、エドソンは反対したのだけれど、エリカは聞かず、準備を続けている。仕方がないので、財政支援はしないけれど、エドソンのコンピュータに関する知識を活用する支援はしてあげるつもりらしく、ときどき、こうやって店のコンピュータに関して、手伝ってあげたりしている。

店に行ったら、数日前にエアコンを取り付ける作業をした後、作業の人が掃除をしないままで仕事を終えているので、店の中にあるものすべて、コンピュータも椅子もテーブルもゴミとホコリにまみれている上、開店準備の進捗状況も、私たちが帰って来た2ヶ月前とたいして変化がないのに、エドソンとふたり言葉を失ってしまった。しょうがないので、私が店の掃除をし、ゴミを片付けている間、エドソンがコンピュータのネットワーキングのチェックをすると、あれがない、これが足りないということになり、必要な部品を買いに出かけ、それらを持って店に戻り、再度、作業を始める。お昼を過ぎ、ようやく雨も止んだので、少し昼食休憩を取ってから、また店に戻り、午後からもさらに作業を続ける。

明日、バハのトヨタに車を取りに行くために、銀行で車の保険の手続きをしておかないといけないので、2時過ぎにまた、一旦作業を中断して、銀行に行き保険の手続きを完了させる。

再度、エリカの店に戻り、4時過ぎまで作業を続けた後、スーパーで買い物をして、エリカの車で送ってもらいファームに戻る。ファームに戻ると、居間のソファーに座って、エリカと向かい合い、エドソンが真面目な顔をしてお説教を始めた。兄として、いろいろ気になることを、どうしても言っておこうと思ったようだ。理解してくれるといいのだけれど、、、

2009年5月30日(土)

朝、パラカンビのバスの停留所で、エリカと待ち合わせて、リオに向かう。何か事故があった場合、国際免許ではなく、ちゃんとした免許を持っている人が車を運転していれば、損害保険を請求できるので、どうしても、免許を持っている人と車を取りに行く必要があったのだ。幸い、今日は彼女の鍼灸のクラスがないので、一緒に行ってもらえることになった。昨日、エドソンがトヨタの販売員の人に何度電話しても、どうしても連絡が取れず、販売店の女性を通じて2度も、今日、車を取りに行く事を伝え、折り返し電話をしてほしいと頼んでおいたのに、電話がなかった。それで今日、リオに行くバスの中から、電話をすると、今、お客さんとテストドライブ中なので、後で押し返し電話をするという。

リオのホドビアーリアに着き、バハ行きの切符を購入し、バスの時間を待つ間、朝食を抜いてきたエリカが、ランショネッチで買ったパステウとジュースを食べていると、販売員の人から電話が入った。エドソンが今リオに着いて、これからそちらに車を取りに行くところだと伝えると、今日は車を引き渡せないという。えっ?車の引渡しの準備ができたので、いつ取りに来てもらってもOKと言っていたのに、、、土曜日はセールス部門しか仕事をしていないので、引渡しの手続きができないという。そんなことは聞いていない。前もって連絡をもらっていれば、準備できたのだけれどとさらにいう。昨日ちゃんと電話をして、伝言を頼んだのに、彼に何も伝わっていないので、準備ができておらず、引き渡せないという。ああ、、、

相手にしているのは日本車の販売店でも、そこで仕事をしているのはみなカリオカたちだったのだということを、またつくづく思い知らされた。ここでは本当に、何事もすんなり行くことがない。

急いで、バハ行きのバスの切符をキャンセルに行き、お金を払い戻してもらい、パラカンビ行きのバスの切符を購入して、バスまで走る。パラカンビとリオの間を3人がバスで往復したので、100レアル近く無駄な出費になってしまった。痛い!

でも、少なくともバハまでの切符はキャンセルでき、お金が戻ってきたのだし、パラカンビに帰るために、無駄に何時間もホドビアーリアでバスを待つこともなく、12時発のバスにすぐ乗れたのだから、幸いだった。

パラカンビに戻り、3人でお昼を食べ、また、エリカのお店に行き、エドソンがネットワーキングの作業を続ける。途中で、開店の暁には、お店でアルバイトをしてくれることになっているマーシーアの17歳になる息子のハファエルが来たので、エドソンが彼にネットワークケーブルの作業を教えたりしながら、何とかネットワーキングは完了。後はソフトの設定が残っているけれど、今日はそこまでやる時間がなく、夕方、エリカに送ってもらいファームに戻る。

2009年5月31日(日)

このところお天気の悪い日が続いていたけれど、今日は久しぶりに朝から晴天で、またまた私は洗濯に精を出す。パラカンビに来て以来、何だか洗濯と掃除に明け暮れているような感じだ。エドソンが家中の窓という窓を全部開け放してくれ、タンスの扉も全開にして、風を通してくれている。この家はとても古く、あちこち問題を抱えているので、窓を開けたり閉めたりするのはとても大変で、開けたはいいが閉まらなくなるということが度々あるので、私は触らないようにしていたのだけれど、窓を開け放すと、さすがに部屋の中が明るくなり、風が通り気持ちがいい。

このところ、パーディーニョに行ったり、帰ってきてからもいろいろ忙しかったので、ほったらかしになっていた洗濯機の修理を、エドソンが始めてくれた。台所の横のパントリーから洗濯機を外のベランダに出して、テーブルの上に横にして、中が良く見えるようにしてみると、ひび割れの箇所は1箇所だけではなく、何箇所もあることがわかった。何という粗悪品だろう!そして、洗濯機の構造がとても単純で、使用されている後ろ側の外装パネルがひどくちゃちなことにも、とても驚かされた。日本製の洗濯機の中の構造を見たことはないけれど、音が静かなことなどから想像しても、きっともっとましなのではないかと思う。しばらくそのままにして濡れた状態の洗濯機を乾かして、午後になってから接着剤を使って修理に着手してくれた。これで、水漏れが完全に直ればいいのだけれど、ちゃんと使えるようになるかな?

パーディーニョに届けてもらった引越し荷物の中から、確定申告関係の書類を持って帰ったので、東京の税務署に送る書類の和訳や書簡をタイプしたりして、明日、郵便局から発送できるように準備をした。これでひとつ、頭痛の種が解消する。まあ、焦らず、ひとつ、ひとつ、と、自分に言い聞かせる。

パーディーニョに届けてもらった引越し荷物の中からは、もうひとつ、何十年も昔から使っているレシピーノートを持って帰って来た。ここでは嫌と言うほどバナナが採れるので、バナナブレッドやバナナケーキのレシピーで、いろいろ作り、バナナを消化しようと考えたのだ。早速、今日採れたばかりのバナナで、バナナケーキを作ったり、お母さんが採って来たオレンジを絞ってオレンジジュースを作ったりと、ずいぶん長い時間台所で過ごす。



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