Kyoko Yoshida | Life in Brazil | BLOG |
2009年4月1日(水) | ||||
今日は、先日延期になったEricaの勤め先のリオの病院での査問があるので、私たちも一緒に行って、彼女の査問が終わるのを待って、その後、リオの中心部にあるDetran(デトラン)という、日本で言えば運転免許センターのようなところに行って、運転免許の切り替え手続きをすることにした。日本総領事館で印刷してもらったDetranのホームページにある必要書類を揃えて行ったにもかかわらず、それだけでは足らず、パスポートのコピーや納税者番号(アメリカのソーシャルセキュリティーナンバーに当たるもの)なども必要と言われ、仕方なく出直すことになる。私の納税者番号は銀行で手続きするものらしいので、Detranの近くのブラジル銀行で手続きをすれば、Detranに引き返して、今日中に手続きができると考えたのだけれど、ちょっと甘かったようだ。銀行では当たった窓口の人が悪かったのか、手続きのやり方がわからないようで、ずいぶん長〜い時間待たされてようやく手続きをすることができたものの、これを最終的に有効なものにして納税者番号をもらうには、選挙登録が必要で、外国人の場合は選挙権がないので、登録を免除するという許可を国税局からもらう必要があると言われ、タクシーを飛ばして国税局に行く。するとそこではものすごく大勢の人たちが長い行列を作って順番を待っているではないか。その時点でもう2時を回っており、Ericaが5時までに帰らなければならなかったため、今日中に手続きを済ませるのはあきらめることにした。国税局の支部はNova Iguacuにもあるそうなので、後日リオではなく、そちらの方に行くことにする。 ちなみにブラジルでは、成人(18歳)になると選挙登録をして、選挙には必ず行かなくてはならないらしい。日本と違い、ブラジルでは選挙で投票することは国民の権利であるだけでなく、義務でもあるため、投票に行かないと罰金を払わなければならないという。Edsonは17年近くブラジル国外にいて、その間一度も選挙に行っていないので、パスポートを市役所に持参して、いつからいつまで国外にいたため、投票に行けなかったということを証明する手続きしなければならなかった。 リオから家に帰る途中で、先日のショッピングモールに寄って、壊れて配達されてきた洗濯機を新しいものに取り替えてもらう手続きをすることができたので、今日はまずまず、いろいろ達成することができた1日と言えるのではないかと思う。ただ、新しい洗濯機の配達は例によってすぐではなく、20日以内の配達になるのだそうで、やはり、何でも時間がかかるのがブラジルなのだと、自分に言い聞かせる。 | ||||
2009年4月2日(木) | ||||
今朝は、いつも通り洗濯をした後、床の拭き掃除をすることにする。先日買って来たバケツとモップを使って、各部屋の床を拭くと、ざらざらしていた床もすっきり、さっぱり、きれいになった。そして部屋に洗剤のいい香りがかすかに漂っている。ここには日本の玄関のような家の中と外を分ける場所はなく、一応、外から家の中に入るときはサンダルをスリッパに履き替えはするものの、日本のように100%区別しているわけではないので、訪ねて来るお客さんは土足のまま上がってくるし、ここで飼われている犬や猫は自由に家の中と外を出入りして、すぐに汚れてしまう。頻繁にほうきで掃除をしていても、やはり拭き掃除をするとさっぱり感が違う。ちなみにブラジルの一般的な家は木造ではなくレンガ作りで、床はタイルなので、掃除機ではなく、やはりモップで拭き掃除をするのが一番いいように思う。 お昼からは、バスでParacambiに行き、お父さんのお見舞いをした後、運転免許の切り替え申請に必要なパスポートのコピーなどをすることにする。バスの運賃は一律2.30レアル。日本円で100円くらい。運転手さんと運賃を徴収する車掌さんが乗っており、ガタガタと大きな音がするけれど、まずまずきれいで安全そうなバスだった。病院に行く前に、今朝から付き添ってくれている従姉妹のMarciaのために、りんごを2つと梨を1つスーパーで買って行く。このファームでもいろいろな果物が採れるけれど、今の時期採れるのはもっぱら、オレンジ、ライム、アセロラ、バナナなどで、バナナ以外は大体ジュースにして飲んでいる。毎日自宅で自家製のフレッシュジュースが飲めるのだから、本当に贅沢だと思う。特に、アセロラはオレンジの32倍ものビタミンCが含まれている上、様ざまな体にいい成分が含まれているそうだから、それだけでも元気になりそうな気がしてくる。お陰で私たちも完全に風邪から回復したようだ。バナナはいろいろな種類があるけれど、今ほぼ毎日食べているのはモンキーバナナのような小さな種類だ。日本に輸入されるバナナはまだ青いうちに収穫されて、店頭に並ぶ頃にようやく黄色くなるけれど、ここではバナナの木で黄色くなったものを採って食べるので、とても味が濃くておいしい。アボカドはそろそろ食べ頃になってきており、これまでに2度ほど食卓に上がったけれど、マンゴーやパッションフルーツは時期ではないので採れない。でも、スーパーには、りんご、梨、メロン、スイカ、プラム、桃、マンゴー、パパイア、キウィー、ぶどうなどが並んでおり、いちごや柿があることもある。柿はブラジルでもCaqui(カキ)と呼ばれていて、これは日系の人たちが日本から持ってきた種で作り始めたかららしい。
病院のお父さんは、薬を飲み薬から点滴に替えたので、少しずつ食事ができるようになっているらしい。でも、咳をしていて、肺炎を起こしているかもしれないというので、心配だ。今日はEricaも風邪で調子が悪いらしい。私たちの風邪が移ったのだろうか?こうしてお見舞いに来ていると、プロテスタント系の宣伝員のような人が各患者を回って、リーフレットのようなものを渡して行くのをよく見かけるけれど、今日は見舞い客の私たちにも宣伝リーフレットや新聞を配って行った。Edsonはプロテスタント系の人たちがやる、こういうアグレッシブな勧誘が好きではないので、あまりいい顔をしない。 ブラジルは国民のほとんどがカトリック教徒という、世界最大のカトリック教国だけれど、近年カルトのような新しいタイプのプロテスタントの活動が盛んで、じわじわと広まりつつある。例えば人々が働く工場や職場に、夕方教会からマイクロバスが来て、彼らを教会に連れて行くらしいのだが、彼らの教会は私たちが普通に想像するようなところではなく、まるで商店か、町の小さな集会所のようなところで、屋根の上に十字架もないため、外から見てそこが教会だとは容易にはわからない。このファームの近くにはカトリックの教会がないため、うちのお手伝いのElaineは毎週日曜日の夜、近所にあるこの種のプロテスタントの教会に行っているのだけれど、教会で人々が狂ったように激しく飛び跳ねたり、大声で歌ったりする様に、時々ついて行けないらしく、早々に引き上げてくることもあるようだ。彼女いわく、「日曜日の夜だというのに、あんなに大騒ぎをして、あの人たちは月曜日は働かないんだろうか?」 お見舞いの後、Ericaと一緒に銀行に行き、そこの若い女性支店長さんと話をして、いろいろな手続きについて相談する。じきじき支店長さんに会って相談に乗ってもらえるなんて、小さな町なればこその特典のようなものだと思う。その後、免許の切り替え申請に必要なパスポートのコピーを取りに行くと、そこでばったりEdsonの高校時代の化学の先生に出会ってひとしきりおしゃべり。店の前で話していると次々に知り合いの人たちが通り、立ち止まっておしゃべりをして行くため、いつまでたっても店に入れない。先日ここにコピーを取りに来た時は知らなかったけれど、このお店はこの先生が経営しているのだそうで、彼の息子や甥たちが店を取り仕切っているため、お店に入っても、また、彼らとのおしゃべりが続く。なかなか、事がはかどらない。 | ||||
2009年4月3日(金) | ||||
今日はEricaが仕事で留守なので、Nova Iguacuの国税局支部に、選挙登録免除の許可をもらいに行こうにも、足がないため動けない。車がないと本当に不便だ。でも、免許証を切り替えることができて、車を買えば、もうこのような手続きのためにあちこち飛び回る必要もなくなるので、まるで、「にわとりと卵」の問題のように悩ましい。 今日は朝から、Edsonが手配した人がファームの周囲の伸びきった草を刈る作業をしているので、草刈機のモーターの音がずっとしている。Elaineが作業をすると、手作業でするので何日もかかるけれど、電動草刈機でやってもらうと、1日で済むので助かるという。1日の作業代は40レアル。日本円で約2000円弱。この他、ファームの中の枯れた老木を数本切り倒してもらうために月曜日に作業の人に来てもらうよう手配したらしい。家の側にある木は倒れると家を壊したり、電線を切ったりする恐れがあるので、倒れる前に切ってしまおうということらしい。このファームの広さは約2.5ヘクタールで、大きなファームではないけれど、管理はやはり大変だ。でも、月曜日に作業の人が来るということは、月曜日は家を留守にできないということで、また手続きに出かけられないということか、、、 今日は珍しく1日中雨が降らず、洗濯物がよく乾いた。お天気が良く、洗濯物がよく乾くというだけで何だかうれしいというのは、母から受け継いだ遺伝子だろうか?母によく似ていると思う。 | ||||
2009年4月4日(土) | ||||
今日はお父さんが退院することになったので、お昼ごろEricaが迎えに行くという。お昼を食べていると、うちのファームの横の道でトラックが路肩を乗り越えて、うちの敷地の方に傾いて動かなくなっていると、お母さんが知らせてくれる。Edsonが見に行ったが、うちの柵を壊したわけではなく、たいしたことはなかったようで、別のトラックを呼んで、引っ張り出してもらうのを待つことになったらしい。雨が多いので、路肩が弱くなっているのだろう。 午後からバスでParacambiに買い物に行く途中、Ericaから電話があり、まだNova Iguacuでの用事が終わらず、お父さんを迎えに行けないでいると言う。私たちは、予定通り引越し荷物の通関のために必要な書類のコピーを取りに行く。これでこの店に来てコピーを取るのは3回目。別に私たちはコピーを取るのが趣味ではなくて、ブラジルのお役所がどこもコピー、コピーと、コピーを要求するので仕方がないのよ、と言い訳したい気分だ。 その後、スーパーで食料品などを購入。今日は土曜日なので店の中はごった返している。こちらは日曜日は店がお休みなので、必然的に土曜日が混雑するようだ。これからは買い物は平日に来ることにしよう。それにしてもこちらの人は買い物カートに山のように食料品を買っているけれど、いったい何週間分の食糧なんだろうか?と思う。彼らに比べたら私たちの買い物の量なんて、微々たる物だが、それでも、ふたりで両手いっぱいの買い物袋をさげてバスに乗るのは大変なので、タクシーに乗って帰ることにする。リオのタクシーと違い、何と料金はメーターではなく、事前の交渉だなんて、これでは私一人では絶対に乗れない。結局、25レアル、日本円で1200円くらい払うことで交渉成立。無事、家に帰りつくことができた。この料金が高いのか安いのか、私にはわからないけれど、Edsonはこういう交渉ごとで値切ったりすることは苦手なので、ほぼ言い値だったのだろう。 家に戻っても、朝からお父さんの付き添いに行っているElaineがまだ戻っていない。一体どうなっているのだろうか?お父さんはまだ退院していないのだろうか?夕食の準備をしてそろそろ食べようかという頃、暗くなった家の外で車のエンジンの音がするので、戸を開けてみると、ニコニコ顔のEricaの車にお父さんがつらそうに乗っている。お母さんがこのファームでお父さんの世話をすることに同意したので、お父さんをここに連れてきたのだろうか?と、一瞬、思ったけれど、そんなはずはない。Elaineを送ってきたのだと言う。朝からずっと付き添っていたElaineを、遅くなったからとバスで帰さず、送ってきたのはいいけれど、1週間ほど前の入院以来、つい先ほどまでずっと寝たきりで、具合が多少良くなったとは言え、入院前よりも体調の悪いお父さんを、ガタガタ道で20分近くも車に乗せて連れてくるなんて、何を考えているんだ?と、Edsonはカンカン。まず、お父さんを家に連れて帰って、ベッドに横にならせてから、Elaineを送ってくるべきではないの?と、私も思う。「肺炎かも知れないと言っていたのは、どうなったの?」「レントゲン検査をして、はっきり肺炎ではないと診断されたの?」矢継ぎ早の私の質問にEdsonは、「I don't know!(知らないよ!)」と言って、頭を抱え、「咳が止まったから肺炎ではないとEricaは言っている。僕だってちゃんと科学的な検査をしてほしいと思って、そうするようにEricaに言ったけれど、彼女や病院が必要ないといって、それをしてくれなければ僕にはどうしようもないだろう?僕にだって彼らが何を考えているのかわからないし、自分がとっても無力だと感じるよ」と嘆く。彼にとっても久しぶりのブラジルでの生活はカルチャーショックの連続のようだ。 | ||||
2009年4月5日(日) | ||||
私たちが帰る前にシャワールームを改装してもらったのはいいけれど、お母さんがとても値段の高いシャワードアを取り付けようとして、Edsonが許可しなかったため、結局シャワーカーテンも何もない状態で作業を終えてしまっていて、シャワーを浴びると、シャワールーム全体がびしゃびしゃに濡れてしまう。アメリカと同様、シャワールームにはトイレと洗面台がついてひとつの部屋になっているのだけれど、アメリカと違うのは浴槽のある家庭はめずらしいというところだ。Paracambiのお父さんの家にも、このファームにもシャワールームにはシャワーだけで、浴槽はない(そのため私はバスルームとは言わず、シャワールームとここでは呼んでいる)。ポルトガル語でTomar banho.というと、シャワーを浴びるということで、シャワールームのことをBanheiroといい、これは同時にトイレのことでもある。 とにかく、シャワーの度にトイレまで濡れ、床がびしゃびしゃになるのは困るので、シャワーカーテンを取り付ける追加の作業を頼むことになり、改装作業をしてもらった人に昨日来てくれるよう頼んであったのだけれど、その人がバイク事故で足を怪我したらしく、1日延期になり、今日、来てくれるはずだったのに、結局、何の連絡もないまま、来てくれなかった。2日も約束をすっぽかして、一体どうなっているのだろう? ここ数日、Edsonが優しく時間をかけてお母さんに、EricaもEdsonもお父さんのことでお母さんの助けが必要なのだと、説得したのが功を奏したようで、今日は退院後のお父さんの食事の世話と家の掃除のために、お母さんが快くお手伝いのElaineを連れてお父さんの家に出かけてくれた。これはとても大きな一歩だ。 「ブラジルでは病気の人には普通何を食べさせるの?」と、Edsonに聞くと、「だいたいジャガイモやヤム芋でとろみをつけたチキンスープとか、小さく刻んだ鶏肉と野菜をお米と一緒に柔らかく炊いた、雑炊のようなものだよ」と教えてくれる。そう言えば、私が体調を崩して寝込んだ時などに、Edsonは必ず、具沢山のチキンスープを作ってくれていたっけ?聞くまでもないことだった。 今日は、ブラジルに来て以来、こうして書いているジャーナルをウェブサイトにアップするために、Edsonとふたりで、ホームページ作りに精を出す1日となった。 | ||||
2009年4月6日(月) | ||||
今朝は、老木を切り倒す作業の人が来てくれることになっていたはずなのに、11時を回っても現れない。お昼前になって、ようやく作業の人たちが2人来たものの、燃料を買いに行くと言って、また、どこかに行ってしまい、1時半近くになって戻って来て作業が始まった。今日1日で作業を終えることができるのだろうか?シャワールームの改装の人といい、木を切り倒す作業の人たちといい、何だかとてもマイペースと言うか、当てにならない人たちだ。 国土が日本の23倍もあって、いろいろな人種が混ざり合って、それぞれの地方で独特の特徴がある多様な国、ブラジルに関して、「ブラジルという国はこうだ!」と、一言で表現することができないのと同様に、ブラジル人にもいろいろな人たちがいて、一般的に日本人がイメージする明るく能天気で、サッカーとカーニバルに人生をかけているような人たちもいれば、Edsonや彼の友人たちの多くのように、まじめで約束ごとはきっちり守り、サッカーもカーニバルも嫌いではないけれど、大して関心のない人たちもいるので、この二つの例だけを取って、ブラジル人は時間や約束にルーズだ、とは言えないけれど、日本人に比べれば、あまり時間や約束を気にしない大雑把な人たちも少なくないということは言えるかもしれない。 Edsonに言わせると、この傾向はリオやブラジル北部の人に多いような印象だという。例えば、ブラジルに帰国する前の引越し準備で忙しい2月の初め頃、埼玉県在住のブラジル人の知人からEdsonに電話があり、私に英文の書類を日本語に翻訳してもらえないかという問い合わせがあったのだけれど、Edsonが2月いっぱいで東京を引き払ってブラジルに帰ることになったから、今僕たちは家具や家電を廃棄する手続きをしたり、荷造りをしたりと、引越し準備で忙しいのでとても引き受けられないと断ったところ、家具や家電を廃棄するのならぜひ譲ってほしいということになり、わざわざ我が家まで来て、廃棄予定の家具や家電のサイズを測って、写真を撮って帰り、2日後くらいに、どれとどれを譲ってほしいと言って来た。でも、エアコンを取り外すのは専門の電気工事の人に頼まないといけないし、結構な量を移動させるのだから、ちゃんとした引越し業者に頼むつもりかと何度も確認したのだけれど、なかなか要領を得ず、大丈夫かなあ?と思っていると、引越し業者に見積もりを頼んだから、いついつ業者をそちらに行かせるという。業者が我が家に来ると、書類上の引越し依頼者が私になっているので、事情を説明して、先方の名前を伝え、間違いを訂正してほしいと依頼。その後、待てど暮らせど知人から音沙汰がなく、10日程して、ようやく業者から見積もりが来たから頼むことにしたと連絡があった。けれど、彼女のご主人は日系ブラジル人でいわゆる出稼ぎと言われる契約社員の身分なので、昨今、日系人に限らず契約社員の人たちが次々に解雇され、職を失っている中で、彼は大丈夫なのだろうか?と、心配で、「直前になってやはり引き取れないと言われてもこちらも困るので、確実に引き取りを約束してほしい」としつこく言うと、確約するという言質が取れ、ほっとしたのもつかの間、何とその翌日、つまり、私たちの引越し予定日の1週間前に、彼女のご主人が私たちの心配した通り、1ヵ月後に解雇されることになったので、引き取れなくなったと言って来た。あれだけ、ちゃんと確約すると言っていたのに、こういう事態を想定した上での約束ではなかったという事に、怒るというより、ほとほと呆れてしまった。こういうふうにあまり後先考えずに、簡単に口約束をして、その舌の根も乾かないうちにあっけらかんと前言を翻すような人が、パウリスタ(サンパウロの人)よりもカリオカ(リオの人)に多いのは事実のようで、ちなみに、この彼女もリオ出身の人だった。 さて、木を切る作業の人たちだが、4時前頃に雨が降り出したため、仕事を切り上げて帰ってしまった。全部で6本の木を切り倒してほしいのだけれど、1本半切ったところで、今日の仕事は終わり。彼らには時間給ではなく、6本で200レアル。日本円で約1万円弱を支払うことになっているので、どんなに時間がかかっても支払う額に変わりはないのだけれど、仕事を終えるのに何日かかるか、わからないとなると、私たちの予定はその間、立たなくなり、手続きに行きたくても出かけられない日が続くのは、困ったものだ。 でも、この家にいる時間を有効利用して、今日も1日ウェブサイトをアップする作業を続け、ようやく3月分のブログだけでも、アップすることができたので、早速、家族や友人にメールで知らせることにする。 | ||||
2009年4月7日(火) | ||||
今日は朝からずっといい天気だったのに、木を切る作業の人たちは結局、何の連絡もないまま現れなかった。彼らのうちのひとりは、お父さんが、Edsonの亡くなった伯父さんと親しかったらしいのだが、こんなことでいいのだろうか? このファームでは、犬や猫の他に、牛を3頭と、鶏を10数羽飼っている。牛は乳牛なので、子供を生んだ母牛からはお乳が取れるのだが、絞った牛乳からときどきお母さんがチーズを手作りするくらいで、乳搾りをするElaineは、自分で絞った牛乳を飲むのは嫌だと言って飲まないし、お母さんも飲まないので、以前は冷蔵庫に絞った牛乳のボトルが溢れていて、ご近所に売ったりもしていたようだが、売れ残ったものは古くなって捨ててしまうので、有効利用しているとはとても言えない状態だった。Edsonが無駄な経費がかかるから牛を売るように言っても、Elaineが牛たちをペットのように可愛がっているからと言って、これまでお母さんは牛を売らずに来たけれど、いくらファームの草を食べているとはいっても、それだけではなく他にも餌代はかかるので、Edsonは2頭の子牛が成長したら売り払い、最終的には母牛も売ろうと思っているらしい。それに比べて、鶏の方は、卵をよく産んでくれるので、私たちはそれをありがたく食卓に出していただいている。 今日の夕飯に、お母さんが台所のすぐ外で小さな白い花を咲かせているBertalha(ベータリャ)という名前の植物の葉を何枚も取ってきて、料理をしてくれると言う。どこから見ても野菜というよりもつる性の植物のただの葉っぱなのだけれど、それをさっと茹でて、ニンニクと玉ねぎのみじん切りをオリーブオイルで炒めた中に入れてさっと炒めて出来上がり。特に強い味はなく、味も舌触りもほうれん草のようで、おいしかった。こちらのスーパーではあまりほうれん草を見かけないので、これなら、ほうれん草の代わりにお浸しにして食べることができそうだなと、思っていると、Edsonがインターネットで調べて、この植物が別名Indian SpinachとかCeylon Spinachと呼ばれていて、やはりほうれん草の一種だということがわかり、納得。
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2009年4月8日(水) | ||||
今日も朝からいいお天気で、この調子でお天気が続くと湿気が蒸発して、だんだん蒸し暑さが和らいでくるだろうと、Edsonが言う。ぜひそうあってほしいものだ。暦の上ではもう夏は終わり、秋のはずなのだけれど、今年は雨期が長引いているので、いつまでも蒸し暑い。日本にいる時、Edsonは、日本の夏はブラジルよりも蒸し暑いと言っていたけれど、どうも長年海外に住んでいて、ブラジルの蒸し暑い夏のことを忘れていたのではないだろうか? このファームに来て以来、毎日何かしらここで採れる果物や野菜を食べているけれど、今日は、お母さんがやるのを真似て、Mandioca(マンジョーカ、英語ではカサバ)という芋を自分で初めて調理して食べた。畑は今、雑草が生い茂っているので、ちょっと見た目には背の高い雑草のようにしか見えないMandiocaは、まわりの雑草と区別がつきにくいけれど、茎が赤くヒョロヒョロと伸び、葉をつけた枝が左右に広がっているのがMandiocaだ。
この姿からは、土の下に芋ができているとは思えないけれど、これを引っ張り抜くと、泥だらけの芋が姿を現す。これを洗って、茶色い皮を剥くと、真っ白な芋が出てくる。皮は包丁で少し切れ目を入れただけで、きれいにつるりと手で剥くことができ、ぬるぬる感もない。
それをまず、塩を少し入れたお水から茹でて、柔らかくなったら、茹で汁を捨て、芋を油で揚げると、やや黄色みがっかて少し甘味があるとてもおいしいポテトフライが出来上がる。
ジャガイモのフライは前もって茹でる必要はないけれど、Mandiocaはとても硬い芋なので、茹でずに油で揚げただけでは柔らかくならないのだそうだ。この茹でたMandiocaを冷凍にして、後は油で揚げるだけの状態にしたものを、東京の南米食料品店でもよく見かけたけれど、こちらではとてもポピュラーな食べ物だ。 以前、このファームには虫が多いと書いたけれど、夜になると、蛍もあちこちで飛んでいる。普通、蛍は清流の近くに生息して、川の上を飛び回るものだと思っていたけれど、このファームでも飛んでいるなんて驚きだ。夕方になると家の中に虫を入れないようにするために、すぐ窓や扉を閉めるようにしているので、夜、室内は扇風機がないとずいぶん暑くなるのだけれど、戸外は涼しくて気持ちがいい。ただ、虫に刺されるので、長居はできない。 今晩は、空に満月が明るく輝き、星もたくさん見える。さしずめ、中秋の名月というところだろうか?Pardinhoではすすきをあちこちで見かけたけれど、このParacambiのファームではすすきは見当たらない。やはりここはまだ、秋とは言いがたい。 | ||||
2009年4月9日(木) | ||||
昨日、昼前頃に作業に来た人たちはほんの1時間くらい作業をすると、のこぎりの調子が悪いと言って、また、帰って行ってしまった。やれやれ、、、Edsonが明日は必ず作業に来てくれるか?と、しつこく確かめていたけれど、そのお陰か、今朝は、何と、9時前に来て作業が始まった。ちゃんと夕方まで作業をすれば、今日中に残りの4本半を十分切り倒すことができるのではないだろうか?甘いかな? お父さんが退院以来、ほぼ毎日のようにお母さんはParacambiの町に行き、お父さんの食事の世話などをしてくれている。このところ何だか愚痴が減り、精神的に落ち着いて機嫌がよく、笑顔がたくさん見られる。このファームでも毎日のように、アセロラジュースやオレンジジュースを私たちのためにせっせと作ってくれる。本来彼女が持っている人の世話をするのが大好きという性格が戻ってきたような感じだ。がんばれ!お母さん。その調子。 作業の人たちの監督はElaineに任せて、今日もお昼前からお父さんの食事作りに出かけてくれるお母さんと一緒に、私たちもお父さんのお見舞いを兼ねてParacambiに行くことにする。お父さんの家に着くと、台所のテーブルの上に、広島の兄夫婦が4月4日にEMSで送ってくれた小包がもう届いていたので驚いた。さすがにEMSは速い!インスタントラーメンとカップうどん、カレー、インスタントの味噌汁、豆板醤、片栗粉、パン粉、わかめ、昆布、みりん、ポン酢など、サンパウロのLiberdade(リベルダージ)にある東洋人街のお店に行けばあるかもしれないけれど、ここでは手に入らない基本的な日本食材(ただし、数日間の常温の輸送に耐える乾物ばかり)を送ってもらったのだ。インスタントラーメンはこちらのスーパーでも売られているけれど、ブラジルで作られているものなので、スープの味が全然違い、あまりおいしくない。パン粉はもちろんこちらにもあるけれど、アメリカのスーパーで売られているパン粉同様、きめが細かすぎてパン粉らしくなく、出来上がりのサクサク感がないので、日本のパン粉の方が断然いいと思う。そして、インスタントのカップうどんは、日本にいたらまず食べないけれど、これまで何度か海外で暮らして、体調を崩し食欲がない時に、何故か食べたいと思ったのがうどんなので、そんな時のために送ってもらった命綱のようなものだ。ありがとう。感謝です。 私たちはバスで帰るので、この大きな荷物を持って帰れないため、今度ファームに来る時にEricaに持ってきてもらおうと思っていたら、夜9時半頃、お父さんの所から帰ってきたお母さんがEricaの友達の車で送ってもらったからと言って、荷物を運んできてくれた。ありがとう。お母さん。 | ||||
2009年4月10日(金) | ||||
午前中、昨日届いた兄夫婦に送ってもらった食料品を片付けて、同封してもらった転送郵便物をひとつひとつ調べて、返信などの処理をし、Elaineが作ってくれたバナナのドーナツを持って、お昼前にParacambiに行く。 今日はイースター(復活祭)前のSexta-feira santa(セスタ フェイラ サンタ、英語でGood Friday、つまり、聖金曜日)と呼ばれる日で、ブラジルでは祝日なので、この週末は金土日と三連休になるのだけれど、郵便局など公官庁は木曜日のお昼には閉まってしまうのだそうだ。のんびりしたものだ。一方、日曜日と同様、祝日も店が閉まるとばかり思っていたら、薬局やスーパーなどは2時過ぎ頃まで営業していたのは以外だった。 Ericaも今日は仕事が休みで家にいるので、明日土曜日からのお父さんの24時間介護のスケジュール作りを手伝うために、話し合いに来たのだ。結局、従姉妹のMarciaと、Ericaの友人と、Ericaの知り合いの元看護士の男性の3人に交代でお願いすることに決め、彼ら3人に支払う1ヶ月分のお給料と、お父さんの薬代を試算して、その経費からお父さんが月々もらっている年金を差し引いて残る3分の2弱を、EricaとEdsonで折半することで合意する。現在、失業中のEdsonにはわずかな支出も馬鹿にはならないけれど、今はこうする以外に方法はないので仕方がない。2時間余り話し合って、何とかとりあえずでも先の見通しが立ったのでほっとする。こういうことを計画管理することがあまり得意ではないEricaだが、毎日、何時にどの薬をお父さんに飲ませるかなどの介護スケジュール兼チェックリストを、介護の人たちのためにちゃんと表にして作り、数日前から実行に移していたので、ちょっと安心した。 ファームに戻りながら、「今日は祝日なのに来て残りの仕事を終わらせるなんて、作業の人たちは言っていたけれど、多分来ていないと私は思う」と、Edsonに言うと、「僕もそう思う」と言う。ファームに戻ると、やはり、作業の人たちは来ていなかった。「ほら、やっぱり」できない約束はしなければいいのに。 今日は聖金曜日なので、こちらでは肉を食べずに、魚を食べる習慣があるらしいのだけれど、そんなこととは知らない私に、Edsonもついうっかりして何も言わないものだから、昨日の夕飯に買ってきた魚を料理して食べてしまった。仕方がない、今日は広島から届いたポン酢を使って、ソーセージとキャベツとジャガイモを炒めた料理を作ることにした。お母さんはPalmito(パウミト)と呼ばれるココナツの木の芯の部分を、トマトと一緒に炒め煮したようなおかずを作ってくれた。
Palmitoというココナツの木の芯には2種類あって、どちらも筍のような味や食感だけれど、この時期一般的に食べられるのは、太くて、ちょっと苦味があるものだ。芯の部分を取り出す前のココナツの木の写真からは中に筍のような部分があるなんて想像できないけれど、本当に味や食感は筍に似ている。
今日は朝から乾いた涼しい風が吹いている。Edsonが「秋一番かも」と言って、笑わせてくれる。 | ||||
2009年4月11日(土) | ||||
昨日お母さんが、イースターに食べる習慣だというPassoca(パソカ)という、ローストしたピーナツを砕いて、Mandiocaの粉と砂糖を混ぜた、見た目は粗めのきな粉のようなものを、作ってくれたので、今朝は、朝食の果物とヨーグルトの他に、それをコーヒーに混ぜて食べた。コーヒーに混ぜたのだから、食べたと書くよりも、飲んだと書くべきかもしれないけれど、どろっとして、スプーンですくって食べるので、食べたという表現の方がぴったりなのだ。大昔、子供のころに、何かの粉(名前は忘れてしまった)をお椀に入れて水で溶いた、どろっとした甘い茶色のお菓子をおやつに食べた記憶があるけれど、それに少し似ているかな?と思う。
昨日来なかった作業の人が、今朝は10時前から来て、作業を始めた。と言っても、今日は2人ではなく、1人だけでの作業だ。後2本。今日中に終わるだろうか?残る2本のうち1本は、私たちが住んでいる家とElaineの住んでいる家の間にあって、電線がすぐ近くにあるので、なかなか難しい作業になるだろうと思っていたら、やはり、作業の途中で木が電線に当たり、電柱のひとつが傾いてしまった。でも、幸い、電線は切れなかったので、停電にはならなかったので、よかった。 Edsonは今日は監督するだけでなく、木が電線に触れないように手伝ったり(それでも、やはり触れてしまったが)、切り倒されて小さく切られた木を運んだりして、汗だくになって作業の人を手伝っている。切り倒された木の幹や枝がいくつも山になって積み上げられているので、これをまた処分するのに、人を雇わないといけないのだろうかと思っていたら、こういうものを買ってくれる人がいるらしく、Edsonは作業の人にその手配をしてくれるように頼むことにした。
昨日、Edsonが名づけた「秋一番」以来、乾いた、爽やかな風が今日も吹いている。部屋の中にいても気持ちのいい風が吹き抜けて行くので、扇風機がまったく必要ない。洗濯物も今日はとても速く乾いた。これからこういう気持ちのいい日々が続いてくれるとうれしい。 | ||||
2009年4月12日(日) | ||||
湿度と気温が少し下がり、私たちは涼しくなって気持ちがいいと思っているのに、お母さんは夜になると、凍えるように寒いなどと大袈裟なことを言う。今朝も、冷たい手をして、寒いと言っていた。気温の変化に敏感なのだろうか?だからといって、ノースリーブのタンクトップとショートパンツを、長袖のシャツや長ズボンに着替えたりはしないのだから、言っていることとやっていることが何だか矛盾している。 朝10時前から残る1本を切る作業が始まり、昼過ぎに無事、すべての作業が完了。ああ、やっと終わった。Elaineの家の裏にある最後の木を切り倒した後、幹を切っている作業の人をEdsonが写真に収める。
約束の代金を支払い、作業の人が引き上げてから、売り物にはならない幹が腐って、長く置いておくと虫やネズミや蛇の寝床になる危険性のあるものだけを集めたものを、Edsonが燃やし始めた。乾燥した枝だけでなく、たくさんの葉をつけたマンゴーの枝も、ものすごい勢いで燃えて行く。
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2009年4月13日(月) | ||||
Ericaの休暇が4月2日で終わり、3日から仕事に戻ったので、今後私たちは自力で、手続きに行かなければならない。先週の水曜日にバスでNova Iguacuに行こうと思ったら、中・長距離のバスがストで運行しておらず、木を切る人たちの作業のこともあって、結局、先週はローカルバスでParacambiに行く以外、身動きが取れなかったけれど、今日は、もうストが終わっていることを確認して、Nova Iguacuに行くことにした。 バスのストは終わっていたものの、汽車のストが今日も続いていたため、Paracambi始発のバスはとても混雑していた。車ならNova Iguacuまで30分程で行けるのだけれど、バスは途中の停留所で、人が乗り降りするため、1時間近くかっかってNova Iguacuに到着。料金はひとり5.20レアル。日本円で約250円。国税局支部に行くと、たくさんの人がイスに座って何かを待っている様子。警備の人にどこの窓口に行けばいいかEdsonが尋ねると、今日はブラジリアのコンピュータがシステム障害を起こしていて動いていないので、手続きは何もできない状態だと言う。イスに座っている人たちは、いつ復旧するかわからないシステムの復旧を気長に待っているのだとか。う〜ん、今度はそう来たか?仕方がない、また出直すことにする。Nova Iguacuのダウンタウンの近くにあるバスセンターまで歩いて行き、バスを待つ。ParacambiとNova Iguacu間を運行するバスは、1時間に1本しかないので、ほぼ1時間ほどバスを待って、Japeri(ジャぺリ)経由のParacambi行きのバスに乗って帰る。帰りはParacambiの隣町のJaperiを経由したため、1時間20分かかったけれど、始発から乗ったので、往路とは違い座ることができ助かった。往路は混雑していたため、足を開いて踏ん張ることができず、両手で手すりにつかまっていてもバスの揺れで振り回される感じで、とても大変だった。 Paracambi到着後は、またコピーを取りに行き、その後、郵便局に行き、いくつか郵便物を発送する。今回のコピーはブラジルのお役所向けではなく、日本のお役所に送る書類や文書のコピーで、そんな書類は届いていないと言われないための防衛措置だ。従って、日本のお役所に送る郵便も普通の航空便ではなく、先方が受け取ったという証拠が残る書留で送る。料金は53レアル。日本円で約2500円。防衛措置もお金がかかる。 Paracambiでの用事ができなかったら、今日はまったく無駄な1日になるところだった。今日は、昨日までとは打って変わって、また蒸し暑い1日だったので、用事を終えた後、ソフトクリームを買って、Paracambiの町の中心で町の様子を眺めながら食べた。Nova IguacuやJaperiのダウンタウンを見た後では、Paracambiの町が何だかとてもきれいに見えてきたから不思議だ。 | ||||
2009年4月14日(火) | ||||
再度、Nova Iguacuの国税局支部行きに挑戦。今日も汽車がストらしいので、また混雑したバスに乗る覚悟をしていたら、座席がいくつか空いた状態のバスが来たので、Nova Iguacuまで座って行くことができた。国税局支部ではまず、最初の受付でどのような手続きに来たのかを言って、受付番号をもらうのだけれど、3つある窓口のうちひとつしか開いていないので、長い行列ができていて、私たちの順番が来るまでに50分近くかかった。その間、暇に任せてキョロキョロしていると、受付の人が使っているコンピュータがマイクロソフトのウィンドウズだったので、「ああ、だから昨日は、コンピュータがクラッシュしてシステム障害を起こしたんだね」とEdsonとふたり、何だか納得。政府機関のネットワークなのだから、もっとちゃんとしたシステムを使えばいいのにと思う。 やっと私たちの番になり、用件を伝え、必要書類をすべて持参して来ているかを確認されて、受付番号をもらう。その足で窓口に行くのかと思ったら、とんでもない。もらった受付番号票には番号の他に、受付時間が3時間後の2時45分と書いてある。私たちの前に並んでいた人たち全員が私たちと同じ窓口に行ったとしてもそんなに時間はかからないだろうに、、、どうしてそんな受付予定時間になるのか理解に苦しむけれど、すぐのことにならないのであれば、さて、これから3時間どうしよう?近くの店をフラフラと覗いて時間をつぶすことにする。するとEricaから電話があり、用事があって、今Nova Iguacuに来ているので、こちらの用事が終わっていたら、一緒に帰ろうという連絡だった。こちらの用事は当分終わりそうにないことがわかると、彼女も買いたいものがあるからと言って、私たちがいたお店にやって来て合流。その後一緒にお昼を食べて、念のためと思い、早めに国税局支部に戻ると、何と、受付予定時間の50分も前なのに、私たちの番号はもうすでに呼ばれてしまっているようなので、すぐに窓口へ行くと、最初の受付と同じように、用件を言って、必要書類を示して、係りの人がコンピュータに何かデータを入力して、終わり。「えっ?それだけ?終わり?」「それで、書類は?」「1ヵ月後に郵送されるの?」「ひぇ〜!!!」 Detranで免許切り替えの手続きをするための書類を集めるという第一段階で1ヶ月以上もかかるなんて、敵も相当手強い。Detranにそれらを提出しても、次に、視力や聴力などの検査を指定の場所で受けるように指示され、その後、運転の実技テストをやはり指定の場所で受けなければならないらしいので、免許を手にするまでには一体何ヶ月かかるのやら、、、 帰りはEricaの車でParacambiまで送ってもらい、公証人役場で、引越し荷物の通関に必要なパスポートや書類のコピーが本物だという証明をしてもらい、サイン認証を受けることにする。30ページ以上あるパスポートのすべての頁を2部ずつコピーしたものを、1枚1枚認証してもらわなくてはならなかったため、その他の書類の認証と合わせて、336レアル(日本円で約15000円)以上という予想もしていなかった費用がかかり、何だか今日はまるでリング上で何度もノックダウンされたボクサーのように、頭がクラクラしてくるような1日になった。 | ||||
2009年4月15日(水) | ||||
今朝は、お母さんがバナナをフライにしてくれたので、それをパンにはさんでサンドイッチにして食べる。結構いける。このバナナは生で食べるとあまり甘くないので、油で揚げて食べるのが一般的な食べ方らしい。つまりこのバナナは料理用のバナナということだ。このバナナはいつも食べているモンキーバナナよりも大きく、日本で普通に見かけるバナナよりも長さが短くて、太い。
揚げたものをそのまま食べても、砂糖とシナモンを振りかけてお菓子のようにして食べてもおいしい。
今日もお母さんは、お昼前からParacambiのお父さんのところに行ってくれる。お父さんの退院以来、ほぼ皆勤賞だ。お母さんが出かけてしばらく経って、うちの前でElaineが大きな声で何か言った。「chuva(雨)」と「ropas(衣類)」という言葉だけ理解できたので、「雨が降り始めたから洗濯物を納めるた方がいいよ」というようなことを言ったような気がして、急いで台所の外の物干しに行ってみると、やはりパラパラと雨が降って来ていた。ポルトガル語がわかるようになって来ているわけではないけれど、状況的に何となくわかるということもあるようで、最近お母さんとの会話は、だいだいそんな感じだ。お互いに言っている言葉はほとんど理解できていないのだけれど、何を言おうとしているのか、何となく状況から察したりすることもある。 その後、雷が何度も鳴り、1時間あまりの本降りの雨が続いたので、今日、午後からParacambiの郵便局に行くのは中止にする。 午後から、昨日、Paracambiのコンピュータのお店で買ってきたプリンターを、箱から出して、設置し、ノートパソコンにつないで、文書の印刷を試みる。Linuxのノートパソコンではなかなかうまく行かなかったけれど、Edsonがあれこれチェックして、何かのソフトをアップデートすることで、ようやくちゃんと印刷できるようになる。これで、今後、手紙など印刷したい時に、わざわざParacambiに行ってEricaのプリンターを使わせてもらわなくてもよくなった。また、一つ前進。 | ||||
2009年4月16日(木) | ||||
免許の切り替えは私たち二人分の手続きをしなければならないので、一度に済ませてしまおうと考えていたけれど、私の納税者番号を取得するのに1ヶ月もかかるということがはっきりした今、一度に済ませるという考えは捨てて、すべての必要書類が整っているEdsonの免許の切り替え手続きを先にやってしまおうということになり、今日、リオのDetranに行くつもりでいたら、相変わらずの汽車のストの影響で、今日は長距離バスに相当な影響が出ていて、混乱しているという情報がEricaから入り、今日リオに行くのはやめた方がいいということになった。また、足止めを食らってしまった。 仕方がないので、Paracambiの郵便局に行くついでに、お父さんのお見舞いと、買い物やその他の用事を済ませることにする。病院から自宅に戻って以来、お父さんはずっと寝たきりで過ごしていて、Edsonが話しかけてもほとんど口を開かないか、返事をしても反応がとても鈍い。こういうお父さんを見るのはきっと辛いだろうなと思う。 お父さんの部屋のテレビが何かの騒乱の様子を映し出しているので、何だろうと思って聞くと、昨晩から汽車のストに抗議してリオのAvenida Brasil(アベニダ ブラジウ、リオの主要な道路のひとつのブラジル通り)で行われていたデモが警察と衝突して、ちょっとした騒乱になり、まだ完全に収まっていないという。なるほどこういうことだったのか。リオに行かなくて正解だったのだ。 汽車を利用すると、時間がバスの倍以上かかるのだけれど、バスよりもずっと運賃が安いので、経済的にゆとりのない人たちにとって、汽車はとても大切な交通手段だ。それが先週の金曜日からもう一週間もストを続けているので、多くの人たちが生活に支障をきたし、抗議デモということになったのだろうけれど、それが騒乱にまでなると、状況はさらに悪くなるだけで、汽車を利用しない人たちにも直接的に影響が出るので、早く汽車のストが終わってくれることを祈るばかりだ。 | ||||
2009年4月17日(金) | ||||
汽車のストがようやく終わり、今日はリオも平静を取り戻しているようなので、バスでリオのDetranに行く。朝10時頃のリオ行きのバスに乗る前に、引越し荷物の通関に必要な書類をサンパウロの引越し業者に書留で送ろうと思い、郵便局に行くと、機械の故障か何かで郵便局の窓口には6〜7人の人たちが並んで順番を待っており、全然動かない。またですか?20分くらい待っても変化がないので、ここから発送するのはあきらめ、バス停に向かう。 リオ行きのバスは以前は1時間に1本の間隔で運行していて、Paracambi始発のバスもあったのに、最近は何故か本数が減って、Paracambi始発のバスもなくなっており、ここから1時間程の所にあるVassouras(バソウラス)から2つの町を経由してバスが来るため、発着は予定の時間通りとは行かないうえ、来たバスが満席だと、乗せてもらえない。インターネット上にバス会社のウェブサイトがあり、時刻表を確認できるのだから、予約もインターネット上でできるようにすればいいのにと思うけれど、そこまでまだ手が回らないのだろうか?でも、幸い、今日はすいており、無事乗ることができた。料金は13.20レアル。日本円で、600円余り。ローカルのバスと違い、この長距離高速バスは冷房付で、車体もガタガタ揺れたりしないので、リオまでの約1時間10分の乗車時間も快適で、苦にならない。 リオのバスセンターからDetranまでタクシーを飛ばし、前回同様、建物の3階に向かう。ただしこちらでは、1階は地上階と言ってカウントせず、2階から1階、2階と数えて行くので、日本流には3階でも、こちらでは2階なのでややこしい。Edsonの手続きはスムーズに行われたけれど、前回要求されたパスポートなどのコピーは一切必要なかった。一体何故?どうもブラジル人が運転免許を切り替える際に必要な書類と、日本人が切り替える際に必要な書類は少し違っていたようで、日本総領事館の人は夫婦ふたりでそこにいて聞いているのに、私のことは眼中になく、Edsonにとって必要な情報だけをくれ、Detranでは二人の書類を一緒に見せているのに、私の書類が揃っていないと言って、Edsonの方も進めてくれなかったため、こちらは混乱してしまった。つくづくコミュニケーションは難しいと思う。 Detranを出て、近くの郵便局を探して歩き、無事、書類を発送。4月23日到着予定だった船が、今日、サントス港に入港するという連絡があったので、遅くとも月曜日に書類が届くように送ることができてよかった。荷物の通関には30日ほどかかるということなので、荷物が届くのは5月の中旬以降になるけれど、とにかくブラジルには到着したので、これも一歩前進。 午後からは、Sonooさんにまた書類の翻訳をお願いすべく、電話連絡をするが、お留守で、1時以降にオフィスに戻られるというので、昼食後にまた連絡を入れることにする。お昼を食べて、リオのダウンタウンをあちこち歩き回り、以前行ったことのある、東京でいうと秋葉原のように、コンピュータ関連のお店が集まっているAvenida Central(アベニダ セントラウ)というビルに行って時間をつぶす。Edsonは普通のお店のウィンドーショッピングにはまったく興味がないけれど、コンピュータやアマチュア無線関連のラジオストアのようなところのウィンドーショッピングは大好きだ。ここにはたくさんレストランもあり、お昼はここで食べればよかったとちょっと後悔する。次回は、数年前来た際に、一度行ったことのあるこの中の日本食のお店で食事をしようと思う。 1時を過ぎて、Sonooさんと連絡が取れ、2時に伺うことになる。Sonooさんのオフィスで書類の翻訳をお願いして、今日のリオでの用事は完了。バスセンターに戻り、2時40分頃窓口に行って切符を買おうとすると、次の3時台のバスは満席で、その次のバスは5時30分だと言う。また3時間待ちだ。朝このバスセンターに着いた時に、帰りのバスの切符を買っておくべきだったと、反省。仕方がないので、バスセンター内のレストランで飲み物を飲みながら時間をつぶし、その後、バスセンター内をうろうろと見て回る。ブラジルでは長距離の移動にはもちろん飛行機という方法があるけれど、料金が高いので、バスで移動するのがとても一般的なようだ。ここの長距離バスは空港のリムジンバスと同様に、お腹の部分に大きな荷物を積み込むことができる場所があり、エアコン付で乗り心地がいい。 このリオのバスセンターからはリオデジャネイロ州内の都市に行くバスだけでなく、他のほとんどの州に行くバスが出ており、お隣の国、アルゼンチンのブエノスアイレス行きの切符売り場もあった。それから長距離バスの発着場らしく、有料でシャワーを浴びることのできる施設もあった。料金は3.50レアル(日本円で約170円)と、入り口にあった。 バスの出発が夕方のラッシュアワーと重なったので、例によって帰宅に要する時間は倍かかり、2時間以上かかって8時頃に帰宅。ブラジルでも停留所以外の場所ではバスに乗せてもらうことはできないけれど、下ろしてもらうことは可能なので、運転手さんにお願いして、バスが高速道路を下りてParacambiに行く道路に入ったところで降ろしてもらうことができ、Paracambiからまたローカルバスに乗ってファームまで戻る時間とお金を多少なりとも節約できた。 | ||||
2009年4月18日(土) | ||||
広島の兄からメールが来て、東京の税務署から確定申告書の中の扶養家族について追加書類を提出するようにという文書を、3月6日付けで送ったが、返事がないので、4月23日までに返事をするようにという郵便が届いたという。3月6日付けの文書は郵便局に広島への転送依頼を出してあるので、転送されてきたものを広島出発直前に受け取っていたけれど、いつまでに返事をするようにという期限などの明記はなかった上、要求されている書類の一部は2月末に送り出した引越し荷物の中で、5月末まで手元に届かない状況ではどうすることもできない。それに、去年も確定申告後に同じ追加書類を要求された際、ブラジルの郵便局のストの時期と重なったためブラジル関係の資料の入手にとても時間がかかり、結局、書類をすべて揃えて税務署に送付することができたのは6月になってからだったので、今回も6月になってからでも良いだろう(というか、それ以外にどうしようもない)と思っていたのだ。こちらから東京の税務署に電話連絡をするなんて時差と料金の問題があり、とてもできない相談なので、兄に頼んで電話連絡をして説明と確認をしてもらうことにする。 それにしても、Edsonとブラジルの家族の親族関係を証明する書類を何故、毎年提出しろというのだろうか?去年と今年で親族関係が変わるとでもいうのだろうか?それに戸籍のような原本を出せと言われても、外国は日本と違って戸籍や住民登録などというものはないのが普通で、アメリカだって、戸籍もなければ、住民登録もない。あったとしても原本なんて出せるはずがない。出せるのは公証人に認証してもらったコピーだけだ。そして、こちらで重要なのは出生証明書、結婚証明書、身分証明書、納税者番号証、そして、選挙登録証だろうか?その人が本当にその住所に住んでいるかどうかというのは、アメリカと同様、電気料金など公共料金の請求書を示して証明することになっている。そういうことは去年説明して、Ericaは出生証明書、両親は結婚した際、出生証明書が結婚証明書に切り替わったとかで、結婚証明書のコピーを、それぞれ公証人役場で証明してもらったものを送ってもらい提出して、受理されたのだけれど、また同じものを出せと言うのか?でも、良く考えてみると、両親の結婚証明書ではEdsonとの親子関係は証明できないのに、どうして認められたのだろう?いい加減なものだ。そういえば、確か去年は家族が本当に存在していて、今も生存しているかどうかを確認するために書類が必要と言われたような気がするのだが?お役所を相手にするのは日本もブラジルも変わりなく、本当に疲れる。 | ||||
2009年4月19日(日) | ||||
税務署に連絡を取ってくれた兄からまたメールが来た。 本人が国外に出て手続きできないなら納税管理人として代理人を届ける必要があり、兄を代理人として、新たな手続きをやらされることになり、書類を送ってもらうことになったと言う。冗談じゃない。納税管理人は来年の確定申告に必要なので、もう眞也に頼んであって、その手続きの書類を何ヶ月も前に提出している。税務署内部の情報の共有と届出文書の管理は一体どうなっているのだろう?しかも、今年の確定申告の際はまだ日本にいて、自分たちでしたのだし、その後の追加書類にしても荷物が届けばこちらから直接送れるのだから、納税管理人の出番はない。お役所の言うことや、やることは本当に理解に苦しむ? まあ、愚痴はこれくらいにして、こちらでの生活だ。このファームにはアセロラの木が6本ある。その内の3本はファームの入り口の側にあって、たくさん赤い実がなっているので、このところ大体これらの木からアセロラの実を採っている。木の高さが4メートル近くあるので、上の方にある実はハシゴを使わないと採れない。
アセロラの実の大きさはさくらんぼくらいで直径1〜1.5センチくらい。見た目も少しさくらんぼに似ているけれど、さくらんぼよりも表面がでこぼこしたものが多い。
実は小さく、種が大きいので、このまま食べてもほとんど何も食べた感じがしないし、甘味もなくおいしくないので、ここではいつも砂糖を加えてジュースにして飲んでいる。採ってきた実を洗って、痛んでいる部分を除いて、丸のままのアセロラと水をミキサーに短時間かけて、それをこして皮や種を取り除いたものに砂糖を加えて出来上がり。私が子供の頃、母が同じようにしてぶどうジュースを作ってくれていたのを思い出す。日本で売っているアセロラジュースは甘すぎるけれど、ここでは自分で甘さを調節できるので、とてもおいしいジュースができる。 今日の昼前、Edsonの古いアマチュア無線仲間が、彼の帰郷を知って、近隣のVolta Redonda(ボウタ ヘドンダ)という町から訪ねてきてくれた。大学の先生をしているという。ファームを一通り見て回り、だいぶ長い間いろいろなことを楽しそうにおしゃべりして帰って行った。Edsonもとても楽しそうだった。 | ||||
2009年4月20日(月) | ||||
今日は朝からParacambiにあるDetran指定の事務所に行き、Edsonの視力や聴力などの検査と心理テストの予約を行った。Paracambiのその事務所での検査は、医師がやって来る月に2回しか実施されないので、彼の検査は次回医師が来る28日(火)の午前8時半ということになった。運転の実技試験はまずこれらの検査が終わって、その結果次第で、また別に予約を入れることになるらしい。 Detranの後、お父さんの家の近くにあるParacambiの地方裁判所にも用事があったのだけれど、今日はお休みで閉まっていた。ブラジルの公官庁は連休が始まる前の日から半ドンになって閉まってしまうと以前書いたが、今日は月曜日。でも明日が祝日なので、今日もついでにお休みにして土曜日からの四連休にしてしまっているようだ。「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ〜」と昔、植木等が歌っていたけれど、さしずめブラジルでは「お役人は気楽な家業ときたもんだ〜」というところだろうか? 帰りにスーパーで買い物をした後、そのお隣の建物の2階からにぎやかな音楽が聞こえるので、見上げて見ると、そこはフィットネスジムだった。この小さな田舎町にフィットネスジムがあるなんて、、、レンタルビデオのお店だって小さなものが1軒あるだけなのに、、、窓際で若い女性3人がウォーキングマシンの上で歩いたり走ったりしているのが見える。ジムの名前はEstacao Saude(エスタサオン サウージ、つまり健康ステーション)。8年半前に初めてブラジルに来た時に比べて、太っている人が確実に増えていると思っていたけれど、お腹がぷっくりと出て、腰周りにお肉がたっぷりついているような体型の若い女の子でも、体にぴったりの小さなタンクトップやショートパンツをはいて、肌の露出度が高く、体型を気にしている様子はまったくないので、フィットネスジムの存在はとても以外だった。中には体型を気にする人もいるということか、、、
Edsonも確かにブラジルの人たちが以前よりも太ってきていると思っているようだ。彼の友人の説明によると、以前よりもみな収入が増えているので、その分食べるのに使うお金も増え、食べる量も増えていて、一方で、健康を気遣った食事をするという意識が薄いため、アメリカのように肥満の人が増えているということらしい。 2週間前にシャワールームの手直しを頼んでいたのに、その約束をすっぽかした人が、昨日の午前10時頃、ファームにやってきた。お母さんが再度連絡をしてくれたらしい。Edsonが、シャワーカーテンの取り付けは自分でするからと、床のタイルの一部張替えだけをやってほしいと頼んだようだ。今週末に来て作業をしてくれることになった。週末にしか仕事をしないということは、これは彼の副業なのだろうか? 約束をすっぽかされて以来、何とか自分でシャワーカーテンを取り付けようと、いろいろなお店に行く度に、シャワーカーテンを吊るすためのパイプやカーテンを探し歩き、Nova Iguacuで標準よりも長い2メートルの長さのシャワーカーテンを見つけたので、買っておいたのだけれど、今日は、運良くParacambiでちょうど良い長さのL字型のパイプを見つけることができた。パイプとその取り付けに必要な部品を買って、午後からがんばって、ドリルで壁に穴を開けたりして、Edsonがシャワーカーテンを取り付ける作業をしてくれた。そのお陰で、ようやくシャワーカーテンが取り付けられ、今晩からシャワールームの床を濡らさず、シャワーを浴びることができるようになった。ありがとう。Edson。 | ||||
2009年4月21日(火) | ||||
今日は、「Tiradentes(チラデンチス)の日」と呼ばれる祝日だ。歯科医のJoaquim Jose da Silva Xavier(ジョアキン ジョゼ ダ シウバ ザビエー)という人を記念する日で、Tiradentesというのは歯を抜く歯科医を意味する言葉だそうだ。ちなみに歯科医はポルトガル語でdentista(デンチスタ)という。この人はいわゆるブラジル独立のヒーローで、ブラジルがポルトガルから独立する際、アメリカのような流血の独立戦争はなかったものの、独立政府を作ろうと中心になって奔走したXavierは、その責任を問われ、ポルトガルによって裁判にかけられ、公開処刑にあったという。そのヒーローを忘れないために、彼の処刑の日が祝日になったのだそうだ。 ちなみに、明日22日は祝日ではないけれど、「ブラジル発見の日」だそうだ。1500年4月22日にブラジルはPedro Alvares Cabral(ペドロ アウヴァレス カブラウ)というポルトガル人により発見されたという。コロンブスのアメリカ大陸発見から8年後のことになる。 このファームにはオス猫が1匹と、10匹あまりの犬がいるのだけれど、そのほとんどはミニチュアピンシャーのようなとても小さな犬で(と言ってもみな雑種だけれど)、その内2匹だけが何故か自由にファームを走り回ることを許されていて、残りの犬たちはみな広い犬小屋に入れられている。この自由に走り回っている2匹の犬は母と娘の親子で、名前は母犬がLalinha(ラリーニャ)、娘犬がKiki(キキ)。猫ととても仲が良く、まるで家族のようにいつも一緒に遊んだり、寝たりしているので、私たちは彼らをママ犬とパパ猫と娘のキキ一家と呼んでいる。いつも一緒にいるのでお互いに影響し合っているようで、猫は犬のように私たちに寄って来てミャーミャー鳴いて食事の催促をしたり、犬は猫のように自分の前足をなめて毛並みを揃えたりする。不思議な家族だ。
普段はとても臆病なママ犬のLalinhaが、今朝、何を思ったか家の裏の丘にある斜めに傾いた木に登り、地面から5メートルくらいの高さにある枝まで上がってしまい、戻ってこれなくなった。それでも戻ろうとしたため、木から落ちて右足に怪我をしてしまった。犬なのに猫の真似をして木に登ったりするからだ。お母さんが怪我をしたLalinhaの足に痛み止めの薬草を塗って、包帯を巻いてくれた。 | ||||
2009年4月22日(水) | ||||
昨日から断続的に降り続いた雨が止み、今日は朝から青空が広がっていいお天気だ。Edsonは家の裏にある丘の途中に鳥たちの餌台を作る作業に勤しんでいる。こうすることでここに来る様ざまな鳥たちを間近で見られるようにしようという目論見だ。うまく行くかなあ〜?ここでの暮らしでいいところのひとつは、毎朝、何かの雑音や騒音ではなく、いろいろな鳥の声で目覚めることができることだ。まあ、時には犬たちの鳴き声で起こされることもあるけれど、、、 昨日の晩ご飯は、私たちが作ったおかず以外に、お母さんが何故か3品も余分に作ってくれたため、予期せずして7品もの料理がテーブルに並ぶ大層なご馳走になったため、写真に撮ることにした。どの料理も典型的なブラジルの家庭料理だ。
テーブルの真ん中にあるのが、メインの豚肉を調理したもので、上から時計回りに、Broa de Fuba(ブロア ジ フーバ、つまりコーンケーキ)、これは朝ごはん用にお母さんが作ってくれたものなので、本当は晩ご飯の一部ではない。 Polenta com Molho de Galinha(ポーレンタ コン モリョ ジ ガリーニャ、つまりコーンミルと鶏肉の煮物)、ポーレンタはトウモロコシを粉にしたコーンミルを水と混ぜて、煮て作るもので、アフリカなどでとてもポピュラーな食べ物だけれど、ブラジルではアフリカとは違い、スープなどを加えて味付けをするのが普通で、水と混ぜて煮ただけのものよりもずっとおいしい。田舎の農家の人などが好んで食べる料理で、ちなみにお母さんの手作り。 Arroz(アホース、つまりご飯)、我が家では私の好みで一応、「もみじ」という名前の日本米と称してスーパーで売られているお米を買って食べている。Falafa de Bacon com Azeitona e Couve(ファラーファ ジ ベーコン コン アゼイトーナ イ コウビ、つまりベーコンとオリーブとケールを混ぜたカサバパウダー)、ファラーファはマンジョーカの粉(カサバパウダー)と炒めたベーコンなどを好みで混ぜたもののことを言い、何を混ぜるかは様ざまで、各家庭で少しずつ味が違うらしい。ブラジルバーベキューのシュハスコや煮豆料理のフェイジョアーダの時などに、いつも一緒に作られる。Edsonの手作り。 Batata e Couve Refogada(バタタ イ コウビ ヘフォガーダ、つまりジャガイモと炒めたケール)、もう一度、Arroz(アホース、つまりご飯)、最後に、,Pirao de Galinha (ピラオン ジ ガリーニャ、つまりチキンスープで煮たカサバパウダー)、これもお母さんの手作り。 | ||||
2009年4月23日(木) | ||||
昨日は、洗濯機が届くはずだったので、家で待っていたのだけれど、3時を過ぎても来ないため、Edsonが店に電話をすると、22日に届くことになっていると先週確認してくれた担当の人が今日はお休みで、他の人ではわからないという。最初に店頭で購入の手続きをしてからもう1ヶ月になる。そして今日は店がお休みのようで、連絡が取れない。一体いつになったら届くのだろう? 今日は、ブラジル全体のお休みではないけれど、リオデジャネイロ州では、Sao Jorge(聖ジョージ)と呼ばれる休日だそうだ。しかも何とこの休日は、今年の3月にリオデジャネイロ州議会で決まったばかりの、出来立てほやほやのものらしい。何でも、ブラジルの守護聖人としては聖セバスチャンがいるけれど、リオデジャネイロ州には決まった守護聖人がいないため、ある州議会議員が、聖ジョージをリオの守護聖人にしようと運動して、それが3月の議会で認められ、正式にリオの守護聖人となり、今日が休日となったのだそうだ。こんな議論噴出の休日ができてしまうところがブラジルらしいというかリオらしい。日本では考えられないことだ。 毎日忙しく仕事をしていれば、休日が多いのはうれしいけれど、様ざまな手続きを終えて、なるべく早く仕事探しなどを始め、落ち着くところに落ち着きたいと思っている私たちにとっては、休日が多いと言うことは、それでなくても時間のかかるお役所などの手続きが進まないことを意味していて、あまりうれしくないと言うのが正直なところだ。 午後からEricaとDenilsonが、Barra da Tijuca(バハ ダ ティジュカ、リオのコパカバーナやイパネマよりもさらに南の高級海岸地区)にある、トヨタの販売所に知り合いがいるから紹介すると言って、車を見に連れて行ってくれた。この地区はちゃんとした都市計画の下、年々開発が進み、海岸沿いには多くの高層マンションが立ち並び、リオで一番大きくて、ファッショナブルな高級ショッピングモールの「バハショッピング」や、オフィスビルや様ざまなお店やレストランがあり、建設中のマンションもたくさんある。そんな場所にある販売店なので、ガラス張りのきれいな建物の中にトヨタの高級車が陳列され、修理工場も併設されていて、日本で見かける高級車の販売店と遜色ない。 ブラジルではトヨタやホンダという日本車の人気が年々高まってきているそうで、その主な理由は日本車のとても高い性能と、信頼できる販売対応と、アフターケアだと言う。値段は他の欧米の車よりも割高だけれど、それでも買うなら日本車という人たちは少なくない。ブラジルトヨタで販売している車は、1800ccクラスのカローラより上のクラスだけで、一番安いものでも、軽く300万円は超える高級車ばかりらしい。これは普通のブラジル人の年収をはるかに上回る金額だ。物価の安いブラジルでも車の値段だけはどこのメーカーの車も日本と変わらないので、まるで家でも買うような大変な買い物になるけれど、車がなくてはやって行けない土地柄なので、性能の良い、信頼できる車を買うしかない。試乗運転させてもらったカローラの乗り心地は最高に良かったけれど、こんな大型のタウンカーで私たちが住んでいるような田舎町の悪路を走るのは忍びないし、コンパクトカーが主流の田舎町ではちょっと目立ち過ぎるため、「私たちはこんな車が買えるお金持ちですよ」と看板を掲げて走るようなもの。とても危険だ。日本では自分のステータスを誇示するために、無理をしてでもアウディなどの高級車を乗り回して自慢するような人もいるけれど、そんなことをここでやったら、自動車強盗に合うか、家までつけられて強盗に入られるか、最悪の結末を覚悟しておかないといけない。そんなことは何としても避けたい。 まだ、トヨタの車を見ただけなので、他にもホンダや、シボレー、フィアット、フォルクスワーゲンなどブラジルで一番一般的な車も見て決めようと思っている。 | ||||
2009年4月24日(金) | ||||
今日は、先週Sonooさんに頼んでおいた翻訳ができることになっていたので、またバスでリオに向かう。ほぼ予定通りの時間にParacambiでバスに乗車したものの、事故でもあったのか、Nova Iguacuのあたりで渋滞が始まり、リオ到着に2時間かかってしまい、リオに着いたのはお昼過ぎになってしまった。今回はバスセンターに到着してすぐに帰りの切符を買いに行ったので、夕方のラッシュを避けることのできる3時半の切符を確保することができた。 リオのダウンダウンのAvenida Cenralに直行し、その中にある日本食のお店「新みうら」でお昼を食べる。以前は普通の庶民的な食堂といった感じだったのだけれど、今ではボーイさんたちの他に、お客さんを席に案内する係りの人がドアのところにいたり、以前なかったすしバーが店の奥にできていて、何だか料理の値段も以前よりも高くなっているような感じだ。それでも全体的なお店の印象が特別高級になっているわけではないのに、どの料理もほどんどが30レアル(日本円で1500円)以上するものばかりで、びっくり。普段私たちがお昼を外で食べる際に使うお金の1.5〜2倍以上だ。Edsonがメニューとお店の中を見回して、一皿の量が普通よりも多いようだから、焼きぞばを1皿頼んで、二人で分けようと言うので、そうすることにした。「飲み物は?」とボーイさんに聞かれ、Edsonはビールを、私は味噌汁を頼んだ。Edsonが言ったとおり、一人前をふた皿に取り分けて運ばれてきた焼きそばは、日本なら十分一人前で通用する量だったので、正解だった。取り立ててすごくおいしいというわけではなかったけれど、ブラジルに来て始めての焼きそばと味噌汁の味に満足。味噌汁は広島の兄夫婦にインスタントを送ってもらったのだけれど、このファームの台所には、ガラス製のお皿とコップしかなく、お椀の代用になるものがないので、まだ味噌汁を飲めないでいる。 昼食後、Edsonの用事があって、Avenida Centralの近くにあるブラジルアマチュア無線協会のオフィスに行くと、月曜日から金曜日の正午から午後6時まで開いているはずなのに、何故か閉まっていたので、また出直すことにする。今週は飛び石で2日も休日があったので、ついでに今週はずっとお休みにしてしまったのだろうか?Sonooさんの所に行く約束の2時まで、まだ時間があるので、「新みうら」の会計をしていた日系の女性に教えてもらった、ボタフォゴ地区にある日本食料品店(ただし中国人の経営)に行ってみた。さすがにガイドブックにも載っていて、しかも「新みうら」が豆腐などの材料を仕入れているというだけあって、余り大きな店ではないものの、品揃えは豊富で、ほぼ何でも揃いそうな店だった。絹ごし豆腐、オイスターソース、鶏がらスープなどを買って、Sonooさんのオフィスに向かう。Sonooさんの仕事はいつも約束通りで確実だ。在ブラジル生活50年といっても、やはり日本人らしい信頼できる仕事振りは、約束どおりに事が運ばないことの多いこちらでは、とてもほっとする。 バスセンターに戻り、バスの時間まで、写真などを撮ろうと思ってうろうろしながら、切符売り場の写真を撮っていたら、警備の人に、この中は撮影禁止だと怒られてしまった。広島の地方紙の「中国新聞」のウェブサイト上で、海外在住の広島出身の人たちやゆかりの人たちが、それぞれの国から海外レポートを寄稿しているのだけれど、フランスからレポートを送っているベルサイユ在住の友人の紹介で、私もブラジルからレポートを寄稿することになったので、その記事に添える写真をいろいろ撮る必要があり、かと言って、戸外は治安の問題もあり、日本のようにどこでも自由にカメラを出して写真を撮れるという状況ではないので、建物の中なら少しは安全かと思ったら、思いも寄らないダメだしが出てしまった。なかなか難しいものだ。 帰りのバスは時間通りに出発し、交通渋滞もなく、1時間後にはバスを降り、無事帰宅することができた。 | ||||
2009年4月25日(土) | ||||
ここ数日、EdsonとElaineが草ぼうぼうになっている家の裏にある丘の草を刈り取って、小道を作る作業をしてくれたお陰で、丘の上まで簡単に上がれるようになった。9月や10月頃であれば、冬の間に草が枯れてしまうので、小道をわざわざ作らなくても簡単に上がることができるけれど、この時期は夏の間に伸びきった草が人の胸の高さくらいまであるので、これを掻き分けて上るのはとても難しい。このファームの全体像を見るにはここから眺めるのが一番なので、丘の上から東西南北の写真を撮ってみた。 まず、丘の中腹から上に、つまり、東の方角に向かって1枚。丘の頂上に見える木立の手前の草ぼうぼうの部分からが、このファームの敷地で、木立が立ち並んでいる側はお隣のファームの所有地。つまり境界線だ。
次に、丘の上から中腹、つまり西の方角に向かって1枚。小道の先にあるこんもりした木々の下をくぐってさらに下りて行くと、我が家がある。この写真の右側にある背の高い木の後ろのずんぐりとした大きな木はマンゴーの木。
次に、丘の上から南の方角に向かって1枚。山々に囲まれている様子がわかる。このあたりはどちらの方角を見ても山、山、山。
最後に、丘の上から北の方角に向かって1枚。うちのファームはこの丘から北に向かって延びている。この写真の中央部分がうちのファームで、左右にご近所のファームがある。左側に見える小道がL字型に右に曲がっている。この道路が左隣のファームとの境界線、右側に見えるうっそうとした竹林はお隣のファーム。さらに写真の上方(北)右側に見える白っぽい建物は、高速道路上にある元ガソリンスタンドの建物。今は廃屋になっている。高速道路上には黄色いバスや車が見える。これがリオとサンパウロを結ぶDutra(または、国道116号線)。Dutraを右(東)に行くと、リオ方面に行き。左(西)に行くとサンパウロ方面行きだ。この高速を越えて北に12キロほど行くとParacambiの町の中心に着く。
このファームはここから北にあるParacambiと、東にあるSeropedica(セロペディカ)と、南西にあるItaguai(イタグアイ)という3つの町が境界を接している場所にある。いわゆる町外れだ。この地区への入り口は標識も何もなく、高速に乗り降りするためのランプから無理やり降りてくるような感じなので、ここに来たことのある人でなければ、入り口を見つけることはとても難しい。 | ||||
2009年4月26日(日) | ||||
昨日も、今日も、シャワールームの床のタイルの一部をやり直してくれるはずの作業の人は、またまた、約束をすっぽかして、現れず。う〜ん。何を考えているのだろう?カリオカのメンタリティーは理解不能だ。 しろうと仕事なりに、Edsonがシャワーカーテンの取り付けをしてくれたので、床のタイルの一部やり直しは、シャワールームをさらに完璧にするための作業であって、どうしてもそれをしないと困るというものではないのだから、もうこの件に関しては忘れることにしようということになった。台所の改修や、台所の外のベランダの改修など、手を入れたい場所は、他にもいろいろあるから、それらも頼みたいと言ってあるのに、シャワールームの仕事だけでこんなに何度もすっぽかされるのであれば、お母さんが頼んだ人だからといって、もうこれ以上この人にこだわる必要はない。他にもこういう仕事をしてくれる人はいるはずだから、この人に仕事を頼むのはやめることにしようということになった。 今日は、暇に任せて午後からご近所の散策に出かけた。このファームの横の道を南に歩いて行くと、何があるのか確かめようと思ったのだ。歩いて10分から20分くらいまでは点々と小さなファームが道路の両側に点在していたけれど、それ以後は、途中の橋が壊れていた上、それから先は車の通れないような悪路で、もう少し行くと、もう何十年も車など通った形跡もない細い山道のようになっていた。それでも途中、こんなところに人が住んでいるのだろうか?と、思えるような場所にもポツン、ポツンとファームがあったので驚いた。ここに住んでいる人たちは一体どうやって、どこの町に買い物などの用事をしに行くのだろうか?男の人が時々馬に乗って、うちのファームの横の道を通るのを見かけるけれど、ひょっとして、彼はこの辺のファームの人なのだろうか?ただ、電線だけは通っているので、電気は来ているのだろう。人里離れた山の中でブラジル音楽を大音響で流している小さなファームがあった。 | ||||
2009年4月27日(月) | ||||
お父さんの介護をしてくれているMarciaから、朝一番で、お母さんに電話があり、食料品のストックがなくなっていると連絡してきた。Ericaが買っておくのを忘れたらしい。朝食後にすぐ、お母さんと3人でParacambiに向かい、スーパーで食料品を買って、お父さんの家に行く。今日お父さんはEdsonといろいろ話していたので調子がいいのかな?と思ったけれど、後で、Edsonは一言も理解できなかったと言っていた。お父さんは何を話そうとしていたのだろう? その後、お父さんの家の近くにある、地方裁判所にEdsonの選挙登録の更新手続きをしに行くと、その手続きは違う場所だと言われ、1ブロックほど戻ったところにある小さなオフィスに行く。手続きの方法が以前と少し変わっているようで、お父さんの家の電気料金の請求書を提示する必要があることがわかり、再度出直すことになる。次に、銀行に行き、Sonooさんに翻訳してもらった書類のコピーを提出し、Edsonの銀行関係の必要な手続きを完了する。ただ、私はまだ納税者番号を待っている状態なので、こちらも運転免許の切り替えと同様、相変わらず手続き保留の状態だ。 そして、Edsonの散髪。確か、賢志の結婚式の前に散髪して以来なので、2ヶ月半も経つ久しぶりの散髪だ。これまでの最長記録ではないだろうか?この床屋さんは町のほぼ中心にあり、いつ通りかかっても、お客さんでにぎわっている人気のお店のようだ。このお店には3人の床屋さんがいて、そのひとり、Jucelino(ジュッセリーノ)のお母さんと、Edsonのお母さんが友達なので、2年半前に休暇で来た時も、ここで彼に散髪してもらった。料金は10レアル。日本円で500円弱。
その後お昼を食べて、少し買い物などをして、バスで帰宅。床屋さんにいた30分足らずの間、雨が降っていたが、床屋さんを出るころには雨も止み、濡れずに帰ることができた。家に帰ると、ここでも雨が降ったようで、外に干していた洗濯物をElaineが台所の外のベランダに移動しておいてくれていたので、濡らさずに済んだ。彼女がいてくれて本当に助かる。 土曜日と日曜日に二晩続けて、金曜日にリオで買ってきた絹ごし豆腐のひとつを半分ずつ、冷奴で食べた。久しぶりの冷奴にEdsonも私も大満足。今晩は残りのひとつを、以前買っておいたツナ缶と混ぜて、マーボーツナ豆腐にして食べる。ニラはここでは手に入らないので、その代わりに、うちのファームで作っている細ネギをたっぷりと使う。そして、兄夫婦に送ってもらった豆板醤の出番だ。一度に少量しか使わないけれど、これがなければマーボー豆腐にはならないので、大事な影の主役だ。買ってきたのは絹ごし豆腐でも、日本で売られているものよりもちょっと硬めなので、マーボー豆腐にしてもあまり豆腐が崩れずに料理することができた。 明日28日(こちらの27日の夜は、日本では28日の朝)は、広島の母の84回目の誕生日なので、電話をしようと思っていたら、母の方から電話をしてきた。これまでいつも、こちらから電話をしてから、かけ直してもらっていたのだけれど、固定電話ではなく、携帯電話からかけているため、ほんの数分でも料金がともて高く家計に響くので、これからは曜日と時間を決めて母の方から電話をしてもらおうと思い、兄にメールで伝言を頼んでおいたのだけれど、昨日は言い忘れたらしく、今日かかってきたというわけだ。それなのに、母がいろいろ話すのを聞いているうちに、「お誕生日おめでとう」と言うのを忘れてしまった。やれやれ、、、 | ||||
2009年4月28日(火) | ||||
昨日の夜からかなり激しい雨が降ったためか、今朝は濃い霧がかかっている。今朝8時半からのDetran指定のオフィスでの、視力検査などのために、Edsonは朝食後、朝霧の中、ひとりでParacambiに出かけていった。すべての検査が終わるまでに3時間もかかるということなので、私は家で留守番をすることにした。 昨日、Paracambiに行った際、中国新聞のウェブサイト上に寄稿するブラジルレポートに添える写真を撮ることができたので、早速、昨日、中国新聞に原稿と写真をメールで送ると、「用字用語などを新聞スタイルに変えました」と、担当の方から返事が来た。修正された原稿を見てみると、「ほんだし」がふうみ調味料に、「味の素」がうまみ調味料に変わっていた。なるほど、商品名を出してはいけないのか。そして、野菜の名前もひらがなや漢字がすべてカタカナになっていたので、ちょっと、びっくり。でも、例えば、「ブラジルにもアメリカのように、キッコーマンの工場があるらしいのだけれど、アメリカと違って、キッコーマンのしょう油は普通のスーパーでは見かけない。あるのはブラジル産のしょう油ばかりだ」というふうに、もし書きたい場合は、キッコーマンの代わりに、日本のしょう油会社というふうに変えるのだろうか?それだと何だかピントこないというか、こちらの意図が伝わらないような気もするが、新聞スタイルというのもなかなか面倒なものだ。 私の原稿は季節物ではないので、5月の中旬頃に掲載予定だそうだ。中国新聞海外リポート。 10時前、トラブル発生。台所でアセロラジュースを作っていたら、お母さんが来て、Edsonは今日はどこに行ったのか?と聞くので、「デトランのオフィスに検査に行った」と言うと、電話をしてもいいだろうか?とさらに聞くので、「たぶんダメ」と答えると、今朝、お父さんが食べたものを戻したり、体の震えがきたりしていて、とても調子が悪いという電話がMarciaからあったという。そういうことなら知らせたほうがいいかもしれないと思い、私が彼に電話をして知らせ、検査が終わり次第お母さんに電話をしてもらうことにした。一方、お父さんを抱えたりする力仕事があるかもしれないので、とりあえずElaineにお父さんの所に行ってもらうことになった。 お昼過ぎに検査を終えたEdsonからお母さんに電話があり、お父さんの所に様子を見に行ってから、ファームに帰るつもりなので、それまで私とファームにいるようにということだったらしい。Edsonと入れ替わりにお母さんもお父さんの所に行くつもりのようだ。お母さんが準備万端整えて、まだかまだかと待っているので、1時過ぎにEdsonに電話をすると、今、お父さんの家に来ているので、もうすぐファームに戻るという。お母さんにそのことを伝えて、しばらく一緒に待っていたけれど、銀行に行く用事もあるからといって、待ちきれなくなって、2時前にお母さんはParacambiに出かけて行く。入れ替わりに、Edsonが2時過ぎに帰ってきた。お父さんの様子は落ち着いて、少し昼食も食べることができたようだ。よかった。 Detranの指定のオフィスでは、視覚検査と心理テストの他に、聴覚検査もあると聞いていたけれど、結局あったのは視覚検査と3時間の心理テストで、Edsonは両方パスしたことがすぐその場でわかったので、その足で、運転の実技テストの予約をしに指定の自動車学校の事務所に行くと、国際免許の切り替えのためのテストは初めてなので、Detranに詳しく問い合わせてから、後日連絡するということだったらしい。う〜ん、3時間の心理テストか?ポルトガル語のわからない私が受ける場合はどうなるのだろう?リオで英語か日本語で受けられるようにしてくれるのだろうか? 昨日、Paracambiの魚屋さんで、Pescadinha(ぺスカジーニャ)という魚を買った。500グラムと言って頼むと、8匹で600グラムになるというので、600グラム買う。料金は2.20レアル。日本円で約100円。お店で、頭と内臓と骨を除いてひらきにしてくれた。この魚は小アジと普通のアジの中間くらいの大きさで、味はまったくアジと変わらない。でも辞書で見るとアジはXerelete(シェレレッチ)となっているので、本当はこれが何なのかはよくわからない。でも、フライにすると、おいしいアジフライができる。お母さんによるとXereleteもPescadinhaも同じような味で、大きさがXereleteの方が大きいらしい。成長するにつれて名前が変わるブリのように、ひょっとすると同じ魚なのかもしれない。味を比べるために、今度はXereleteがあったら試してみようと思っている。こちらでは魚はから揚げか、ソテーにするのが一般的で、パン粉をつけてフライにすることは余りないので、お母さんはおいしいと言って、私の作ったアジフライを食べてくれた。 | ||||
2009年4月29日(水) | ||||
洗濯機の件で、Edsonが先週の土曜日に店に電話をして、マネージャーと直接話をし、この月曜日か火曜日に届けると約束を取り付けたのに、またしても届かなかった。こちらで生活を始めて以来、こんなことばかり。カリオカの言うことは本当に当てにならない。サンパウロ州のPardinhoでの1週間あまりは、ほぼすべてのことが予定通り、約束通り、実行に移され、実現したが、ここParacambiに来てからの5週間あまり、予定や約束がその通りに実行されたり、実現したことはめったにない。同じブラジル人なのに、どうしてこうもカリオカとパウリスタは違うのだろう? カリオカとパウリスタは何かにつけライバルとみなされ、サンパウロがブラジルのビジネスセンターである一方、リオはビジネスよりも観光が売りで、人々が気さくだからという理由で、サンパウロは東京に例えられ、リオは大阪に例えられたりするけれど、サンパウロを東京に例えるのはいいとしても、リオを大阪に例えるのはどうかと思う。大阪は商人の町、信用が第一。リオのようにいい加減ではない。 今朝、お母さんがParacambiのお父さんのところに出かけてから、Edsonとふたりで野菜畑に出て草むしりをすることにした。帽子をかぶり、日本から持って来た軍手をはめて、小さな2面の畑の草むしりをした。最近、朝夕は涼しくなり、家の中にいると暑さを感じないが、さすがに太陽の下は暑い。1時間半ほどの作業で汗びっしょりになってしまった。右側がCouve(コウビ、つまりケール)の畑で、左側がレタスの畑。
これはAlmeirao Paulista(アウメイラオン パウリスタ、ケールの一種)という野菜で、葉に赤い筋が入っていて、見かけは緑一色のコウビとは少し違うけれど、食べた時の味はほんの少しコウビよりも味が濃いかな?という程度で、ほとんどコウビと変わらない。料理の仕方もコウビと同じように、オリーブオイルとにんにくで炒めて食べる。
次の写真は、野菜畑を違うアングルから撮ったもの。手前がコウビの畑で、その向こうがレタスの畑。この2面の畑のさらに向こう側にあらたにもう2面ほど、野菜畑を作ろうと考えている。左奥、バナナの木の側にいるのはElaine。延びきった畑の草を刈ってくれている。Elaineは私よりもほんの少し背が低いけれど、体はがっちりとして、とても力持ち。重いものも簡単にひょいと持ち上げてしまう。口数が少なく、とても我慢強く、気のいい女性だ。笑うととても可愛い笑顔になる。年齢を聞いたことはないけれど、おそらく50代と思われる。
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2009年4月30日(木) | ||||
昨日、洗濯機の件でEdsonが何度も店に電話をして、3度目にようやくマネージャーを捕まえることができたので、いつ配達してくれるのかはっきりとした日程を配送会社に確認するように頼み、1時間後にその結果を聞くために再度電話をすると、明日配達されると言う。その言葉通り、本当に今日届くだろうか?これまで何度も肩透かしを食わされているので、本当に届くまではその言葉を信じられない。 午前中は、昨日と同様、野菜畑に出て草むしり。草ぼうぼうの中に小ネギの畑を2面発見。ネギよりも草の方が背が高く伸びて、そこにネギの畑があることに、すぐ側に行ってみるまで気がつかなかった。さっそく、そのうちの1面の草を抜いてきれいにする。明日は、残りの1面の草抜きだ。ここのところしばらく大丈夫だったのに、昨日畑に出たからか、また蚊に数箇所、首と手首を刺されてしまった。 洗濯機の配達で、また信じられないことが起こった。今朝、配送会社からEricaのところ(つまりParacambiのお父さんの家)に電話があり、まず、Paracambiの町への別の配達があるから、その荷物を届けてからこちらのファームに向かうが、運転手が前回行った者と異なるため、場所がよくわからない。それでParacambiを出るときに運転手から連絡があるので、最寄のバス停までEdsonが出て道案内をすることになった。と、EricaからEdsonに電話があった。ああ、今日こそは届くのだと思った。でも、結論から言うと、また、配達されなかったのだ。こうなると、もう喜劇以外の何ものでもない。 一体、何があったのか?いろいろなミスが重なったようだ。今朝、配送会社からEricaに電話があった際、彼女は、Paracambiでの配達が終わったら、次の配達先のEdsonの携帯に電話をするように言うべきだったのに、何故か、自分に(つまりお父さんの家に)電話するようにと言ったことが第一のミス。そして、もちろん彼女は仕事で家にいないので、電話を受けることなどできない。だから、今日お父さんの所に介護に行っているMarciaに、配送会社の運転手から電話があったら、またしても、Edsonではなく、彼女に電話するように伝えたこと。これが第二のミス。そのため、午後2時頃、運転手から電話を受けたMarciaは、事情がわかっていないので、Ericaに言われた通りに、彼女に電話をしたけれど、彼女が捕まらなかったので、Edsonに電話をしてきた。それは正しい判断だった。それでEdsonは大急ぎで走ってバス停まで行った。バス停に到着するまでにそれらしいトラックが通り過ぎたので、手を振って合図をしたけれど、無視して行ってしまった。運転手があと5分でもバス停で待っていれば、Edsonは間に合ったのに。そして、最後に、運転手がバス停まで来て、再度お父さんの家に電話をしてMarciaと話して、住所が間違っているようなのでファームが見つからないから、配達できない、だからこのまま帰ると言ってきた際、Edsonの携帯に電話をしてと、Marciaが言わなかったこと。これが第三のミス。 そして、住所がわかりにくくても、何とか品物を配達するのが自分の仕事だというプロ意識が、運転手にあり、予定通り、バス停でEdsonを待って、ちゃんと届けようという気持ちがあれば、こんな問題は発生しなかったのにと思う。 バス停まで大急ぎで走って行って、無駄骨だったEdsonは、ファームに戻った後も、しばらく息を切らして、怒りが収まらない。私に事情を説明し、少し落ち着いてから店に電話をし、マネージャーに起こったことを説明し、彼の方からも何があったのかを確かめ、次の配送予定を確認するように依頼した。 これを購入してから5週間余り、再配達の日程がころころ変わる店側と、この2週間何度も何度も電話をしてすったもんだの末に、今日の配達となったのに、それが実現しなかったことに、Edsonはちょっと虚脱感を感じているようだ。 |
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